この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2019年05月19日
その日から毎日が楽しくなって慢性的な苦境に強くなる、人生のコントローラビリティの重要性
どもっつうなじろうです。
私が作成している
というサイトで
その日から毎日が楽しくなって慢性的な苦境に強くなる、人生のコントローラビリティの重要性
という記事を更新いたしました。
毎日の仕事が辛くて行きたくなくて仕方がないなとよく感じる方は注意していただければと思って書きました。
ご興味あればよろしくお願いいたします。
2018年11月17日
恥ずかしい行為というものは存在しない?
どもっ理想の身体づくりと深層心理を追求するうなじろうです
人生を好転させる最大の方法は「やりたいことをやる」に付きます。
私で言えばそれはウクレレだったり、ダイエットだったり、筋トレだったり、ブログだったり、そういった物事にチャレンジしている時はとても楽しいですし、充実感を得られます。
そうやって人生を楽しみ始めると、不思議なことにその楽しみ以外の部分もなんだか楽しくなってくるものです。
やはり やりたい事を追求するのはとても大切なことです。
ただ、そうやってやりたい事をやりなよってアドバイスをしても・・・
恥ずかしくてできない(/ω\)
とか言って自分のやりたいことをやらない人がいたりします。
それはやりたい事のレベルが今の自分からはとてもレベルが違うからなのか、単純にやりたいことが恥ずかしいと世間で言われているようなことなのか・・・
確かに私もウクレレの練習を始めてからまだ1年もたっていません
ですが、ガンガン人前で演奏したりします。ステージにも何回か立たせて貰ったりしています。
めちゃくちゃへたくそだけどね(笑)
確かにその演奏のレベルは恥ずかしいかもしれないけれど
どんなレベルだろうとやりたいものはやりたいし、人前で演奏した方が楽しいのだ。
そのやりたい事を隠して、鬱々としている方が僕はよっぽど恥ずかしいのではないかと思います。
さて、そもそも
恥ずかしい行為とは何なのだろうか??
先日うちの娘に教わったことがあります。
うちの娘(6歳)はどうやらちょっと羞恥心というものが欠如しているのかも知れません。
パンツとか見せても平気だし、恥部を見られても平気な顔をしている
幼いからなのかも知れませんが、そろそろ羞恥心が芽生えてもいいんじゃないのか??
と、思っていたのです。
その時うちの娘に聞かれたのです。
何で恥ずかしいの?
ふむ、確かに何でだ?
家族に裸を見せるのは正直恥ずかしくない
でも、他人には恥ずかしい
おそらくは羞恥心というものは
社会性の中に存在しているのです。
そもそも自分以外の誰もいない空間で恥ずかしがる事というのはほぼ無いと思います。
そう、 誰かが見ているから恥ずかしい。
それは周りの人が自分をどう見ているのかを意識するから恥ずかしいのだ。
あの人から変な人だと思われたら困る
という気持ちから生まれるのが羞恥心なのだ。
そして恥ずかしいかどうかの尺度というのは見る人、見られる人によってまちまちだ。
分かりやすい例で
お年寄りのおばあさんからしてみたら、今時の肩を出しているような服装はとても恥ずかしい部類の服装でした。そもそも不要に肌を出すというのは恥ずかしいこととされていました。
それはその時代の良い女性像というのが奥ゆかしく派手でない人だったからだと思われます。
しかし、今はそのような考えた方も無くなったので肩を出していても何ら不思議でもないし、むしろ男性からしてみたらウェルカムな感じです(笑)
時代によっても恥ずかしいという行為は変わってくる。
これってつまりどういう事かというと
恥ずかしいという「行為」が存在するのではなく
恥ずかしいと「思い込んでいる人」が存在するだけなんですね。
おっぱい丸出しの部族だって実際存在するわけですし、行為として恥ずかしいというものは存在しないのです。
あくまでそれを見た人、見られた人の価値観の問題なのです。
逆を言えば自分的には恥ずかしくない行為だと思っていても、他人からしてみたらとても恥ずかしい行為をしているというパターンも存在すると言うわけです。
そうなってくると
恥ずかしがっているのってバカらしくないですか?
