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ほんまにね。私、自分で自分の首しめてるよ。タイトルについて、以下説明。ウーの通う保育園で、一人、どうもけったくそ悪い幼児がいてね。その子の親も親で、親にも先生にも挨拶はしない。いつも、子ども放置で、送り向かいの際は携帯を耳にあてているか、手に持ってメールしているか以外の姿を見た事がないお方。この子も、かわいそうっちゃ、かわいそうな子やねんけど。何か、根性悪いいじめ方をする。対子どもやなくて、気に入らないことがあるとその子の親の悪口を言う。「○○ちゃんのお母さんなんか、いつも化粧もしてなくてジミ」「服もださくて、うちのママよりおばちゃんくさい」5,6歳女子って、こんな憎まれ口たたくのね~と私はビックリ。ある日。本当に善良な塊みたいなお母さんを持つ、☆☆ちゃんに向かって「あんたとこのママ、いつも保育園に来たら、ゴミとか拾ってへんなの」(彼女はさりげなく、ゆるんだままの水道栓しめたり、子どもらが散らかした後をさっと片付けたりしはるのだ。さりげなく)ヤンスカレーダーが、いじめっ子のセリフをキャッチしてもうた。さらに、続く。「あんたとこのママは、はっきりいってダサいしなあ」☆☆ちゃんの目から大粒の涙。私、自分のお迎えを一瞬忘れて、いじめっ子の肩を押さえて、園庭の隅へ誘導。「ちょっとアンタ。いいかげんにしいや」と子供向けドスをきかせたった。それでも、ギラギラした目つきで返してくるいじめっ子。いけ!ヤンスカ!大人をなめんなよ~っちゅうねん。しかし。ある意味この子も、あんな親の犠牲者。よそのお母さんの在り方がうらやましいからこその、いじめだろう。なんで、私はこういった。「おばちゃんはなあ、こう見えても昔プリキュアやってん。変身してやっつけられたくないやろう?アンタがやってることは、良いことちゃうで」(南海キャンディーズのしずちゃん風の抑揚でね)女児の顔色が変わった。すっごい複雑そうな表情をして、しばらく黙ったあげく…。「おばちゃん、ほんまに?…ほんまにプリキュアやったん???」そないに、動揺せんでもいいやないの。小柄で小デブな、目の前のオバハンを食い入るように見つめるいじめっ子。「そうや。もう昔の話やけどな」気分はハンフリー・ボガードな母ちゃん。女児は、くるっと向きを変えて去り、私もウーを迎えに行き、園の先生に(プリキュアの部分は伏せて)☆☆ちゃんを言葉で泣かせていたのでちょっと怒っておきましたと報告。帰り際、女児はこすからい表情抜きで、私にさようならと言い、私も明るく「お友達とは、なるべく楽しく過ごそうな」と返しこれでオシマイ。…のはずやってんよ。翌日。ウーを迎えに行ったら、ウーのクラスの男児が近寄ってきて「オバちゃん、聞いたわ。あのこと」とささやく。で、次の瞬間「おねがい~あっちで、こっそり変身してもらえへんかな?」うっひゃあ~。でも、私は冷静に答えたわ。「ごめんなあ、暗くならんと変身できひんから、今日はアカンわ」残念そうに立ち去る男児。またその次の日。この日はすっかり暗くなっていたので、期待でいっぱいの男児と他のクラスメートに囲まれた私。「今は暗いで~、変身して~」「おばちゃん、どのプリキュアやったん?」など質問責めにあってしまった。ウーの加配の先生が、怪訝そうに声をかけてきて、男児が事の顛末を話して聞かせた。あちゃ~、恥ずかしいぞわし。と、気持ちだけ小さくなっていたら、「たしか、お母さん9時過ぎないと変身できないんですよね」とごく普通の口調で先生が私に振って来てくれた。この打ち上げてもらったトスは、ちゃんと打ち込まねばなるまいて。「はい、そうです。残念だけどね」なあんや~9時は無理やわ~で、引いていってくれたあたりは年中さん。後で、先生が爆笑してくれて、助かりましたがね、もうしょうもないこと言いません。その後。件のいじめっ子女児は、私を見ると挨拶する。元プリキュアやから、ではなく、得体の知れないオバちゃんのブキミさ、に対して畏怖の念を抱いているんだろうと私は勝手に思っている。しっかしなあ。クラスメートのお母さん方から「ウー君のお母さん、変身の事うちの子から聞きました(うふふ)」と言われて赤面してもうたわ。「もしかして、本当に声をやってはったんですか?」(私の仕事を知る人から)真顔で聞かれるのには参った…。全力で否定したが、どっちかっていうと、その手のウワサが形を変えて伝聞されていく方がこわいやん。もう、今後は違う方法でいきますっ。
2010.12.12
