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2014年02月16日
ボローニャ大学
ボローニャ大学(イタリア語:Alma mater studiorum - Università di Bologna、略号:UNIBO)は、イタリアのボローニャに所在する大学である。ヨーロッパ最古の総合大学(cf. 世界最古の一覧#学問所)であり、規模においてイタリア国内第2位の大学でもある。世界の大学の原点とされ、「母なる大学」とも雅称される。
目次 [非表示]
1 歴史 1.1 年表
2 現在の施設 2.1 拠点
2.2 学部
3 関連する著名人 3.1 著名な卒業生
3.2 著名な教授
3.3 名誉博士
4 脚注・出典
5 外部リンク
歴史[編集]
正確な創立年は定かでないが、すでに11世紀には法学校として教育活動が行われていたと伝えられる。1888年、ジョズエ・カルドゥッチらが立ち上げた委員会の調査によって1088年が創立年であるとされ、創立800周年が祝われた。イルネリウスが創立者であるとみなされている。
創立以来9世紀を超える歴史のうちには、ペトラルカやダンテ・アリギエーリ、ガリレオ・ガリレイ、コペルニクスなどといったそうそうたる著名な才人が過去の在籍者に名を連ねる。教鞭を採った者では、ジョヴァンニ・カッシーニとウンベルト・エーコが有名である。
13世紀にはローマ教皇庁からストゥディウム・ゲネラーレ(大学、中世大学)の認定を受けた。
年表[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
伝1088年:ボローニャ大学の前身施設が創設される。
13世紀:ローマ教皇庁より、ストゥディウム・ゲネラーレに認定される。
現在の施設[編集]
拠点[編集]
現在ではエミリア=ロマーニャ各地(ラヴェンナとリミニ、フォルリ、チェゼーナ)の拠点に23の学部があり、10万人を超える学生が所属する。
学部[編集]
農学
芸術・新文学
経済
教育
エンジニアリング
スポーツ・サイエンス
外国語・文学
化学
法律
哲学
数学・物理・自然科学
医学
薬学
政治科学
心理学
統計学
獣医学
関連する著名人[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
著名な卒業生[編集]
モンディーノ・デ・ルッツィ :医学者。
ジョヴァンニ・カッシーニ :天文学者。
ロマーノ・プローディ :政治家。
著名な教授[編集]
ラウラ・バッシ
ルイージ・ガルヴァーニ
ウンベルト・エーコ
名誉博士[編集]
綿貫民輔 : 政治家(第70代衆議院議長、国民新党初代代表)。
池田大作 :宗教家(創価学会名誉会長)。
野依良治 :化学者(理化学研究所理事長)。
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1 歴史 1.1 年表
2 現在の施設 2.1 拠点
2.2 学部
3 関連する著名人 3.1 著名な卒業生
3.2 著名な教授
3.3 名誉博士
4 脚注・出典
5 外部リンク
歴史[編集]
正確な創立年は定かでないが、すでに11世紀には法学校として教育活動が行われていたと伝えられる。1888年、ジョズエ・カルドゥッチらが立ち上げた委員会の調査によって1088年が創立年であるとされ、創立800周年が祝われた。イルネリウスが創立者であるとみなされている。
創立以来9世紀を超える歴史のうちには、ペトラルカやダンテ・アリギエーリ、ガリレオ・ガリレイ、コペルニクスなどといったそうそうたる著名な才人が過去の在籍者に名を連ねる。教鞭を採った者では、ジョヴァンニ・カッシーニとウンベルト・エーコが有名である。
13世紀にはローマ教皇庁からストゥディウム・ゲネラーレ(大学、中世大学)の認定を受けた。
年表[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
伝1088年:ボローニャ大学の前身施設が創設される。
13世紀:ローマ教皇庁より、ストゥディウム・ゲネラーレに認定される。
現在の施設[編集]
拠点[編集]
現在ではエミリア=ロマーニャ各地(ラヴェンナとリミニ、フォルリ、チェゼーナ)の拠点に23の学部があり、10万人を超える学生が所属する。
学部[編集]
農学
芸術・新文学
経済
教育
エンジニアリング
スポーツ・サイエンス
外国語・文学
化学
法律
哲学
数学・物理・自然科学
医学
薬学
政治科学
心理学
統計学
獣医学
関連する著名人[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
著名な卒業生[編集]
モンディーノ・デ・ルッツィ :医学者。
ジョヴァンニ・カッシーニ :天文学者。
ロマーノ・プローディ :政治家。
著名な教授[編集]
ラウラ・バッシ
ルイージ・ガルヴァーニ
ウンベルト・エーコ
名誉博士[編集]
綿貫民輔 : 政治家(第70代衆議院議長、国民新党初代代表)。
池田大作 :宗教家(創価学会名誉会長)。
野依良治 :化学者(理化学研究所理事長)。
教育
教育(きょういく、羅: educatio、英: education、仏: éducation, enseignement、独: Bildung, Erziehung、西: educación、葡: educação、露: Образование、亜: ?????)は、教え育てることであり[1][2]、ある人間を望ましい状態にさせるために、こころとからだの両面に、意図的に働きかけることである[3]。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすること[4]である。
目次 [非表示]
1 概説 1.1 定義の諸説 1.1.1 語源・語義からの定義
1.1.2 リチャード・ピーターズの定義
1.2 教育の種類
2 教育を受ける人・行う人 2.1 受ける人
2.2 行う人
3 義務教育・公教育
4 教育の理論、教育哲学
5 歴史 5.1 西洋における教育の歴史
5.2 日本における教育の歴史
6 教育制度 6.1 教育行政・教育政策
6.2 教育法
6.3 教育施設
6.4 学校
7 教育の課程・内容・方法 7.1 教育課程
7.2 教育内容
7.3 教育方法
8 教育と社会(教育の効果と機能) 8.1 教育効果
8.2 社会的機能
8.3 収入
9 教育問題
10 教育学
11 各国の教育 11.1 アジアの教育
11.2 アフリカの教育
11.3 アメリカの教育
11.4 オセアニアの教育
11.5 ヨーロッパの教育
12 動物における教育
13 教育に関する機関・団体
14 関連項目
15 出典・脚注
16 参考文献 16.1 事典・用語集
概説[編集]
そもそも教育とは何か? ということに関しては諸説があるが、 しばしば、教育とは理解を促したり技術を発展させるために、人が生まれたままの状態では持たない知識を伝播し、技能・態度などを身につけさせたり、教え育てたり訓練することである、などと説明される。また社会的機能に注目しつつ、それによって社会が維持・発展することを目指した活動である、と説明されることもある。また、人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動である、とも説明される。教育を与える側が、ある価値観を是認し、支持し、内面化することを教育を受ける者に押し付けるように伝えることによって共通の価値観の維持強化を図ること、つまり、教育を与える側が望む共通の価値の実現を目指す活動のことを指す、ともされることがある。
狭義では、知識の伸張(知育)、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)の3つを中核として捉え[要出典]、洗脳・訓練・条件づけなども含まれる。
定義の諸説[編集]
教育の定義には諸説あるが大別すると以下のようになる[要出典]。
1.語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」)
2.目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」)
3.方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」)
4.機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」)
語源・語義からの定義[編集]
語源・語義からの定義の例を挙げると、「英語: education」や「フランス語: éducation」は、ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来することから、「教育とは、人の持つ諸能力を引き出すこと」とする。
リチャード・ピーターズの定義[編集]
またリチャード・ピーターズは、「教育を受けた者」という概念の内在的な意味を探求し、自由教育(教養教育)の立場から「教育」を次の3つの基準を満たす活動として限定的に定義した[5]。
1.教育内容 - 価値あるものの伝達
2.教育効果 - ものの見方が広がる
3.教育方法 - 学習者の理解を伴う
教育の種類[編集]
一般に教育は、行われる場に応じて学校教育・社会教育・家庭教育の3つに大きく分けて把握されている[6]。
「家庭教育」とは、家庭において行われる教育のこと。家庭というのは家族という社会集団が生活をする場であるが、多機能であるので、教育も行われ得る[6]。学校という制度ができてからは、その教育機能の一部が学校へと分離することになったが、家庭は学校と連携を持ちつつその教育機能を持ちつづけている[6]。「家庭教育」と言っても、家庭という場とともに、ひとりひとりの家族との人間関係が重要な意味をもっていると言える[6]。基礎的な価値観・徳をこどもに示すことはしつけと呼ばれている[7]。
「学校教育」とは、学校において行われる教育のこと。特にこどもに対して、定められた学校で、教えることを専門とする教職員によって計画的・組織的・継続的に行われる[6]。しばしば「教育」というと、この学校教育が連想されるほどに、学校は教育の場の中核を成している。だが、こうした学校中心の教育観には問題がある[6]。
「社会教育」とは、家庭教育と学校教育以外の[6]、広く社会において行われる教育のことである。学校や家庭以外の社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当する。例えば、図書館、博物館、文化センター、公民館…等々の場である。
上記のありがちな3分類以外にも、企業が従業員(社員)の職業人としての資質を高めるために行う教育・訓練や、(従業員の)人間性を高めたり市民性 en:citizenship(自分が社会・共同体の一員だとの自覚を持ちそれに貢献すること)を育てるために行っている教育は「企業内教育」と呼ばれている[6]。
ひとりの子供が、家庭教育と学校教育の両方を受けている[6]。
従来は、学校教育と社会教育は、行政上の制度としても別になっており、また教育を受ける人も教育を行う人も異なっていたため、それぞれ独自の方針を持つものとして機能したので上記のような概念枠で理解しても特には問題は無かったが、近年では社会が生涯学習社会へと方針を転換してきているため(つまり一旦学校を卒業した人々もその後に本格的に学習を行うようになってきたため)状況が変化してきている[6]。生涯学習が広まってきたことにより、学校が(例えば大学や大学院が)ある程度以上の年齢の人々の生涯学習の場として活用されることが増え、それに伴い、学校側も従来のような(20代までの)若い人だけを念頭に置いた教育では学び手の要求にこたえられなくなってきており[6]、変わりつつあるためである。
なお、離れた場所に居る者に対して行われる教育は、遠隔教育(遠隔地教育)・通信教育という。
教育を受ける人・行う人[編集]
受ける人[編集]
教育の受け手は、児童・生徒(英: pupil)または学生(英: student)、あるいは学習者・学び手(英: learner)と言い、より堅い言葉では被教育者(英: educatee)とも呼ばれる[8][9]。
教育の受け手が乳児の場合には、その教育は乳児教育(保育)と呼ばれ、幼児の場合は幼児教育、児童の場合には児童教育、成人である場合は成人教育と呼ばれる。また、教育の対象が、障害者など学習や生活の上で特別な支援を必要とする者である場合は、特別支援教育という。
なお、教育の対象は他者であるとは限らず、自分自身であることもあり、その場合には自己教育(英: self-education, autodidacticism)と言うことがある。
行う人[編集]
教育を行う者のことを一般に教育者(英: educator)・教師(英: teacher)などという[10]。
義務教育・公教育[編集]
多くの国において、国民に基礎的な教育を保証するために、公教育として数年にわたる義務教育が制度化しており、初等教育と中等教育の一部が、児童・生徒の権利であるとされたり、義務とされている。[11]日本でもこれは実施されている。
教育の理論、教育哲学[編集]
教育の目的(教育目的又は教育目標)をどうとらえるかで2つの立場が存在してきた。
1.道徳主義 - 政治や社会、道徳や倫理と言った教育の外にあるものから教育目的を定めるもの(例 アリストテレスの徳[12])
2.機能主義 - 教育それ自体が上手くいくように教育目的を定めるもの(例 ジョン・デューイのプラグマティズム[13])
道徳主義の教育目的では、伝統的に、個人の発達・幸福のためとするか、社会の維持・発展のためとするかで論争がある。前者は教養教育・自由教育の立場で、人が一人の人間として豊かで幅広い教養を身につけることで、人が人間らしく生きることができるという考えである。こうした考え方は、一部の中等教育・高等教育でリベラルアート教育として実現している。他方、教育の目的を社会的な必要という観点から捉え、実学を重視する立場もある。専門学校・専門職大学院などはこの現れである。
教育を行う理由のことを、教育の正当性と呼ぶことがある[要出典]。これには、教育の必要性と教育の可能性の二面から論じられることが多い。
なぜ教育が欠けてはならないのかという問題について、イマヌエル・カントは「人は教育によって人間になる」と述べ、人間らしく生きるために教育が必要であると論じた[14]。学びの意欲を喪失した若者が多いといわれる現代において、なぜ教育が必要かが改めて問われる状況にある。
しかし教育が必要であるとしても、それが人間にとって可能なものでなければ、教育はやはり正当性を失うことになる。例えば、プラトンは「徳は教えうるか?」と問い、哲人統治者としての自然的素養を重視した[15]。現在において教育可能性が問題となるのは、「教育がいかに可能か」という教育方法の問題や、「教育がどこまで可能か」という教育の限界の問題としてである場合が多い[要出典]。
「教育哲学」も参照
歴史[編集]
詳細は「教育史」を参照
教育に関する歴史を教育史と呼ぶ。家庭教育や社会教育も念頭に置けば、教育は人類の有史以来存在してきたものと考えることができる。
西洋における教育の歴史[編集]
最古の大学ともされるボローニャ大学での講義風景
詳細は「西洋教育史」を参照
制度化された教育について、西洋では古代ギリシアまで遡ることが一般的である。近代国家による教育が普及したのは、産業革命以降の労働者の必要性からであり、多くの国で国民に対する一般教育が公教育として施行されるようになったのは、20世紀に入ってからである。
日本における教育の歴史[編集]
詳細は「日本教育史」を参照
日本で初めて教育制度が作られたのは、701年の大宝律令とされる。その後も貴族や武士を教育する場が存在し、江戸時代に入ると一般庶民の学ぶ寺子屋が設けられるようになった。初等教育から高等教育までの近代的な学校制度が確立するのは明治時代である。第二次世界大戦後の教育は、日本国憲法と教育基本法に基づいている。
学校教育現場の情景 (1963年)
教育制度[編集]
詳細は「教育制度」を参照
教育に関する制度を教育制度といい、主に学校教育が中心となるが、社会教育など学校外の制度もある。教育制度は、学校制度や義務教育の年限など、国によって異なっている。
教育行政・教育政策[編集]
詳細は「教育行政」を参照
教育に関する行政を教育行政、教育に関する政策を教育政策と呼ぶ。日本の教育政策については、日本の教育政策と教育制度を参照。教育政策の課題は国によって大きく異なっているが、先進国においてはおおむね社会的格差の解消や国際的な経済競争・知識社会化への対応などが、発展途上国の多くでは識字率・就学率の向上が、求められている。
教育法[編集]
詳細は「教育法」を参照
教育に関する法律を教育法と言う。条例等も含める場合には、教育法令と呼ぶ。
教育施設[編集]
詳細は「教育機関」を参照