だって相手がどう思うかなんてこちらではどうしようもないのです。
何をしたってバカにされる時はされるし、されない時はされないのです。
そこは我々ではどうしようもない
だから私としてはそんな事気にしてやりたい事やらないなんて実に勿体ないことだなと思うのです。
皆さんも恥ずかしがってないでどんどん色んな事に積極的にチャレンジしてみてください。
人生とても楽しくなりますから
では(´∀`*)ノシ バイバイ
この本を参考にはしゃぎまわってみたらどうかと思います( ´艸`)
人生を好転させる最大の方法は「やりたいことをやる」に付きます。
私で言えばそれはウクレレだったり、ダイエットだったり、筋トレだったり、ブログだったり、そういった物事にチャレンジしている時はとても楽しいですし、充実感を得られます。
そうやって人生を楽しみ始めると、不思議なことにその楽しみ以外の部分もなんだか楽しくなってくるものです。
やはり やりたい事を追求するのはとても大切なことです。
ただ、そうやってやりたい事をやりなよってアドバイスをしても・・・
恥ずかしくてできない(/ω\)
とか言って自分のやりたいことをやらない人がいたりします。
それはやりたい事のレベルが今の自分からはとてもレベルが違うからなのか、単純にやりたいことが恥ずかしいと世間で言われているようなことなのか・・・
確かに私もウクレレの練習を始めてからまだ1年もたっていません
ですが、ガンガン人前で演奏したりします。ステージにも何回か立たせて貰ったりしています。
めちゃくちゃへたくそだけどね(笑)
確かにその演奏のレベルは恥ずかしいかもしれないけれど
どんなレベルだろうとやりたいものはやりたいし、人前で演奏した方が楽しいのだ。
そのやりたい事を隠して、鬱々としている方が僕はよっぽど恥ずかしいのではないかと思います。
さて、そもそも
恥ずかしい行為とは何なのだろうか??
先日うちの娘に教わったことがあります。
うちの娘(6歳)はどうやらちょっと羞恥心というものが欠如しているのかも知れません。
パンツとか見せても平気だし、恥部を見られても平気な顔をしている
幼いからなのかも知れませんが、そろそろ羞恥心が芽生えてもいいんじゃないのか??
と、思っていたのです。
その時うちの娘に聞かれたのです。
何で恥ずかしいの?
ふむ、確かに何でだ?
家族に裸を見せるのは正直恥ずかしくない
でも、他人には恥ずかしい
おそらくは羞恥心というものは
社会性の中に存在しているのです。
そもそも自分以外の誰もいない空間で恥ずかしがる事というのはほぼ無いと思います。
そう、 誰かが見ているから恥ずかしい。
それは周りの人が自分をどう見ているのかを意識するから恥ずかしいのだ。
あの人から変な人だと思われたら困る
という気持ちから生まれるのが羞恥心なのだ。
そして恥ずかしいかどうかの尺度というのは見る人、見られる人によってまちまちだ。
分かりやすい例で
お年寄りのおばあさんからしてみたら、今時の肩を出しているような服装はとても恥ずかしい部類の服装でした。そもそも不要に肌を出すというのは恥ずかしいこととされていました。
それはその時代の良い女性像というのが奥ゆかしく派手でない人だったからだと思われます。
しかし、今はそのような考えた方も無くなったので肩を出していても何ら不思議でもないし、むしろ男性からしてみたらウェルカムな感じです(笑)
時代によっても恥ずかしいという行為は変わってくる。
これってつまりどういう事かというと
恥ずかしいという「行為」が存在するのではなく
恥ずかしいと「思い込んでいる人」が存在するだけなんですね。
おっぱい丸出しの部族だって実際存在するわけですし、行為として恥ずかしいというものは存在しないのです。
あくまでそれを見た人、見られた人の価値観の問題なのです。
逆を言えば自分的には恥ずかしくない行為だと思っていても、他人からしてみたらとても恥ずかしい行為をしているというパターンも存在すると言うわけです。
そうなってくると
恥ずかしがっているのってバカらしくないですか?
