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公園の桜が見ごろになっていました。ここ数日で咲いたようですね来週あたりまでお花見ができそうです。
2007.03.30
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ただ鉢につめたというだけの私のお花たちです。黄色いお花の名前は分かりません。背の高い方のハーブは確かセージの種類だったと思います。鉢をどこかにしまい忘れて土鍋に植えたポーチュランカの大輪咲きは大丈夫でしょうか何かいい方法がありましたら教えてください。毎日スピーカーから演歌を聞かされて育つ花結構元気ですやはり根性が入るのでしょうか。
2007.03.29
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今日はもくれんから大分市のそよかぜというところにアロマのボランティアに行きました。そよかぜはディサービスセンターでお年寄りたちが思い思いに作業をしていました。甲子園を見ている人もいました。順番に手のマッサージをしていきます。年配の方は自分の心を言葉にすることが苦手のようで気持ちがいいとか表現する人が少なく感じました。94歳の女性が達者でびっくり!!あやかりたいものだと思いました。きちんとお化粧やマニキュアをしている人もいて私自身も勉強になりました。何より口少ない男性が予科練の教官をしていたということで貴重な体験談を話していただきました。お昼にはランチをいただきました今日のランチはカレーライスでした。マカロニサラダにコーヒーゼリー、ヤクルトが付いていて久しぶりのご馳走です。自分ではこんなには作りません。良い体験になりました。
2007.03.28
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アルコール依存症は家族を巻き込みます。そして支え手になってしまいます。アダルト・チルドレンアルコール依存症者の子供として育ち成人に達した人々のことをアダルトチルドレンと言います。「その後機能不全家族で育ち、成人した人々に共通する問題として認識されるようになりました。」1980年代から一般に知られるようになりました。酒害家庭の子供たちは成長期に、歪んだ家族関係の中で「生き方」を学びます。「良い子」ほど早くから酒害家庭の「暗黙のルール」を身につけます。私と夫が築いた家庭も酒害の家庭でした。私は夫や長男のお酒の問題で頭がいっぱいで長女や次女たちの多感な娘時代を普通に送ってやることができませんでした。「お父さんが起きるから大きな声を出してはだめよ」次女は朗らかな子供でしたがテレビを見て声を出して笑うと私は眉根を寄せて「声が大きい!お父さんが起きたらまたうるさいでしょう!」と諌めていました。長女は気が付いたときには自分の事を最小限にしか話さない子供になっていました。いつも緊張感のある家庭は娘たちの心にもACになるものを植えつけていったのです。両親たちはいつもお酒のことで自分をかまってくれない話し相手にもなってくれない母親に話したところで真剣に取り合ってくれない。父親とは何回も約束をしたことを忘れられてそのことを詰ると怒り出して暴れる。父親も母親も信じることができない誰も自分たちを守ってくれる人がいない。そしてだんだんと自分の感情を押し殺すことを身につけてしまう。そして今でも彼女たちは生き難さを身につけ人生を束縛してしまっている。適度に休み、自分を楽にさせることができなくなってしまっている。職場の人に適度に自分の主張を伝えなさいと言ってもできない。ACは自分の感情を認めたり表現することが苦手である考え方に柔軟性を欠き、過度に支配的である。あるいは逆に他人に依存的で自分の人生を主体的に選択することができないしばしば罪悪感と恐れの感覚に脅かされ抑うつ感に悩み、他人を信頼する能力を欠いている大人になった彼らは、かつて経験したことが無い「正常な対人関係」を手探りで演じようとして失敗を重ね、疲れて挫折する。ACのこのような障害は、治療あるいは正しい対応のよって回復することができる。また、親のアルコール問題に早くから対処することによってその次世代の子供たちの成人後に起こるこれらの問題の予防も可能である。 参考 赤城高原ホスピタル アルコール依存症の項目
2007.03.27
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糖尿病で入院してもまったくお酒を止める気配の無い夫に初めて断酒をするために病院へ行くことを進めたとき。「俺は、アル中じゃねぇぞ、バカにするな」と言われました。アル中とアルコール依存症は一緒です。以前は慢性アルコール中毒と言っていた時期もありましたが自分の意思でお酒を飲むのですから「依存症」という名前がつけられました。路上で寝ていたりおまわりさんに連れて行かれる人だけがアルコール依存症ではありません。自分ではお酒を飲むことをコントロールできなくなった状態をアルコール依存症といいます。毎日飲んだくれていなくてもお酒を飲むと人が変わったように暴力的になる人や不規則な勤務状態によりお酒が習慣になっている人も断酒、治療の対象になります。公務員や警察官など発覚したら退職しなければならないと分かっていながら飲酒運転をする。お酒を飲むと正常な判断ができない人はアルコール依存症です。
2007.03.26
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昨日の3月24日は私がこの世に生を受けて50年目でした。誕生日などという華やかさは無く誰一人として電話一本メールのひとつも送ってくるわけでもなし。愛する人は自分の事で精一杯のようだし。ただただ、よくもまあ艱難辛苦の道のりを50年歩き続けてきたものだと自分にエールを送りたい人生50年と言っていた時代もあり人間50年間をどう過ごす事かで残りの人生が決まってくるような気がする。世のため人のために生きてきたわけではないけどこれからの人生は明るいものになることは間違いないその人生設計はできている。それをどう実現化していくかは緩やかな流れに抗う事無く真摯に尽くすことにより授かるものと思う。
2007.03.25