教育の行われる施設を教育施設又は教育機関と呼ぶ。学校のみならず、図書館・博物館・美術館、公園、劇場、映画館のような娯楽施設も、広く社会において教育的な機能を果す施設を含めて考えられる。基本的な生活態度の養成という観点からは、家庭や地域社会での教育も含まれる。
学校[編集]
詳細は「学校」を参照
教育施設の中でも専ら教育のために設立される施設を学校と呼ぶ。学校において行われる教育を学校教育と呼び、その就業年数や義務の有無など学校に関する制度を学校制度と言う。
教育の課程・内容・方法[編集]
教育のために用いられる素材は、教材と呼ばれる。伝統的な教科書や黒板や従来から語学学習などで用いられてきた音声教材に加えて、近年では科学技術の発達に伴い、コンピュータ、マルチメディア、インターネットなどを積極的に活用する動きが高まっている。また、電子黒板やインターラクティブ・ホワイトボードなどの最新機器も用いられ始めている。
教育課程[編集]
詳細は「教育課程」を参照
教育において、その実践上の目的・内容・方法等をまとめたものを教育課程又はカリキュラムと呼ぶ。教育課程は、通例では初等教育・中等教育・高等教育の3段階に分け、この前に保育や幼児教育を位置づけることもある。
教育内容[編集]
知育・徳育・体育の分野がある。正確な知識という共通基盤がなければ正しいコミュニケーションや共同生活すら図れないし、またそうした知識をいかに活用していくかという、思考力・コミュニケーション能力・創造力等の技能も不可欠である。さらに、知識や技能のみならず、社会生活を営む上での基本的な道徳を教育することに価値を置く見解や、社会で生き抜く体力を重視する見解もある。教育の内容について詳しくは、「教科」を参照。また、新しい教育内容として、人権教育、環境教育、国際理解教育、性教育がある。
教育方法[編集]
教育方法に関しては大きく二つの立場が対立している。
一つは、学問の体系的な構造に従って系統的に教育を行うべきだという、系統学習の立場である。これは特に教育段階が上がるにつれて教育内容が学問の体系に近づく。
その一方で、特に幼児・児童への教育を中心として、こどもの自発的な学びを尊重すべきだとする問題解決学習(進歩主義・児童中心主義・経験主義)の考えも強い。日本の小学校における生活科や小中学校の総合的な学習の時間は、この考えに影響を受けたものであると言われている。
教育と社会(教育の効果と機能)[編集]
教育を行った結果としてどのようなことが起こるかについては、個人に与える影響と社会に与える影響の両面がある。エミール・デュルケームは、近代における教育の機能を「方法的社会化」であると捉え、政治社会と個々人の双方が必要とする能力・態度の形成であるとした[16]。なお、教育が適切な効果・機能を果していない場合には、「教育の機能不全」、教育がむしろ否定的な効果・機能を果している場合には「教育の逆機能」と呼ばれることがある。
教育効果[編集]
教育を受けた個人に起こる変化を教育効果と呼ぶ。一般的には学力の向上が思い浮かべられることがある。現在の日本では、学校教育に関わる学力を紙面の試験で測定できるもの、とりわけ偏差値で計る傾向が強く、このことに対して強い批判が長年存在しつつも、受験現場では不可欠とされている実態がある。
教育効果に関する議論は、教育内容や教育方法などを改善する上で欠かせない一方、教育目的を測定可能なもののみに置き換えがちな点には注意が必要である。
社会的機能[編集]
教育が社会に及ぼす効果として、経済・政治・社会などに与えるものが議論されている。経済面においては、進学率の上昇による労働者の質的向上が経済成長を押し上げる効果があることが指摘されている(教育の経済効果)[17]。
また、政治面では、開発学においては識字率の上昇が民主化に寄与すると考えられることが多いが、識字率と民主化との間の相関は一般に考えられている程には高くなくむしろその反例も見つかることから、この考えは「西欧市民社会の誤謬である可能性」を指摘する見解がある[18]。そのほか社会的な面においては、教育の普及が男女や階級の平等に寄与するといった主張や、教育水準の上昇が幼児死亡率や衛生状態の改善に寄与するといった主張などがある。ただし、教育がもたらすこれらの肯定的な機能に対しは疑問の声も一部で上がっている。例えば、発展途上国においては、基礎的な教育の実施で期待される所得・生産性の向上や市場経済への移行などといった経済効果や、政治における民主化の前進、社会における人口の抑制などといった効果が、必ずしも顕著には現れていないことが指摘されている[19]。学校を軍隊・病院・監獄などと同様の近代特有の権力装置であるとしたミシェル・フーコー [20]、学校教育が近代社会に支配的な国家のイデオロギー装置であると論じたルイ・アルチュセール[21]、教育が文化的・階級的・社会的な不平等や格差を再生産または固定化する機能を果しているピエール・ブルデュー、バジル・バーンスタイン、サミュエル・ボールズとハーバート・ギンタス、教育は家父長制を再生産しているとのフェミニズムからの議論、教育は社会の多数派の文化を押し付けているという多文化主義からの議論、などが有名である。そのほか、政治面では、各国において教育年数が長いほどおおむね個人主義的・革新的価値観を持つ者が増えることが明らかになっている[22]。この傾向は日本においても基本的に同様で、学歴が高いほど投票率が高まる半面、政治への満足度は逆に下がり、また、学歴が高まるほど自民党支持が減って、民主党支持や支持政党無しの者が増えることが知られている[23]。
収入[編集]
学力以外でも収入面での効果が、比較的多くの人々の関心を集めている。例えば、”学歴が上がるほど生涯賃金も上がるだろう”との思い込みは多くの人が持っているが、実際のデータを見てみると学歴による生涯賃金の差は比較的小さい[24]。単年度の見かけの給与はともかくとして、学校に通うことで働いて収入を得る年数が減る分、生涯賃金があまり増えないのである。特に大学院などは、(全日制で)大学院まで進むと、統計的に見て大卒よりもかえって生涯賃金は下がる場合が多い、とのデータもある。一般論として言えば日本の企業は大学院修了者をあまり歓迎していないのである。日本においては、教育を投資と考える傾向は低い。また、現在の日本の社会では、「勉強して良い大学に入れば、良い企業に入れる」という仕組みはすでに崩れてきたことが幾人かの論者によって指摘されるている[25]。例えば関東圏で例を挙げると、今や東京大学や他の六大学などを卒業していてもフリーターになってしまう可能性もかなりあるのである。
教育問題[編集]
詳細は「教育問題」を参照
教育に関わる問題、とりわけ教育が社会に関わる問題のことを教育問題という。特にその深刻さを強調する場合には、教育病理または教育危機とも呼ぶことがある。詳しくは教育社会学の項目も参照。
教育活動は複数の人間が集まって行われる以上、そこに必然的に社会が生まれる。学校や学級などはその例である。そこにおいて何らかの問題が生じることがあり、いじめ・不登校・学級崩壊、教員と児童・生徒・学生との権力関係などがここに含まれる。
政治・経済・地域社会・文化などは教育活動に大きな影響を与えているが、こうした影響が問題を生じさせることがある。例えば、国の諸政策やマスコミによる報道などは、学校教育はもちろん家庭教育や社会教育にも大きな影響を与えている。
学校教育を含む教育活動は、社会一般に対しても大きな影響を与える。狭義で教育問題とは、この局面で生じる問題を指すことがある。学歴・管理教育・偏差値・非行・少年犯罪・学力低下など学習者、特にこどもを通じて結果として社会に与える影響の他にも、教師のあり方や学校・大学のあり方、学閥などの問題として、教育問題は広く社会病理の一領域をなしている。
教育学[編集]
詳細は「教育学」を参照
教育を研究の対象とする学問を教育学と言う。教育学は、哲学・心理学・社会学・歴史学などの研究方法を利用して、教育とそれに関連する種々の事物・理念を研究する。教育哲学・教育社会学・教育心理学・教育史学などの基礎的な分野のほか、教育方法論・臨床教育学・教科教育学などの実践的分野がある。各国における教育学のあり方は、その国の教員養成のあり方とも密接に関わっている場合が多い。
各国の教育[編集]
アジアの教育[編集]
アゼルバイジャンの教育(英語版)
アフガニスタンの教育
アラブ首長国連邦の教育(英語版)
アルメニアの教育(英語版)
イエメンの教育(英語版)
イスラエルの教育 (イスラエルを参照)
イラクの教育(英語版) (イラクを参照)
イランの教育(英語版)
インドの教育
インドネシアの教育(英語版) (インドネシアを参照)
ウズベキスタンの教育
オマーンの教育(英語版)
カザフスタンの教育(英語版)
カタールの教育(英語版)
カンボジアの教育(英語版)
北キプロスの教育(英語版)
キルギスタンの教育(英語版)
クウェートの教育(英語版)
グルジアの教育(英語版)
サウジアラビアの教育(英語版) (サウジアラビアを参照)
シリアの教育(英語版)
シンガポールの教育(英語版)
スリランカの教育
タイの教育(英語版) (タイ王国を参照)
大韓民国の教育
台湾の教育 (中華民国を参照)
タジキスタンの教育(英語版)
中華人民共和国の教育 (中華人民共和国を参照)
朝鮮民主主義人民共和国の教育(英語版)
トルクメニスタンの教育(英語版)
トルコの教育(英語版) (トルコを参照)
日本の教育
ネパールの教育(英語版)
パキスタンの教育(英語版)
パレスチナ地方の教育(英語版)
バーレーンの教育(英語版)
バングラデシュの教育(英語版)
フィリピンの教育(英語版)
ブータンの教育(英語版)
ベトナムの教育(英語版)
香港の教育 (香港、香港の教育史を参照)
マカオの教育
マレーシアの教育(英語版) (マレーシアを参照)
ミャンマーの教育(英語版)
モルディブの教育(英語版)
モンゴル国の教育
ヨルダンの教育(英語版)
ラオスの教育(英語版)
レバノンの教育(英語版)
アフリカの教育[編集]
アルジェリアの教育(英語版) (アルジェリアを参照)
アンゴラの教育(英語版) (アンゴラを参照)
エチオピアの教育(英語版)
ガーナの教育(英語版) (ガーナを参照)
カーボベルデの教育
ケニアの教育(英語版) (ケニアを参照)
赤道ギニアの教育
セネガルの教育(英語版) (セネガルを参照)
チュニジアの教育
ナイジェリアの教育(英語版) (ナイジェリアを参照)
マラウイの教育
南アフリカ共和国の教育(英語版) (南アフリカ共和国を参照)
モザンビークの教育(英語版) (モザンビークを参照)
アメリカの教育[編集]
アメリカ合衆国の教育
アルゼンチンの教育(英語版) (アルゼンチンを参照)
ウルグアイの教育(英語版) (ウルグアイを参照)
エクアドルの教育
カナダの教育(英語版)
キューバの教育(英語版) (キューバを参照)
グアテマラの教育(英語版) (グアテマラを参照)
コスタリカの教育(英語版) (コスタリカを参照)
コロンビアの教育(英語版) (コロンビアを参照)
ジャマイカの教育(英語版)
チリの教育(英語版) (チリを参照)
ニカラグアの教育(英語版) (ニカラグアを参照)
ハイチの教育(英語版) (ハイチを参照)
パナマの教育(英語版) (パナマを参照)
パラグアイの教育
ブラジルの教育
ベネズエラの教育(英語版) (ベネズエラを参照)
ペルーの教育(英語版) (ペルーを参照)
ボリビアの教育(英語版)
メキシコの教育(英語版) (メキシコを参照)
オセアニアの教育[編集]
オーストラリアの教育(英語版)
ニュージーランドの教育
ヨーロッパの教育[編集]
欧州連合の教育方針とイニシアチブ(英語版)
アイスランドの教育(英語版)
アイルランドの教育
アルバニアの教育(英語版)
アンドラの教育(英語版)
イギリスの教育 イングランドの教育(英語版)
ウェールズの教育(英語版)
北アイルランドの教育(英語版)
ジブラルタルの教育(英語版)
ジャージーの教育(英語版)
スコットランドの教育(英語版)
マン島の教育(英語版)
イタリアの教育(英語版)
ウクライナの教育(英語版) (ウクライナを参照)
エストニアの教育(英語版)
オーストリアの教育(英語版)
オランダの教育(英語版)
ギリシャの教育(英語版)
クロアチアの教育(英語版)
スイスの教育(英語版)
スウェーデンの教育 (スウェーデンを参照)
スペインの教育(スペインを参照)
スロバキアの教育(英語版)
スロベニアの教育(英語版)
セルビアの教育(英語版)
チェコの教育(英語版)
デンマークの教育
ドイツの教育
ノルウェーの教育
ハンガリーの教育(英語版)
フィンランドの教育(英語版) (フィンランドを参照)
フランスの教育
ブルガリアの教育(英語版)
ベラルーシの教育(英語版)
ベルギーの教育(英語版)
ポーランドの教育
ボスニア・ヘルツェゴビナの教育(英語版)
ポルトガルの教育(英語版)(ポルトガルを参照)
マケドニア共和国の教育(英語版)
マルタの教育(英語版)
モルドバの教育(英語版)
モンテネグロの教育(英語版)
ラトビアの教育(英語版)
リトアニアの教育
ルーマニアの教育制度(英語版)
ロシアの教育
動物における教育[編集]
高等動物では、教育またはしつけに近い行動が見られる例がある。猫などの肉食獣では子供に狩りの練習をさせるために弱らせた獲物をあてがうなどはその代表的なものである。詳細は調教を参照。
教育に関する機関・団体[編集]
文部科学省(日本国)
教育委員会(都道府県、市町村・特別区、地方公共団体の組合)
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)
関連項目[編集]
Category:教育も参照。
ウィクショナリーに教育の項目があります。
ポータル 教育 ポータル 教育
学校
学習
発達
学び
教育制度
教育行政
教育哲学会
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教育関係記事一覧(分野別)
教育関係記事一覧 (五十音順)
教育関係人物一覧
出典・脚注[編集]
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1.^ 『広辞苑』第五版
2.^ 『広辞林』第五版
3.^ デジタル大辞泉
4.^ デジタル大辞泉
5.^ 、分析哲学の影響を受けたリチャード・ピーターズによる。Peters, R. S. Ethics and Education London, Allen and Unwin, 1966.
6.^ a b c d e f g h i j k 川本亨二 『教育原理』 日本文化科学社、1995年。
7.^ 家庭教育のうち人間社会において基礎的な価値観・態度・徳をこどもに示すことは特にしつけと呼ばれる。
8.^ 詳しくは在学生を参照。
9.^ 教育の対象として、通俗的・日常的にはこどもや未成年という狭い範囲のみが念頭に置かれることも少なくないが、より広く成人も含むとする見解が現在では一般的となっている[要出典]
10.^ 日本では、教育を行う者が組織に属する場合には教員とも呼ばれ、法律上では教諭・教授等の呼称が用いられている。そのうち、特に国立・公立の機関で教育を行う者は教官とも呼ばれ、私立であっても大学・短大の教員にはこの用語が便宜的に用いられることがある。また、生業として教育を行うこと又はその者を教育職とも称する。詳しくは、教育関係者に対する呼称を参照。
11.^ この義務としての教育を義務教育と呼び、それが誰の義務であるかは国によって、教育を提供する側の国家・(児童・生徒の)保護者・国民などであったり、受ける側の児童・生徒自身であったりと、異なっている。これらの点について詳しくは、下記の教育制度を参照。
12.^ アリストテレス 『ニコマコス倫理学』・『政治学』
13.^ J・デューイ 『民主主義と教育』など
14.^ I・カント 『教育学講義』
15.^ プラトン 『国家』
16.^ E・デュルケーム 『教育と社会学』 佐々木交賢訳 誠信書房 1922=1976年 (新装版 1982年 ISBN 978-4-414-51703-3)
17.^ 例えば、昭和50年代の日本の製造業において、教育水準の高まりが1%ポイントほど経済成長の高まりに寄与した。参照、労働省 『昭和59年 労働経済の分析(労働白書)』第II部1(1)1)
18.^ 藤原郁郎 「民主化指標の考察と検証—識字率との相関分析を通じて—」『国際関係論集』(立命館大学) 第4号(2003年度) 2004年4月 pp.67-95.
19.^ 国際協力開発事業団 国際協力総合研修所 『開発課題に対する効果的アプローチ』2002年5月 p.23.
20.^ M・フーコー 『監獄の誕生——監視と処罰』 田村俶訳 1975=1977年
21.^ L・アルチュセール 『国家とイデオロギー』
22.^ Wiekliem, D. L. 'The effects of education on political opinions: An internationalstudy' International Journal of Public Opinion Research Vol.14 2002 pp.141-157.
