非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2006年07月02日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類




ということで、昨日書くつもりだった日記ですが、え~本日もDVD映画のお話デス。
前回の「下妻物語」に寄せられました、たまさんからのコメントでキーワードを頂きましたので今日は「パッチギ」のご紹介です。

実は今回購入しましたDVDは、元を正すと我が娘からのリクエストでございまして、以前にもお話しましたが長女18歳が通うハイスクールには日本人が彼女しかおらず、最近話題のニッポンのカルチャーについてクラスメートから頻繁に質問が寄せられると、返答に窮した彼女はその度に親爺に問いかけるといった具合なわけです。

でもって、特に韓国人や中国人(香港人ですね)の子達が日本文化(ポップ・カルチャー)に興味を持っているようで、ヒット映画などが自国のサイトとかで紹介されると、必ずウチの娘に問い合わせがくるといったような次第です。

夏休みに入る前に彼女に寄せられた溢れるほどの質問がこの2本の映画でした。

「ロリータ・モモコ知ってるか?」(下妻物語)

「日本に北朝鮮の学校があるのか?」(パッチギ)

「ダイカンヤマにはあんな日本人の娘が沢山いるのか?」(下妻物語)



え~、たぶん質問を受けた彼女の頭の中は、深い海の底を這いずり回る提灯アンコウのようだったと思います。(笑)

ということで、これらの質問はそのまんま道楽親爺のもとに委ねられたのですが、いくら道楽者だからって、今のニッポンの状況なんてわかるわきゃないし、せいぜいインターネットでキーワードから検索するのが精一杯でした。

とまあ、こんな状況から、今回たまたまタイ・ツアーで日本に立ち寄る機会がありましたので、お父さんのお財布の中身と相談して、数枚のDVDを買い込んできたというわけです。なんで長女ばかりに優しいんだと少々の不満が家族の口から親爺に浴びせられましたが、

「おまえ(末娘)にはバンコクで買ってきたチャイナドレスがあるだろう」
注)彼女はプレステの「鉄拳」に出てる中国人キャラのファンです。

「おまえ(長男)にはタイシルクのパジャマを買ってやっただろう」
注)彼は幼少の頃から唯一パジャマを着用しないと寝付けないという妙な習慣があります。(そりゃ妙じゃなくてフツーだろ)彼以外は大抵Tシャツにパンツ一丁です。(笑)

「おかーさんにはトムヤンクンのインスタント・パックとドライ・ドリアンを買ってきたし・・・」
注)母はインドとかバリとか東南アジア系のキワモノが非常に好きです。

という具合に、家族のみんながシヤワセになるようなお土産を取り揃えたつもりの言い訳がましい親爺でした。

相変わらず前置きが長くなりましたが、本題の「パッチギ」については、これはもうとにかくトップシーンから私らの時代の不良そのまんまの姿が描かれています。

だからグループサウンズに始まり、ビートルズが出てきたり、フォークが出てきたり、学生運動やヒッピーとか、昭和40年代のネタ満載のお話です。

舞台は京都で、いわゆるええとこのボンが朝鮮高校の女の子に恋をした、というようなラブストーリーを中心にその周りで起こるドタバタ人情喜劇みたいなものが散りばめられた青春コミックスみたいなドラマです。

ドラマの根幹を貫いているのはニッポンのフォーク史上、エポックメイキング的伝説を残したグループ、フォーククルセイダース、略してフォークルのエピソードでした。
当時、私もしっかりと記憶に残っていますが、フォークルの「リムジン河」というレコードが発禁(発売禁止)となった事件をベースにその裏側をうまく描いています。
これは南北に分かれた朝鮮民族と国家間の微妙な軋轢を背景にしているのですが、小難しい理屈や政治色を飛び越えて、その時代を生きた少年たちを中心とした風俗的描写は井筒監督ならではの手法ではないかと思います。


もちろんこの曲もきちんとこの映画のテーマを盛り上げる重要な挿入歌となっています。

しかしこの映画に登場する抗争シーンは、本当に見事なまでに当時の雰囲気を甦らせてくれています。
朝鮮高校との抗争はニッポン各地で起こっていたことですし、俗に「チョーパン」と呼ばれた朝鮮パンチ=パッチギのタイトルどおりの乱闘シーンは、経験したものでなければわからない臨場感がありました。

