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彼女や彼に起こる悲しくてつらい出来事に、言葉もない。喜びをくれるのも人だけど、悲しみも人からもたらされることが多いね。こんな悲しいことが待ち受けているんだったら、こんなに人を愛さなければよかった・・・なんて矛盾!!ひとって、もろい・・・・。わたしに何ができるのだろう?気をもむ、とか、心配する、とか、遠くから念を送る、とか、お祈りする、とか、代わりにこっそり泣く、とか、それが返って気を遣わせてしまっているのではないか・・・というのがまた切なかったり。でも、みんな、気にかけているよと、伝えたい。ひとって、捨てたもんじゃないよと、伝えたい。いつでも戻ってこれるよう、あなたの席を暖めて待っているから。悲しみや困難の肩代わりはできないけれど、いま、ほんのすこし、元気なわたしたちは、元気なのだから、日々、つつがない日常を、確かに回していくことには専心したいと思うし、たぶん、あなたのために、それしかできないんじゃないのかな、と思う。落ち着くまで連絡はいいから。でも、連絡、待ってるから。いつでも連絡ください。
August 31, 2007
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先週の金曜日、ヤボ用でお休みをいただいたので、たまたまその日に母校で開催されていた、公開講演会に行ってきました。サブカルチャー&カウンターカルチャーどっぷり(笑)、文学と、音楽と、酒と、バイトとで日常のほとんどがまわっていたような日々だった学生時代に、戻った気分で。「場所の詩学:ゲーリー・スナイダー」内容は、こちらと近かったかなぁ。アメリカで50年代に生まれた「ビートニク」という言葉、ビートジェネレーションと呼ばれた人たち。“アメリカ的資本主義経済の恩恵にあずかった、物質的に豊かな中流の暮らし”に対して「それがいったいナンボのもんじゃい」と背を向けて東洋思想や放浪に走った(要するにそれがのちのヒッピーにつながる)彼ら。どちらかというと(というかカナリ?)浮世離れした話なのですが、こういった「既存の感覚に疑問を持ち、NOを突きつける」という文化がなければ、その後の人種差別撤廃のための動きとか、マイノリティーの文化に目を向けるとかいう大きな流れにはつながらなかっただろうなぁ…と専攻だった戦後アメリカ文学や文化の流れを、思っていました。(ちょうど妊娠中は、キング牧師とか読んでました)もうほとんどいなくなってしまったビートニクの生き証人みたいな(で、なおかつもうそんなのは歴史のかなたに追いやって)自然と人間の共生という概念で場所へのこだわりを貫くスナイダー氏を見ていて、こういう感覚なしに命の話をしてもしょうがないんだよなー、と、あらためて考えたりも、してしまいました。* * *今居る子どもたちに何をしてあげたいか、もうすぐ生まれてくる子どもたちに、何をしてあげたいか。それを考えると、やっぱり「金」!「制度」!ってな話になりますが、「少子化を憂える」という話になると、金とか制度の問題だけじゃないよね……と思う。人が人らしく生きるってどういうこと?…それに答えが出せる状況じゃないとなぁ。(命に対する宗教観や倫理観への答え …自分で見つけるにはあまりに重いけど)結局、そこに希望のある未来が描けなければ、マジメな人ほど子どもを産むことをためらっちゃうんだろうな。 私が今子どもを産んだら、 その子は、この日本で 生き物として、人として、 豊かで充実した「生」を満喫できるのだろうか?その疑問への前向きな答えを見つけるにはずいぶん殺伐とした昨今ですもんね。* * *ちなみに、上記のような文化にどっぷり洗脳されていた時期に長女を生んだ私の答えは、“生まれて来なけりゃなにもはじまらないんだよ”。です。いいも悪いもひっくるめて、いろんな経験をしながら生きて、次の世代に命をつなぐのは、生き物としてあたりまえの、普通の営み。四の五の言わずに、あたりまえに、やらせてくれよ!とか思っています。新内閣が発足とか、厚労省の新たな方針は?とか、いろいろ気になる時期に、かなりヒマな感じの日記でごめんなさい♪
August 31, 2007
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西東京市の主催で、以下のような連続講座を開講します。わたしのなかでは、春に行った「杉山ゼミ」の番外編かなと思っています。市内在住の方だけなのですが、ご興味があれば、ぜひ、お申し込みくださいね。なお、申し込みは9月3日からなので、ご注意ください。 素敵にマイライフ (保育付講座)しなやかな生き方さがしてみませんか?「母」としての自分だけでなく、ひとりの大人の女性として社会の中でどう生きていくのか。自分の想いを言葉にし、仲間と共に学び合う。私自身が輝いて、素敵な笑顔で子育てしたい・・・。そんな貴女(あなた)のための講座です。■とき 下表のとおり 毎回金曜日 10時 ~ 正午(全12回) ★ 11月23日(金・祝)はお休み■ところ ひばりが丘公民館 講座室1 ■対象 市内在住の子育て中の女性■定員 15人(申込順)■講師 杉山千佳(子育て環境研究所所長・大正大学人間学部講師)■保育 生後6か月以上就学前の乳幼児15人 (1歳未満の乳児は3人程度)★9月21日(金)10時から保育説明会を行います。 おやつ代800円をご持参ください。■申込 9月3日(月)10時から電話でひばりが 丘公民館(042-424-3011)へ★ 9/21 保育説明会1 9/28 講座オリエンテーション・自己紹介2 10/5 家族とのこと話してみませんか3 10/12 【講義&意見交換】子育ての経験を 生かしながら地域で活躍する女性たち4 10/19 【講義&意見交換】あなたの「再チャ レンジ」を語ろう5 10/26 保育中間報告6 11/2 【講義】情報を得る・情報を発信する 「わたし」の表現をみつけよう7 11/9 【グループワークと発表】「ワーク ライフバランス」について8 11/16 【グループワーク】テーマ・内容決め9 11/30 グループ発表110 12/7 グループ発表211 12/14 グループ発表312 12/21 参加者の今後(サークル化等)について
August 30, 2007
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こんにちは、山口から井出崎です。昨日104に電話番号の問い合わせをしました。以前は問い合わせた番号が繰り返し流されるだけでそれをこちら側で受話器を肩ではさみながらメモしなければいけなかったけど、それが昨日は、問い合わせた電話番号に希望すればそのまま繋いでくれるようになっていました。今日は、郵便局にお金をおろしに行きました。100万円をおろそうと思ったのだけど、ATMでは50万円までしかおろせないようになっていてそれ以上おろす場合は、窓口に行かないとおろせないようになっていました。新たなニーズや、問題が起こった時、それをよりよくするために、日々世の中は進化しているのだなと思いました。・・・・・・・・・・・・・以前プレゼンテーションの研修に行った時、「企画を考える時はより具体的に、対象者を絞って考えるといい」と教えられました。漠然とたくさんの人を平等に救いたいというのは、結局、実は誰にもあてはまらない企画になっていたりする。でも、例えばスーパーをより使いやすくするのにどうするかを考えるとき、「杖をついた腰の曲がった80代の方への商品の陳列の仕方」をテーマにすれば、解決策がより具体的に浮かびあがってくる。その手法を使っていけば、車椅子の方でもベビーカーを押すパパやママでも、そして、もちろん一般の人たちへも利用しやすいスーパーになる、と。昨日山口では今回のフォーラム実行委員会の正念場になる分科会や全体のテーマ決めを行いました。アンケートの結果を元に、そのひとつひとつの小さな声に耳を傾け想像する。もちろん全ての問題を解決できるような打ち出の小づちなんてどこにもありません。地味でもいい。新しいつながりの中で一緒に考え、明日につながるような、そんなフォーラムになればいいと思います。山口の課題が、全国の子育て支援のヒントになるのかもしれません。正念場は続くよ、どこまでも。がんばります。
August 30, 2007
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ホームスタートというのは、イギリスの子育て家庭への家庭訪問を行っている市民活動団体の名前です。ホームスタートにはホームスタート(以下HS)インターナショナルという国際本部があって、一昨年そこが実施した各国のHSが参加する国際会議にオブザーバー参加したことがきっかけとなり、HSジャパンを立ち上げることになり今わたしは理事長ということになっています。理事長になったのは、かなりナリユキ~って感じがしているのだけれど、家庭訪問の子育て支援は、すごく大事!というのは、かなり確信に近く思っているので、引き受けています。・・・・・・・・・・・なぜ大事か。それは、わたし自身の子育て経験からさかのぼります。子育てしているとき、幸いなことに同じマンションに子育て仲間がたくさんいて、毎日のように招いたり招かれたりする日々が続きました。屋外でわーっと遊ぶのももちろん楽しいですが、室内で、ごにょごにょ遊ぶのも、絵本読むのも、お絵かきするのも、プラレールするのも、結構子どもたちは楽しいものです。それを、ママ同士が見ていてくれるというのは、「絶対いい!」とわたしは思っています。暮らしそのものです。家の中にぽつんとママと子どもだけ・・・ではないのです。お友達も、お友達のママもいて、わいわいやっている。そりゃ楽しいです。(ちなみに、わたしたちは結構つきあいは上手だったので、長居して迷惑とか、くだらない噂話に明け暮れて・・・とかいったノリはなかったです。これはむちゃくちゃラッキーでした)だから、「つどいの広場」のようなところもいいけれど、家を行き来できる関係があると、子どもたちの安心して遊ぶ空間はそれだけ広がって、すごくいいように思ったのでした。次に、育児雑誌ライターをするようになり、取材のたびに、そのお宅を訪問するようになりました。これも結構、そこんちの子育てがよくわかり、いいです(←これは子育て支援者として)。そんなわけで、家庭に入る支援の必要性についてはかなり前から思っていたのですが、制度化されるのには、ちょっと時間がかかった感じです。(ご存知のように、今年度から「こんにちは赤ちゃん」事業として全戸訪問の子育て支援が国の事業になりました)一方のホームスタートは、30年以上前からイギリスで始められたもので、それなりの成果があがっているので国際化しているのだと思います。(前述の国際会議には、北欧諸国、ウクライナ、ロシア、デンマーク、ギリシア、オーストラリア、アメリカカナダなどの国も参加してました)家庭訪問の歴史が浅い日本としては、イギリスから学べることも多いのではないか?と思います。どのあたりが「学ぶポイント」になりそうか・・・わたしなりに感じていることについては、次回書きたいと思います。* ホームスタートのサイトが開設されました。http://homestart.exblog.jp/
August 29, 2007
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更新が一日遅れてしまいましたが、amigoの石山です。昨晩は踊りの満月ライブなるものに行ってまいりました。私の中で大切にしているベリーダンス。amigoカラダ部門の相棒斉藤さおりちゃんはインド舞踊をやっています。これは息抜きとかリフレッシュとかではなく、なんでやるかって理屈じゃないのです。私にとってamigoという場での営みも何でやってるかって言われてももはや理屈じゃなくて、母親であるということと同じように、私の中に「あるもの」だといえます。マドレボニータのマコ先生の所でも勉強しましたし、自身の踊りや身体のことを真剣に考えることをamigoでのスタッフとしての活動と同時に進めてきたことで、身体以外のエッセンスに関しても、短い時間で(この夏で2年)深いところに落ちていったのかもな。と、この夏ふと思ったのでした。で、このライブに出演しいたダンサーの方は“母親”でもあります。ベリーダンスのタカダアキコさんは、お子さんが3人いらっしゃいます(含む双子ちゃん)。彼女なんかを見ていると、ワークライフバランスは理屈や言葉じゃないんだよね。といつも思います。ついにタカダアキコさんが4つ葉のブログに登場だ~。大事なこと、大事だと思ったことをごちゃごちゃ言わずにやること。自分に責任を持ってあらわしていくこと。コレガダイジですな。身体全体で生きることがメッセージ。
August 29, 2007
