今回紹介するのは麻倉一矢先生作の「剣客大名柳生俊平」です。
最近、痛快時代劇がマイブームで、衛星放送で特に興味深いのが「長七郎天下ご免」で、「暴れん坊将軍」と並んで好んで見ています。
そんなことで頬化にチャンバラ系小説が見たいなっと思い、探しあてたのが「剣客大名柳生俊平」です。
柳生俊平は勿論実在の人物で元禄12年(1699年)〜明和5年(1768年)まで世の生を受け、大和国柳生藩6代藩主として8代将軍徳川吉宗公の時代で生きていきます。
そんな柳生俊平は、徳川家御一門である久松松平家伊勢国桑名藩主松平定重の11男として生を受け、部屋住み時代から茶花鼓(ちゃかぽこ)に明け暮れるが、5代目藩主柳生俊方の2人目の養嗣子である柳生矩美が早世したため、柳生藩の養嗣子となる。
始まりは、菊の間(1万石程度の大名が集う部屋)にて筑後三池藩1万石藩主立花貫長(豪勇鎮西一と称された立花宗成の親類筋)と伊予小松藩主一柳頼邦が相手のことを知らずに先を越されて憤然とした思いで愚痴をこぼしていたところを柳生俊平に聞かれるが、互いの苦労を溢し、俊平の遊び誘いに、2人は気を良くして身の上話をしながら愉快な時間を過ごし、意気投合した3人は義兄弟の結びと1万石同盟を結ぶ。
さて、この柳生俊平は自称で県はまだまだと語ったが、将軍家剣術指南役としての確かな実力を持ち、将軍吉宗公の手前で、柳生の奥義「無刀取り」を披露し、吉宗公も絶賛したのであった。
柳生俊平は、その吉宗公からある任務を与えられる。将軍の影目付付として内々の頼みを受けることとなる。
第1巻では、大名火消しと町火消しとの争いから、後に柳川藩における内紛へと発展していくことになります。
もう一つ、ここで柳生家の悩みともぶつかっていくことになる。
柳生と言っても、俊平は尾張柳生の出で、それが江戸柳生へと入ったのだから最初は冷遇もされたが、それ以上の問題が江戸柳生が弱いというところであり、それからかつての剣術指南役についていた小野派一刀流(伊東一刀斎の弟子神子元典膳(小野忠明)開祖の流派)に不満を抱かれ再度返り咲こうとしてもあるが、この時一柳頼邦の妹、伊茶姫とも出会います。
権謀舞い込む江戸にて柳生俊平はどのように戦い、どのように解決していくか。
また文化面でも面白く語られ、多くの人々の出会いが彼にどんな影響を与えるか興味深いところです。
長くなりそうなのでこれにて〆ます。
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