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紡ぐとは、繭や綿から繊維を引き出して、よりをかけて糸を作ること。意識下にある想いを丁寧に拾い上げて、言葉にする・・・その過程に、優しさがあれば優しい言葉になるし、乱暴に扱えば、乱暴な言葉が生まれます。表層下にある想いと、言葉のずれも表出した言葉には映し出されています。想いは目には見えませんが、心で感じ取れるからです。
2017.04.27
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変わるものと変わらないものがある。私は私の中の変化を楽しもうと思う。
2017.04.25
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久しぶりにこの言葉を耳にした。福井にシュタイナー教育のフリースクールがあるという。私がシュタイナーに初めて出会ったのは24年前になる。まだ歩けない長女をおんぶしてバスでブックオフに行ったときに出会ったのが最初だった。それから日本のシュタイナーの協会に問い合わせて鳥取でシュタイナーの読書会を紹介されて参加するようになった。そのころ、シュタイナー教育といえば、子どもにシュタイナー教育を受けさせるために移住する時代だった。けれども私が感じたのは、ドイツにまで行かないと受けられない教育が現実的だろうか?ということだった。今の自分が生きている現実の中で教育できなければ、厳しい社会を生き抜ける子どもを育てられないだろう・・・と。そして、昨日はその直感したことと同じことを語る人と出会うこととなる。シュタイナー教育を受けたものの、社会に適応できないというのはどういうことなのだろう?と。
2017.03.14
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エネルギーの方向がさだまると、気持ちもさだまる・・・
2017.02.22
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どの言葉に目を向けるかによって映し出されるものが変わってくる・・・・
2017.02.15
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感情に振り回されることなく、穏やかな日々をおくる癒しのアイテム・・・音楽。香り。そして手作り。今日も一日、素敵な日になりますように。
2016.12.13
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2016年は、パラダイムシフトというイメージでした。そして、この時期になると向こうからやってきたのが、「起動」という言葉でした。確かに、スィッチ入っちゃいましたね~。忙しくなるであろうという予感はしていました。やるしかないですね(^-^)
2016.11.29
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ご近所の人たちから貰い受けた着物の端切れ100枚を集め、それを縫い合わせて着物を作り、子供の無事の成長を願って作る着物。それが百徳着物です。日本のパッチワークの原点とも言えます。その子の健やかな成長こそが、私の様々な活動の原点です。20年前に弟が引きこもりをしていた時に、思っていたことがあります。彼は、ひきこもり続ける人生を選択するために生まれてきたのではないはず、と。その引きこもりには、意味があるはず。その弟と今、伸楽ひふみ学園にて一緒に活動しています。だからこそ、わかるのです。今、大きな転換点を迎えている学園の、この時に突然訪れた死は、多くの意味があることだと。
2016.10.11
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何かが動くときには大きなマイナスの側面も出てきます。今、生まれ変わりを行いましょう。そうすれば、すべてが必要なことだったのだと気づくことができます。
2016.10.09
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距離をおくとは、関係を断つということではありません。お互いにとって、よい関係を築くプロセスに必要なことなのです。
2016.08.23
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過去の自分と現在の自分。いつ変化したのか、は思いだせない。ただ、小さな行動の変化の積み重ねが、大きな変化を生む。
2016.08.20
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一歩踏み出してみた。周りが変わらなくても、自分の意識が前へ進めば、変化は起きる。
2016.08.18
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昨日目に飛び込んできたのがこのページ。ザ・マインドマップの1ページです。ということで、さっそくマインドマップ的ノートの取り方をまねてみました。これはメモの段階。字が汚いので、ちいちゃくしか載せられません(汗)でも、やってみたらおもしろい。私にとってのパラダイムシフトが何なのか、ちょっとずつ見えてきたよ~。