私も個人的に言わせて貰えば、世田谷の梅が丘にはこの北朝鮮を目の敵にする右翼学校・国士舘高校がありましたから、朝高(チョンコウ)対士官(シカン)の出入りは日常茶飯事でした。
駅前に蛇腹の学ラン、ボンタンに長ぐつ姿の生徒が整列していれば、もうこれは「チョン狩り」と呼ばれる一大抗争事件の始まりで、地元の不良予備軍は後について新宿駅まで見学に行ったものです。

朝高生が新宿の某地点に集まるという情報を元に、いわゆる「シキテン」とよばれる偵察部隊が駅構内を探索、朝高生グループを発見と同時に国士拳法とか浪士隊とか呼ばれる軍団が戦国時代の戦のようになだれ込んで乱闘となります。

外野で見物する不良予備軍はその乱闘の凄まじさを目の当たりにして、わけもなく興奮したものでした。
中には線路に飛び出して逃げ惑う者や、改札口を飛び越えて繁華街へ飛び出す者など、これはある意味ニッポン右翼対北朝鮮左翼の戦いに近いものだったのかも知れません。
っていうか、闘っている戦士たちにはそのような政治的教育はあまり施されてはいなかったと思いますが、これはある意味国家間の戦争に巻き込まれた国民の姿だったのではないでしょうか。(なんちゃって)

なんか映画の話からだいぶ飛躍してしまいましたが、ストーリーは極めて単純、コミック化されてますが、取り扱っているテーマは見る人によって幾分違ってくるのではないでしょうか。でも私が一番感動したというか、目を覚まさせられたというか、この映画から受け取った大きなメッセージがありました。

それは、「歌は情熱だ」という、子供の頃に体で感じたあたりまえのことでした。
映画の中で主人公の男の子が歌う「リムジン河」、とてもすばらしかったです。
映画の中のことではありますが、彼の人生で体験したすべてが歌になっている、そんなパッションを感じさせてくれました。
何故歌を歌うのか。
それは自分の中でうごめいているわけの判らないものを昇華させるための心の叫びです。

フォークだって、ロックだって、みなこのパッションから始まっていったのですね。
それが今はどうでしょう。
商業主義といっちゃあおしまいですが、本当にこのモヤモヤとした心の叫びを歌うアーティストが一体何人いるでしょうか。
ヒットチャート目指して、印税目指して、しまいには著作権だの言い出すアーティスト。

私らの時代とは随分かけ離れたところに来てしまった音楽業界のような気がします。
そういえば、なぎらけんいちさんもフォークについての認識の違い、誤解について語られておりましたが、ある意味メッセージソング、あるいは人間の生について歌っていたものがいつのまにかラブソングとかポップソングとかにすりかえられていった、というような表現をされていました。
これも親爺の愚痴かもしれませんが、もともとロックなんてものは、何か叫びたい、何を言いたいのかわからないけど、この体の中にあるエネルギーを吐き出したい、そんなところから出発したものだったと思います。

最近の音楽を聴いて無関心になってしまったのは、あながち時代や感性の違いばかりとは言えないような気がします。
歌から、演奏から、声から、訴えかけてくるものが感じられないんですよね。
なんだか音楽室で音楽の勉強をしているみたいな感じですか。
どれもこれも雛形にはまり込んでるみたいな。
それも音楽だけに限らず、文学、アート、ファッションとどれをとっても心の底、魂の奥底から湧き上がってくるような情熱のある作品が少ないような気がします。
なんか商売でやってるみたいな、そんなんばっかりですね、このごろは。

えー、話が長くなりましたが、決して昔が良かったとかいうノスタルジーではなくて、音楽、ROCKの原点を見せ付けられたというような感じの映画でした。
PASSIONを忘れるな!ってがーんと殴られた感じでしたね。
それがROCKERじゃないのかい、って言われたようで、いくつになっても捨ててはいけないモノがあるだろうって諭されてしまったようなもんです。
おまけにエンディングはサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」でした。
憎いねぇ~!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年07月02日 07時15分12秒
コメント(9) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


見たい!!  
たま さん
見たくてうずうずしちゃたじゃないですか!!
士舘坊・・恐かった・・
今じゃ偏差値上がっちゃって、昔の面影ないですね。。
三男は帝京→国士舘大を目指していて
それって、○○年前だったらそのままその筋へ??
ってなことが一瞬頭をよぎりました。
いやいや今は平成18年!!

