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新年、山内道雄前海士町長が他界され、葬儀に参列させていただいた。
私は故人のおかげで、海士町とのご縁をいただき東京から移住。
約 8
年間、島前高校の魅力化に向けてご一緒させていただいた。
島での結婚式では仲人を務めていただき、次男には「みちお」の名前を頂戴した。
地域づくりは人づくりだという信念をもち、『若者・ばか者・よそ者』を差別せず、人の心をつかみ人を大事にする人だった。
「金がない、制度がない、前例がないという言い訳は絶対するな。なければつくればいい」と語り、本気で挑戦する人を本気で応援する人だった。
チャレンジの中身や勝算よりも、挑戦する人の本気度や志を見ていたように思う。
私が、島を出て高校魅力化を島前だけではなく島根県や日本で展開していきたいという思いを伝えたときには、「遂にその時が来たか。悠くんはいつまでも島に留まるべき人間ではない。ぜひ羽ばたいて活躍してもらいたい。」と言い、次の挑戦の舞台づくりも含めて力強く応援し送りだしてくれた。
昨年、家族でお会いした際には、子どもたちを見て「希望」だと目を細めて嬉しそうに笑ってくれていた。それが故人との最後の機会だった。
葬儀の読経後に僧侶が「葬式は、故人を偲び故人に感謝やお別れをお伝えするだけの場ではなく、故人からのメッセージをうけとる場でもあります。お一人お一人、どんなメッセージをうけとりましたでしょうか」と投げかけられた。
「生きていることが当たり前ではない。死ぬことが当たり前で、生きていることが奇跡だということ」
「故人の生き様から学ぶべきこと、引き継ぐべきものは‘情‘」など、それぞれが何かを感じ、うけとったのだと思う。
私は「次代の人づくりは、地域の未来づくりであり、希望づくりである」というメッセージをうけとった。
そして誠に勝手ながら、故人の遺志を継ぎ、次代の人づくりと教育を通して、地域と日本の未来のために貢献し続けることを御影に誓った。
仕上げ膳(精進落とし)の最後は、全員で一円になり唱歌『ふるさと』を大合唱した。
涙ながらに「志を果たし に
いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」と謡った。
故人は笑っているような気がした。
そして、つらくても希望に立ち、これからの希望を建てていける気がした。
私が死んだときに、また故人とお会いできれば、
「私は少しは恩還しができたでしょうか?いただいた御恩を少しでも次に送ることができたでしょうか?」
と伺いたい。
それまでは挑戦を続けたい。