2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全12件 (12件中 1-12件目)
1

娘のペギル(100日)のお祝いで、カニ料理専門店で家族全員が集まって盛大にお祝いをした。場所は南部ターミナル3番出口そばの「カニ専門店ヘル」実家の母は、「ヘルって「地獄」という意味の英語ね」などとわざわざメッセンジャーで知らせてくる始末( ̄□ ̄;)!!行く前に、なんと夫婦で大喧嘩してしまい、クライ表情でお店に駆けつけてしまった・・・。最近、二人して失業中なため、夫婦仲がよくないのではないかと疑っている義母。さすが鋭い・・・。別にお金のことで喧嘩した訳ではないのだが、なぜか「出かける日」「特別な日」に決まって揉めてしまう。お互いに神経が高ぶっているからだろうか・・・。Mr.クデギの家族は義母、伯母、伯母の長男一家(3人)、姉一家(4人)、兄一家(4人)、妹一家(5人)、そしてうち(4人)の総勢22人。駆けつけるなり義姉(兄嫁)が駆け寄ってきて、「今いちばん大変な時期だと思うけど、家族みんなでがんばろうね」と、義姉、義妹、そして兄嫁で集めたお金を封筒に入れて、断る私に強引に握らせた。涙が出てしまった・・・。我が家のお祝いで、我が家が招待した席なのに・・・。娘は皆に交代で抱かれ、ぶちゅぶちゅとキスの嵐を受け、もみくちゃにされていた。子供達(満4歳~12歳)が娘を一斉に取り囲んとき、姪の一人が「赤ちゃんを触る時は手を洗わなくちゃいけないんだよ!」と声をかけ、皆一斉にドタバタとトイレに行き、順番に手を洗ってやってきた。なんてかわいいのだろう。一通りお料理を平らげた頃、義姉から、「妹の旦那が支払い済ませておいたらしいから」と耳打ちされた。ええ!そんなのダメダメ!!さりげなくMr.クデギを呼んで部屋の外に。「うちのお祝いなのに、こんな高額を払ってもらうわけには行かない。なぜ先に清算しておかなかったの・・・」と言ったら、義妹の旦那さんは「今年で私たちは結婚10周年。でも、いつも仕事で忙しくて家族の集まりにも参加できなかったし、家族そろっての食事すら一度も企画できなかった。今日はぜひ私に支払わせて欲しい」と言ったそうだ。義妹の旦那さんは、昔義父のチェサ(祭祀)の時に「日本は嫌い」発言をして、大変な騒ぎ?になったことのある人。当時は私も結婚したばかりで、バカなことにその場で泣いてしまった(今振り返っても、泣くだけなんて本当にバカだ)。でも、その場で「あなたは家族なんだから何ら否定的な感情はない。日本という国と家族の一員であるあなたとは切り離して考えているから」と言われ、何となくしっくりしないまま、うやむやになったことがあった。それ以来、義妹の旦那さんには何となく近づけない自分がいた。でも、昨日、ずーっと娘を抱いていてくれたのは義妹の旦那さんだった。そして支払いまで・・・。とりあえず、来週家族皆で遊園地に遊びに行くことに決まったので、その時の費用をうちが持ち、残りを「子供達に使ってください」と義妹に渡そうと思っているのだけれど、それだけでは何となく私の気が済まない・・・。Mr.クデギはそれで良いというのだけど・・・。家族の皆には気を遣わせてしまって本当に申し訳ないと思う。Mr.クデギにもうちょっとがんばってもらいたい。日本に行くまでの期間限定の「休暇」だと思わずに。家族にこんなに迷惑をかけているのだから・・・。考えがまとまらないまま書き綴ってしまったけれど・・・。娘よ、改めて100日おめでとう。携帯で撮った写真なので、ちょっと本当の顔と違うのだけど、一応画像↓
2004.10.31
コメント(4)
