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こんにちは~。ご無沙汰しております。重症急性すい炎の合併症でお腹を30センチも切る大手術をした父は退院2日後に再び高熱で緊急入院しましたが、その後順調に快復して8月末には無事退院しました。主治医の先生も原因が分からないようです。あの時父は「もうダメかもわからんね」と本気で諦めかけていたようです。よくぞ生きて帰ってきてくれたと思いました。1週間後には職場復帰し、今ではほぼフルタイムで仕事しています。ものすごい生き様を見せられました。*** *** *** *** *** ***バタバタとしているうちにミクシィのアカウントにログインできなくなり(登録しているホットメールにはアカウント認証のメールが記録として残っています)運営の方に問い合わせても無視。(問い合わせ受け付けました、後程対応いたしますの連絡のみ)退会することすらできず、マイミクさんたちにも連絡取れず困ってしまいました・・・。以前、別のアカウントを作って自分のアカウントと相互マイミクになっておいたのでそちらからマイミクさんの一覧だけは見られる状態なので1名の韓国関連の方のみご連絡させていただきましたがやはり信じてもらえなかったようですね・・・仕方ないです。私でも同じように警戒したでしょう。大事な限定記事などもたくさん書いていたので見られなくなって残念だな・・・。ネットで検索したら、ミクシィのみならずアカウントの乗っ取りはたくさんあるみたいですね。せめて退会できるようになっていれば被害が広がらないと思うのに・・・。なんて、久々の記事で愚痴になりすみません・・・
2014.12.10
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すい臓の半分と、大腸の穴が開いた部分の切除、縫合、さらに脾臓全摘出という、5時間半にわたる大手術を受けた父。術後12時間も経たないうちから歩き始め、執刀医の先生もびっくりの、脅威の回復力を見せています。というより、父の意思と気力は凄まじいものがあります。私は浅はかでした。大手術に送り出すとき、覚悟を決めた父を見て、引き続き、家族一丸となって全力でサポートしようと心に決めてきましたが・・・「手術を覚悟する」ということは、術後の「切ってしまってもう後戻りできない」状態から、すなわち「待ったなしの状態」から、激痛に耐えながらも何としてでも治って帰るのだという強い強い意志を持ち続けるという覚悟なのですね。当たり前だろうと突っ込まれそうですが、私はここまでの覚悟を実感を持って想定してなかったかも知れません。結婚は結婚式がゴールじゃないとか子供は産めば終わる訳じゃないとかそういう話とも通じるものがあるかも知れませんが(ちがうのだけどあえて類比)「命がかかっている」という点では、大手術という最後の手段は壮絶なものがあります。泣き言一つ言わず、口を一文字に結んで術後の極度の喉の渇きにも耐え、激痛にも耐え、必死で立って歩く父。なんかね。生まれ変わった人みたいに見えます。父の姿から、たくさんのことを学びました。私はまだまだ甘すぎるのだと教えられました。3ヶ月、必死でやってきたつもりだけど、私は何もしてなかったのかも知れない。でも、家族のためにまた再起をかける父に私は何もできなくても寄り添い続けます。
2014.08.04
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前回、父が退院したと書きましたが・・・2週間後、再び検査結果が良くなく、再入院することになりました。再入院してから16日が経ちました。2度目の手術もしました。耐性黄色ブドウ球菌が検出され、抗生剤を組み合わせて投与していましたが、約2ヶ月もの長期にわたり抗生剤を投与した副作用で腎臓の機能が低下していると言われ、抗生剤を減らすことに。今のところ、炎症の数値は安定していて、熱もなく、退院のタイミングを計るために慎重に検査を重ねています。が、ここでまた新たな不安材料が出てきました。すい炎の合併症で嚢胞ができたとき、その嚢胞の膿が触れていたであろう大腸に穴が開いているかも知れないそうです。正直、父も弱気になってきていて、母も、私も、どうやって励ませば良いのか・・・。すい炎ってこんなに怖い病気だったのですね・・・。初めて最悪を覚悟したときには、何が何でも生きて帰す、このハードルをクリアしたらこれ、これをクリアしたらこれ・・・と一つ一つ階段を登る思いで過ごしてきましたが・・・耐性菌に腎臓機能低下に大腸に穴・・・となると・・・。もう今さら他の病院を探す訳にも行きませんので、現在の医療チームにお任せするしかありません。とにかくあきらめることだけはしないと誓っていますが、これでもか、これでもかと気落ちすることばかり発生するとさすがに前向きでい続けるって難しいです・・・。でも、本人が一番辛く大変なのだから、精一杯お見舞いに行き、手伝えることは手伝い、励まし、そして私は父の会社を守ることに最善を尽くします。父に完治して帰って来て欲しいです。心から。絶対に元気になって家に連れ帰ります。
2014.07.11
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5月3日のGWに、温泉旅行に向かっている最中、突如激痛に苦しみ、近くの総合病院に救急搬送された父。その後、流動食から米飯に以降、順調に快復していると思われましたが、17日の土曜日、皆でお見舞いに行った日にやっと許可が出てシャワーをしたのですが、その後異様な疲労感ですぐに眠ってしまった父。翌日から39度7分の高熱が出て、下がらなくなりました。すい炎と言うのは、膵液の異常分泌により自らのすい臓を溶かしてしまう病気だそうで、壊死したところが感染を起こすと怖い病気なのだそうです。その後高熱が続き、再び絶食状態となり、翌日に主治医の先生に言われたのは、「すい臓内にのう胞ができていて、中の膿を出すドレナージ(ドレーン)の処置をする必要があるが、うちの病院ではできないので、お住まいの近くの病院で処置&受入れ可能な病院を探します」とのこと。結局、両親の自宅近くの総合病院へと転院することになりました。もう手術しか方法がないとのことでした。そして、20日の日に転院ということで、父は救急車で遠路はるばる2時間もかけてやってきました。主治医の先生もついてきてくださいました。私と母は、転院先の病院で待機、そこへ父が搬送されてきました。ところが、受入れ先の病院は、担当医が出てくることもなく、主治医の先生からの引継ぎは、すべて看護師さんが行いました。主治医の先生は、「私が来てるのに、担当医が会ってくれないのは非常識」とこぼしていたそうです。そのまま主治医の先生は救急車で戻って行かれました。そして、転院先の病院で一通り検査をしました。一通りの検査が終わり、病室に移った後、ホッと一息ついて、手術はいつなんだろうね?というような話をしていました。母と私がそれぞれ家に帰った後、夕食の仕度をしていたら、母から電話があり、「さっき今度の病院の主治医の先生が病室に来て、うちの病院では対応できないから、別の病院に移ってもらう。その病院は空き部屋がまだないので、転院はいつになるか分からないと言われたらしい」とのことでした・・・。愕然としました。当初の話と違うじゃないですか・・・。手術しかないから手術できる病院に転院するって言ってたのに。以前の主治医の先生と連絡を取ったところ、先生は「最初に転院したときの対応がそもそもはっきり言って心外だった」とおっしゃっていました。そして、翌日現在の主治医に連絡を取ってくれるとそうおっしゃってくださいました。新しい主治医にも直接連絡を取ったところ、「病室のランクや金額は問わないと患者さんから聞いたので、それなら早く部屋が取れるかも知れないので、なるべく早く転院手続きを取りますといわれ、すい臓の方は、最大量の抗生剤を投与しているので、今日明日どうにかなるということはない・・・」そんなようなことを言われました。そして、藁をもすがる思いで、知り合いのM医師にも連絡を取ってみました。「恐らく敗血症になってるのでしょう。最悪を覚悟した方がいいです」とズバッと言われました。血の気が引き、吐き気がして、トイレに飛び込みました・・・。M医師は、その病院に懇意にしている先生がいるので、その先生に連絡を取るか、父の新しい主治医に直接病状を聞いてみると約束してくれました。最初の病院の主治医の先生も、翌朝現主治医の先生に連絡すると言ってくださいました。詳細は割愛しますが、私と母も、ありとあらゆる手を尽くして(といっても、もちろん一般人ができる範囲のことですが)何とか父を治療してくれる病院が見つからないだろうかと奔走しました・・・。急性すい炎を扱った症例数ではランキング上位の病院に打診したときは、看護師さんが親身になり、先生に聞いてくださったと分かったとき、涙が止まらなかったです。神様仏様、日本全国のどんな先生でもいいから、どうぞどなたか私の父を救ってください、そんな気持ちでした。結果的に、そういう行動が、その時の主治医の先生に何らかのプレッシャーになったらしく、都内にある系列の病院に、異例の速さで転院の手続きを取ってくれ、転院翌日の手術の手配までしてくれました。一時は父も絶望し、私に遺言を託しました。そして、すべてを話し終えた後、嗚咽していました。まさかこんなところでこんな形で命を落とすなんて・・・と悔し涙を流していたのでした。万が一命を落としたら、訴訟を起こせるよう、すべての経緯をメモしておけとも言われました。そんなことがあり、ようやく転院、手術が決まったと分かると、父は信じられないほど元気を取り戻しました。救急車による長距離の移動に再び耐え、翌日の手術にも耐えて、晴れて生還しました・・・。。。その後も長かったのですが、端折らせていただいて・・・明日、ついに退院が決まりました・・・。絶対にお父さんを生きて連れて帰るから、絶対に生きて連れて帰るから。そう言い続け、叫び続けて会社に出勤したあの頃。明日、ようやく父が家に帰ります。まだ、炎症の数値など、手放しで喜べる状態ではないのですが、それでも、この病院の「チーム」を組んでる先生方が全員一致で退院を決めたのですから、少なくとも危険な状態は脱したものと思われます。長かった。本当に長かったです。明日はお昼に病院に車で迎えに行き、父と母を家に送り届ける予定です。今日は何だか胸いっぱいで眠れません。本当に嬉しいです。読みにくくてすみませんでした・・・。
2014.06.04
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5月3日に救急搬送された父は、 5月19日現在も入院中です。 一昨日も病院に行ってきましたが、 やっとお風呂の許可も出て、 入院12日目からは流動食も始まりました。 が、今日午後から突然の高熱。 感染症が疑われるとのことでしたが、 主治医が今日はお休みのため、 当直医の先生が、血液検査をし 解熱剤の投与をしてくださったとのこと。 まだまだ予断を許さないのですね。 先日、藤巻百貨店の藤巻社長が 確か54歳で急逝されましたが、 父と同じ、急性すい炎だったそうです。 すい炎は、重症なら命を奪う病気だと 父が救急搬送されたときも 担当してくださった先生に言われたのを覚えてます。 私は現在、父の経営する会社を 一人で切り盛りしている状況です。 家のことも子供たちの事も 会社の事もある中で 町内会の役員もやってるわけですが、 皆さんに事情を説明したメールを送っても無視、 唯一会長さんは優しく「落ち着いてからでいいですよ」と 言ってくださったものの、 私が病院通いで欠席した役員会の様子では、 私以外にもう一人いる女性の役員さん以外の 男性の役員は全員、私の「個人的な事情」として 冷ややかな意見が多かったそうです。 「仕事ができないなら、同じ班から役員を立てろ」とのことで 6月の総会までに父が退院したら 役員をやってもらいたいとのことでしたし、 無理なら代役を立てろとのお達しがありました。 町会といっても、かなり広い範囲を網羅していて 10戸~12戸を統括する班が6班あり、 各班の代表が役員となっているので、 実際役員同士は面識がない人であるケースが多いです。 だからなおさら冷ややかなのかも知れませんね。 今、すごく疎外感を感じています。 とにかく、こんなに嫌な仕事を ここに住んでいる以上は誰もが必ずやらなければならない持ち回り。 だからこそ、順番が回ってきた人には たとえどんな事情があろうとも、 少しでも仕事から逃れるのは許さない、 そういうプレッシャーをひしひしと感じました。 今日も、別の役員さんが家に来たそうですが、 「布団も干してあったし車もあったから」 などとメールに書いてきました。 インターホンも何も鳴らなかったので 気づきませんでした。 そこまで監視してるのかと怖くなりました。 日本の平等意識と自己責任主義が 非常に怖いなぁと思う今日この頃です。 今日は学校から連絡があり、娘が負傷したとのこと。地面に手をついた状態のとき、高いところから飛び降りて来た人に足で手を踏みつけられたとのこと。指の付け根が腫れてるそうで、教頭先生と病院へ行ってます。いろいろ重なるもんですね・・・。
2014.05.19
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昨日は一日無事に仕事を終え、子供たちが二人共家にいるのを確認し、スーパーに行きました。 買い物を終えて、地下駐車場に行くためエレベーターに乗りました。 エレベーターの中には、私の他にもう一人女性がいました。 ドアが閉まりかけたその時、外からカートを押した女性が走ってきました。 私はとっさにその人を乗せてあげようとして、閉まりゆくドアに手を差し込みました。 あの、飛び出した部分に手が当たれば、当然ドアはセンサーで開くと思ったからです。 ところが・・・ ドアは止まることなく、ぐいぐい私の手を巻き込み、挟み、閉まってしまいました・・・ い、痛い・・・うそでしょっ そして、あろうことか、そのまま降下し始めました。 咄嗟に頭をよぎったのは、「指が切断されるかも?」という思い。 どんなに力を込めて手を内側に引っ張っても、ドアが固く閉まっていてビクともしません。 断末魔の叫びじゃありませんが、「たっ、助けてっ!ヒーッ!」ともう一人の女性に助けを求めました。 その女性も必死であれこれボタンを押してくれましたが、ドアは開かず、そのまま地下へ。 ようやくドアが開いた時には、私の手は真っ青・・・というか、紫色になってました。 緊急連絡ボタンを押し、センターと連絡を取りました。警備員の方が二人、救急箱を持って駆け付けてくれました。スーパーのマネジャーという人も来ましたが、本来私がすべき操作でないことをしたとのことで、結構ドライな対応でしたね。 私の手は、血のめぐりが良くなったのか、後に紫色だった手に赤みがさしてきましたが、家に帰ってみると、擦り剥いた手の甲と、中指、薬指、小指の第二関節が赤く腫れていることが分かりました。 エレベーターで挟んだ痕(2本の線)もあります。スーパーのマネジャーの方には、「嫌なら書かなくていいですけど」という前置きのもと、名前と連絡先を・・・と言われました。 一応書いて渡しておきましたけどね。 「湿布は?氷は?」と警備員の人に言われ、大丈夫です、大丈夫ですとお断りしたものの、いざ車に乗り込むと、手が腫れて痛いので、改めてエレベーターに戻り、 まだそこにとどまっていた警備員さんに、湿布を貼ってもらって帰りました。 本当に怖かった。 あれが幼児だったら、確実に骨折などの重症を負ってるはずです。 スーパーの警備員さんよりマネジャーさんの方が危機感がなさすぎるのが気になりました。 警備員さんの温かい心遣いは本当に嬉しかったです。 ちょっと疲れました。本当に怖かった。 エレベーターって凶器ですね。