2016.08.13
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2016年に向けて選んだ言葉が「パラダイムシフト」直感的に出てきたものなので、そのことの意味を深く考えていたわけではありません。おみくじをひいたら、前半は生みの苦しみのような期間になると出ました。新しいもの生み出されるまでの、夜明けの時期だったようです。そうした、流れがようやく見えてきました。何を選択し、何を産みだすのか。わくわくする後半がスタートしているのを感じます。
2016.08.10
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手を差し伸べることが時として、自立を阻むことがある。言葉をはさむことが、時として思考を阻むことがある。自分で歩きだすためには、周りが立ち止まって何をすべきか検証することが大切なのかもしれません。
2016.08.04
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大事なことは自分がどこを見ていくのかということ・・・誰かの描いた世界に焦点を合わせる必要はないということ。
2016.07.01
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不思議なもので、忙しくなればなるほど時間の使い方がうまくなる・・・最近は、朝の時間を使ってパッチワークをするのが一番のお気に入り。BGMには、癒しの音。同じ作業をこつこつとしていく時間は、α波が出ているといいますが、頭の中をからっぽにする時間が貴重だなと感じますね~♪(Photo by 金沢写真サロン)
2016.06.26
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誠実な言葉は、光を放つ誠実な行動は、結果を放つ
2016.06.12
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たくさんのお祝いの言葉をいただきました。ありがとうございます。娘たちは、お昼からプレゼントやケーキを買いに出かけました。台所用品のあれこれをプレゼントしてもらいました。私は、打ち合わせや勉強会にと、思い思いのスケジュールの日。夜は、みんなで鍋を囲んでのんびり過ごしました。お誕生日カードは、次女の手作りでした。ミニヨンのキャラクターがいっぱい飾られてました。
2016.02.28
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頭の中で、できない理由を思い浮かべるよりも行動に移してみたら、案外と簡単にできたりするものです。そんな風に生き始めると24時間の密度が変わってきます。
2015.11.17
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ゲシュタルトの祈り私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。私はあなたの期待にに応えるために、この世に生きているのではない。私は私であり、あなたはあなたである。そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。でも、たまたま私たちが出会えたのなら、それは素晴らしいことだ。たとえ出会わなくても、それはそれでかまわない。 Frederick S.Perls (フレデリック・S・パールズ)今朝はこの言葉を思い浮かべました。エネルギーを奪いあう関係ではなく、彼岸花のようにまっすぐに地面に足をつけて、私は私の人生を生きよう・・・
2015.10.22
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ただ、想うだけでことが起きるわけではないと感じています。日々、行動を積み上げていくと、流れができてきます。それは、小さなことの積み重ねなのだと思います。大きなことにとりかかろうと思ったら、目の前の小さな現実を大切にすることからスタートしていきたいと思う日々です。
2015.08.24
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「手を出す時」、と「手を出してはならない時」があります。誰かのために、と一生懸命になっているとこの境目が見えなくなります。相手の助けになるから、と動くことが相手の依存の助けになっていることもあるのです。むしろ、自分がこまる状態になって自分でどうすればよいのかを「知る」機会を得ることのほうが大事なのです。
2015.05.25
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新月の時は、心を穏やかにして、自分を見つめなおしてみます。もっと楽しんで過ごすこと、と時を自分のものにすること。そんな言葉が浮上してきました。いろんなことに心を奪われた日々が続いていましたから、これからは、時を自分のものにして過ごしていきます。
2015.05.19
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共感で、癒すことができます。けれども共感だけでは、育つことができないのだと感じるようになりました。人が自立へと進むときには、自分の足で立って、時には厳しいと感じる現実とも向き合う力が必要です。やさしく手を差し伸べるだけでは、前へ進むことが学べないのですね。
2015.05.18
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2月19日(木)は、水瓶座の新月。月のサイクルが、何かしらの影響を与えているのを感じていました。一見マイナスに見える出来事が重なる時期が来ると、そろそろ月が満ち欠けのサイクルにあるのだろうと知ります。そうして迎えた2月19日に、新たな流れが生まれました。実践ジャーによる勉強会を始めよう。まずは、核になるメンバーで始めて、新たな流れを巻き起こす・・・今、頭の中にあるのはそこまで。でもわくわくする楽しい試み。
2015.02.21
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子供の頃は、星の王子さまのように感じる世界を大切にすることは容易だったかもしれません。けれども、社会にはびこる価値観やエゴがその感じる心にカバーをかけてしまいます。そのような状態の中では力はわいてきません。困難な中で力を得ていく最大の秘訣は、自分のためにではなく、誰かのために一歩を踏み出せるかどうかにかかっています。
2015.01.27
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昭和よりも平成の子どもの方がアトピーの子どもたちが増えている、ということが言われたのはまだ平成1桁の頃・・・・わが子が生まれてみたら、ひどいアトピーでした。私なりに妊娠時から食事療法らしきものを試みて特にアレルギーに関係する3大食品を避けて油や砂糖も避けました。けれども皮肉なことに、食べるものを選んだがゆえにその食品に関係ないものとしてパンや手づくりのスコーンなどお菓子を食べていたところ、卵や牛乳のほかに小麦のアレルギーまで持ってしまいました。結局は生まれる前半年ほど除去したとしてもそれ以前に蓄積されたものが遺伝子レベルにて影響していたようです。次女の時は、長女が生まれてよりまる3年間食事に気をつけていたこともあってか比較的アトピーの方は軽くて済みました。ところが次女の場合は生後まもない頃より気管が弱いのが顕著にわかりましたね。それはわが子だけではなかったようです。長女が生まれてより気がつくようになったことは、わが子同様にアトピー肌の子が多いということでした。そして4歳になると同時に喘息を発症・・・・でもその頃はまだ喘息の子どもというのは少なくて私は、子育てサークルの全国版の会報を通じて喘息の子どもをもつお母さんとの情報交換をする通信の発行を呼びかけたほどでした。今驚くのは、次女と同じ学年の子に、喘息の子が多いことです。長女の時には同じクラスに1人いるかいないかでした。次女の場合は、何人もの子がかつて喘息が出ていたとか現在も入院するまでの発作になることがある、という人の話を結構聞きます。正確には統計をとらねばなんともいえませんが、5~6人はいるという感じでしょうか?意識されないところで始まった環境破壊や食生活の乱れは、このようにして目に見える形となってその影響を見せ始めています。その意識されていないものときちんと向き合って意識していくようにすることがまず大事なことのように思います。(2007.03.10)
2014.08.22
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振りかえりをして、自分のたりないところを見つめなおすこと。どこに手を加え、どこに距離を置くのかという見極め。ひとつひとつ整理して、前へ進んでいこう。
2014.07.13
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「誰かのために」だけでは、人は育たないということを実感しています。今求められているのは、自分の立ち位置。上から目線でもなく、下から目線でもなく、誰かを頼るのでもなく、今ある状態を客観的に見据えて、なすべきことを積み上げていく、そんな感じでしょうか。人が育つために必要なことが、何なのかもう一度一から問い直していく時が来たのだと感じます。
2014.07.09
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発達障害の診断名を知って対応をしたら、子供が劇的に変化したという話を聞いてびっくりしました。というのもうちの学校の生徒たちの多くは、特別支援学級で過ごしてきていた生徒なのですが「診断名」を明記されて対応をしていないからです。発達障害の診断名は、病院によって変わることさえあるくらい、診断の難しいものであり、ましてやグレーゾーンの子どもたちは数知れずいます。そのような診断名などなくても、日々つきあっていれば、おのずとその子の特性はよきにしろ、悪しきにしろ見えてきます。社会的支援を受ける場合(行政の福祉サービスや学校での対応策として)には、診断は必要ですが、日々の対応は、診断のあるなしにかかわらず、その一人一人の子にあった対応をすればよいだけのこと。診断名にそった対応策をとるしか対応策をとれないというのは、いかに画一的な教育が、教育者にほどこされてきたかという現代社会を見せてもらったような気がします。