新潟中越地震で不明となっていた母子に関しては、多くの人がその救出を固唾を飲んで見守り、無事を願っていたことだろう・・・。うちと家族構成が同じなので、まるで自分のことのようにショックだった。ニュースを見るたびにショックで悲しくてボロボロ泣いているうちに、昨日から母乳まで出が悪くなってしまった・・・。それでも、男の子が無事だったのは本当に何よりだった。多くの人がテレビカメラの前で「お母さんとお姉ちゃんの分まで生きてくれると思います」と言っていたけれど、私は「”お母さんとお姉ちゃんの分”までがんばらなくていいよ」・・・と言ってあげたくなった。自分の運命を受け入れるだけでも大変なことなのに、お母さんの分、お姉ちゃんの分・・・なんて重荷を背負わせないであげて欲しいな・・・と。ところで、お父さんがインタビューに答えていたのを見て気になったことがある。奥さんとお嬢さんを失っただけでも耐えられないほどの悲しみに暮れているはずなのに、涙一つ浮かべずに、感情を押し殺したような表情で、ひたすら「感謝の気持ち」ばかりを口にしていたのだ。「救出してくださったレスキュー隊の皆様に感謝します」「居場所を与えて下さった皆様に感謝します」「皆様のお陰です・・・」と・・・。奥さんについては「紅茶や中国茶などをやっていて、家族にお茶を入れてくれたことを思い出します」、お嬢さんについては「一緒にお風呂に入ったことを思い出します」と、まるで他人事のように淡々と話していた。日本にいたらごく当たり前の光景なのかもしれないが、韓国に住み、自分の感情をぶちまける人々にすっかり慣れてしまった私は、テレビを見てちょっぴり違和感?のようなものを感じてしまった。と同時に、あれだけ感情を内に秘めて表に出さない姿に圧倒されてしまった。一種のカルチャーショックだった。もちろん、家族のために多くの人が命を投げ打って救出に全力を注いで下さったという気持ちから、どれほど感謝しても足りないという心情なのだろうと思う。短いインタビューの時間内で、それを最優先に口にするのはごく自然のことなのかもしれない。が、身内の死に我を忘れて地面をのた打ち回って悲しみを表現する韓国人とはあまりにも対照的だった。日本人は小さい頃から、周りの人間関係を円滑にするためにも、恥ずかしくないように、感情を表に出さないように・・・と教え込まれる。災害時にもパニックにならず、冷静に秩序を保って生活する日本人を、韓国人は立派だという。今日は思いがけず「韓国人」的な感覚でそのカルチャーショックを感じてしまい、そんな自分に戸惑うと同時に、ちょっと新鮮だったので書きとめておこうと思った。ところで、先日日本に一時帰国したとき、実家の両親にあれこれ言われたのが大変ストレスだった。「ご近所に聞こえるから小さな声で話しなさい」「お隣さんに迷惑になるから窓は開けちゃだめ」「暗くなったらシャッターを閉めないと外から見えるから気をつけなさい」等々・・・。なんて窮屈なのかしら・・・と思ってしまった。ここに住んでいたら、隣で家をぶち壊していようが何しようが、菓子折り持って挨拶に尋ねてくるような人もいないし、道端で大声で喧嘩している光景なんてしょっちゅうだし、「周囲に迷惑をかけないように暮らす」なんていうのはそれほど気を遣わなくてもよかった。改めて、日本は恥の文化大国なんだなぁと思った一日だった。
2004.10.29
コメント(4)
今日は誕生日。といっても、Mr.クデギには何にも期待していなかった。恋愛していた頃はそれでもいろいろとプレゼントを送ってくれた。遠距離恋愛を4年間していた頃も、延世大大学院に留学していたときも、誕生日のプレゼントは欠かさずくれていた。でも、釣った魚にエサはやらないとはMr.クデギのこと!結婚してからプレゼントらしきものはもらったことがない。花一輪、手紙一通でも喜べる女心などわからないのね・・・(ToT)そういえば、初めての結婚記念日は確かMr.クデギがチョコパイとポッキー、ヨーグルトを買ってきて、チョコパイを重ね、ヨーグルトを塗って、その上にポッキーを刺し、即席ケーキを作ってお祝いしてくれたんだっけ。あの時は、「この素朴さが良いのよね。あたしって幸せ♪(はあと)」なんてウブだった私・・・。まさか、それが最初で最後のプレゼントだったとは・・・( ̄□ ̄;)!!昨年の結婚記念日(10月3日)に、「今日何の日か知ってる?」と聞いたら、「ケチョンジョリンガ?(開天節だっけ?)」と言われて爆発したんだっけ・・・。確かに10月3日は開天節で休日だけどさ・・・(-"-;)誰だ?韓国男性は日本男性より情熱的で愛妻家だなんて言ったのは?ところが、今日はユハを迎えに行った帰り、ケーキとプレゼントを手に家に帰ってきた!えええ~意外~!!ど、どういう風の吹き回し??ケーキはユハが選んだそうで、ユハの手書きのカードまで入っていた。プレゼントは薄手で軽いオシャレなダウンジャケット。試着してみたら、ピッタリ。お金もないのに・・・まったく。でも、とても嬉しかった・・・。夕食は「海老の踊り食い」と決めていたので、近所の刺身屋さんに行ってきました。イカ刺しからお寿司までたらふく食べてしまいました。うーん、みんな揃って一緒にご飯食べられるだけもありがたいことなんだな・・・。