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私と夫は佐賀関にドライブに行って関さば、関鯵を食べることにした。行く途中で主人は何度ものどの渇きを訴えペットボトルのミネラルウオーターを何本も飲んでものどの渇きが良くならない。本人も異常を感じたのだろう私も尋常では無いのどの渇きに心配になって翌日、国立病院に行くことにした。夫は検査の結果即刻入院をさせられた。それは重症のようですぐに看護士さんが車椅子を持ってきてくれて病室に案内された。詳しい数値は覚えていないけどかなりの血糖値だったと覚えている。それから入院をしている間はお酒を飲むことも無かったので本人もその気になればお酒を飲むのを辞めることができると思っていたようだった。家族教室に私も参加して正しい糖尿病の知識と予防、治療などを勉強した。糖尿病は正しい運動・食事制限・お薬の三本立てがないと治療は難しい。タバコとお酒は厳禁。これがなかなか守れていない患者さんが多い毎日のことなので続かない。毎日万歩計をつけてウオーキングをする毎日決められたカロリーの食事をする毎日決められたお薬をきちんと飲むインシュリンを打たなければならない患者さんは決められたように自分でインシュリンの管理をする入院していたときは主人もまじめにこなしていたが退院すると連続飲酒が始まりどんなに妻である私が食事の内容にがんばったところで何もならない。糖尿病は予備軍と診断された時点ですい臓が弱っているこの時点で自己管理をすると回復できるようになるが糖尿病と診断されたらすい臓がかなり弱っていると判断し毎日の規則正しい生活をしなければならない。連続飲酒で弱りきった膵臓は悲鳴を上げ身体を壊していく。体重も減り、自分の身体を動かすことも億劫な倦怠感に襲われる。この時点で断酒をしていればすい臓もインシュリンを打つことで日常の生活にさほど困難になることは無い連続飲酒をしている夫はすい臓が弱りきり糖尿の合併症で糖尿性腎症を発祥しています。糖尿病の状態は血管の中に砂糖水が通っている状態です血液はどろどろになって血管を脆くし、毛細血管に血液が通りにくくなりますそのことにより、脳梗塞や心筋梗塞、糖尿病性網膜症、足の先の壊死につながります。
2007.03.24
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どんなに暴力を振るわれていても飲まなければ良い人で良いお父さんなんです。休みのときは神社仏閣の好きな人ですから大分のほとんどの名所は連れて行ってもらいました。桜が咲けば一番見晴らしの良いところで人もあまり知られていないところにお弁当を買って子供達と行ったりもしました。この家に来てもらっていっしょに住んでお酒を止める事を「一緒に戦いましょう」と言いたかった。孫に会えないのは寂しいだろうと思いおじいちゃんの自慢の船に孫と一緒に乗ってまた花火を見に行けばどんなに喜ぶでしょう。生簀に入った魚はどんな水族館で見る魚よりもきれいでしょうどうしょうも無い癖です。その心が酒を飲ませているのに気が付かないのですから夫は最初のうちは私と暮らすことに喜んで酒を飲まずにいられるでしょうが一週間もたたないうちにまた飲みだすのは目に見えています底付を主人は認めていないのですから。それにお酒を辞めることができても心のお酒の後遺症・ドライドランカーになる主人と付き合うには気力も体力も残っていません。これからは自分の与えられた道を歩んでいきます私には与えられた使命と夢、希望があります。ひとつはもくれんでボランティアをすることもくれんで仕事をすること仕事の合間で自分で訪問のアロマセラピーのボランティアや仕事をすること。田舎の家で畑を耕して自給自足をしてしんのすけ君と余生をゆっくり生きること。今日はもくれんから西別府病院にボランティアで行きました。詳しくはアロマのブログを見てください。夢は膨らむばかりです。
2007.03.22
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何年か前の9月のある日その日は地区合同のソフトボール大会だったと思う。早朝から主婦たちは公民館に集まりおにぎりや漬物などをモロブタ(四角い箱)に入れて昼食の準備をする。大会が終わると公民館で打ち上げをする三つに分かれている集落で順番にお世話する順番がが回ってくる。大体50人くらい集まっていたと思う。皆が揃うと大きなたるに氷を入れて冷やしビールのケースはだんだんと空のビンになってしまう私たち若い方の主婦は次々と栓を抜いて注いで回るその日の話題などで盛り上がり男の人たちは役員さんの家で二次会にでまた飲む。かなりのビールが消費される。みんなで飲んでいるときは楽しく飲んでいるのに帰ってくると気に入らなかったことを思い出すのか家でも飲みながら話をしているうちに急に怒り出す。どこの何が気に入らなかったのか正気でない人に合わせるのは大変だったそして私への不満をぶつけるあまり良い顔をして聞かないし聞かない風にしていると怒り出して食卓をひっくり返して食べ物や食器類をばら撒く毎度のことなので黙って片付けていくと「お前まで俺をバカにするのか」と殴りかかってくるそれからは引きずり回し殴る蹴るそれでもどこか冷静な部分があるのか顔など目に付くところは手を出さず肩から足にかけてあざだらけ擦り傷だらけになる。私は娘たちが出てこないように声を出さずにただうずくまって耐えてこの時間が過ぎるのを待つだけだった。不思議と慣れていくと痛みはさほど感じなくなる「これは私じゃない違う人のことで私はそこに立って見ている」そんなことを考えているうちに本当に別人格のようなものができて殴られ蹴られしている私を私が冷静に見ている姿を見るようになる。私の日頃の接し方が悪いからと思いかいがいしく尽くしてみる。日頃のやりくりが悪いと思い仕事に出てみる自営業の仕事に私の仕事に家の仕事子供たちの学校や子ども会の行事などで自分の事を冷静に考える余裕など無くなってくるどうやったら飲まなくなるのかいろいろと思案ししらふのときにくどくどと言っていたこともあったと思う。何をしてもだめだとあきらめたときには会話もほとんどなくなっていた。今思うと子供の人生に傷をつけていたと思う。それが一番辛い長男が荒れだして夫と一緒に喧嘩したり暴力を振るうようになると家庭は崩壊していた。行事が終わり二次会も終わり二人の酔っ払いが帰ってくる恐怖と戦慄の時間が来る。夫は言いたいことだけ怒鳴り、寝てしまったので一人は片付いたと安心。もう一人が帰ってくる身構えて時間を過ぎるのを待つ恐怖でおびえる私の様子が気に入らないのか面白いのか暴れ周り、車を蹴る、窓ガラスを割っていくあまりのことに長女も出てきてとめる。