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今から5年ほど前に、あるNPO中間支援組織の依頼で、「子育て支援NPO設立運営ハンドブック」というこれから子育て支援のNPOをつくろうという人たちに向けての分厚いマニュアルのようなものを作ったことがあった。当時のわたしは今より元気で、フットワークが軽く、無鉄砲で、何でもやりたくて、本当に欲張りだったんだけど、それだけに、その本はかなり「勢い」のある本になったんじゃないかな?と思う。アミーゴの松田さんや、びーのびーのの原さんとワーキンググループ作ったりしてね、なんか楽しかったなあー。(今も別の意味で楽しいけどね)そのとき、NPOリストを集めようとして、「ないねー」なんてあれこれネット検索したのを、昨日思い出した。なぜなら、アンケート調査をすることになり、5年経ってまたリストがほしくなったのだ。ところが5年経ってもなかなかみつからない。わたしの探し方が悪いのかしら・・・。(ここなのよねーNPOの悪いところ・・・。わたしたちもだけど)で、ファミサポの委託を受けているNPO法人ってきっとあるはず・・・と思い、全県の確認をした。直営や社会福祉法人に委託しているところが大半なんだけど、各県にひとつぐらいの割合でNPO法人がファミサポをやっているケースが見られた。わたしの知っているNPO法人とは違うところが多いのが、ミソ。この5年あまりの間に、たぶん、いろいろなことがその地域のなかで起こって、ファミサポを作る必要性が高まったり、中間支援組織の誰かに「やってくれないか」という話があって、大急ぎで団体を立ち上げたり、とかなんとか、あったんじゃないのかなあーなんて、いろいろ想像したりしている。作られたいきさつなどを聞いてみると、にわかづくりだったり、もともとは別のNPOだった人がやってみたりと、純正子育て支援(?)の人たちから見ると「どうよ」という面もないでもないのだけど、それでも実績としてはすごいことだと、わたしは思う。最初はどうってことなくはじめても、現場で日々子どもや親に接している人が、問題意識を持たないはずがない・・と、思っているし。どんな人たちが、どんな思いをもって、各地でファミサポされているんだろう?たぶん、4つ葉プロジェクトの存在すら!知らない人たちも大勢いらっしゃるんだろうなー、(ああ、この人たちにも知ってもらいたい!)なんて思いながらリストアップ作業を続けた。***********ここ数日、わたしも知っていた人が、何人か役職を退かれた。いきさつはよくわからないけれど、ちょっとくやしく、ちょっとショックだった。きっと、「辞め時をはかっておられたんだろうなー」男子の本懐ってのはね、そういうのを言うのよっ。あ、小池さんの「女子の本懐」も素敵でした。(女が女の足を引っ張るのは慎もうと思っています)なんて、ぼんやりと思いを馳せたりした。で、舛添さんかあ。どんな人なんだろう?バランス感覚はよさそうな方だと思うけれど。少子化担当大臣の上川さんという方も存じ上げないのだけれど、経歴を読む限り、「やってくれるんじゃないかしら・・・」と、期待しています。選挙期間中はお休みだった年金部会や子どもと家族を応援する日本戦略会議もいよいよ再開します。駆け引き、パワーゲーム(?)、いろいろな意見がある以上、それは大事なことで、それをどう合意形成をはかっていくかが、政治家の重要な仕事のひとつだと思う。日本のどこかで、今日も赤ちゃんとお母さんを「いらっしゃい」と迎える地域の人たちがいる。そのいくつもの輪郭を、できるだけクリアに知ることが、わたしの仕事には、とても大事な意味を持つのではないだろうか?と、最近は特に強く感じている。「キレイゴト」や「机上の空論」は、もういいです。「キレイゴト」や「机上の空論」を拒むわたしが、委員会などを通して、識者や行政マンや政治家や団体の人たちが何を発言するのかを見聞きする。そして、現場の親やNPOの人たちに伝える。この仕事が、意味あるものになりますように。スキルを磨きます。
August 27, 2007
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わたしが2000年の誕生日に設立した会社は、「セレーノ」という名前です。おだやかな晴天という場合にも、セレーノな空、というのだ。この他にも、晴れ晴れした顔、という場合にもセレーノを使うし、落ちついた、とか、客観的な、とか言いたい場合にも使われる。世の中には、この種の「明るい人」の数は圧倒的に少なく、なぜなら、常に静かで晴朗であるなんて、立派に器量と名づけてもよいものだからだが、それに比べてこの種の器量の持ち主でない普通人の方が絶対的に多い現状下では、「セレーノ」な男が成功者になるのは当然ではないだろうか。〈塩野七生『男たちへ』成功する男についてより〉その頃、さかんに読んでいた塩野さんの言葉にあやかって、「セレーノな会社」になりたくて命名したんでした。ロゴにもおひさまをつけていますで、その後、しばらくして、これまたわたしの大好きなボサノバ歌手の小野リサさんが、「SERENO」という歌を歌っておるのを聴き、彼女の作曲なのだけど、サンバ調のかわいくて、明るくて、晴れ晴れした気持ちになる曲なので、勝手に社歌にしてフンフンと鼻歌を歌いながら仕事をしています。3年前からフルートを習い始めたんだけど、先生のチギラさんは、ライブハウスなどでもちょくちょく演奏をする方で、わたしも機会があれば友人たちを誘ってライブに行くようになって、がぜん楽しみが増えました。「ライブで小野リサさんのセレーノ、演奏してくださいよー」と、図々しくお願いしたところ、「いいですよー」ってことで、譜面に写してくれ西荻のライブハウスで目の前で演奏してくれたのが、春先のこと。「セレーノ、練習しますか?」ってことで、レッスンのときに練習するようになったのも最近。で、「今度のライブ、セッションタイムがあるので、飛び入りでセレーノやってみますか?」と誘われて、「はい!」と二つ返事で手をあげたのがひと月前。で、これ。幡ヶ谷のライブハウスで社歌を吹く社長(笑)若くてかっこいいプロのミュージシャンにサポートしてもらって演奏するわたしは、「楽しそう」「うれしそう」だったとみんなに言われました(そりゃーそうよぅ)。だんどってくださった、チギラさん、ユウキさん、ありがとうございました昨日のライブでも、サンバは楽しい明るい曲調が多いのだけど、その裏側には悲しみやつらさがあって、「でも明るくやっていこうよ」というブラジル人の気質がそういう音楽を生むのだというお話がありました。悩んでいるから、どんより~・・なんてねぇ。わたしはやっぱり「セレーノ」でいきたいな。腕あげてまた飛び入りしたいです
August 26, 2007
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今週は、とある県でNPO座談会と行政座談会の記録係を勤めた。子育て支援の実情に触れてたった一年のこの私でさえ、「ん、この現象って他でもあったぞ」みたいなアンテナが振れる回数が多くなってきた。それだけその課題が顕著だということだろう。話題となった課題の中で、財源の課題が昨日も取り上げられていた。この中には、いろんなものが混在しているはずなのに、その一言で済むみたいな危うさを感じた。「金がないからしかたがないで終わりにしないで下さい」と、杉山さんが指摘してたけど、その意見にセコンド!ってキーボードを叩きながら心の中で叫んでた。それで終わらせたらオシマイでしょーって。工夫はまだまだできるはずで、活かせるリソースはいっぱいあるはずで、これぞMOTTAINAI。持続可能性ってのは、環境問題だけじゃなくて、社会資源にも当てはまると思う。会社の場合で考えて見ると、、、資金、利益、経費のことに躍起になって考えて、やれる手立てをあの手この手で試しているわけで、お金のかからない工夫で効率あげたりもしてる。顧客会社の新しい仕事の情報をより早く汲み取れるようになるために、営業は訪問を重ねる。担当者の注文意図をより的確に捉えられれば、何度も提案しなおしすることもなくなるわけで、いろんな質問を投げかけながら的を射ようと努力する。ピッタシ当たれば、担当者の信頼はより厚くなって、より本音が引き出せていい循環が生まれる。行政の仕事はまったく同じにといかないことはわかる。BUTお金がかからない方法で、信頼を得ていい関係を作るってことはできるはず。これは小さなことの積み重ね。そういう意味では営業努力と一緒。説明の言葉づかい、資料を渡すタイミング、いろんな心配りをするのは営業にとっては当たり前。こんなことを書くきっかけになったのは、手元にある母子手帳と一緒に手渡される資料。もらったことのない私は、どんなものをもらうのだろうと興味津々で中をチェックした。その中の一つ、都が作ってるもので「SIDS電話相談・子どもを亡くされたご家族のがために」っていう電話相談窓口紹介カードを見て、ええーーっ、これを妊娠届出してみんなもらうの??とびっくりした。もしもの時に、、、という配慮???SIDSに対する注意喚起のため??袋にも中の紙にも、御祝の言葉は一つもなくて、こういう配慮だけがあるって何か変だなぁというのが、私の感じたことだけど。。。あるべきなんですかね?コレ。こういうのは、不幸にも遭遇してしまった時に病院や、死亡届けを出した時に窓口で渡せばいいんじゃないのかなぁ。これって普通の考え方じゃないのあかぁ。営業でこの感覚を出したら、間違いなく仕事はもらえんでしょう、、。こういうのってお金のかからない工夫の一つじゃないのかなぁ。
August 25, 2007
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世界中を敵に回しても、自分の野望のために突っ走る・・・みたいなのは、実は全然なくて、わたしには、何人か「がっかりさせたくない人」というのがいて、この人たちが、「がっかり」するようなことはしないでおきましょう・・・と、思っている。それが、わたしのやることをある程度ぶれないようにしてくれているし、「どっちに行く?」というギリギリの選択を迫られたときに、「彼女らががっかりしないように、こっち」という感じに働いてくれているように思う。松田さんは、そんな「がっかりさせたくない人」のひとりだ。わたしが4つ葉の前身である、「子ども・子育て予算に関する勉強会」を「どうしてもやりたいの」と開催していたときも、夜にも関わらず、お子さんを預ける手配をして、時間よりも早くかけつけてくれ、さくさくっと受付業務をやってくれ、参加費の計算をして、勉強会が終わると、さっと帰っていった。それを2ヶ月に1度、5回連続でやってくれた。こちらが何一つお願いしたわけでもないのにさ。あれは「わたしのため」ではなかったんだよなあ(ちょっとは気にかけてくれたと思うけど)。子どもたちや親たちの置かれている環境をなんとかしたい!と本当に思っていたからなんだよなあ・・・。と、つくづく思う。情報は「情けに報いる」って書くのよって教えてくれたのは、同業の先輩なんだけど、肝心なことは言わなくて(そういう人は、往々にして持っていても使いこなせない)、どうでもいい自慢話ばかりもったいぶって言っている人が結構いるなかで、松田さんのやっていること、伝えていることを見ていると、「本当にこれを伝えたい」と思って言っているなあ!!と、「公益性」に対する感度のよさに、アタマが下がる。そこにつけこんで、自分のために利用しちゃるというフラチモノも結構いて(まあ、利用できっこないからいいんだけど)、「マツダさん、(絶対報いてくれない人に)親切にしすぎよッ(たまには出し惜しみしたほうがいいよ)」と耳打ちすることもあるけれど(笑)。先日、東京都内の子育て支援のNPOのリーダーたちにお声がけして、東京都の職員の方たちも交えてのネットワーク会議を持ったのだけど、会議室が立派だったこともあり、暑いなか、時間がないなかでのお誘いにも関わらず40名近い参加があったこともあり、「始まった!!」と、印象づけられるような会議になった、と、思った。振り返っても、わくわくするような。わたしも何人かをお誘いすることができたけれど、ほとんどの参加者は松田さんのネットワークからの方たちだった。世田谷の人なんだから、世田谷のことだけやってればいいじゃん・・・って思うだろうけど、わたしは●●の活動をやる人なんだから、●●を広げるために協力してくれる人とだったら(ぶっちゃけ、カネを払ってくれる人だったら)、役に立つからおつきあいしよう・・・って思うんだろうけど、松田さんはそんな「了見の狭さ」は持ち合わせていないから、頼る人がすごく多いのだ。そんな無形のつながりがあって。「わたし、今日のために今までやりとりしてきたんだって思っちゃった」と、あとで電話で聞かされたときには、ちょっと「ぐっ」となった。わたしは、松田さんがお膳立てをしてくださったその会議の席上で、「わたしは、仲良しこよしの会をやるつもりで、 こうやって集まってもらったわけではないです。 日本の真ん中の東京で、そんなことやってる場合では ないと思っています。 この会でしかできないこと、この会だからできる ことをやりたいと思っています」と、申し上げた。そう思って、そのように動くことが、たぶん、松田さんがこれまでコツコツとつないできたつながりを生かすことになるのであろうなあ・・・と、思う。考えてみると、あちこちに招いていただいて、お話をさせていただいたり、マイクを握ったりするわけなんだけど、「センセイ」なんて呼ばれたりもするんだけど、それは、わたしが偉くなったんじゃないんだってば。わたしというツールを使って、出てくるもの(成果)への「期待」なんだってば。と、自戒をこめて思う。勘違いしちゃイケナイ。「そうそう。スギヤマさん、ちゃんと働いてね」ってあちこちから声が聞こえる(ひぃぃ)。「無私の公益性」ね。みんなをがっかりさせないよう、ガンバル。
August 25, 2007
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佐渡から東京に戻って、腰痛に悩まされています。これは心因性かしら?それとも東京の空気のせい?今日、汐見稔幸先生を話題提供者に、大豆生田啓友先生を司会進行にお招きして、自分が世話人の一人をしている、第11回の保育者の専門性研究会をしてきました。汐見先生が語られる保育者の専門性のお話を聞きながら、「足らないことを知る」ことの大切さを、つれつれ感じていました。「足らないことを知る」ことで、それを自分で補おうと学ぶ。それを誰かに補ってもらう。「すいませ~ん」「いえいえ、いいんですよ、これくらい」そんな関係が保育の世界だけでじゃなく、みんなの身近から少しずつ、少しずつ広がっていく。そんな肩の力の抜けた、ゆるやかなつながり。自分はそんな世界のほうがが生きやすいなぁ。いつも失敗ばっかりしてるしね。みんな足らない者どうし。あなたの足らないところも、自分の足らないところも、同じように愛おしんで、大切に。だから、人と一緒に生きていける。人と一緒に生きることに喜びを感じられる。そこから本当の自立へとつながっていくのだと思います。そんなやさしい自立のイメージがもっと広がったらいいですね。この研究会は保育の勉強はもちろん、ささやかですけど、そんな温かさが伝わる場所になるようにと、世話人の一人として、そんなことも願っています。9月15日、今度は大豆生田先生が話題を提供してくれます。お時間のある方、ぜひご参加ください。