国士舘は落ちました(T_T) (2006年07月03日 20時24分49秒)

バッチギ  
じょんとら  さん
京都東九条の話ですよね。
私は東京十条界隈に通学してたので、朝高とは頻繁にトラブってましたね。
とにかく恐怖だったのが、例えば町でそのうちの一人をフクロにすると、翌日にその一人が10人以上連れて倍倍返しになること。
最終的には保身するため、電車通学をやめましたが・・・
同級生の女の子も、保身用の彼氏を作ってましたね、朝高に。
しかし、今でも忘れません。
あの学ランの詰襟に付いていた三和銀行風の校章。
サンペンでしたっけ? (2006年07月04日 00時00分20秒)

Re:見たい!!(07/02)  
RONNYジイ  さん
たまさん
>見たくてうずうずしちゃたじゃないですか!!

なんなら「戦友便り」としてお送りしますヨ。
もしよろしければご住所をメールで送って下さい。
道楽の押し売りみたいなもんですが、最近の親爺の唯一の道楽ですので、お気軽にどうぞ。
SOUL系の画像が多いのですが、戦友会の皆様からも頂いた音源とか画像もあります。
不定期発送、ジャンル選択不可ですが、もしご興味がありましたらどうぞ。

>士舘坊・・恐かった・・

いやいや、地元民は朝高だろうが士官だろうがイジメられるのは一緒ですから、どっちもろくなもんじゃなかったですね。ってかイジメられるやつもろくでもないヤツだったわけですケド。(笑)

>今じゃ偏差値上がっちゃって、昔の面影ないですね。。

そうらしいですね。私が成人した頃は確か環境改善委員会とかできて、校内の自治管理に力入れてましたね。ちなみに私は初代柴田総長に剣道の寒稽古皆勤で表彰状を頂きました。(おおイバリ!)

>三男は帝京→国士舘大を目指していて
>それって、○○年前だったらそのままその筋へ??
>ってなことが一瞬頭をよぎりました。

XX組員と機動隊員が同級生ですか。(笑)

>いやいや今は平成18年!!

平成の国士!

>国士舘は落ちました(T_T)

残念でした。でももう今は蛇腹の学ランとか着てないんでしょうね。
-----
(2006年07月04日 09時08分23秒)

Re:バッチギ(07/02)  
RONNYジイ  さん
じょんとらさん

>とにかく恐怖だったのが、例えば町でそのうちの一人をフクロにすると、翌日にその一人が10人以上連れて倍倍返しになること。

私も高校時代には対立する両校からフクロのお仕置きを受けたことがあります。
ただ戦闘体系が違うのは大和民族と朝鮮民族の違いがあるような気がしますね。(笑)
映画でもそれなりに国民性みたいな色が出てましたが、戦友のyu-jiさんの自伝ではこのあたりを経験に元ずいた非常に面白い分析をされております。
yu-jiさんは現在療養中なので「無頼編」のご執筆が待たれますが、当時の不良の裏側みたいなのが面白おかしく描かれてて、サイトへのUPが待たれます。(yu-jiさん、みんな楽しみに待ってますよ)

>最終的には保身するため、電車通学をやめましたが・・・

はい私も時間をずらして自転車通学にしました。

>あの学ランの詰襟に付いていた三和銀行風の校章。
>サンペンでしたっけ?

はい私たちは「サンペン」と呼んでいました。
-----
(2006年07月04日 09時17分47秒)

Re[1]:見たい!!(07/02)  
たま さん
「パッチギ」見終わりました (^^ゞ
ラジオ局で歌うあたりから涙でてきました・・・

昔は熱い若者が多かったんですね。
今、息子達を見ていると感じます…。

♪あの~素晴らしい、あいをもう一度ぉ~
って アルペジオかなんかで高校の時歌ってました(^^ゞ

息子に見せるかな?見るかな?見て欲しいな?
ダーリンは京都出身で「恐かった?」って聞いたら
「恐かった!」って言ってましたよ。明日見せようっと

それにしても抗争が「引き分け」で終る。なんかいいですね!

>SOUL系の画像が多いのですが、戦友会の皆様からも頂いた音源とか画像もあります。
不定期発送、ジャンル選択不可ですが、もしご興味がありましたらどうぞ。

こちら、興味深々です!
しかし!23区内の配送ならいざ知らす、そんな海の向こうからなんて申し訳ないです。
着払いってできるんでしょうか?? (2006年07月05日 00時49分15秒)

Re:パッチギ(07/02)  
RONNYジイ  さん
たまさん

そうですか、ご主人は京都ご出身ですかぁ~。
京都は確か花園大学応援団とかが全国的に有名でしたよね。ヨウランとかドカンとかのファッションのルーツはここだと聞いております。