2014.07.04
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思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。(マザーテレサ)
2014.06.28
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10日くらい前になるでしょうか。2年ほど前よりメンタルケアをしている女性より、電話がありました。「パッチワークを教えてほしい」というのです。その後、一度会って話した結果、彼女の自宅で教室を始めることとなりました。支援か手作りかどちらかを選択しようと考える時もありました。が、2兎追うものだけが2兎を得る・・・まさしくその通りだなと思います。
2014.05.22
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昨日は、恒例のたこ焼きデー。毎年、何回か特別講座にてたこ焼きを作ります。いつもは女子生徒が、メインで手伝っていたのですが、今回は、男子生徒が、材料を切るところから手伝ってくれましたよ~。今年は生徒も増えたので、たこ焼き器も一回り大きなものが登場。たこのほかに、チーズやおさかなハンバーグも入って、いろんなバージョンのたこ焼きを作りました。いつもながら、楽しいたこ焼きづくりとなりました。
2014.05.08
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「伝える」ことで、人と人の出会いが生まれることはあります。誰かがどこかにつながるという縁が生まれます。では、「伝わる」ことで何が生まれるか・・・誰かに変化が生じることがあります。物事が飛躍的に進むことがあります。「情報伝達」だけではなしえないことが、「行動」レベルでは、生まれます。ですから、情報伝達やシェアすることは、単に日常的なコミュニケーションにすぎません。そこから出会いが生まれることは、その副産物による効果です。以前から違和感を感じていたことを整理してみました。
2013.04.24
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小松の朝活で、「ペイフォワード(恩送り)から学んだこと」というのをテーマにお話することになりました。朝活に参加したのは、今から2年ほど前のこと。ツイッターやフェイスブックの勉強会だということに興味があって、その朝活に参加したのがきっかけとなり、フェイスブックに登録するようになりました。その後も朝活に何回か参加しましたが、朝活に参加する人たちが、東北への支援に関心のある人たちばかりではないのを感じていましたので、パネルディスカッションで話すことと少しテーマを変えてみました。といってもまだまだ学びの真っ最中なので、内容がまとまっていません(汗)支援とは、恩送りであるということ。支援に見返りや効果を求めるものではありません。「愛は与えて忘れなさい」のごとく・・・そして、そこから学ぶことはとても大きいです。そのイメージは、わらしべ長者のお話に通じています。と書きつつもまだ、頭の中は悪戦苦闘中(^^;
2013.01.23
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愛は、見返りを求めない愛は、ただ愛することにその愛をえる。愛は、その愛によって力を得る。愛は、その愛によって生きることができる。愛は、その愛を育むことによってのみ、未来を変えることができる。愛は、その愛によってのみひとつになることができる。
2012.06.12
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FMかほくでの出演の次の日には、久しぶりにセミナーに参加してきました。このたびは、すみれさんとふーちゃんと3人で一緒に出かけていきました。セミナーは過去にもよく参加してきたのですが、3人で参加するというパターンは始めてです。で、自己紹介カードに何を書く?というところで3人が顔を見合わせました。なにせ、それぞれがいろんなことをやっているのです。私の場合は、子育てアドバイザーと引きこもり支援相談士とヒーリングキルト作家という3つの肩書きを名刺につけているのですが、その時の私の発見といえば、ボランティアグループには所属しないできていた私が、ペイフォワードTO東北のグループの中にいる~?!しかもグループの名づけの親(言いだしっぺ)は私だし(^^;ふーちゃんも大人数のセミナーが苦手だったみたいですが、私も名刺交換会は苦手なんです。小さな頃、学校のクラス替えをしたときに新しい人とお友達になるのが大の苦手だったから・・・の延長のようです。少人数の中で交流するのは好きなんですけどね。そんなことも体感した一日でした。