23.^ 財団法人明るい選挙推進協会「第19回参議院議員通常選挙の実態」(2002年3月発行)、「第20回参議院議員通常選挙の実態」(2005年3月発行)など http://www.akaruisenkyo.or.jp/seach/index.html
24.^ 例えば、男性標準労働者の生涯賃金(2004年)は、中卒2億2千万円、高卒2億6千万円、大卒・大学院卒2億9千万円。独立行政法人労働政策研究・研修機構 『ユースフル労働統計—労働統計加工資料集—2007年版』 2007年 ISBN 978-4-538-49031-1 p. 254
25.^ 例えば、山田昌弘 『希望格差社会』 筑摩書房 2004年 ISBN 978-4-480-42308-5、中野雅至 『高学歴ノーリターン』 光文社 2005年 ISBN 978-4-334-93370-8
参考文献[編集]
ここでは、教育全般に関わる文献のみ挙げる。
事典・用語集[編集]
青木一ほか編 『現代教育学事典』 労働旬報社 1988年 ISBN 978-4-8451-0088-0
今給黎勝 『躾・教育をシフトするキーワード40』 梧桐書院 2006年 ISBN 978-4-340-40112-3
岩内亮一ほか編 『教育学用語辞典』 第4版 学文社 2006年 ISBN 978-4-7620-1560-1
小沢周三編 『教育学キーワード』 新版 有斐閣 1998年 ISBN 978-4-641-05865-1
教育科学研究会ほか編 『現代教育のキーワード』 大月書店 2006年 ISBN 978-4-272-41169-6
竹内義彰 『教育学小事典』 新版 法律文化社 1976年
田中智志 『教育学がわかる事典』 日本実業出版社 2003年 ISBN 978-4-534-03581-3
時事通信社内外教育研究会 『教育用語の基礎知識(2008年版)』 時事通信社出版局 2006年 ISBN 978-4-7887-2507-2
平原春好・寺崎昌男編 『新版 教育小事典』 第2版 学陽書房 2002年 ISBN 978-4-313-61032-3
山崎英則・片山宗二編 『教育用語辞典』 ミネルヴァ書房 2003年 ISBN 978-4-623-03606-6
山下幸雄編 『教育学小事典』 法律文化社 1970年
山田栄編 『教育学小事典』 協同出版 2000年 ISBN 978-4-319-10003-3
目次 [非表示]
1 概説 1.1 定義の諸説 1.1.1 語源・語義からの定義
1.1.2 リチャード・ピーターズの定義
1.2 教育の種類
2 教育を受ける人・行う人 2.1 受ける人
2.2 行う人
3 義務教育・公教育
4 教育の理論、教育哲学
5 歴史 5.1 西洋における教育の歴史
5.2 日本における教育の歴史
6 教育制度 6.1 教育行政・教育政策
6.2 教育法
6.3 教育施設
6.4 学校
7 教育の課程・内容・方法 7.1 教育課程
7.2 教育内容
7.3 教育方法
8 教育と社会(教育の効果と機能) 8.1 教育効果
8.2 社会的機能
8.3 収入
9 教育問題
10 教育学
11 各国の教育 11.1 アジアの教育
11.2 アフリカの教育
11.3 アメリカの教育
11.4 オセアニアの教育
11.5 ヨーロッパの教育
12 動物における教育
13 教育に関する機関・団体
14 関連項目
15 出典・脚注
16 参考文献 16.1 事典・用語集
概説[編集]
そもそも教育とは何か? ということに関しては諸説があるが、 しばしば、教育とは理解を促したり技術を発展させるために、人が生まれたままの状態では持たない知識を伝播し、技能・態度などを身につけさせたり、教え育てたり訓練することである、などと説明される。また社会的機能に注目しつつ、それによって社会が維持・発展することを目指した活動である、と説明されることもある。また、人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動である、とも説明される。教育を与える側が、ある価値観を是認し、支持し、内面化することを教育を受ける者に押し付けるように伝えることによって共通の価値観の維持強化を図ること、つまり、教育を与える側が望む共通の価値の実現を目指す活動のことを指す、ともされることがある。
狭義では、知識の伸張(知育)、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)の3つを中核として捉え[要出典]、洗脳・訓練・条件づけなども含まれる。
定義の諸説[編集]
教育の定義には諸説あるが大別すると以下のようになる[要出典]。
1.語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」)
2.目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」)
3.方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」)
4.機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」)
語源・語義からの定義[編集]
語源・語義からの定義の例を挙げると、「英語: education」や「フランス語: éducation」は、ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来することから、「教育とは、人の持つ諸能力を引き出すこと」とする。
リチャード・ピーターズの定義[編集]
またリチャード・ピーターズは、「教育を受けた者」という概念の内在的な意味を探求し、自由教育(教養教育)の立場から「教育」を次の3つの基準を満たす活動として限定的に定義した[5]。
1.教育内容 - 価値あるものの伝達
2.教育効果 - ものの見方が広がる
3.教育方法 - 学習者の理解を伴う
教育の種類[編集]
一般に教育は、行われる場に応じて学校教育・社会教育・家庭教育の3つに大きく分けて把握されている[6]。
「家庭教育」とは、家庭において行われる教育のこと。家庭というのは家族という社会集団が生活をする場であるが、多機能であるので、教育も行われ得る[6]。学校という制度ができてからは、その教育機能の一部が学校へと分離することになったが、家庭は学校と連携を持ちつつその教育機能を持ちつづけている[6]。「家庭教育」と言っても、家庭という場とともに、ひとりひとりの家族との人間関係が重要な意味をもっていると言える[6]。基礎的な価値観・徳をこどもに示すことはしつけと呼ばれている[7]。
「学校教育」とは、学校において行われる教育のこと。特にこどもに対して、定められた学校で、教えることを専門とする教職員によって計画的・組織的・継続的に行われる[6]。しばしば「教育」というと、この学校教育が連想されるほどに、学校は教育の場の中核を成している。だが、こうした学校中心の教育観には問題がある[6]。
「社会教育」とは、家庭教育と学校教育以外の[6]、広く社会において行われる教育のことである。学校や家庭以外の社会のさまざまな場において行われている多様な教育活動が該当する。例えば、図書館、博物館、文化センター、公民館…等々の場である。
上記のありがちな3分類以外にも、企業が従業員(社員)の職業人としての資質を高めるために行う教育・訓練や、(従業員の)人間性を高めたり市民性 en:citizenship(自分が社会・共同体の一員だとの自覚を持ちそれに貢献すること)を育てるために行っている教育は「企業内教育」と呼ばれている[6]。
ひとりの子供が、家庭教育と学校教育の両方を受けている[6]。
従来は、学校教育と社会教育は、行政上の制度としても別になっており、また教育を受ける人も教育を行う人も異なっていたため、それぞれ独自の方針を持つものとして機能したので上記のような概念枠で理解しても特には問題は無かったが、近年では社会が生涯学習社会へと方針を転換してきているため(つまり一旦学校を卒業した人々もその後に本格的に学習を行うようになってきたため)状況が変化してきている[6]。生涯学習が広まってきたことにより、学校が(例えば大学や大学院が)ある程度以上の年齢の人々の生涯学習の場として活用されることが増え、それに伴い、学校側も従来のような(20代までの)若い人だけを念頭に置いた教育では学び手の要求にこたえられなくなってきており[6]、変わりつつあるためである。
なお、離れた場所に居る者に対して行われる教育は、遠隔教育(遠隔地教育)・通信教育という。
教育を受ける人・行う人[編集]
受ける人[編集]
教育の受け手は、児童・生徒(英: pupil)または学生(英: student)、あるいは学習者・学び手(英: learner)と言い、より堅い言葉では被教育者(英: educatee)とも呼ばれる[8][9]。
教育の受け手が乳児の場合には、その教育は乳児教育(保育)と呼ばれ、幼児の場合は幼児教育、児童の場合には児童教育、成人である場合は成人教育と呼ばれる。また、教育の対象が、障害者など学習や生活の上で特別な支援を必要とする者である場合は、特別支援教育という。
なお、教育の対象は他者であるとは限らず、自分自身であることもあり、その場合には自己教育(英: self-education, autodidacticism)と言うことがある。
行う人[編集]
教育を行う者のことを一般に教育者(英: educator)・教師(英: teacher)などという[10]。
義務教育・公教育[編集]
多くの国において、国民に基礎的な教育を保証するために、公教育として数年にわたる義務教育が制度化しており、初等教育と中等教育の一部が、児童・生徒の権利であるとされたり、義務とされている。[11]日本でもこれは実施されている。
教育の理論、教育哲学[編集]
教育の目的(教育目的又は教育目標)をどうとらえるかで2つの立場が存在してきた。
1.道徳主義 - 政治や社会、道徳や倫理と言った教育の外にあるものから教育目的を定めるもの(例 アリストテレスの徳[12])
2.機能主義 - 教育それ自体が上手くいくように教育目的を定めるもの(例 ジョン・デューイのプラグマティズム[13])
道徳主義の教育目的では、伝統的に、個人の発達・幸福のためとするか、社会の維持・発展のためとするかで論争がある。前者は教養教育・自由教育の立場で、人が一人の人間として豊かで幅広い教養を身につけることで、人が人間らしく生きることができるという考えである。こうした考え方は、一部の中等教育・高等教育でリベラルアート教育として実現している。他方、教育の目的を社会的な必要という観点から捉え、実学を重視する立場もある。専門学校・専門職大学院などはこの現れである。
教育を行う理由のことを、教育の正当性と呼ぶことがある[要出典]。これには、教育の必要性と教育の可能性の二面から論じられることが多い。
なぜ教育が欠けてはならないのかという問題について、イマヌエル・カントは「人は教育によって人間になる」と述べ、人間らしく生きるために教育が必要であると論じた[14]。学びの意欲を喪失した若者が多いといわれる現代において、なぜ教育が必要かが改めて問われる状況にある。
しかし教育が必要であるとしても、それが人間にとって可能なものでなければ、教育はやはり正当性を失うことになる。例えば、プラトンは「徳は教えうるか?」と問い、哲人統治者としての自然的素養を重視した[15]。現在において教育可能性が問題となるのは、「教育がいかに可能か」という教育方法の問題や、「教育がどこまで可能か」という教育の限界の問題としてである場合が多い[要出典]。
「教育哲学」も参照
歴史[編集]
詳細は「教育史」を参照
教育に関する歴史を教育史と呼ぶ。家庭教育や社会教育も念頭に置けば、教育は人類の有史以来存在してきたものと考えることができる。
西洋における教育の歴史[編集]
最古の大学ともされるボローニャ大学での講義風景
詳細は「西洋教育史」を参照
制度化された教育について、西洋では古代ギリシアまで遡ることが一般的である。近代国家による教育が普及したのは、産業革命以降の労働者の必要性からであり、多くの国で国民に対する一般教育が公教育として施行されるようになったのは、20世紀に入ってからである。
日本における教育の歴史[編集]
詳細は「日本教育史」を参照
日本で初めて教育制度が作られたのは、701年の大宝律令とされる。その後も貴族や武士を教育する場が存在し、江戸時代に入ると一般庶民の学ぶ寺子屋が設けられるようになった。初等教育から高等教育までの近代的な学校制度が確立するのは明治時代である。第二次世界大戦後の教育は、日本国憲法と教育基本法に基づいている。
学校教育現場の情景 (1963年)
教育制度[編集]
詳細は「教育制度」を参照
教育に関する制度を教育制度といい、主に学校教育が中心となるが、社会教育など学校外の制度もある。教育制度は、学校制度や義務教育の年限など、国によって異なっている。
教育行政・教育政策[編集]
詳細は「教育行政」を参照
教育に関する行政を教育行政、教育に関する政策を教育政策と呼ぶ。日本の教育政策については、日本の教育政策と教育制度を参照。教育政策の課題は国によって大きく異なっているが、先進国においてはおおむね社会的格差の解消や国際的な経済競争・知識社会化への対応などが、発展途上国の多くでは識字率・就学率の向上が、求められている。
教育法[編集]
詳細は「教育法」を参照
教育に関する法律を教育法と言う。条例等も含める場合には、教育法令と呼ぶ。
教育施設[編集]
詳細は「教育機関」を参照
教育の行われる施設を教育施設又は教育機関と呼ぶ。学校のみならず、図書館・博物館・美術館、公園、劇場、映画館のような娯楽施設も、広く社会において教育的な機能を果す施設を含めて考えられる。基本的な生活態度の養成という観点からは、家庭や地域社会での教育も含まれる。
学校[編集]
詳細は「学校」を参照
教育施設の中でも専ら教育のために設立される施設を学校と呼ぶ。学校において行われる教育を学校教育と呼び、その就業年数や義務の有無など学校に関する制度を学校制度と言う。
教育の課程・内容・方法[編集]
教育のために用いられる素材は、教材と呼ばれる。伝統的な教科書や黒板や従来から語学学習などで用いられてきた音声教材に加えて、近年では科学技術の発達に伴い、コンピュータ、マルチメディア、インターネットなどを積極的に活用する動きが高まっている。また、電子黒板やインターラクティブ・ホワイトボードなどの最新機器も用いられ始めている。
教育課程[編集]
詳細は「教育課程」を参照
教育において、その実践上の目的・内容・方法等をまとめたものを教育課程又はカリキュラムと呼ぶ。教育課程は、通例では初等教育・中等教育・高等教育の3段階に分け、この前に保育や幼児教育を位置づけることもある。
教育内容[編集]
知育・徳育・体育の分野がある。正確な知識という共通基盤がなければ正しいコミュニケーションや共同生活すら図れないし、またそうした知識をいかに活用していくかという、思考力・コミュニケーション能力・創造力等の技能も不可欠である。さらに、知識や技能のみならず、社会生活を営む上での基本的な道徳を教育することに価値を置く見解や、社会で生き抜く体力を重視する見解もある。教育の内容について詳しくは、「教科」を参照。また、新しい教育内容として、人権教育、環境教育、国際理解教育、性教育がある。
教育方法[編集]
教育方法に関しては大きく二つの立場が対立している。
一つは、学問の体系的な構造に従って系統的に教育を行うべきだという、系統学習の立場である。これは特に教育段階が上がるにつれて教育内容が学問の体系に近づく。
その一方で、特に幼児・児童への教育を中心として、こどもの自発的な学びを尊重すべきだとする問題解決学習(進歩主義・児童中心主義・経験主義)の考えも強い。日本の小学校における生活科や小中学校の総合的な学習の時間は、この考えに影響を受けたものであると言われている。
教育と社会(教育の効果と機能)[編集]
教育を行った結果としてどのようなことが起こるかについては、個人に与える影響と社会に与える影響の両面がある。エミール・デュルケームは、近代における教育の機能を「方法的社会化」であると捉え、政治社会と個々人の双方が必要とする能力・態度の形成であるとした[16]。なお、教育が適切な効果・機能を果していない場合には、「教育の機能不全」、教育がむしろ否定的な効果・機能を果している場合には「教育の逆機能」と呼ばれることがある。
教育効果[編集]
教育を受けた個人に起こる変化を教育効果と呼ぶ。一般的には学力の向上が思い浮かべられることがある。現在の日本では、学校教育に関わる学力を紙面の試験で測定できるもの、とりわけ偏差値で計る傾向が強く、このことに対して強い批判が長年存在しつつも、受験現場では不可欠とされている実態がある。
教育効果に関する議論は、教育内容や教育方法などを改善する上で欠かせない一方、教育目的を測定可能なもののみに置き換えがちな点には注意が必要である。
社会的機能[編集]
教育が社会に及ぼす効果として、経済・政治・社会などに与えるものが議論されている。経済面においては、進学率の上昇による労働者の質的向上が経済成長を押し上げる効果があることが指摘されている(教育の経済効果)[17]。
また、政治面では、開発学においては識字率の上昇が民主化に寄与すると考えられることが多いが、識字率と民主化との間の相関は一般に考えられている程には高くなくむしろその反例も見つかることから、この考えは「西欧市民社会の誤謬である可能性」を指摘する見解がある[18]。そのほか社会的な面においては、教育の普及が男女や階級の平等に寄与するといった主張や、教育水準の上昇が幼児死亡率や衛生状態の改善に寄与するといった主張などがある。ただし、教育がもたらすこれらの肯定的な機能に対しは疑問の声も一部で上がっている。例えば、発展途上国においては、基礎的な教育の実施で期待される所得・生産性の向上や市場経済への移行などといった経済効果や、政治における民主化の前進、社会における人口の抑制などといった効果が、必ずしも顕著には現れていないことが指摘されている[19]。学校を軍隊・病院・監獄などと同様の近代特有の権力装置であるとしたミシェル・フーコー [20]、学校教育が近代社会に支配的な国家のイデオロギー装置であると論じたルイ・アルチュセール[21]、教育が文化的・階級的・社会的な不平等や格差を再生産または固定化する機能を果しているピエール・ブルデュー、バジル・バーンスタイン、サミュエル・ボールズとハーバート・ギンタス、教育は家父長制を再生産しているとのフェミニズムからの議論、教育は社会の多数派の文化を押し付けているという多文化主義からの議論、などが有名である。そのほか、政治面では、各国において教育年数が長いほどおおむね個人主義的・革新的価値観を持つ者が増えることが明らかになっている[22]。この傾向は日本においても基本的に同様で、学歴が高いほど投票率が高まる半面、政治への満足度は逆に下がり、また、学歴が高まるほど自民党支持が減って、民主党支持や支持政党無しの者が増えることが知られている[23]。
収入[編集]
学力以外でも収入面での効果が、比較的多くの人々の関心を集めている。例えば、”学歴が上がるほど生涯賃金も上がるだろう”との思い込みは多くの人が持っているが、実際のデータを見てみると学歴による生涯賃金の差は比較的小さい[24]。単年度の見かけの給与はともかくとして、学校に通うことで働いて収入を得る年数が減る分、生涯賃金があまり増えないのである。特に大学院などは、(全日制で)大学院まで進むと、統計的に見て大卒よりもかえって生涯賃金は下がる場合が多い、とのデータもある。一般論として言えば日本の企業は大学院修了者をあまり歓迎していないのである。日本においては、教育を投資と考える傾向は低い。また、現在の日本の社会では、「勉強して良い大学に入れば、良い企業に入れる」という仕組みはすでに崩れてきたことが幾人かの論者によって指摘されるている[25]。例えば関東圏で例を挙げると、今や東京大学や他の六大学などを卒業していてもフリーターになってしまう可能性もかなりあるのである。
教育問題[編集]
詳細は「教育問題」を参照
教育に関わる問題、とりわけ教育が社会に関わる問題のことを教育問題という。特にその深刻さを強調する場合には、教育病理または教育危機とも呼ぶことがある。詳しくは教育社会学の項目も参照。
教育活動は複数の人間が集まって行われる以上、そこに必然的に社会が生まれる。学校や学級などはその例である。そこにおいて何らかの問題が生じることがあり、いじめ・不登校・学級崩壊、教員と児童・生徒・学生との権力関係などがここに含まれる。
政治・経済・地域社会・文化などは教育活動に大きな影響を与えているが、こうした影響が問題を生じさせることがある。例えば、国の諸政策やマスコミによる報道などは、学校教育はもちろん家庭教育や社会教育にも大きな影響を与えている。
学校教育を含む教育活動は、社会一般に対しても大きな影響を与える。狭義で教育問題とは、この局面で生じる問題を指すことがある。学歴・管理教育・偏差値・非行・少年犯罪・学力低下など学習者、特にこどもを通じて結果として社会に与える影響の他にも、教師のあり方や学校・大学のあり方、学閥などの問題として、教育問題は広く社会病理の一領域をなしている。
教育学[編集]
詳細は「教育学」を参照
教育を研究の対象とする学問を教育学と言う。教育学は、哲学・心理学・社会学・歴史学などの研究方法を利用して、教育とそれに関連する種々の事物・理念を研究する。教育哲学・教育社会学・教育心理学・教育史学などの基礎的な分野のほか、教育方法論・臨床教育学・教科教育学などの実践的分野がある。各国における教育学のあり方は、その国の教員養成のあり方とも密接に関わっている場合が多い。
各国の教育[編集]
アジアの教育[編集]
アゼルバイジャンの教育(英語版)
アフガニスタンの教育
アラブ首長国連邦の教育(英語版)
アルメニアの教育(英語版)
イエメンの教育(英語版)
イスラエルの教育 (イスラエルを参照)
イラクの教育(英語版) (イラクを参照)
イランの教育(英語版)
インドの教育
インドネシアの教育(英語版) (インドネシアを参照)
ウズベキスタンの教育
オマーンの教育(英語版)
カザフスタンの教育(英語版)
カタールの教育(英語版)
カンボジアの教育(英語版)
北キプロスの教育(英語版)
キルギスタンの教育(英語版)
クウェートの教育(英語版)
グルジアの教育(英語版)
サウジアラビアの教育(英語版) (サウジアラビアを参照)
シリアの教育(英語版)
シンガポールの教育(英語版)
スリランカの教育
タイの教育(英語版) (タイ王国を参照)
大韓民国の教育
台湾の教育 (中華民国を参照)
タジキスタンの教育(英語版)
中華人民共和国の教育 (中華人民共和国を参照)
朝鮮民主主義人民共和国の教育(英語版)
トルクメニスタンの教育(英語版)
トルコの教育(英語版) (トルコを参照)
日本の教育
ネパールの教育(英語版)
パキスタンの教育(英語版)
パレスチナ地方の教育(英語版)
バーレーンの教育(英語版)
バングラデシュの教育(英語版)
フィリピンの教育(英語版)
ブータンの教育(英語版)
ベトナムの教育(英語版)
香港の教育 (香港、香港の教育史を参照)
マカオの教育
マレーシアの教育(英語版) (マレーシアを参照)
ミャンマーの教育(英語版)
モルディブの教育(英語版)
モンゴル国の教育
ヨルダンの教育(英語版)
ラオスの教育(英語版)
レバノンの教育(英語版)
アフリカの教育[編集]
アルジェリアの教育(英語版) (アルジェリアを参照)
アンゴラの教育(英語版) (アンゴラを参照)
エチオピアの教育(英語版)
ガーナの教育(英語版) (ガーナを参照)
カーボベルデの教育
ケニアの教育(英語版) (ケニアを参照)
赤道ギニアの教育
セネガルの教育(英語版) (セネガルを参照)
チュニジアの教育
ナイジェリアの教育(英語版) (ナイジェリアを参照)
マラウイの教育
南アフリカ共和国の教育(英語版) (南アフリカ共和国を参照)
モザンビークの教育(英語版) (モザンビークを参照)
アメリカの教育[編集]
アメリカ合衆国の教育
アルゼンチンの教育(英語版) (アルゼンチンを参照)
ウルグアイの教育(英語版) (ウルグアイを参照)
エクアドルの教育
カナダの教育(英語版)
キューバの教育(英語版) (キューバを参照)
グアテマラの教育(英語版) (グアテマラを参照)
コスタリカの教育(英語版) (コスタリカを参照)
コロンビアの教育(英語版) (コロンビアを参照)
ジャマイカの教育(英語版)
チリの教育(英語版) (チリを参照)
ニカラグアの教育(英語版) (ニカラグアを参照)
ハイチの教育(英語版) (ハイチを参照)
パナマの教育(英語版) (パナマを参照)
パラグアイの教育
ブラジルの教育
ベネズエラの教育(英語版) (ベネズエラを参照)
ペルーの教育(英語版) (ペルーを参照)
ボリビアの教育(英語版)
メキシコの教育(英語版) (メキシコを参照)
オセアニアの教育[編集]
オーストラリアの教育(英語版)
ニュージーランドの教育
ヨーロッパの教育[編集]
欧州連合の教育方針とイニシアチブ(英語版)
アイスランドの教育(英語版)
アイルランドの教育
アルバニアの教育(英語版)
アンドラの教育(英語版)
イギリスの教育 イングランドの教育(英語版)
ウェールズの教育(英語版)
北アイルランドの教育(英語版)
ジブラルタルの教育(英語版)
ジャージーの教育(英語版)
スコットランドの教育(英語版)
マン島の教育(英語版)
イタリアの教育(英語版)
ウクライナの教育(英語版) (ウクライナを参照)
エストニアの教育(英語版)
オーストリアの教育(英語版)
オランダの教育(英語版)
ギリシャの教育(英語版)
クロアチアの教育(英語版)
スイスの教育(英語版)
スウェーデンの教育 (スウェーデンを参照)
スペインの教育(スペインを参照)
スロバキアの教育(英語版)
スロベニアの教育(英語版)
セルビアの教育(英語版)
チェコの教育(英語版)
デンマークの教育
ドイツの教育
ノルウェーの教育
ハンガリーの教育(英語版)
フィンランドの教育(英語版) (フィンランドを参照)
フランスの教育
ブルガリアの教育(英語版)
ベラルーシの教育(英語版)
ベルギーの教育(英語版)
ポーランドの教育
ボスニア・ヘルツェゴビナの教育(英語版)
ポルトガルの教育(英語版)(ポルトガルを参照)
マケドニア共和国の教育(英語版)
マルタの教育(英語版)
モルドバの教育(英語版)
モンテネグロの教育(英語版)
ラトビアの教育(英語版)
リトアニアの教育
ルーマニアの教育制度(英語版)
ロシアの教育
動物における教育[編集]
高等動物では、教育またはしつけに近い行動が見られる例がある。猫などの肉食獣では子供に狩りの練習をさせるために弱らせた獲物をあてがうなどはその代表的なものである。詳細は調教を参照。
教育に関する機関・団体[編集]
文部科学省(日本国)
教育委員会(都道府県、市町村・特別区、地方公共団体の組合)
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)
関連項目[編集]
Category:教育も参照。
ウィクショナリーに教育の項目があります。
ポータル 教育 ポータル 教育
学校
学習
発達
学び
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教育行政
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出典・脚注[編集]
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1.^ 『広辞苑』第五版
2.^ 『広辞林』第五版
3.^ デジタル大辞泉
4.^ デジタル大辞泉
5.^ 、分析哲学の影響を受けたリチャード・ピーターズによる。Peters, R. S. Ethics and Education London, Allen and Unwin, 1966.
