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2006年11月08日
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前2作の日記にも書いたように、踊り場からディスコへと進化を遂げる過程で、単なる音楽係のお兄さん(笑)からディスク・ジョッキーなどというカッチョ良い名前の職業へと変化を遂げて行ったお兄さんたち(笑)ですが、自分自身がいざ業界の中に身を置いてみて初めて知ったその実態こそが、その後の委員長の人生におけるトラウマとなっていったのでした。(ちょっとオーバーかもしれない)

委員長の体験的記憶で言えば、DJなる存在自体の認識を持ったのは、やはり六本木メビウスでしょう。
アクリル製のカプセル型DJブースにそれなりの人が入って、レコードを回しながらマイクを使って喋るという、いわゆるラジオ番組で言うところのサテライトスタジオみたいな雰囲気を持つこのお店は大変画期的な「踊り場」に見えましたね。
大体、それまでの踊り場のDJブースなんて、裏方さんの部屋みたいなもんで、DJの顔も見えないようなのが当たり前でした。

そういえば昔、時計屋さんて、時計の修理とかもやってたでしょ。
お店の隅っこに小さな小部屋みたいなのがあって、薄暗い中に裸電球のスタンドかなんかが煌々と光ってて、天眼鏡(古っ!)みたいな目玉眼鏡をかけた職人さんが小さな腕時計を分解したりするんですよね。
そんな感じが、当時の踊り場の音楽係のおにーさんって感じでした。
ダンスフロアー(ってか踊り場ね)の隅っこに小部屋があって、裸電球の下でせっせとレコードかけてるみたいな感じですか。(笑)


それでも、当時はDJなんて自分たちとは別の世界の人たちだ、くらいにしか思っていませんでしたから、まさか自分がそんなものになろうなどと思うことすら頭にはありませんでした。まあ、どっちかというと、この時代の委員長はバンドマンにあこがれてましたから、レコード回して人気者になろうなどとは考えもつきませんでした。

それでも当時、DJってのが活躍していたお店もいくつかありました。
新宿だと歌舞伎町の「白馬車」や「穂高」など、深夜営業の大型喫茶にはサテライトスタジオよろしくガラス張りのブースの中でDJがおしゃべりしながら音楽を紹介する、いわゆるラジオ番組の模倣みたいな感じのお店がありました。
始発待ちのお客さんからのリクエストに答えたり、セイヤング、オールナイトニッポンばりのパーソナリティを気取ったDJが勝手にしゃべっては音楽を流す、みたいなお店でした。
あとは吉祥寺にベルファンっていう中堅規模のコンパがありまして、ここではバンドとDJが交代で音楽を流すという、当時にしては結構面白い企画のお店だったですね。

こういったお店に出ていたDJは、もちろんステーション(ラジオ局)とかのDJを目指すプロ志向の人ばかりで、噺家の弟子とか、FM局や有線系のDJをしているような人が多かったと思います。もちろんジャンルは洋楽&邦楽のポップス中心ですね。
まあ、当時の委員長の頭の中では、こうしたディスクジョッキーがディスコ(踊り場)でレコードを回している人とまったくリンクしていませんでしたから、ラジオのジョッキーの延長が巷のDJで、ディスコにいるDJは別世界の人だと思っていました。

てなことで、いざ自分がディスコで働くようになって業界のことがわかるようになってくると、こんな楽で見栄えの良い仕事は他にはないと思いましたね。
おねーちゃんにもモテそうだし、一般人とはちょっと違う、というスノッブ感覚も充分に満たしているし、なんせ自分で演奏するとか、練習するとか、そーいったメンドーなプロセスをすっ飛ばしていきなりデビューできるという、素晴らしいチャンスに溢れた仕事、というのが怠け者の自己顕示欲爆発型人間としては、この上もなくもってこいの職業だと認識したわけです。

なんせ、業界に入って出会ったDJという方々の殆どが、「なんだよ、俺らとほとんど変わらないじゃん」って印象の方が強くて、それまでは、DJなんてやるには何かオーディションとかライセンス取得みたいなものが要求される特殊技能だとばかり思っていましたから、ここで道楽者の血が一気に噴出して、楽して良い給料がもらえるディスクジョッキーという職種に突っ込んで行ったのは当然のことだった思います。

それまでは、それなりにバンドマン目指してギターの練習とかしてた委員長ですから、業界入りするには下積みを重ね、練習を重ね、メンバーを集め、更に練習を重ねてようやくステージに立てる、というような勝手な思い込みだけで燻っていたわけで、それが、ただレコードを回すだけでいきなりデビューできるという、夢のようなチャンスが目の前に突然現れたのですから、そりゃ突っ込まないワケがありません。


当時乱立し始めたコンパ系ディスコ、中型~大型店舗にはたいてい黒人DJが居て、その合間を繋いでいる日本人DJは、専門職ばかりではなく、店の従業員が入っている場合もあり、しかもGETなどの小型店ではウェイターとかが持ち回りでやっているではありませんか。
「なんだよ、ウェイターしながらDJやるんじゃ、ちっとも楽じゃないし、目立たねーじゃなーか」という大変不埒な考えで頭が一杯になってしまい、益々この業界のいい加減さに眩暈を覚えた委員長だったのです。

そんな思い上がりも甚だしい委員長は、新規オープンの店に出張っては自慢のアフロとハッタリで「DJいりませんか?」と売り込みに励んだのですが、いくらなんでも「じゃ、ひとつ頼むわ」なんて雇ってくれるお店があるわきゃありません。
実際、DJの経験なんて殆どなく、アフロしてるからってSOULミュージックに秀でいてるわけでもないし、多少はマシな踊りが踊れるってことくらいが自慢の、単なるハッタリ野郎の夢はあっさりと破れ、仕方なく新宿西口にあったV-oneというお店に入りこんだのでした。
ってか、あっさり諦めちゃうような仕事だったってことは、あっさりとなれる職業だってことでもあるわけで、まあ、このV-oneでウェイターをしながらDJもボツボツと始め、いよいよドツボにはまっていったわけです。


しつこいですか?明日もう一回書きますね、完結編。(終わるかなぁ~)





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最終更新日  2006年11月08日 09時02分31秒
コメント(8) | コメントを書く


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その頃。  
KYさん さん
じゃ、当時のメビウスのDJが「Yちゃん」と、英語の出来ない外人顔の「ROY君」? (2006年11月08日 10時34分53秒)

メビウスのDJって・・・  
某I さん
メビウスで踊り場デビューした自分としては、
DJ全員が英語がペラペラなものだと思ってました。
というよりも、当時の六本木地区のDJって、
覚えている限りは、MCは英語のみでしたから、
英語にに堪能でないと出来ない仕事だと思い込んでしまいました。

まぁ、その後に新宿にも通い出して
まったくの思い込み違いだという事に気づく事になりましたが。。。w

ちなみに、私は時計屋の片隅の修理部屋のようなブースの方が
落ち着いて廻せるので好みです。w (2006年11月08日 12時19分43秒)

Re:その頃。(11/08)  
RONNYジイ  さん
KYさんさん
>じゃ、当時のメビウスのDJが「Yちゃん」と、英語の出来ない外人顔の「ROY君」?

そーゆことになるのですが、当時はDJの名前なんて聞かなかったし、ラジオとかどっかでDJしてる人だと思ってましたね。自分とは住む世界の違う人だと思ってたし、当時はDJよりも従業員が踊るチャチャとかの方に興味がありましたから。ただ、DJカプセルみたいな出現が子供の目には凄くゴージャスに見えたんです。
でもってDJがYさんという方だったと知ったのは後年、業界に入ってからのことです。
-----
(2006年11月08日 12時37分02秒)

Re:メビウスのDJって・・・(11/08)  
RONNYジイ  さん
某Iさん

>英語にに堪能でないと出来ない仕事だと思い込んでしまいました。

そうでしょ。みい~んな、そう思っていたはずですよね。だから業界に入った時の衝撃はあまりにも強烈でしたねー。なんだよ英語も満足に読めないんじゃん、みたいな。(笑)

>ちなみに、私は時計屋の片隅の修理部屋のようなブースの方が落ち着いて廻せるので好みです。w

当時の私の目には、時計屋さんの修理部屋とイメージが重なって、レコード係の職人さんが働いているのだと思ってました。
でも私らの時代はそんな裏方っぽい環境の方がフィットしますよね。(笑)
-----
(2006年11月08日 12時41分53秒)

憧れました  
supercops-2 さん
自分もDJという職業には憧れを持っていました。
最初に通ってたAIではDJの名前すら知らずに、曲を繋げる(レコード廻す)役割程度にしか(ゴメンなさい)思ってもいなかったですが、その後に通ってた前出のメビウスではDJにスポットがあたっている様や、そのDJがフロアを確実にコントロールしていたのが(ガキだった自分にも)解りました。
サザンの歌詞みたいに所々に英語があって、尚且つ日本語も英語風に聞こえるDJはカッコいい!…そういうイメージづけが出来ていました。
更に、アフロレイキで江守さんの踊りながらするプレイを見てからは、憧れも頂点に達していたと思います。なりたい職業として真剣に考えた時期もあります。 (2006年11月08日 20時41分15秒)

DJ初心者  
HARU さん
僕はソウルエンバシーでユキさんにDJ教わったんですが、恥ずかしがりやだったので、最初黙ってレコード回してました。そしたらユキさんに「何か話せよ!」っていわれて、おそるおそる曲を紹介したりしたのが始まりだったですねー。(笑)曲を知ってることと、DJすることは違いますからね。覚えてからは、よその箱で金稼ぐのは楽でしたね。(笑)エンバシーはウエイター、キャッシャー、カウンターキッチン、DJと何でも屋でしたねー。エドイン・スターが僕の作ったカレーを気に入ってくれて、お代わりしてくれましたっけ。(プチ自慢)
 新宿のビバヤングの女性DJに前出の ブティック「エマ」につき合わされましたよ。みつぐさんが一緒に行けば良いのにねー?! 20年位前ハワイに行ったとき、スワップミートの会場で出店していた白人さんに「新宿のエマっていうブティックまだあるか」って、聞かれたことがあって、「まだあるよー」って言ったら、懐かしがってたことがありましたよ。懐かしいねー。 (2006年11月09日 00時35分43秒)

Re:憧れました(11/08)  
RONNYジイ  さん
supercops-2さん

>サザンの歌詞みたいに所々に英語があって、

あはは、わかりますよ、その感じ。
どうせナに言ってるかわかりゃせんだろーみたいなもんですね。(笑)

>更に、アフロレイキで江守さんの踊りながらするプレイ

当時のエモさんはおしゃれだったですよね。
踊りは・・・・・う~ん・・・・(笑)
-----
(2006年11月09日 06時55分05秒)

Re:DJ初心者(11/08)  
RONNYジイ  さん
HARUさん
>僕はソウルエンバシーでユキさんにDJ教わったんですが、

完結編(笑)でエンバシーのこと書こうと思ってたんですよ。

> 新宿のビバヤングの女性DJ

思い出しましたよ。彼女に一番最初にDJの手ほどきしたのが私でした。確か彼女はD商事の部長だかのGirlFriendだったんですが、すったもんだがありまして、その部長の力関係を屈指して(笑)ビバヤングのDJの座をGETしたんですよね。
で、たまたまビバヤングのトラで入った私が、DJのいろはを教えた(笑)みたいな。
確かその後Q&Bにも流れて行きましたよね。
その頃は結構SEXYさで人気も出てきたんじゃなかったでしたっけ(^^;

>「新宿のエマっていうブティックまだあるか」

結構遊び人の御用達みたいな店でしたよね。
ディスプレイもかなり派手で、いわゆるヨーパン系ファッションってやつですか(BOMB!
-----
(2006年11月09日 07時03分08秒)

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