August 24, 2007
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こんにちは、山口の井出崎です。また山口で、少年が関わっていると思われる事件が起こりました。その第一報は、小さな虐待予防の研修会を行っている時に入ってきました。毎日毎日少しずつ積み上げてきたものが、ガラガラと崩れるようにものすごい無力感に包まれます。何もうまくいかないんじゃないかという気すらしてきます。私が子育てを始めたころ、この国のどこかで子殺しという事件があった時「母親がわが子を殺すなんて」と世の中のすべての人たちが母親を責め、マスコミが鬼母だ、と書きたてる中で「母親だから、子どもを殺したくなるんだよ」といつか自分もそんなことをしてしまうのではないかという恐怖に震えながら、いつも小さくつぶやいていました。そして、追い詰められた母親を助けられなかったその母親の周りの人たちに怒りを感じていました。月日は流れ、不運にも私のすぐそばである子殺しが起こりました。あまりに身近で起こったその出来事の周りで、「あのときもっと気をつけていさえすれば、こんな悲しい事件は起こらなかったのではなかったのか?」と、何度も何度も自分を責め、無力感にさいなまれる人たちを見たとき、なぜ、私たちがこれほどまでに傷つけられないといけないのか、と、その母親への共感よりも、今までのことは全て忘れてしまったかのように、その母親を責め続け、怒りに満ちる私がいました。裁判にも通いました。しかし、人殺しを「しょうがない」と納得できる理由などあるはずもありません。失われた命と、大きな過ちを犯してしまった悲しい命がそこにあり、そんな状況を生み出してしまったのも、やはりこの社会の一員である私自身の責任でもあるということを再認識し、ただただこのような世の中であることを「ごめんなさい」と頭を垂れそれでも新しい明日を信じ、前へ進むしかないということに気づくのです。限られた力と時間の中で、今自分がやるべきことをいっぽいっぽやっていく、ただそれだけなのです。
August 23, 2007
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あなたに逢えた それだけでよかった世界に光が満ちた夢で逢えるだけでよかったのに愛されたいと願ってしまった世界が表情を変えた世界の果てでは空と海が交じる (歌:ポルノグラフィティ)ポルノの歌が好きなのは、どっちかというと息子のほうなのだけど、この歌は、何度聴いてもすごいなと思う。世界が大きい。そこらの泡のようなアイを歌ってはいない。人を好きになると、世界が表情を変えるのよ、世界の果てで、本当に空と海が交じるのよ・・・。その変化を、厳粛に受けとめると、つまらないへまはできなくなる。・・・・・・・・・・・・・・・そんなにあわてなくてもいいし、ガツガツしなくてもいい。あせらなくてもいいし、わたし何やってるんだろう?と自分を責める必要もない。好きな人を単純に好きで、自分を丁寧に扱い、暮らしのリズムを刻み、ただ、やるべきことをやる。人の話をよく聞き、その言葉の向こう側の思いをできるだけ善意に解釈し(わたしの周りには、悪意や人を出し抜いてケロリとしていられるような、品のない人はそんなにいないので、これはあまり努力しなくてもできる作業だ)、みんなの気持ちの総体をどのようにかたちづくるといいかなあ・・・ということを(風邪をひいているので、)もわんと考える。そんなわたしのささやかな存在は、あなたを愛しており、愛されたいと願っている気持ちに包まれており、それがために、世界の果てで海と空が交じるのを感じた。ノックすると、扉が開く。かなり容易に。それは、「わたし」のおかげじゃない、っていうのも気づいている(そんなに自信家ではないっす)。魔女の“愛”の魔法(五十嵐大介さんの「魔女」読みました)でも、「これはあなたを通すために開いたのよ」と、言われているので、「はーい」と歩を進めます。そこかしこに「サイン」は満ちあふれ、うっかりはできない。慎重に、大胆に、一歩ずつ。それにしても。わたしが愛されたいと願ってしまったから表情を変えた世界は、いつまでも美しくあってほしい。それだけを願って、生きている。
August 22, 2007
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お盆中から風邪をひいていたらしく、帰省中に待ってましたとばかりしっかり喉が痛くなり、つらい。寝込むほどではないので、がんばって働いています。川越の双子の母さんが前日に「格差」について書いてくれているので、それに応えてさらに格差を探ってみます。では、世帯類型別に見た場合には、一番貧困率が高いのはどの世帯なのでしょうか。最も高いのは母子世帯です。母子世帯の貧困率は95年には55.3%、2001年には53.0%となっています。驚くべきことに、母子家庭の半数前後の家計は、貧困に苦しんでいるという現状なのです。(『格差社会』橘木俊詔・岩波書店)逆にいえば、非正規雇用の正規雇用との「格差」が社会問題化されるようになったのは、それが脱ジェンダー化された、すなわち若年男性の参入によって「男のあいだの問題」になってのちのことである。それまでは「働いても働いても自活できるだけの給与がもらえない」ワーキング・プアの水準は、そのまま中高年女性パートの給与水準だった。彼女たちが離婚してシングルになれば、たちどころに貧困ライン以下に転落する現実が待っていた。シングル・マザーは顕在的ワーキングプア、有業の主婦は夫の経済的に依存するほか生きていくことのできない潜在的ワーキング・プアだったのだが、だれもそう呼ばなかっただけである。(『ケアの社会学』上野千鶴子・太田出版)考えてみると、わたしの周りには、いっつも働いている女ばかりいた。K市で子育ていているときも、ご近所の子育てママたちはみんな内職とかしていたし、一個ビニールに包んで「●銭」みたいな手仕事だ。ヤ●ルトレディも何人もいた。子どもが寝ている深夜にレンタルビデオショップで働く母親や、離婚を念頭に、深夜のほうが時給がいいからとファミレスで働く母親もいた。彼女たちのたくましさがすごく好きだ。だからといって、この状態をいつまでも放置しておいていいんですか?ってことなのだと思う。周りが目に入らない、「わたしさえよければ」「わたしの家族さえよければいいんです」みたいなニブさこそが、格差の底流を流れているのだと思う。
August 22, 2007
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14日に杉山さんが、格差社会について書いている。もっともだなと思いながらちょっとした芸能ネタで考えてみた。元モー○娘の解雇された、メンバー、一言でいうとお涙頂戴のことなんだが、興味深い。彼女は事務所を解雇されて、年上の男性と外国にいる。彼女の母親は19歳の時に、彼女を出産(なんと17歳で結婚して今38歳)母親はその後離婚⇒再婚⇒子供3人を出産再婚なので、彼女には父親が違う兄弟が3人いるということになる。おまけにすぐ下の弟は障害があるという。そして母親は2度目の離婚。家族の家計は、彼女一人の方にかかっていたらしい。自分を顧みれば、子供はたった3人、それも夫と2人で養っているわけでまったく甘ったれた状況。我が家の長女は18歳になろうとしているが、毎日家の中で受験勉強の名の元に堕落した生活三昧。とても彼女の足元にも及ばない。芸能ネタなので、話がかなり誇張されたとしても、12歳から芸能界に入って、母親を支え、家計を支え彼女の重責はいくばかりかと思う。彼女の例は特別かもしれないが、ちょっと周りを見渡すと私の周りには若くして結婚し,結婚生活に失敗し、子供を抱えて、必死に生きていいる人たちがたくさんいる。そういう人たちに支援の手はとどいているのだろうか?彼女達の大部分は、子育てをしながら、日々の生計をたてるだけだ。将来への職業展望など持てる状況ではない。こういうことを格差と呼んでしまえば一言だが、本当にそれでいいんだろうか?今日私はボランティアで、とあるセンターで法律相談を受けている。いつもながら離婚に関する相談が多い。養育費問題、生活費のための借金など、切実な相談ばかりだ。けれど、法律の範囲で解決できる事案はあまりにも少ない。
August 21, 2007
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一週間ぶりにamigoの石山です。前回の記事でちと疲れがでて・・・などとボヤイてしまったら、いやいやいろんなものが出てきまして。ちょうど先週は、皆でお好み焼を食べにいったら、ムスコが鉄板に手をついてしまった一晩泣いてたけど、まったく大事にはいたらず幸いではありました。しかしながら、母親である私はかねてから引きずっていた落ち込みモードにとどめを刺されたように落ち込みましたです。ほんとに、こどもの事故は一瞬にしておこるってことですな。月並みではございますが。ぎらぎらした太陽の下、おどろおどろした石山を家族だったり、自然だったり仲間だたったり先輩だったりといろんな人やものたちが手を替え品を替え見守り、関わり、待ってくれたりた。遠隔なんだかストレートなんだか分からない仲間からのメッセージに元気どころかプッ笑みがこぼれました。ありがと絶妙なタイミングで話した葦沢さんとの会話では、すっかりどっぷり部下28歳悪気なしキャラだった私。と思うとすごく気恥ずかしくなります・・・きゃあ杉山さん曰くの「魔女らしさ」の大切さをコマームの小松さんと延々と語ったり、気がつけばここにいるという風な4つ葉界隈、子育て支援界隈に育ててもらってると感じる夕方でした。秋の陣、こうありたい(to BE)のための実践(to DO)を胸に歩いていけそうです。裾野、裾野をひろげましょう。
August 21, 2007
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もう東京に戻ってきているのだけど、福井に帰省する前に知人から「これを読みなさい」と、分厚いコピーが送られてきた(涙)。上野千鶴子さんの『ケアの社会学』(太田出版)。新幹線の道中でマーカーで線引きながら読んだのだけど、「う、上野さんって、どうしてこんなに鋭いの?」と絶句することが多くて、高齢者介護についてバッサリバッサリやってくれているのだけど、「これを『子育て支援』でもやってほしいような、 ほしくないような・・・」複雑な気持ちになった。ともあれ、子育て支援NPOは、研究者に「どうぞ」と差し出すほどにはまったく成熟していないという事実を思い知り、「ああ、いつか、上野さんにバッサリやられて、言い返してみたい~(できるのだろうか?)」と夢を見たりした。・・・・・・・・・・・・・・年金に始まる「専業主婦優遇策」は、高齢社会を視野に入れた「日本型福祉」の基盤整備であったことに注意したい。「日本型福祉」とは、家族介護者の無償労働を組みこんだ「安上がり福祉」の構想として浮上し、政治が高齢者福祉をさぼる口実を与えた。と上野さん。制度設計者の政策意図のなかには、高齢者介護の「含み資産」としての「専業主婦」が「介護資源」としてカウントされていた。三号被保険者の「優遇」とは、その貢献に対するわずかな(安上がりの)国家からの報酬だったのである。そう理解して初めて、失業者や学生など「収入のない」者に対しても保険料免除のない国民年金制度のもとでの、「専業主婦優遇」の「謎」が解ける。確認しよう。「日本型福祉」とはけっして日本の「伝統」などではなく、80年代に、近未来に到来しつつある「高齢社会」を視野に入れたうえで、「家族介護」を資源として設計された政策の集合のことである。「同居の嫁はヘルパー3人分」とも言われていたそうで、あああ、だから、前回の年金部会であんなにがんばっても第三号の問題に手がつけられなかったわけだ・・・と、おじさまたち、「奥さんが怖い」とかそんな心理的な話ではなく、「先々の介護のアテ(実利を期待)」してたのね・・・と、もしかしてそうかもしれないと思いつつ、「そんなことない(わたしは信じてる!)」と打ち消してたけど、やっぱりそんなもんかと、「オトコなんてぇー(信じたわたしがバカだった)」の気分。・・・・・・・・・・・・・・わたしより年上の人には、条件が違うので、よう言わないのだけど、男女雇用機会均等法以降に社会に出た女性たちに対しては「あなたたち、それでいいの?」と、真っ向聞くことにしている。介護も子育てもある意味似ていて、専業主婦は子育ての「含み資産」って絶対思われていると思うし、そのうえ、文句も言わず、ただで家事してくれて、先々は、介護も当然やってくれる専業主婦に対して、あれぐらいの優遇制度は、まあ、安いもんだわね。それを「愛なの」、「わたしはそれで満足だし、幸せ」と思うなら、それがやりたいなら、どうぞ、お好きにと、わたしは思っていて(ただし、周囲の女性に強要しないでね)、ただ、「おかしい」「わたしはいや」と意思表示を始めた女性へのお手伝いは、いくらでもする、と思っている。ただ、問題は、別のところにある。・・・・・・・・・・・・・・・子育てや介護は、自己満足でやってはいけないのだ。「家族がいい」という介護規範は、「意地でも施設には入れん」という選択につながり、施設に入れた場合には家族の後ろめたさや罪悪感につながっていく。だが、家族介護はそんなによいか? ほかの選択肢がある場合にも、家族介護がほんとうに「最善」なのだろうか? 家族介護規範の陰に隠れて、家族介護の実質は問われずにきた。