6.^ a b c d e f g h i j k 川本亨二 『教育原理』 日本文化科学社、1995年。
7.^ 家庭教育のうち人間社会において基礎的な価値観・態度・徳をこどもに示すことは特にしつけと呼ばれる。
8.^ 詳しくは在学生を参照。
9.^ 教育の対象として、通俗的・日常的にはこどもや未成年という狭い範囲のみが念頭に置かれることも少なくないが、より広く成人も含むとする見解が現在では一般的となっている[要出典]
10.^ 日本では、教育を行う者が組織に属する場合には教員とも呼ばれ、法律上では教諭・教授等の呼称が用いられている。そのうち、特に国立・公立の機関で教育を行う者は教官とも呼ばれ、私立であっても大学・短大の教員にはこの用語が便宜的に用いられることがある。また、生業として教育を行うこと又はその者を教育職とも称する。詳しくは、教育関係者に対する呼称を参照。
11.^ この義務としての教育を義務教育と呼び、それが誰の義務であるかは国によって、教育を提供する側の国家・(児童・生徒の)保護者・国民などであったり、受ける側の児童・生徒自身であったりと、異なっている。これらの点について詳しくは、下記の教育制度を参照。
12.^ アリストテレス 『ニコマコス倫理学』・『政治学』
13.^ J・デューイ 『民主主義と教育』など
14.^ I・カント 『教育学講義』
15.^ プラトン 『国家』
16.^ E・デュルケーム 『教育と社会学』 佐々木交賢訳 誠信書房 1922=1976年 (新装版 1982年 ISBN 978-4-414-51703-3)
17.^ 例えば、昭和50年代の日本の製造業において、教育水準の高まりが1%ポイントほど経済成長の高まりに寄与した。参照、労働省 『昭和59年 労働経済の分析(労働白書)』第II部1(1)1)
18.^ 藤原郁郎 「民主化指標の考察と検証—識字率との相関分析を通じて—」『国際関係論集』(立命館大学) 第4号(2003年度) 2004年4月 pp.67-95.
19.^ 国際協力開発事業団 国際協力総合研修所 『開発課題に対する効果的アプローチ』2002年5月 p.23.
20.^ M・フーコー 『監獄の誕生——監視と処罰』 田村俶訳 1975=1977年
21.^ L・アルチュセール 『国家とイデオロギー』
22.^ Wiekliem, D. L. 'The effects of education on political opinions: An internationalstudy' International Journal of Public Opinion Research Vol.14 2002 pp.141-157.
23.^ 財団法人明るい選挙推進協会「第19回参議院議員通常選挙の実態」(2002年3月発行)、「第20回参議院議員通常選挙の実態」(2005年3月発行)など http://www.akaruisenkyo.or.jp/seach/index.html
24.^ 例えば、男性標準労働者の生涯賃金(2004年)は、中卒2億2千万円、高卒2億6千万円、大卒・大学院卒2億9千万円。独立行政法人労働政策研究・研修機構 『ユースフル労働統計—労働統計加工資料集—2007年版』 2007年 ISBN 978-4-538-49031-1 p. 254
25.^ 例えば、山田昌弘 『希望格差社会』 筑摩書房 2004年 ISBN 978-4-480-42308-5、中野雅至 『高学歴ノーリターン』 光文社 2005年 ISBN 978-4-334-93370-8
参考文献[編集]
ここでは、教育全般に関わる文献のみ挙げる。
事典・用語集[編集]
青木一ほか編 『現代教育学事典』 労働旬報社 1988年 ISBN 978-4-8451-0088-0
今給黎勝 『躾・教育をシフトするキーワード40』 梧桐書院 2006年 ISBN 978-4-340-40112-3
岩内亮一ほか編 『教育学用語辞典』 第4版 学文社 2006年 ISBN 978-4-7620-1560-1
小沢周三編 『教育学キーワード』 新版 有斐閣 1998年 ISBN 978-4-641-05865-1
教育科学研究会ほか編 『現代教育のキーワード』 大月書店 2006年 ISBN 978-4-272-41169-6
竹内義彰 『教育学小事典』 新版 法律文化社 1976年
田中智志 『教育学がわかる事典』 日本実業出版社 2003年 ISBN 978-4-534-03581-3
時事通信社内外教育研究会 『教育用語の基礎知識(2008年版)』 時事通信社出版局 2006年 ISBN 978-4-7887-2507-2
平原春好・寺崎昌男編 『新版 教育小事典』 第2版 学陽書房 2002年 ISBN 978-4-313-61032-3
山崎英則・片山宗二編 『教育用語辞典』 ミネルヴァ書房 2003年 ISBN 978-4-623-03606-6
山下幸雄編 『教育学小事典』 法律文化社 1970年
山田栄編 『教育学小事典』 協同出版 2000年 ISBN 978-4-319-10003-3
モンテッソーリ教育
モンテッソーリ教育(モンテッソーリきょういく、英:Montessori education または the Montessori method)は、20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになる。
目次 [非表示]
1 モンテッソーリ教育法 1.1 子供の家
1.2 感覚教育 1.2.1 教具
1.3 自発性と「敏感期」
1.4 「整えられた環境」と教員養成
2 日本におけるモンテッソーリ教育 2.1 教員資格
2.2 モンテッソーリ・スクール
3 モンテッソーリ教育を受けた著名人
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
モンテッソーリ教育法[編集]
モンテッソーリの木製教具
Nagelbrett - Ubersicht.jpg
Perlenketten.jpg
Binomokubo.JPG
ColoredCylinders2.JPG
オランダの教室 1915年
アメリカの教室 2007年
子供の家[編集]
1907年、ローマに最初に誕生した「子供の家(Casa dei bambini)」は、瞬く間に欧米を中心に世界各国に広がった。特にアメリカ合衆国では2度にわたってモンテッソーリ・ブームが起こり、アメリカ全土にその教育法が普及した。現在、アメリカの私立をはじめ数百の公立学校でもプログラムが導入され、3000ヶ所のモンテッソーリ・子供の家があるといわれる。日本には1960年代に紹介され、モンテッソーリ・プログラムを導入する幼稚園やモンテッソーリ教育を専門に行う「子供の家」が創設された。
感覚教育[編集]
モンテッソーリ「子供の家」の教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが開発した。モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、子供たちの繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。
教具[編集]
##ピンク・タワー(pink tower):1cm3 - 100cm3 までの立方体
##円柱(cylinder blocks)
##茶色の階段(broad stair, Brown Stair)
##長さの棒(red rods)
##色付き円柱
##色板(Color tablets)
##幾何たんす(Geometric cabinet)
##幾何学立体(Geometric solids)
##二項式(binomial cube)
##三項式(trinomial cube)
##構成三角形(constructive triangles)
##実体認識袋(The mystery bag)
##触覚板(Rough and smooth boards)
##温覚筒(Thermic bottles)
##重量板(Baric tablets)
##圧覚板
##雑音筒(Sound cylinders)
##音感ベル(Bells)
##味覚びん
##嗅覚筒
##数の棒 (Spindle box)
自発性と「敏感期」[編集]
常に子供を観察し、そこから学ぶ姿勢を貫いたモンテッソーリは、感覚教育と同様に重要と説いたのは、子供の中の自発性を重んじることである。どの子供にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供することを重要視した。また、子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子供たちの「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである。 モンテッソーリは、集中して遊んでいた子どもが玩具に夢中になり、目を輝かせていた幼児を見て、挫折しかけた研究の道を再度探求することとなった。敏感期の子どもに触発され、モンテッソーリ教育が構築されていったのである。
「整えられた環境」と教員養成[編集]
モンテッソーリ教育では、子供たちが安心して自由に遊び、作業のできる環境整備が重視される。教室が清潔に保たれ、子供の目線で教室を見渡せることにも配慮が求められる。また、モンテッソーリ教育法における教師の存在は、教室や教具と同様、整えられた環境の担い手の一つと考えられている。彼らには、教具などを扱う技術や管理する能力も要求されるが、何より子供を注意深く観察する態度が要求され、各々の子供たちの欲求に沿ってその教育を提供する注意深さが求められる。また、子供たちの集中時、それを妨げない心遣いや、子供の自発性を待つ姿勢も養成コースにおける重要な要素となる。晩年のモンテッソーリが力を注いだ教員養成方法は現在も世界各国で実践され、この厳しい教員養成もモンテッソーリ教育の特徴のひとつにあげられる。
日本におけるモンテッソーリ教育[編集]
子どもの自主性、独立心、知的好奇心などを育み、社会に貢献する人物となること(モンテッソーリ教育の終了は24歳)を目的とするモンテッソーリ教育は、欧米ではオルタナティブ教育として評価されている。一方、日本においては潜在能力を引き出す、知的能力をあげる、小学校のお受験対策といった英才教育や早期教育として注目され、幼児教育だと誤解されることが多く、マリア・モンテッソーリが、知的・発達障害の治療教育、貧困家庭の子供たちへの教育から、発展させてきた教育法であることはあまり知られていない。
教員資格[編集]
日本ではマリア・モンテッソーリが創立した国際モンテッソーリ協会(AMI[1])の認可を受けた日本モンテッソーリ協会が1968年に発足した。日本モンテッソーリ協会は教員養成講座を開いているが、国際モンテッソーリ協会に準ずる国際免状と、日本協会独自の免状の二種類がある。
国際免状国際免状はAMI(国際モンテッソーリ協会)から認定された東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターが1975年に東京都新宿区四谷に創立され、2007年現在は神奈川県相模原市にて1年制(夜間2年制)の養成教育を行っている。卒業生は国際モンテッソーリ協会(通称AMI)から四大陸に通用する国際ディプロマ(3歳から6歳の対象クラスを教えることが出来る)を授与される[2]。モンテッソーリ教育の創設者である故マリア・モンテッソーリにより認定された教師資格は、このAMI認定による国際免状のみとなっている。日本独自の免状日本独自の免状は1970年から2006年まで上智大学に付設する「上智モンテッソーリ教員養成コース」において取得することができた[3]。2007年現在は東京モンテッソーリ教育研究所として東京都文京区で2年制の付属教員養成コースを開設している[4]。総合試験に合格すると日本モンテッソーリ協会認定の教員資格が与えられる[5]。その他そのほか東京では日本モンテッソーリ教育綜合研究所・教師養成センターやうめだ・あけぼの治療教育職員養成所で開講されている。公益財団法人才能開発教育研究財団内の組織である日本モンテッソーリ教育綜合研究所・教師養成センターは、1976年から独自の通信教育を展開し、約3,000名の卒業生に「3歳〜6歳コース」と「0歳〜3歳コース」において教師としての基本的な知識と技能を伝えている。またマリア・モンテッソーリ教育研究会(横浜市)では2008年より3年制のモンテッソーリ小学校教員養成コースを開講した[6]。
モンテッソーリ・スクール[編集]
モンテッソーリ教育法は主に乳児、幼児、園児あるいは児童を対象にしているが、欧米にはモンテッソーリの小学校は数多くあり、中学校や高等学校も存在する[7]。
日本においてはモンテッソーリ保育園や幼稚園は、カトリック系を中心に数多くあるが(カトリック系であっても雙葉学園では実践されていない)、学校法で規定され日本政府に認可されているモンテッソーリ小学校(公立・私立)はなく、一部私塾として放課後に小学生のためのクラスが開催されているのみである。現在、横浜モンテッソーリ幼稚園およびマリア・モンテッソーリ教育研究所を経営している横浜市の学校法人高根学園は0歳から12歳までのモンテッソーリ教育一貫校を計画している[8]。
モンテッソーリ教育を受けた著名人[編集]
##アンネ・フランク
##ワシントン・ポスト誌の経営者および、ジャーナリストだったキャサリン・グレアム(Katharine Graham)
##Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)
##googleの共同創立者サーゲイ・ブリン(Sergey Brin)とラリー・ペイジ(Larry Page)
##wikipedia創設者ジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)
##シムシティなどで知られるシムシティシリーズの開発者ウィル・ライト(Will Wright)
##現代経営学の父、ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)
##アカデミー助演男優賞受賞者、映画俳優、監督、プロデューサー、国連平和大使ジョージ・クルーニー(George Clooney)
##イギリス王室成員のウィリアム王子とヘンリー王子。
イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになる。
目次 [非表示]
1 モンテッソーリ教育法 1.1 子供の家
1.2 感覚教育 1.2.1 教具
1.3 自発性と「敏感期」
1.4 「整えられた環境」と教員養成
2 日本におけるモンテッソーリ教育 2.1 教員資格
2.2 モンテッソーリ・スクール
3 モンテッソーリ教育を受けた著名人
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
モンテッソーリ教育法[編集]
モンテッソーリの木製教具
Nagelbrett - Ubersicht.jpg
Perlenketten.jpg
Binomokubo.JPG
ColoredCylinders2.JPG
オランダの教室 1915年
アメリカの教室 2007年
子供の家[編集]
1907年、ローマに最初に誕生した「子供の家(Casa dei bambini)」は、瞬く間に欧米を中心に世界各国に広がった。特にアメリカ合衆国では2度にわたってモンテッソーリ・ブームが起こり、アメリカ全土にその教育法が普及した。現在、アメリカの私立をはじめ数百の公立学校でもプログラムが導入され、3000ヶ所のモンテッソーリ・子供の家があるといわれる。日本には1960年代に紹介され、モンテッソーリ・プログラムを導入する幼稚園やモンテッソーリ教育を専門に行う「子供の家」が創設された。
感覚教育[編集]
モンテッソーリ「子供の家」の教室に入ると、整然と並ぶ色とりどりの「教具」と呼ばれる木製玩具が目に飛び込んでくる。これらはモンテッソーリの感覚教育法に基づく教材で、モンテッソーリとその助手たちが開発した。モンテッソーリ教育法では教具の形、大きさは無論、手触り、重さ、材質にまでこだわり、子供たちの繊細な五感をやわらかく刺激するよう配慮がなされている。また、教具を通し、暗記でなく経験に基づいて質量や数量の感覚を養うことと、同時に教具を通して感じ取れる形容詞などの言語教育も組み込まれている。
教具[編集]
##ピンク・タワー(pink tower):1cm3 - 100cm3 までの立方体
##円柱(cylinder blocks)
##茶色の階段(broad stair, Brown Stair)
##長さの棒(red rods)
##色付き円柱
##色板(Color tablets)
##幾何たんす(Geometric cabinet)
##幾何学立体(Geometric solids)
##二項式(binomial cube)
##三項式(trinomial cube)
##構成三角形(constructive triangles)
##実体認識袋(The mystery bag)
##触覚板(Rough and smooth boards)
##温覚筒(Thermic bottles)
##重量板(Baric tablets)
##圧覚板
##雑音筒(Sound cylinders)
##音感ベル(Bells)
##味覚びん
##嗅覚筒
##数の棒 (Spindle box)
自発性と「敏感期」[編集]
常に子供を観察し、そこから学ぶ姿勢を貫いたモンテッソーリは、感覚教育と同様に重要と説いたのは、子供の中の自発性を重んじることである。どの子供にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供することを重要視した。また、子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子供たちの「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである。 モンテッソーリは、集中して遊んでいた子どもが玩具に夢中になり、目を輝かせていた幼児を見て、挫折しかけた研究の道を再度探求することとなった。敏感期の子どもに触発され、モンテッソーリ教育が構築されていったのである。
「整えられた環境」と教員養成[編集]
モンテッソーリ教育では、子供たちが安心して自由に遊び、作業のできる環境整備が重視される。教室が清潔に保たれ、子供の目線で教室を見渡せることにも配慮が求められる。また、モンテッソーリ教育法における教師の存在は、教室や教具と同様、整えられた環境の担い手の一つと考えられている。彼らには、教具などを扱う技術や管理する能力も要求されるが、何より子供を注意深く観察する態度が要求され、各々の子供たちの欲求に沿ってその教育を提供する注意深さが求められる。また、子供たちの集中時、それを妨げない心遣いや、子供の自発性を待つ姿勢も養成コースにおける重要な要素となる。晩年のモンテッソーリが力を注いだ教員養成方法は現在も世界各国で実践され、この厳しい教員養成もモンテッソーリ教育の特徴のひとつにあげられる。
日本におけるモンテッソーリ教育[編集]
子どもの自主性、独立心、知的好奇心などを育み、社会に貢献する人物となること(モンテッソーリ教育の終了は24歳)を目的とするモンテッソーリ教育は、欧米ではオルタナティブ教育として評価されている。一方、日本においては潜在能力を引き出す、知的能力をあげる、小学校のお受験対策といった英才教育や早期教育として注目され、幼児教育だと誤解されることが多く、マリア・モンテッソーリが、知的・発達障害の治療教育、貧困家庭の子供たちへの教育から、発展させてきた教育法であることはあまり知られていない。
教員資格[編集]