娘にとめられるはずも無いのだから出てきてもらいたくなかった。娘たちに暴力を振るわれるのが一番憎らしかった長女の顔を殴りつけるなんという情けないことだろう。夫は酔いつぶれて、起きないので親戚を呼んでくる親戚も度々のことなので良い顔をしないが頼るところといえば主人の親戚しかいない。親戚の人に病院に連れて行ってもらう手の傷を何針か縫ってその日は入院する医師は筋が切れているかもしれないといっていた。手を使えなくなるとかわいそうだなぁなどと考えていたが酔って汚い顔を見ると私の感情も死んでいた。家に帰るとガラスが散らばりそれを片付けていくうちに心の中に何かが沸騰した娘に手を出した長男が憎らしくてたまらなかった。それを止められもせずに酔いつぶれている夫殺意が沸いてきた。殺してやろうこのガラスで夫を殺してやろうガラスを握り締めると手のひらから血が滴り落ちてくる。長男を帰るのを待ってあいつも殺してやろう。まずは夫の傍らに座ってのどを掻ききってやろうと顔を見てしまった顔を見てしまうと飲まなければ良いお父さんであるこの人を殺すわけには行かない。自分が死のうと思った手首とのどに当てて引いてみた思うほどに切れなかった娘たちごめんねしんのすけ君ごめんねもうお母さんは限界だよこのままではいつか殺人者になるあるいは私が殺されるそれよりもこのまま身を隠そう妙に冷静な気持ちで車を出すトランクにはいつも着替えと仕事着を入れていた。そのまま現在までその家には帰っていない娘の話では雑草や植えてある木が生い茂り家の中も荒れて足の踏み場も無くとても素足では入れる状態ではないらしい。長女がしんのすけ君を連れてきてくれたそのときはただ預けるだけだから私が飼える様になったら返してと言っていたが今更しんのすけ君を手放す気持ちは毛頭ない。それなら死んだ方がましだ。二回死に損なっているから死ぬこと自体には抵抗は無い一度薬を全部ビール三本で飲んで病院に強制入院させられたときがある。医師が家にいると危険なので入院を勧められて何度か入院もした事があるが退院してまたもとの生活に戻る恐怖感の方が精神的に負担だった入院は患者さんたちに気を使って何の役にも立たなかった。今でも寝た不利をして布団をかぶっている自分の硬くなってじっと時間が過ぎ去るのを待つ恐怖心からの鼓動と震えを感じるときがある。手が震えるときがある手首や腕には傷痕があるアルコール依存症と戦った証のようなものだ。なんと考えようと自分だけが助かるために娘をそんな環境に捨てた自分勝手な母親だゆったりと暮らしていけるはずも無い自分を許すことができたのはほんの数日前妙に吹っ切れた瞬間があった。
2007.03.21
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ちりめんの布を手芸用のボンドで貼り付けました。ストラップも黒い金魚とローズクオーツの天然石を使いました。桜と金魚は速乾グルーで貼り付けてあります。全部で2,300円の材料代です。布は沢山あまっているのでいろいろ使えそうです。
2007.03.20
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数年ぶりに携帯を契約したなにやらいろいろ付属品があって使いこなせるのかね。おさいふ携帯だけどダブル定額にしていないから使えないし使えるお店が無い出て歩かない。ボランティアでも人に迷惑かけられないから連絡は取りやすくしておかないといけないし仕事に復帰する決心も付いた。携帯と道具箱とタオルで出張アロマセラピーをする。まだ準備の段階だけど形はできてきている。現実的になった方が楽しいわくわくする。お勉強にも身が入る。携帯も可愛くしたよ。暗くて分かりにくいけど気が引けるほど赤い。ちりめんの布地を張り合わせて桜のポイント金魚のストラップ明日微調整をするけどこっちの方が派手みたい。和柄で可愛いです。
2007.03.19
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ちょうど今頃何年前か分からないけど夫と長男が仕事から帰ってきて飲みだした内容は何でもいいみたい。二人で言い争いになりこちらにも飛び火してきそうだった。私は固い顔で何も言わずに罵詈雑言を背中に受ける。三月だというのに寒かったストーブのタンクに灯油を満タンにしてまた時間をつぶしに車で家を出た。二時間くらい経ったかなもう良いかなでもまだ起きていたらこっちに言いがかりをつけてくるからもう少し足を伸ばそうかな私は市街地へ行くつもりだったけど何かが引き寄せる行くなと車の行く先を変えろと何かの力で私の考えとはぜんぜん違うことをしていた。家のほうへ家のほうへと導かれたこれを虫の知らせというのだろう。もう、あと、五分ほどで家に帰り着くというときに後ろからパトカーが来て停められた。車を道端に寄せてパトカーに乗り込むおまわりさんが「家が火事になりましてすぐに帰ってください」「火事?」私の頭をよぎったのは二人がけんかをして殺し合いになったのではないか「それで、けが人は?」おまわりさんはけが人はいないが家が全焼していて気を張って見てくださいと言うような事を言われた。私は家が焼けたくらい夫と長男がこれを反省して断酒のきっかけになるなら家の一軒などどうでも良いと思った。現場は惨憺たる有様二階建ての家がそのまま下に落ちている瓦礫の山となっている。何もかもが無くなった子供たちの大切な写真も私の子供の頃、成人式の写真何もかも無くなった。教科書などの本の類は周りが焼けているけど中心部分は無傷であった。それから毎日が現場検証長男と夫と長女と次女と私は別々に毎日警察署で取調べを受ける。ドアの開く方向は引き手か押し手か部屋の間取り家具などの位置ガラス戸の当時の位置焼け跡を検証しながら取調べを受ける。出火原因がはっきりしないそうだ。大方酔っていて蹴ったのだろうと思ったのだがそれも違うようで二人とも寝ていたらいつの間にか出火したらしい。新建材の家は瞬く間に焼け落ち隣と前の家に類焼しないように水をかけたそうだ。毎日、十数人の消防隊員が来るので炊き出しをしなければならなかった夫の親戚の奥さんたちが炊き出しの手伝いをしてくれた。私はその人たちにいちいち頭を下げなければならなかったのにそこまで頭が回らずに不義理なことをしてしまった。とにかく消防署員の人と専門の現場検証の刑事さんがザルに焼けたものを少しずつ入れながらそれが何であるかを私に聞く。私は鍋類や食器類をきちんと重ねていたのでそのままの状態で焼けていた。