【6月10日:コンスタンツァ→ブカレスト→ ブラショフ
】
ドラキュラ伝説の地
ブラン城や、ドラキュラのモデルといわれるブラド・ツェペシュの生家がある シギショアラといった中世の古い街が点在する。
ブラン城(別名ドラキュラ城)Castle Bran
6月10日、私は黒海沿岸のリゾート、コンスタンツァからブカレスト経由で、このトランシルヴァニア地方の中心都市であるブラショフへと向かった。
ブルガリアではバラの季節がすでに終わりに向かっていたこともあり、なかなか期待していたような風景に巡り合えず、国会沿岸で有数の港湾都市コンスタンツァでも、戦艦ポチョムキン終焉の地という歴史的ロマンの香りとは程遠い、ただの海水浴場の街といった風情でガッカリだよ…と落ち込み気味だったのだが、ついにこの日、久々に「おぉ〜!」とばかりに心躍る景色を目にすることができた。
列車がシナイア駅構内に入ると急に気温が下がった気がした。それまで丘陵が続いていた風景は一変し、急峻な岩山が遥か上の方に霧に包まれて見え隠れしている。2千メートル級の カルパチア山脈の中でも奇岩怪岩で知られる ブチェジ山(下の写真)の山頂付近には、ロシア兵慰霊のための高さ50メートルもあるという巨大な十字架が立っている。
ミステリアスな霧に包まれたブチェジ山 Mount Bucegi
雨粒が列車の窓を叩き始めると、線路間際まで迫った鬱蒼とした森の胸をざわつかせるような緑が心なしか濃さを増し、怪しげな気を放っているように感じたのは、トランシルヴァニア地方のドラキュラ伝説を意識しているからか。
森の奥深くで赤い目が光っているような幻想に取りつかれてしまう。だからその山が途切れてルーマニア第二の都市 ブラショフに着いた時は、駅前に鎮座したH&Mやカルフールと、古都のイメージからはほど遠い佇まいに拍子抜けしてしまった。
一方一つ手前の鉄道駅 シナイアには、森の中にロマンティックで美しい ペレシュ城と ペリショール城があり、私のようなお城フリークにはたまらない。お城と シナイア僧院を中心にスイスのような山岳リゾートとなっていて、駅前からすでに可愛らしいヴィラやホテルが多くみられ、トレッキングルートの出発点でもあるため、緑の中の散歩コースも豊富にあり、この小さな町を拠点にすれば良かったと後悔するが、ブラショフの日本人が経営する宿を予め予約していたため時すでに遅し…。
【6月10日〜13日:ブラショフに3泊】
プライベートで散財
ブラショフでは3泊したのだが、日本人オーナー菅原さんが営むホテル、 カサ・サムライでは個人客に対するツアーの催行などをするサムライ・トラベルも併設している。EU加盟を果たしたとはいえ、ルーマニアもブルガリア同様未だ個人旅行者に対する環境が整っていないため、世界遺産や観光名所を繋ぐ公共交通機関が無いに等しい。(約10年前の情報なので、今はかなり整備されているのではないでしょうか)
ある程度の人数を一挙に運ぶパック旅行では一台のバスで事足りるが、個人旅行者には手段が限られてしまう。公共のバスで行ける場所は限られるうえに、本数が極端に少なく時間がかかる。限られた時間内に効率よく目的の場所へ行くとなると、やはり車だ。
だからルーマニアとブルガリアは、残念ながら単独の貧乏旅行者には向かない。まだまだパックツアーで訪れるのが最良の国なのだ。そう考えると、日本のパックツアーはかなりのお値打ちといえる。自分一人で移動の手配をするのは本当に骨が折れる。愚痴をこぼす相手さえいないのだ。
【ブラショフ近郊一日ツアー】 世界遺産
写真右側部分が長期間立てこもりながら応戦できるように様々な仕掛けがされた防壁部分。内部から見ると集合住宅のようだが、外からは完全に堅固な城の城壁にしか見えない。