2004.10.27
コメント(9)
娘を妊娠する前の話である。ある晩、こんな夢を見た。体育館のような建物の中に、家庭科の調理実習で使うような机が整然と並べられていて、各自なにやら忙しく動いている場面。私もその場にいるのだが、その中で一人だけ動かずにじーっと私を凝視している女性がいた。見たこともない人だったが、ただただ私を凝視するその目が異様にきつく、とても後味の悪い夢だった。何となく気になり、ネットで相談に乗っている、とある霊媒師さんに相談した。別に普段そんな相談をしようと思うことなどないのに、なぜかその時だけはその人に聞いてみようという気になった。その霊媒師さんには、「海外在住」とだけ知らせ、他の個人的な情報は一切知らせなかった。その霊媒師さんは丁寧に返信をくださった。その内容はこんなものだった。「トイレの窓から確かにキツイ目の霊が家の中を覗きこんでますね。夢に出たのはその霊でしょう。しかし、他の悪い霊を呼び寄せない役目を果たしているので、そのままにしておいて良いでしょう。ただ厄介なのは、台所にいるおばあさんです。台所に緑色のものが置いてあるでしょう。そこに壁に背を向ける格好でおばあさんが座ってます。そのおばあさんは悪い霊を家に呼び込んでます。ベランダ側にこれから言うとおりに白い糸を張って霊の進入を防ぎ、おばあさんは甘い香りが苦手なので、ココナツを台所に置くようにしてください。」このメールを読んで、心底ぞっとした。なぜなら、台所の下に新品の緑色のまな板が置いてあり、以前から、出かける際に家の電気を消すと、必ずユハが台所を指差し、「ムソウォ、ムソウォ(怖い、怖い)」と言っていたからだ。背筋がぞぞーっとした・・・。会社の帰りにさっそく輸入食料品の専門店に立ち寄り、ココナツを買い、白い糸と画鋲を買って家に戻った。暗い家に戻って電気をつけるのが本当に怖かった・・・台所の隅に何か見えるような気がしたからだ。霊媒師さんは「これで解決しなければ、また方法を考えましょう」とのこと。後日、その話をMr.クデギが義母にしたらしいのだが、義母が思いの他その話を深刻に捉え、除霊の儀式に詳しい知人を連れてくると言い出したのだ・・・。儀式の当日、義母から電話があり、事前にいくつかの注意事項を言われた。まず、「義母と知人が尋ねても、必ず知らない人が来たかのように振る舞うこと」、「儀式の間は言われたとおり従うこと」、「家を出る時に別れの挨拶をせず、最後まで知らない人のように振る舞うこと」、「儀式の翌日は、絶対に義母に電話をしないこと」。その日の夜、義母とその知人の方がやってきた。義母の知人は60代の女性で、私の母方の祖母にそっくりな人だった。私は言われたとおり、知らない人が尋ねてきたようなそぶりをした。二人は台所に立ち、何やら丁寧に食事の準備をし始めた。その女性は塩と唐辛子粉を白い布で包み、口をしばったものを家の隅々に撒いた。ご飯やナムルなどの食事を作り終えたその女性は、何か割れるようなプラスティックの容器がないかと言ったので、台所にあったピンク色のプラスティックのボールを手渡した。丹念込めて作った料理をすべてボールにあけ、その女性は包丁を持ってそれを十字に切り裂きながら、何やらブツブツと念仏を唱えていた・・・。その殺気立った後姿は見ている私を圧倒した。念仏を唱えた後、ボールと包丁を持ってユハのところに行き、包丁でユハの髪の毛を削ぎ落とすような仕草をした。その後、「ボールの中に向かって3回唾を吐きなさい」と言われ、私はその通りにした。その時、ユハがこう言った。「ナ、イジェアンムソウォ。クィシン オプソジョッソ。(もう怖くないよ。お化けいなくなったよ。)」びっくりした。除霊の儀式をすることなど知らないはずなのに・・・。ユハがまだ満3歳にもなっていない時である。