ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2010.05.29
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カテゴリ: 外国史
19世紀のアメリカ(27) 

第1章 米英戦争…2

先ずは、下の地図をご覧下さい。

アメリカ合衆国の拡大

大き目の地図とさせて戴きました。

19世紀のアメリカを概観する時、そこには常に2つの課題がありました。
第1の点は、序章に記したようないきさつで、夫々が内政に関する主権を持つ州の連合体という形で出発した連邦政府が、どの時期にどのような形で自らの権限を強化して、現在のような合衆国中央政府となったのか。この点です。僅かな権限しか持たなかった中央政府権限の、強化の歩みです。およそを先に語っておくと、この点では1861~65年の南北戦争と、20世紀になってのことになりますが、1933年からのフランクリン・ローズヴェルト政権下のニュー・ディール政策が、大きな役割を果たしました。

そして第2の点が、昨日記したナポレオンから、ほとんどただ同然の値段で購入したフランス領ルイジアナを含む、西部開拓地の問題です。ルイジアナ(地図の若草色の部分)の購入と編入によって、合衆国の国土は、建国当時のほぼ2倍に増えました。

この1803年に、パリ条約でイギリスから貰い受けたアパラチア山脈の西方では、3つの州が誕生し合衆国に加わっていました。1992年にケンタッキーが、96年にテネシーが、そして1803年にオハイオが州昇格を認められて、合衆国に加わったのです。しかし、まだ人口も僅かで、州となった地域でも、盛んに入植と開拓が続けられていたのです。

未開の西方との境がフロンティアと呼ばれる開拓最前線なのですが、それはなお、ミシシッピー川に及ばず、はるか手前にあったのですが、この未開の辺境フロンティアの最前線を、西へ西へと移動させてゆく西漸運動は、1890年代にフロンティアの消滅が宣言されるまで、ずっとアメリカ史を特徴付けてきたのです。



こうして、西へ西への開拓運動は、遂に太平洋にぶつかるまで、留まることを知らなかったのです。こうして、開拓すべき西部の存在と、西部の開拓地をどうするかという問題が、代々の米国政府にとって、大きな課題となったのです。
                                 続く





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最終更新日  2010.05.29 18:04:40
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