2014.05.14
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韓国の沈没事故に大変心痛めておりました。韓国の「ケンチャナヨ精神」と日本の「がんじがらめの管理社会」の対比を改めて心の中で反芻しておりました。それにしても、日本はいつから弱者をターゲットに目くじら立てる社会になったのでしょうか?いや、もともと公平性を掲げて例外を認めず、ルールや規範から外れようものなら村八分として集団から排除していた訳ですから、昔からそういう素質があったのかも知れませんね。生活保護の不正受給を魔女狩りのように探し告発するような目線がいつのまにか保護を受けること自体をタブー視するように。そして随所に見られる「自己責任」主義。なんかね、ちょっと怖いです。*** *** *** *** *** ***ところで、5月3日に、両親と子供たちと5人で、温泉地に向かって車を走らせていたところ、車中で父が突然苦しみだしました。尋常ではない様子だったので、ちょうど最寄りのサービスエリアが大型のところだったのでそこから救急車を要請しました。数分後、救急車が来ました。ふと気づくと、一部始終を撮影しているカメラマンが二人。男女です。「テレ朝」の腕章がありました。「何を撮ってるんですか!?」と言ったらしれっとした顔で「救急隊員です」と言ったので頭に来て、絶対に放映するなと釘を刺しておきました。後に調べたところ、テレビ朝日の「報道ステーション」の取材で、番組の担当者の方から、丁重にお詫びの言葉をいただきました。で、父の診断結果は、急性すい炎。結石の可能性もあるそうです。救急室から、即入院することが決まりました。丸1週間、絶飲食の状態で、点滴と痛み止めの治療が行われています。家から車で往復4時間かかるので、早く地元の病院に転院させたいのですが、まだ動かせる状態ではなく、しばらくは搬送先の病院でお世話になります。私は父の不在中、会社を守り、平日は母が看病に行き、土日は私の運転で家族全員でお見舞いに出かけます。実は、今年は町内会の副会長もやっていて、毎月役員会、そして2か月に1度ほど、定例総会もあるのですが、先日こういう状態だから、欠席したり、ご迷惑をおかけしてしまうかも知れませんができる限りのことはしますのでご容赦ください・・・と他の役員(5人)にメールをしましたが、返信をくださったのは、旦那さんが単身赴任中で町会では会計を任されている女性のみでした。他のパパさん役員たちは沈黙。皆さん、我が家が片親家庭であることもご存じです。なんて冷ややかなんでしょう~。「自己責任だろ」的冷ややかな目線?「それで免除してもらおうなんて思うなよ」的な?日ごろからお付き合いがあれば、そんなこともないかも知れませんが、結構広い町会で、班が違えば面識すらない人も多く、私も初対面の人ばかりでした。だからでしょうか。「てめーの事情なんざ知ったこっちゃない」な雰囲気。実は、昨年から不整脈、甲状腺腫瘍、喘息などの症状で通院し、特にパニック障害のような症状ではあらゆる検査を受けましたが原因不明、そんな中、学校のPTAはあるわ、父の会社の後継ぎ修業はあるわ・・・で町会の役員を延期してもらうか、別の人に変わってもらいたい旨をお願いした際にも、冷たく跳ね除けられました。その代わり、比較的負担の少ない役職にしていただいたので、これ以上何を文句言うのか?ってとこなんでしょう。こんな時、韓国に帰りたくなりますね。こういうところが、帰国後最もカルチャーショックを受ける場面です。私は困った人がいたら、手を差し伸べられる人でありたい。たとえできる範囲であっても。事情を汲んであげたいと思いますね。話を聞いてあげるだけでも。韓国は「情」をはき違えてることが多いけど日本人は「公平性」をはき違えてることが多いんじゃないかと思う。なんて久々に愚痴ってしまいました。独り言でした。
2014.05.10
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実は小4から中学受験を目指してきた息子。無事、受験した学校3校すべて合格し、第一志望の私立中学校へ進学することになりました。実は第一志望の中学校には2度蹴られて、最後の最後の3回目の試験の前日は39度近い熱を出すという・・・大変なハプニングもありましたが、息子は一晩で熱を下げ、当日も「行く」と宣言、試験が終わった後には清々しい表情で教室から出てきて、「なんか治っちゃった!すっきりした!全部吐き出してきた!」と完全燃焼の様子。その結果が「合格」でした。一応大学まである学校なので、とりあえずは入学直後から低空飛行しないように監視の目を光らせながら??中学校生活を楽しんでもらいたいなぁと思っているところです。超マイペースな息子、最後はど根性見せました。わが子ながら、アッパレ!
2013.02.14
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離婚してから丸3年と2ヶ月半が経ちました。もっと時間が経ったような気もします。元夫から養育費が送られてきたのは数回。最近はずっと滞っています。いろいろありましたが、親子共々元気に過ごしています。両親からもいろいろサポートしてもらっています。がむしゃらにひたすら仕事と育児、頑張ってきました。そして、今年はちょっぴり恋もしました。7ヶ月くらいお付き合いしました。両親も協力的で、子供たちを預かってくれたりしたんですけどね。でも、振られました(号泣)子供たちの父親は要らないけれど将来的に支え合えるパートナーは欲しい。そんな風に思っていますが、まずは子供たちが第一優先です。こんな感じで生存しております。ところで、昨日久々にここを覗いたら、何やら頭のおかしいストーカーからズラリとおかしなコメントが入っていたので、全部削除し、コメント欄を閉じました。10年近くも前のことを未だに根にもちブログにまで追いかけてきてコメントに書くその異常さに驚いています。10年前から進歩がないというのはイタイですね。私はあれから10年先を歩いてますけどね。そういうわけで、こちらでブログを再開することは恐らくないとは思いますが、また皆様のところにはちょくちょくお伺いすることもあるかも知れませんのでどうぞよろしくお願いいたします。
2012.12.06
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突然ですが、ブログを止めることにします。 韓国人と結婚し、韓国での生活を綴るはずだったブログでした。 韓国での生活に限界を感じ、 父に呼び戻され、一家で暮らし始めた日本での生活。 それも約5年で破綻。 今はテーマも曖昧で、更新もなかなかできてません。 にもかかわらず、毎日欠かさず足跡がついている不気味な方がいたりします… お友達ではなく、何の接点もないのに、ひたすら足跡がつけてあると恐怖心すら覚えます。 それはさておき… いろいろありましたが、今後は別の形で ブログを続けたいと思っています。 というか、すでに始めているんですが… ここのアドレスを知っているリアルな方もたくさんいるため、一旦リセットします。 今までお世話になった皆さま、 本当にありがとうございました。 皆さまのご多幸を心からお祈り申し上げます。
2011.02.23
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電車の車内で見つけて首を傾げたことがありましたが・・・Please inform the station staff or train crew immediately if you notice any suspicious unclaimed objects or persons in the station or on the train.unclaimed というのがまずおかしいのでunattended の方がいいかなと思いつつ、スパッとなくしてsuspiciousでも通じるし・・・でもsuspicious persons って「何の?」「どこがどんな風に?」という文脈がないのでactivityとするのが妥当という意見もどこかで見ました。母は in the station というのがおかしいと言っていた・・・これを作った日本人の立場としては、「オウムのような事件も起こりかねないから」という暗黙の了解というか文脈の共通理解があるからこそ成り立つ解釈なわけですものね。それはさておき、最近近くのイオンスーパーでは、駐車場に新しい機械とシステムが導入されました。それに伴って、新しく各フロアをタッチパネルで紹介する機械も設置されました。毎日若いおねーさんが駐車場から入ってエレベーター待ちしているお客さんに、新しいシステムを紹介するビラを配ったり、デモンストレーションしたりしています。いつも全速力で買い物をしているため、見る機会はありませんでしたが、先日ふと気になって、タッチパネルを覗いてみると・・・「英語」版があるではありませんか。どんな翻訳になっているのだろうと英語を選択し見てみると・・・各フロアの店名の横に、「products」とあり、取り扱い商品を英語で紹介してあるわけです。fashion fashion interior↑これはまだ理解の範疇にありますけどね。Hush Hush Products:Family↑なんじゃこれは。商品:ファミリーって。こういう意味不明な英語を平気で使っているのだから、韓国のおかしな日本語表記だって笑えないのだ。
2011.02.03
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皆様明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。というわけで?、12月28日~1月4日まで、トルコを旅して参りました。いきなりトルコのトイレの話になりますが・・・。トルコのトイレは普通の?洋式とトルコ式の2種類があるそうで、用を足した後は、自分で水を汲んで流すという情報を知り、ちょっぴり不安でした。でも、実際に6歳の娘にとっては、トルコ式の方が使いやすかったみたいです。しかし、ホテルやレストラン以外の観光地や街中のトイレは、ほとんどが有料(たいてい1トルコリラ=約60円)だったので、小銭を常に用意しておかなければトイレに行けないという状況はやや不便ではありました。トルコのトイレはこんな感じ↓トルコは大変親日的で、歴史を紐解いてみると大変面白く、お料理もおいしく、今までいろんな国を旅してきましたが、その中でも上位3位の中に入るほど楽しい国でしたよ。噂のベリーダンスも堪能しましたし↓トルココーヒーはミントリキュールと飲むのがおいしいと聞き、早速試してみたところ、これが本当においしいのです!それから、街の至る所に猫ちゃんがいて、それがまた日本ネコにそっくりなものですから、本当に可愛くて、癒されました。博物館の中にもネコ↓↑この後娘はネコちゃんに顔を引っかかれてしまいました。人口の95%はイスラム教徒というトルコですが、建国の父である「アタチュルク大統領」が、いち早く女性の参政権を認め、政教分離を徹底したため、他のイスラム教の国々とは違い、女性の地位も高く、また服装も顔を隠したり男性がターバンをしたり・・・といったファッションではまったくありません。本当に知らないことばかりでとても勉強になりました。最初はイスタンブールに着いてすぐにアンカラという町に飛んだのですが、私はトルコの首都はイスタンブールとばかり思ってました(恥)。首都はアンカラなんですね。アンカラから、カッパドキアの遺跡を見て、コンヤ、パムッカレという町を経由、最終的にはイズミールからイスタンブールへとたどり着きました。最初に田舎ばかりを巡っていたので(それはそれで非常によかったです)、イスタンブールの活気やエキゾチックな雰囲気が対照的で、とても印象深かったです。ヨーロッパとアジアの間を流れるボスポラス海峡でのクルーズ↓夕陽に照らされた町は幻想的でした。また追々記事にしていきたいと思います。
2011.01.06
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クリスマスはローストチキンを家で焼きました。途中で裏返して焼いたので、できあがりが裏返し(笑)サラダとガーリックトーストを添えて。最後はバタークリームケーキで仕上げ?というわけで、今年も皆様にはお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様どうぞよいお年をお迎えくださいね♪写真、デカくてすいません!!
2010.12.27
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息子がりんご病にかかってしまいました。両頬が真っ赤なのでおかしいと思ったのですが、最初は毎日外で元気に走り回っていて肌が荒れているのだと思っていました。ところが、息子が「学校でりんご病にかかっている友達がいる」と言うのを聞き、それだ!と思ったのでした。りんご病は、頬が赤くなった時点ですでに感染力がなく、登校も可能だとのことで、熱もないので息子は元気に学校に行っています。ところが、ネットで「大人のりんご病」というのを発見し、その症状を見てビックリ仰天なんと、私が2週間苦しめられた症状が、そこに全部書かれてあったからです。大人の場合、腰痛や膝の痛み、発熱といった症状が出ることが多いらしいですが、私の場合もまずは腰痛と膝の痛み、それから発熱、全身の痛み(頭痛)発疹、蕁麻疹、倦怠感、どうしようもない不調感、顔の火照り、手足のむくみ・・・といった症状が次々に現れました。ネットでも、子供からりんご病がうつり、3週間苦しんだお母さんのブログを発見しました。大人の場合、病院へ行ってもりんご病を疑われることはまずなく、なかなか発見されないそうです。とにかく腰や膝が痛いので、整骨院に行く人もいるらしいのだとか。そういうわけで、薬に対するアレルギーとばかり思っていましたが、もちろん真実は分かりませんけれども私の場合は、親子そろってりんご病だったのではないか?と思っています。意外なオチにびっくり。娘には今のところ感染している様子がないので、それだけはよかったかな。それにしても、りんご病にかかった子供の頬の色、ものすごいです。真っ赤っ赤。こんな顔見たことありません。写真に撮ってもイマイチ赤さが出ないため、アップするのはやめました。とにかく、健康第一ですよね!皆様もどうぞご自愛くださいね。そして元気で年末年始をお過ごしください。
2010.12.17
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今年の2月に父が入院していたときの担当の先生に診察していただきました。なんと、最初に処方された薬が体に合わず、中毒症状を起こしたとのこと白くてかゆい発疹、翌日の全身真っ赤な蕁麻疹、お岩さんのように腫れた顔、手足のむくみ・・・ああ、全部薬のせいでした。「呼吸困難になったり、口の中に違和感を感じたら夜間でも構わないのですぐ病院へ」と、蕁麻疹のときの先生がおっしゃっていましたが、それってもしやアナフィキラシーってやつですか。父の担当医だった先生は、喉が腫れていて扁桃腺も赤く腫れてます・・・とのことで、前回処方された4種類の薬とは重複しないように抗生剤も混ぜて処方してくださいました。現在は中毒症状は治まり、ほぼ完全復活できました。コメントくださった皆様、本当にありがとうございました!!