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ウー、5歳。鉄道ときかんしゃトーマスをこよなく愛する男児。最近は、本当に自分の好きなものを要求したりできるようになったので記録しておこう。ウーの好きなもの。食べ物 納豆。ピーマン(ウェイパーで炒めたものが特に好き)ポップコーン。 クリームパン 野菜ジュースモノ 玄関や門扉についているライオン。信楽焼のたぬきの置物ならびに なんか茶色っぽいカエルの置物。電飾ギラギラの家。 (ウーの憧れの家を画に描いてみたが、ありえない悪趣味さだ)人 今一番リスペクトしているのは、鼠先輩。 動画サイトで見た「六本木」にほれ込み、PVのマネをする。 鼠先輩が茶色い上着を着ているので、自分も茶色い服を肩にかけて 歌い、踊る。 ♪わたしをわすれて~せんぱい が、 ♪かかしをたすけて~になってるのが、たまらん私のツボだ。 「ああ~かっこいいわあ」と本気で言う姿にちょっぴり複雑な思いを抱く。鉄道 空前のデゴイチ(D51)ブーム。 トーマスのキャラクターの中でも、ヒロに食いついている。 「おかあさん、デゴイチかって」と小首をかしげながらおねだり。 いえ、プラレールではなく、梅小路のホンモノを指差して、ですわ。 お母さんが3度目の正直で大富豪と結婚したらこうたげます。 家の中は、トーマスものと鉄道ものだらけ。 おしゃれ奥さんの部屋とは無縁。オタクな父子家庭のようだ。 カプセルプラレールも、貯まってきたぞ。うた 「六本木」「みなとへいこう」(トーマスの挿入歌) たいがいにしてほしい位のヘビーローテーション。 私まで歌ってしまうしい。場所 神社。お寺。 特に神社は大好きで、パソコンで全国の神社サイトを観ている。 神社の名前もたくさん覚えているし、 鳥居、狛犬、注連縄なども知っている。 なにより、美しい参拝作法を実践しているのが驚き。 未来の夢 えきちょうさん、おぼうさん。 (う~ん…)かなうと、いいねえ。
2010.12.08
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さあ。今回で、私のトンネル話もおしまい。私のこの一年。離婚で幕を開けた、この一年。離婚も2度目なんだから、慣れてもよさそうなもの。うんにゃ、大違い。子どもを連れて、それも、かなり手のかかる子どもを連れての離婚。感情的にも、事務的にも、時間とパワーが必要だった。でも。まだ、ドタバタしていた時はよかったの。色々と落ち着いたあとに、それは、やってきた。ウツ。目の前の電話が鳴っているのに取れない。めんどくさい、怖い。床に落ちたものを、拾わない。そのまんま。気がつくと、私は3日もお風呂に入らず、歯も磨かない状態。ただ、ウーのことだけはね、自動運転モードでこなしていたわ。私の場合は、死にたいなんて思わなかった。一番欲しかったもの。自己肯定感、かな。だって、自信が持てなくなってしまっていたから。ウーと2人での暮らしの中。ふとした時に襲ってくる感情。(おまえは、夫に愛されなくなった女なのだ)(何をおいても一番には、なれなかった女なのだ)ああ、なんときつかったことか!そして、ひとり親としてやっていくことの心身のしんどさ。腹をくくって選んだ道だけど、想像以上に、でこぼこだらけ(笑)。日々、道を塞ぐ石だの、雑草だの引っこ抜いて前進だもの。ぶっちゃけ、生きていくにはお金がかかる。私の仕事は世間一般のお仕事より、実入りはいいかも知れないが、時間は不規則。仕事場もあちこち不定。そして、たくさん遊べないとダメ。夜も昼もフットワーク軽く。ウーを抱えて、ひとりでは無理。事務所の会合にすら顔を出せなくなってしまった。離婚後から、声の仕事でも世界の違うブライダル業界を、のぞかせていただいた。とても、よくしていただき、色んな勉強にもなったのだけれど、なんといっても土日祝日が一日中つぶれる。自宅にも、お客様から連絡が入るので、落ち着かない。準備が大変で、家のことがほったらかし。実家の両親の手助けがないと、完全に無理な世界だったのね。自分も当事者になって初めてわかったが、保育園を利用できるうちは、まだいいのね。うちの園は朝7時から晩7時半までフォローしてくれるし。でも、ウーも再来年は小学校。これが問題。朝は8時始業で、通学に付きそわねばアカンそうな。で、学童保育は6時まで。この条件で、梅田や大阪市内にフルタイムで働きに行ける母親、おらんやろう。今でも、私9時から梅田での仕事に間に合うには、7時45分の電車に乗ってるもの。ならば、地元で職探し。