だって相手がどう思うかなんてこちらではどうしようもないのです。
何をしたってバカにされる時はされるし、されない時はされないのです。
そこは我々ではどうしようもない
だから私としてはそんな事気にしてやりたい事やらないなんて実に勿体ないことだなと思うのです。
皆さんも恥ずかしがってないでどんどん色んな事に積極的にチャレンジしてみてください。
人生とても楽しくなりますから
では(´∀`*)ノシ バイバイ
この本を参考にはしゃぎまわってみたらどうかと思います( ´艸`)
タグ: 人の深層心理を考える
2018年11月10日
変わりたいのに変われない人、変わり続ける事ができる人の特徴。
どもっ理想の身体づくりと深層心理を追求するうなじろうです
ダイエットでもビジネスでも私生活でも共通していると思うのですが、変わっていく人は時代の流れに乗ってどんどん変化していきます。
かたや変われない人はずっと同じことで悩んでいたり、辛い思いをしていたりします。
この人達の何が違うのだろうか??
その違いの一部をお伝えしましょう
最近私の会社の新人の子が仕事で悩んでいたので少し相談に乗ってあげたりしていたのですが、この子は典型的な変われない人でした。
この子を例にして説明しましょう。
本文の続きはこちら
2018年10月27日
会社員でも毎日を気楽に楽しく過ごせるようになった考え方〜ダメサラリーマンになろう〜
どもっ常に穏やかな心でいられることを追求しているうなじろうです
正直な話
以前の私はサラリーマンというのはものすごく不自由な生き物だなと思っていました。
乗りたくもない満員電車に揺られ朝から疲労困憊
会社ではやりたくもない仕事をやらされ
好きでもない上司から無理難題を吹っ掛けられ
付き合いの飲み会を断るのも面倒でついつい夜遅くに帰る
そのせいで寝不足になって朝起きるのが辛い
会社の上層部は現場のことを考えないで意味のないことばかりをやらせ
上司は上のご機嫌ばかりを伺って仕事は部下に丸投げ
無理難題を吹っ掛けてるくせに処理しきれないと怒られる
こちらの気持ちなんて全く理解してくれない
休日家にいたら奥さんの小言を聞きながら家事の手伝いをする週末
子供は可愛いけど手間がかかる
世話に明け暮れて自分の時間なんて取れない
何でこんな思いして働いてんだ?
って正直思っていました。
そう思っていた当時は毎日イライラしていたしヤル気もなかったし、自分はなんて不幸なんだと思っていました。
何より太っていた(笑)
ストレス食いでバクバク食欲の限り食べ続けてどんどん太っていましたよ┐(´∀`)┌ヤレヤレ
マックス体重の85?sはその時ですかね
そこから色々 幸せになるための方法をずっと考えていました。
脱サラして起業したらいいのではないか、不動産投資でも始めてみてはどうか、副業を始めて副収入を増やしてはどうか、日々の生活を切り詰めて少しでも貯金してみたらどうか、
殆どお金のことばかりでしたね(笑)
それもそのはず
サラリーマンを辞めたかったんだから
でも収入がなくなるのが怖くて辞められなかった
だから別の収入源を手に入れてサラリーマンを辞めようとか思ったのでしょう。
でも、あんまりうまくいかなかった(´・ω・`)
でも、それも当たり前だった
だって べつに副業とか起業とかしたかった訳では無いんだもの。
リスク取って起業したり、リスク取って投資したりとか怖いし
ただでさえいっぱいいっぱいの中で更に時間を切り詰めて努力し続けました。
それはそれでストレスになるんだよね(笑)
しかも良い感じのアイディアがあるわけでも無し
やっぱりやりたいことじゃないからどうしても気持ちも乗らない
僕的には転売が一番稼げたけど面白くなかった(笑)
やっぱりこんな商売がしたい!
とか
どんな方法でもいいからお金を稼ぐのがめっちゃ楽しい!
という人は起業とか副業とか成功するのだろうなっと思います
でも当時の私は自分が何をやりたいのかもわからないし、いろんなセミナーに行ってみたり、数々の本を読み漁ってみたり、投資の勉強をしてみたり、転売やらなんやら副業を色々やっては止めと繰り返してみたりとずいぶん軸がブレブレな感じだった訳です。
本当にこの当時はいっぱい本を読みました。
本の中に正解があるのだろうと信じていたんですね。
自分のやりたいことが本にきっと書いてあってそれに出会ったら僕は成功するんだ!!!
って思ってたんだろうな〜〜〜( ´艸`)
さて
結局のところ私は何がしたかったのか???