2010.12.15
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月曜日の夕方から、今度はあっちにポツ、こっちにポツ、とモーレツにかゆい発疹ができ始めました。色は、白です。普通に蚊に刺されたみたいに白く丸く突起ができてます。肩の上にポツ、腋にポツ、お尻にポツポツッ。わき腹にポツ、ふくらはぎにポツ、腕に、ポツポツッ。あっという間に全身へ。努めて掻かないようにしました。そして翌日火曜日。とりあえずかゆみはひどくなっていないものの、午後にトイレに行ってビックリ仰天。太ももが真っ赤。白の次は赤です!めでたいっ!毛細血管が全部見えてます!みたいな模様つき。ぎょぎょぎょえ~服の袖をめくってみると、腕の内側も真っ赤。お腹も胸も真っ赤っ赤。首まで赤いし太ももから足首までも真っ赤。ガクガク震えが来て、半ばべそかきながら事務所に戻り、すぐに保険証を引っつかんで病院へ。結局、原因は不明でした。薬疹かもしれないし、ストレスかもしれない、と。蕁麻疹用の飲み薬を処方されました。さて、今朝は家を出た途端、耳と顔がカッカカッカと火照り、交差点ではめまいがして、危うくハンドル操作を誤るところでした。顔だけは39度の熱がありそうなぐわ~んと膨張した感じで熱く、手足はつめた~いのです。出社したら父に、「目が腫れてるぞ」と言われました。鏡を見たら、なんと・・・四谷怪談のお岩さん状態・・・。昨日一晩中泣き腫らしました、みたいな顔。どうりで顔がごわついているような違和感がありました。今はようやくすこぉ~し落ち着きましたが、まだまだ治ってません。しばらく様子を見て、改善しないようであれば、一度更年期外来も行って見ようと思っています。きっと、心身ともに、年齢に伴ってターニングポイントに来ているのだなと実感しているところです。皆様もお体にはくれぐれもお気をつけてくださいね!
2010.12.08
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金曜日に突然発熱。その前日の夜、骨盤というか、足の付け根と関節が痛み、変だなと思っていました。翌日から全身の痛みで動けなくなりました。眼球周辺の筋肉が痛くて目が動かせない、骨盤の骨そのものが軋むように痛み、臀部も痛く、膝も足の付け根も。そして首筋から肩、背中にかけても。なのに、子供たちの習い事や歯医者やらで一日中ドライバーしなくてはならなくて。横になりたくても子供たちは何だか言う事聞かなくてイライラさせることばっかりするし。老婆のように腰を曲げた状態でないと立てないくらい体の痛みをかばってないといられない。それなのに子供たちには怒鳴らなければならない。もう、限界。という感じでした。病院へ行っても、さんざん細かく説明した私の症状を聞いていた先生は、「で、いちばんつらい症状は何なんですか?」とおっしゃった。何か、大したことないのに病院来たの?って言われてるみたいだ。で、診断は「風邪ですね。」というわけで、ごくフツーの風邪薬を処方されました。昨日は母が夕食の支度と後片付けをやってくれました。それは本当に助かりました。昨日は素直にありがたいと思い、涙が出てしまいました。今日は先ほどから急激に復活モードで、全身がラクになりつつあります。それも、ド派手なくしゃみを15連発くらいしたらケロッと状態がよくなってしまったのだから不思議です。急に目が澄んで来て視界が広がり、あんなに痛かった全身がすぅ~と楽になり、ようやくエネルギーがみなぎってくるような感覚を覚えました!いよいよ復活だー。ちょっと気張りすぎたので、肩の力を抜いてがんばりまする。
2010.12.06
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先日いじめについての記事を書きましたが、その後新聞のとある投書を読んで、思うところがあり、自分のいじめ体験を含め投稿をしたところ、あっさり掲載が決まり先日掲載されました過去5年間に5回ほど投書しましたが、読者欄2回、特集記事1回、その他1回、計4回掲載されました。今回は私の投書を読んだ年配の方からお手紙までいただき、とても嬉しかったです。自分の書いたものが誰かの心に届いたということは嬉しいものですね。と同時に、自分も救われた思いです。ところで、昨日は娘のお遊戯会でした。保育園最後のお遊戯会です。合唱あり、演劇あり、合奏あり、幕間の一芸あり。まだまだ幼いと思っていても、さすが年長は見せますね。そして、終了後には、夏に園児たちが仕込んだ味噌の試食会がありました。先生によると、本来味噌は夏に仕込むものではないので、出来がとても心配だったそうなのですが、見事に完成していて、味も風味もサイコーお土産までいただいて、家でもご飯と一緒に食べました♪(お味噌汁にするほどの量はないので・・・)保育園の給食で、お味噌汁にしてくださるそうです。ところで、ネットで気になる発言を見てしまいました。来年小学校入学を控えた娘さんを持つお母さん。先輩ママさんから、「幼稚園出身の子と保育園出身の子は違う。保育園出身の子は強くて野蛮」と言われたのだそうです。や、野蛮・・・ネットの掲示板では、あちこちで「専業主婦」対「働く主婦」のバトルが繰り広げられているのですが(なぜバトル?)、そこで必ず話題になるのが、「保育園出身の子は粗野だ」「保育園出身の子は教室ですぐ裸足になる」「保育園出身の子は何かが違う。分かる人には分かる」ということ。「保育園は飼育園」と言い切った人もいます。つまり、動物を集めてケージに入れて飼ってるような場所だと。幼稚園児は動物で言えば血統書つき。保育園児は野良猫や野良犬みたいなもの。専業主婦でそう言う人は、「私は働いている母親と違って、育児に時間も手間も愛情も注いでいる。だから当然保育園に子供を預けて育児を任せっきりの母親と一緒にされたくない」という自負やプライドがあるようだし、逆に働く母親でそう認める人は、子供に十分愛情と手間隙をかけてやれていない後ろめたさを感じてそう言っているようでした。小学校に入って、「保育園出身の子は劣っている」みたいな見方があるのは悲しい事。でも、実際どう言われてるかは知らないけど、うちの息子は元気に学校に通ってるし、何ら心配することはないよ、とそのお母さんに言ってあげたいな。子供たちはお互いに「幼稚園か保育園か」などという線引きなどしてないのに、大人がそういう色眼鏡で見るのって間違ってるんじゃない?でも、もし私が専業主婦で、そこそこレベルの高い幼稚園にわが子を通わせていたとして、いざ小学校に入学となると、教育に手をかけられていない、市立の保育園出身の子たちとは一緒に遊んでもらいたくないとか思ってしまうものなんでしょうかね・・・。ちょっぴり複雑な心境です。
2010.12.02
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記事は一番下に貼り付けてあります。まるで自分の小学生時代のようです。触るとばい菌が移るとか言われて、半径1メートル以内に近づくと腐ると言われた。机にパンを入れられたのに気づかず、あるとき出てきたんですよね。私が入れたんじゃないのに、「コイツきたねぇ」ということになった。当時郷ひろみの「お嫁サンバ」という歌が流行っていて、それを替え歌にして、「お嫁、お嫁、お嫁に行けない~♪」とクラスで大合唱された。掃除の時間、私の机は誰も触らなかったし運ばなかった。グループ分けするといつも一人残った。誰かのものがなくなると、いつも私が疑いの目を向けられた。昇降口に行くと、学年全ての人たちがキャーと叫び声を上げて、一斉に逃げていった。なぜなら、私に近寄ると腐るから。登下校の時も、私の家は通学路に面していたので、私のクラスメートの兄弟の学年まで、みんなで家の前にいる私を罵倒して通り過ぎて行った。あっち行け、近寄るな、死ね、毎日クラス中の人から言われました。みんなでお互いを押し合って、私にくっつけようとしたりしてました。それをゲロでも自分にくっつきそうになってるかのごとく必死で足を踏ん張ったり、逃げたりしてました。あの必死な形相、面白がってる顔、憎らしそうな顔、一人一人の顔、全部覚えてます。あいつも、こいつも、私を2年間苦しめ続けた。未だに忘れません。担任の先生も知っていたけど、見て見ぬ振りだった。きっかけなんて些細なこと。ある日仲良しの友達が私に絶交宣言をしたんです。「性格を直せ」と言い残して。何をどうしろとは言わなかった。ただ、性格を直して、とだけ言いました。その子がまた、魅力的でクラスの中心的な子だったから、その子にダメ出しされたことは、「おまえは無価値」と宣告されたも同然。何が悪かったのか分からない。それからすべての悪夢が始まりました。(彼女は後に引っ越してしまって、数年前に偶然ネットで発見し連絡を再開したのですが。)本当に死にたかった。手首を何度もカッターで切りましたけど、動脈を切るほど勇気がなかったです。首を吊る勇気もなかった。死んで抗議できるのはすごいこと。でも、それはしてはならないこと。群馬の亡くなった小学生も、授業参観のときにお母さんが外国人ということで、容姿について悪く言われた、それがきっかけだったと聞きました。一つ何か違うことをあげつらって、そこからいじめはスタートするのです。理由なんて何でもいいのだから。なのに、世の中には未だに「いじめられる側にも理由がある。いじめられる側にも非がある」と平然と言う人がいる。確かに友達を作り難い性格の人はいるかも知れませんね。KYとか浮いているとか、いろいろ表現はあるけれど、「他の人とちょっと違う」ことはあるでしょうね。でも、だからといって、「いじめていい理由」にはならない。集団でその子を不幸のどん底に陥れていい権利なんてないでしょう?「他の人とちょっと違う」ってなんなんだろう?逆に人と違うものを持たない人っているの?「その他大勢と同じ」方がよっぽど怖いしおかしいと思うけれど。私は塾や習い事にたくさん通っていて、そこではいつも友達もいたし、先生方も可愛がってくれました。何よりも、クラスでいじめている人たちも、私と1対1になると普通に話してくれました。つまり、集団だからヤルんです。あんな悪夢が正当化されていいと思えないし、いじめた側は、恐らく自己申告でもしない限りはシラを切れるでしょうが、それでも少しでも良心があるなら反省して欲しい。一人の人を、死を選ぶまで追い詰めたことを、重く受け止めて欲しい。私はあのいじめがトラウマで、未だに人間関係に苦しんでます。よく言われます。「小学生時代の傷を未だに根に持ち乗り越えられない方が大人としてどうなんだろうか?」みたいなことを。そんなことを言う人間は、同じ経験をしてから言って欲しい。まったく同じ経験をしてから同じことを言ってみろ。言えるものなら。いじめなんてどこの世界にもあるものでしょう。でもそれを見て見ぬ振りをし隠蔽し、なかったことにする大人が一番許せない。私の担任がそうであったように。死人に口なし。だから、絶対に死んではならない。死んでも家族以外は誰も悲しんでもくれなければ反省してもくれないのだから。今いじめられているあなたへ。今あなたがいる世界が全てではないこと、それだけは分かってください。教室という箱、学校という箱から飛び出せば、あなたの価値を認めて友達になってくれる人は絶対にいます。今の世界が全てだと思って、抹消しようとしないで下さい。自分が目を閉じれば、その世界が終わる、それはそうかも知れないけど、逆にそこから自分の体を逃がしてあげればまた新しい世界で再生できるよ。やり直せるよ。そこから逃げることで、まったく新しい世界であなたの人生を生きることができるよ。学校なんて行きたくなければ行かなければいしい、逃げたって構わない。私のときは、誰もそんなこと言ってくれなかった。だから親にもいじめのことは言えずに、無遅刻無欠席で皆勤賞だよ。毎日あの教室に入るのは地獄より恐ろしかった。今ならわが子になら言います。行かなくていいんだよ、と。わざわざ自分を苦しめる集団の中にけなげにクソ真面目に通う必要などないのよ。こっちから去っていけばいいのよ。以下、記事。群馬県桐生市の市立新里東小6年、上村明子さん(12)が自宅で首つり自殺をしてから間もなく2週間。「臭い、あっち行け」。一部の同級生からそんな言葉を投げつけられていた彼女は、6年の2学期になると給食も独りで食べるようになっていた。担任がほかの児童に決められた席で食べるよう指導しても状況は変わらなかったという。両親や学校関係者の説明を基に過程を振り返ると「学級崩壊」の中で孤立を深めていった彼女の姿が浮かぶ。【喜屋武真之介、塩田彩、鈴木敦子、角田直哉】 明子さんの家族は派遣社員の父竜二さん(50)と母(41)、小4の妹(10)。家族によると、父親の仕事の都合で転居を重ね、08年10月に愛知県から新里東小に転校した。4校目の小学校だった。 ■ ■ 09年4月 5年生に進級。父親によると、フィリピン出身の母が授業参観に訪れてから一部の同級生に容姿の悪口を言われるようになった。 今年4月 6年生に進級。「臭い」「風呂に入っているのか」などと言われるようになり、両親に「どんなに遠い学校でも歩いて行く」と転校を訴えるようになった。両親は学校側にたびたび相談し、中学進学を機に引っ越すことも考えていた。 9月18日 運動会。以後、明子さんのクラス(児童数39人)では授業中に児童がふざけたり、私語にふけるようになった。 同28日 担任(40代の女性教諭)は席の間隔を広げれば私語などがやむと考え、縦8列の席を6列に減らした。しかし児童たちは給食時、給食の班(5人程度)ではなく、席を移動して友達同士で食べるようになり、明子さんは孤立した。 10月14日 担任は校長らに相談の上、再び席替えを実施。給食の班替えも行った。 同18日 再び明子さんが給食で孤立するようになった。 母親によると、勇気を出してクラスメートに「一緒に食べよう」と頼んだことがあったが「また、今度ね」と断られたという。 同19日 明子さんが学校を欠席。 同20日 再び欠席。担任が「あすは社会科見学があるから、出てくれるかな」と電話をする。 同21日 社会科見学に出席した明子さんは一部の同級生から「なんでこういう時だけ来るの」「普段はずる休み?」などと言われ、泣きながら帰宅。 同22日 再び学校を欠席。学校側はこの日、給食の班を廃止。全員を黒板に向かって食べさせた。夜、担任が上村さん宅に報告に行ったが、共働きの両親は留守で、インターホンの呼び出しに返事はなかった。 同23日 明子さんは午前9時ごろ起床、朝食を食べた。正午ごろ、母が部屋をのぞくと、母のために編んでいたマフラーをカーテンレールにかけ、首をつっていた。 ■ ■ 明子さんの遺書は見つかっていない。しかし10月26日の告別式後、自殺直前に描かれたとみられる漫画が自宅で見つかった。タイトルは「やっぱり『友達』っていいな!」。同29日に見つかった愛知の元同級生にあてた手紙には「中学になったら大阪に行くんだ。だから愛知県を通るかもしれない。できたら会いに行くね!」とつづられていた。 一方、自室に残されていた5年の林間学校時の集合写真には、同級生15人の顔にボールペンの先のようなもので「×」印がつけられていた。「もしもひとつだけ願いがかなうなら?」との質問が書かれた市販のプロフィル帳には「学校を消す」と書かれていた。 明子さんの小学校は学区内に農村と新興住宅地が混在する。6年生は2クラスだけで、児童の一人は「上村さんをいじめるグループがあった。上村さんは『ちょっとどいて』『あっち行って』と言われ、悲しそうな顔をしていた。注意する人はいなかった」。別の児童はこうも言う。 「いじめの中心になる子が何人かいて、ほかの子は何をされるか分からないから逆らえない。クラスはバラバラで学級崩壊みたいな感じだった」
2010.11.05
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バカデミーで昨夜放映されたものです。サッカーの実況中継らしいですが、おかしすぎる。PCからしか見られなくてごめんなさい。みなさんも、ぜひ笑って♪
2010.10.06
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息子が最近、「夢判断」に興味を抱いている様子です。先日、息子が通っているテニススクールの支店代表に選ばれ、東京千葉大会という大きな大会に出ることになりました。その大会当日。息子と娘を車に乗せて朝のラッシュに道路をひた走っていると、「ママ、今日歯が抜ける夢見たんだけど・・・」と言いました。けしからん!とお叱りを受けるのを覚悟の上、運転中、信号待ちなどのタイミングで携帯で調べてみましたすると、何だか不吉なことが起こる予兆なんだとか・・・へぇ、なんだろうな。でも息子にダイレクトに伝えると、試合で負けてもいけないし・・・などと思っていたら・・・高速道路入り口に差し掛かりました。目的地に着くまでにコンビニにでも寄って、飲み物や軽食を用意しておこうかな・・・などと思い、右手でハンドルを握ったまま、左手でバッグの中をガサゴソ・・・。すると、あろうことか・・・さ、財布がない!!顔面蒼白。お財布がなければドリンクも買えないし、家から何も用意してきていないので、お腹が空いても食べ物も買えない。ああ、それでもとりあえず目的地まで行ければ・・・試合には出られる。その間に家にお財布を取りに戻れば良いじゃない・・・そう思った次の瞬間、心臓がドックンと高鳴りました。そういえば、先日旅行に行ったとき、父が自分のETCカードを私の車にセットしてくれ、高速料金の請求が私に来ないようにしてくれたのでした。その際、抜いた私のETCカードを、お財布に入れたのでした。つまり、お財布がない→ETCカードがない→高速道路に入れないぎょぎょぎょえ~そこにたどり着くのに、家を出てからすでに30分。今から自宅に戻っていたら、大会には大幅に遅刻。棄権しなければならないでしょう。どうしよう、どうしよう・・・恐る恐るETCカードの挿入口を開けてみると・・・あら、カードが入ってる旅行から戻ったその日にカードを戻していたのでした。とりあえずカードさえあれば目的地に着ける。お金のことは後で考えよう・・・。というわけで、大会には間に合いました。息子は予選を1位で通過したものの、優勝リーグでは振るわず。でもいい経験になったようです。駐車料金はもちろん、ドリンク代すらないので、息子が通う支店のコーチが偶然引率で来てくれていたため、頭を下げてお金を貸していただきました。2000円お借りして、ドリンクを買って、駐車料金を払い、帰りにお腹が空いて3人とも倒れそうだったので、コンビニでおにぎりを3個買って帰りました。翌日スポーツクラブに行き、お菓子を添えてお借りしたお金をお返ししました。ああ、「歯が抜ける夢」って、この珍道中のことだったのですねぇ。大事な試合の時に、スカタンかーちゃんで申し訳ない、息子よ。ところで、「はだかのおんな」に目覚めた息子は、週末こんなことを言ってました。「ママ!今日は銃で撃たれる夢を見たんだけど、血が出てるのに痛くなかったんだ。どんな意味があるんだろうね?」と言うので、先日の私のドジぶりを覚えている息子、また自分の夢が何かを予知しているのではないかと期待しつつ、私に報告した様子です。「後で調べて教えてあげる」ことにして、習い事に行かせたのですが、すぐに調べたところ、こんな検索結果が出ました。「銃は男根の象徴」えええええ~やっぱり性のめざめか。おそるべし、はだかのおんな。
2010.09.22
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約1ヶ月半前に火傷をした右腕ですが、プラスモイストのお陰で、こ~んなにきれいに治りました。ジャジャーン! あとは1年間は日焼けに注意だそうですが、もうここまできれいになったらルンルン♪(死語?)です。嬉しいです~!
2010.09.08
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皆さんお久しぶりです。暑いですねぇ・・・今年の夏は、息子も学童がないため、毎日同伴出社していました。塾の教材とゲームや本をリュックに詰めて、毎日毎日母親と一緒に会社に缶詰だった息子。それはそれで可哀想だけれど、でも、小学校入学以来、初めて母と濃密な時間を費やした息子でもありました。ばば(私の母)曰く、「ものすごく成長した!」と。会社の清掃も手伝ったり、じじ(社長)のおつかいをしたり、消防訓練に参加して消防士さんにとても褒められたり。そんな息子、コンピュータも使いこなしてゲームをしていたのですが、あるとき検索の履歴を見てびっくり仰天。「おんなのはだか」ってのがありました。げげっ!こ、これを検索したのか・・・。息子小学4年生。学童の先生曰く、そろそろ思春期の始まりですよ・・・と。でもでも、平仮名で検索したのだからたいしたものはヒットしなかっただろうと思ったらとんでもありませんでした。母に言うと、慌てて母は「おんなのはだか」と打って検索したらしいですが、「ものすごいものを見たはずです!」ってメール来ました。こういう問題ってデリケートだと聞きますし、あからさまに仰天して見せたり叱ったり押さえつけたりするのはよくないとどこかで見たような気がするので、しばらく様子を見ておこう、心の中にしまっておこうと思ったのに、夕食後に別件で怒ったついでに言ってしまった・・・ああ・・・息子は生唾ごくりと飲んで非常に狼狽してました。ああ、やっちゃった。かろうじて感情的になるまいと思い、成長するにつれてそういうことに興味を持つのは全然おかしくないしそのことを怒っている訳ではないけど、会社で検索したということは間違っていること、(じゃあどこならいいの?って自分で突っ込んでみたりして・・・)クリック一つで法外な請求が来たりする詐欺の温床になっているのだということなどを伝えました。息子は神妙な顔をして聞いてました。いよいよ思春期なんですねぇ。「おんなのはだか」と入力した息子の頭には何が浮かんでいたのでしょう。正直、私かなり動揺しました。まだまだかーわいい声して「ママー」なんて言ってる息子が「おんなのはだか」ですからね・・・。ああ、これからどうしよう、おんなのはだか・・・
2010.09.02
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火傷後2日目はこんなにきれいだった私の腕。それが、4、5日経つとこんなに・・・慌てて病院へ行きました。最初は普通の火傷用軟膏。翌日には化膿し始めたので抗生剤入り軟膏に変えてもらいました。ガーゼは皮が張り付いて貼りかえるときに剥がれてしまうため、皮膚科の先生は「剥がれないようなガーゼが薬局にありますから買って下さい」と言いました。でも、どこの薬局にも置いてません。ふとネットで調べたら、そのガーゼの情報は分かりませんでしたが、「火傷の最新治療法」がヒットしました。それは、↑このプラスモイストというパッドを傷口にじかに貼り付けるだけ。(薬は要らない)自らの体が出す滲出液を乾燥させないように閉じ込めておくだけのパッドです。これで、1歳4ヶ月の女の赤ちゃんの火傷が、負傷後1週間経ってからこの最新の治療法を始めたにも関わらず、ほぼ傷跡が残らない状態に回復したという症例を見たことで、「これだ!」と思い、迷わず買いに走りました。とはいえ、扱っている薬局は全国でもそう多くはありませんが、幸い勤務先から車で10分くらいのところにある薬局で売っていました。早速使用してみました。現在2日経ちましたが、嘘のように改善しています。ね、ね、すごいでしょ?薬も要らない。ただ貼ってるだけ。患部の痛みも、周囲の皮が乾燥して引きつれるような痛みも、そして回復期のかゆみもほとんど感じません。「気持ちいい~♪」という感じです。こんな画期的治療法があるのに、なぜ総合病院の皮膚科の先生はご存知なかったんでしょうね・・・。というわけで、万が一皆さんがケガや火傷をするようなことがあったら、このパッドはおススメです。プラスモイスト。そしてこの治療法は「湿潤療法」と言うそうです。頭の片隅に置いておいてくださいね!
2010.08.06
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26日(月)に娘の誕生日をお祝いしたのですが、その際にケーキのろうそくに火をつけるために使用したチャッカマン。父が「子供たちが触らないように」と思い、なんとガスレンジの隣に置いていたのです・・・。気づかなかったのは、フェンス(ガスレンジの油飛び防止のカバー)のせい。昨日、私がフライパンで豚肉と野菜を炒めていました。さあ、これから味付け・・・と思った瞬間、ボンとすさまじい音がしたかと思ったら、フライパンが丸ごと火だるまに・・・。咄嗟によぎったのは、フライパンの底に何か可燃性のものが付着していたのかなということ。慌ててフライパンを流しに置き、ガスレンジの方へ戻ると、チャッカマンが転がっていて、柄の部分から炎が出ていました。ぎょ、ぎょ、ぎょえ~一瞬、頭の中で今後数分以内に想定される状況や、あらゆる選択肢がよぎり、その中から冷静に最適なものを選び出し、行動できるものなんですね・・・意外に冷静だった自分に驚きました。とりあえず取っ手のついた計量カップに水を汲み、ジャバとチャッカマンにぶっかけました。すぐに消えたので良かった。壁まではほんの10センチ程度。火が移っていたら大変なことになってました。ホッとしたのもつかの間、今度はモーレツな痛みが右腕の内側に・・・。小指は激痛慌てて流水で冷やしましたが、とにかく小指から肘までの広範囲で、冷やすのも大変。水に当たっていないとモーレツに痛いのです。30分は水を流しっぱなしにして冷やしました。それから、午後8時になっていたので子供たちの夕食作りを再開。保冷剤を右の手でつかんで小指を冷やし、ビニール袋に氷水を入れたものを胸に抱え、それで右腕の内側を冷やしつつ、左手で夕食の用意。とりあえず子供たちは食べさせました。ふと右腕を改めてみると、土を振りかけたみたいになってました。なんと、腕の毛先が燃えて丸くなっていたんです。あちこちチリチリに・・・そしてふと前髪に手をやると、前髪もチリチリに焼け焦げてました。げげー。いやぁ、消火したあと怖かったのは、体のあちこちが熱かった事。引火してるんじゃないか、自分が火だるまになるんじゃないかという恐怖感。あれは本当に怖かった。でも、顔は無傷でした。まつ毛も焦げたけど・・・。それから、息子が気を利かせて娘と一緒にお風呂に入ってくれて、先に寝てくれました。本当に助かりました。娘は「ママかわいそう」とシクシク泣いてましたが、努めて大丈夫な振りをして、二人に笑顔を振りまいて、寝かしつけました。それから、少し落ち着いたので事の顛末を両親に電話しました。やはり、父がチャッカマンを放置したのだと言ってました。父は、チャッカマンには燃料が入っておらず、安全だと思ってたようです。だ、だいじょうぶかいな・・・・だから、「チャッカマンが発火するなんて考えられない、ガス漏れかも知れないから直ぐに調べてもらいなさい」なんて言ってました。数分後にすぐ母から電話があり、「ガス会社に連絡した?」ということでした。こちらは痛みでそれどころではなく、「とにかく痛くて余裕がないから・・・」と苦笑していると、母は怒り出し、「余裕がないとか言ってる場合じゃないでしょ痛くたってガス会社に連絡くらい取れるデショッ」と金切り声。あー、やめてくれー。「緊急時」に限ってどーでもいいことにこだわる自分を最優先させ、自己満足のためにキーキー言って周囲をコントロールしたがる母。あたしは痛いんですけど・・・でもここで自分の主張をするとまた母がキレると厄介なので、「すぐに連絡してまた報告します」と明るく答えると、母も押し殺したようないやみっぽい声で「はいそうしてください」と言ってました。それからガス会社に連絡したら、「チャッカマンにはLPガスが入ってます。その程度で済んで本当に良かったですね。よくぞご無事で・・・」と驚いてました。その後、一人、ソファに横になって腕を冷やしました。とにかくとにかく、モーレツにヒリヒリするのです。氷水を外すと、燃えるように腕が熱く、喉の置くからぬおおおおお~と搾り出すようなうめき声が出てきます。何度も何度も氷水を新しくするためにソファとキッチンを往復しました。8時頃事故が起き、12時になってもまだ痛みが治まらない。これは病院かな・・・?とりあえず、副腎皮質ホルモンの軟膏が効くということなので、べったり塗りたくりました。ああああ、塗ると熱がこもるから余計に痛い。そうだ、キッチンタオルを濡らして巻いておこう・・・。気づいたら巻いたまま寝てしまってました。午前5時。起きた時には、腕の痛みは治まっていました。そして、心配だった皮膚の状態も、ほとんど軽症。あんなに痛かったのは何だったんだろう。というわけで、あわや大惨事でしたが、何とか軽度の火傷で済みました。おとーさんチャッカマンをレンジの横に放置しないでください
2010.07.29
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7月20日の火曜日、午後7時前頃のことです。子供たちと車に乗っていて、ふと空を見上げたら・・・何とも不思議な光景が・・・雲を消しゴムで消したかのように青空の帯が等間隔に見えていました。遠くの方から放射状にその帯が伸びていて、ちょっと不気味でしたよ。朝日新聞にメールで送りましたが、返答なし。却下されたようです(笑)この時期ならではの現象なのでしょうかね?
2010.07.22
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最近テレビで盛んに紹介されている、珈琲おにぎり。 石ちゃんも「まいう~」って言ってたし、 優香ちゃんも「おいしー」って目をキラキラさせてたし、 あの川越シェフもおいしいって言ってました。 ホントにホントってな訳で、早速作ってみました。 洗ったお米の上からジョボジョボと珈琲を注ぎ入れる。 う~ん、ビミョーそして、炊飯の予約設定をし、オヤスミ 翌朝・・・ 部屋いっぱいの香ばしい香りで目が覚めました う~ん、ビミョー そして、具はツナマヨだそうですよ。 早速ツナマヨを作り、おにぎりをにぎ、にぎ、にぎ・・・ テレビで紹介されていたのは、海苔で巻いてなかったので、 同じように作ってみました。 珈琲に含まれる油分のためか、握っても適度に形を保ったまま、 お皿や隣のおにぎりにくっつきません。 そして、完成したのがこれ↓ ジャジャーン う~ん、ビミョー食卓に出しても、最初子供たちはすぐに「テレビでやってたアレだね」 って反応したものの、なかなか手を出しませんでしたよ 一口食べて・・・ 黙っている息子。 そして具まで到達したその瞬間・・・ 「んーママ、これおいしい」 あら、そう?じゃ、私も食べてみようかしら・・・ 息子に毒見させてた母親はあたし・・・ 一口目・・・ テレビでは「茶飯みたい」って言ってたけど、ちょっと違うぞ。 ビミョーな苦味が何とも言えないんですけど・・・ でも、ツナマヨに到達した瞬間、何とも言えない驚きと共に、 「あら、おいしい」 って思わず言っちゃいました。 ご飯だけだとやはりちょっと苦味が残るので、 残ったツナマヨをトッピングしながら食べました。 一緒に食べると本当においしいです 面白いくらいおいしいですそして、何より驚いたのは、後味のさっぱり感。 口の中がとってもすっきりしています。 すると、息子が 「優香ちゃんも同じこと言ってたよ」 とのことです。 だけど・・・ 話のネタに食べるのは非常に面白いしなかなかおいしいけど、 まぁ一度食べたらもういいかなぁ~。 ご飯がもったいない 炊飯器にわずかに残った珈琲飯、どうしたら良いんだろう。 あ、そっか。ツナマヨのトッピングすればいいのね でも、どうせおにぎりにするなら、やっぱり定番の具で握るのが一番です
2010.07.15
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こんなはがきが我が家に届きました。「Mr.クデギ様 撤去自転車返還のお知らせ あなた様の所有自転車等を、〇〇市自転車等の放置防止に関する条例に基づき、 移送のうえ、保管しております。 速やかにお引取りされますよう通知します。」なんじゃこれ?と最初に思いましたが、1分ほど考えて、えええええ~離婚後、私の両親は、家にあるありとあらゆる「Mr.クデギの痕跡」を消そうと躍起に?なっておりました。韓国料理に使う鍋、家族の歴史を思い出す食器の数々、その他、ありとあらゆるものを、私の知らない合間に全部ごっそり捨ててしまいました。中には普段使っているもの、子供の小さな頃に使った思い出深い食器、その他いろいろ「あれだけは捨てて欲しくなかった」と涙が出たほど惜しかった品も数知れず。それを両親はすべて承諾なしに処分しました。で、Mr.クデギが通勤用に使用していた自転車。いつの日か、忽然と消えていたのでびっくりしたのですが、両親が「処分しておいた」と言うので、まぁ私は自転車は乗らないし、一度Mr.クデギが車と接触しようとして避けて転倒し、かなり自転車も傷んでいたので、まぁ処分して良かったかなと思っていました。ところが・・・両親は「処分」ではなく、どこかへ「放置」してきたのだということがこれではっきりしました・・・。いつも、父の会社のビルの1階エントランスの駐輪禁止区域に通勤のため多くのバイクや自転車を停めて行かれることにカリカリし、その都度警察に通報、本人に連絡とってもらったりして、ようやく駐輪する人がいなくなってホッとしていたのに・・・うちの自転車を勝手によそに放置してこないでよ・・・普段、常識と良識の塊みたいに暮らしている両親なだけに、何だかビックリしてしまいました。自転車購入時に所有者登録をしているってなぜ分からなかったんだろう?そんな両親は、今ヨーロッパを旅行中です。いないのでホッとしていますが、こんなはがきを受け取って、何だかブルーな今朝です・・・。だってね、当然ですが、引き取る際に「保管料」を支払わなきゃならないんですよ。両親は「ほっとけば?」と言うかも知れませんが、元夫とはいえ、悪者にして終わるのは何だか私は嫌だなぁと思ってしまいます。でもそんなことを言ったらまたキレるんだろうなぁ・・・(憂鬱)
2010.07.14
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ご無沙汰しております。我が家のエアコンが、ついに冷えなくなりました。フィルターの掃除をしても全然ダメです。息子の部屋、私の部屋、そして娘の部屋・・・全部。ヤマ〇電機で購入したもので、私は勧誘されて「安心会員」なるものに加入しています。「安心会員」は何かと言うと、年会費3000円で、家電の修理が実費のみ、出張費なしになるというもの。それで、ネットで修理依頼を出しました。うっかり2台分の型番しかメモしなかったので、1台分はまたの機会でいいや・・・あるいは修理に来た時についでに見てもらえばいいやと思ってました。修理以来をしてから約1週間。修理当日の朝のこと。早朝7時半に電話が鳴りました。何事かと思いきや、修理センターからでした。「本日9時半~10時の間にお伺いします」と。ムカッうちは子供たちが休日になると6時半くらいからバタバタ起きてきますので、私も寝ていたわけじゃありませんが、修理センターが一般家庭に連絡するのに、朝の7時半というのはいくらなんでも非常識ではないですか??そりゃ、一日にできるだけ多くの修理をさばきたいという事情もあるのでしょうが、それはそちらの事情。こちらは修理の日と分かっているのだから、9時頃電話をし、「あと30分で着きます」でもいいのですから。今の時代、「よそ様に電話をかけて失礼にならない時間帯」なんていう概念?はなくなってしまったのでしょうか??ま、それはさておき、10時前になって修理のおじさんは来てくれましたが、見るからに素人そうな感じの人で・・・10分ほど2階でエアコンの動作を確認していたかと思ったら、1台については「症状が出てないので分かりません」とのこと。もう1台については「恐らくガスでしょう」とのことで、改めてメーカーに修理依頼を出しておきますので、メーカーから連絡があったら修理の日程調整をしてくださいとのこと。へっ?あなたはメーカーの人じゃなかったのですか?うちに何をしに来たんですか?エアコンの電源を点けたり消したりして様子を見るだけなら私でもできるわいっ結局、メーカーから夕方電話があり、さらに1週間修理の日が伸びてしまいました。最初に修理を依頼したときに症状を細かく説明しているのですから、ガスくらい想定して対応できるような人を送ってくださいよ・・・しかも、「ついでに修理を頼もう」と思っていた娘の部屋のエアコン。修理を依頼したときに型番を明記していなかったので、「ついでに」は見てくれないんですって。「改めて修理依頼を申請してください」だって。めんどくさー。日本ってこういうのが全然融通が利かないですね。なーんて、イライラばっかりしてるから眉間の皺が深くなるんですね。もっと心穏やかに過ごさなくちゃ~。だけど、あの安心会員システム。全然「安心」じゃありません!
2010.07.13
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若くして成功している芸能人の自殺があまりにも多いですね・・・。パク・ヨンハ、特別ファンではなかったけど、ショックです。末期がんのお父さんの看病をしていたのだとか・・・。うーん、本当に残念です。私の韓国生活の記憶の中に大きな存在感を持っていた人たちが、どんどん亡くなって行くなぁ。かなり、ショックです。論硯洞(字あってるかな?)の自宅・・・といえば、私が働いていた法律事務所があったのも論硯洞・・・。うーん、何だか悲しい。※コメントへのお返事が遅れてすいません。後ほどお返事しますね~!
2010.06.30
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我が家は一軒家に住んでます。一家そろって帰国する際、父が購入し、私が毎月父に返済しています。ところが、私と子供たちが住むには大きすぎるし、庭の手入れや家のメンテナンスなど、とても一人では限界があります。だから、両親の考えでは、近いうちに売却し、両親と同じマンションの別の部屋を買ったらどうか・・・とのことのようです。両親の住むマンションに引っ越すには、息子も転校しなければならないし、娘も学区が変わるので新しい学校に入学することになります。(今年中に引っ越した場合)もし入学後に引っ越すなら、その時点で「転校」ということになります。もちろん、一軒家を維持していくのは大変だから、マンションに移り住みもっとスリムに身軽に生活すべきとは思うのですが、私はこれ以上両親とべったりの生活になるのは正直キツイです。そうでなくても、毎週末両親と一緒に夕食を食べているし、両親は私が二十歳を過ぎた頃から堰を切ったように?晩酌をするようになり、それがどんどんエスカレートして、今ではかなりの飲酒量です。特に、母は拒食症と言ってもいいほど食事を摂らない代わりにアルコールは欠かさないので、恐らく体には相当の影響があるのではないかと思ってます。休みの日に家に来ても、昼間から缶ビール2本。夜も缶ビールから始まって、ワイン1本くらいは平気で飲みます。機嫌がいいときはいいのですが、怒り出すと手がつけられなくなることもあります。とにかく心配性というか、常に家族の指揮官でいるつもりなので、楽しく和気藹々やっている時はいいのですが、一定の時間を過ぎると「我々はこれでよいのか?」という疑問がムクムクと頭をもたげるようで、その怒りやイライラを全部父や私たちに向けるので大変です。話が逸れましたが、それで、はっきりと母の口から「同居したい」という希望は聞いてませんが、「マンションに引っ越す」という話については、私は即答を避け、すぐにどうこうという結論は出さずにいました。そのことを昨日電話で母に指摘されました。「拒絶されたような感じがする」と。「じゃあ距離を起きましょうか」と。挙句の果てに、「都合のいいときばかり頼ってくるな」と怒り出しました。シングルになった今、私は滅多に単独行動をすることができません。だから、友達とも会えないし、どこにもいけないし、飲み会や何かの会合も絶対に行けない。いずれは新しいパートナーと出会いたい・・・なんて希望もあるけれど(再婚は視野に入れてません)そして母は「どんどん恋愛はしなさい」なんて言うけれど、外出もままならないのに恋愛なんてできません。だから、最低限、25年ぶりの同窓会とか、そういう特別な場合に両親に子供を頼むということはありました。今週末も、どうしても見たい芝居があるのと、学生時代の親友と再会したいので一日だけ子供たちを預けることにしたのですが・・・それでもずいぶん遠慮しているつもりです。毎日毎日孫の送迎に喜びを見出しているおじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃるようですが、私の両親はそういうタイプではないし、プライバシーを大事にしたい人たち。だから私もできる限り「子守り」は頼まないようにしているつもりです。毎週末のディナーも、誘わなければふてくされたりスネたりするくせに、毎週末一緒にディナーするのも私が甘えてると思ってるみたいです。「こういうときくらいしかゆっくりできないんだから、後片付けは私に任せなさい」というのは、本心ではなく嘘だということ?なら全部私がやるから放っておいてさっさと帰ればいいのに。深夜1時までお酒を飲みながら片づけをし、台所を新築当初よりもピカピカに仕上げて帰る完璧な母。同居したら四六時中小言を言われるのは目に見えています。そして、同居したら四六時中父と大喧嘩するのをまた見せられるのはゴメンです。それに・・・子供を預かってくれてるときも、昼間からお酒を飲むのはいかがなものかと思います。でも、父もそういうことを咎められないし、私も面と向かって言えません。言ったらキレて大変なことになるからです。「じゃああんたたち勝手にしなさいよっ!二度と私に頼み事なんかしなさんな。もうお互い会うのはやめましょう」とか何とか決定的な一言を叩きつけて出て行ってしまうのがオチです。そして家族がまた機嫌取りにあたふたあたふた・・・振り回される。子供たちも何度酔った勢いで怒られたかわかりません・・・。でも、今の私の生活は、両親なしには成り立たないくらい、世話になっているのは確かです。父の会社に勤めさせてもらえているのも恵まれていることだと分かっています。だから私もわがまま言えないし、親孝行しなければならないのですが、何をどう努力したら親は満足してくれるのか、子供の頃から何をやっても「まだ足りない、まだ足りない」と言われ続けましたから。学年で1位を取っても、親の希望通りの私立校に合格しても、飛び級をしても大学院を卒業しても、ずーっと、「もっと上、もっと上」と果てしなく期待をかけてきた母ですので、それに息切れをして駆け落ちなんていうものをしてしまったのですから・・・また出戻って「振り出しに戻る」な生活は、私も結構キツイものがあります。でも、もう逃れられない。私は両親からは逃れられない。どうしたらいいんだろう。がんじがらめな気分です。
2010.06.23
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私は現在、父の会社に勤めています。日頃取引のある銀行は、オフィスから歩いて1分のところにあります。今朝、父が銀行から戻ってきて言いました。「いつもの法人担当の窓口にいる人じゃなくて、奥のカウンターにいる〇〇さんって人に話しかけられたんだけどね。あの、いつもいらっしゃる事務員の方は?・・・って言うからいや、事務員じゃなくて私の娘なんですよ、って言ったら、こう言われたんだよ。ああ、どうりで綺麗で品のある方だと思ってました、って。どこで誰が見ているか分からないから、気をつけないとな。」と。な、な、なんですってぇ~綺麗で品ありますか?もっと言ってもっと言ってぇ~「娘ですって言ったから慌ててそう言ったんじゃないの~?」などと言いながらも、内心はいやぁ、明日からもう少しマシな服装にしよう。いや、それよりも、銀行での待ち時間で寝ないようにしようっと給料日や月末など、混んでいる午後に待たされて寝ちゃうときあるんですよね。いやぁほんっとに恥ずかしい。
2010.06.16
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レッドクリフをMr.クデギと見ていたとき、私はある人物を指差し、「この人知ってる?」と聞きました。帰ってきた言葉は「うん、知ってるよ。キムソンムだろ?」・・・絶句。韓国では「キムソンム」として通っているんですね?「キムソンム」さんを韓国人だと思っている人もいるのでしょうかね?「金城武」さんは「キムソンム」さんじゃなくて「かねしろ たけし」さんなのに・・・。広くアジアで活躍しているから、本人はそれほど呼び名にはこだわってないかも知れないですが・・・最近新聞で、23歳の日本人女性が、韓国で「知人男性」とお酒を飲み、その後大喧嘩して突然走り出し、車両用エレベーターから地下4階に転落死した・・・という記事を読みました。韓国人男性と知り合い恋に落ち、かつての私のようにお金を貯め、何とか親を説得しては韓国へ会いに行く・・・そんな日本人女性もたくさんいるんだろうなと思いました。だけど、命を落としてしまうなんて。最近、韓国人と離婚を考えていると、ネットで私に相談してきた人がいました。まだ若くて子供もいないカップルです。夫が浮気したので、自分も浮気をし返してしまったとか。その浮気相手が夫の知人だったこともあり、知った夫が激怒。韓国の実家からお金を出してくれて日本で家まで買ったのに、夫は韓国に帰ってしまった。もう修復できないと言われた・・・とか。夫の実家が裕福で、しかるべき教育も受けて経済力がある相手でもうまく行かないこともあるんだなぁ・・・。本当にいろんなケースがあるんですね。ところで、Mr.クデギが近々日本にやってくるそうです。だけど、私は結婚生活10年のうち、ほとんどまともに家計を支えてもらった記憶がないし、離婚後も養育費はびた一文もらってません。それで、気まぐれに洋服やゲーム機を送ってきて、今度はどっさりお土産を持ってはるばる日本までやってくるんでしょうか。当然我が家に滞在するつもりでいるみたいなので、ここには来てもらっては困るという話をしたら、「何で?」という態度でした。養育費なんか払わなくても、実家が経済力あるんだからいいじゃないか。↑向こうの人ならこう考えていても全然おかしくないですね・・・。私にしたら、養育費も払わず、一切子育ての責任を果たしていないのに、自分の都合でこちらにやってきて、いい姿だけを子供たちの前で見せ、また別れのつらさを味わわせて日本を経ち、その後のケアは全部こちら任せ・・・では困るのです。でも、子供たちにとっては世界でただ一人の父親。面会を私が阻む権利はありませんから、どういう形で会わせるのがいいのか、今から悩んでいます。それで、多分心のどこかにいつもこの問題がくすぶっていて、このところ腰痛がひどかったり、お腹を壊すことが多くて、ちょっと調子が悪いです。Mr.クデギは、いずれ日本に住んで日本で仕事をしたいと言ってますが、何だかちょくちょく子供たちに会いに来ては自分だけ「いいとこ取り」するのではないかと・・・そんな不安を抱いています。子供に一切しつけや教育をせず、私と子供の間の約束やルールも全部破る人だったので家庭内にダブルスタンダードが存在するのがとてもストレスだったのですが。もちろん、ダブスタといっても、うまくバランスが取れているのならいいのですけどね。韓国で、私がフルタイムで働き、Mr.クデギが無職だったころ、毎朝保育園に息子を送るのは彼の役割でしたが、行きたがらないからといって、毎朝アイスクリームを食べさせてバスに乗せ、保育園に行かせていました。しかも、お昼ご飯の直前に登園させてました。・・・・・・・・・私の両親は、子供たち、特に息子の悪いところは、父親の遺伝子が影響している、韓国で生活した経験があるからだと言います。「遺伝子」と言われるのが本当に嫌です。子供にとっても、それは禁句だと思うのです。やんわりと、そういう言い方はしてもらいたくないと伝えるのですが、母はすぐ逆上するので難しいです。「あたしだってどんだけ心配してると思ってるのよ!」から始まって、そもそもこの結婚は反対だった・・・どんなに裏切られた思いだったか・・・とそこまでさかのぼって言われると、私は返す言葉がありません。でも、「遺伝子」と言ってしまったら、「ダメ人間」のレッテルを貼ってしまったのと同じ。そんな風に子供を否定したくないです、私は。母は「発奮してもらいたい」から言うのだそうですが、私に言わせれば、それは「決定打」を与えることで自分が楽になる方法なのです。私は絶対にそれだけは言うまいと思っているのです。なぜなら、自分のルーツの半分を否定し負い目に思って生きて欲しくないから。でも、両親にとっては、韓国というルーツは消し去ってしまいたいくらいの気持ちなのでしょうね。何だか「キムソンム」からずいぶん脱線してしまいました。
2010.06.15
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娘の保育園の園長先生は、2年に1度、または1年に1度変わります。変わる度に、「前の園長先生がよかった」って思うのが不思議ですね。最初は慣れなくてあまり親しめなかった先生でも、1年経つと子供の名前も性格もよく把握してくださって、異動と聞くとやはり名残惜しいものです。がしかし・・・今年の新任の園長先生ほど衝撃的で、自分が拒絶反応を示した方は過去にいません。もちろん、他人様の容姿や体型についてとやかく言うなんて・・・私だって人のこと言えた義理じゃありませんし、子供の教育上もよくないと思いますから、口にしませんけどね。でも、今朝車の中で娘が、「今の園長先生より、前の先生がよかった。今の先生は髪型も変だし、声もこんな感じだよね」と言って、声楽家のように裏声で話しかける様子を見事に真似して見せてくれたのでした。あまりに似ていたので、思わず大爆笑してしまった・・・そう。その園長先生は、恐ろしく巨体のお方で、肩幅が狭いせいか、上半身は比較的こじんまりしていて、しかもピッチリとしたきつそうなポロシャツやブラウスなどをお召しになっているのですけれども、スカートはいつもふんわり広がったフレアー風、しかも膝丈。お腹は三段腹が段階的に末広がりになっていて、全体としてものすごい幅になっています。それを覆うようにふんわりと上からスカートがかぶさっているんですが、かなり丈が短いです。あのお腹の部分をカバーすると、おのずと丈も短くなりますわね・・・。そこから白いストッキングを履いたおみ足が覗いていらっしゃいます。で、頭部がまたすごいんですよ。ぎょろりとした大きな目。そして、黒々とした髪を洋梨型のおかっぱ頭にしてあるんですが、クルリと後ろを向くと、なんと「カリアゲ」なんでございますですよ。深紅の口紅もまた超インパクトあります想像してみてください。ドデカイ巨体にピチピチの上半身、ふんわりミニスカートに白い足、大きなお顔にぎょろりとした目、それを覆うような洋梨おかっぱに・・・カリアゲ・・・ ・・・ ・・・いまだかつて、あんなにインパクトのある人に出会ったことがありません。一言で言えば、ジャバザハットって感じですかね・・・。ジャバザハットが裏声で、「みんなさっはぁ~ん、おはようございます!」って言うんですよ。正直言って、退きますしかし、園長先生は運動会の司会の時の様子でずいぶん先生の人となりが分かるものなんです。園長先生と親しくなるのはたいてい運動会以降です。きっと、子供たちの練習に関わりながら、また当日は保護者と関わりながら、ようやく本当の姿を見せてくれるきっかけとなるのが運動会なのだと私は思ってます。だから、秋の運動会が大変楽しみです。でも、あんまり見たくはないんですけどね・・・あの姿。本当に、ジャバザハットなんですもん・・・。すいません、いい年こいて、思いっきり失礼なこと書きました。
2010.06.11
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昨日、娘の保育園の保育参観がありました。登園してから、一緒に折り紙をしたり、パズルをしたり。遊戯室(体育館)へ行ってゲームや踊りをする様子を見たり。そして、途中から先生が、「次は保護者の皆さんも一緒にどうぞ!」とおっしゃり、我々も輪の中に入ることになりました。一つの大きな輪になり、子供と手をつないでペアになります。曲が始まったら、両手を合わせてパチンと叩き、右手握手、もう一度両手を合わせてパチンと叩き、左手握手。今度は両手をつないでクルリと回り、「1、2、3」でクルリと後ろを向きます。すると、今度は別の人とペアになるという遊びです。そうやって、次々別の人と触れ合うことができるようになっています。最初は子供たちと当たってばかりだったので、ややかがんであげて、一緒になって手を叩いたり握手をしたり、手をつないだりと・・・やっていたのですが、途中から保護者と当たることが多くなり、中にはお父さんも・・・最近、よその男性と手をつないで踊るなんてことしたことありませんでしたので、何だかミョーに緊張してしまいました。でも私、ひょっとしたら、かなり嬉しそうに踊っていたかも知れませんは、ハズカシイお父さんの中には、お母さん(奥様)も一緒に参加している人もいて、そのせいか分かりませんが、あまり手をつながないようにしていた人もいました。なんか、小学校の頃のフォークダンスを思い出してしまいました。男の子の中には露骨に「こいつとはやりたくねー」とか平気で残酷なことを言ったりする子もいましたからね・・・。そんな昨日の出来事と関連があるのかないのか分かりませんが、今朝は夢を見てしまいました。初恋の彼が登場しまして・・・何ともリアルにそばにいるのを感じてしまい、久々に人を好きになる自分を思い出しました。いろんな意味で、昨年は波乱万丈でしたので、ようやくいろんなことが整理されてきて、精神的にも少し落ち着いてきたのかな・・・とよい方向に解釈することにしました。いや、そうではなくて、ただの「欲求不満」なだけなのかも知れません。深層心理は誰にも分かりません・・・むむぅ。
2010.06.10
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ミクシィにアメブロ、さまざまなアプリに・・・とネットの遊びを広げすぎてしまい、元祖楽天様がすっかりおろそかに・・・。皆様、ご無沙汰しております。って、見てくださる方いるのかな・・・(汗)お正月はラスベガスとロスに旅行に行ってきました。GWはナイアガラとカナディアン・ロッキーを旅して来ました。昨日は山梨県にさくらんぼ狩りに行ってきました。旅行ばっかり行っていたら家がおろそかになってます。家にいたらいたで、ジム三昧しているので、家事もおろそかになっています。だから、ぽっかりできた休日には、朝から草むしり、植木の消毒、金魚の水槽の水換えたまった掃除に学校や保育園関係書類の整理、不要になった洋服やおもちゃの処分・・・などと、一日中汗垂らしながらてんてこ舞いになってしまいます。あ、生垣のように立派に成長したラベンダーも、あっという間にボーボーになるんですが、私はちょちょいのちょいで見事にカットしてしまいますですよ。お任せください。今の仕事がなくなったら、庭師になろうかな。嘘です。完全な素人なので、外枠は綺麗ですが、内側の枝が大変なことになっていて、年々言うことを聞かなくなってきています。やはりプロが切らないとダメですね。話が逸れました。ああ、そんなこんなで、もう一年の半分が終わってしまった。どうしよう、どうしよう。息子は今年小学校4年生。娘は年長さん。来年には5年生と新1年生。早いものですね。そして、自分も年取るものですね。昨年の健康診断では、肝臓と乳癌の項目で引っかかりました。いつまでも若い、リセットできるなんてタカをくくっていたらダメですね。反省です。この日記の更新が半年後にならないよう、またネタ探しに行ってまいります。みなさん、ごきげんよう~
2010.06.07
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「アリス・イン・ワンダーランド」のプロモーションのため3月22日に来日すると聞いたのは、その来日の数日前。ファンの息子に触発されて、早朝3時に起き成田空港へ車を飛ばすこと約40分。ゲートが5時に開き、第一ターミナルを目指すべきところを第二ターミナルの駐車場に車を停めてしまい、500円払って慌てて出口を出、再び第一ターミナル付近の駐車場へ。到着ロビーに着いたのが5:40。それから一旦外に待機させられ、待つこと2時間半。寒空の下、足の感覚が麻痺してどうなることかと思いました。再びロビーに入れたのは午前9時ごろ。しかし、5時間も待った甲斐がありましたよ。最前列で、1メートル手前をゆっくり歩くジョニー・デップをしっかとガン見させていただきましたともー いやぁ、滅茶苦茶オシャレでかっこよかったですよ。私より息子が大感激しておりました。といっても、「うわ~」とかいうリアクションはなく、あまりに静かなのでどうしたの?大丈夫か?と思いきや、「想像していたよりずっとカッコよかった」だそうです(笑)帰宅後は中学校時代の同窓会。アルコールも入ってフラフラでした~。
2010.03.26
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娘のバレンタインのご報告です♪ 3月12日に、娘と教室のドアをガラガラっと開けて入ると、 「〇〇ちゃ~ん(娘の名)、Hくんが〇〇ちゃんにプレゼントがあるんだってよ~」 と、ニヤニヤと笑いながら好奇の視線を娘に浴びせるクラスメート。 その中からすっくと立ち上がり、スタスタと自分のカバンに何かを取りに行ったHくん。包みを持ってきて娘に 「ハイ、バレンタインのチョコありがとう」 と淡々とお礼を言い、お返しを渡してくれました。 ひ、ひえ~ Hくんの落ち着きぶりったら・・・ 娘はロッカーにプレゼントを入れておくのをためらい、 「ママ、車の中に置いておいてね」と耳打ちしました。 大事に持ち帰って車の中に保管しておきました。 一日を終え、家に帰ると、娘が楽しみにHくんからのプレゼントを開封しました。ジャジャーン。 キティちゃんの素敵なクッキーでした。 クリームがサンドしてあるものと、プレーンの2種類。 娘は気前良くお兄ちゃんや私にも分けてくれました。 お兄ちゃんはかなりケチなんですが、こういうところは娘はかなり気前がいいです。 そして、Hくんからちゃんとお手紙も入ってました。 「〇〇ちゃん、バレンタインのチョコありがとう」って 娘は早速工作に取り掛かり(笑)、手紙と、そして自分のお菓子の中からキャンディーを包装し、シールを貼り付けたりして、 「明日渡すんだ」 と楽しみにしていました。 女の子だねぇ・・・(笑)
2010.03.17
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ヤフーメールが、4ヶ月間ログインしなければ、送受信したメールのデータがすべて削除されるなんて・・・先日久しぶりに、子どもに関するデータを保存しようとして、送信フォルダも受信フォルダも空っぽになっているのを見て唖然。昔の知人と連絡を取ってみようなんて思っていたのに。そして何よりも、日本に帰国する前の、娘が生まれるまでの母とのメールのやり取りを、プリントアウトしようと思っていたのに・・・。全部消えていたなんて・・・。もっと早くバックアップしておくんだった・・・でも、娘が生まれる4ヶ月前までの記録は全部プリントアウトして、日記帳に挟んでありました。残りの部分と出産の記録は、ここのブログに全部残ってました。よかった~。慌ててワードにコピペしたら、60ページくらいありました。さっさとプリントアウトして、家に保管しておこう・・・。楽天やってててよかった!と思った瞬間でしたしかし、「ああ、バックアップしときゃよかった」って何度も同じ失敗しておきながら、相変わらず学習しない自分を心底呪いました