家族介護者によるケアの水準はほんとうに高いのか? 家族介護の「愛情」はケアの質を補ってあまりあるのか? 家族介護に対する不満や要求を、要介護者はほんとうに口に出すことができているのか?と、上野さんは、「家族介護神話」に対して疑問を投げかける。これを全部、「家庭で子育て」に置き換えて読み直してほしい。「三歳児神話」や「母性神話」の陰に隠れて、「家庭での子育て」の実質は問われずにきた。母親によるケアの水準はほんとうに高いのか? 母親の「愛情」はケアの質を補ってあまりあるのか? 母親の子育てに対する不満や要求を、子どもはほんとうに口に出すことができているのか?子どもが母親をものすごく求めることは、わたしも知っている。でも、母親が全員、保育士並みの質の高いケアができるとは限らない。できないから、「つらい」と苦しむ女性が多いのではないか。できるようになるために、一生懸命努力するのは本人の成長のためにとても大事なことだけど、それでもダメだったら、一番困るのは誰かと言えば、実は子どもなんじゃないのかな?だって、子どもには子どもの人生があるのだから。それを、たとえ親であれ独占してしまうことはできないと思う。(「虐待」に至るまでのケースを想定してモノを言っています)それに、母親と同様の精神的・肉体的努力を、もう一方の「親」である「父親」はやっているんだろうか?という疑問もある。(こーゆーさまざまな疑問を「専業主婦優遇制度」で全部ちゃら(カネで解決)にできると思っているんだとしたら、ああ、もう、どうしたらいいんでしょ?専業主婦の愛情とケアと「子育て」の価値はずいぶん安く見られたものダワ) 先日、慶応大学の権丈先生が、ご著書を送ってきてくださり、「高齢者の年金も介護も、先進国と比較しても、決して十分満足できる水準にはなっていないのですよ」ということを教えてくださった。で、いま、必死になって読んでいるんだけど、高齢者は、若い世代に比べ、同世代間においても相当格差があるというのも、ある(生きた結果だからね)。世代間の問題。性差の問題。みなければならないポイントはいくらもある。数年前、年金部会でご一緒だった東大の大沢真理先生に「わたしも確かにそのとおりだと思っているけれど、 それを、わたしは子育て支援を一生懸命やっ ているNPOの人たちには、とても言えない」と、話したことがあった。大沢先生はそのとき何もおっしゃらなかった。それは、わたしの甘さでありやさしさであり、大沢先生のやさしさでもあったのだろうと、今思う。ずるい人にそこにつけこまれているのも、知っている。女・子どもの世界のバトルを「高みの見物」している人は、専業主婦を「含み資産」と思っている人でもあるのだろうと、わかっている。そういう構造、そういう関係性、ほんと、いやなの。ずるい人は、ほんとうにきらいです。もっと、健康的でありたい。愛なら愛で、対等につながりたい。その気持ちが、たぶん、わたしよりも全然強いから、妥協できないから、言うより、やるほうが大変なことぐらい、百も承知で、それでもなお、言うことをやめない上野千鶴子さんは、えらいな、と、つくづく思った。
August 19, 2007
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98年に初めて少子化の議論に加わらせていただいたとき、わたしは、自分の子どもがいわゆる「1.57ショック」の平成元年生まれの子どもであったことにちょっとばかり因縁めいたものを感じていた。だから、「子どもが減って大変だ。どうしたらいいか?」という議論と同時に、「すでに子どもの数は減っているのだから、人口が減っていく、この社会でどう生きていくか、どう子どもを育てていくか」という議論もするべきだということを、すごく強く感じていたし、いまも感じている。そうこうしているうちに、息子は18歳。甲子園で活躍している子どもたちを見ながら、この子たちも平成生まれなんだよなーと、思っている。ハンカチ王子に始まって「マーくん」とか「みちのく王子」とか、いろいろ言われて、大人は(メディアの核になっているのは、相変わらず40~50代か)自分の価値観で「汗と涙の甲子園」とか言っちゃうけど、おばさんはハンカチひとつに「キャーキャー」言っちゃうけど、そういうの、「はいはい」って反抗することなく感じよく対応して、ヒーローインタビューだって丁寧に、高校生らしいさわやかさで応対するぐらい当然できて、でも、大人の術中には絶対はまらないクールさと、したたかさと、「でも、熱はあるんだよね」とわたしが聞くと、息子は「わかってんじゃん」と微笑してわたしを見た。自分の野球の試合のDVDを両親の実家に届けたら、自分を心底愛する両家の祖父母は、DVDの再生機ぐらい平気で買っちゃうことを知っている、このひとりっこ!だから、「DVDがあるって言わなくていい」という配慮をしちゃうあたり。はあ・・・。わたしたちの高校時代とは全然違うイキモノをここに見るのだ。彼らは黙って、わたしたち大人の所業を見ている。国や行政は、この18年、少子化大変だといいながら、少子化で子どもが減った子どもの環境のためにどれぐらいのことをしてきたのか、よくわからないけれど、子どもは確実に環境の変化に対応していると思う。そして、たぶん、いまわたしが考えている対応策とは違う対策を、彼らが大人になったとき、考え出すんだろうなあ・・・と思う。まあ、いい大人になってから、途方にくれられるのは困るので、自ら考え出して、行動できるぐらいの力量を身につけさせるのが親の役割かな?と思ったりしている。・・・・・・・・・・・・・・・・・橘木先生の『格差社会』、山田先生の『少子社会日本』と読み進めて、わたしは今後どんどん社会保障関係の本を読んでいく勢いなんだけど、橘木先生と山田先生では、問題としているポイントが違うんだなーという気がした。橘木先生は貧困層を増やさないためにはどうしたらいいか山田先生は少子化を防ぐためにはどうしたらいいかそして、わたしは、あいも変わらず子育ての環境をよくするためにはどうしたらいいか・・・となる。だいぶわかってきたのは、少子化対策で有効なのは若者の就労支援であり、安心して結婚・出産・育児ができる社会を整備することだ。で、わたしがテーマとしてかかげる「子育ての環境をよくする」というのは、少子化で子どもが減ろうが対応が進んで子どもが増えようが、なんであれ、必ず行わなければならないことだと思う。そういう意味では、橘木先生の問題意識に通じる部分があるように思う。いずれにしても、最終的には「再配分政策どうするか」ってことになるんだろう。山田先生が本のあとがきでおっしゃるように、「戦力の逐次投入はしてはいけない」「状況に応じた大胆な方針転換が必要である」「精神論で問題は解決しない」っていうのは、ほんとそう。で、僕らのために、大人は何をしてきたの?どんな社会を手渡してくれるの?と、クールで、でも冷めてはいない、自分たちの生まれた時代がどういう時代かよくわかっている、平成生まれの子たちに、わたしたちは、何が言えるか。こう思って、こういう社会をめざして、こういう対策を考え、だからこうしたんだよだから、おかあさんはこうしたんだよと、説明できるぐらいにはなっておきたいもんだ。これが、わたしの夏休みの宿題。息子に「勉強しなさい」と言う親として、見せる背中。
August 18, 2007
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少し前に区小P連の教育懇談会に出席したとき、ある大学関係の方が「今、PTAは過渡期です。これから、バブル期に大学時代を過ごした団塊ジュニア世代が小学生の保護者の主な世代になりますが、その世代は社会参加意識が低い。そのためPTA自体が存続の危機です。ここは踏ん張りどころですからみんなで乗り越えましょう」みたいな内容のこと(少し意訳というか曲解されているかもしれません)をおっしゃっていて、私自身、まさにその世代なので、なんだかいまだに複雑な思いで、その言葉を噛み含めています。最初に聞いたときは、“私たち世代は確かに世の中ハスに眺めちゃうようなところがあるし、まあ言いたいこともわかるかな”と思ったのですが。今となっては、う~~ん。どうなんだろ?私たちの世代って、そんなにダメダメ揃いかな。そうでもないような気もするんですが。* * *たしかに、私を含め、みんな「頑張ってはみてもいいけど、 どうせだめなんじゃないの?」という気持ち(懐疑)とか、「いや、今ならやればできるはず。 うまくいかないのは自分のせいじゃなかった」という気持ち(転嫁)とか、「でも、結局、きちんと危機感を持って学ばなかった 自分の力不足のせいなんじゃないだろうか」という気持ち(不安と後悔)とかを抱えていて、どこかエネルギーをうまく使い切れないという気はすごくしている。それがひいては、「とにかくもうどうでもいい。 面倒くさいことには目をつぶりたい。 オレ知らない」ということで決着されてしまいがちなことは否めない。* * *でも…確かになぁ。バブル後というあの時代、どうにもならなかったですよね???(気のせいとかにして欲しくはない)直前まで目の前にかけられていたハシゴが、(手をかければ昇れると思っていた場所が)突然、誰かの手によって取り去られてしまったという事実。“努力すればそのあとどうにでもなれたはずでしょ?”なんていうのは理想論で、みんなけっこう本気で、ハシゴがなくなった空間をなんとか自力で昇ろうと必至で頑張って、そして結局手が届かなかったり、届いたときには疲弊してしまっていたり。または全然描いたことも無いような未来を見つけて「よし!」っと思ってそこで頑張る幸運を手にした人も。「本当にコレでよかったのだろうか…」という不安は消えなかったり。みんな(とは言わないまでもたくさんの人が)している(気がする)。* * *で、最初の話に戻るのだけど、終身雇用とか、学歴神話とか、土地神話とか、たくさんの「今までそこにあったもの(価値観)」が“経済”という多勢の理論でどんどん壊されていくのを見てきた中で、「PTAも、ああやってなくなっていったものと同じように、必要ないんじゃないの?」と、まずは一旦思ってみるのは、そんなに責められるべきことなんだろうか?* * *ここ数年聞く頻度が減っては来た『リストラクチュアリング』という言葉。(この言葉は、私たちの世代の心の中に“社会に出て最初に強くインプットされた言葉”としてずっと残るだろうな)まずは、不要なものをそぎ落とし、そのあときちんと、前向きな再構築まで成功すればもちろんそれはとても意味のあることなのだけど。継続は力なり。という言葉の強さに憧れる気持ちとの間で揺れる、価値観。そして、そんなやりとりに疲弊してしまった、たくさんの“心”の再構築は、個々人の“強さ”にばかり寄りかかられていて。デリケートな人や、弱い立場の人ほど心のリストラを(進めたいのに)進められなくて、もがいているような気がしてなりません。そうやって、自分とその周辺の事項に関心が向いてしまうのは、「社会性の無さ」??あ~~~~~~~~~~(-_-;)答えが出ないからこそ、なんだかずっと、引っ掛かり中。考えても不毛なんだけど。「子育ての社会化」ということがもっと具体的かつ目の前の課題になったとき、私たちはまた、ここで躓いてしまうんだろか?なんて思っています。
August 17, 2007
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実家の福井に帰省中です。夫は仕事、息子は受験勉強中なので、ひとりで帰省です。福井はわたしのジマンの故郷。先日も読売新聞「福井のヒミツ」で、ジマンを語らせてもらいました。詳細はこちらです。新幹線の道中、ずっと読んでいた山田昌弘先生の『少子社会日本ーもうひとつの格差のゆくえ』(岩波新書)にも書いてあったけれど、 何度も本文で強調したが、キャリアではない仕事に従事している女性が、高収入でない男性と結婚して、そこそこ豊かな生活を送るための条件を整えることが必要である。本書で一番訴えたいことはこのことなのである。(あとがきより)というのは、まったくもって同感です。読売の記事にもあるように、福井の女の人は、みんな子どもを預けて働いています。「キャリア」とか「やりがい」とか「自己実現」とかそんな理由付けは、まったく!!なく(だって男の人ってそうでしょう?)、当たり前の営みとして働いています。そういう土地で育ちましたから、都会が不思議でなりませんでした。母に新聞記事のコピーを見せながら話を聞くと、「お母さんやって、専業主婦になりたかったけど、 たぶんできんかったと思うわ~。」と本音を語ってくれました。うーん。たぶん、都会ほど豊かではなかったので、お父さん一人の稼ぎで食べていくには厳しかったという実情もあったのでしょう。で、そのまま共働きが当たり前・・・でやってきたら、男女共同参画先進県ってことになり、子育て支援の進んだ県ってことになったのだから、おもしろい。時代が福井に追いついた??(笑)山田先生の本にもあったけれど、夫ひとりの稼ぎで家族が暮らしていくってのは、もはや「贅沢」な話になっちゃったようです。周囲のお母さんたちは、「三歳までは母の手で」みたいな呪縛に自らかかり、苦しんでいたようなんだけど、最初からそんなものとは無縁で子育てやってきて、ここにきて「専業主婦はぜいたく品」といわれるご時勢の訪れを眺めると、「男は仕事、女は家庭の呪文はいったいなんだったんだ?」と不思議に思えます。女性の自立とか、そういう意味づけは、別にいらなくて、オトナは働き、家庭も担い・・・ってことじゃあないのかな?そんなの昔からあって、ワークライフバランスって、そういうことじゃあないのかな?だから、わざわざカタカナでありがたがって言わなくても、福井は昔からそうだったんだって。たぶん、高度経済成長期以前の日本は、バリバリ ワークライフバランスだったんじゃないのかな?と、思います。だからといって、昔に戻りたいとは思わないです。わたしの母たちは、確かに働いており、経済的に自立はしていたし、働き口も多かったけれど、そこには、男女格差は歴然とあり、「同じ仕事をしているのに、なんで、こんなに給料や処遇に差があるのだろう?」と、悔しがったのです。わたしたちはそんな母の背中を見て育ちました。福井の母たちが必死に働いて、わたしたちの学費を払い、仕送りをしたのは、「少しでも学歴の高い男性と結婚させるため」ではなかったです。男女格差のない仕事に、一生辞めずに続けられる仕事に、娘を就かせるためでした。それはわたしだけの話ではなく、高校時代の友人たちはみんな、そんなふうに母に期待され、期待に応えようとしていました。男の人に頼って生きようなんて、これっぽっちも考えなかったってゆーか、考えさせてもくれなかった、福井という故郷を、ほんと、働き者で、まじめなんだからーと思いつつ、わたしは、やっぱり誇りに思っています。
