2012年10月09日
山中教授、ノーベル賞受賞 ips細胞の開発において
人工多能性幹細胞(iPS細胞)
の開発で
ノーベル医学生理学賞 に輝いた
山中伸弥 ・京都大教授(50)の受賞までの
エピソードを聞いて
とても励まされました。
日はまた昇る…
ご自分の怪我の経験から
一度は整形外科医を目指されましたが、
向いていないと痛感し、
基礎研究の実験に転換されました。
アメリカで良い師にめぐり会われたそうですが
日本に帰国後、
あまりにもアメリカとの環境の落差に
やる気を失われ、半うつ状態になり
またもや挫折しかけられらそうです。
でも、アメリカの研究者がヒトES細胞の作成に成功したことや
奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったこともあって
再び、研究ができる環境が整い、
「受精卵を使わないでES細胞のような万能細胞を作る」
という目標を掲げました。
当初は失敗の連続だったようですが
今度はあきらめることなく
マウスの皮膚細胞を使って iPS細胞の作成 に成功し、
見事に目標を達成されました。
「人間万事塞翁(さいおう)が馬」
(人生の幸・不幸は予測できない)
アメリカで出会った恩師、ロバート・メイリー所長から、
研究者として成功する条件は
「ビジョンとワークハード」、
つまり、
長期的な目標を持ってひたむきに努力すること だと教えられたそうです。
人生、何がどう転ぶかわかりません。
私も、目先の結果に心を振りまわされることなく
長期的な視野を持って、
周囲の目がどのようなものであっても
たとえそれが一般大衆受けしなくても
自分にできることをコツコツと行っていこう
と改めて考えなおすことのできるニュースでした。
山中伸弥・京都大教授、本当におめでとうございます。
会見での笑顔が素敵でした…
ノーベル医学生理学賞 に輝いた
山中伸弥 ・京都大教授(50)の受賞までの
エピソードを聞いて
とても励まされました。
日はまた昇る…
ご自分の怪我の経験から
一度は整形外科医を目指されましたが、
向いていないと痛感し、
基礎研究の実験に転換されました。
アメリカで良い師にめぐり会われたそうですが
日本に帰国後、
あまりにもアメリカとの環境の落差に
やる気を失われ、半うつ状態になり
またもや挫折しかけられらそうです。
でも、アメリカの研究者がヒトES細胞の作成に成功したことや
奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったこともあって
再び、研究ができる環境が整い、
「受精卵を使わないでES細胞のような万能細胞を作る」
という目標を掲げました。
当初は失敗の連続だったようですが
今度はあきらめることなく
マウスの皮膚細胞を使って iPS細胞の作成 に成功し、
見事に目標を達成されました。
「人間万事塞翁(さいおう)が馬」
(人生の幸・不幸は予測できない)
アメリカで出会った恩師、ロバート・メイリー所長から、
研究者として成功する条件は
「ビジョンとワークハード」、
つまり、
長期的な目標を持ってひたむきに努力すること だと教えられたそうです。
人生、何がどう転ぶかわかりません。
私も、目先の結果に心を振りまわされることなく
長期的な視野を持って、
周囲の目がどのようなものであっても
たとえそれが一般大衆受けしなくても
自分にできることをコツコツと行っていこう
と改めて考えなおすことのできるニュースでした。
山中伸弥・京都大教授、本当におめでとうございます。
会見での笑顔が素敵でした…
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