女性と義母は、そのボールを持ったまま、嵐のように去っていった。あっという間のできごとで、ただただ唖然としてしまった。Mr.クデギが仕事を終えて帰ってきたとき、こう言っていた。「家の前の通りの入り口にあるドブに、うちのピンク色のボールが逆さになって割れていた。あれを見て、ああ、今日儀式をして帰ったんだと思ったよ」と。つまり、霊がその場所から入ってこられないようにするためのものらしい。==============================翌日は、義母に電話したくてたまらなかったが、ひたすらガマンした。翌々日、義母から電話があった。儀式をしてくださった女性は、その日の夜に夢を見たそうだ。家に居座っていた霊が現れ、自分が負けたと認めたそうなのだ。「だからもう大丈夫だよ」とのことだった。後に義妹も心配して、霊視ができる人のところに行って相談してくれたそうだ。その人の話では、「子宝に恵まれない家庭の一粒種であるユハを可愛がろうとした霊が住み着いていたらしい」とのこと。「子宝に恵まれない」というのは、私が二度流産していることを指していたのだろうということになった。その後、4度目の妊娠で、私は無事に娘を出産することができた。それまでは、Mr.クデギの仕事も失敗ばかり、私も妊娠しては流産を繰り返す・・・で良いことがなかった。普段霊など信じることはないのに、なぜあのとき霊媒師さんに相談したのか未だに謎なのだけど、親切な霊媒師さんが相談に乗ってくださったことと、それを深刻に受け止めて知人を連れてきてくれた義母のお陰で、危機を乗り越えられたような気がしている・・・。それにしても、あの時ユハの目には一体何が見えていたんだろう。ちなみに、ベランダ側に張った糸は、掃除機をかけていたらブチッと切れてしまい( ̄□ ̄;)!、今はそのままになっている。霊が入り放題(爆)の状態になっているわけだが、今のところ何も不都合は起きていない(^_^;)================================気分新たに名前と文体を変えてみました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
2004.10.26
コメント(6)
知人が猫ちゃんの里親を探しているそうです。日本猫(♂)で4歳。柄はサバトラ。室内飼いの猫ちゃんだそうで、トイレも決められた場所できちんとするそうです。関心のある方は私書箱までご連絡を!
2004.10.24
コメント(0)
朝起きると、出勤する人たちの乾いた足音がコツコツコツと聞こえてきます。ああ、秋だなぁと感じる一瞬です。韓国には、春や夏という季節はあまり似合わない気がします。空が高くなり、日中の日差しが刺すように強く、肌がピーンとなるほど空気が乾燥し始める季節が、私の持つ韓国のイメージにぴったりなのです。なぜ韓国=秋なのでしょうね・・・。私が生まれて始めてソウルを訪れたのは1995年の秋でした。当時の印象が強かったからでしょうか。あの年に慶州で母と見た紅葉の素晴らしかったこと。陽の光に照らされたもみじが黄金に輝き、時間と共に刻々と色を変えていく美しさ・・・脳裏に焼きついている当時のあの紅葉を、もう一度見てみたいと何度思ったでしょうか。町を歩いていると、あちこちから上がる湯気、バスのブレーキ音、ドラム缶で焼き芋を焼くアジョシの姿、屋台のスンデにトッポッキ、我が家のオンドルのボイラー音・・・もう韓国で秋を過ごすこともないのだなぁ。
2004.10.23
コメント(0)
韓国では家族内で金銭トラブルが起こることが多いと聞きます。韓国人と結婚し、韓国での生活をスタートさせてから夫に借金があることを知らされたり、義母、義父の借金の肩代わりをさせられる羽目になったり、「貸したはずの借金が一向に返って来ない」などという話もよく聞きます。韓国人にお金を貸す時は「あげたと思え」という意見もあります(その通り!)。韓国では、まだまだ生活の糧を得るだけでも精一杯という暮らしをしている人も多いです。そのため、親戚のうちの誰かが事業に成功したり、海外移民した先で成功した・・・となると、ここぞとばかり一斉に「たかる」!