「巡礼中の食事 meals during pilgrimage」
ほぼ毎日こんなトーストとお砂糖を入れたミルクコーヒー(カフェ・コン・レチェ)の朝食を続けてきた
そういえば随分お米食べてないなぁ、スパゲティも。スペインといえばパエリアなのに、そういうこれぞディナー、というようなレストランには巡礼中まず入らないし、入ったとしても一人だから多すぎて頼めないし、スパゲティに関しては驚くほどイタリア系レストランがこの国にはないようなのだ。
マドリッドやバルセロナといった大都会に行けばたくさん存在するのだろうが、ブルゴス(スペインでは結構大きな都市に数えられている)でイタリアン・レストランを求めてヤンと彷徨ったことを思い出す。
時々サラダも食べたのだが、いつもオイリーすぎて食べ終わった後、皿にかなりの量のオリーブオイルが残ることになった。ああ、これだもの、毎日20キロ前後歩いても痩せるはずないわ…。
Complicated feeling on the night before arrival」
さすが、雨のガリシア。今日は朝から雨が降ったり止んだりで道はぬかるんでるし、一日中雨合羽を脱げないまま19キロのペドロウソでギブアップ。とはいえ今日は、緑滴る森が、ため息が出るほど美しいことにも気付く余裕はあった。昨日の宿が人も少なく快適で、しっかり疲れを取ることができたからだろう。
気持ちだけはもっと先へ進んでおきたいのだが、この先15.5キロもアルベルゲがまったくないので、そこまで行く余力のない人は皆ここで泊まることになる。
15.5キロ先のモンテ・ド・ゴゾはサンティアゴまで4.5キロ地点、サンティアゴ市内に入る直前なので、そこまで行って泊まり、翌日朝からサンティアゴ入りするという人も多いらしい。
また、今日このペドロウソに泊まった人の中にも、まだサンティアゴに着きたくないという気持ちから、明日15.5キロ先のモンテ・ド・ゴゾでわざわざ止まってしまう人もいるという。長い間ひたすらゴールを目指して歩いてきた巡礼者にとってサンティアゴまであと20キロのペドロウソは、最も複雑な感情を呼び起こす場所に違いない。
普通ならアルベルゲ周辺のバルで陽が沈むまでビール片手に喋り続けている巡礼者の姿も、ここでは少なく、なんとなく皆ひとり静かに思索に沈んでいるように感じられた。
今日のアルベルゲも公営ではないので、アルモやマリア・ルイサ、オジサン・オバサンのそれぞれ4人組は誰もいない。彼らは皆いつも安い公営を選んでいることを知っていた私はあえて私営を選んだのだ、誰とも話す気分ではなかったから。
「明日ついにサンティアゴに着く」という事実は、サン・ジャンから777キロ(私はパンプローナからの707キロだが)を長い時間かけて重い荷物を背負って歩いてきた巡礼者にとっては、想像以上に、とてつもなく大きいことだと言える。
M子さんも「サンティアゴに近付くと、いろんなものが降りて来るよ」と言っていたように、私の胸にも様々な思いが去来していた。
まず何が嬉しいって「スペインの驚くべき貧相なシャワールームを使わなくていい」ということが大きい。
あの、恐らくはアルベルゲ特有(だと思いたい)の脱衣エリア無し、扉なしのシャワーブースやお湯の出ない水シャワーや10秒ごとの手押しボタンシャワーなんか二度と使いたくない。
セブレイロ以降ガリシア州に入ってからというもの道がほとんど眺望のない山道でつらかった。加えて雨が多く、ほぼ毎日のように雨合羽が手放せなかったから、よけい足に負担がかかるのか、疲れが翌日に持ち越されてどんどん溜まっている。背中も、重い荷物を毎日背負って山を登って曲がってしまったんじゃないかと真剣にこの先が心配。60歳で腰の曲がったお婆さんになるのはいやだよー
だが正直、長い旅の区切りが近付いて「ようやく終わるのね…」という安堵感以外今は何も感じない。
セブレイロ辺りで一時は終わってほしくない気もしたけれど、ついに明日が最後の20キロ、と思うと「もうこんなに歩かなくていい」のだと思ってしまう。「8時に宿を追い出されることなく、朝はいつまでも眠りの中でまどろんでいられるのね」と思うと、うっとりする自分がいる。
世界半周旅も半分の3か月を終え、4か月目に入っているけれど、この長い旅の後自分はどう生きていくのか、今は何も考えられない。
頭の片隅に、ロンドンでのホームステイでお世話になったミセス・ババの「日本語を教えながらロンドンで暮らすことだって可能」という言葉が引っ掛かっているだけだ。
私の孤独な旅は、どんな形で終わるのだろう…。
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