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2019年06月12日

形而上学について!哲学リポート-通信大学生必見




形而上学について!哲学リポート-通信大学生必見



多様化する国際社会、統合を始めたヨーロッパ諸国、や統一ドイツ、パンアフリカ思想、しかし、分離崩壊した旧ソ連、分裂したチェコスロバキアやユーゴスラビア、アフリカの細分化された独立、国際社会は一方では他民族が協力して1つの国家を作ろうと努力しているが、一方では独立運動をてんかいして分離独立を勝ち取って細分化されている。世界は同時に二面性をだしながら進んでいう。

世界の進むべき姿がわからない。

その他、戦争や民族闘争、これらによる人の命の価値の低下、殺し合い、人間同士の憎悪、破壊、憎しみが憎しみを呼ぶ終わりなき報復、がくり広げられている。がしかし、現代において、福祉国家の誕生、赤十字、発展途上国に対する資金や技術の援助、国際協調、などの世界の流れもある。世界にはいろんな状況が同時に存在していることが分かる。

また、本来人を救うべき存在である宗教が原因となって引き起こる宗教闘争、これは今現在でも、北アイルランド問題やイスラムの宗派での争いがありテロなどが発生している。これは宗教が人の救いを与える反面、人を不幸にしている。まさに、多面性である。人間個人に目を向けると凶悪化する犯罪、犯罪の低年齢化、孤立化、しかし、人間はお互いに協調し、そして一人じゃ生きられなくグループを作る。

 今まで述べたことを考えると、まさに多様化、いろんなことが同時に起こり、分けが分からない時代である。人間とは本当に不思議な生き物、人間とはいったい何なのか、この多様化した時代で、人間が引き起こす、さまざまな問題を、人間の感情、自我、など、もっとも深くシンプルな基本となる部分をから考える必要があるのではないかと思われる。これこそが現代の形而上学に他ならない。

 形而上学の最初の始まりは、古代ギリシアのアリストテレスである。アリストテレスの作品を編集した時、自然学関係諸巻のあとの本という名から始まる。アリストテレスはこの部分を第1哲学と呼び、ものの第1原理と原因を解明する学問。言いかえるなら、すべてのものの最高原理を研究し、その根本にあるものを解明するものである。

 その後形而上学は中世になると、スコラ学の神学と結びつき発展を遂げる。18世紀にはいってヴォルフ学問を分類して、形而上学とは人間の自由とか魂の不滅や神の存在など、超経験論を考える部類の学問とし、存在論を展開した。

これに対しカントは存在論を独断論として反対した。カントは、経験に依存しなくても総判断が可能なである学問で、超越論哲学に基づく新しい形而上学を目指した。しかし、カントが目指した形而上学は難しく完成するのには険しい道のりだった。

その後、フィヒテはカントの哲学を受け継ぎ発展さした。フィヒテはア・プリオリ的な経験に依存しない判断で、人間の自我に関する可能性を考えていった。そして、その後、ヘーゲルは事物を、不変で、たがいに個々別々に引きはなされて存在し、それ自体では運動しなく、運動、変化の原因はその内部に持たないという、とれえかたの思考方法を唱え、形而上学を反弁証法的思考方法だと説いた。これは、知識をおおざっぱで全体的にとれえていたのに対して、細部にわたって個々別々にそれぞれの知識領域を研究していくようになったことを意味する。しかし、細部にわったて研究することは大切ではあるが、ものごとの全体や関連、発展、変化を見過ごしてしまう危険性である。そこで弁証法的な物事のとらえかたも必要となっていった。

 現代の形而上学は近代のカント後の哲学にもどり、自己意識や自我についてもう一度考え直そうとする流れがでてきた。そして、自己意識を研究してきたドイツ哲学と一線を引いて独自の哲学を研究していた英語圏哲学にも自己意識を研究する流れが見え始めた。

 ドイツでの現代形而上学の研究はハインリッヒである。ハインリッヒは近代の哲学は自己意識を研究してはいるが自己意識がどのようなもので他の知を根拠づける機能を持つという点にのみ研究が集中されたと考えた。結果、近代哲学は自己意識そのものは、それ自体で何かという点に対して説明不足であるとハインリッヒは思った。ハインリッヒは自己意識は何であるかとの問に関して自己保存という視点から考えようとし、この自己保存こそ自己意識は何という問を説くカギであるとした。

 現代の英語圏の形而上学は言語分析における自己意識の研究である。私という言葉を通してこれがどのように機能し、そして、自己意識とは何かという問いに答えようとした。シューメーカーは私という言葉は、主観としての用法と客観としての用法の2つの文法的用法があるとした。この2つの用法により、私という言葉が自我であるがないかを研究した。これに対してアンスコムは私という言葉の自我性を2つの用法とも否定した。このように言語研究から英語圏哲学は自我をかんがえていった。

 現代の形而上学は、近代の形而上学を基本とし、新しい形にしたものである。これは現代の多様化時代に適応するために近代形而上学が違う形に進化したといえるのではないか。


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