その昔、ディスコのウェイター時代に京都から家出してきたという北のツッパリ小僧たちがいて、

「にいちゃん、パリパリやん」

ってよく言われましたね。(笑)

あの素晴らしい愛をもう一度~アルペジオですか。
ひょっとして「ガッツ」とか読んでませんでしたか?毎回ギターテクニック講座とか載ってましたよね。ベッツィ&クリスの登場で一気に盛り上がった時代でしたねー(^^

戦友便りですが、これは非生産活動の一環ですので、謝礼、返礼、コストなど生産的行為を超越した究極の道楽ですので、どうぞお気遣い無くお気軽にご参加下さい。

「戦友会」とは名乗っておりますが、別に集まって何かをするとか、圧力団体を組織するとか(笑)、フトンを売るとか、そういった野望は一切ありませんし、まとめるのも面倒臭いので、とりあえず私が勝手に遊んでるだけです。
すでに20人近くのご参加を得てますので是非ご参加下さい。私の生活が破綻するまで続けたいと思っています。(爆! (2006年07月05日 07時03分36秒)

Re:パッチギ(07/02)  
じょんとら  さん
いやぁー、朝高の話題で盛り上がってたら、本当にミミサイルを発射しちゃいましたねぇ。
マジで今でも恐ろしいです。
拉致なんかも昔の自分の体験に照らし合わせた時、けっこう紙一重だったかもしれない・・・・と痛感します。
板橋駅のトイレに何度連れ込まれたことか・・・
袋に入れられなかっただけ運が良かったのかな。
京都は連れがいますが、いまだにトンク(東九条)のあたりはチョン部落があって、いろいろとキナ臭いらしいですよ。
そーいえば今思い出しましたが、南朝と北朝も当時からすごく仲悪かったです。
高校のディスコ友達が在日韓国だったので、よくそいつとつるんでたんですよ。
すると、よせばいいのに赤羽線の中で思い切りメンタン切るんですよ。
「おまえ、やめとけよ。同胞だろうが」
って、こっちが制止しても無駄ですよ。
ますますエスカレートしちゃってね。
で、後日そのトバッチリが自分の身にふりかかってきたりね。
「俺は見てねぇーよ」ってのは言い訳になりませんから。
バッチギか・・・・・
俺もイムジン河を全部歌えればもう少し保身できたのかな?

(2006年07月05日 09時14分32秒)

テポドン!やばいっすねぇ~  
RONNYジイ  さん
いやいや冗談じゃありませんね。
平和ボケのニッポンも少しは焦って欲しいですね。

しかし当時は南北問題なんてほとんど理解していませんでしたね。単なるバカでしたから。
時々、士官生(大学生ね)が在日韓国人のグループと集会してるのを見て、その関係がよくわからなかったですね。(なんだよ仲良いんじゃねぇかよって)
そういえば後輩に李って焼肉屋の倅がおりましたが、お前は朝狩りに遭わなかったのか?って聞いたら「自分は朝鮮人じゃありません」って言ってましたっけ。全然意味わからんかったですね。(ほんまもんのバカ?)

あと、新宿ポップあたりは朴さん(デカ朴って呼ばれてました)っていう用心棒がいましたっけ。
高校の同級生が韓国人苛めて駅前で思いっきりツラはたかれて、交番に逃げ込んでパトカーで送ってもらうという情けない事件を起こしました。
K田っていうヤツなんですが、ニグロパンチでごっつい顔してるくせにパトカーに乗っかって家まで送ってもらってましたっけ。彼の家は歌舞伎町裏のマンションでした。親爺はキャバレーの社長だった。 (2006年07月05日 13時47分05秒)

Re:パッチギ(07/02)  
じょんとら  さん
朝の話になると止まりませんよ。
それだけ縁があったということですが・・・
僕らは都立だったんで、苗字が一文字のやつけっこういたんですよ。
あと金○君とか。
だからティーンエージャーの頃から南北問題には敏感でしたね。
あいつは在日だから○で、あいつは北だからNGとか。
途中で苗字が変わっちゃった奴もいたし。
在日でも祖国に目覚めると、今まで日本語の苗字だった奴が、ある日を境に朴とか梁とかに変わった。
でも、北はずっと朝鮮苗字で貫いてたからすぐわかりました。
で、北にも友達作りましたよ。
やはり保身のために。
ひとつの個人としては人畜無害な奴でした。
束にならなきゃ問題なかったんだけどな。 (2006年07月05日 16時51分53秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: