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2011/07/08
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カテゴリ: 櫻井秀勲の目
「週刊新潮」が創刊2800号を迎えた。戦後に出た週刊誌の中ではもっとも古く、1956年(昭和31年)の創刊だった。新聞社系を除く出版社として、初めてのウィークリー出版だ。

その記念号に、共産党の元名譽議長だった野坂参三の記事が載っている。野坂といっても、この名前を知っている人は少ないだろう。

しかし、敗戦直後の1946年(昭和21年)1月、亡命先のソ連から帰国したときは、日比谷公会堂に、3万人を集めて帰国歓迎大会がひらかれたほどの、国民的英雄だった。

この野坂が1992年(平成4年)100歳のとき、共産党を除名され、それもあって翌年亡くなったいきさつを「週刊新潮」は書いているのだが、私がここで書きたいのは、そのことではない。

私が疎開先の高校3年のとき、野坂は帰国2年目で、まだ圧倒的な人気だった。当時私は社会部の新部長として、学校中をあっといわせる企画を考えていた。

1つは千葉刑務所の監獄に入って、獄中の生活がどんなものであるかをレポートしようというものだった。もう1本は野坂参三に直接手紙を出して、取材させてほしいと願ったのだ。いずれにしても地方の一高校生としては、大胆な案だった。

千葉刑務所長は、法務省と相談し、結果としては高校生には「危険すぎる」ということで、校長宛て、丁重な断りが来た。しかし戦後、生まれ変わった所内を見てもらいたい気持ちはあると、むしろ私のプランを評価してくれたのだった。

驚いたことに野坂参三は、私にハガキではあるが、「忙しくてむずかしい」旨の丁重な返事をくれた。「ノサカサンゾウ」とカタカナの署名だったのが、とても新鮮だった。このハガキは学校側が保管するということで、私の手元にはない。

もしいまそれがあれば、野坂の人となりを知る貴重な資料になったと、残念でならない。





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最終更新日  2011/07/13 10:56:13 AM
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