August 17, 2007
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4つ葉ちゃん、ついに、アイスクリームに!!そうだよねー。ほんとうに暑いもんね。毎月届く高野さんからのイラストは、わたしたちの大きな励みになっています。優さん、いつもありがとうございます。井出崎さんからの便りがあるように、山口県では協働フォーラムの開催に向けて、通常のイベントのための実行委員会では考えられないぐらいの手間ひまをかけて、実行委員会と運営委員会を重ねています。と同時並行で、群馬県でも10月に開催予定の協働フォーラムに向けて実行委員会が進行中です。先日、群馬のフォーラムの実行委員長を引き受けてくださっているM先生という大学の先生と電話で打ち合わせをしました。5月ごろに「M先生に委員長をお願いしようと思う」という事務局さんのお話を受けてわたしたちは初めてお目にかかり、6月に秋田の協働フォーラムに来てくださり、その熱気に、たぶん、いろいろなことを思われたと思うのだけど、全部飲み込んで、「群馬でも成功させましょう」ということで、がんばってくださっています。電話でこれまでの進行状況についての報告を伺いながら、「わたしだったら、そうはできないなあ」と思うような丁寧さと粘り強さで、ここまで委員会を引っ張ってこられたこと、黒子に徹し、みんなに花を持たせつつ、とりまとめておられることを感じました。その手腕は「お見事」というほかなく、見えないところで動くM先生はじめ事務局のみなさん・・・に、思いを馳せた次第です。目の前のこと(例えばイベント)にいっぱいいっぱいの人の動きと、その先の目的を持って目の前のことと対峙する人の動きは、絶対に違うと思います。連続性なく、いつも単発で、花火ドッカンで「で、何がしたかったの?」みたいな動きは、やりたい人はそれでいいのですが、わたし的には、もう、いいでしょ・・・って思っていて、M先生みたいな人と出会えて、突然委員長お願いできないかと言われ、「協働もOJTで学んでいきましょう」というその人が、どんなふうに実行委員会をとりまとめていかれるのか、その仕事をみさせてもらうだけで、かなり勉強になるなあと思っているところです。山口の二村先生もそうですが、人の妙味・・・というか、ひとりではやっぱりつまらなくて、いろんな人がいることが面白く、欲を言えば(わかっている)いろんな人がいることで、思いがけない展開を見せるところが「協働」なんだよねと、改めて思うのでした。で、ここでのわたしの役割は・・・・「こうやるんです」とか「ああやってください」とか指示したり、指導したりする係では、なく。さて、どこまで。そして、12月にフォーラム開催予定の東京は・・・これから。首都ではあるけれど、東京も一地方だと、わたしは思っていて、東京に課題がないとは思っていないので、東京が抱える課題を見ていきたいなと思っています。とはいえ、さすがに連日の暑さで、オーバーヒート気味。少しアタマとカラダを冷やしにしばらく東京を離れます。
August 15, 2007
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第2回の実行委員会を兼ねた、行政とNPOの懇談会が終了しました。「制度が変わるたびに現場はほんとに混乱して忙しくて、ばらまきと言われても、ばらまいてしまえって気になるんですよ」なんて本音が行政側から出たり、「民間は要望ばっかり言っててもだめだ」とぴしゃりと言われたり・・・初めての顔合わせだった1回目の実行委員会と比べて2回目はやはりぐんっと近づけたという感じです。こんな形ももちろんありよねって思っています。時々、子育て支援をしている人たちから「今の若いお母さんたちは、大学も出ているのに、子育ても一人でできない」とか、「自分の勉強のために子どもを預けるなんて。子育てしている時はそんなことは我慢しなさい」とか「こんなにしてやっているのに、3人目を産まない」とか言われます。口に出さなくても、思っている人たちもたくさんいるでしょうね。まじめで一所懸命な支援者ほどその傾向は強いかもしれません。隣のおばちゃんがそれを言うならそんなに罪はないですが子育て支援をしている人からそんな言葉がでてくるのはなぜでしょう。二村先生から最後に「大人とは何ですか?」という問いかけがされました。「大人とは何か?」「子育て支援とは何か?」コンセンサスをもつこともそうですが、その伝え方も得ていきたいと思います。
August 15, 2007
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昨日、「凝ってますねー」といわれながら、90分たっぷりのマッサージをしてもらった。施術をしてくれる女性は20代後半のなかなか筋のよい人だ。帰りがけ、「杉山さん、杉山さんがこの前紹介してくれた本題名なんでしたっけ?教えてください」とメモを持ってきた。そうそう。先日、施術を受けているとき、「人を本気で癒したいと思うなら、河合隼雄さんは必須だよ」と言ったんだった。「わたしが読んでたのは『影の現象学』だったと思うのだけど、たぶん、何読んでもOKだから。浅いのから深いのまでいろいろあるから、いろいろ読んでみて(そして、もっともっと腕をあげてわたしを癒して)」と言ってメモを手渡した。「図書館に行けばありますか?」「もちろん。でも帰りにある本屋で文庫本もあるから。今度わたしが来たときまでに何読んだか教えて(いつになく強引)」だって、あなたに本当に読んでほしかったんだもの。こんなふうに心に留めておいてくれたのがうれしい。(だから筋がいいんだって)そしてわたしは。帰りの駅の本屋で、ようやく「小説新潮」をみつける。目当ては養老さんが書かれた、河合さんの追悼文だ。買う気はなくて、立ち読みしようというハラだ。たった2ページの短い文章だったけど、泣きそうになった。梅原さんが朝日に書かれた追悼文も悲しかったけど。文章からは、あったかいひとの輪と和が伝わってきた。漫画も。漫画もとっても好きだけど、最近、本っていいな。とつくづく思うようになった。わたしは河合さんの本を折にふれ繰り返し読んで、河合さんの伝えたかったことは何なのかを考え、必死で受けとめるしかないんだと思う。
August 14, 2007
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「KY」とは「空気が読めない」の略だそうで、息子に教えてもらった夫は、「よし、明日会社で使おう!」と息巻き、息子に「それこそKYだよ」とつぶやかれてしまった。ちなみに、「RG」=「リアルがっかり」(息子作)「KGY」=「軽くゴンゴンやばい」(夫作)RGはまだしも、軽くゴンゴンやばいってなんだ?で。政治家っていうのは、空気を読んで生き伸びる人たちなのではないか?と思うことがある。安倍さんはともかく(笑)、小泉さんはお見事だったと思う。今読んでいるのは、橘木先生の『格差社会』(岩波新書)。先生は、98年ごろすでに日本の「格差」について指摘されており、何冊もの著作を世に問うておられる。普通、どこの国でも格差があると指摘されると、必死になって打ち消したり、対策を講じるものなのだけど、(現に内閣府も格差は「見かけだけ」という見解を報告したりもした)橘木先生が注目するのは、わが国の首相が、国会において「格差のどこが悪いんですか」「成功者をねたんだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」と発言されたことだった。この小泉さんの発言は、どこか、当時のわたしたちの気分を代弁していたところがあるように思う。そんなふうに開き直られると、「あ。確かに。なんで格差が悪いんだろう???」ってな感じに。稀代の政治家は、そこにとても上手に乗ったんではないかな?で、その「気分」だけでたらたらとやってきたら。やばいことになってますぜ、だんな。「どうやばいのか?」は、ぜひ、この橘木先生の本を読んで自分で確かめていただきたいのだけど、国際比較のデータでわかったことは、日本の不平等度は、フランスやドイツといったヨーロッパの国を上回って、ポルトガル、イタリア、イギリス、アメリカ、ニュージーランドと同じく「不平等性の高い国」に仲間入りしているということと、(だから小泉さんが望んだとおり、「格差がある国にとっくになっちゃってますよ」ということ)日本の貧困率は、先進国のなかで第5位の高さであることだ。ちなみに日本より貧困率の高い国は、メキシコ、アメリカ、トルコ、アイルランドの順となっている。竹中さんなどが主張したのは、格差のない社会はない、競争で発展するのは必要なことだ。大事なのは、たとえ失敗してもやり直せるセーフティネットを強固にすることだ・・・ということ。ところが、セーフティネットを強固にした形跡が見当たらない。セーフティネットとは、失業保険や生活保護、医療保険、介護保険などの社会保障給付なのだけど、先進国に比較して、社会保障の充実度は非常に低い。その理由は、税や保険料の国民負担率も低いから。当たり前のことなのだけど、制度として、もう立派に「小さい政府」になっている。「小さな政府」になりすぎの感もあり、非正規雇用の人たちのなかには失業保険に加入できなかったり、医療保険料や国民年金保険料が払えなかったりする人も確実にいる。セーフティネットのもろさは、弱い人をこそ、直撃する。・・・・・・・・・『格差社会』でもうひとつ指摘されていることは、階層の固定化だ。医者の子どもが医者になる。政治家の子どもが政治家になる。野球選手の子どもが野球選手になる。おもしろいのは、野球選手の子どもは野球選手になるが、能力がなければ、淘汰されてしまうのに比較して、政治家の子どもは親の「地盤」を引き継ぎ政治家になるが、わかりやすい形で能力を判断することが難しい。その地位、職業などに適していない人が、親の力を背景にその地位、職業に就くということが、競争の活性化につながるのでしょうか。親が政治家という理由のみで、もし無能な政治家が誕生し、万が一その人が指導的な地位の政治家になったのであれば、国民にとって危機的な状況さえ引き起こす可能性もあります。人的資源の活用という点でも、マイナスの効果をもたらすでしょう。(太字は、『格差社会』からの引用。わたしたちはこれを読んでつい、どこかの大統領の顔を思い浮かべたりする)大切なのは、「機会の平等」だと橘木先生は主張する。それには、教育の機会の平等が必要なのだけど、ここでも指摘されるのが、日本の公的教育支出が世界でも最低レベルにランキングされているという事実。わたしも先生の主張と同じで、本人の能力や努力によって格差が生じるのはある意味仕方のないことだと思う。でも、本人の能力や努力ではないことによって格差が広がるのはどうなんだろう??と思う。あわせて、格差そのものというよりも、格差によって、貧困層が増えることをとても心配している。貧困をなくすためにはどうしたらいいか・・・先生の提言も本書には盛り込まれているので、ぜひ、読んでいただきたいのだけど、わたしのミクロレベルの関心は、すでに貧困のなかで子育てしている人たちとその家庭の子どもに向けられる。これだけ「格差」が言われて、くっきりと存在するにも関わらず、「格差があってなにが悪いんですか」という言説は、つくづく、「自分が勝つ」とわかっている人の言葉だなあーと、思い知るのだけど、(数年前はスルーだったけど、いまでは「KY」だね)そうじゃなくて、開き直ることもできない貧困にいる人がいて、そこで子育てをしている人がいるとしたら、わたしに何ができるのだろう?わたしはどこをどう見ても、「勝ち組マダム」なんかじゃ全然なく、氷の作り方すら知らない「ダメダメママ」(あははー。使い方間違ってる?)だけど、多少なりとも本を買って読む時間があり、意見を述べる機会をいただき、自分の子どもが高校生になったというのに、それでもなお、「子育て支援を仕事にしたい」と考えている「変人」だ。だからこそ、意味のある仕事をしたいし、わたしがもっとも優先度が高いと思った、そこに、思いと力を注ぎたい。川下と川上の両面から、この問題を考えたいと思っている。
August 14, 2007
