Long-sought rose festival! But...【6.2011】
バラの谷の中心地
【6月2日:バスにて カザンラクへ移動】
「バラの谷」と呼ばれ、カザンラクはその中心地。
ブルガリアにバラ栽培を伝えたのは、実は当時この地を支配していた トルコ人。イスラム教の国々ではバラ水を降りかけて来客を歓迎する風習があり、トルコもバラ栽培では有名である。
昼夜の寒暖差による夜間の湿気と朝露、水はけの良い土壌などといったバラの谷の風土が、バラ栽培に最適だったため、ブルガリアの重要な産業となった。
バラ祭りに日程を合わせて来たので、 カザンラクへ向かうバスの車窓に一面のピンク色を期待していたが、バラの谷はバスの車窓から見える場所にはなかったのか、それともバラ祭りも終盤ですでにほとんどの薔薇が摘みとられていたからか、緑の草原と黄色の花畑が広がっていただけだった。
5月末から始まるは、バラ畑がメイン。
可愛らしい民族衣装を着た女性たちによる朝のバラ摘みからスタートする。この時期はバラ畑が公開され、観光客もバラ積みに参加できるという。旅行会社のツアーなどで行けば、これに参加できるのだろう。
次は、その年に高校を卒業する女の子から選ばれた バラの女王の戴冠式だ。その後トラキア王とバラの女王の後ろに民族衣装の人々が続き、街へと練り歩くパレードが始まるという。
レストランなどもバラで飾られ、街全体が華やかな雰囲気に…とガイドには書かれていたが、私はそんな華々しいものは一切見なかったので、祭りの始まりの頃行われるのだろう。
もしくは行われていた時間に、うっかり私が昼寝でもしていたのか…。うぅ、なんてこったい
でも、バラ公園もバラの博物館もほとんど人がいなかったよ…?
カザンラクの町のセフトポリス広場にはステージが設けられ、6月3日のバラ祭り最終日のイベントが行われるのを待っていた。私の宿泊した グランド・ホテルは、広場の真ん前。各部屋にベランダが付いていたので、ラッキーなことにベランダの椅子に座ってバラ祭りイベントの様子を上から眺めることができた。
午後3時頃からステージの上で民族衣装を着た可愛らしい女の子たちが踊り始め、ミュージシャンが歌ったりしているうちに、徐々に観光客が集まってきた。夕闇が迫る頃、壮麗な楽団のパレードが行われ、広場は大勢の見物客で埋め尽くされた。
しかし、バラがどこにも見当たらない。バラは一体どこにあるんだ〜、と期待を裏切られた気分だったが、バラの谷(バラ畑)は郊外にあるので、本当の「バラの収穫祭」を体験するにはツアーに参加するべきだった、と自分を納得させる
左:さすがバラの町カザンラクのホテル、アメニティはしっかり地元のバラ製品
右:早速誘惑に負けて購入してしまったミニサイズのバラの保湿クリーム、香水、エッセンス。旅の途中でなければ確実にもっと大量に購入していた…
町全体がバラの香りに包まれて、バラの摘まれた荷馬車なんかが広場を埋め尽くすのかと、メルヘンチックな想像をしていたので、ここがカザンラクでなかったなら、普通のお祭りと何ら変わりのないイベントで少々がっかりしたカザンラク滞在(約30時間と短かったけど…)だった。
カザンラクの グランド・ホテル は広場前という最高の立地。バスタブ付きなのに低料金とコスパもいいし、付属のカフェ、レストランもメニューが豊富で断然オススメ。レストラン前には小さなガーデンがあり、バラが見頃を迎えていた。列車の待ち時間に癒やされました〜
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バラの博物館目指して細長い公園を歩いていた時のことだ。ブルガリアの南はもうギリシャとトルコ、6月だというのにあまりに暑いので、アイスクリームを買ってベンチで食べていると、小さな子供たちがまとわりついてきて、しきりに手を差し出す。
彼らは ロマ(ジプシー)の子供達。何日も洗っていないように見える服を着て、手や顔は垢だらけで真っ黒。すぐに迷彩服姿の兵士らしき人がやってきて子供たちをしっしっと追い払っていた。恵まれた日本人としてはお金をあげたくなってしまうが、一度情けをかけると更に要求してきたり、力ずくで盗もうとしたりすることもあるというので、注意が必要だ。
★世界遺産「トラキア人の古墳」についての詳しい記事は こちら へ。
★バラにインスピレーションを得た短編小説を書いてみました? こちら へ。
★ 『ヨーロッパ後編?Cヴェリコ・タルノヴォで人生について考える』 へつづく…
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