2010.03.16
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http://www.arcadetown.com/fishy/playgame.asp↑このゲーム、結構ハマります。水槽の中で、自分の魚を上下左右に動かし、魚を食べて大きく成長させるゲーム。ルールはただ一つ。「自分より小さい魚しか食べられない」ということです。大きい魚に触れたら食べられて死んでしまいます。そして、この魚、一匹食べるごとに「ゲー!」とゲップをします。ああ、お下品。どんどん、どんどん、食べれば食べるほど大きくなります。が、必ず途中で食べられてしまっていました。ところが・・・今日は最後までクリアしてしまいました。最後は画面いっぱいにデカくなるお魚ちゃん・・・そして、しまいには「あなたはすべてを食べつくしてしまい、池の生態系を破壊してしまいました」というメッセージが・・・あら、てっきり水槽だとばかり思っていたのは、池(ポンド)だったのですね・・・。結構ハマります。お暇な方だけどうぞ! リンク先のURLは、最初は別のゲーム画像のようなものが表示されますがしばらく経てばFishyゲームが再生されます。
2010.03.09
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今日の娘の保育園の給食メニューを見て、出たと思いました。「朝鮮風スープ」一体どんなのが出るのか、現在小3の息子が保育園に通っていた頃もメニューにあったのです。「朝鮮風スープ」が。どんなものか一度聞こうと思いつつ、日々バタバタしていて、聞かずじまいだったのと、息子が入学し、娘はまだ小さかったこともあり、「今日の給食なんだった?」という単純な質問さえ、まだ娘は答えられない状況だったから。今日家に帰ったら聞いてみよう。「今日のスープはどんなスープだったの?」ってちなみに、先日は小学校の給食で、「キムチチゲ」が出たそうです。前日から冷蔵庫に貼ってある献立を見ていたので、息子に聞いてみようと思っていたら、帰宅後息子の方からそのことについて報告してくれました。「あのね、今日の給食のキムチチゲ、配膳当番が大盛りにするんだよ。僕はお父さんが韓国人だし、韓国に住んでいたから好きだろうって・・・」ほう、そんなやり取りがあったのね・・・「だけどさ、全然辛くないスープにキムチじゃなくてただの白菜が浮かんでてさ、大根なんか入ってるんだよ、あれはキムチチゲじゃないよ」うははは、本場の味を知っている息子が、何やら得体の知れない、名前だけは「キムチチゲ」のまずいスープを大盛りにされてしまった・・・想像しただけでおかしかったキムチチゲの日記を書いていたら、久しぶりに食べたくなってしまいました。こんばんはチゲ鍋にしようかな~。なんちゃって。「お願いだからチゲ鍋と言わないでくれ!」とブログで語っていた八田靖史さんを思い出します。http://www.koparis.com/~hatta/
2010.02.19
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昨年は、1歳年上の年長さんのお兄ちゃん(Yくん)にチョコをプレゼントした娘でした。事前にチョコを用意し、当日は失礼があってはいけないので、Yくんのお母様宛に「失礼かと思いましたが、いつも娘が遊んでいただいて大変慕っているお兄ちゃんなので、プレゼントさせていただきました」とお手紙を添えて。教室の外に呼び出すのも大変で、何と娘のクラスメートのおばあちゃまがお孫さんである娘のクラスメートを送り届けたあと、決定的瞬間に立ち会ってくれて、娘の背中まで押してくださっておかげさまで無事Yくんにチョコを渡すことができたのでした。Yくんは照れてました。娘は「いっつもYくんが追いかけてくるんだ」と私に訴えていたのに、Yくんは「いつもあの子が僕のこと追いかけてくるんだ」とお母様に訴えていたそうな(笑)ホワイトデーには、お母様のお心遣いにより、お返しまでいただいて。卒園のときには、シンプルな文具セット(鉛筆と消しゴム)をプレゼントしたら、お礼にキリンの絵のハンカチをプレゼントしてくださったYくんママ。娘はそれを今でも大事にしています。Yくんは残念ながら小学校に行ってしまい、娘は来年、別の小学校に行くので、おそらく永遠に会えないだろうと思いますが娘のいい思い出になっていればいいな。そんな風に思っています。前置きが長くなりましたが・・・今年のバレンタイン。一応娘があげる!と思い立った時のために、チョコを買ってスタンバイしていた私。でも、特に何も言いません。14日当日になり、突然娘が「今日あげたい」と言い出すので、ありゃりゃ~「今日は保育園行かないのよ~。誰にあげるの?」と尋ねたところ、「Kくん」と答えます。あれ?娘が気に入っている男の子は、Hくんのはず・・・。Kくんが好きなんて聞いたことないし、一緒に遊んでいるのも見たことないし、ほとんど娘の話題に上らない子なのに??「Hくんじゃないの?」と尋ねると、「HくんはRちゃんがチョコあげるって言ってたからKくんにするの」おーい、娘よ倍率が高くなったからといって、諦めるんではない「別に誰がHくんにチョコをプレゼントしたって関係ないのよ。〇〇(娘)は自分が好きなお友達にあげればいいんだよ。」と言ったところ、「うん、じゃあHくんにあげる」よっしゃ、そうこなくっちゃ。準備しておいたチョコを、今朝持たせました。同じクラスの子なので、担任の先生が見ていない隙に娘にHくんを呼んできてもらい、Hくんにチョコの包みを見せながら、事情を話す・・・↑こらこら、5歳児の母、何やっとるんじゃHくん、うん、うんと頷いていたけれど、先生が「はーい、みんな、今やっていたのを片付けてね~」と声かけた途端、「か、片付けなくっちゃ」おずおずと後ずさりし、元いた場所に走って行ってしまったあれー娘、ぼーぜん私は先生に背中を向けたまま、「Hくんのカバンはどこ?」と娘に聞き、カバンの中に包みを押し込みました。だ、だって・・・持ち帰る訳には行かないしど、どうすればよかったのだろうか・・・今回はHくんのお母さん宛にお手紙も書いてないし、Hくんはちゃんと家に帰って報告してくれるだろうか。お母さんには、今度お会いする機会があったときにお話すればいいよね・・・??いつか娘が本当にドキドキ恋をする年齢になったら、その時は失敗のないように母も協力するからねっ
2010.02.15
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土曜日は久々に飲み会がありました。現在小学生の息子が保育園に通っている頃の母親の会の飲み会です。約1年ぶりでした。集まったのは11名。10分ほど遅れていくと、すでに9名が集まっていました。息子以外、全員が保育園近くのT小学校に通っており、先生方の話などにはあまり入れませんでしたが、実は去年までT小学校の校長を務めていた先生は、私の小学校5、6年時の担任でした。当時の話をすると、とってもウケてしまいました。あんな人格者風の校長先生が・・・授業中突然タバコを吸い出し、「オレがタバコを吸っているときはおまえらも休憩時間だ」と平気で言っていたあの頃クラス対抗のバスケットボール大会で負けてしまったとき。「全員並べッ」と横一列に並ばせて、先生は片方の運動靴を脱ぎ、その靴の裏で一人ずつ頭を殴りました。ものすごい衝撃と共に紅白帽がひんまがり、髪がくしゃくしゃになりました。ああ、まるで軍隊のようだったあの頃。奥様のご両親が家に来ている時、気に入らないことがあるとカバンに荷物を詰めて庭に放り投げ、「帰れ」と言ったことがある話や、(↑これは保護者会で武勇伝のように語っていたとの母からの情報)私が小学校の頃いじめられていたとき、個人面談で先生が母に、「いやぁ、(クラスメートに)嫌われちゃいましたねぇ(^▽^;)」などという言い方をしたので、「先生が黙認し助長しているからじゃないですか」と反論したところ、卒業直前の面談の後、私の母の前で土下座して「申し訳ありませんでした」と謝ったこと。あの頃明らかにいじめる側に加担していた先生。校長を努めているときに挨拶に行ったことがありましたが、「私もあと2年で退官ですから」と言っていたのが印象的でした。立派に教員人生を全うしたと言いたいのでしょう。別に恨みとか根に持つようなことはありませんが、みんな人生いろいろだな、ただ淡々とそう思ったものです。飲み会では、あーんなことやこーんなこと・・・いろいろあったんですよ~風な暴露に、皆喜んでました。現役だったら言えないけど、退官して1年も経っているしもう時効だからいいよね会場のお店はインド人が経営する、エスニック居酒屋でした。昼間はランチでカレーの食べ放題などをやっているようです。暴露話の後は、私がシングルになったことをカミングアウト。同じテーブルの数名が「ええええええ~」と驚いてました。一人のママが、「あたしの周りは離婚して幸せになった人ばっかりだよ。絶対大丈夫だよ。」と言い、あんなケースやこんなケース、実のお姉さんの実話まで表現力たっぷりに話してくれました。何だかホントに幸せになれそうな気がしてきて、「わ、私もまだイケるかしら?」と言う私に、別のママが「大丈夫、イケるよ。Evaさん綺麗だし」・・・かける言葉に困って言ってくれた励ましとお世辞であっても、ありがたく本当に嬉しかったです。しばらくして、ちらほらと席を移動するママが出てきたので、私はトイレに立つついでに空になったワイングラスを居酒屋のインド人オーナーに渡しました。トイレから戻ると、カウンターでそのインド人オーナーが待っていて、カウンターに座れと勧めます。今日は何の会なのかと聞くので、子どもが同期の母親の会だと言いました。「なんかキレイ人(ひと)がいると思ったんです」流暢ながらちょっとどこかたどたどしい日本語で言われ、すでに生ビール1杯と白ワイン5杯くらい飲んでた私はいい気分こういう場ではお互いに気分よくなれればそれでOK~調子に乗っておしゃべりしてたら、日本に来て9年なのだそうです。地元の国立大学の留学生だったんだそうです。今はレストランを経営する傍ら、何やら本業をやっているらしい感じでしたが詳細は語りませんでした。しばらくすると、離れた席に座っていた、整骨院を経営するママ(Rママ)が自分のグラスを持って私の横に来ました。ああ、早く彼女とおしゃべりがしたかったので、ちょうどよかった。彼女と近況を語り合った後、彼女が今年考えている、仕事上のビジョンを語ってくれました。「Evaは会社をこれからどうするつもりなの?」と聞かれ、明確なビジョンを答えられなかった私を見て、「何やってんのよ、そんなので大丈夫?あたし今年はあなたのこと見てるからね。秋ごろチェックしに連絡するからね。がんばってよ」と。ありがたいなぁと思いました。がんばらねばそれからは、インド人オーナーとRママ、私の3人でいろんな話をしました。オーナーは「特製カクテルをサービスします」と言って、Rママと私にそれぞれ別のカクテルを作ってくれました。私には「何ベースがいい?テキーラもあるけど」と言われ、あろうことか「テキーラベースでOK」と言ってしまい・・・できあがって目の前に差し出されたグラスには透明な中に真っ赤な色が浮かんだ不思議なカクテルでした。一口飲んで、ライチの香りがする・・・と言ったら、当たり、と言ってました。うーん、おいしい。ものの数分で飲んでしまいました。それから・・・酔いが急激に回ってきて、目はクラクラ、自分の声が耳の中でこだまし始めたこ、これはやばい両親が「飲み会行ってらっしゃい。2次会でも3次会でも安心して行ってらっしゃい」と送り出してくれたものの、夜の11時半近くになっていたこともあり、急で申し訳ないと周囲に断って、帰宅することにしました。あのままお店にいたら、完全に記憶をなくし、家に帰れなかったことでしょう。幹事さんがタクシー乗り場まで送ってくれて、無事帰ることができました。翌朝、インド人オーナーからメールが来てました。「今日は出会えて嬉しかったです。2人で飲みましょうと言ったのに、早く帰ってしまったので残念でした。時間があったらぜひメールください。またお会いできる日を楽しみにしています」と。まぁ必要以上に近寄りたいとは思わないけれど、また機会があれば行ってみたいお店だと思いました。翌朝はひどい二日酔いで、半日死んだように過ごしました。やっぱり、最後の極めつけのカクテルで逝ってしまいました若い頃の勢いでは飲めませんね。反省しました
2010.02.08
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というわけで、月日が経つのは何て速いのでしょう。新年明けましておめでとうございます(遅っ)今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。相変わらず、朝起きてドタバタと子どもたちの朝ごはんを作り、それぞれ上の子は学校へ登校させ、下の子を連れて保育園に送り届け、それから出社・・・、退社後はそれぞれ保育園と学童に子どもたちを回収に行き(笑)、帰宅後にバタバタと夕食の準備、夕食後はWii Fitなどを子どもたちとやったりしながらお風呂に入り就寝。そんな日々の繰り返しです。でも、平穏な毎日です。一番大きく変化したのは、食卓ですね。ほとんど韓国料理を作らなくなりました。韓国料理を作らなくなると、使う鍋や食器も変わってくるんですね。おまけに家の匂いまで変わってきます(笑)あ、別に今まで部屋がキムチ臭かったとか言うわけじゃないんですが・・・。何となく、家の匂いが違うなと思います。でもたまに食べたくなって、先日は息子のリクエストでスンドゥブを作りましたよ。おぼろ豆腐がなかなか手に入らず、3日間待ってやっと手に入れ、家に帰って早速作りました。息子はおぼろ豆腐と半熟卵、スンドゥブの汁をご飯にかけてかき込んでいました。(←ちょっとお下品ですね)んまーいと絶賛。我が家にとっては、これも「母の味」の一つなんでしょうね。私もたまに、豆腐キムチが食べたくなって作ります。どうしても、以前と同じ量を作ってしまい、後から責任食い。むくむくとお腹周りや腰周りに余計なものがくっつき始めて来ましたと言うわけで・・・今年もよろしくお願い申し上げます。
2010.01.28
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ようやく生活のリズムもできてきて、親子3人落ち着き、平穏な日常が戻ってきました。あっ!という間の3ヶ月でした。今年も恐ろしいスピードで一年が過ぎました。激動の1年でした。来年は心穏やかに、そして健康に、一歩ずつ前進していきたいです。それにしても、恐ろしく暑がりだった私ですが、最近は「あったか下着」なるもののチラシに目が行くようになりました。とにかく冬は、寒い外から室内に入った時の、瞬時に全身から汗が噴き出すあの不快感がイヤで、半そでの上にダウンジャケット・・・と言ってもオーバーではないくらい、温度調節ができる服装、室内ではできるだけ薄着でいられる服装・・・そんなスタイルでいつも過ごしていたはずなのに、今年はとにかく寒い!!家でも上着を着ているくらい寒がりになってしまいました。着実に年は取ってるんですね・・・先日初めて人間ドックなるものを受けましたが、血管年齢はばっちり実年齢(一つ下だったけど誕生日過ぎたばかりだし・・・)。確実に体は年食ってます!というわけで、これからはリセットの利かない体。自分だけのものではないので、大事にしていかなくてはと思いました。暮れが迫ってメチャクチャ慌しいですが、どうぞ皆様怪我、事故、病気にはくれぐれもお気をつけて元気に年を越すことができますように!まだ年末のご挨拶にもう一度こちらに来ると思いますが(たぶん・・・)これからもどうぞよろしくお願い申し上げまする・・・。