たかられた方は最初は面倒みようとするのですが、そのうちどっしりと皆の生活が圧し掛かって動けなくなり、挙句の果てに「一族共倒れ」というパターンも┐('~`;)┌私の知り合いにも、40代半ばで独身の男性がいますが、「私は長男でいつも家族の過ちの尻拭いをさせられるので、結婚できません」と言ってる人がいます。彼は日本留学中にアルバイトで毎月35万円を稼いでいたらしいです。韓国に帰国してからは、弟が起こした人身事故の尻拭いをし、姪が田舎から上京してきたからと生活の面倒を見(お姉さんに頼まれたそうです)、母親が具合が悪いからと治療費を全額出し・・・と常に「誰かしらの世話」をしているため、いつもお金がないと嘆いています。Mr.クデギの知り合いは、ソウルで皮革専門店を経営してますが、叔父さんがアメリカで会社経営をして成功している人らしく、一族がその会社の役員に名前を連ねているそうです。その知り合いは、「今の店舗の買い手がつき次第、アメリカに渡る予定」とのこと。現地に渡りさえすれば、毎月お給料が振り込まれるのですから、気楽なものですよね・・・。Mr.クデギも、雇用主が副業で関わっていた不法ビジネスが原因で取調べのため警察に連れて行かれた時、問題なしということで釈放されてからも、元の雇用主を助けなければならないと言って聞きませんでした。自分が失業したことで我が家の生活がどうなるかという心配よりも、世話になった雇用主の家庭の心配をしているのです。我が身を投げ打って他人を助けることが一種の美徳になっているこの国ですが、自分に余力があって人助けをするのではなく、自分も食べていくのが精一杯な状況で他人を助けようとするのだから厄介です。これは韓国特有の「情」の関係から来るものだと私は思っていますが、外国人にとっては迷惑極まりない概念です。私の義母は食堂を経営していますが、そこの常連さんから「財テク」の話を持ち込まれ、ついつい乗せられて大金を払ったところ、見事に詐欺に遭ってトンズラされてしまいました。「常連さんだから・・・」と「情」を信じたところにつけ込まれました。しかも、失業中の息子(Mr.クデギ)に、「嫁には内緒で・・・」と釘を刺した上で借金していたのです。Mr.クデギは私に内緒で、義母に数百万ウォンを貸していました。しかも、「昔からの親友の子供が大学に進学するのだけど、学費が足りなくて困っているらしいから貸して上げたい。だから少し工面してくれないか」とMr.クデギに言ったらしいです。嘘までついて金を出させるなんて!(しかもその理由がまた韓国チックな「情」に訴える話・・・)先ほど「成功した親戚にたかる」話をしましたが、こんな話もあります。我が子を育てられないと海外に養子に出した母親が、後に生みの親を探して尋ねてきた我が子に対し、「あなたは裕福な家に養子に行って成功したんだから、この貧しいお母さんをちょっと助けてくれないかい」とやっぱり「たかる」のだそうです。もちろん、それが一般的なケースではないでしょうが、発想が実に「韓国人らしい」と私は思ってしまいます。生みの親とはいえ、自分を捨てた親。そんな親の老いていく姿に抱いた憐憫に、ここぞとばかりつけ込まれ、子供としてはやり切れない思いではないでしょうか。昨日、久しぶりに家族で集まりました。最近は、家族で集まるといつも私達の日本行きの話題ばかりです。近所の食堂に出かけ、テジ(豚)カルビをつつきながら義母は私に向かってこう言いました。「あんたたち、日本に行って成功したら、長男夫婦を呼び寄せて、長男一家の分も面倒見ておくれ。お願いするよ。」で、出たー( ̄□ ̄;)!!その一言!長男夫婦は「な、なんてことを!!!」と驚愕した表情で、目の前で手をブンブン振って否定していました。義姉(兄嫁)は「お義母さん、外国人であるドンソ(下の嫁=私)が誤解したら困るじゃありませんか。私はどんなに生活が厳しくなっても、誰の助けも借りずに自分で食べていきます。人に頼るようなことはしたくありません」ときっぱり言ってました。後に義母も「別にお金くれって言ってるんじゃないでしょ。就職口でも紹介してくれたら・・・っていう意味よ」と言い直してましたが、誰かが就職したら、ずらずらと「兄弟もよろしく」「従兄弟もよろしく」とコネを期待する韓国人ならではの思考回路には違いありません・・・。私の知人は、韓国人と日本人の違いをこう表現していました。