つまりね
ダラダラしたかったんですよ
家でダラダラゲームして漫画読んで子供と遊んで飯食って寝る。
そんなアホみたいな事が 僕の本当にしたいことだったんです。
そのことに気が付いてからそれまでやっていた努力をすべて止めてみました。
本業も含めて無理してやっていたことをすべて止めてみたのです。
上司を気にしてやっていた仕事とか残業とか
自分の評価をあげるための行為とか
行きたくない飲み会とか
お金の為にやっていた副業とか
投資のためにしていた節約とか
家族のためと称した家族接待とか
もうね
本当に全部そういうのをやめたんです。
人間ってその気になると結構色々止められるもので
直行直帰の仕事を組みまくれば満員電車に乗らなくても済んだり
そもそも引っ越してみたらいい。
上司のご機嫌を気にしなければ仕事なんて気楽なものです。
辞めさせられる?
大丈夫です。今、転職しやすい環境ですから(笑)
飲み会は普通に断ればいいのです。嫌われてもいいんです。どうせ嫌われないようにしても嫌ってっくる人はいます。そんなことを気にしていたら楽しく生きられない。
考え方をそうやってどんどん変えていきました。
そしたらどうだい???
毎日がめっちゃ楽しい(´∀`*)ウフフ
あんなにやりたいこと無いなと思っていたのに今はやりたいこと多すぎて困るぐらいある。
ウクレレ弾いたり、筋トレしたり、英語の勉強したり、DIYしたり、料理したり、やりたいこといっぱいです。
そして、なにより
仕事が楽しくなったんです。
最初あんなに嫌だったサラリーマンの仕事なのに
業務内容はぶっちゃけ殆ど何も変わっていないのに
むしろ単純な仕事量は増えているのに
なぜか評価は上がっているし
なぜか給料も上がっているし
なぜか任される仕事はどんどん増えているし
でも気楽に仕事ができている(´∀`*)ウフフ
結局
私にはサラリーマンという仕事がとても合っているのではないかと今では思っています。 嫌だったのはサラリーマンという働き方ではなく、その更に詳細の部分が嫌だっただけだったのです。
他人からの評価とか飲み会とかそういう自分が好きではないものを 社会一般の倫理感などで自分を縛って行動していたから辛かったのです。
それらをすべて辞めてしまえば会社員というは実に気楽なものです。
毎月定期的に収入が確約されているし、休みも決まったタイミングであるし、健康保険とか税金とかの処理も勝手にやってくれるし、社会的信用もめっちゃ高いし、会社の同僚と仲間意識も味わえるし、平日特になにも考えなくても仕事が舞い込んでくるし
恵まれた環境だな〜っと今は思います( ´艸`)
もちろん業務内容的に向き不向きがあるので合わない人は職を変えるというのは全然ありだと思うのですが、私の場合は幸いにして現職で意外とマイペースに仕事ができるようになってしまったので最近では今以上の環境は無いな〜と思っているのです。
私の個人的な価値観ではありますがこういう風にやなことをやらない ダメ社員になると会社員生活というのはとても楽しいものに変わっていくのです。
今がとてもつらいなと思って言う会社員の方がいたらどうかこの記事を参考して貰えたらなと思います。
では(´∀`*)ノシ バイバイ
ちなみにこれらの本は辛い時に読むととても参考になると思うのでどんどん読んでみてください。
正直な話
以前の私はサラリーマンというのはものすごく不自由な生き物だなと思っていました。
乗りたくもない満員電車に揺られ朝から疲労困憊
会社ではやりたくもない仕事をやらされ
好きでもない上司から無理難題を吹っ掛けられ
付き合いの飲み会を断るのも面倒でついつい夜遅くに帰る
そのせいで寝不足になって朝起きるのが辛い
会社の上層部は現場のことを考えないで意味のないことばかりをやらせ
上司は上のご機嫌ばかりを伺って仕事は部下に丸投げ
無理難題を吹っ掛けてるくせに処理しきれないと怒られる
こちらの気持ちなんて全く理解してくれない
休日家にいたら奥さんの小言を聞きながら家事の手伝いをする週末
子供は可愛いけど手間がかかる
世話に明け暮れて自分の時間なんて取れない
何でこんな思いして働いてんだ?