日本ではマリア・モンテッソーリが創立した国際モンテッソーリ協会(AMI[1])の認可を受けた日本モンテッソーリ協会が1968年に発足した。日本モンテッソーリ協会は教員養成講座を開いているが、国際モンテッソーリ協会に準ずる国際免状と、日本協会独自の免状の二種類がある。
国際免状国際免状はAMI(国際モンテッソーリ協会)から認定された東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターが1975年に東京都新宿区四谷に創立され、2007年現在は神奈川県相模原市にて1年制(夜間2年制)の養成教育を行っている。卒業生は国際モンテッソーリ協会(通称AMI)から四大陸に通用する国際ディプロマ(3歳から6歳の対象クラスを教えることが出来る)を授与される[2]。モンテッソーリ教育の創設者である故マリア・モンテッソーリにより認定された教師資格は、このAMI認定による国際免状のみとなっている。日本独自の免状日本独自の免状は1970年から2006年まで上智大学に付設する「上智モンテッソーリ教員養成コース」において取得することができた[3]。2007年現在は東京モンテッソーリ教育研究所として東京都文京区で2年制の付属教員養成コースを開設している[4]。総合試験に合格すると日本モンテッソーリ協会認定の教員資格が与えられる[5]。その他そのほか東京では日本モンテッソーリ教育綜合研究所・教師養成センターやうめだ・あけぼの治療教育職員養成所で開講されている。公益財団法人才能開発教育研究財団内の組織である日本モンテッソーリ教育綜合研究所・教師養成センターは、1976年から独自の通信教育を展開し、約3,000名の卒業生に「3歳〜6歳コース」と「0歳〜3歳コース」において教師としての基本的な知識と技能を伝えている。またマリア・モンテッソーリ教育研究会(横浜市)では2008年より3年制のモンテッソーリ小学校教員養成コースを開講した[6]。
モンテッソーリ・スクール[編集]
モンテッソーリ教育法は主に乳児、幼児、園児あるいは児童を対象にしているが、欧米にはモンテッソーリの小学校は数多くあり、中学校や高等学校も存在する[7]。
日本においてはモンテッソーリ保育園や幼稚園は、カトリック系を中心に数多くあるが(カトリック系であっても雙葉学園では実践されていない)、学校法で規定され日本政府に認可されているモンテッソーリ小学校(公立・私立)はなく、一部私塾として放課後に小学生のためのクラスが開催されているのみである。現在、横浜モンテッソーリ幼稚園およびマリア・モンテッソーリ教育研究所を経営している横浜市の学校法人高根学園は0歳から12歳までのモンテッソーリ教育一貫校を計画している[8]。
モンテッソーリ教育を受けた著名人[編集]
##アンネ・フランク
##ワシントン・ポスト誌の経営者および、ジャーナリストだったキャサリン・グレアム(Katharine Graham)
##Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)
##googleの共同創立者サーゲイ・ブリン(Sergey Brin)とラリー・ペイジ(Larry Page)
##wikipedia創設者ジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)
##シムシティなどで知られるシムシティシリーズの開発者ウィル・ライト(Will Wright)
##現代経営学の父、ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)
##アカデミー助演男優賞受賞者、映画俳優、監督、プロデューサー、国連平和大使ジョージ・クルーニー(George Clooney)
##イギリス王室成員のウィリアム王子とヘンリー王子。
特別支援教育
特別支援教育(とくべつしえんきょういく)は、日本の学校教育における教育内容の一つ。英語表記はspecial needs education、またはspecial support education, "exceptional student education"等。
目次 [非表示]
1 日本における定義
2 これまでの経緯(特殊教育から特別支援教育へ) 2.1 明治〜昭和初期
2.2 戦後:“特殊教育”の時代
2.3 “特別支援教育”への転換
3 理念
4 日本における対象の拡大 4.1 盲・聾・養護学校から特別支援学校へ
4.2 特殊学級から特別支援教室へ
5 教員免許制度の変更
6 アメリカやヨーロッパにおける特別支援教育 (Special Needs education)
7 脚注・引用
8 関連項目
9 外部リンク
日本における定義[編集]
特別支援学校において 視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者)に対し、幼稚園・小学校・中学校・高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識・技能を授けること[1]小学校・中学校・高等学校・幼稚園において 知的障害者、肢体不自由者、身体虚弱者、弱視者、難聴者、その他障害のある者で、特別支援学級において教育を行うことが適当な者[2]、その他教育上特別の支援を必要とする児童・生徒・幼児[3]に対し、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な教育を行うこと[4]
これまでの経緯(特殊教育から特別支援教育へ)[編集]
参考:文部科学省「学制百二十年史」
明治〜昭和初期[編集]
1878年 京都盲唖院設立 日本の盲・聾教育の始まり。1891年 東京・滝乃川学園設立 日本の知的障害教育の始まり。[5]1909年 千葉県・勝山に東京市養育院安房分院開設 日本初の身体虚弱・病弱児のための恒常的教育施設。1921年 東京・柏学園設立 日本の肢体不自由教育の始まり。1940年 大阪市立思斉学校設立 日本最初、戦前唯一の知的障害児を収容する学校。1941年 国民学校令施行規則 「身体虚弱、精神薄弱其ノ他心身ニ異常アル児童ニシテ特別養護ノ必要アリト認ムルモノノ為ニ学級又ハ学校ヲ編制スルコトヲ得」→“養護学校”の名称広まる。戦局の進行に従い、特殊教育にかかる学校・学級は次第に閉鎖される。
戦後:“特殊教育”の時代[編集]
1946年 大和田国民学校に養護学級開設 戦後最初の特殊学級の復興[6]1947年 教育基本法・学校教育法公布 盲学校・聾学校への就学が義務制になる。(施行は1948年度から)1950年 山梨県立盲学校、盲聾重複障害児の教育を開始[6] 1950年 門司市立白野江養護学校創設 最初の公立病弱養護学校[6]1953年 文部次官通達 「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の判別基準」 6種類[7]、4段階の基準[8]と、教育措置[9]が示される。←“分離教育”の法的根拠1956年 大阪府立養護学校・愛知県立養護学校創設 最初の公立肢体不自由養護学校[6]1957年 東京都立青鳥養護学校創設 最初の公立精神薄弱(当時)養護学校[6]1958年 盲・聾学校学習指導要領公布 1958年 仙台市立通町小学校に言語障害学級設置[6] この頃から、小学校に吃音症の矯正を目的とした「言葉の教室」や「言語治療教室」が設置され始める。戦前にも同種の矯正所が設置されていた。[要出典]1963年 精神薄弱養護学校学習指導要領公布 文部省事務次官通達として公布される。1963年 大阪市立本田小学校に弱視学級設置[6] 1978年 初等中等教育局長通達「教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の教育措置について」 いわゆる309号通達。教育措置としての就学免除・就学猶予が原則として廃止される。1979年 養護学校義務化 「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置義務に関する部分の施行期日を定める政令」による。同時に訪問教育制度が実施される。[6]このころから自閉症が情緒障害として位置づけられ、特殊教育の対象となる。1987年 筑波技術短期大学の開学[6] 1993年 学校教育法施行規則改正。文部省、「学校教育法施行規則第73条21第1項の規定による特別の教育課程」告示 通級による指導(いわゆる『ことばの教室』)の規定・制度化
“特別支援教育”への転換[編集]
2001年 この春から文部科学省は、旧来の“特殊教育”という言い方に代えて、“特別支援教育”という呼称を使用している。2004年8月 中央教育審議会 「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」中間まとめ 2005年12月8日に答申された。2006年3月 学校教育法施行規則の一部改正 (同年4月施行)いわゆる「通級制の弾力化」が行われた。2006年6月15日 「学校教育法等の一部を改正する法律案」可決・成立 6月21日に公布され、特別支援教育は2007年4月から正式に実施されることとなった。
理念[編集]
文部科学省が定義する「特別支援教育の理念」[10]には、次に挙げるような文言がある。 幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し… :幼稚園から高等学校にわたって行われるものである。 これまでの特殊教育の対象だけでなく、知的な遅れのない発達障害も含めて… :器質的な障害(視覚障害・聴覚障害・運動機能障害・知的障害等)に加え、発達障害者支援法に定義されるLD、ADHD、高機能自閉症等も対象とする。 障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるものであり… :障害のない子供たちにとっても意味を持つものである。 つまり、特別支援教育とは、単に障害児をどう教えるか、どう学ばせるかではなく、障害をひとつの個性としてもった子、つまり「特別なニーズをもつ子ども(children with special needs)」が、どう年齢とともに成長、発達していくか、そのすべてにわたり、本人の主体性を尊重しつつ、できる援助のかたちとは何か考えていこうとする取り組みである。
「特別な教育的ニーズ」という概念が世界で初めて使用されるようになったのは1978年のことで、イギリスのマリー・ウォーノック(Mary Warnock)を議長とする障害児・者の教育調査委員会の報告書がイギリス議会に提出された時からである。このウォーノック報告を受け、イギリス政府は1981年教育法で、特殊教育の対象となる子どもを、「障害」のある子どもから、「特別な教育的ニーズ」のある子どもへと概念の一大転換を図った。[11][12]
この「特別な教育的ニーズ(Special Needs on Education)、および特別なニーズ教育(Special Needs Education)の概念は、1994年6月にユネスコ主催による「特別なニーズ教育に関する世界会議」において採択されたサラマンカ声明へと取り入れられ、開発途上国を含む世界各国へと波及した。[13] わが国においても、文部科学省発行の「特別支援教育について」などの文書内において、「障害児」から「支援を必要としている子」へと徐々に表現が改められた。 従って、特別支援教育は単に特殊教育の対象拡大や教育手法の発展を意味する概念ではない。また、特別支援教育を英語に再翻訳する際、"Special Support Education"とする誤訳が時折みられるが、正しくは"Special Needs Education"である。 また、上述の理由から、日本においても、福祉や医療、労働、多文化教育等の領域と協力をして「個別の教育支援計画」を策定することが考えられている。
日本における対象の拡大[編集]
旧学校教育法で規定された特殊教育が対象とする障害は、視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱及び『その他の障害』に限定されていた。『その他の障害』の解釈については、学校教育法施行規則で情緒障害(特殊学級での指導で対応)・言語障害(通級による指導で対応)が挙げられるに留まっていた。
2006年6月に成立した改正学校教育法では、「その他心身に故障のある者で、特殊学級において教育を行うことが適当なもの」が「その他教育上特別の支援を必要とする児童・生徒及び幼児」という文言に変わった。さらに、学校教育法施行規則で、通常の学級において特別の教育課程によることができるものにLDやADHDが追加され、特別支援教育の対象に含まれるようになった。
盲・聾・養護学校から特別支援学校へ[編集]
2006年6月に成立した改正学校教育法によって、従前の盲・聾・養護学校が2007年4月、「特別支援学校」に一本化された[14]。この名称変更は、障害の種類によらず一人一人の特別な教育的ニーズに応えていくという特別支援教育の理念に基づくが、盲部門、聾部門、肢体不自由部門など、学校ごとに主として教育を行う障害種が決められる[15]。
また、特別支援学校は在籍する幼児児童生徒に教育を施すだけでなく、地域の幼稚園、小・中・高等学校に在籍する幼児児童生徒の教育に関する助言・支援、いわゆる「センター的機能」も担うよう定義されている[16]。従来の障害[17]に加えて、発達障害[18]などの子供たちにも、地域や学校で総合的で全体的な配慮と支援をしていくことになる。[19]
特殊学級から特別支援教室へ[編集]
2005年12月にまとめられた「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」の答申では、これまでの特殊学級にかわって、特別支援教室という新しい制度を提唱した(外部リンク参照)。従来の障害児教育を支えてきた学校教育法第75条に規定する障害児学級(法制上は「特殊学級」)と、学校教育法施行規則第73条に規定する通級制とを一本化し、「特別支援教室」とする方向が示されたが、従来の知的障害学級、情緒障害学級、難聴学級、弱視学級、病弱学級、肢体不自由学級といった特殊学級の機能を維持すべきとの意見があることにも触れている。
このため2006年6月に成立した改正学校教育法では特殊学級を特別支援学級に名称変更することとし、在籍一元化は先送りされた。しかし、参議院の附帯決議では「特別支援教室にできるだけ早く移行するよう十分に検討を行うこと」と宿題を残している。
特別支援教室では、これまで通常学級に在籍していて、支援の対象とされなかったLD、ADHD、高機能自閉症等が対象に含まれ、特別な支援を受けることが予定されていた。そのためにこれまで存在していた上記の学校教育法第75条の特殊学級も廃止され、その対象となっていた子供たちも特別支援教室での取り出し指導の対象となると想定されていた。
特殊学級や通級として存在していた障害児学級などが無くなることは実質的には人員削減となるのではないか、その上に新たにLDや吃音症等の子供たちへの専門的な支援や指導が可能なのか不安の声があがっている。文部科学省はLD、ADHD等の子供の通常学級での存在が全児童生徒の6.3%(吃音児は1.2%)[20]と指摘しており、500人規模の学校で30人は存在することになり、現在の障害児学級に在籍する児童生徒を合わせて特別支援教育の対象とするとしている。
文部科学省は2006年、省内に「特別支援教室」に関する研究会を3年計画で立ち上げ、財務課も入ってモデル事業を展開している。人的資源を確保しながら、特別支援教室の理念に近づけられるのか、親の会など関連団体は注視している。
教員免許制度の変更[編集]
教員免許の制度についても特別支援教育への移行に合わせて変更されることとなり、学校種を一本化した「特別支援学校免許状」(5つからなる「教育領域」が設定され、うち3領域(知的障害者、肢体不自由者、病弱者(身体虚弱者を含む。)に関する各教育)が従前の養護学校相当、「聴覚障害者に関する教育」の領域が従前の聾学校相当、「視覚障害者に関する教育」の領域が従前の盲学校相当となる)となった[21]。なお、既所得単位のうち、かつての「養護学校」に相当する領域は、現行の免許状の方式にて申請する場合は、「知的障害に関する教育」の領域の単位に読み替えられる。また、免許状の上での教育領域には規定されていないが、「重複・LD等領域」として、重複障害(主に、知的障害を従たる障害として併発している重度重複障害)や発達障害(主に、知的障害のない、かつて「軽度発達障害」と称されていた領域)についても、教職課程上、履修が必要な科目に規定されるようになった。
また、特別支援学校の免許状の取得に必要な法定単位として、第三欄にて、取得しない教育領域および、発達障害・重複障害等(上述の「重複・LD等領域」を指す)に関する「教育課程及び指導法に関する科目」並びに「心理、生理・病理に関する科目」の取得を要することになった(ちなみに、第一欄は「基礎理論に関する科目」、第二欄は取得する教育領域に関する「教育課程及び指導法に関する科目」並びに「心理、生理・病理に関する科目」、第四欄は「教育実習」となっている)。また、取得していない領域を追加する場合は、「新教育領域」の第二欄部分において、「教育課程及び指導法に関する科目」と「心理、生理・病理に関する科目」を包括した、4単位以上の取得により、授与申請が可能だが、旧養護学校・盲学校・聾学校の免許保有者が、「新教育領域」を免許に追加する場合は、前述の4単位以上の科目の習得に加え、旧校種の免許状の取得に規定されていなかった、第三欄で規定された科目の履修が必要となるケースもある。
アメリカやヨーロッパにおける特別支援教育 (Special Needs education)[編集]
アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国において、日本の「特別支援教育」に該当する概念はSpecial Needs educationである。ただし、広義のSpecial Needs educationの対象は『通常の教育課程では十分な教育効果が望めない』ものとして、障害のある児童に限らず、学習能力が著しく高い児童(ギフテッド)や外国人移民も含まれる。
なお、学校で特別支援を行うだけでなく、小児科医、子供病院と自治体の福祉窓口とが連携して、就学前に障害を発見し早期に支援を開始するという障害児のための早期教育プランを持つ国もある。アメリカの個別教育計画 (IEP)など、個々人の障害に対応した自立のための長期教育計画が障害児早期教育の柱となっている。日本でも2005年施行の発達障害者支援法などに「早期発見」という言葉が盛り込まれている。
脚注・引用[編集]
1.^ 学校教育法第71条
2.^ 言語障害児や情緒障害児、自閉症児等が該当
3.^ 「発達障害児」が該当(これまで『LD、ADHD、高機能自閉症等』と表現してきた障害の範囲について、文部科学省は平成19年3月15日付 初等中等教育局特別支援教育課名の通達で「発達障害者支援法の定義により、公文書においては原則として『発達障害』と表記する」としている。)
4.^ 学校教育法第75条
5.^ なお、これ以前にも1890年に長野・松本尋常小学校、1901年に群馬・館林小学校で“特別学級”が実験的に設置されている。
6.^ a b c d e f g h i 藤井聰尚(2004)編「特別支援教育とこれからの養護学校」ミネルヴァ書房
7.^ 盲・聾・精神薄弱・肢体不自由・病弱・言語障害・性格異常
8.^ 白痴・痴愚・魯鈍・境界線児
9.^ 就学免除・就学猶予・養護学校・特殊学級あるいは通常の学級
10.^ 「特別支援教育の推進について(通知)」2007年4月1日文部科学省初等中等教育局長通知
11.^ Department for Education and Science:Special Educational Needs: Report of the Committee of Inquiry into the Education of Handicapped Children and Young People.London: HMSO,1978.
