あなたは本当にどうしようもないクズみたいな人に出会ったらどう思うだろう
最近僕は人間としてこいつは好きになれない
いや
大嫌いだと思うような人と出会った時にこう思うのです。
「ラッキーだったな・・・」って
強がりじゃないよ(笑)
だって それってとても珍しい体験ができたってことだから
普通に生きていて自分の価値観の幅、そして選択肢を広げてくれる機会というのはどんどん減っていきます。
人は自分の経験したことを元に自分の価値観を形成していきます。
その中でそうやってやばい奴と出会うことで「こんなやばい奴もいるんだな」と言うデータが自分の中に残ります。
通常は素敵な人やすごい人を見て私たちは自分もそうなりたいと思ったり、その人と同じ習慣を身に着けようと思ったりすると思います。
でもその逆もまた自分の人格形成には役に立つ。
しっかりと勉強になる部分がいっぱいあるんです。
こんな嫌な奴にはなりたくないという基準ができたり
とか
こんな使えない人間になりたくないと思って努力する意欲が沸いたり
とか
逆に、こんなことしても生きていける人生もあるんだなと参考になったり
とか
人に迷惑かけたりしても全然気にしない性格があるんだと人の持つ価値観を知る機会になったり
します。
素晴らしい人と出会うことと全く同量の気づきがクソみたいな奴と出会った時にも存在するのです。
後はその事実に気が付くかどうかなのです。
反面教師ってやつですね
そのことに改めて気が付いてからヤバいやつと出会うと何だかうれしくなるようになったのです。
「へーっそんな風に考えるやつも世の中にはいるんだな〜」って(笑)
そういう情報の中から最後に自分自身がどういう人間でありたいかを選んでいくと自分の幅はどんどん広がっていくのだろうと思います。
良い人でも、やな奴でも、仕事のできる人でも、使えない人でも、親切な人でも、横暴な人でも
どんな人との出会いも自分にはない価値観を含んでいます。
すべての情報には二面性があって自分が良いと思っていることの裏にはデメリットがあったりもする。
悪いと思っていたことの裏にはとても素晴らしいことがあったりする。
だから
本当はすべての事象に「強弱の波」はあっても「良い」とか「悪い」とかは無くて、それを受け取る人がどのように受け取るかだけで判断される。
結局
クソみたいな奴に出会って「嫌な思いをしたこと」と、そのクソみたいな奴に出会ったという事象を切り離して考えることができると、その出会い事体はラッキーなのです。 自分の経験値が増えたのだから。
そうやって捉えるとクソみたいな奴を見た時なんだかニヤニヤできるようになりますよ
では(´∀`*)ノシ バイバイ
この感覚は初めて私がこの本を読んだ時受け入れられることはできなかったけど、だんだんこの本に書いてあることを生活の中で確かめていくうちに腹に落ちた感覚です。