瓦礫はまず二階のものから注意深くどけていき出火現場となった一階を丁寧に調べていく。放水した水がはじいているところを聞かれた「ガソリン等を置いているとこういうことになるのですが心当たりはありませんか」と聞かれる。そこには灯油のタンクを置いていた場所だったのでそう答える。こまごまとしたところは一家五人の内容が食い違うのも出てきていた一階のすぐ部屋の入り口は押し手だったのか引き手だったのか私と内容が違ったらしい。子供たちの取調べは三日ほどで終わったが夫の取調べが終わらない警察は夫が火をつけたと疑っていたようだ「俺が悪いんだ長男のせいでない」「おれがやったんだ」そう取り乱してわめいていたそうだそれはそれは顔中血だらけで消防署員もあまり経験をしたことが無いような取り乱しようだったらしい。「酔っているときは正気じゃありませんから私から見たらそれが普通ですよ」と答える刑事さんは無残な家を見ても取り乱すことなく淡々と取調べや現場検証に立ち会う私を不思議そうに見ていた。いいんだこれでお酒さえ止めてくれればその気持ちも無残に焼け落ちた主人は親戚一同に御礼をするときにビールをついで回り自分も飲んだ。私は「家が焼けたのにまだ飲むの!!」そのとき初めて取り乱した。主人のいとこは「夫婦喧嘩は後で遣ってくれ」そういっただけで私の言うことに賛同してくれる人なんて一人もいなかった私だけが他人なんだ私のことなんて助けてくれる人は一人もいないんだそこの集落は小さくて主人の親戚の家が立ち並び集まりごとになると親戚だけで数十人になる。それを何かごとがあるたびに私は長男の嫁としてこなしてきた。公民館で非難していたときは寒かった眠れなかった赤十字が届けてくれた毛布は薄くてちっとも暖かくないよくニュースに出てくるベージュの毛布です。それに薬箱などが入った箱を持ってきてくれました炊き出しでご飯を食べました。夫の兄夫婦も手伝いに来てくれました。丸三日間薬が無くて眠れなかった私は尋常な精神ではなくなっていて変なことばかり言っていた様な気がする。親戚の人たちは自分の猫のことだけ心配して御礼も満足にしなくてと私の悪口を行っているようだった直に聞いたこともあるその当時は8匹ほど猫を飼っていたのでみんなが逃げおうせたか心配でならなかった。少しずつ帰ってきたけど一匹が帰ってこない屋根裏で泣いているのを引っ張り出して見ると発泡スチロールの上で寝ていて火がついたのだろう発泡スチロールの焼けたのが体中についてやけどをしていた猫を抱きしめて私は泣いたその私に親戚の人が猫なんかより人間の方が先だろうにと呆れ顔で言う仮設の住宅を作ってくれているのだから何もいえないでも私は私のことを誰一人として心配してくれる人がいないのに絶望していた近隣に延焼が無かっただけが救いでそのかたがたにお詫びに伺ったときは心配そうに言ってくれたような何もそのときのことは覚えていない。一家の主婦として毅然とできない自分がはがいかった。今はその土地も人手に渡っているようだが主人と長男はそこに住んでいてまだ、新しい家は建っていない長女は誰の力も借りずに自分でアパートを借り次女は残っていたが後には逃れるように結婚をした。そのときは私は家を見捨てて逃げた後だったので結婚式には出席することができなかった今は孫と一緒によく来てくれるうれしい母親として頼ってくれるのがうれしい長女は何も言ってこない忙しいのだろうがここ何年も会っていない電話もかからない寂しい私を恨んでいるだろう仮設住宅で不便な思いをしているのに興味本位で聞きにくる親戚の奥さんなどに心を傷つけられてそれでも見捨てて出て行った私を。恨んでもいい、憎んでもいい、それでも顔が見たい。身勝手な私を許してくれることがあるだろうか。
2007.03.18
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こんなに心がゆったりとしたことは無い私が物心付いてから毎日が不安と怒りの葛藤だった。今こうしていられるのはそんなことが私のためになるように与えられたものだったんだ。何年前かなぁ記憶が薄らぐ広い公園のベンチに座ってゆらリゆらりと出向していくフェリーを霞んだ目で見ている。あの船に乗ってどこか遠くへいけたら。。。そう思うと辛い気持ちが胸の奥をきゅーっと絞る。涙は出ない、出てこなくなっていた。ただただその時間が過ぎていくのを願った。お酒を飲んで絡んでくる夫、長男から逃れるためにいつも身に着けておいた車の鍵しんのすけ君を抱いて酒飲みたちが追ってこないかビクビクしながら車を出す。ある程度車が走ると目の前は映画のスクリーンのように走りなれた町がどこか知らない町になる。私は逃れて時間を作るベンチの下ではしんのすけ君が不安げにしている。抱きしめてそのふわふわした身体にほほをうずめる。「もう少し時間をつくろうね」公園の中を自由に遊ばせてころあいを見て帰る道に車を走らせるハンドルを持つ指が恐怖におびえる心で震える。帰ってみると床一面にばら撒かれた食器やポット「またポット壊れたなもう買うまい」ベニヤ板にしみこんだ魚の煮汁は取れない重い心で壊れた食器やへこんだ鍋を取り集めて今夜の仕事に出るために弁当を作る飯台の上に主人たちの仕事に出るための用意を置いて置く今日も仕事に出る気配はないなぁいつまでもテレビを見ているし長男もあきらめて自分の部屋から出てこない。ごみためのような部屋で寝ている。娘たちはそれぞれ食事を終えると自分の部屋へと行ってしまう。親子の語らいも無い焼酎を飲みながらテレビを見ている父親に落胆して娘たちも心が硬くなっていく。夫は今夜も酔って絡んでくるだろう。
2007.03.18
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何かに依存していないと落ち着かない落ち着いた暮らしが馴染まない。もともとそういう体質だっただから、誰も恨む訳にはいかない。ひとりになって自分の好きなことをして生きるこんな落ち着いた暮らしができるとはほんの数ヶ月前までは思わなかった。やっと、やっと一人でも寂しくなくて生きていける。でも何かに依存しながら。長い長いお話の始まり。
2007.03.17