12.^ Department for Education and Employment: Excellence for all children -Meeting Special Educational Needs-. The Stationary Office U.K. 1997.
13.^ UNESCO:Final Report, World Conference on Special Needs Education: Access and Quality, 1995
14.^ 一本化については知的・精神的な障害がある児童と、盲・聾・肢体不自由であっても知的に問題がない児童との教育を一体にすることに疑問を呈する声や、一体にするのは学校の運営費、人件費を削減することが本当の目的ではないかなどの疑念も少なからずある。[要出典]
15.^ 学校教育法第71条の2
16.^ 学校教育法第71条の3
17.^ 視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱・情緒障害
18.^ 文部科学省では学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、高機能自閉症等を総称して「発達障害」と定義している。(『「発達障害」の用語の使用について』文部科学省)
19.^ この政策を先導する形で、一部の地方では校内指導にあたる教員を大幅に削減し、外部の相談にあたる教員に配置転換した結果、本当に特別な支援が必要な重度の障害がある児童生徒たちへの教育的な取り組みが危うくなっているケースも見られたという。このように、「特別支援教育」の理想を実現するためには、教員の抜本的な増員を求める声が大きい。[要出典]
20.^ この6.3%という数字の信頼性については賛否両論あり、各地方自治体が独自に行っている調査では、数値にばらつきが見られる。これは、調査するスタッフが学校の教員であり、教員の知識量によって数値が変わり、またLD、ADHD等がいわゆる「操作的定義」であることからおこることである。
21.^ 「特別支援学校免許状」にかかる教員養成カリキュラムは、免許状制度の改正後1年を経過した2008年においても、従来の聾学校・盲学校・養護学校が行っていた教育領域ごとに組まれたものばかりである。日本においては、教育職員免許法の附則に「当分の間」特別支援学校教諭の免許状を有しなくても特別支援学校の教員になれる旨の規定が2008年においてもまだある。このような理由もあって、事実上骨抜き状態になっている。また、世界の標準からは大きく遅れているのではないかという指摘もある。
目次 [非表示]
1 日本における定義
2 これまでの経緯(特殊教育から特別支援教育へ) 2.1 明治〜昭和初期
2.2 戦後:“特殊教育”の時代
2.3 “特別支援教育”への転換
3 理念
4 日本における対象の拡大 4.1 盲・聾・養護学校から特別支援学校へ
4.2 特殊学級から特別支援教室へ
5 教員免許制度の変更
6 アメリカやヨーロッパにおける特別支援教育 (Special Needs education)
7 脚注・引用
8 関連項目
9 外部リンク
日本における定義[編集]
特別支援学校において 視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者)に対し、幼稚園・小学校・中学校・高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識・技能を授けること[1]小学校・中学校・高等学校・幼稚園において 知的障害者、肢体不自由者、身体虚弱者、弱視者、難聴者、その他障害のある者で、特別支援学級において教育を行うことが適当な者[2]、その他教育上特別の支援を必要とする児童・生徒・幼児[3]に対し、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な教育を行うこと[4]
これまでの経緯(特殊教育から特別支援教育へ)[編集]
参考:文部科学省「学制百二十年史」
明治〜昭和初期[編集]
1878年 京都盲唖院設立 日本の盲・聾教育の始まり。1891年 東京・滝乃川学園設立 日本の知的障害教育の始まり。[5]1909年 千葉県・勝山に東京市養育院安房分院開設 日本初の身体虚弱・病弱児のための恒常的教育施設。1921年 東京・柏学園設立 日本の肢体不自由教育の始まり。1940年 大阪市立思斉学校設立 日本最初、戦前唯一の知的障害児を収容する学校。1941年 国民学校令施行規則 「身体虚弱、精神薄弱其ノ他心身ニ異常アル児童ニシテ特別養護ノ必要アリト認ムルモノノ為ニ学級又ハ学校ヲ編制スルコトヲ得」→“養護学校”の名称広まる。戦局の進行に従い、特殊教育にかかる学校・学級は次第に閉鎖される。
戦後:“特殊教育”の時代[編集]
1946年 大和田国民学校に養護学級開設 戦後最初の特殊学級の復興[6]1947年 教育基本法・学校教育法公布 盲学校・聾学校への就学が義務制になる。(施行は1948年度から)1950年 山梨県立盲学校、盲聾重複障害児の教育を開始[6] 1950年 門司市立白野江養護学校創設 最初の公立病弱養護学校[6]1953年 文部次官通達 「教育上特別な取り扱いを要する児童・生徒の判別基準」 6種類[7]、4段階の基準[8]と、教育措置[9]が示される。←“分離教育”の法的根拠1956年 大阪府立養護学校・愛知県立養護学校創設 最初の公立肢体不自由養護学校[6]1957年 東京都立青鳥養護学校創設 最初の公立精神薄弱(当時)養護学校[6]1958年 盲・聾学校学習指導要領公布 1958年 仙台市立通町小学校に言語障害学級設置[6] この頃から、小学校に吃音症の矯正を目的とした「言葉の教室」や「言語治療教室」が設置され始める。戦前にも同種の矯正所が設置されていた。[要出典]1963年 精神薄弱養護学校学習指導要領公布 文部省事務次官通達として公布される。1963年 大阪市立本田小学校に弱視学級設置[6] 1978年 初等中等教育局長通達「教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の教育措置について」 いわゆる309号通達。教育措置としての就学免除・就学猶予が原則として廃止される。1979年 養護学校義務化 「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置義務に関する部分の施行期日を定める政令」による。同時に訪問教育制度が実施される。[6]このころから自閉症が情緒障害として位置づけられ、特殊教育の対象となる。1987年 筑波技術短期大学の開学[6] 1993年 学校教育法施行規則改正。文部省、「学校教育法施行規則第73条21第1項の規定による特別の教育課程」告示 通級による指導(いわゆる『ことばの教室』)の規定・制度化
“特別支援教育”への転換[編集]
2001年 この春から文部科学省は、旧来の“特殊教育”という言い方に代えて、“特別支援教育”という呼称を使用している。2004年8月 中央教育審議会 「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」中間まとめ 2005年12月8日に答申された。2006年3月 学校教育法施行規則の一部改正 (同年4月施行)いわゆる「通級制の弾力化」が行われた。2006年6月15日 「学校教育法等の一部を改正する法律案」可決・成立 6月21日に公布され、特別支援教育は2007年4月から正式に実施されることとなった。
理念[編集]
文部科学省が定義する「特別支援教育の理念」[10]には、次に挙げるような文言がある。 幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し… :幼稚園から高等学校にわたって行われるものである。 これまでの特殊教育の対象だけでなく、知的な遅れのない発達障害も含めて… :器質的な障害(視覚障害・聴覚障害・運動機能障害・知的障害等)に加え、発達障害者支援法に定義されるLD、ADHD、高機能自閉症等も対象とする。 障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるものであり… :障害のない子供たちにとっても意味を持つものである。 つまり、特別支援教育とは、単に障害児をどう教えるか、どう学ばせるかではなく、障害をひとつの個性としてもった子、つまり「特別なニーズをもつ子ども(children with special needs)」が、どう年齢とともに成長、発達していくか、そのすべてにわたり、本人の主体性を尊重しつつ、できる援助のかたちとは何か考えていこうとする取り組みである。
「特別な教育的ニーズ」という概念が世界で初めて使用されるようになったのは1978年のことで、イギリスのマリー・ウォーノック(Mary Warnock)を議長とする障害児・者の教育調査委員会の報告書がイギリス議会に提出された時からである。このウォーノック報告を受け、イギリス政府は1981年教育法で、特殊教育の対象となる子どもを、「障害」のある子どもから、「特別な教育的ニーズ」のある子どもへと概念の一大転換を図った。[11][12]
この「特別な教育的ニーズ(Special Needs on Education)、および特別なニーズ教育(Special Needs Education)の概念は、1994年6月にユネスコ主催による「特別なニーズ教育に関する世界会議」において採択されたサラマンカ声明へと取り入れられ、開発途上国を含む世界各国へと波及した。[13] わが国においても、文部科学省発行の「特別支援教育について」などの文書内において、「障害児」から「支援を必要としている子」へと徐々に表現が改められた。 従って、特別支援教育は単に特殊教育の対象拡大や教育手法の発展を意味する概念ではない。また、特別支援教育を英語に再翻訳する際、"Special Support Education"とする誤訳が時折みられるが、正しくは"Special Needs Education"である。 また、上述の理由から、日本においても、福祉や医療、労働、多文化教育等の領域と協力をして「個別の教育支援計画」を策定することが考えられている。
日本における対象の拡大[編集]
旧学校教育法で規定された特殊教育が対象とする障害は、視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱及び『その他の障害』に限定されていた。『その他の障害』の解釈については、学校教育法施行規則で情緒障害(特殊学級での指導で対応)・言語障害(通級による指導で対応)が挙げられるに留まっていた。
2006年6月に成立した改正学校教育法では、「その他心身に故障のある者で、特殊学級において教育を行うことが適当なもの」が「その他教育上特別の支援を必要とする児童・生徒及び幼児」という文言に変わった。さらに、学校教育法施行規則で、通常の学級において特別の教育課程によることができるものにLDやADHDが追加され、特別支援教育の対象に含まれるようになった。
盲・聾・養護学校から特別支援学校へ[編集]
2006年6月に成立した改正学校教育法によって、従前の盲・聾・養護学校が2007年4月、「特別支援学校」に一本化された[14]。この名称変更は、障害の種類によらず一人一人の特別な教育的ニーズに応えていくという特別支援教育の理念に基づくが、盲部門、聾部門、肢体不自由部門など、学校ごとに主として教育を行う障害種が決められる[15]。
また、特別支援学校は在籍する幼児児童生徒に教育を施すだけでなく、地域の幼稚園、小・中・高等学校に在籍する幼児児童生徒の教育に関する助言・支援、いわゆる「センター的機能」も担うよう定義されている[16]。従来の障害[17]に加えて、発達障害[18]などの子供たちにも、地域や学校で総合的で全体的な配慮と支援をしていくことになる。[19]
特殊学級から特別支援教室へ[編集]
2005年12月にまとめられた「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」の答申では、これまでの特殊学級にかわって、特別支援教室という新しい制度を提唱した(外部リンク参照)。従来の障害児教育を支えてきた学校教育法第75条に規定する障害児学級(法制上は「特殊学級」)と、学校教育法施行規則第73条に規定する通級制とを一本化し、「特別支援教室」とする方向が示されたが、従来の知的障害学級、情緒障害学級、難聴学級、弱視学級、病弱学級、肢体不自由学級といった特殊学級の機能を維持すべきとの意見があることにも触れている。
このため2006年6月に成立した改正学校教育法では特殊学級を特別支援学級に名称変更することとし、在籍一元化は先送りされた。しかし、参議院の附帯決議では「特別支援教室にできるだけ早く移行するよう十分に検討を行うこと」と宿題を残している。
特別支援教室では、これまで通常学級に在籍していて、支援の対象とされなかったLD、ADHD、高機能自閉症等が対象に含まれ、特別な支援を受けることが予定されていた。そのためにこれまで存在していた上記の学校教育法第75条の特殊学級も廃止され、その対象となっていた子供たちも特別支援教室での取り出し指導の対象となると想定されていた。
特殊学級や通級として存在していた障害児学級などが無くなることは実質的には人員削減となるのではないか、その上に新たにLDや吃音症等の子供たちへの専門的な支援や指導が可能なのか不安の声があがっている。文部科学省はLD、ADHD等の子供の通常学級での存在が全児童生徒の6.3%(吃音児は1.2%)[20]と指摘しており、500人規模の学校で30人は存在することになり、現在の障害児学級に在籍する児童生徒を合わせて特別支援教育の対象とするとしている。
文部科学省は2006年、省内に「特別支援教室」に関する研究会を3年計画で立ち上げ、財務課も入ってモデル事業を展開している。人的資源を確保しながら、特別支援教室の理念に近づけられるのか、親の会など関連団体は注視している。
教員免許制度の変更[編集]
教員免許の制度についても特別支援教育への移行に合わせて変更されることとなり、学校種を一本化した「特別支援学校免許状」(5つからなる「教育領域」が設定され、うち3領域(知的障害者、肢体不自由者、病弱者(身体虚弱者を含む。)に関する各教育)が従前の養護学校相当、「聴覚障害者に関する教育」の領域が従前の聾学校相当、「視覚障害者に関する教育」の領域が従前の盲学校相当となる)となった[21]。なお、既所得単位のうち、かつての「養護学校」に相当する領域は、現行の免許状の方式にて申請する場合は、「知的障害に関する教育」の領域の単位に読み替えられる。また、免許状の上での教育領域には規定されていないが、「重複・LD等領域」として、重複障害(主に、知的障害を従たる障害として併発している重度重複障害)や発達障害(主に、知的障害のない、かつて「軽度発達障害」と称されていた領域)についても、教職課程上、履修が必要な科目に規定されるようになった。
また、特別支援学校の免許状の取得に必要な法定単位として、第三欄にて、取得しない教育領域および、発達障害・重複障害等(上述の「重複・LD等領域」を指す)に関する「教育課程及び指導法に関する科目」並びに「心理、生理・病理に関する科目」の取得を要することになった(ちなみに、第一欄は「基礎理論に関する科目」、第二欄は取得する教育領域に関する「教育課程及び指導法に関する科目」並びに「心理、生理・病理に関する科目」、第四欄は「教育実習」となっている)。また、取得していない領域を追加する場合は、「新教育領域」の第二欄部分において、「教育課程及び指導法に関する科目」と「心理、生理・病理に関する科目」を包括した、4単位以上の取得により、授与申請が可能だが、旧養護学校・盲学校・聾学校の免許保有者が、「新教育領域」を免許に追加する場合は、前述の4単位以上の科目の習得に加え、旧校種の免許状の取得に規定されていなかった、第三欄で規定された科目の履修が必要となるケースもある。
アメリカやヨーロッパにおける特別支援教育 (Special Needs education)[編集]
アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国において、日本の「特別支援教育」に該当する概念はSpecial Needs educationである。ただし、広義のSpecial Needs educationの対象は『通常の教育課程では十分な教育効果が望めない』ものとして、障害のある児童に限らず、学習能力が著しく高い児童(ギフテッド)や外国人移民も含まれる。
なお、学校で特別支援を行うだけでなく、小児科医、子供病院と自治体の福祉窓口とが連携して、就学前に障害を発見し早期に支援を開始するという障害児のための早期教育プランを持つ国もある。アメリカの個別教育計画 (IEP)など、個々人の障害に対応した自立のための長期教育計画が障害児早期教育の柱となっている。日本でも2005年施行の発達障害者支援法などに「早期発見」という言葉が盛り込まれている。
脚注・引用[編集]
1.^ 学校教育法第71条
2.^ 言語障害児や情緒障害児、自閉症児等が該当
3.^ 「発達障害児」が該当(これまで『LD、ADHD、高機能自閉症等』と表現してきた障害の範囲について、文部科学省は平成19年3月15日付 初等中等教育局特別支援教育課名の通達で「発達障害者支援法の定義により、公文書においては原則として『発達障害』と表記する」としている。)
4.^ 学校教育法第75条
5.^ なお、これ以前にも1890年に長野・松本尋常小学校、1901年に群馬・館林小学校で“特別学級”が実験的に設置されている。
6.^ a b c d e f g h i 藤井聰尚(2004)編「特別支援教育とこれからの養護学校」ミネルヴァ書房
7.^ 盲・聾・精神薄弱・肢体不自由・病弱・言語障害・性格異常
8.^ 白痴・痴愚・魯鈍・境界線児
9.^ 就学免除・就学猶予・養護学校・特殊学級あるいは通常の学級
10.^ 「特別支援教育の推進について(通知)」2007年4月1日文部科学省初等中等教育局長通知
11.^ Department for Education and Science:Special Educational Needs: Report of the Committee of Inquiry into the Education of Handicapped Children and Young People.London: HMSO,1978.