って正直思っていました。
そう思っていた当時は毎日イライラしていたしヤル気もなかったし、自分はなんて不幸なんだと思っていました。
何より太っていた(笑)
ストレス食いでバクバク食欲の限り食べ続けてどんどん太っていましたよ┐(´∀`)┌ヤレヤレ
マックス体重の85?sはその時ですかね
そこから色々 幸せになるための方法をずっと考えていました。
脱サラして起業したらいいのではないか、不動産投資でも始めてみてはどうか、副業を始めて副収入を増やしてはどうか、日々の生活を切り詰めて少しでも貯金してみたらどうか、
殆どお金のことばかりでしたね(笑)
それもそのはず
サラリーマンを辞めたかったんだから
でも収入がなくなるのが怖くて辞められなかった
だから別の収入源を手に入れてサラリーマンを辞めようとか思ったのでしょう。
でも、あんまりうまくいかなかった(´・ω・`)
でも、それも当たり前だった
だって べつに副業とか起業とかしたかった訳では無いんだもの。
リスク取って起業したり、リスク取って投資したりとか怖いし
ただでさえいっぱいいっぱいの中で更に時間を切り詰めて努力し続けました。
それはそれでストレスになるんだよね(笑)
しかも良い感じのアイディアがあるわけでも無し
やっぱりやりたいことじゃないからどうしても気持ちも乗らない
僕的には転売が一番稼げたけど面白くなかった(笑)
やっぱりこんな商売がしたい!
とか
どんな方法でもいいからお金を稼ぐのがめっちゃ楽しい!
という人は起業とか副業とか成功するのだろうなっと思います
でも当時の私は自分が何をやりたいのかもわからないし、いろんなセミナーに行ってみたり、数々の本を読み漁ってみたり、投資の勉強をしてみたり、転売やらなんやら副業を色々やっては止めと繰り返してみたりとずいぶん軸がブレブレな感じだった訳です。
本当にこの当時はいっぱい本を読みました。
本の中に正解があるのだろうと信じていたんですね。
自分のやりたいことが本にきっと書いてあってそれに出会ったら僕は成功するんだ!!!
って思ってたんだろうな〜〜〜( ´艸`)
さて
結局のところ私は何がしたかったのか???
つまりね
ダラダラしたかったんですよ
家でダラダラゲームして漫画読んで子供と遊んで飯食って寝る。
そんなアホみたいな事が 僕の本当にしたいことだったんです。
そのことに気が付いてからそれまでやっていた努力をすべて止めてみました。
本業も含めて無理してやっていたことをすべて止めてみたのです。
上司を気にしてやっていた仕事とか残業とか
自分の評価をあげるための行為とか
行きたくない飲み会とか
お金の為にやっていた副業とか
投資のためにしていた節約とか
家族のためと称した家族接待とか
もうね
本当に全部そういうのをやめたんです。
人間ってその気になると結構色々止められるもので
直行直帰の仕事を組みまくれば満員電車に乗らなくても済んだり
そもそも引っ越してみたらいい。
上司のご機嫌を気にしなければ仕事なんて気楽なものです。
辞めさせられる?
大丈夫です。今、転職しやすい環境ですから(笑)
飲み会は普通に断ればいいのです。嫌われてもいいんです。どうせ嫌われないようにしても嫌ってっくる人はいます。そんなことを気にしていたら楽しく生きられない。
考え方をそうやってどんどん変えていきました。
そしたらどうだい???