私は人生で2回目に(1回目は大昔、契約社員扱いの仕事が完了したときに失業保険をもらいに行った)ハローワークへ足を運んだのだ。ウーのためならば、生活を変えてもかまわない。今、大切なのは、この子が安心して過ごせる家庭を私が与えることだから。そう決心してパソコンで仕事の検索を始めたものの…。甘かった。甘かったよ~自分。エクセル・ワードできなくて、一般的な事務職スキルは皆無。経理もできない。ならば、体力なら自信があるわっと、軽作業系に手を伸ばしても年齢の壁。販売なら得意よ~(学生時代はよく売り子をやったもん)これも、若い人が欲しいってか~。ヤンスカ、43歳(この段階では、ね)。この社会では、まったくつかえねえ大人になっていたのだった。しょんぼりしていたら、マザーズハローワークのブースにいた方が、「今の時間、予約の方がキャンセルなさったから、よかったらこちらへ」と私を誘う。こうこうこれこれで、声の仕事以外できないんです~と訴える私に「あなた、介護職がいいわよ!」と目を輝かせる女性担当者。え?介護職?「介護職ほど、センスが必要な仕事もないのよ。あなたはその声も武器だし表現者としての経験から、利用者の方に色んな楽しい提案もできるはず。それに、中年女性がその状態で大歓迎される現場なんて、めったにないですよ」こうして私は、あっという間にヘルパー2級とガイドヘルパー視覚障害・全身性障害ならびに福祉用具専門員の資格を取得する職業訓練校の申し込みをすることになったのである。出会いって面白いね。そして、流されてみる事も、たまにはやってみるもんだわ。職業訓練校の入試をクリアできた時は、とっても自信を取り戻せたなあ。(訓練中は生活支援金が出るため、なかなかの競争率なのさ)そして、この7月から10月にかけて、私はがっつり勉強の鬼となった。意外や意外。このジャンルの勉強は、私の性に合った。あと、ウーを産み育てた経験から自然に身についた考え方や、生活の工夫が介護の世界では役に立てられるということに気づき、得した気分だった。医学は、本当にさわりの部分だけど、一番私のお気に入りの勉強だった。もうちょっとで、私はこのまま看護学校をめざすところだったのだ。(実際、願書も取りに行った)しかし。看護学校の入試に数学が出るという段階で、私は撤退した。小学3年生以降、算数レベルで苦労してるからなあ。ウーの入院やら、第二トンネルの彼女の出来事やら、全てがこの夏に起きたことだけど…。職業訓練という逃げ場があったから、自分は壊れなくて済んだのだと思う。さて。そんなわけで、訓練終了後、今度は梅田のハローワークへ行き面談し、パート先を見つけた。こじんまりとしたデイサービス。民家を改装し、普通の家庭のような環境。介護職員の服装も私服。もちろん声の仕事とも両立させたいので、週に2日だけ勤務。でも、介護の仕事の中でも、できれば障害児に係わることをしたいというのが一番の目標なので今後も勉強だ。声の仕事で得た経験を、知的障害や発達障害の子ども達の教材や本にしたいというのが今の夢。もっと大きい夢は、障害を持った方と家族をサポートする活動を立ち上げること。ウーや、ウーの仲間たちの居場所も作りたいし。母ちゃんは、いまのところ絶対につぶれられないっす。
2010.12.08
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またまたご無沙汰しております。更新されていないにもかかわらず、ご訪問いただいた皆様、本当にありがとうございます。先にざくっと近況をお伝えするならば、私はとっても元気です。ウーは現在、咽頭炎で療養中。これから、また健康管理の難しい冬がやってきます。でも、夏よりはマシ。この冬は入院せずに過ごせたらいいなあ。と、いうわけで、前回の続き。トンネルを抜けた私が目にしたのは、またトンネルの入口。わが実家は、しょぼい花屋を経営しておる。元々この商売をしていたわけではない。私が覚えている限りでは、私の父は役者の卵、喫茶店チェーンの店長を経て、ボウリング場の支配人をやりながらプロボウラーを目指していた。残念ながらプロにはなれなかったが、教える才能はピカイチで、あるプロボウラーのサポートをしていた。私が20歳になる前だったか。「明日から花屋やるぞ」といって、ほんまに始めてしまった。父は、かなり変わり者で、私はいまだに自分の父以上の変人をテレビや小説以外で見たことがない。いつも金欠。素寒貧なのに幸福そうな姿をしている。甘いものが大好きで、両手にソフトクリームを持ってニコニコ歩く。これは私や妹にくれるのではなく、どちらも自分が食べるのだ。いつも、鼻歌をうたっている。うちの店にはちょっとした予備の部屋があるので、色んな方が来てくれては、お茶を飲んで、ご飯を食べていってくれる。まあ、人の出入りの多い事。父は誰でも受け入れる。物乞いの人であっても、店の中に入れて、お金はあげられないけどと前置きして暖かいお茶を出し、おもたせのおにぎりやお菓子を用意せえと私に言いつける。ある時、私が店に行くと。西洋人の男性と父が二人でご飯を食べていた。知り合い?と思ったが、そうではなく留学生がしょんぼりしていたから飯を食わせていたと言う。ちなみに、父は英語など全くできない。また違う時には、背広を着た初老の男性とご飯を電気釜の中から直に食べていた。いい歳のオッサンが差し向かいに、5合炊きの釜にお箸を突っ込んでいるのだ。おかずは…イカの塩辛の瓶詰…のみ。ビックリしたことに、この男性は大学の偉い教授である。ドギマギする私の気持ちなど関係なく、父は自分流で最大にもてなしていて、相手も、なかなか居心地がいいのか、夜中まで滞在していた。と、こんな具合にささやかなエピソードは数知れず、いつの間にか、相談事を父に持ち込む人が増えていった。年齢、性別、国籍も経歴も、障害の有無も不問。非常にシンプルにその人本体とお付き合いをする父なのでユニークな交友関係を持っている。そんな中の一人の女性。数年前に、何度かわが店の(貴重な)繁忙期にお手伝いをしてくれた方。とても、気配りができて、聡明で、動きも無駄がなく、周りの人とのコミュニケーションもうまく、明るい女性。その方が、ひょんなことから、この夏わが店を訪ねてきた。驚いたことに、その表情は重く、暗くて、楽しそうでなかった。会わなかった間に、彼女に起きたこと。あまりうまくいっていない恋愛関係。仕事もないこと。彼女の父親が大病をして寝たきりになったこと。母親も亡くなってしまったこと。もう、死にたくてたまらないと真顔でくりかえした。父は、しばらくうちでバイトしたらいいと告げ、彼女はやってくるようになった。少しずつ、悩み事を私たちに語りだし、私たち家族も真剣に会話した。ウーのことも可愛がってくれ、彼女の顔色が明るくなってきた。ああ、よかった。昔のような彼女になるだろう。そう思っていた時、彼女は店のバイトを辞めた。もっとも、彼女を苦しませていた恋愛の相手ともきっぱり別れたようだったので、前向きに自分で歩けるようになったのだと、私たちは解釈した。だのに。数日後、彼女のお姉さんから連絡があり、警察から電話があって、自死した女性の身元に心当たりはないかと聞かれたのだそうだ。その女性が身につけていたものは、彼女を示すものに限りなく近かったので、動揺したお姉さんは、父に必死に語っていた。まさか、そんな展開になるなんて。しばらくは考えることすら停止していたけれど、ジワジワと、彼女が命を自分で絶ったという事実が押し寄せてきた。私たちは、彼女を知らず知らずに追い詰めたりしなかっただろうかと、反省したり、後悔したり。なぜ、助けられなかったのだろうかと、タラレバを繰り返した。最後にみた笑顔は、なんだったの?と。今でも、私たちは彼女の話をする。この再会の意味を探ろうとしている。私たちは、泣いたけれど、父は私たちの前で涙は見せない。淡々と、あの娘はさようならを言いにわざわざ自分達を選んでくれたのだと言う。それにしても、こんな別れはあまりにも辛い。この出来事は、ウーの体調不良の時期ともかぶっていて私は「生きる」ということについて延々考えさせられた。ウーの命は、天命で奪われてしまうかもしれないけれど、彼女は自分で命の終わりを選んでしまった。あなたには、この世がそんなに辛くてしんどい場所だったの?こうするしか、仕方がなかったの?あなたの中に、ちょこっとでいいから、父や私たちの場所を作ってくれたら力になれたのではないかなあ?それとも、こういう言い分は偽善的だろうか。だけどね、どんなあなたでも、そのままで生きていて欲しかったんだよ。あなたを失ったことで、私たちも確実に何かを無くした。それから、私はやっと誰かに話せる気分になって、表現者としてナレーターの大先輩方に、聞いていただいた。その晩、先輩の一人からメールがきた。そこには、私からこの話を聞いた段階で、自分もまた一緒に辛さを背負うことになったのだから、私は決して独りではないのだとそう書かれていた。ありがたくて、何度も携帯を開いた。布団の中で見るそれは、まさに、トンネルの出口のような明るさだった。
2010.12.08
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