12.^ Department for Education and Employment: Excellence for all children -Meeting Special Educational Needs-. The Stationary Office U.K. 1997.
13.^ UNESCO:Final Report, World Conference on Special Needs Education: Access and Quality, 1995
14.^ 一本化については知的・精神的な障害がある児童と、盲・聾・肢体不自由であっても知的に問題がない児童との教育を一体にすることに疑問を呈する声や、一体にするのは学校の運営費、人件費を削減することが本当の目的ではないかなどの疑念も少なからずある。[要出典]
15.^ 学校教育法第71条の2
16.^ 学校教育法第71条の3
17.^ 視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱・情緒障害
18.^ 文部科学省では学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、高機能自閉症等を総称して「発達障害」と定義している。(『「発達障害」の用語の使用について』文部科学省)
19.^ この政策を先導する形で、一部の地方では校内指導にあたる教員を大幅に削減し、外部の相談にあたる教員に配置転換した結果、本当に特別な支援が必要な重度の障害がある児童生徒たちへの教育的な取り組みが危うくなっているケースも見られたという。このように、「特別支援教育」の理想を実現するためには、教員の抜本的な増員を求める声が大きい。[要出典]
20.^ この6.3%という数字の信頼性については賛否両論あり、各地方自治体が独自に行っている調査では、数値にばらつきが見られる。これは、調査するスタッフが学校の教員であり、教員の知識量によって数値が変わり、またLD、ADHD等がいわゆる「操作的定義」であることからおこることである。
21.^ 「特別支援学校免許状」にかかる教員養成カリキュラムは、免許状制度の改正後1年を経過した2008年においても、従来の聾学校・盲学校・養護学校が行っていた教育領域ごとに組まれたものばかりである。日本においては、教育職員免許法の附則に「当分の間」特別支援学校教諭の免許状を有しなくても特別支援学校の教員になれる旨の規定が2008年においてもまだある。このような理由もあって、事実上骨抜き状態になっている。また、世界の標準からは大きく遅れているのではないかという指摘もある。
オルタナティブ教育
オルタナティブ教育(オルタナティブきょういく、英: Alternative education、代替教育)とは、「非伝統的な教育」や「教育選択肢」とも言い、主流または伝統とは異なる教授・学習方法を意味する。オルタナティブ教育の対象は幼児(園児)・児童・生徒であるが、本項では便宜上「生徒」と統一する。
オルタナティブ教育方法の多くは、主流・伝統的な教育とは根本的に異なる哲学に基づいて発展したものである。ヨーロッパのシュタイナー学校やアメリカのホームスクールに見られるような非常に強い政治的、学術的、宗教的または哲学的な方向性を持つものがある一方、アメリカのチャーター・スクールに代表されるような既存の教育手法に不満のある教師や生徒が集まって作りあげた学校もある。教育選択肢には、公立校、私立校、無認可校(営利・非営利)、ホームスクールなど多岐に渡っているが、大部分が少人数クラス、教師と生徒との近しい関係、コミュニティー意識の三点に重きを置いている。
目次 [非表示]
1 定義
2 日本におけるオルタナティブ教育
3 歴史
4 現代に見られるオルタナティブ形式 4.1 学校選択
4.2 オルタナティブ・スクール
4.3 庶民のための教育
4.4 インデペンデント・スクール
4.5 ホームスクール
4.6 その他
5 脚注
6 関連項目 6.1 オルタナテイブ手法
6.2 オルタナティブの動機
6.3 学校形態
7 外部リンク
定義[編集]
オルタナティブ教育(代替教育)とは、特に幼児教育から中等教育の期間において、従来とは異なる新しい運営制度、進級制度、教育科目などを指す。多くは国や地方自治体の法律によらない私立校であるが、国や地方自治体の法律で認められている学校にもオルタナティブ教育に含まれるものがある[要出典]。
なお、世界的にはカナダのセパレート・スクール(公立)、アメリカ合衆国のチャーター・スクール、マグネット・スクール(小中高一貫校、イマージョン校、ギフテッド教育など)などがある。また、公立校でオルタナティブ・スクール(特別支援教育など)という学校や、イギリスのパブリックスクール(名門進学校)を含むインデペンデント・スクール(私立)などはオルタナティブ教育を施す学校とされている。
ニューエイジの流れを組むオルタナティブ教育の場合、従来とは著しく異なる哲学思想を持つことを意味する。教育手法に従事する者は、「生徒側の立場に立った」という意味をこめて、本当の(オーセンティック authentic)、全体的視野の(ホリスティック holistic)、進歩的な(プログレッシブ Progressive)教育と表現することも多い。しかしこれらの言葉も異なる意味合いを持つことがあり、「オルタナティブ」に比べると意味が曖昧である。
オルタナティブ・スクール(オルタナティブ校)という言葉は国あるいは経営者の意味するものによってニュアンスが大きく異なる。新手法を用いる前衛的な法律によらない無認可の学校や、エリート教育を施すものから、成績不振者や問題児のための学校など様々な形態を含む。詳しくはオルタナティブスクールの項目を参照。教育専門家は混乱を避けるために「オルタナティブ」という言葉を避け、非伝統的 (ノン・トラディショナルnon-traditional)、非慣例的(ノン・コンベンショナル non-conventional)、非標準的(ノン・スタンダード non-standard)といった語句をまれに使うことがあるが、否定的なニュアンスや複数の意味を持つこともあり一貫していない。
日本におけるオルタナティブ教育[編集]
日本におけるオルタナティブ教育(代替教育)とは、学校教育法等の法的根拠を有さない非正規の教育機関とそこで実施される教育を意味する。具体的には、フリースクール、デモクラティック・スクール、サポート校、インターナショナル・スクールなどの無認可校、ホームスクーリング等をオルタナティブ教育と称する。 故に、学校教育法に定めのある一条校は、オルタナティブ教育たり得ない。また、私塾ではあっても、いわゆる学習塾/進学塾もオルタナティブ教育とは言わない。
日本のオルタナティブ教育はその中でも特に、
幼児教育及び学校教育における新しい教育思想(モンテッソーリ教育やシュタイナー教育)
不登校児童生徒の救済のためのフリースクール、サポート校、ホームスクーリング
の上記二種類を示すことが多い。
日本においては、オルタナティブ教育だけでは正規の課程の卒業資格を認定されないので、上位校への入学資格を得る事は不可能。このため、通信制や定時制等による正規課程の履修を併用したり、文部科学省による卒業資格認定試験の受験が必要になる。
歴史[編集]
教育学者の間での論争は古くからあるが、「オルタナティブ(代替、選択)教育」と言うからには、オルタナティブ主義者が反対している何らかの一般的な概念が存在することを前提にしている。そのため「オルタナティブ教育」は、通常、教育の標準化が起こり初等・中等教育が義務となった19世紀の間に生じた考えで、古くとも18世紀以前に遡ることはない。
過去の批判者の多くも現代の批判者と同じく、若者の教育は既存の方法とは徹底的に異なるものであるべきだと主張していた。19世紀には、スイス人の人道主義者ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ、アメリカ人の先駆論者ラルフ・ウォルド・エマーソン、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、アモス・ブロンソン・オルコット (Amos Bronson Alcott)、また教育進歩主義を作り上げたジョン・デューイやフランシス・ウェイランド・パーカー (Francis Wayland Parker)、そして教育界のパイオニアであるマリア・モンテッソーリやシュタイナー学校を設立したルドルフ・シュタイナーなどは皆「教育というものは成長する子どもの道徳観、感情面、身体面、精神面、スピリチュアルな面を磨く芸術とみなされるべきだ」と主張した。
一方、レフ・トルストイやフランセスク・フェレル・イ・グアルディア (Francesc Ferrer i Guàrdia) といったアナーキスト達は、「教育とは政治的自由を得て、宗教と分離し、階級差を取り除くものである」と強調した。
もう少し近代になってからは、ジョン・ホルト、イヴァン・イリイチ、ポール・グッドマン(Paul Goodman)、フレデリック・マイヤー、ジョージ・デンソン (George Dennison)といった社会評論家達が、教育というものを個人主義、アナキズム、自由意志論といった観点から考察し、慣例化している既存の教育法は若者の見識を型にはめることによって民主主義を堕落させていると非難している。教育革命を起こしたパウロ・フレイレから、アメリカの教育者であるジョナサン・コゾルやハーバート・コール(Herbert Kohl)に至るまで、様々な者が左翼リベラルおよび急進的な政治観点から、西洋の主流教育法を批判した。
現代に見られるオルタナティブ形式[編集]
小学校、中等教育、高等教育[要出典]のどのレベルにおいても色々な形でオルタナティブ教育が存在する。オルタナティブな教育手段は一般公立校における学校選択(学校内における別カリキュラム選択も含む)、オルタナティブ・スクールと呼ばれる学校(公立または私立)への通学、インデペンデント・スクールなど私立校への通学、あるいは在宅教育を中心としたホームスクールの4つに分かれる。この4つは、運営や方法論の特徴によってさらに細かく分けることができる。
学校選択[編集]
理数系チャーター・スクールの生徒
公立学校において選択が可能なものは、まったく別の学校、別のクラス、他とは異なる特別な学習計画、あるいは半独立した形の「学校内に存在するもう一つの学校」などである。公立校の選択権利はコミュニティにおける生徒全員にあるが、不合格や空席待ちとなるケースもある。公立校の選択には、州の財政援助と私営の率先権を混合して創立されたチャーター・スクールと、舞台芸術やテクノロジーなどの特化プログラムを持つマグネット・スクールも含まれる。
オルタナティブ・スクール[編集]
教育用語での「オルタナティブ・スクール」とは、公立や私立にかかわらず、とくに初等・中等教育において、慣例に従ってきた学校に比べて柔軟性のある学習計画をもつ学校を意味する[1]。
イギリス英語圏においては、本来のオルタナティブの意味(従来と異なるという意)のまま、パブリックスクールというエリートのための私立校も含む。イギリスには2003年の時点で約70校のオルタナティブ・スクールが存在している。アメリカのオルタナティブ・スクールには数多くの公立校があるが、イギリスではオルタナティブ・スクールへの公的援助金がないため、私立校で納付金を払うのが普通である[2]。
一方、アメリカでは1970年代にオルタナティブ・スクールが設立されたが[3]、21世紀現在アメリカ英語圏ではマサチューセッツ州の定義にあるように[4]、成績や素行の悪さによる落ちこぼれ、中退の危機にある(at-risk) 児童・生徒・学生(以下 便宜上「生徒」と統一する)のための学校を示すことが多い。特別支援教育校やマグネット・スクールを指す場合もあり、「特別な支援を必要とする子供に別の手を差し伸べる教育」という意味合いを持つ。また、ニューエイジ思想においては「近代教育学を超える新しい啓蒙思想に基づき、子ども達をあるがままに愛する学校」こそがオルタナティブ校だとされる。
庶民のための教育[編集]
庶民のための教育 (popular education) は19世紀の民衆運動、アンドラゴギー(成人に特定した教育)、民衆啓蒙運動から発展した歴史がある[5]。その活動は20世紀を通して続き、スカンジナビア諸国ではフォルケホイスコーレ(Folk High School) [6] [7]、フランスでは民衆大学が生まれた。
インデペンデント・スクール[編集]
詳細は「インデペンデント・スクール」を参照
日本語の独立学校という言葉は「経営独立や障害者の独立のためという独立支援の学校という意味に取られることが多いが、インデペンデント・スクールとは、「(運営方針や財政の面で)独立している学校」を指す。
各自が自由に学習するモンテッソーリの教室
私立校の一種であるインデペンデント・スクールは、自由度が高く、他校に比べて教職員の選択や教育への取り組みに柔軟性がある。最も数の多いタイプは、モンテッソーリ・スクール、ヴァルドルフ・スクール(シュタイナー学校とも言う)、キリスト友会いわゆるクエーカー精神に則った学校(フレンズ・スクール Friends School)、の三種類である。他にも、デモクラティック・スクール (Democratic School)、ドイツ生まれで間もなくイギリスに移ったサマーヒル・スクールやイギリスのサンズ・スクール(Sands School)、アメリカのサドベリー・バレー・スクール、またクリシュナムルティ・スクール、オープン・クラスルーム指導法の学校、体験教育に基づいた学校、国際バカロレア資格やラウンドスクエアなど国際的な基準を持つカリキュラムを持つ学校などがある。大昔からインデペンデント・スクールとみなされてきた教育形態のうち、特にモンテッソーリとシュタイナーは、現在では私立のみならず州立や公立としても存在する。インデペンデント・スクールは最低でも学費の一部をカバーする奨学金制度を設けているところが多い。
ホームスクール[編集]
詳細は「ホームスクーリング」を参照
教育、哲学あるいは宗教的な理由で、一般的な学校とは異なる教育内容を求めて、各家庭の保護者がイニシアチブを持ち自宅をベースにした教育形態(ホームスクール)を選ぶ家庭がある。近隣にオルタナティブ教育機関がない、私立校へ通う金銭的余裕がないといった消極的な理由で選択するケースもある。
ホームスクール形式のうち、カリキュラムを持たず、子どもの興味に基づいて教育に取り組む者達は、自身の教育スタイルをアンスクーリング(ナチュラル・ラーニング)と呼ぶ。一方でホームスクールのカリキュラムやサービスを提供するアンブレラ・スクールに所属する家庭もある。通学して来る生徒以外にホームスクールの生徒を対象にしたプログラムを持ち、アンブレラ・スクールとしての機能する私立校、公立校もある。
21世紀現在のホームスクールは、ホームスクールの一般的なイメージである全課程・全時間を自宅で親子がこなす完全な在宅教育のほかに、親が子どもの教育内容をほぼ完全に掌握し自宅が「教育本部」でこそすれ半分あるいは大部分の時間を戸外の教育機関で過ごすケースも多々ある。そのためホームスクールは実質的には在宅教育と言うよりも自宅ベース教育(Home-based education)と言う方が正確である。
その他[編集]
オルタナティブ教育には境界線がはっきりしない部分がある。たとえば、ホームスクールの家庭の中には、複数家庭や意思を同じくする者達が集まって共同グループ(Co-op)や教育センターを設立し、平日の毎日あるいは週何日かそこへ通う形を取っているが、それでも自身の教育形態をホームスクール(在宅教育)とみなすことが多い。アメリカのいくつかの州では学区がホームスクール向けの学習計画やカウンセラーを用意し、参加する家庭はホームスクールと称す。しかし書類上あるいは財政上ではその学区に入学したとみなされ、学校の教材、資料、施設などを利用することができる。また多くの一般校が、かつてはオルタナティブ教育校だけでしか使われなかった手法を導入しており、オルタナティブ教育と主流な一般教育との境目がますます曖昧になってきている。
脚注[編集]
1.^ Dictionary.com: alternative school(英文)
2.^ Amazon.co.uk Alternative Approaches to Education: A Guide for Parents and Teachers: Introduction P.3(英文)
3.^ "Alternative Schools Adapt," by Fannie Weinstein. The New York Times, June 8, 1986, section A page 14.(英語版記事の参考文献)
4.^ Massachusetts Department of Education: About Alternative Education(英文)
5.^ 国立教育政策研究所 社会教育実践研究センター:社会教育主事講習 生涯学習概論『外国の社会教育の歴史と動向』澤野由紀子
6.^ ノルウェー国公式サイト:教育と研究『ノルウェーのフォルケホイスコーレ』
7.^ 国立特殊教育総合研究所 知的障害教育研究部 平成13年度「生涯学習施策に関する調査研究」報告書 『ノルウェーにおける障害のある人の生涯学習』(pdf)
関連項目[編集]
オルタナテイブ手法[編集]
サドベリー教育
ギフテッド教育
モンテッソーリ教育
シュタイナー教育
ホリスティック教育
オルタナティブの動機[編集]
早期教育
不登校
学校形態[編集]
マグネット・スクール
チャーター・スクール
インデペンデント・スクール
グラマー・スクール
セパレート・スクール
ホームスクール アンブレラ・スクール
アンスクーリング
インターナショナル・スクール
フリースクール
サドベリー・スクール(デモクラティック・スクール)
サポート校
日本オルタナティブスクール協会
オルタナティブ教育方法の多くは、主流・伝統的な教育とは根本的に異なる哲学に基づいて発展したものである。ヨーロッパのシュタイナー学校やアメリカのホームスクールに見られるような非常に強い政治的、学術的、宗教的または哲学的な方向性を持つものがある一方、アメリカのチャーター・スクールに代表されるような既存の教育手法に不満のある教師や生徒が集まって作りあげた学校もある。教育選択肢には、公立校、私立校、無認可校(営利・非営利)、ホームスクールなど多岐に渡っているが、大部分が少人数クラス、教師と生徒との近しい関係、コミュニティー意識の三点に重きを置いている。
目次 [非表示]
1 定義
2 日本におけるオルタナティブ教育
3 歴史
4 現代に見られるオルタナティブ形式 4.1 学校選択
4.2 オルタナティブ・スクール
4.3 庶民のための教育
4.4 インデペンデント・スクール
4.5 ホームスクール
4.6 その他
5 脚注
6 関連項目 6.1 オルタナテイブ手法
6.2 オルタナティブの動機
6.3 学校形態
7 外部リンク
定義[編集]
オルタナティブ教育(代替教育)とは、特に幼児教育から中等教育の期間において、従来とは異なる新しい運営制度、進級制度、教育科目などを指す。多くは国や地方自治体の法律によらない私立校であるが、国や地方自治体の法律で認められている学校にもオルタナティブ教育に含まれるものがある[要出典]。
なお、世界的にはカナダのセパレート・スクール(公立)、アメリカ合衆国のチャーター・スクール、マグネット・スクール(小中高一貫校、イマージョン校、ギフテッド教育など)などがある。また、公立校でオルタナティブ・スクール(特別支援教育など)という学校や、イギリスのパブリックスクール(名門進学校)を含むインデペンデント・スクール(私立)などはオルタナティブ教育を施す学校とされている。