毎日がめっちゃ楽しい(´∀`*)ウフフ
あんなにやりたいこと無いなと思っていたのに今はやりたいこと多すぎて困るぐらいある。
ウクレレ弾いたり、筋トレしたり、英語の勉強したり、DIYしたり、料理したり、やりたいこといっぱいです。
そして、なにより
仕事が楽しくなったんです。
最初あんなに嫌だったサラリーマンの仕事なのに
業務内容はぶっちゃけ殆ど何も変わっていないのに
むしろ単純な仕事量は増えているのに
なぜか評価は上がっているし
なぜか給料も上がっているし
なぜか任される仕事はどんどん増えているし
でも気楽に仕事ができている(´∀`*)ウフフ
結局
私にはサラリーマンという仕事がとても合っているのではないかと今では思っています。 嫌だったのはサラリーマンという働き方ではなく、その更に詳細の部分が嫌だっただけだったのです。
他人からの評価とか飲み会とかそういう自分が好きではないものを 社会一般の倫理感などで自分を縛って行動していたから辛かったのです。
それらをすべて辞めてしまえば会社員というは実に気楽なものです。
毎月定期的に収入が確約されているし、休みも決まったタイミングであるし、健康保険とか税金とかの処理も勝手にやってくれるし、社会的信用もめっちゃ高いし、会社の同僚と仲間意識も味わえるし、平日特になにも考えなくても仕事が舞い込んでくるし
恵まれた環境だな〜っと今は思います( ´艸`)
もちろん業務内容的に向き不向きがあるので合わない人は職を変えるというのは全然ありだと思うのですが、私の場合は幸いにして現職で意外とマイペースに仕事ができるようになってしまったので最近では今以上の環境は無いな〜と思っているのです。
私の個人的な価値観ではありますがこういう風にやなことをやらない ダメ社員になると会社員生活というのはとても楽しいものに変わっていくのです。
今がとてもつらいなと思って言う会社員の方がいたらどうかこの記事を参考して貰えたらなと思います。
では(´∀`*)ノシ バイバイ
ちなみにこれらの本は辛い時に読むととても参考になると思うのでどんどん読んでみてください。
2018年10月20日
クソみたいな奴に出会った時の心の対処法
どもっ常に穏やかな心でいられることを追求しているうなじろうです
あなたは本当にどうしようもないクズみたいな人に出会ったらどう思うだろう
最近僕は人間としてこいつは好きになれない
いや
大嫌いだと思うような人と出会った時にこう思うのです。
「ラッキーだったな・・・」って
強がりじゃないよ(笑)
だって それってとても珍しい体験ができたってことだから
普通に生きていて自分の価値観の幅、そして選択肢を広げてくれる機会というのはどんどん減っていきます。
人は自分の経験したことを元に自分の価値観を形成していきます。
その中でそうやってやばい奴と出会うことで「こんなやばい奴もいるんだな」と言うデータが自分の中に残ります。
通常は素敵な人やすごい人を見て私たちは自分もそうなりたいと思ったり、その人と同じ習慣を身に着けようと思ったりすると思います。
でもその逆もまた自分の人格形成には役に立つ。
しっかりと勉強になる部分がいっぱいあるんです。
こんな嫌な奴にはなりたくないという基準ができたり
とか
こんな使えない人間になりたくないと思って努力する意欲が沸いたり
とか
逆に、こんなことしても生きていける人生もあるんだなと参考になったり
とか
人に迷惑かけたりしても全然気にしない性格があるんだと人の持つ価値観を知る機会になったり
します。
素晴らしい人と出会うことと全く同量の気づきがクソみたいな奴と出会った時にも存在するのです。
後はその事実に気が付くかどうかなのです。
反面教師ってやつですね
そのことに改めて気が付いてからヤバいやつと出会うと何だかうれしくなるようになったのです。
「へーっそんな風に考えるやつも世の中にはいるんだな〜」って(笑)
そういう情報の中から最後に自分自身がどういう人間でありたいかを選んでいくと自分の幅はどんどん広がっていくのだろうと思います。
良い人でも、やな奴でも、仕事のできる人でも、使えない人でも、親切な人でも、横暴な人でも
