祝祭男の恋人

祝祭男の恋人

May 27, 2005
XML
カテゴリ: 小説をめぐる冒険

14

 テレビの中では、日に焼けて少し頬のこけた犬瀬が、険しい顔つきをして何かを話していた。画面の右隅に生中継を表す文字が映っていた。そこに立っているのは紛れもなく犬瀬駿だ。見間違いようがない。
「すごい」と塩野健が言った。
「本当に行ったのね、この人」と僕を見て玉が呟いた。
「――ああ」と僕は言った。


 去年の秋に起きた事故の後、彼はしばらく休養した後に意を決して局の報道部へ転属願いを出した。それは初めのうち――犬瀬の話によれば――上層部の反対により受理されなかったのだけれど、そういうことならば退職するつもりでいたので、最終的に犬瀬はその局の海外特派員としてゴワスという国の紛争地帯を取材しに派遣されることになった。
 何度か入院中の犬瀬を見舞ったとき、彼はこんなことを言った。
「――死ぬのが怖くないって、前に言っただろ?」僕は、うん、と頷いた。「今回の事故も怖くなかった」――そうか、と僕は答えた。

「わかるか?」と訊かれ、僕は首を横に振った。そして犬瀬は笑いながら、
「女は知っている」と呟き、「――ゴワスに行くんだ」と言った。

――ゴワス?
と、その話を聞いたとき僕はそう思ったのだった。そんな国の名前を聞いたことはそれまでになかった。もちろん僕の知らない国は無数にあるのだろうけれど、一応気になって世界地図を広げてみた。それはイオニア海の端、アルバニアの沖に浮かぶちぎれ雲のような小国だった。人口は五十万に満たず、オリーブと銅が幾らか採れるあまり目立たない国だ(国旗の柄もオリーブと銅を模した大ざっぱなデザインで描かれているだけで別に深い意味合いも無さそうだった)。とはいえ、ここ数年の間に、多数派住民の支持する政権が行った民族分断政策をきっかけに、大小様々な小競り合い、内戦が断続的に続いている危険地帯ということだった。けれども僕は何も知らなかった。それに犬瀬の話以外にはテレビで見かけるのもこれが初めてだった。

 ここ数週間で、少数派住民の三分の一もの人々が虐殺された模様だとテレビの中の犬瀬は告げた。

「へえ」と塩野健が言った。
(ちょっとこれはすごいことなんじゃない?とパンを喉に詰まらせながら玉が言った)
 犬瀬は、弾痕が無数に残る壁――それは激しい銃撃戦のあとを示していた――を背景にして立ち、決裂した和平交渉の再開の見込みはない、と話した。カメラがゆっくりと移動すると、目が大きく、肌の浅黒い子どもたちが数人連れだって歩いていくのが見えた。埃っぽい通りの両側の建物は崩れかかっているものもあれば、男たちが頻繁に出入りしているものもあり、通りの奧には岩がむき出しになり、丈が短く色の薄い草が所々に生えている丘が見えた。
 そこがゴワスではなく、どこかもっと別の場所だと説明されても僕は納得するだろうと思った。今この同じ瞬間に犬瀬がその街のその場所に立っているということが実感としてあまり感じられなかった。そこは池袋の交差点ではない。僕が駆け足をしても五分では辿り着けないのだ。
 テレビを見ながら、
「――たいしたもんだよお」と少し酒の回った樫村さんが言った。「――俺もあと二十年若かったらな」

「なんか、すごいわね」としばらくしてから玉が言った。
「うん、すごい」と僕も言った。
「まあ、はっきり言って――」と塩野健が咳払いをしながら言い、宙を見たまま結局何も言わなかった。誰も何も言わなかった。
「ついに――」と僕は言った。
「ついに?」

 で、僕は言った。
「向こう側に行ったんだ」
「向こう側?」
「そう、そうなんだよ」と樫村さんが言った。(それが言いたかったんだよ、と額を撫でた)
 そして、
「ねえ、それってどっち側?」と皐がパンをかじりながら呟いた。


                      つづく








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  May 27, 2005 01:25:09 AM
コメント(0) | コメントを書く
[小説をめぐる冒険] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Favorite Blog

ブライスの自然の恵… ブライス 007さん
「ビジネス書の編集… ビジネス書の編集者さん
一日一回誰かを笑顔… 広瀬ミオさん
本との関係記 村野孝二(コチ)さん
電脳快感日記 blue-daisy-planetさん
Cosmopolitan Book V… Hemingwayさん
南包の風呂敷 南包さん
記憶の住処 黒川大和さん

Comments

海のくまさん@ チン型取られちゃったw http://onaona.mogmog55.net/inppioa/ 俺…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…
もじゃもじゃ君@ 短小ち○こに興奮しすぎ(ワラ 優子ちゃんたら急に人気無い所で車を停め…
通な俺@ 愛 液ごちそうたまでしたw http://hiru.kamerock.net/w5d9ei9/ フ○…
地蔵@ 驚きのショックプライスw コウちゃんがこないだ教えてくれたやつ、…

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: