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昨日の写真を見ていてふと思ったのですが、70年代前半にディスコ・ブームの先駆けともなった踊り場時代、そこに屯していた不良の殆どがツッパリ系、今で言うところのヤンキーは一体いつ頃まで棲息していたのでしょうか?(笑)
もちろん私もご多分に漏れずリーゼントのコンポラ野郎だったわけですが、実のところこの踊り場のファッションと言うかムーブメントが変わっていった境目って、みなさん覚えてますか?
まあ、どーでも良いことなんですケド、なんだか昔のこと思い出してるウチにふと疑問に思ったもので、こういうくだらないことを考え始めると止まらなくなる体質なもんで。(笑)
私自身は高校を卒業してからしばらくはツッパリ系で通していましたが、どうもイマイチ踊り場での目立ち方が足りない(笑)と日々悩んでおりました。
踊り場自体も古い小箱から大箱の生バンド付きみたいな流れになってきて、コンポラやアイビーのツッパリがダンスフロアを牛耳るというパターンが少しずつ排斥され始め、踊りが一般大衆に解放されてきた時代でもありました。
もちろん昔ながらの踊り場では、昔ながらのシキタリにしたがって常連のツッパリグループが先頭切ってステップ踏んでたわけですが、いつの時代も世代交代、あるいは覇者交代が行われ、良い歳こいて突っ張っているのも恥ずかしいことになってきて、リーゼントは面影を残しつつもソフトバックなどに変わり、細いスーツは衿幅の太いスリーピースやエンブレム付きのブレザーなどに衣替えして、後輩の手前目一杯背伸びして余裕を見せる大人に変身を図ったものでした。
私自身を振り返ってみても、高校生を終了した時点で地元の先輩方が相変わらずリーゼントにボンタンなどを履いて商店街でグダグダしている姿を見るにつけ、色褪せた青春(笑)、ここだけ時間が止まっているようにも思え、その先輩方についていく中高生のツッパリ少年たちがひどく子供っぽく思えたものでした。
これじゃ近所のガキ大将、たんなるお山の大将じゃん、てな感じでしたね。
いつまでも地元商店街で近所の子供たちを引き連れては悦に入っている先輩方が、妙にガキっぽく思えた頃でもありました。
とはいうものの自分だって充分ガキなんですけど、新宿で遊ぶようになって踊り場の常連になり始めたあたりから、地元のツッパリグループとは次第に疎遠となり、精神的にはツッパリを卒業し始めていたわけですね。
大きな流れで言うと、ツッパリ小僧の初等教育はやはり暴走族であり、自分の足で遠出ができるっつーことが背伸びの第一ステップでした。
ここでバイクの買えないビンボー野郎たちは、仕方なく近所のビンボー人のバカたちとつるんで目立つことをして対抗します。
ケンカとかかっぱらいとかカツアゲとか、とにかくバイクグループに対抗して自分達のステイタスを守るため次から次へと悪事を行うべく惜しみない努力を重ねます。
そのうち本職から声が掛かってツッパリを卒業していくヤツやら、早くも塀の中に落ちるヤツなども現れ、そこまでは本腰入れて修行を積めないフツーのツッパリ小僧は急に萎縮して、せめて高校くらいは出ておかないと将来が不安だとか、とってつけたようなことを言ったりしますが、もうこの時点で卒業しようがしまいが手遅れなことに気が付く由もなく、無意味な反省をただ繰り返します。
元々バイクなんぞが買えたり、教習所に通えたりする家庭環境にいるツッパリ小僧はそれなりに時期が来ると、「落ち着いた」などと称しては社会体制にうまいこと順応していく要領の良い連中が多く、そんなバカの背比べをしているビンボー人の小僧たちだけが、引き返せない見栄を張り続け、お決まりのドロップアウトをしていくわけですね。
え~、多少はヒガミ根性もありますが、私自身の経験から言わせて貰うと、私の時代の不良は大変わかりやすく、高校を卒業した時点で人生がきちんと分かれていったものです。
大学進学組は手のひらを返したように「大人」になっていき、高卒組は家業をついで「大人」になるか、夜の世界へまっしぐらといった感じでした。
高校中退組はしっかりプータローか、某組の構成員とか、中高生を集めてチームを組織して中古車売買の仲介やステッカー製造販売等のビジネスを展開していきます。
この道を目指した者の中から「ねずみ講」のヒーローなども数多く生まれました。(笑)
ということで、私はバイクも買えないビンボー人の倅として、地元でチマチマとツッパリ修行をしていたのですが、高2の夏頃から踊り場デビューを果たし、ついに自分の生きる道をそこに見つけたのでした。
それからはビンボーながらも稼いだ金はすべて踊り場に注ぎ込み、知らぬ間にその界隈の常連の一人として名を連ねるようになっておりました。
まあ、簡単に言っちゃえば、自己顕示欲を満たしてくれるステージを見つけた、というようなもんですね。遂に自分を認めてくれる世界を見出したといったところでしょうか。
ところがこのステージも時代と共に変化してゆき、高校を卒業する頃には古いステップで目立つことも叶わぬようになっていったのでした。
更に踊り場も大箱になると、いくらステップで先導しようとしても、フロアが広すぎて自分の周りが付いてくるのがせいぜいで、人垣越えた向こう側ではネクタイ姿のおっさんや、OL風のおねーさま方が好き勝手に踊っているではありませんか。
「今まで苦労して築き上げた俺の地位はどうなるんだ」
と地団太踏んで悔しがってみたところで、時代の波にかなうわけはありません。
そうこうしている内に踊り場の常連たちも一人ふたりと「落ち着いた大人」(笑)になって消えてゆきます。
更に年下のツッパリ小僧などが勢力を伸ばしてくるに至っては、「もうオレも落ち着いたから」とか余裕を見せてコンチだアイビーだと大人風を吹かしている場合ではありません。
せっかく見つけた自分の生きる世界なのに、ジワジワと追い込まれてきたのでした。
年下のツッパリを見下して、なおかつ世間の皆を注目させる、そんな自己顕示欲を満たす必殺技はないのだろうか。。。。。
もうおわかりですね。この時代、ニットフレアにアロハを着たアフロが踊り場に急激に出現し出しました。
時代は「ニュー・ソウル」、踊りは「バンプ」、そして踊り場は「ディスコ」と呼ばれるようになっていった1970年代中頃のお話です。