困った人が目の前にいたら、韓国人はまずその人の口に温かいご飯を入れてあげる。日本人は職を紹介してあげる、と。困っている人がいるときに、お金を渡すのはいちばん手っ取り早い方法ではありますが、安易に手に入れたお金はありがたみが湧かないだけでなく、その人のためになりません。身近な人の情に訴えて「何とか助けてもらおう」とせずに、自分の力でコツコツと積み重ねて行くしかない。また、コツコツ積み重ねている途上の人にとって、他人の手助けをすることは我が身を滅ぼすことにつながりかねない。そういう「当たり前のこと」が通じないことが多く、ストレスが溜まります。
2004.10.18
コメント(8)
数ヶ月ぶりに地下鉄に乗りました。なんと、シートがアルミ(?)剥き出しになっていてびっくり。カバーをごっそりはがしてしまってありました。お尻がイテテテ・・・(>_
2004.10.15
コメント(4)
12月に日本に引っ越す予定でいましたが、住んでいるアパートの大家さんから「寒い時期に入居する人はいないだろうから、11月か来年の春にしてもらえないか」と言われました。日本での再就職の都合上、来春までこちらにいる訳には行きません。11月に引越しとなれば、今月中にはすべての荷物を処分し、引き揚げるための準備をしなければなりません。というわけで、先日会社に辞表を出しました。いろいろと背後にはここには書けない事情もあったのですが、そういうこともひっくるめて社長と上司に話をしたところ、すんなりと承諾してもらうことができ、一応円満退職という形を取ることができました。ところが、問題が生じました。大屋さんの話によると、最近不景気だし、不動産もなかなか動かない。11月に入居者がいるかどうかも分からないので、最悪の場合、契約が満期になる4月まで出られないかも知れないというのです。どなたかが楽天日記で「韓国の引越しは玉突き引越し」と表現されてましたが、まさにピッタリの表現で、韓国では「入居する人」と「出て行く人」が同時に動くのが慣例となっています。特にチョンセ契約(高額の保証金を払う代わりに月々の家賃なし。保証金は契約期間終了後に全額返金)の場合、新しい入居者から大屋さんが保証金を受け取らない限りは出て行く側も保証金を返してもらえないため、自分の都合で引越しの日を決めるということができません。このまま入居者がいない場合、数ヶ月間ただボーっと暮らすことになりますが、収入もないのに生活費はどうするのか・・・。私と子供達だけ日本に戻り、来春までMr.クデギは韓国に残ってバイトでもしながら保証金を返してもらう日をひたすら待つ・・・なんていう事態まで想定していますが、一体どうなることやら・・・。引越しの目途が立たない限り、具体的な引越し作業に入る訳にも行かず、途方に暮れています・・・(ToT)
2004.10.14
コメント(6)
2ヶ月半になった娘。最近とっても表情豊かになって、側に行くだけでニタァと笑ってくれます。3460グラムだった体重も6キロになり、身長も10センチ伸びました。一人遊びも上手になって、「アー、ウァー」と天井に向かって一生懸命話し掛けています(^^)2週間ほど前から、こぶしを振り上げてじーっと見つめる「ハンドリガード」が始まりました。寝転がったまま、右手のこぶしを高々と掲げ、じーっと見つめています。世の中こんなに不思議なことがあるのか?ってな顔です。視界に自分の体の一部が登場するというのは、赤ちゃんにとってはとっても不思議な体験なのでしょうね・‥…・・・★ あまりに高くこぶしを掲げるので体が回転しそうになり、バランスを取るために反対側の手で自分の服を握り締めています(^^)最近娘はすっかりパパの恋人になってしまいました。パパがやってくると目をキラキラさせて熱い眼差しを向け、ニカーッと満面の笑顔を浮かべます。私が抱いてもおっぱい以外は用なしってな顔なのに、パパが抱くとパパの胸にしがみついてアイコンタクトしながら「アー、ウー、ウァー」となにやら訴えてます。パパは「おーそうか、そうか」と答え、なにやら二人にしか通じない言語で話し合っています(+_+)娘は今から男性のハートをつかむ術を心得ているようです(-"-;)そんな娘のことを、Mr.クデギは家族に会うたびに「うちの娘はもう言葉をしゃべるんだよ」と自慢しまくり。みんなに親ばかと笑われています。久しぶりに娘の近況報告でした(^O^)