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さんごりさんからバトンをもらった。バトンは受け取らない主義の私だったが犬バカのバトンとあらば受け取らないわけには行かない。さあ!!がんばるぞ!このために新しいカテゴリ作ったぞ!!*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*:;;;;;:*★*【ルール説明】 1.回された人はコメントして必ず受け取る 2.やりたい人はコメントすればやってもOK 3.絶対に落とさない(指定した人が持っていかない場合、他の人へ) Q1☆ 愛犬の名前の由来は?★うちにきたときには付いていたペットサロンをしている妹からもらったので。Q2☆呼び方はそのまま?それとも違う呼び方?★しんちゃん・しんのすけくん・しんくんQ3☆ 今、犬が欲しい病? ★もちろん!!許されることならシーズーのムツゴロウ王国のようなものを作りたい。猫も沢山飼いたい。日本中の里親希望のコの里親になりたい。 Q4☆ もし飼うなら犬種は? ★やっぱりシーズーかな本来なら一番飼い易い種類のはず。私が甘やかしてバカゴになった。Q5☆ 行けるなら、愛犬とどこへ行きたい? ★はあ。。。夢は膨らむなあ。。。妹のところにも遊びに行きたいし久住の壮大な草原で遊びまわりたいし犬が入れる温泉にも行きたい。海の砂浜で一緒にかけっこもいいな。でも一番は虹の橋を渡るときは一緒に行きたい。Q6☆ そこへ行って何がしたい? ★いつも寝てばかりのしんのすけ君と一日中遊び暮らす。温泉つきの家でゆた~~~っと暮らす。 Q7☆ あなたの愛犬の将来の夢は何だと思う? ★おかあさん(私)を独り占めにしたい。このごろは孫にお母さんを取られているので。Q8☆ もし愛犬がしゃべれるようになって、一番最初に言う言葉は? ★僕だけを大事にして。。。Q9☆ 愛犬の短所は? ★甘えんぼ、お留守番が嫌い、どんな高級なご飯にしてもすぐに飽きる。Q10☆ 愛犬の長所は? ★お留守番さえできればまったくと言っていいくらい手がかからない、その代わり金がかかるQ11☆ 愛犬の大好物は? ★お母さんと一緒で甘いものが大好き私がひとりのときは絶対にフード以外のものは上げないようにしているけど孫が来ている時は押し倒してでも取り上げて食べるので少しずつあげていますがしんくんは丸呑みするので食べるのが早いので困る。Q12☆ 愛犬の変だけど憎めない所は? ★全部かなあ、しんのすけ君は自分が犬だと思っていないみたいだから普段はおとなしいおっさんです。Q13☆ あなたの犬ばか度を%であらわすと? ★誰にも負けません500%位たとえ命でさえも投げ出せます。Q14☆ 最後にこのバトンを回す人をどうぞ!(3人☆)★んん~~ちょこ◎ばばさん 犬一匹、ねこ4匹、めだか?匹飼っていて マックとケンタのときから虜になっています。 あの時は泣けたなぁ☆★ののちゃん☆★ いつも楽しい犬猫のグッズと猫のにゃあちゃんと 犬の、ののちゃんの楽しい画像や動画に楽しませてもらっています。ちゃにさん 「ヤマダ君の憂鬱」笑えます。 コレでファンになりました。 自分の体よりも畑を愛する自然派のようです。もらってやってくださ~~い。お願いします。結構楽しかったですよ。
2007.03.17
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摂食障害を経験したことが無い人にとって理解しがたいと思います。拒食の人には「食べればいい」過食の人には「食べなければいい」この考えは医師も同じだと思います。数回にわたり親子関係による摂食障害の理解のお話を載せましたが臨床例や、カウンセリングでは理解しがたいものがあり医療の場の限度を感じました。それは患者自身が自分の事を医師に100%伝えていないからです。伝えようとしても言葉が見つからない言葉を並べても医師は理解できない医療に不信感を感じる自分の身体の空腹感による葛藤満腹感の気持ちの悪さは摂食障害者一人一人違うものだと思います。自分をコントロールできない苛立ちはたとえようの無い敗北感です。このまま消え去りたい本当にそれができればどんなに楽か何度も考えたことがあります。普通に食べること調理ができる事何でできないのか身体がどうして食べ物を拒否したりむさぼるように押し込んだり自分には餓鬼がとりついているのではないかと思うことすらあります。
2007.03.16
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黒川順夫著過食・拒食★親子関係ストレス症候群より○従順な性格の「良い子ちゃん」が拒食症に(19歳36kgの女性の患者)黒川医師は「入院体重設定療法」という方法を中心に治療します。拒食症の患者は過食症や普通の患者に比べて入院することを極度に嫌います。「体重が35キログラムを切ったら入院をする」と、約束する。患者は入院をすることが嫌なので体重を増やそうと努力をする。この患者さんも三ヵ月後には38キログラムになり、生理も見られるようになり回復して行った。「入院体重設定療法」ある目標の体重を設定しそれを下回らないように患者さん自信が体重を増やすことによって治療を進めていくものです。この治療の場合、本人の努力と同時に両親、姉妹といった家族の寛容な守りも大切な事と言われています。この患者さんも家族全員が寛容な態度で見守ったので回復していきました。拒食症に陥りやすい性格のタイプはまじめで素直な親の手のかからない性格の持ち主に多い。そのような子供は不思議と親の愛情に飢えている親の手がかからないから親はらくだが、結果的に子供への愛情の注ぎ方が希薄になってしまったのかもしれない。本人はいい子になって親にほめられたいだが親にしてみれば手がかからないので放っておき結果として愛情不足になってしまう。この症例のように「良い子ちゃん」ほど愛情を注いであげなければならないと思われます。この症例以外にも摂食障害は親子の問題から発症することが多いので「親子関係ストレス症候群」と考えられます。
2007.03.16
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黒川順夫著過食・拒食☆親子関係ストレス症候群★子供は夫婦喧嘩をどう見ているか家庭における夫婦の関係が子供に大きく影響を与えることもあります。両親に対して不満を募らせるそしてその子がいつしか摂食障害に陥ってしまう。「お父さんとお母さんがしょっちゅう喧嘩をしているのがたまらない」と言うのです。両親が喧嘩ばかりしている姿は子供にとって悲しいものなのです。夫婦喧嘩が耐えない家庭で子供の摂食障害が多く見受けられる。家庭の状況を聞いてみると摂食障害の原因のひとつと感じる場合があります。夫婦が反省をし、夫婦喧嘩をしない努力をするようになって患者の症状が治っていきました。夫婦喧嘩は夫婦だけの問題ではなく、「親子の問題」なのでしょう。家庭の中でいつもいがみ合いがあればその原因が子供と関係の無い事柄であったとしても家庭内の出来事である限り、子供にとってはそれは「自分ごと」なのです。一家団欒で楽しく食事をした事が無い事が悲しいと訴える患者もいます。子供にとってこんな家庭の内容がストレスにならに分けはありません。