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今年度、こども未来財団の調査助成を受けて、子育て関係のNPOと行政、中間支援組織対象にアンケート調査やヒアリングを行う予定になっている。質問のテーマは「協働」なのだが、「協働以前に、NPOに協働できるだけの力量が備わっているかどうかがキモだろう・・・」という気がしていて、では、「力量」とは何か?というのをあれこれ考えている。言われつくされたことだけど、NPOに期待されている力量は、(1)自立した活動を保証するための自主事業の確立(2)公益性を保つための、行政との協働事業の推進(3)地域コミュニティづくりの旗振り役となり、子どもや 親の声を社会に届けるといったところではないかと思っている。企業は公益性が薄いので、(1)だけで十分間に合うのだが、NPOは、公共を担うので、(1)も(2)も(3)も必要なのだ。ところが、NPOのなかには、自主事業を放棄し、行政からおカネをもらって自分たちの事業のほとんどをそれに依存してしまって、それがいいと思っているという状況もある。でも、行政であっても、一社にまるっと資金を依存して、そのスポンサーにたてつくような言動は、普通できない。たとえ行政と緊張感が走ったとしても、子どもや親の代弁者となる発言をしなければならない局面も、どうしても出てくるし、そのためには、自立しておく必要がある。自立の一歩は、フリーランスの鉄則(夫婦の鉄則?)「ひとつのかごに卵を全部盛らない」だ。で、そもそも、子育てのNPOの人たちは、そういう話をしているのかどうなんだろう?松田さんに聞いたら、「私たちは行政に依存してはいけないと相当危機感持っている。自分たちで運営していけるよう、資金調達のためにいろんなことをしている」と話してくれたけど、それが普通なのか、珍しいのか。というあたりをまず調査したい。力量についての自己チェックをして、改善のための努力をしている団体でなければ、協働などできっこないだろうから。当事者の声が一番リアルにダイレクトに集まるのは、当事者の団体だ。でもそれが、「わたしの声」にしか聞こえないのでは、社会化はできない。当事者のきわどい体験を聞いて喜ぶのは、あらかじめお約束のストーリーをこしらえて、そこに体験者のリアルの味付けがしたい一部マスコミだけだ。公共が望むのは、そんなものではなく、個人の声を社会化した言説であり、行動のはずだ。説得力を持ちたい。社会化するには、それなりの努力が必要なんだなーということを、自戒をこめて思う。
August 13, 2007
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先週は本当にあわただしい日々が続き、フーフーでした。で、今日は、夫とふたり砧公園へGO。公園を散歩しながら青山二郎展の開館を待ち、開館と同時に二郎さんに会いに行く。「何もしなかった人」だから残っているものがあまりなくて、それだけに展示してあるものは、どれもすごくって、二郎がみつけ、二郎が「これだ」と紹介することによってそのものが息を吹き返す!!を、目の当たりにした。これは、すごいことだ。目の前にある陶器や骨董の数々のなかから「これだ」というものを選び、「これが一番そのものを美しく見せる」という表現をとり、ひとつひとつ丁寧に図録にしてまとめるなんてのは、「編集」そのものの仕事。全体を通して、気づいたことは、目利きが選んだものたちはみな、生きているもの、息づかいの聞こえるものが、そろっているな・・・ということだ。で、全体で「青山二郎らしい」となる。勉強になります。まったく。もっともっと、「目の仕事」のひとつひとつを知りたい。(あ。だから小林秀雄も白洲正子も彼のもとに通ったのか)にしても。こんなに美しいものを前にしたら、もう、ただ唖然とするしかないのに、それを「編集」するなんて。(二郎なら)できるかもしれないけれど、しなかった・・・か。したくなかった・・・か。「こんな姿を見せつけられた日には、アウトプットなんて、そうやすやすとできませんぜ、だんな」と、ギャラリーフェイクの藤田ならいいそうだ。目の前のモノと、二郎さんの仕事のダブルパンチでわたしはもう、ガーン!ときてしまって、そのまま買い物をして帰宅すると、昼寝をしてしまった。小林秀雄展の図録と青山二郎展の図録は、兄弟のようによく似ていて(当たり前だ。作っている会社が同じだもの)、それを並べて、悦入。・・・・・・・・・・・・・・・・いつもは自分の調整や調律のために行っているアートを使ったワークを、先日のタウンミーティング終了後、「一度、仲間とやってみたい」と切望するようになった。金曜日、山田さんと芦澤さんを誘い3人でアートのワークを行った。ひとりひとり、自分の課題は持っていると思うけれど、それは、それぞれでナントカしていただくことにして、「とにかく、わたしがやりたいと思っている4つ葉プロジェクトと、とうきょう子育てねっとと、セレーノを強化させたいのよ」というのが、わたしのオーダーだった。ファシリテーターの佐々木さんの案内で、呼吸をあわせ、ひと汗かいて、さっそくアートに移る。パステルで思い思いに色を描くのだけど、ひとりの作業ながら、隣に仲間がいるというのは、まったく違う感覚を呼び覚ましてくれる。「なんだ、わたし、まだまだイケルんだ」と、ふたりの絵を見て、思った。3人で大きな紙にひとつの絵を描くワークをしたのだけど、それは、「スペースが足りませーん」というぐらい迫力があり、生命力があり、「まだまだいけるわっ」とクレヨンを握る2人をどうどうして、「わかった、わかった。今日はこれぐらいで。次はもっと大きな紙を用意しよう・・」と、リーダーは、言ったのでした。土をつくり、水と養分を通し、光を注ぎ、木を育てる。太い太い幹をつくる。風が渡り、ひとつの世界をつくる。これは、スゴイことだ。(4つ葉にはまだまだスゲーメンバーがこぞっていてそういう人たちの力を本気で合わせようと思ったら・・・)と想像するだに、 「ギャ。うかうかしていられないワ・・・」と思ったから、昼寝なんだけど、これは、思いがけないギフトだ。「人びとは強いそなたを信じるのではありません。 そなたが信じるものを信じたいのです」というのは、風林火山で晴信をいさめる母、風吹ジュンが言った言葉なのだけど、圧倒的な力でカリスマとなり、がりがり引っ張っていくリーダーではなくて、それぞれが120%の力を出し切れるように場をつくり、統合していくリーダーとなりたい。個を超え、強く信じるものを持ちたい。そのためには、何だってする。からだも鍛えるし、難しい本も読む。(たって、まだまだビリーやって、岩波新書読むぐらいだけどね)どんなときも、それぞれの場で、それぞれの人たちが十二分に自分の役割が果たせるよう、そのために、わたしが、わたしの役割をきちっと果たせますように。お祈りをする。これって、青山二郎が「美」でやろうとしたこと??あわわ。これがオチ、だったのか。みなさま、よい夏休みをお過ごしください
August 12, 2007
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お盆休みモードも色濃くなって帰省ラッシュの映像がテレビニュースで取り上げられていますが、皆さんはどうお過ごしですか?子育てサイトの企画とりまとめをすることとなり、私の「ふむふむ体験」が最熱している。最初にこの日記で書いたように、私自身子育て経験がないので、妊娠したらどういう手続きをとらなくちゃいけなくて、どんなことに直面するのか、今までの人生で知ることがなかったからだ。まずは、利用者の立場になってみて、、、と、妊婦さんがその行政から初めてもらう情報ミニ冊子を読んでみることに。「ふ~ん、そうなんだ~。」「いろいろと気をつけなくちゃならないこととか、やらなきゃならないことってあるんだなぁ~。」「ん?これってどういうこと?わかんないとまずそうだし、誤解すると大変なことになるかも、、、自信ないなぁ。」と、初めて読む新米ママさんの不安な気持ちに思わずなっている自分。(テレビや本を読んでいてもすぐのめり込んで当人になりきってしまう傾向アリ。)周りのみんなと比べて子育てのことを知らないことに、引け目を感じガチだったけど、知らないことへの不安感だけは共有できるんだなぁ~、と。初めて読んだ時のこの感覚をしっかり覚えておこうっ、と。お隣の人が、冊子にちらっと視線を落としていることに気づいて、「あ、今きっと私妊婦さんって思われてるよなぁ~」と、フフッ。なんだか、幸せ~なカンジがする疑似体験をしたのでした。
August 11, 2007
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まったくプライヴェートなことで怒濤の一週間でした。自分なりに時間をかけて、消化して、決めたことを、実行に移し、それを報告する。できる限り、理解してもらおうと努力する。何度も何度も説明することで、自分自身を整理する。そのプロセスに予想以上に消耗し、おだやかなつもりが自爆して炎上し、リセットするはずだった出来事に囚われて、目が腫れるほど泣いてみたり。でも、そのあとに残ったのは私にとって「核になるもの」でした。それは、コミュニケーションと言葉。そして、自分の色。です。* * *今週は、たくさんの大事な人たちからたくさんの言葉とたくさんの時間の花を貰ったのだけど、そのなかでも、いちばん心に残っている言葉を書き留めておこうと思います。「あなたは大丈夫よ」そう。私は大丈夫です!そして、私の周りのひとたちもこれを読んでくれたあなたもきっと大丈夫なのだろうと思います。
August 10, 2007
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明日から来週の土曜日まで、佐渡の実家に帰省してきます。子どもたちをテキトーに遊ばせて、自分は何もしないで命の洗濯をしてきます。曲は聴いたことが無いんですが、尊敬する保育園長から、中島みゆきさんの「帰省」、という唄の歌詞を教えてもらって、えらく共感したことがあります。「遠い国の客には笑われるけれど押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れないまるで人のすべてが敵というように肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆくけれど年に2回 8月と1月人ははにかんで道を譲る 故郷からの帰り束の間 人を信じたらもう半年がんばれる」なんか、自分のことを書いてくれてるみたいだって。自分なんていまだに心と体のリズムが佐渡だからね。実は自分は見かけよりもぜんぜん繊細で、東京の生活って結構きつかったりするんですよ。あと、実家のパソコンがダイアルアップなので、多分、インターネットが見れません。ですから来週はブログお休みです。**********************それと、保育の勉強会のご案内を二つ。よかったら参加してくださいね!P研<保育者の専門性研究会>第11回勉強会汐見稔幸が語る、◆日時 8月24日(金) 18時30分~21時00分◆会場 子どもの文化研究所ホール 東京都豊島区目白3-2-8 村松ビル3F JR山手線「目白」駅下車、徒歩3分ほど◆定員 50名(先着順)◆話題提供 汐見 稔幸 (白梅学園大学副学長・P研顧問)◆進行 大豆生田 啓友 (関東学院大学人間環境学部准教授)◆参 加 費 1,500円(当日会場にて)◆お申込み・お問い合せメールの件名に【第11回P研申し込み】と書いて、●お名前、●ご所属、●ご連絡先電話番号、●メールアドレス、●参加者名簿への掲載の可否(お名前と所属のみ。ご記入がない場合は原則掲載します。)、そして、【一言アンケ】をご記入の上、下記までお送りください。お問い合わせについてもメールでお願いいたします。世話人連絡先 今井豊彦MAIL hikotoyo101@yahoo.co.jpFAX 03-5680-4001P研<保育者の専門性研究会>第12回勉強会【フォーラム】ディテールから始まる… ◆日時 9月15日(土) 13時00分~16時30分◆会場 こどもの城 東京都渋谷区神宮前5-53-1 JR渋谷駅、東京メトロ表参道駅 徒歩10分◆定員 100名(先着順)◆話題提供 大豆生田 啓友 (関東学院大学人間環境学部准教授)◆ファシリテーター 西川 正 (NPO法人「ハンズオン埼玉」副代表)◆参加費 1,500円(当日会場にて)◆お申込み・お問い合せメールの件名に【第12回P研申し込み】と書いて、●お名前、●ご所属、●連絡先電話番号、●メールアドレス、●参加者名簿への掲載の可否(お名前と所属のみ。ご記入がない場合は原則掲載します。)をご記入のうえ、下記までお送りください。お問い合わせについてもメールでお願いいたします。世話人連絡先 今井豊彦MAIL hikFAX 03-5680-4001hikotoyo101@yahoo.co.jp
August 10, 2007
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養老孟司さんと玄侑宗久さんの対談集『脳と魂』(ちくま文庫)を読み終えた。おふたりの著書は何冊か読んでいるので、だいたいおふたりが考えていることはわかっていて、特につまずくことなく、ふんふんふんと読み進めることができた。「人間というシステムが言葉という情報を扱う」とか、同じように「細胞というシステムが遺伝子という情報を扱う」玄侑さんの解釈で言えば、「細胞が空で遺伝子が色」「人間が空で言葉が色」空を「そら」とか、色を「いろ」とか読んでちゃダメよ。こういうことを、ああ・・・と納得しながらぼんやり考えるのが、好き。・・・・・・・・・・・・・河合さんの本にも当たり前のように出てくる共時性(シンクロニシティー)。実際わたしはそういう体験を決定的な場面で何度かしたことがあるので、「あるに決まっている」と思っているのだけど、養老さんも玄侑さんもそう思っていて、「それ(共時性)は、三木さんだから起こるということと、あと受け手と両方の問題なんだろうね」という養老さんに、「これは相互関連ですね」と玄侑さん。「そう。だって、そういうセンスが全くない人って世の中いくらでもいますもん。そういう人って見てすぐわかりますよ。何かちょろいっていうか、ダサいっていうか、うるせえっていうか、やかましいっていうか(笑)、そういう感じするから。」↑ ↑この養老さんの一言が、この本のなかで一番好き。アタマでわかることじゃあないから、センスのない人はお気の毒というか。月曜日、火曜日、水曜日と、いつになく本当に濃い時間を過ごしている。まったく違う世界で活躍中の、初めてお目にかかった人も、多かった。情報と刺激のキャッチボール。相互に作用する、有機体のシステム。そのうち、あちこちで、シンクロするかな?