2009.12.18
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9月18日付で、離婚届を役所に提出いたしました。韓国での生活は、自分なりに精一杯やってきましたし、訳の分からない理不尽な国・・・なんて時に思うことがあっても、少しずつ適応し自分が機能できるという喜びを感じつつ、生き生きと生活していたつもりです。これまた理不尽な夫にも、我慢して努力すればいつか分かり合えると思ってついてきました。もうダメだ、と最終決断で日本へ移住してきたのが5年前。そこからは、私が一人で三人の子供を育てるような私に三人がぶらーんとぶら下がっているような状態で生活をしてきました。それでも半年前までは結構仲良くやっていましたが、夫の新事業の準備が始まってから、これまで漠然とどうしても受け入れられないと思ってきた夫のいろいろな部分が次々に表面化し、両親も「これ以上はやっていけない」と判断し、それと共に私も、まるで洗脳から解けるようにこれまで受け入れ妥協してきたものがドミノが一斉に倒れるごとくに全部覆って「どうしてもやっていけない」の思いに変わり、ついに離婚という決断を出しました。夫なりに一生懸命努力はしていたのでしょうが、やはり究極は・・・常に自分が正しいと思っていること、自分が良かれと思ってしていることの何が悪い?の考え方、韓国スタイルの思考で何でも物事を考えるため、その言動が起こす数々の衝突、トラブル・・・人の助言、アドバイス、希望等は一切聞き入れない頑固さ・・・そういうものに、疲れ果ててしまいました。夫も半年くらい前から、休日家にいてもほとんど私と口を利かなくなり、夫婦間のコミュニケーションもほぼゼロに近い状態。何度か私が「このままで改善するとは思えない」と問題提起してきましたが、夫の態度は変わらず、そんな状態で新事業の研修に突入、深夜帰宅の夫とは顔をあわせるヒマもないので、朝駅まで車で送る間にでも、少しはコミュニケーションができればと最後の望みをかけてきましたが、それでも夫はだんまりを決め込み、少しでも夫婦間のコミュニケーションを密にして家族としてがんばっていこうという姿勢が見られませんでした。そうこうするうちに、二、三言の事務連絡すら頑なに韓国語でしゃべる夫にうんざりし始め、両親もさんざん「仕事のためには日本語を積極的に使わないと」と夫に言ってきましたが、頑固な夫はぎりぎりまで韓国語を使い続け、最後に両親がどかーんと爆弾を落とし、そんなことで事業は任せられない!!と怒ったため、新店舗オープンの2週間ほど前にようやく日本語に変えました。結局、その日本語があまりに未熟&貧弱なのに私はさらに幻滅する結果となってしまいました。そんなので責任者として仕事などやっていけないよ・・・根拠のない超自信家でありながら、プライドがメチャクチャ高い夫。だから失敗する姿は人に見せなくない、でも見栄は張りたがる。向上心はないから努力はしないくせに、人にはよく見られたい。我が家のあらゆるものを総動員して、他人に自慢する割には自分の力でなにかをしようとか、自分が努力をしてステップアップしようとは絶対に思わない人。この人と、一緒に子育てしていくことは無理だと思いました。そういうわけで、離婚したいといいました。夫はなかなか判を押しませんでしたが、あるとき突然判を押すと言い出し、自分が悪かった・・・などと態度を180度変えたので、私も急に、もっと自分も努力すればこんなことにならなかったのかな?などと後悔しましたが、その後夫の起こしたトンデモナイ事件が発覚、予定を早めて役所に書類を提出しました。夫にしたら、新事業の白紙撤回、離婚・・・とダブルパンチで晴天の霹靂だったのでしょうが、だからといって、前後不覚になって不祥事を起こすとは・・・父も、「何をやらかすか分からない。すぐに籍を抜かないと」と言い、私もその不祥事が発覚したその日に役所に走りました。9月19日土曜日は、息子の運動会でしたが、父が「見る必要はない。一刻も早く韓国に帰ってもらいたい」と飛行機を手配し、夫に帰ってもらいました。私も運動会くらい見せてあげても・・・と思っていましたが、不祥事を起こした以上、娘の運動会(10月3日)まで家にいさせられないし、息子の運動会だけ見て、娘の運動会は見ないとなると、子供たちも不公平感を覚えるだろうから、どちらも見せないことにしました。出発前にかかってきた電話で、夫は号泣し、「子供たちをよろしく頼む。今まで本当に悪かった。もっと努力すべきだった。ごめんね。この次会うときには笑って話ができるように、私もがんばるから。」と言っていました。何でこんなことになっちゃったのかな、と私も突然涙が襲ってくることがあるのだけど、私がしっかりしなくてはいけない、と気持ちを奮い立たせるので、涙はすぐに引っ込みます。息子はアッパ大好きだったので、連日泣きっぱなし。娘は最初事実を知ったときには「せっかく今まで一緒に暮らしてきたのに・・・」と5歳とは思えない台詞を口にしハラハラと泣いていました。が、その次からまったく泣かなくなり、ケロッとしてます。娘は、「アッパは家族にまた会うためにがんばるんだから」と言い、泣き止まないお兄ちゃんに叱咤激励。そんな娘を見て、私もがんばらなければ・・・と思います。長々と失礼しました。
2009.09.21
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父の出資により、Mr.クデギが新しい仕事を始めることになりました。今、研修の真っ最中です。まぁ某チェーンの韓国レストランをオープンすることになり、店長研修を受けているわけですが。まだ研修1週間目にして、他店に息子と偵察に行き、そこの店長に「私が○○店の店長です」と名乗ったというものだから、父の逆鱗に触れ、父は「数千万損してもいいから今ならストップが利く」と怒り心頭、家族会議が開かれたほどでした。「研修1週間でやっていけるかもわからないのに、何を勘違いしとるんじゃ!」と言うわけです。とにかく韓国の感覚で言えば、「自分は人徳があるので、自分に投資してくれるという人が現れた。めでたく一国一城の主になった」てなもんでしょう。まぁそこまで思ってるかどうかは別として(そんなことは本人も言ったことがありませんし)態度がそうなんだから仕方がない。相変わらず「5歳になったら娘の名前を呼ぶ」という約束も果たされていないし、私からの「家庭内でも日本語で話して行かないと、とても仕事やっていけないよ」という忠告も無視。相変わらずまるで母国の人と接しているように私には韓国語で話してくる。私は完全日本語に切り替えて、こちらからは韓国語を話すのを一切やめました。でも向こうはどんだけ頑固なんだ?って叩きたくなるくらい意地でも韓国語でしゃべってくる。夜は深夜帰宅なので話す時間がないからと、朝は朝食を出し、クソ忙しい中駅まで車で送っているけれど、その間も終始無言。私は「仕事はどうなの?」と聞いてみたけれど、その答えがなんと、「ケーソク イルハヌンゴジ」(ずっと仕事してるだろ)ブチッどころじゃない、バチンと動脈ぶっちぎれたか?ってくらい頭にきた。「仕事はどう?」という質問に対して「仕事してる」とは一体どういう答えじゃい?禅問答か?「私も普段の仕事以外にこの新事業のために仕事が倍増している。その私に一言も研修の話をしないってどういうことなの?」と言うと、奴はこう答えました。「だって韓国語でしゃべるんなら聞きたくないって言ってたじゃないか」と。ふーん、無言を貫いて無視を決め込んでまで、私とは日本語を話したくないということなのね。っていうか、あなたには日本語が上達したいという向上心はないの?私に意地張ってる場合?あるいは、細かい説明は韓国語の方が話しやすいから、この話に限っては韓国語で話すけど聞いてくれとか、少しでもいいから日本語でしゃべる努力をするとか、そういう考え方ってないんだろうか。私は韓国に住んでいたとき、1年もしたら韓国語に切り替えたほうがしゃべりやすく覚えるのも早いので、早々に夫婦の会話は韓国語に切り替えたけれど、私は彼がなぜそこまで意固地になって頑なに韓国語に固執するのかが本当に理解できません。はぁー、愚痴って少しすっきりした。
2009.08.23
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日曜日、知り合いの在日のお友達のご招待で、我が家の娘が民族学校のファッションショーに出演させてもらえることになった。数回の練習、撮影、リハーサル等を経て、ようやく本番の日を迎えることになった。前日、両親には一応「こんなのがあるので、よかったら来てください」とメールしておいた。両親は、在日社会と親しくすることを好ましく思っておらず、あまり気が乗らないとは思ったけれど、これまでさまざまな孫の行事は全部知らせて、招待し、そのほとんどに来てくれていた両親なので、これだけ知らせないというのも何かな・・・と思い、「ちょっと独特な雰囲気があるので抵抗があるかも知れないけど晴れ舞台なのでよかったら来てくださいね・・・」的にやんわり招待しておいた。いつもならすぐ返事が来るメール。その日には返事は来なかった。当日のファッションショーの間も、返事が来なかった。珍しい。母は休日に一度もメールをしないと怒り出す人なのに。返事がないということは、たいてい私のメールをネタに夫婦喧嘩したとか、そんなことなのだ。「また、在日の人たちと付き合ってるわ!」と怒りだし、夫婦喧嘩に発展したのだろうか?ファッションショーが終わる頃、返事が来て、「気が進まないから行かない」とのことだった。それはそれで、穏やかなメールだったのでちょっとホッとした。ファッションショーを無事終えて帰宅途中、後部座席では家族三人がガーガー爆睡しており、道路は大渋滞。私は眠気が来そうだったので、信号待ちではサイドブレーキを引いて用心していたものの、直進道路でチンタラチンタラ停止しては徐行、停止しては徐行・・・という状態のとき、一瞬意識がなくなり、前のトラックに追突してしまった・・・結構な衝撃で目が覚めた。ガーンまぁ、相手の方も親切で、けが人もなかったのが幸いだった。相手のトラックはちょこっと凹んだ程度、我が家の車はバンパーぐしゃり、だったけど・・・警察で事故の処理をしてもらい、お互いの連絡先を交換して、保険会社にも連絡、すべては無事終わったのだけど、その間中、後部座席で座ってるだけのMr.クデギ。まぁ何を手伝うってわけに行かないのも分かるけどさ。いざというときに交代してもらえるとホントに楽なんだけど、我が家にはドライバーは私しかいないからな・・・やっとこさ家に帰り、Mr.クデギが夕食を作ってくれ(ありがたい)、その間も私はベッドに倒れこんで寝てしまった。夕食を食べた直後も、どっと疲れが出て、また寝てしまった。翌日、出勤してから父に、直後にメールで母に事故の報告をしたら、父は「緊張感が足りないぞ」と言っていたがそれきり。母からはカンカンに怒ったメールが来た。なぜすぐに報告しなかったの?事故のショックより知らされなかったショックの方が大きい。↑早くに寝てしまったと言ったら、寝ちゃったから報告しなかったなんて許せない。そもそも朝鮮人の行事なんかに出てるから悪い。私たちもチョーセン人の行事なんかに行きたくないから行かなかった。あんたも何でもホイホイ呼ばれたら行ってないで本当に必要なものを選びなさい。事故起こしてざまー見ろという気分だわ。あんたはとんだ貧乏くじをひいたわね、と。はいどうもすいませんでした。なんだかやけくそになってきました。
2009.06.29
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日韓カップルの皆さんは、夫婦間での会話は何語で話しているのだろう?うちは、出会った当初は日本語、ソウルに住み始めて半年ほど経った頃から、私から「韓国語にして欲しい」と宣言し、韓国語に変えた。日常生活を過ごしていく中で、悔しい思い、理不尽な思いをたくさんして、その悔しさから貪欲に単語や表現を覚えて行ったような気がする。たとえばドラマを見ながら・・・なるほど、夫婦喧嘩で決定打を与えるにはあんな風に言えばいいのか・・・(なんちゃって)それと、Mr.クデギと話すとき、微妙なニュアンスなどが彼と日本語で会話していると通じにくく、私が韓国語に切り替えたほうが意思の疎通が図りやすいということもあった。以来、9年近くもずっと韓国語でしゃべっているのだけれど、日本に来てから4年半。そろそろ私の韓国語も限界に近づいてきた。まず、いちいち韓国語に直すのが面倒くさい。これまでは、翻訳している実感もなく話していたのだけど、今はえっとほらほらなんだっけ?って単語が思い出せないことも増え、イラつく。Mr.クデギもそろそろ日本語のほうが楽・・・と思ってもいいくらいなのに、私が日本語で話しても、絶対に韓国語で返してくる・・・今はほぼ、私が100%日本語で話し、彼が100%韓国語で話してくる。↑この状況が、今非常にストレスなのだ。日本語でまったり話せるパートナーが欲しい。心からそう思う、今日この頃。
2009.06.19
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ついに息子の小学校が新型インフルエンザのため休校に。なんと、今日から来週の水曜日まで!今朝は、娘のリクエストで、昨日から和食がいいと言われていた。私は子供の頃からずっとパン食だったのだけど、たまに朝食にご飯とお味噌汁というのがしてみたい気持ちはよ~くわかるので、今朝は雑穀ご飯を炊き、具沢山味噌汁を作り、納豆やら、焼き魚やら・・・いろいろ並べた。子供たちは喜んで食べている。ついつい私も朝からたくさん食べてしまったMr.クデギはすっかり専業主夫生活が身につき、毎朝ガーガー寝ている。(世の専業主婦は、おそらく家族の中で一番に起き、朝食を作り、洗濯機をまわしているはずだ・・・)私はせめて息子が学校へ行く前には起きて、いってらっしゃいと送り出して欲しい。そういう姿を見せて欲しい、と口を酸っぱくして言ってきた。1ヵ月半もの間、一日中家で何をしているんだろう、この人は。それでも、夕食前のビールは黙認してきた。いよいよ来週半ばからアルバイトが始まる。せめてつかの間のフリータイムを楽しんでちょうだい!しかし、この人がガーガー寝ている朝、私は一番に起きて1時間ほど勉強をし、子供たちの朝食を作り、食べさせ、洗濯をし、終わったら干し・・・出かける前の忙しさは何ら変わらない。Mr.クデギ、うちに要らない人かも知れない・・・
2009.06.12
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