2007.03.15
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私がブログを始めたのはアルコール依存症の本当の姿とその影響で苦悩している家族のことを一番に書きたかったことです。そのつもりでホームページも作りましたがいまだに書けないでいます。書けば見る人が見れば私のことが分かってしまうそうなると娘たちにも迷惑がかかるのではないかそんなに詳しく書かなくても良いのではないかとも思ったけど当たり障りの無い書き方ならどこにでもあるホームページやブログと同じになってしまうそれでは本当に私が伝えたかったことは伝わらないそれならばアルコール依存症ドメスティックバイオレンスのことは扱わない方がいいのかもしれないとも思ってみた。でもやっぱり今書かなきゃ今じゃなきゃ書けない私じゃななきゃ書けない物少しずつ重ねていこう。私は私が嫌いではない自分なりにいろんなことに挑戦してばあさんながらにがんばっていると思う。いや!!ネット年齢は円熟味を増した妖艶であり、上品さを兼ね備えた淑女である。(そこの人、石を投げないように)
2007.03.15
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本当にはじめて産まれた子と同じように次に産まれた子と育てることができるのかなぁ二回目ともなると子育ての手抜きの要領も分かってくるし子供の個性もそれぞれ違ってくるしそれも育て方の影響だと思いますが。長女はかまわなくても自分で自分の事はできる学校の忘れ物もしないし宿題も言われなくてもしていた。次女はお習字道具や体育服を忘れては私が車で持って行っていた。宿題も朝、泣き泣きしていたことも多かったように記憶している。私は分け隔てなく育てることができなかったなぁ。
2007.03.15
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黒川順夫著過食症・拒食症☆親子関係ストレス症候群摂食障害に陥った患者のカウンセリングや治療の過程で親に関する反発や複雑な気持ちが多く関わっていることが分かる子育ての家庭で勉強が良くでき、親の言うことを良く聞く手のかからない子供であったとしても子供の側からすれば親の愛情をもっと欲しいためにそうしている場合が多い。姉と妹でどちらかが、兄と妹で妹が摂食障害を起こしていたケースも多いこういった兄弟関係においてもどちらかが摂食障害に陥った場合、カウンセリングや治療の過程で患者の口から出てくる言葉は「お母さんをお兄ちゃんが独り占めにしてきた」「親はやりたい放題をしてきた妹を可愛がった」と受け止められている。親の方は「わけ隔てなく育ててきたつもり」と受け止めており子供の深い心理の中まで見ようとしない親は分け隔てなく育ててきたつもりでも子供はどこか物足りなさを感じてきました。思春期に摂食障害が多く見られるのは感受性も豊かで自我の目覚めがあるその時期に子供は親との関係にや兄弟との関係に目を向け親の愛情に物足りなさを感じたり口うるさい親を疎ましく思っていたりします。親兄弟のストレスを感じ、そのストレスが蓄積されて「やせたい」と思ってはじめたダイエットが引き金になって「食べない」「食べ吐き」といった行動でストレスを解消しようとしているという見方もできる。「今後は子供の食べなかったり、吐いたりする事に関して、一切言わないようにして、子供が求めてくることに関しては暖かく応じてあげてください過干渉は止めて子供の自主性を大切にしてあげて、おおらかな気持ちで子供さんと接するようにしていけば摂食障害は快癒していきます」この指導に正面から受け止めこれまでの子供への接し方を改めおおらかに明るく親が振舞うようにした場合患者の症状が良くなったと言う例はいくらでも見ることができるが一応は話を聞いても実際に子供と接する場合が変わらずに「もっと食べなさい」「食べるから吐くのよ」といったことを相変わらず口にしたり何事かにつけても口うるさく行っていると患者の治りはあまりは芳しくない。成人した子供が赤ちゃんのように甘えてきてもそれを快く応じてやっていくと患者の症状は大きく変わっていったと言う例もある。このように患者の治療にとって親のあり方が重要であることからして摂食障害の背景に親子関係、家族関係が大きく関わっている事がうなずける。
2007.03.13
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情けないです。また始まりました甘いものの依存症。私はなぜか欲しくなるのが決まっていて以前は沢山の量を食べて2~3ヶ月で12キロ太りました。今は菓子パンの高級アンパン・メロンパン・チョコパンです。今食べた菓子パンの総カロリーは1420kcalBMI判定で計算すると私のBMIは27.1肥満です。高血圧の持病を持つ身には危険です。理由をつけるのは簡単です父が毎日電話をかけてくるから孫がうるさいからこのようなストレスが脳内物質の伝達を狂わせて甘いものを強要するのです。毎日の生活習慣をきちんとしておけば少々のストレスは回避できるのですがこのところまったく食事を作らないほとんどパソコンの前身体が重いのと疲れるのとで寝たり起きたりこれではいいはずがありません。まずは食生活からの見直しが必要でしょう。明日保健師さんに相談してみます。
2007.03.12