August 9, 2007
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昨年協働フォーラムをされた広島県の県庁マンである徳光さんに電話をしました。「杉山さんがね、あなたが僕のところにきっと相談してくるだろうからお願いしますねって言われていたから待っていたんですよ」といわれて、行政との関わり方や、行政の役割を丁寧に教えて下さいました。京都の迫さんにも電話をしました。彼女もまた自分達が通ってきた道、経験から得た様々な方法を惜しげもなく私に教えて下さいました。私たちのすぐ身近にも協働の先達者たち、子育て支援のベテランたちがいて、時に優しく丁寧に、そして時に突き放すように、自分達の経験や失敗を伝え、近道を教え、進むべく道を指し示してくれます。私たちの知らないところで、私たちのために道を引き、頭を下げてくださっている方たちがいることを、たくさんの出会いから感じます。私がたくさんの人たちから伝えられ、学んできたことを具体的に表現できることはどんなことだろうと考えます。今、山口に必要なことは何だろう。今、私が伝えないといけないことは何だろう。様々な形で手を差し伸べる人たちの想いも一緒に紡がれた糸を染め、模様をイメージし、形にしていく。さて明日は、座談会です。第1回目の実行委員会後のこの1カ月のプロセスが次にどんな模様を紡ぎだしていくのでしょうか。とても楽しみです。
August 8, 2007
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以前、宮崎駿監督の「もののけ姫」を見ていたとき、主人公がいつも乗っているシカの「ヤックル」が、誰かに似ているなーと思っていたら、それは、わが夫と息子だった・・・という話を浜尾さんにしてから、男性を評価する軸のひとつとして「ヤックル度」が誕生し(「あの人はヤックル度が高い、低い」と使う)、ついには、わが夫は「ヤックル1号」息子は「2号」と呼ばれるようになってしまった(「そんなにうれしくない」と夫)。注:誤解のないように言っておきますが、わたしは主人公の「アシタカ」ではありません。「天空の城ラピュタ」の「シータ」のつもりですが、さすがのヤックルにぼこぼこにされました。我が家のヤックルがいかに「ヤックル度が高いか」についてお話したいと思います。野球部を引退して、本格的に受験勉強を始めた息子と、そうめんを食べようとしたとき。めんを冷やす氷がない。「どうして氷つくっておいてくれないのよ!!」と息子を叱咤し、「もー。しょうがないなー」と、氷をつくろうとしたが、作り方がわからない。「どうやってつくるの?」と立ち往生するわたしに、「どうして氷が作れないかなあ~」と言いながら手際よく水道水をタンクに入れる息子。「ちょっと浄水にしてよ」というわたしに、「水道水にしなくちゃいけないの」「そうなんだ」「常識だよ!」ちなみに、わたしが知らないうちに、ヤックル1号2号で●ドバシカメラとか、●マダデンキとかにいそいそと出かけ家電を買って帰ってくるという光景は日常茶飯事。冷蔵庫は確か3年前ぐらいに彼らが買ってきたもの。きっとわたし、3年間、一度も氷作ったことがなかったんだね。最近、夫がアイロンを買ったが、使い方も知らないし、どこにしまってあるかも知らない。掃除機も最新型を買ったようだが、わたしは使ったことがない。当然ながらDVDの録画予約は2号にいつもお願いしている。昨年末、息子がどうしてもほしいというので、ヘルシオという電子レンジ(?)を買いに行った。お店の人は当然ながらわたしに向かって説明をしてくれるのだけど、わたしはちんぷんかんぷん。子どものふりをしていた息子が業を煮やしてカタログを開きながら、お店の人にいろんなことを聞き始めた。お店の人も安心したのか、息子と活発なやりとりを始めた。「まるで、椎名誠の『岳物語』で釣り道具屋のオヤジさんを息子に奪われた父ちゃん(椎名誠)のようじゃないか・・・」とアタマをかいた。(息子の成長がまぶしい! ← ??)「生きる力が一番足りないのは、お母さんなんじゃないのか!?」と、夫と息子に言われています。最近は「あんまり黙ってやるのは、本人にとってもよくないなと思って、手を出さないようにしている」と、息子に言われる始末。以前、大阪の子育て支援者のAさんから、「いつもブログを拝見しています。杉山さんちのご家庭の様子を読んで、うちと同じ~と、ほっとしたり、苦笑いしたりです」というメールをいただきました。Aさん、いかがでしたか?ほっとできました?
August 8, 2007
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amigoの石山です。日々プログラムや講座やサロンで一週間がすぎてゆきますが、少しずつ夏休みモードに入ってきている感じ・・・・。今日(水曜)の世田谷区主催のセルフケア講座も参加者がすくないみたいだ。産後5ヶ月未満の母親と赤ちゃんが対象のこの講座。「からだ」のケアをお伝えすることが目的でもあるが、参加者たちは「ママ友」ができるといいな、と思って来てくれるみたいです。(参加できるのは世田谷区在住の方のみです。区内のかた、お友達がいるかたはおしらせくださいね)今日は少人数でじっくり、ゆっくり「からだのケア」と地域のお話ができるかも・・・。主催は世田谷区、せたがや子育てネットが委託を受け、産後のからだ、こころ、環境の話が大好きなamigoが企画、運営をしている講座です。行政主催である信頼、安心感、民間が運営する具体的な講座内容の妙が面白い講座であると感じています。毎日本当に暑いですね。晴耕雨読とは言いますが、ここまで暑いと耕してる場合ではありませぬ・・・。実は昨日、友人に紹介しもらった鍼に行ってきたらパンドラの箱が開いたかのようにどっと疲れがでてしまいました。30代はどんな風に生きていくか見極めていく時期だって。今までのように勢いでやってると壊れちゃうよ~なんて話を聞いたなぁ。皆様も、酷暑のおり、ご自愛くださいませ。
August 8, 2007
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有明にある、その病院に、わたしは3ヶ月に1回薬を取りに行き、半年に1回検査をしている。昨日は薬を取りに行ったのだけど、広くて、わりと居心地のいい待合席の窓際に、ぐったりとうずくまっている初老の男性がいた。隣には付き添いの女性。「ああ、放射線でも受けたのかな? 起き上がれないぐらいしんどいのかな?」と思っていると、警備員さんが「大丈夫?」と、びっくりするぐらい自然に、近寄っていった。「大丈夫。このほうが楽だって」と、女性。ああ、この病院は、警備員さんがこんなふうに「大丈夫?」と声をかける病院なんだ・・・と思い出した。席を離れて戻ると、さっきの男性はその女性のひざ枕でベンチに横たわっていた。ふたりの手はしっかりと握られていた。「もうすぐ死ぬのかもしれない」そういうのを、そうっとしておいてくれる場所。広いフロアにいるのは、がん患者と、彼らにつきそう人たちと、自分ががんかも知れないと思っている人たちと、がん患者の知人を見舞いにきている人と、患者のために最善を尽くす病院の職員と、ここでボランティアがしたいのだと、申し出たボランティアだけ。ただよう死の気配。みな、静か。みな、淡々としている。かといって、暗くも陰湿でもない。時に笑顔が見える。清浄。静寂。遅かれ早かれ、いずれ自分も死ぬのだという、ものすごく当たり前のことを、誰もが思い出す場所。庭からは、海が見える。「杉山さんが見ているがん研と、わたしたちが見ているがん研は、全然違う」と、前にファミリーハウスの人に教えられた。ああ、そうか。新しい病院になって、わたし、病棟には行っていないから。そこに入院中の子どもたちのところへは、行っていないから。そういう子がいることを思うだけで、じわっと涙がたまってくる。でも、わたしはそこには行かない。泣くことしかできない人間は、行けない。ここが、そういう場所なんだ、ということを思うだけ。いろんなものをそぎ落として、人って実はこういうものなんじゃないのかな?ということを、思い出す。どうでもいいギザギザした感情がうごめいて、どうでもいいことに、やいのやいの言っている外界よりも(ああ、うるさ)、ずっと、ここは、いろんなことを思い出させてくれる場所。「謙虚であろう」と、思い出させてくれる場所。「畏怖心」を思い出させてくれる場所。日常使う「やさしさ」ってコトバのチンプさ加減がすっかり見えてしまう場所。大人、になるということは、「ああ、ほんとうに、いたい。わたしは、とっても傷ついている」ということを、心底、知っているということではないだろうか。それでもね、それでも、その「傷み」をかかえて、死ぬまで生きる、と、いのちに約束することではないだろうか。
August 7, 2007
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わたしに与えられた時間は、長いのか、短いのか、実際のところは、よくわからない。でも、無尽蔵にあるのかと言われれば、終わりは間違いなくあるわけで。できるだけ、ムダには使いたくないな。と、常々思っている。ムダに使わない最良の方法は、意味のない時間を過ごさないことだ。その人にとって、それは意味のある時間だとしても、わたしにとっては「どうでもいい」と思うことなら、わたしは、しない。わたしには、わたしの「荷」があるので、ほかの人の「荷」まで抱え込むことはしない。第一それは、その人に対して失礼だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以前、年金部会のパート労働検討会で、ヒアリングに来てくださった企業代表の人たちが「逆に、委員の皆さんにお伺いしますが、みなさんは年金制度が維持できると本気でお考えなのですか?」と、質問されたとき、「維持させなければならないと思っています」と、検討委員会委員長の宮武先生はおっしゃった。まったく同じことを思っていた委員一同は、そうそうと、うなずきながらその場にいた。これは大事だと思う事柄には、そういうスタンスで、わたしは向き合うことにしている。何のために維持させなければと思う?年金は、社会のセーフティネットだから。次の世代に順送りしてつないでいくものだから。そんな当たり前のことを意志するから、「払いたくない」みたいな幼稚なことを言い出す人には、(矛盾だらけの制度で、第三号の問題とか、さすがにばかばかしくなるので、気持ちはわかるけどね)「払いたくなる制度ってどんな制度だと思う?」「どうしたら払いたくなる?」と聞きたくなる。考えて、自分なりの答えを出したら、それに向かってしのごの言わず進むことだね。(あ、そうか。思考停止で黙っているのと、わかっていて、もうすでに動いているから、黙っているのと2種類の「沈黙」があるわけだ)いずれにしても、「わたしたちさえもらえればいい」「わたしたちはもらえる。ラッキー」みたいな品のないことを言う年寄りには、なりたくない。(「もらえる」っていうのも、なんだかなあー。「受け取る」とか、別の言い方にしてほしいなー。)つまり、「わたしたちは勝ち組世代ラッキー」と思う世代と、「なんだよオレたち、そっち(負け組世代)かよ」というようなメンタリティで循環する輪のなかには、わたしは、絶対に、巻き込まれたくないということだ。だって、ナニもいいことないのだもの。すっごく、不健康な感じ。・・・・・・・・・・・わたしのなかの「筋」のようなものがあって、最近それが特にぶれなくなってきたので、選択が明快にできる。たまに、「え?」ということに遭遇すると、「うーん・・・」と立ち止まることはあるが、やがて、何をするか「選ぶ」。(「何もしない」ということを「選ぶ」こともある)「あなたにお願い」というオーダーが、あって、「わたしにきた、ということは、それなりの理由があるのでしょう」と思うので、その役割をまっとうし、わたしに依頼してくださった方たちの目的が多少なりとも果たせるように・・・と、心を砕く。4つ葉とか、とうきょう子育てねっとのように、「やりたい」と思う事業もいくつかあって、それについても、「何のために?」ということを繰り返し、自分に問いかける。その仕事を全うするためには、ぶれない自分でいたいから、健康には留意する。できる限り規則正しい生活を心がける。フルートのレッスンで、今16分音符と格闘しているのだけど、規則正しく拍を刻む難しさを、痛感している。1拍のなかに4つの音。「タリラリ、タリラリ、タリラリ、タリラリ」とやっているうちに本当にわけわかんなくなってくる。それでも繰り返す。タリタリ、タリラリ、タリラリ、タリラリ・・・・やがて、アタマで考えずとも、できるようになる。ヒップホップのクラスでも同じことを経験した。初めてのステップに「できない!」と思ってしまうのではなく、先生のステップを見て、真似て、気合で「右、左、右、左、右、左、右、左」と、やり抜く。何回も繰り返す。「できるでしょ!」と何度も手本を見せ、からだで言っている、若い先生。ああ、これかあ!「体得」。これの繰り返し。この体得が、どこででも生きる。ゴスペルの先生が、手を上に立てて「気持ちを立てて。立てて、声出して」と言う、あの感じ。常に。一本、ぶれない筋を、からだとこころに立てて。
August 5, 2007
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組織運営で心を痛めることがある。なぜ、こういう風になってしまうのか?無償ボランティアの集まりで、基本的に善意で成り立っている組織故の腹立たしさもあるのかもしれない。(あ、ここでご覧になっている皆さんが関係する組織の話じゃありませんので。)今の自分はこの事態に何をすべきなのだ?という問いが繰り返される。執行部が決めたんだから、しょうがないね、なんて言って素通りはしたくない。私の中で「おかしいよ、コレ」っていう非常ベルが鳴っている。執行部の対応力の問題か?ルールのあり方の問題か?感情的な問題か?いろいろな問題が複雑に絡みあっていて、いっしょくたになって、ある特定のメンバーの抹消で処理されようとしている。(ん?ここまで書いてふと思うと、似たようなことって他の社会でもあるような・・・)執行部というのは、矢面に立たされ批判にさらされることが多い。その時に、どれだけ、メンバーにとって納得に行く説明ができるかを問われる。個人的な好みや色眼鏡でジャッジされたんじゃメンバーはたまらない。“いろいろあるんですよ~、言わない方がいいこともありますし、、、”仏心で言っているというより、保身のために発しているように聞こえるのは、私の立ち位置のせいか??客観性を取り戻すために自分の中で一人ディベートが始まる。トップダウン型で、所属メンバーや、メンバーが選出した役員に議決権のない組織の場合、せめて「どうしてそう決めたのですか?」と、納得の行く説明を求めることをしないと、執行部の暴走を抑えることはできない。質問のしかたを誤ると、反体制派のレッテルを貼られ、以降、何を言っても届かなくなってしまう可能性が高い。日本の場合、質問するだけで、反抗したとみなされる傾向があるから尚更だ。感情的にならずに、ポイントを突きながらも、相手を追い詰めない質問でなくては。。。相手を批判攻撃すれば、ますます保身のためにかたくなになってしまう。自己防衛のために攻撃してくることもある。事態はよくならない。こんなことを繰り返したくはない、と思っているのは、どちらも同じはず。じゃーそうしないためにどうしたらいいのかな?改善できることってあるのかな?そんな話がしたい。未来に目を向けた議論、ポジティブ発想の議論だ。主語は「あなたたち」じゃなくて、「私たち」だ。よぉしっ、あきらめないぞ!私は!!