2004.10.13
コメント(4)

ただいま~。1週間の間日本に帰省してました。日本到着の日。成田空港に着き、税関を通りターンテーブルに出てくる荷物を受け取って、さぁ、両親がいるはずの出口へ・・・と出て行くと、いきなりものすごい人!人!人!!! とにかくびっしりと人が集まって、私達の方を見ています。地面に座り込んでいる人、遠くの方で背伸びしている人、皆手に手に携帯電話を掲げ、撮影の準備までしています。これ、一体何??地面に座っている人の中の一人に尋ねてみました。「誰か来るんですか?」その人は、無言で手にしていた写真集の表紙を私に見せました。 そこにあったのはイビョンホン。ふーんなるほど、これが噂の韓流かぁ・・・と思いつつ、そのまま歩いて出ていったのですが、行けども行けども恐ろしい数の人の壁が出来ていて、一体両親がどこへ来ているのか分かりません。人込みにもみくちゃにされながら、必死で両親の姿を探しましたが、左右に分かれた二つの出口の間をびっしり人が埋め尽くしているので、これでは到底出会えそうにありません。仕方なく、公衆電話から父の携帯に電話をかけることにしました。やっとの思いで人込みから脱出し、ターミナル隅にある公衆電話へ。ところが、ここにも人の壁。すいません、すいません・・・とかき分けながら、ようやく目の前に黄緑色の公衆電話が見えました。ああ、あったあった・・・と近づくと、目の前に現れたロープに遮られてしまいました。警備員さんに「すいません、公衆電話を使いたいんですけれど」と言うと、「あ、ちょっと今使えないんで。」とあっさり却下。「今帰国したところで、この人込みで家族と会えなくて困ってるんです」と食い下がりましたが、「警備の関係上ちょっとそれは・・・。ご理解ください」とやっぱり却下。相変わらず、周りにはアガッシからアジュンマまでの女性ファンのムンムンとした異様な熱気が漂っていました。連絡が取れず途方に暮れていると、何だか怒りが込み上げてきました。(-_-メ;)・・・クソッ、この韓流って何なんだ~っ!!こっちはお陰で大迷惑なんじゃ~!!仕方なく、Mr.クデギとユハ、娘の三人をその場に待たせたまま、ターミナルの端から端まで自力で探すしかありませんでした。ウロウロ、ウロウロ・・・15分ほど探し歩いたでしょうか。同じく人込みの前で途方に暮れている母の姿を見つけました。おかーさーん!母「もう大渋滞でね。お父さん駐車場に車が止められないので外で待ってるのよ。」とのこと。母にこの人込みがイビョンホンの来日のためであることを説明しました。母「あらそう。あの人今すごい人気なのよね。」その一言を聞いて、また母に会えた安心感も手伝って?、せっかく来るのに見ないで帰るのも急にもったいない気がしてきました。話の種に見て帰ろうか・・・。韓国では毎日のようにテレビで見ていた顔だけれど、生ビョンホンってのも一度見てみても良いかな・・・。母に携帯電話を借り、再び人込みに近づいて行きました。列のいちばん前の人は、警備員さんと顔見知りなのか、とても親しそうに話しながら中の様子などを教えてもらっているようです。おっかけかしら・・・。とその時、遠くの方でざわめきが起こりました。周りのアガッシ、アジュンマたちが一斉に携帯電話を掲げます。おお、ついに出てきたか? 私も周りにつられて思わず携帯を高々と掲げてしまいました。見ると、遠くからスーツ姿のガードらしき人が数名出てきました。いよいよか?!とその瞬間、重々しい表情だったガードさんがいきなり表情を崩してニコニコしながら、「これは練習です」。アガッシ&アジュンマ「な~んだ~」。(ーー;)ふと我に返りました。わたしゃ一体ここで何をしてるんじゃ。韓流ブームに乗るアジュンマと同じじゃないか。くだらん・・・。早々に引き揚げることにしました。###新しく住むところに到着。早速近所にご挨拶に行くことにしました。いろいろと家族で話し合った結果、最初から韓国から来ましたと話して置いたほうが良いだろうということになりました。どんな反応が来るかな・・・とちょっとドキドキ。