2012.01.29
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5年前の日記におつきあいしてくださり、どうもありがとうございます。コメントを下さった方も真摯に想いを込めた言葉を書き込んでくださってとても嬉しかったです。あの頃の私と今の私、根本的なものは変わっていないんだと思います。けれども違うものもまたあります。別のブログで、『僕は12歳』の詩集についてコメントを書いていたのですけどその時にふと感じたものがあるんです。あの詩集にはまだ12歳という少年の研ぎ澄まされた感性の想いが、たくさんちりばめられていました。その研ぎ澄まされた感性は、美しいとはいえない現実の醜い部分を受け止めるのは辛かったのだろうなというような詩でした。今なら、こうも言えます。彼は、幼かったんだな、と。現実というものは、決して頭に思い描く理想のような世界にはなりえないんです。何故なら、人々が創り出す世界だからです。様々な思考を持ち、様々な感性を持つ人々がそこに存在するのですから。けれどもそこには、美しいものも存在しています。自然が厳しさと美しさを持ち合わせているように現実の世界においてもそのような厳しい側面を排除することはできません。生命が、その自然界の中で生き延びていくために新しい種を作り出し、進化していくように人々もまた、新たな自分を生み出していくことが大事なんでしょうね。
2007.07.19
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★2002年1月3日の日記より …僕のメールに少しでも耳をかたむけてくれるなら、この世界日本の故郷の本来ある姿を考えて欲しい。 というメールが年末に届いた。 とても答えにくい内容なので、少し時間をおいてみた。 教育に関わっている方なので、今の若者の現状を知るにつけて現実の世界を憂えている、という感じだろうか。 2000年を過ぎて、世界は様々な変動期に入っている。私は、マイナーな情報をとりこむのが好きなので、チャネラーものもたまに読む。それから、シュタイナーの描く魂の世界にも関心がある。現実的視点の背後にある、本質の世界に興味がある。 それは星の王子様のいう、「大切なことは、目に見えないんだよ」にも通じてくるような気がする。 地球は今までに何回も転換点を迎えてきている。それは何かというと、文明が発達し、科学が人を作り出し、神と言われる存在に近い技術を持つようになった人間達。その人間が文明、科学技術を正しい用い方をすることができるまで、精神を向上させることができたか、それともそれらを自己のために悪用するのか…の臨界点にきている。その象徴たる出来事の一つがテロ事件である。(これは、私が読んだ本の集大成かな) 自然もまた、地球の環境汚染を通して、訴えてきている。地球という惑星もまた、今転換点を迎えている。たとえばオゾン層の破壊を通して、温暖化を通して、地球の地軸の変化を通して、さまざまな異常気象を生み出す中で、人々に目覚めるように気づきを促している。 テロ事件があった時に、私もまた自分を見つめなおす機会となった。私が、今できることは何なのだろう…。 ニューヨークまで飛んで行って、何かするってこともできなかった。募金活動ぐらいはできただろうけど、そういう目先のことだけではなくって、これからの時代を生き抜いていくために私のできることって、何だろうと思った。 世界を塗り替えるような、真理は存在しない。 核爆弾を落として、世界を破壊して、やり直すわけにもいかない。 宗教が、倫理が、教育が、思想が、心理学が、世界を仕切りなおすことができるだろうか…。それとも、今はやっている精神世界が人々の心を塗り替えてくれるだろうか? 私にできることは、私という個人が、成長していくことしかないかなって思う。個人が家庭を作り、家庭が地域社会を作る。地域社会が、国を作り、国が世界を作る。私が、生きる生き様を子どもたちが見て学んでいる。私が関わる人たちが私との出会いで何かを感じてくれたら、と思う。何かといったとしても何かを伝えられるほど得ているわけではないけどね。 ただ、清純派で通しているあん、だけど、人並みに恋愛もすれば、ここには書かないけど人並みではない体験も少しはある…。思春期に自殺の手記をよみあさって「生きる」ことを考え続けていた、私。たぶん、人はみなひとつとして同じ人間ではないから、出会いを通して、何かしら互いが学びあえるようにできているような気がする。何故って、魂の根源ははただひとつ。宇宙の源からきているから。その魂が個別化して、学ぶために肉体を得て、この地球という場所に時を同じくして、出会っているのだから。追伸:そのメールをくれた方は、その後、B型肝炎となり、アメリカにて脳死肝移植の手術を受けましたがその最中に亡くなられたと娘さんがメールにて知らせてくださいました。手術を終えて、日本に帰ったら、脳死肝移植のための活動をするんだと彼はメールにて語ってくれていました。その彼のメールが、私にこのような気づきを与えてくれました。重たい内容ですみません。でも自分のために書いてみたくなりました。
2007.07.18
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