それが、周りからどう見られているかと完全に一致するという人もなかなかいないと思う。
特にADHDの人間に関してはそのギャップがかなり大きいのでは無いかと思う。
僕の場合どんなギャップがあったかお話してみよう。
・自分勝手である←→人につい気を使ってしまう
僕は一部の人(特に僕のコトをあまり好きで無い人。笑)に「なんて、自分勝手なのか」「こちらにあわせようという気持ちは無いのか」と言われるコトがある。
ところが自分ではすごく気を使っているつもりなのだ。
しかも、むしろ他の人よりも気を使っている人からそんな風に言われるコトが多い。
確かに納得のいかないコトはできない質ではある。ただ、そこには明確な論理的理由が存在するのだ。
ADHDは空気がよめないというのは有名だとも思うが、完全にその特性ゆえにこういった認知の差が起きてしまうのではないかと考えている。
気を使っていてもその人が何を求めているのか?それがやはり分からないのかもしれない。
・やる気がない←→精一杯、物事に打ち込んでいる
やる気がない、つまらなそう。
これもよく言われている。
ただ、自分では精一杯打ち込んでいるコトでも、そう言われてしまう。
ADHD者は興味の対象がコロコロ変わって、常に新たな刺激求めている。
その新たな刺激に向き合っている時と、普段を見比べれば確かに雰囲気が全然違うのかもしれない。
・屁理屈や揚げ足をとる←→論理的に考え、発言している
向こうの言っていることに対して、論理的に思考し発言をしているのに、屁理屈をいっていると言われる。
僕からすると、そういう人こそ屁理屈を言っているように感じる。
そして、感情に流されて皆話の内容からどんどん離れていくし、言葉尻を捉えて揚げ足を取られているように思う。
恐らく、ADHD者は実際の言葉でしか考えられず、行間が読み取れないために定形発達者が伝わっていると思った情報を拾えてないのだろう。
・不真面目である←→真面目である
コレに関しては、仕事上の付き合いをしていない人間は僕を真面目だと言ってくれる人が多い。
自分が真面目であるかどうかは自分ではわかるとは思うんだけど。笑
たぶん、すげー真面目だと思う。ずるとか嫌いだし。
でも、同じミスを何度もするし、寝坊するし、なんか変わってるし、不真面目に見られてしまうんでしょうね。
そんな風に、割と自分の思いとは逆の印象を与えています。。。笑
ときどきそれが悲しいけれど、でも分かってくれている人もいることが救いだったりします。
ADHD者は幼少の頃から勘違いされることが多く、ストレスに晒されていると思います。
ストレスなく、いつも笑顔で暮らしていけるよう。
そういう溝をなんとか埋めて、うまくやっていけるようになるといいなと思います。
そのために色々と方法を考え情報共有していくことがADHD者には大事なのではないでしょうか。
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社会人二年目ですか!
色々とお辛いことも多いでしょうけれど、気張りすぎず、一個一個頑張ってくださいね^_^
いやー、2年も同じところでちゃんとやれてるなんて偉いです!
僕は働いた会社の三社中二社は2年も続かなかったですねえ。
でも水が合うところでは長く働いていましたので、そういう波長の合う環境なのかもしれませんね!
応援しております^_^
社会人二年目で、ケアレスミスが多く、色々試した結果、行き着いたのが精神科でした。1か月前にADHDの診断を受けて、ストラテラを服用中です。
ゆうさんのブログを読んでいると、自分が書いたのかな?って思うくらいに経験・体験が似通っていて、勇気をもらっています。
私も人の話が論理破綻してることに良く気付いたり、プレゼンテーション能力もどうやら優れているらしく(上司や周囲に評価されたり、プレゼンの大会で優勝したり)、一見、コミュニケーションの障害がなさそうな為に、ADHDの診断が出たときは親にも信じてもらえなかったです。笑
こらからもブログ楽しみにしています!