どんな人との出会いも自分にはない価値観を含んでいます。
すべての情報には二面性があって自分が良いと思っていることの裏にはデメリットがあったりもする。
悪いと思っていたことの裏にはとても素晴らしいことがあったりする。
だから
本当はすべての事象に「強弱の波」はあっても「良い」とか「悪い」とかは無くて、それを受け取る人がどのように受け取るかだけで判断される。
結局
クソみたいな奴に出会って「嫌な思いをしたこと」と、そのクソみたいな奴に出会ったという事象を切り離して考えることができると、その出会い事体はラッキーなのです。 自分の経験値が増えたのだから。
そうやって捉えるとクソみたいな奴を見た時なんだかニヤニヤできるようになりますよ
では(´∀`*)ノシ バイバイ
この感覚は初めて私がこの本を読んだ時受け入れられることはできなかったけど、だんだんこの本に書いてあることを生活の中で確かめていくうちに腹に落ちた感覚です。
2018年10月06日
マンネリを防いで人生を楽しむための目標の立て方
どもっ理想の身体づくりと深層心理を追求するうなじろうです
今日は目標の立て方について書きたいと思います。
目標の立て方といっても「人生の目標はこれだ!!」みたいな大仰なものではなく、
人生をより楽しくマンネリしないで生きるための目標の立て方
です
そもそも人生には目標など要りませんからね┐(´∀`)┌
私も日々楽しくやりたいことを続けているのですが、何をするにしても飽きというものが訪れます。
飽きたら新しいことをまた探したらいいじゃないとも思いますが、せっかくなので続けたいなという気持ちもあります。
そもそも 飽きる原因とはその行動からの刺激に慣れてしまうからです。
なら飽きずにその物事を続ける方法は実に簡単で
ちょっとずつやることを変えて受ける刺激を変化させる
だけ
とは言ってもこのバランスが難しい(;´∀`)
なので実際に私がどのように目標を立てて物事を楽しんでいるのかをご紹介しましょう
本文の続きはこちら
今日は目標の立て方について書きたいと思います。
目標の立て方といっても「人生の目標はこれだ!!」みたいな大仰なものではなく、
人生をより楽しくマンネリしないで生きるための目標の立て方
です
そもそも人生には目標など要りませんからね┐(´∀`)┌
私も日々楽しくやりたいことを続けているのですが、何をするにしても飽きというものが訪れます。
飽きたら新しいことをまた探したらいいじゃないとも思いますが、せっかくなので続けたいなという気持ちもあります。
そもそも 飽きる原因とはその行動からの刺激に慣れてしまうからです。
なら飽きずにその物事を続ける方法は実に簡単で
ちょっとずつやることを変えて受ける刺激を変化させる
だけ
とは言ってもこのバランスが難しい(;´∀`)
なので実際に私がどのように目標を立てて物事を楽しんでいるのかをご紹介しましょう
本文の続きはこちら
2018年09月29日
イライラするのは自分のせい!??「怒りとは自分が作り上げているもの」という事実
どもっ常に穏やかな心でいられることを追求しているうなじろうです
つい先日仕事で久々にとてもイライラしたことがありました。
簡単に説明すると半年かけて準備していたことを前日になって不意にされた感じの出来事だったんです。
さすがに私もイラっとしました(笑)
おいおい!?マジでこいつ頭おかしいんじゃないのか?俺の半年は何だったんだよ?っと色々考えました。
しかし、その事象と私がイライラして楽しい気分でいられないという事は 実はあまり関連性がない のです。
人間というのは自分の感情を自分で選択する力がある からです。
例えば
子供を叱りつけているお母さんが急にかかってきた電話に応対する瞬間だけさっきまであんなに怒っていたのに急に笑顔で会話をし始める。そして電話が終わったらまた子供に対して起こり始める
な〜んて事があったりしますよね。
これって 時と場合を選ぶ力が人間にはあって感情とは本人が選んで発現しているものだという良い事例です。
それが分かっていても今回の私のようにイラっとすることはどうしてもあります。
その時その事象から私たちはどのようなことを知ればいいのでしょう?