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黒川順夫著過食・拒食より☆親子関係ストレス症候群子供が摂食障害におちいた場合親の対応は過食症の場合と拒食症の場合とそれぞれに違ってきます。拒食症の人は大変やせてくるので患者本人が外来に来るのに付いて来ます。決まってオロオロして親の方が沢山しゃべる。こうした親自身の話が続く場合本人はムッツリと脇で不満そうにしている。子供が拒食症のため、日に日に痩せて行き表情も変わってくるのでさまざまな身体の障害が現れると親は心配でかまってしまいます。これに対し、過食症の人の親は正反対で本人自身がコントロールの効かない食べ方をしたり食べ吐きをすることを悩み何とかしようと思い、受診するのだがたいていの場合親に黙ってくる。親や他人に自分がそんな状態を訴えてもまったく理解を示してくれないからです。過食症で受診している患者の親を呼ぼうと医師から電話をしてみても来ない場合もかなりあり患者本人も「親には言わないで」という人も多いです。親が来ても「私とは何の関係もありません、この子はただ太っているだけ吐いているだけだから、自分自身で摂生して治したらいいんです。」と言う場合が多い。一度だけ外来に来て私とは関係ないと言う親が多いのです。それほどに過食の人は親子の関係が薄れていると言うか家庭崩壊の状態になっている場合すらあります。親子の関係が希薄でありさらに両親の夫婦関係が希薄であることも多くいつも夫婦喧嘩をしていて子供にかかわっている暇もないと言う親もいます。過食症の人は親子の絆や親子の接触が大変希薄であるケースが多いのです。過食症の人は拒食症の人に比べると外見的にふっくらとしてまだ健康そうに見えますが精神的な面、家庭的な面から見ると病気としては重いものを持っていると言えます。子供に対し愛情を注ぐべき時期に愛情を注がないと思春期になると摂食障害や不登校、家庭内暴力と言った者につなかって行くことが多い。子供が摂食障害に陥った場合、もう一度親の愛を注いでやることで癒されていきます。本人の求めていない愛情の注ぎ方は過干渉で摂食障害の治療には良くないので「過不足なき」愛情の注ぎ方が必要です。できの良い「良い子ちゃん」の場合も子供が良い子ちゃんになることで親の愛情を求め、親の目を向けてもらいたいと思っているのですが親はこのような子供の気持ちを見落としがちで摂食障害は子供からの親に対するシグナル、サインと考えることができます。摂食障害の親は「消極的な協力者」になって治療に取り組んで欲しいということです。子供が求めていないものまで与えると過干渉になる子供が真に求めているものだけを与えてやることが大切です。黙って見守ってやる、待っていて子供が求めてきたときだけ応じてやると言うのが「消極的な協力」で、これが摂食障害の治療には極めて有効です。
2007.03.11
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西尾和美著アダルト・チルドレン癒しのワークブック本当の自分を取りもどす16の方法より。第一部 自分の過去を知るsutep5 私が家族から学んだこと★機能不全な家族のパターン☆愛のない冷たい家族。私は子供の愛しかたを知りません私は人に対して愛情の表し方が分かりません。いつも何かが足りない、空虚感があります。その空虚感を何で埋めてよいか分からないので少しでも愛情をもらおうとコントロールされ、コントロールをする男の人に執着します。私は男の人がどれだけ愛情をくれていても孤独感と寂しさは溶けていけません。いつかはこの人も私を捨ててしまうんだそんな見捨てられ不安でパニックに陥ることがしばしばあります。あまりにも私のことを理解できないと私は自分や物を破壊します。辛いです。何を言ってもも所詮ひとりなんだ「幸せにしてくれる」と言う言葉ほど嘘を感じる言葉はない。幸せにすると言っていながら幸せになれたことがない。幸せと言う感覚が分からないだから今の生活に満足して何も感じずに暮らすことより自分を救う手立てがない。35年ぶりに父との会話、毎日のように電話で話す何故私を置いて出て行ったのか分からなかったから憎んでいた、恨んでいた。子煩悩で私を心から大事にしてくれて可愛がってくれていた人が私を捨てて逃げていった。母からの折檻から救ってくれる人はもういなくなってしまったその思いに囚われてからは人を信用することができない人間になっていた。しかし最近、父の事情を知ることでその心も溶けた。私は幼い頃の記憶があまりなくて心の中にはなぜか線路の間を下を向いて無表情でポツリポツリと歩いている私がいるその記憶はどこから来た者なのか分からなかったけど父は私の手を引き線路に立って動かずに電車が来るのを待っていた事があると言う私が「お父ちゃん怖いよ、帰ろうよ」と泣いて父は目が覚めて気持ちを変えたそうだ。線路の私はそのときの記憶なのか私の家族は父以外の人は自分勝手に自分の好きなことをして相手を思いやると言うことをしていなかったように感じる小さい私と妹を家に置いたきりにして遊びに出かける母私は台所で泣いていたそうだあまりの母の放蕩ぶりに父も嫌気が差して母と別れて私を連れて郷里に帰った。しかし、私と妹を離れ離れにしたことと母を思う私にほだされてまた復縁することになる。けれども母の気性が治る事もなくて何度も離婚しては復縁をすることを重ねていたが、ある日とうとう父は帰ってこなくなってしまった。お父さん、お父さんも辛かったんだねお父さんのせいじゃあないよ私がこんな暮らしをしているのはだから自分を責めないで父は「俺が一家の大黒柱として家庭を守ることができなかったからあなたを沢山辛い目に合わせてしまった。今すぐにでも飛んで行って抱きしめてあげたい詫びを言いたい。」そう慟哭する。違うよお父さん私が今こんな暮らしをしているのは確かに幼かった頃母からの愛情をもらうことが少なかったこともあると思う。でも、数々の選択肢の中から不幸になることの方を選んだのは私だから。それに今は不幸でもないし好きなことをしているから大丈夫だよ。出稼ぎで家にいることの少なかった父は私を精一杯愛してくれたけどいつも家にいなかった父と母が仲良くしている姿を思い出せない。いつの間にか私は自分を大事にすることを拒否し苛酷な環境に自分を置くことを選ぶことになる。自分が幸せになってはいけないなぜかそう刷り込まれている。お父さん、今からその刷り込みをとってね今から私を精一杯愛してね。
2007.03.08
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「房舎施」いつでも自分の家へ招待すること。私にとって、これは一番出来難いことです。自分のペースで自分の動きたいようにやっと休めるようになった部屋です。他人を招いて気を使うことは大変なストレスになります。しかし、困っている友人行く当てのない人そんな人にめぐり合えば何とか短い間でも部屋に来てもらうことはできるかもしれません。お金もかからない身一つでできる「無財の七施」今日はどのくらい実践できるでしょうか毎日が自分の事で嫌な気持ちになることの方が多い凡夫です。
2007.03.08
