ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.12.29
XML
カテゴリ: 外国史
米国の新聞とピューリッツァ (2)

南北戦争が終わり、軍務を解かれて失業者となったピューリッツァは、たちまち路頭に迷いました。しかし、彼にはツキがありました。兵士仲間に教えられて、ドイツ移民の多いセントルイスに遷ったのが、運のツキはじめでした。

何とセントルイスで、新聞記者になることが出来たのです。駆け出し記者としての懸命の働きで、小金をためた彼は、1878年にセントルイスでポスト・ディスパッチ紙を創刊して成功します。

事業欲にも目覚めたピューリッツァは、全米一の大都会ニューヨークへの進出を目指します。こうして83年、ワールド紙を買収して、念願のニューヨーク進出を果たしたのです。

ピューリッツァの新聞作りの要諦は、社会種を重視しながらゴシップ記事に流れず、お堅い政治新聞とも、ゴシップ記事中心の芸能新聞とも距離を置いた、新しい大衆紙を目指したことにありました。

こうして、中等教育を受けた新興の中産階級をターゲットとした、ピューリッツァの狙いは的中し、「ワールド」紙は、彼の経営参加によって、発行部数を大幅に伸ばすことに成功したのです。

そのピューリッツァの武器は、読者参加型のイヴェントの多用にありました。代表的な例を二つだけ上げることにします。

その第1は、今では米国の象徴となっている「自由の女神」像の建立問題です。女神像は、米国の独立100周年を記念して、パリっ子たちによって寄贈されたものです。1875年に組織された、パリの仏米協会の会員が、米国の独立100年の記念にと寄贈を思い立ち、像の完成が遅れ、100周年には間に合わなかったのですが、1884年にニューヨークに届けられた仏米友好の像なのです。

しかし、像は届けられましたが、台座がありません。台座は米側が用意し、完成させる予定でしたが、ところが財政難のために、台座を作るための経費が議会で否決されてしまい、米側は像を建てることが出来ず、像はニューヨークの港に置かれたままとなったのです。



「独立戦争に協力し、義勇軍を派遣して共に英国と戦ってくれた、フランスの友人たちが、浄財を集めて贈ってくれた「自由の女神」像が、ニューヨークの港に横たえられたままになっている」

「大衆諸君の新聞である「ワールド紙は、諸君に訴える。諸君の力で「自由の女神」の台座を作ろうではないか。そのための資金を募集したい。ただし高額の寄付はお断りだ。5セント、10セントの寄付は大歓迎だ」

このピューリッツァの呼びかけは、大反響を巻き起こし、短期間に10万ドルを超える寄付金を集めたのです。応募者数は12万人を超えていました。

こうして、今や世界遺産にも登録されている「自由の女神」像は、米仏友好のシンボルとして、ニューヨック港の出入り口に設置されたのです。
                                続く





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.12.29 21:44:23
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

日本を貧しくする"絶… New! 5sayoriさん

愛知県刈谷市  小… New! トンカツ1188さん

自然のはしくれメモ_… New! わからんtin1951さん

「稚内 20日目」 New! でぶじゅぺ理さん

今時の運動会は、You… New! naomin0203さん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.05
・2026.04
・2026.03
・2026.02
・2026.01

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: