The country of roses and yogurt, Bulgaria【5.2011】
ブルガリアという未知の国
【6月1日: 首都ソフィア
】
ソフィアの街へ散策に出る。
ソフィアの中央に聳えるブルガリア正教会の アレクサンダル・ネフスキー大聖堂。
ブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争で戦死したロシア兵を慰霊する目的で1922年に完成したネオ・ビザンツ様式の豪華な建築物で、緑色の屋根が印象的。ソフィアの空港に着陸寸前、飛行機の窓からかなり近い距離でその鮮やかなエメラルドグリーンの屋根を見下ろすことができる。
メノウや大理石をふんだんに使った豪華なシャンデリアといった内部もさることながら、薄暗い聖堂内にドームの窓から差し込む柔らかな金色の光は、やはり神を思わせる荘厳さに満ちている。ドームの天井に描かれた幼子イエスを抱く賢者?の穏やかな表情にしばし時を忘れて見入っていた。
大聖堂前の広場には革製品や骨董品などの露天商がたくさん出ていて、ただ見て歩くだけでも楽しい 寺院横の並木沿いもテーブルの上いっぱいに陶器や民芸品などを並べたマーケットになっているので、掘り出し物が見つかるかもしれない。
ソフィアは首都といえどもコンパクトな街で、観光客も少ない。 スヴェタ・ネデリャ広場を中心に建設ラッシュの発展途上の街だ。かつて 王宮として使われていたクリーム・イエロー・カラーの美しい建物(⇑)はブルガリア初の美術館(国立美術館と国立民族博物館)になっている。
ブルガリアは、どこの国にも似ていない。日本人の意識ではブルガリアは東欧だが、歴史的に見て バルカンなんだなぁと、強いトルコの影響を感じた。
左: 大統領府のエントランスを守る衛兵 右:シェラトンホテルや大統領府など近代的な建物に囲まれて佇んでいる 聖ゲオルギ教会は、ロトンダと呼ばれるローマ時代の円形建造物。地下には古代ローマ時代の都市セルディカの遺跡が残っている。
一部陥没した道路や、崩れたままの古民家などが旧共産圏を感じさせ、キリル文字や話し言葉もロシアに近い。それでいてヨーロッパのように ロマ(ジプシー)も多い。物乞いや、レストランで花を売り歩く女性もよく見かけた。
野良犬と野良猫も多い。しかもレストランの椅子の上でうたた寝していたり、我が物顔でテーブルの間を歩き回ったりしている。衛生状態が恐ろしいことになっている…。
薔薇とヨーグルトの不思議な匂いのする国、ブルガリアは初めて訪れるタイプの国かもしれない。
ほぼ隣り合って建っている二つの教会。左が 聖ニコライ・ロシア教会。ロシア人外交官の命で1913年に建立された。一方右は バーシャ・バシ・ジャーミヤというイスラム寺院。1566年オスマン朝時代に建設され、付近にはトルコ系住民が多いという。ロシアとトルコという両大国に支配されてきたこの国の歴史を見るようだ。
食事は独特。ホテルの朝食はそれでもコンチネンタル風だが、 メハナ(居酒屋)にはブルガリア独特の料理が揃う。ほとんどが乳製品。(ビーガンには厳しい食環境だ…)
街の目抜き通りに建つ セントラル・ハリと呼ばれる中央市場は、食品や雑貨を扱ういわばショッピング・モール。食品だけでなく、伝統工芸品や雑貨などのお店もあり、私はここで綺麗なレースのテーブルクロスを格安で購入した
2階にあるフードコートは一人でも気楽に食事できるので、おおいに助かった。写真はこのフードコートで食べたもの。左は ムサカ、右は屋台の定番 キョフテ(ブルガリア風ハンバーグ)とポテト。
セントラル・ハリ(写真は『旅名人ブックス ブルガリア』より)
スペイン人はオイルとシュガーで下半身太りだと思ったが、美しいブルガリア女性も歳をとると、負けず劣らず立派なお尻。乳製品によるカロリー過多かと思われる
ホテルに戻った後、魔法にかかったように東欧の黄金の陽射しの中でシエスタを貪った。
現実味のない眠りだった。
★ 『ヨーロッパ後編?A-2 念願のバラ祭り!のはずが…』 へ続く。