August 4, 2007
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来月、大学サークルの後輩(35歳・女)が9歳年下の彼と結婚するのですが、そのパーティーの連絡を頼まれて、別の後輩(36歳・女)に久しぶりに電話しました。彼女には、1歳半になる娘がいます。で、最近出産したばかりの、別の後輩(35歳・女)の話題になりました。それから、もうすでに3児の父である先輩(37歳・男)の話題にもなりました。そして、その先輩と何カ月か前に飲んだよ~と話しているうち、そのとき来ていた、別の先輩たちの話になりました。1人は未婚(38歳・男)、もう1人は二度目の結婚ライフを満喫中です(38歳・男)。子どもはいません。* * *なんでこんなことをつらつら書いているかというと、“今の時代、人生にはものすごいたくさんのバリエーションがある”ということを、忘れたくないなーと、よく思うから。子育てに関わること周辺にいると、“子どもがいる人と関わる”機会ばかりでそれが、あたりまえみたいに感じちゃう。でも、これだけ少子化少子化と叫ばれている時代です。“35歳女。13歳と11歳の2人の娘がいる”という私はカナリなマイノリティなんだわー、ということを彼ら、彼女らと話していると、たまに思い出します。で、それを思い出すことって、絶対必要なことだと思う。(というか、マジョリティかマイノリティかなんて区分けは本当はナンセンスで(自分のことだとついついその区分を気にしちゃうけど)、実は、そこにあるのはただ単に「限りない可能性とバリエーション」なんだな、と思っています)* * *ちょっとむかしには、結婚にも、出産にも「適齢期」と呼ばれるものがアリ、そこを“みんなと同じように”進むことはきっと、「お約束」だったんだろうな、と推測しますが、その頃考えられた「常識」は今の時代にはかなりミスマッチですよね。戦前→戦後みたいな目に見える大きな変化が無いから同じ時代がのんべんだらりと続いてるようについつい見えちゃうけど、実際のところ、この10年くらいで価値観や個人の意識はものすごく大きく変わっている。自分自身も含めて。今の世の中、価値観は多様だ。そして、それは基本的にはとても良いことだと思う。* * *昨日開かれた協働フォーラムin東京実行委員会準備会で記録係を務めながら話を聞いていましたが、そのなかでものすごく心に残ったキーワードは「格差」と「地方分権」(濃い~なぁ)。その解決策の根本は、みんなが選んだ「可能性とバリエーション」を、お互いのいがみ合いの材料にしないで、お互いを認めあい、助け合っていくことができるようにしようよ!って、ことかなと思うんだけど。じゃぁ、実際それを「制度」や「実行力」として考えたときなにをすればいいのかは、なかなか難しいです。
August 3, 2007
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NHKの阿久悠さんの追悼番組を見た。デビュー当時の岩崎宏美とか、石川さゆりとか、舟歌を歌う八代亜紀とか、冬の蛍を歌う森進一とか、絹の靴下の夏木マリとか、どうにもとまらないの山本リンダとか、ピンクレディとか、夫は「やっぱり勝手にしやがれでしょう」と言い、あの頃のジュリーは、はっきり言ってキムタクよりカッコよかったと、語り合った。阿久悠さんのヒット曲はほとんど知っている(ガーン)。つくづく、わたしらは、高度経済成長期の申し子で、テレビっ子だったんだなーと、思い知らされる。でも、今見ても、ほんと、歌の力に圧倒される。普通の人じゃないよ、あの人たち。歌手という生き物だよ・・・と、腰をくねらして、カメラをぎっとにらむ山本リンダを見て思った。「それでもいいわ 近頃少し 地球の男に 飽きたところよ」と、美脚をあらわにして踊るピンクレディを見て思った。彼にヒット曲をプレゼントされた歌手たちは、ものすごく幸運だったんじゃないか?と思った。あの世界を表現できる幸運をたぶん、歌を歌いながら感じていただろうと思った。「愛というのじゃ ないけれど わたしは 抱かれてみたかった」って、すごくない?こういう言葉を世の中に送り出す人の、見ているものってどういうものなんだろう?人は酔わすが、自分は酔ってないね。間違いなく。ますます醒めるね、間違いなく。それが、職人。一流の職人の技は、どうしたって、際立つ。ほかと違う理由の一番は「伝えたいこと」がものすごくクリアにあったのだと思う。で、たぐいまれな才能がその思いに力を貸した。歌詞の行間に色があり、においがあり、季節がある彼からのメッセージ。ちょっと気をつけながら受けとめてみよう。遊んでいるところ、ひねっているところ、暗いところ、明るいところ、希望、伝えたいところ、視点、表現、計算、技術、コラボの妙。そして、時代性とひょうたんからこまの展開。「町はいま 眠りのなか あの鐘を鳴らすのは あなた」和田あき子は客席に向けてまっすぐに手を差し伸べながら、「あの鐘を鳴らすのは あなた」と、歌った。わたしも、鐘を鳴らせるだろうか?あなたは、鐘を鳴らすのだろうか?
August 3, 2007
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今井です。ほとんど趣味とかもない人なんですが、今年の夏はラヂオ体操にはまっています。健康診断で「体重が・・」と言われたこともあって。たぶん、小学校以来です。っていうか、小学校のときも最初の1週間くらいだけでしたけど。うちの近所では町会ごとにやっていて、8月1日から10日までの10日間。で、皆勤賞は500円分のマックカード。これじゃ、健康にいいのかどうかよくわかりませんね。いえいえ、カードがほしいわけじゃありません。そもそも大人はもらえません。(うちの二人の子どもは本気で狙っていますけど)こう、親子3人で朝、ぼつぼつ歩きながら、会場の近所の神社に行くのもなんか楽しい。で、始まる前にセミの抜け殻を探して遊んでます。成虫になりたての白いセミがまだ殻についてたりして、とってもキレイで、ついつい3人で見とれています。今日は今日で、おじぎ草の鉢を見つけて、他の子どもも一緒になってさわって遊んできました。で、15分くらい毎朝体操するわけです。なんとかキャンプに入隊するよりもお手軽ですし、外でみんな一緒ですから気分も開放的です。そうそう、ラヂオ体操第二なんてほとんど憶えてませんでしたから、インターネットで動画もチェックする凝りようです。ほんのささやかな時間ですけど、なんか、夏だなーって、感じです。夏は大好きなんですよね。みなさんもステキな夏をお過ごしくださいませ。********************そして一つご案内です。ケンパの和久津さん、東京こどもセンターの福田さんが、親御さんや保育者を対象にしたシンポジウムを実施されます。自分もほんのちょっとだけ企画のお手伝いをしました。基調講演の阿部先生をはじめ、とても素晴らしい方々がご登壇されます。よかったらお申し込みください。天才たちは、こうして育った!~ 特別支援教育、発達障害児への理解促進活動 ~日 時:平成19年9月1日(土曜日) 13:00~15:30 会場保育あり 場 所:東京都渋谷区宇田川町7-1 日本アムウェイ本社ビルB1オーディトリアム交 通:JR渋谷駅より徒歩10分基調講演:『子どもは海』 ~障害を持つ娘とともに生きて~ 阿部愛子(臨床心理士 NPO法人海から海へ こころとふくしの研究所所長)パネリスト: 馬場俊一(精神科医 アーツセラピー総合企画研究所所長) 佐伯裕子(三鷹市立ハピネスセンターくるみ幼児園園長) 阿部愛子主 催:ケンパ・ラーニング・コミュニティ協会 共 催:こどもプロジェクト/東京こどもセンター後 援:日本アムウェイ(株)/(株)タオ参加のお申し込みは◎ FAX 03-5325-6355 ◎ E-mail info@kenpa.org◎ 郵送 〒160-0023 新宿区西新宿1-11-11 河野ビル6F ケンパ事務局迄
August 2, 2007
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百日紅の花が咲き誇る、夏真っ盛りの山口から井出崎です。第1回目の実行委員会を終了し、今は9日にある懇談会の準備に大忙しの日々です。山口は協働フォーラムの事前準備で行われている、当日配布のプログラムに掲載する座談会を、行政とNPO別々ではなく、同じテーブルについて行うことになりました。先日の、第1回目の実行委員会の終了時に、次回の座談会の日程や内容をのんきに調整していると、山口県立大学の二村先生より「ただ、行政とNPOが集まって話し合ったら成果が出るなんて大きな間違いだよ。公僕である行政が時間をさいてくるのだから、より効果のある場にならないといけないでしょ。そのためには、NPO側は自分たちが住んでいるまちが過去5年間どんな事業をやってきているのかぐらい勉強してからきなさい」とカツを入れられました。ということで私たちは今、千本ノックならぬ、千本アンケートを実施中です。「現代の子育ての問題は何ですか?といわれて、40や50すぐに出てこなくて、何を考えるというのですか?とにかく子育ての問題は何か、お母さんたちに聞いてみなさい」これが二村先生から言われたことです。現実をきちんととらえなさい、と。それくらいわかっていますよ、と心の中で思っていました。しかし、実際アンケートを取ってみると、いつもみているきらびやかで楽しそうなママ達からは想像できないような生活としてのどろどろとした子育ての日々の迷いや不安がそこにはありました。もちろん、そんなことは百も承知でしたが、それでも、ママ達の言葉と文字で書かれたそれらは資料やグラフの数字ではわからない様々なことに気づかせてくれました。私たちは今、アンケートに書かれたそのひとつひとつの言葉をカードにし、それらをミクロな問題、マクロな問題とわけ、その課題についてたった一枚のカードも大切にしながら、制度があるのに、このような問題が出てくるのはなぜだろうか、この問題は、民間のどのような活動が支えているのだろうか、それ以外の、現在支援のない問題について、どんなことができるのだろうか、「子育てしている時期だから仕方がないね」と思われているようなこともほんとに仕方がないのか、何度も何度も問い直しています。現在実行委員のいる県内6市で、同じ作業を行っています。同じようなアンケート結果なのか、それとも市によって特色が出てくるのか、それを明日、6市で集まり見比べてみることにしています。そして、皆がやった作業の中で、感じたこと、気づいたこと疑問に思ったことを調べたり、私たちなりに考えたりしながら9日の行政との懇談会を子育ての問題について一緒に考えるきっかけにしたいと思っています。
August 2, 2007
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昨日、浜尾さんとフレンチのランチをして、会話の流れで「背中に肉ある?」と浜尾さんが聞くので、(何を言っているのだ?この人は・・・)と思いつつ、「ばりばりつまめる」と胸をはってしまった。いいんだ。「杉山さん、ビリー買ったのだいぶ前ですよね?」と石山恭子ちゃんにじろじろ指摘されても!!「丸くなったねー。誰かと思ったよ~」と矢郷師匠に肩をたたかれても!!今年の夏は、暑いぞ。燃やせる脂肪が必要なんだ(?)で。いま、なんか、静か。まず、都心に行く用事がない。で。いつもちゃらちゃらした格好で仕事している。で。9月以降忙しくなるのが目に見えている!!(燃やしどきだ)先日も紹介があったように、ホームスタートの英国ツアーがあります。詳しくは こちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/yotubaproject/diary/200707260002/わたしも山田さんも、大正大学の西郷先生も同行します。ホームスタートにさほど関心がなくても、道中、わたしたちの「子育て支援の議論(?)」に参加することができます(燃えます)。で、大学での講義が始まります。で、10月に群馬、11月に山口、12月に東京と協働フォーラムが開催されます。で、セレーノのサイトのリニューアルの準備中。で、4つ葉のサイトもリニューアルしたいと企画中。で、もろもろ企画も進行中。大丈夫か? オレ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ラブサイケデリコの「Freedom」が耳に心地よく、(伸びのある声、大好き)歌詞はとてもじゃないけどついていけなくて、サビだけ「Freedom~」と歌っていたら、「その言葉はこのまち(東京駅界隈)では禁句だ!!」と、夫が、真顔で声をひそめて教えてくれた。はっとあたりを見渡すと、平日昼間の八重洲は首に写真つきの社員証をぶらさげたおじさんと制服の女子ばかりだった。(夫は「その言葉」とは言ったが、「Freedom」とは言葉にしなかった。ひ~。わたしはキミのことが心配よぅ)しかし、先日、ホームスタートの記事が日経に紹介されたのをみたときに、「またひとつ、かかえてしまったのだな」と、思い知った。若いときは荷物も軽かった。適当にごまかしたりもしていたし、誰かの影にこそこそ隠れたりもした。第一、周囲がわたしじゃ怖くて任せてくれなかった。しかし、四十路も越え、やりたいことを明確に持つと、それなりの「荷」を背負うことになる。「わたしが腹をくくるまで、待ってくださっていたんですね」と思うこともある。大丈夫。燃やす脂肪はまだまだアル。8月は準備の月。秋冬を無事に乗り越えることができるよう、今、準備しときます。どんなに「荷」が重くなっても、「Freedom」をくちずさみながら、やりますんで。
August 1, 2007
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