本文の続きはこちら
2018年09月23日
もうケンカしたくない!夫婦関係を良好に保つ2つの大切な考え方
どもっ常に家庭環境を最善にするため思考錯誤しているうなじろうです
日々、日常の仕事でかかわりのある人と悩み相談なんかを受けていると、その悩みの多くは人間関係です。
その中でもとりわけ多いのが夫婦関係のすれ違いの問題。
かくいう我が家も一度といわず何度も「これは離婚するかもしれんな」と思うような喧嘩をしてきました。
結婚前は喧嘩なんてしたことないのに、夫婦になると相手の悪い部分が目に付くようになったりするから不思議ですよね。
やはりここが「他人と一緒に生活をする」という事の難しい部分なのかも知れません。
価値観の違う相手と生活するわけですから必ず衝突は起きますよね。
ですが、現在の我が家は特にそのような争いも起こらなくなり、いたって平和です。
「たぶん、この考え方をするようになったからかな?」と思う考え方が二つあります。
せっかくなので皆様にもシェアしていきましょう。
本文の続きはこちら
日々、日常の仕事でかかわりのある人と悩み相談なんかを受けていると、その悩みの多くは人間関係です。
その中でもとりわけ多いのが夫婦関係のすれ違いの問題。
かくいう我が家も一度といわず何度も「これは離婚するかもしれんな」と思うような喧嘩をしてきました。
結婚前は喧嘩なんてしたことないのに、夫婦になると相手の悪い部分が目に付くようになったりするから不思議ですよね。
やはりここが「他人と一緒に生活をする」という事の難しい部分なのかも知れません。
価値観の違う相手と生活するわけですから必ず衝突は起きますよね。
ですが、現在の我が家は特にそのような争いも起こらなくなり、いたって平和です。
「たぶん、この考え方をするようになったからかな?」と思う考え方が二つあります。
せっかくなので皆様にもシェアしていきましょう。
本文の続きはこちら
2018年08月18日
お盆という行事を通して気が付いた私の幸せ
どもっ常に穏やかな心でいられることを追求しているうなじろうです
今週お盆が終わり社会人の皆様の夏休みも終わりを迎えることとなりましたね。
私も今年のお盆は過去過ぎ去っていった方たちへの想いを込めて迎え火や送り火なんかの作業をしてみました。
そこでちょっと思ったのですが、子供の頃の私はこんな お盆の風習なんか本当にどうでもよくて全く興味がなかった のです。
今でもそんなに真剣に取り組んでいるわけではないのですが、昔のように無価値だと思うことはなくなりました。
それはなぜかというと
やはりお盆は亡くなった方のことを思い出す良い機会になるなと思うからです。
亡くなった方を思い出す機会というのは年々少なくなっていきます。
どんなに大切な人や動物なんかでもどうしても日々の生活の中でそのことばかり思い出して生きてはいけません。
なんだかそれはとても寂しく感じるけれども仕方がないことで
だからこそ、こうやってお盆のような時にそのことを思い出せるという事がとても幸せなことだなと思うのです。
亡くなった方との幸せな思い出を思い出すことができる幸せがお盆にはあるのです。
だからお盆って良いものだなと思うようになったのです。
さて
昔の子供の時の私はそうは思わなかった。
それってたぶん亡くなって欲しくないと思うような人との別れを経験していなかったからなんだと思うのです。
だから、故人を思い出す機会というもの事体を必要としていなかったんだろうな〜
これは人間的に浅はかだったというのではなく、
むしろ、 そういう辛い出来事が少なく楽しく生活できていたという幸せを得ていたんだなという事に改めて気づかせて貰えたのです。
私の周りの家族や親族、友人みんな健やかでそれってとても幸せなことだったんだなと思います。
私は今も昔もやはり幸せに生きていて、お盆という日にそれを改めて気づかせて貰えました。
こういう日常の中で自分がとても幸せな人間であると改めて気づかせてくれる出来事って本当にいっぱいあるのだなと思います。
今年のお盆もとても幸せでした。
では(´∀`*)ノシ バイバイ
いつもご紹介していますが、幸せに気づくための基本的な考え方が書かれています。
過去と未来と今を受け入れられた時に人の悩みは無くなっていきます。
他の本も大体同じこと言ってます(笑)
タグ: 人の深層心理を考える
2018年08月04日
やりたいことが分からなくなった時に思考の迷路から抜け出す為に私が考えた事
どもっ常に穏やかな心でいられることを追求しているうなじろうです
私はこのブログでもそうだし、職場の人間にもそうですが、常日頃から勇気出してやりたいことやったほうが良いよと言い続けています。
時間も、お金も、どんな制約も気にしないで楽しいと思えることをやる
これこそが人生を改善して心から楽しむ方法だと確信しています。
ただ、私自身「やりたいことってなんだ?」って悩んでいた時期がありました。
大した趣味も無く、お金もないからすぐに旅行とかに行ける訳でもなく、仕事の休みも取れないから時間もあまりない
そんな状態で俺のやりたいことって何だろう?って思考の迷路に迷いこんでしまったのです。
今回の記事では、そんなやりたいことがわからなくなってしまった私の思考の迷路から抜け出した時の考えたことを少し紹介します。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
本文の続きはこちら