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「床坐施」(しょうざせ)私は交通手段がバスになります。今はバスはほとんどが年配の方が利用しています。お年よりは足がうまく上がりません。自分の身体をバランスをとることが難しいです。私はバスに乗るときは後ろの方へ席を取って乗りやすく、降りやすい座席は空けるようにしていますが若い方などにその席に座られるとなんだか嫌な気持ちになります。自分が良いことをせっかくしたのにと言う気持ちではなくてちょっとした心遣いができる人がいなくなっていることが悲しいです。自分が足や腰を痛めてバスに乗るときに嫌と言うほど思い知ることになります。バスの運転手さんの中何も横柄な感じのものの言い方をする人もいます。悲しいことです。
2007.03.07
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「心施」人に対して思いやりを持ちましょうと言うことはよく言われる言葉です。予期せぬ出来事で隣人が苦しんでいるときには励ますことができますがこの時期、隣の息子さんが「東京大学に合格した!!」と聞いたとき果たして心から喜び祝してあげることができるかしら。自分の子供は経済的な事情や学力などで大学進学をあきらめざるを得なかった。それでもお隣の息子さんに心からお祝いを言うことができるかしら。うらやんだり、ねたんだり心の中にはそんな虫がいる。心の中の虫を追い出すことは自分の心の中を無視することかな。あなたの苦しみもあなたの喜びも私の中の心の鏡に映してください。
2007.03.05
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「身施」行動での施しです。人のためになること動物のためになること花のためになることなんでもいい気がついたときに無意識に身体が動くボランティアもそのひとつだと思いますがいかにも自分が「良いことをしていますよ」と行事のときだけ決められたときだけ選挙のときだけ人に見られているときだけではなくて心の中で行動することがボランティアだと思います。
2007.03.04
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「言辞施」(ごんじせ)慈悲の心を忘れずに言葉を選びましょうと言うことです。今では携帯やメールのやり取りが多くなっていますが心の使い方は一緒です。奥ゆかしくきれいな言葉を使いたいと思っています。罪の4口「悪口」「妄語」「綺語」「両舌」人の悪口を言ったり嘘をついたり奇麗事ばかりで心がなかったり人に合わせて違うことを言ったり心当たりがあります。相手に対して思いやりのある優しい言葉を施すこと。お釈迦様の教えのひとつです。昨夜から孫が来ています。孫は二歳と九ヶ月言葉も意味のあることを言うようになりました。お話を子供としてではなくてひとりの個人としてお話を聞いてあげることが大切だと思います。赤ちゃんのような扱いはしないようにしています。一つ一つを意味のある言葉で接すると聞き分けもできるようになりました。ご飯を食べてからおやつを食べる順番だよ。鳥さんのお部屋は鳥さんがびっくりしてかわいそうだから入らないようにしようね。お散歩に行って滑り台であそんでトラックとバスを見に行こうね。帰ったらホットケーキ食べようね。うるさそうでも無くイライラしてでもなく言葉を通じるように話すと聞き分けるようです。
2007.03.04
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「和顔悦色施」(わがんえつじきせ)お金がなくても身一つでできる施し「笑顔」の施し人間を50年も生きていますと生き様で顔が創られます。お若い方でもどんな日常を送っているか顔に出ています。お釈迦様の教えに毎日を相手を気遣い優しいお顔で接し人を和ませる施しを毎日送っているとお顔も和んだ顔になり人生が好転すると教えてくださっています。昨日は父に歌を吹き込んだテープを送るためにお昼と夜の二回カラオケに行き父の好きそうな歌を吹き込んだ。何もそんなにあわてなくてもいいのにと思う反面思い立ったらすぐにしておかないと父も年だし何かがあって後悔するよりも少々無理をしてでも父が喜ぶことをしてあげようと思ってしまう。父は幼い頃の私のままを描きながら話してくれるそれは良い事ではないと分かっている。心の中の私を育てていくのは父にも協力をしてもらわなくてはならないだろうと思う。しかし、父も今月15日で74になる。そんな父にあなたが思っているのとは反対に心の中は寂しさで渦巻き良い育て方ではなかったのだと言うこともできない。父との繋がりの時間を埋めることが今の私にできる親孝行だ。それは父の中に存在する私を演じていることは分かっている。それでも父には喜んでもらいたい少しでも私と35年間の時間の距離を修復したいと願っている父に喜んで父の中の可愛くて誰からも愛される大切な私を演じていく。
2007.03.03
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お寺に行かなくてもお金がなくても何もなくてもできる無限の七施「眼施」人を見るとき意識して見ていますか物を見るとき意識して見ていますか空を見るとき意識して見ていますか土を見るとき意識して見ていますか眉を寄せてこわばった顔で堅苦しい目をしていませんか常に目に優しさをたたえましょう何を見るにしても思いやる目自然に対してのありがたいと思う目ふと気がつくと人がすれ違います目礼と言う言葉があります。とっさに言葉が出なくても目でご挨拶をする。心が和やかになります。ひとり、ひとりが伝えていくと世界は平和になります。お釈迦様の教えです。
2007.03.02
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法事などでお坊さんに差し出すお布施。法事や初盆などに招かれて差し出すお布施。このときの金額は年配の人に聞いて大体どのくらいが相場なのか招かれた土地の習わしにより金額を決めていましたが。布施とは修行僧侶がぼろ布を身に纏うのに農民庶民が自分のところにある精一杯の布切れを差し出したことに起源していると言われています。今では若い僧侶が大僧正のような袈裟を身に纏いますこのことが「大袈裟」と言う言葉の語源です。誰もが身一つでできる功徳のことを無財の七施と言います。
2007.03.01
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