「海外から来た」という話になると、必然的に「どちらから?」という質問がやってきて、自然と「夫が韓国人」という話の流れになりました。驚いたのは、どこのお宅に話をしても、「今ヨン様すごいですよね~」とか、「今度キムチの漬け方教えていただけます?」などという反応が返って来るのです。(この方は、週に何回か韓国料理のカルチャースクールに通ってるらしいです。)中には「今韓国人男性って人気あるんですってね」( ̄□ ̄;)!!なんつー反応までありました(^_^;)ってなわけで、空港では韓流で迷惑を被りましたが、引越し先ではこの韓流ブームがとてもよい影響を与えてくれました。やっぱり韓流ブームはよかったのだろうか?Mr.クデギは、ユハを連れて、家の前の通りで遊んでいました。早速ユハは大きな声で「アッパ!アッパ!」とやっています。これじゃ近所から苦情が来ないかしらん・・・。ところが、1時間ほど経って、娘を抱っこしながらふと外を見ると・・・Mr.クデギがご近所のママさん方とそのお子さん達と一緒に、井戸端会議をしているではありませんか!( ̄□ ̄;)!!持っていった子供用の車に順番に子供達を乗せながら、Mr.クデギが遊んであげている様子です。しかもママさん達とMr.クデギの輪から時折笑い声まで聞こえてきて、なんとも和やかな雰囲気!すっかり親しくなってしまったようです。以来、連日のようにMr.クデギはユハを連れて外に出かけ、ご近所の皆さんと仲良く談笑して帰ってきました。パーフェクトな町内デビューを果たしたMr.クデギでした(^_^;)母曰く、「これからご近所の人たちは”あら、あそこの韓国人の旦那さん、外に出てるわ。うちの子遊ばせておいてもらおうかしら”なんてことになって、子供達を外に出しておき、その間に家事ができるなんて重宝されたりしてね」・・・(ーー;)そうか。私は働くことが決まっているので、Mr.クデギは近所のシッターをやれば良いかな?ついでに韓国料理教室なんかも開いちゃったりして?!なーんて冗談を交えて家族で話し合いました(笑)ありがたや、韓流・・・かな?
2004.10.10
コメント(2)

私はお菓子のマイブームが始まると、そればかり買ってくる癖があるのですが・・・。出産前に突然「COMBOSブーム」が始まってしまいました。これがコンボス↓ アメリカの輸入菓子です。カロリーが高そうなので一日5,6粒?しか食べませんが・・・。出産前に教保文庫という大型書店に売られているのを知り、買ってきて食べたら「ああ、懐かしい~もっと買ってくれば良かった」とさんざん後悔し、明日絶対買いに行こう!と思っていたら、翌日に陣痛が来てしまい(爆)、とうとう買いにいけなかったのでした。先日久々に教保文庫に行く用事があり、やっと念願のコンボスを二袋買い、喜んで家に帰ってきました。ところが、後の楽しみに取っておこうとお店の袋から出した途端、中身のお菓子がコロコロと袋の中から転がり落ちて来ました。(゜ロ゜)ギョェなんと・・・袋が開封されていたのです。ショック!なぜ買ったときに気づかなかったんだろう!行きはバスに乗り、帰りは子供を抱えていたのでタクシーで帰ってきたのに!交通費だけでもすごくかかったのに!交換なんていまさらできないし・・・。途方に暮れながら何気なく袋の裏面を見ると、輸入代行会社の電話番号が・・・。ダメもとで電話をしてみたところ、交換してくれるというではありませんか!\(^O^)/ヤッターコンボスは品薄のため、チュソク後のお届けになりますと言われ、今日はチュソクも終わったし、そろそろかな・・・と思っていたら、ピンポーン!来た来た!一袋交換かと思ったら、なんと配達員に渡されたのは結構大きな箱。開けてみたら、241グラム入りの袋が5袋も入ってました。うわー太っ腹だな~(ちなみに買えば一袋3500ウォン。上の写真は35グラムとなってるので、一袋がどれだけたっぷり入っているかがお分かりになるでしょう!)。ってな訳で、思いがけず大量のコンボスを確保することができました。しばらくマイブームは満たされそうです。こんなことで喜んでいるからアジュンマなんだなぁ・・・(´ヘ`;)ハァ
2004.10.01
コメント(4)
全12件 (12件中 1-12件目)
1