私は菅原さんのお勧めに従い、プライベートツアーを催行してもらうことにしたが、日本からの観光客でも通常は夫婦や友人同士が多いため、ガイド付きで車をチャーターしてもさほどの出費にはならなくても、私は一人でまる2日、ガイド兼ドライバーとして菅原さんを拘束するのだ。2日で840レウ(約2万5千円)というイタイ出費だったが、ルーマニアくんだりまで来て世界遺産を見ずに帰る訳にはいかない、と覚悟を決めざるを得なかった。
「ここまで来たら、全部見てやる」
的な意地もあった。行きたいところへ日本語ガイド付きで行けて、好きなだけ散策できるプライベートツアーは値段に見合う内容だったと思うことで自分を納得させた。
カルパチアの真珠、 シナイア
プレジュメール要塞教会の後は山岳リゾート、 シナイアへ移動。シナイアは王侯貴族の別荘地として栄えたので、宮殿風の小さな館が多く、街並みが美しい。
シナイア観光の目玉である シナイア大僧院(下写真左)は、バスで訪れる観光客で溢れていた。大教会の隣りにある古い教会の入り口に描かれた17世紀のフレスコ画(下写真右)は見応えあり。
中庭に面した部分は、木組みがドイツ風の可愛らしい造りになっているペレシュ城。
次は観光の定番、ルーマニアといえば、の ブラン城へ。
「吸血鬼ドラキュラ」居城のモデルとなったブラン城は、ブラン村の崖上に聳える中世の城砦。ドラキュラのモデルとなった実在の ワラキア国王ヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ)の祖父が居城とした城だ。駐車場からしばらく森の中を歩き厳しい急な石段を登って城内に入る。
左:中庭にある井戸を渡り廊下が取り囲む形になっている。映画『ヴァン・ヘルシング』などで見たような典型的な中世ルーマニアの城砦だ。右:甲冑姿の兵士が通りそうな回廊。
城内には、現在のこの城の主であるルーマニア国王末裔の結婚衣装なども展示されていて興味深い。居室も宮殿ではなく城、という質実剛健な中世の時代を感じさせる。
ブラン城でゴシック・ホラーな気分に浸った後は、小高い丘の上に建つ堅固な ルシュノフ要塞に寄ってからブラショフへと戻った。
堅固な防壁の内側には約500人が住めるようになっていたという。
内部のほとんどは過去の震災で倒壊しており、時代に忘れられたかのような家々の廃墟が遺る。他の要塞教会とはまた違う念を感じる場所だった。
12世紀、トランシルヴァニア地方に「サシ」と呼ばれるドイツ系の人々が商業を興すことを目的に入ってきた。トランシルヴァニア地方の豊かさに目をつけた隣りのオーストリア・ハンガリー帝国が、ドイツのザクセン地方からこの地方への移住を積極的に促したのだという。
しかし当時この地方は遊牧民族やオスマントルコによる攻撃が激しく、村民の安全を守るため教会を中心に厚い防壁を築くようになり、教会が要塞化されるようになったということだ。
少々きつい上り坂を終えると、なぜか要塞の入り口で女性にバラを一本プレゼントするサービスが行われていた。右:眼下にブラショフの街が見下ろせる。廃墟で風に吹かれるバラは、どこか寂し気だが凛としていた。
展望スポットから細い急な階段をひたすら真っすぐ下ると城壁に沿って歩道が続き、民家の裏に出て少し歩くとカフェやレストランに囲まれた広場に出る。城壁を一部遺した旧市街は広場と黒の教会を中心にコンパクトにまとまっていて、可愛い雑貨屋さんやカフェも多く、街歩きが楽しい。
この旧市街で遭遇した夕立は忘れられない。メインストリートのATMでお金を降ろしていた私の背後から波が押し寄せるような音が忍び寄ってきて「竜巻?すわ洪水か?!」と慌てて振り返ると、その正体は地面に叩きつける大粒の激しい雨だった。迫りくる雷雨から身体ひとつの差で近くのレストランのポーチに逃げ込んで間一髪、事なきを得る。哀れ逃げ遅れた人々は滝の真下で水業でもしたかのような濡れネズミとなっていた…。
『ヨーロッパ後編?G世界遺産、要塞教会群とシギショアラ歴史地区』 へつづく…