ニューエイジの流れを組むオルタナティブ教育の場合、従来とは著しく異なる哲学思想を持つことを意味する。教育手法に従事する者は、「生徒側の立場に立った」という意味をこめて、本当の(オーセンティック authentic)、全体的視野の(ホリスティック holistic)、進歩的な(プログレッシブ Progressive)教育と表現することも多い。しかしこれらの言葉も異なる意味合いを持つことがあり、「オルタナティブ」に比べると意味が曖昧である。
オルタナティブ・スクール(オルタナティブ校)という言葉は国あるいは経営者の意味するものによってニュアンスが大きく異なる。新手法を用いる前衛的な法律によらない無認可の学校や、エリート教育を施すものから、成績不振者や問題児のための学校など様々な形態を含む。詳しくはオルタナティブスクールの項目を参照。教育専門家は混乱を避けるために「オルタナティブ」という言葉を避け、非伝統的 (ノン・トラディショナルnon-traditional)、非慣例的(ノン・コンベンショナル non-conventional)、非標準的(ノン・スタンダード non-standard)といった語句をまれに使うことがあるが、否定的なニュアンスや複数の意味を持つこともあり一貫していない。
日本におけるオルタナティブ教育[編集]
日本におけるオルタナティブ教育(代替教育)とは、学校教育法等の法的根拠を有さない非正規の教育機関とそこで実施される教育を意味する。具体的には、フリースクール、デモクラティック・スクール、サポート校、インターナショナル・スクールなどの無認可校、ホームスクーリング等をオルタナティブ教育と称する。 故に、学校教育法に定めのある一条校は、オルタナティブ教育たり得ない。また、私塾ではあっても、いわゆる学習塾/進学塾もオルタナティブ教育とは言わない。
日本のオルタナティブ教育はその中でも特に、
幼児教育及び学校教育における新しい教育思想(モンテッソーリ教育やシュタイナー教育)
不登校児童生徒の救済のためのフリースクール、サポート校、ホームスクーリング
の上記二種類を示すことが多い。
日本においては、オルタナティブ教育だけでは正規の課程の卒業資格を認定されないので、上位校への入学資格を得る事は不可能。このため、通信制や定時制等による正規課程の履修を併用したり、文部科学省による卒業資格認定試験の受験が必要になる。
歴史[編集]
教育学者の間での論争は古くからあるが、「オルタナティブ(代替、選択)教育」と言うからには、オルタナティブ主義者が反対している何らかの一般的な概念が存在することを前提にしている。そのため「オルタナティブ教育」は、通常、教育の標準化が起こり初等・中等教育が義務となった19世紀の間に生じた考えで、古くとも18世紀以前に遡ることはない。
過去の批判者の多くも現代の批判者と同じく、若者の教育は既存の方法とは徹底的に異なるものであるべきだと主張していた。19世紀には、スイス人の人道主義者ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ、アメリカ人の先駆論者ラルフ・ウォルド・エマーソン、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、アモス・ブロンソン・オルコット (Amos Bronson Alcott)、また教育進歩主義を作り上げたジョン・デューイやフランシス・ウェイランド・パーカー (Francis Wayland Parker)、そして教育界のパイオニアであるマリア・モンテッソーリやシュタイナー学校を設立したルドルフ・シュタイナーなどは皆「教育というものは成長する子どもの道徳観、感情面、身体面、精神面、スピリチュアルな面を磨く芸術とみなされるべきだ」と主張した。
一方、レフ・トルストイやフランセスク・フェレル・イ・グアルディア (Francesc Ferrer i Guàrdia) といったアナーキスト達は、「教育とは政治的自由を得て、宗教と分離し、階級差を取り除くものである」と強調した。
もう少し近代になってからは、ジョン・ホルト、イヴァン・イリイチ、ポール・グッドマン(Paul Goodman)、フレデリック・マイヤー、ジョージ・デンソン (George Dennison)といった社会評論家達が、教育というものを個人主義、アナキズム、自由意志論といった観点から考察し、慣例化している既存の教育法は若者の見識を型にはめることによって民主主義を堕落させていると非難している。教育革命を起こしたパウロ・フレイレから、アメリカの教育者であるジョナサン・コゾルやハーバート・コール(Herbert Kohl)に至るまで、様々な者が左翼リベラルおよび急進的な政治観点から、西洋の主流教育法を批判した。
現代に見られるオルタナティブ形式[編集]
小学校、中等教育、高等教育[要出典]のどのレベルにおいても色々な形でオルタナティブ教育が存在する。オルタナティブな教育手段は一般公立校における学校選択(学校内における別カリキュラム選択も含む)、オルタナティブ・スクールと呼ばれる学校(公立または私立)への通学、インデペンデント・スクールなど私立校への通学、あるいは在宅教育を中心としたホームスクールの4つに分かれる。この4つは、運営や方法論の特徴によってさらに細かく分けることができる。
学校選択[編集]
理数系チャーター・スクールの生徒
公立学校において選択が可能なものは、まったく別の学校、別のクラス、他とは異なる特別な学習計画、あるいは半独立した形の「学校内に存在するもう一つの学校」などである。公立校の選択権利はコミュニティにおける生徒全員にあるが、不合格や空席待ちとなるケースもある。公立校の選択には、州の財政援助と私営の率先権を混合して創立されたチャーター・スクールと、舞台芸術やテクノロジーなどの特化プログラムを持つマグネット・スクールも含まれる。
オルタナティブ・スクール[編集]
教育用語での「オルタナティブ・スクール」とは、公立や私立にかかわらず、とくに初等・中等教育において、慣例に従ってきた学校に比べて柔軟性のある学習計画をもつ学校を意味する[1]。
イギリス英語圏においては、本来のオルタナティブの意味(従来と異なるという意)のまま、パブリックスクールというエリートのための私立校も含む。イギリスには2003年の時点で約70校のオルタナティブ・スクールが存在している。アメリカのオルタナティブ・スクールには数多くの公立校があるが、イギリスではオルタナティブ・スクールへの公的援助金がないため、私立校で納付金を払うのが普通である[2]。
一方、アメリカでは1970年代にオルタナティブ・スクールが設立されたが[3]、21世紀現在アメリカ英語圏ではマサチューセッツ州の定義にあるように[4]、成績や素行の悪さによる落ちこぼれ、中退の危機にある(at-risk) 児童・生徒・学生(以下 便宜上「生徒」と統一する)のための学校を示すことが多い。特別支援教育校やマグネット・スクールを指す場合もあり、「特別な支援を必要とする子供に別の手を差し伸べる教育」という意味合いを持つ。また、ニューエイジ思想においては「近代教育学を超える新しい啓蒙思想に基づき、子ども達をあるがままに愛する学校」こそがオルタナティブ校だとされる。
庶民のための教育[編集]
庶民のための教育 (popular education) は19世紀の民衆運動、アンドラゴギー(成人に特定した教育)、民衆啓蒙運動から発展した歴史がある[5]。その活動は20世紀を通して続き、スカンジナビア諸国ではフォルケホイスコーレ(Folk High School) [6] [7]、フランスでは民衆大学が生まれた。
インデペンデント・スクール[編集]
詳細は「インデペンデント・スクール」を参照
日本語の独立学校という言葉は「経営独立や障害者の独立のためという独立支援の学校という意味に取られることが多いが、インデペンデント・スクールとは、「(運営方針や財政の面で)独立している学校」を指す。
各自が自由に学習するモンテッソーリの教室
私立校の一種であるインデペンデント・スクールは、自由度が高く、他校に比べて教職員の選択や教育への取り組みに柔軟性がある。最も数の多いタイプは、モンテッソーリ・スクール、ヴァルドルフ・スクール(シュタイナー学校とも言う)、キリスト友会いわゆるクエーカー精神に則った学校(フレンズ・スクール Friends School)、の三種類である。他にも、デモクラティック・スクール (Democratic School)、ドイツ生まれで間もなくイギリスに移ったサマーヒル・スクールやイギリスのサンズ・スクール(Sands School)、アメリカのサドベリー・バレー・スクール、またクリシュナムルティ・スクール、オープン・クラスルーム指導法の学校、体験教育に基づいた学校、国際バカロレア資格やラウンドスクエアなど国際的な基準を持つカリキュラムを持つ学校などがある。大昔からインデペンデント・スクールとみなされてきた教育形態のうち、特にモンテッソーリとシュタイナーは、現在では私立のみならず州立や公立としても存在する。インデペンデント・スクールは最低でも学費の一部をカバーする奨学金制度を設けているところが多い。
ホームスクール[編集]
詳細は「ホームスクーリング」を参照
教育、哲学あるいは宗教的な理由で、一般的な学校とは異なる教育内容を求めて、各家庭の保護者がイニシアチブを持ち自宅をベースにした教育形態(ホームスクール)を選ぶ家庭がある。近隣にオルタナティブ教育機関がない、私立校へ通う金銭的余裕がないといった消極的な理由で選択するケースもある。
ホームスクール形式のうち、カリキュラムを持たず、子どもの興味に基づいて教育に取り組む者達は、自身の教育スタイルをアンスクーリング(ナチュラル・ラーニング)と呼ぶ。一方でホームスクールのカリキュラムやサービスを提供するアンブレラ・スクールに所属する家庭もある。通学して来る生徒以外にホームスクールの生徒を対象にしたプログラムを持ち、アンブレラ・スクールとしての機能する私立校、公立校もある。
21世紀現在のホームスクールは、ホームスクールの一般的なイメージである全課程・全時間を自宅で親子がこなす完全な在宅教育のほかに、親が子どもの教育内容をほぼ完全に掌握し自宅が「教育本部」でこそすれ半分あるいは大部分の時間を戸外の教育機関で過ごすケースも多々ある。そのためホームスクールは実質的には在宅教育と言うよりも自宅ベース教育(Home-based education)と言う方が正確である。
その他[編集]
オルタナティブ教育には境界線がはっきりしない部分がある。たとえば、ホームスクールの家庭の中には、複数家庭や意思を同じくする者達が集まって共同グループ(Co-op)や教育センターを設立し、平日の毎日あるいは週何日かそこへ通う形を取っているが、それでも自身の教育形態をホームスクール(在宅教育)とみなすことが多い。アメリカのいくつかの州では学区がホームスクール向けの学習計画やカウンセラーを用意し、参加する家庭はホームスクールと称す。しかし書類上あるいは財政上ではその学区に入学したとみなされ、学校の教材、資料、施設などを利用することができる。また多くの一般校が、かつてはオルタナティブ教育校だけでしか使われなかった手法を導入しており、オルタナティブ教育と主流な一般教育との境目がますます曖昧になってきている。
脚注[編集]
1.^ Dictionary.com: alternative school(英文)
2.^ Amazon.co.uk Alternative Approaches to Education: A Guide for Parents and Teachers: Introduction P.3(英文)
3.^ "Alternative Schools Adapt," by Fannie Weinstein. The New York Times, June 8, 1986, section A page 14.(英語版記事の参考文献)
4.^ Massachusetts Department of Education: About Alternative Education(英文)
5.^ 国立教育政策研究所 社会教育実践研究センター:社会教育主事講習 生涯学習概論『外国の社会教育の歴史と動向』澤野由紀子
6.^ ノルウェー国公式サイト:教育と研究『ノルウェーのフォルケホイスコーレ』
7.^ 国立特殊教育総合研究所 知的障害教育研究部 平成13年度「生涯学習施策に関する調査研究」報告書 『ノルウェーにおける障害のある人の生涯学習』(pdf)
関連項目[編集]
オルタナテイブ手法[編集]
サドベリー教育
ギフテッド教育
モンテッソーリ教育
シュタイナー教育
ホリスティック教育
オルタナティブの動機[編集]
早期教育
不登校
学校形態[編集]
マグネット・スクール
チャーター・スクール
インデペンデント・スクール
グラマー・スクール
セパレート・スクール
ホームスクール アンブレラ・スクール
アンスクーリング
インターナショナル・スクール
フリースクール
サドベリー・スクール(デモクラティック・スクール)
サポート校
日本オルタナティブスクール協会
ギフテッド教育
ギフテッド教育(ギフテッドきょういく)とは、ギフテッドやタレンテッドと判明した子供の教育に用いられる教育手法、理論、特別手段を指す。本項ではアメリカ合衆国を中心としたギフテッド教育について述べる。
目次 [非表示]
1 概要
2 ギフテッド教育の歴史 2.1 アメリカ合衆国におけるギフテッド教育の歴史
3 ギフテッド教育の方式
4 ギフテッド教育用語
5 ギフテッド教育に関する論争 5.1 ギフテッドの定義
5.2 積極的分離理論
5.3 ギフテッド教育の最適な形
5.4 学校へのインパクト
5.5 ギフテッドの子供へのインパクト
5.6 知能指数への依存
5.7 GATEやTAGという名称
5.8 経済格差
6 脚注
7 関連項目
概要[編集]
ギフテッド教育は、ギフテッドに対応する学習計画である。世界中の様々な学校で行われているが、英語圏では通常 GATE (Gifted and Talented Education) や TAG (Talented and Gifted) という略称が用いられる。クラスは通常より難易度を増したもの、より掘り下げてあるいは進んだ内容を学ぶもの、課外教材を用いた定期的に行われるセミナー形式のものなどがある。ギフテッド教育は生徒自身の興味、保護者の要望、教師の推薦などが考慮される点において、トラッキング(能力・才能・達成度別クラス編成による進路コース設定)やゲート・キーピング(学力試験などで選抜する入学審査)といった機械的、自動的な選抜方式と区別される。しかし集団の中から一定の基準で生徒を選び出すという点ではトラッキングやゲート・キーピングと変わらない。
ギフテッド教育に賛成する者は、ギフテッドやタレンテッドの若者が意欲、認識、知識において標準のカリキュラム以上のレベルにあるため、成績優秀 (Honors)、大学レベル (AP)、国際バカロレア資格といったコースや、エンリッチメント(個別教育)や促進クラスなどに入れて通常より学習進度を速めるのが最適だと考えている。また、教育機関は平均的な一般人の教育改革により力を入れるためギフテッドのニーズに十分応えていないという意見もある。ギフテッド教育も特別支援教育の範疇にあるにもかかわらず、ギフテッドに注がれるべき人材や財源などが反対側の端にいる子供達、つまり障害児の特別支援教育につぎこまれていると主張する者もいる。盛んな障害者権利訴訟の影響で、障害者が享受している様々なサービスは意図しなくとも結果的にギフテッド教育の犠牲の上に立っているのではないかという意見もある。しかし多くの人間は、特殊教育もギフテッド教育も現状以上の人材や財源を必要としており、どの子供も自身の状況と学習意欲に合ったレベルの教育を受けるべきだという点で同意している。障害児もギフテッドも、大多数の標準的な生徒を中心にした現在の教育システムに合わず不満を持っている。
予算が少ない時にしばしばギフテッド教育は廃止されてしまう。理由の一つとして、ギフテッド教育が贅沢だとみなされるためで、多くのコミュニティーでギフテッドの政治的支援が低いままであることを端的に表している。しかしアメリカ合衆国におけるギフテッド教育の歴史を見ると、20世紀半ばより国家政策においてはギフテッドが支援され続けている。
ギフテッド教育の歴史[編集]
ギフテッド・タレンテッド教育の歴史は千年以上遡ることができる。少なくとも中国の唐(618年 - 907年)の時代には、神童が宮廷に召集され特別な教育を受けていた。[1] [2] 西洋で広く知られているのは、ギフテッドの人間に特別教育を与えることを主張したプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)である。[1] [2] ルネサンスの時期には芸術、建築や文学において独創的な才能を見せたものは政府と個人的なパトロン両方から支援をうけていた。[1] [2] [3]
アメリカ合衆国におけるギフテッド教育の歴史[編集]
アメリカ合衆国は、貧富に関係なく必要とする者すべてに特別な教育サービスを与えるべきであるという考えに徐々に近づいている。[1] [2] [4] 19世紀にアメリカ合衆国におけるギフテッド・タレンテッド教育の新しい規定が設けられた。最も初期の段階の一つは、1868年にセントルイス公立学区で設けられた柔軟な進級制度で、1884年にマサチューセッツ州ウバーンで、1886年にニュージャージー州のエリザベス(Elizabeth, New Jersey)で、1891年にマサチューセッツ州のケンブリッジでも導入された。[1] [5] セントルイスの制度は6年のカリキュラムを4年で修了しても良いというものであった。[5] 1920年までに全米主要都市の3分の2でギフテッドのための何らかの教育プログラムができた。[1]
20世紀の間に、ギフテッド・タレンテッド教育は国家の問題となった。1946年にメンサが、1947年にアメリカ・ギフテッド協会が、1959年にナショナル・ギフテッド協会が、そして1959年には非凡な子供のための評議会 (The Council for Exceptional Children) の傘下にギフテッド協会が設立された。1957年のスプートニク・ショックが引き金となって、アメリカ国民は数学や科学分野における優秀な生徒の教育に緊急に取り組むべきだと考えた。翌年1958年に、ソ連との宇宙開発競争に勝つのが主たる理由で、国家防衛のための教育法 (w:en:National Defense Education Act)がアメリカ合衆国議会で可決された。[5]しかし1972年の報告書(マーランド文書) [6]において、議会はギフテッド・タレンテッド教育が未だに不十分であるという懸念を示した。[5] そして1993年にはアメリカ教育省が『国家としての優秀さ:アメリカの才能を育てる』 [7]という報告書を出版した。
2002年の時点では全米で37州のみにギフテッドに何らかの支援を与えるという法律がある。そのうち28州だけがギフテッドの子供一人一人の教育ニーズに合う支援内容でなくてはならないとしている。連邦法にはギフテッド教育に関するものが一つある。1988年にジェイコブ・K・ジャビッツ・ギフテッド・タレンテッド学生教育法 (Jacob K. Javits Gifted & Talented Student Education Act)が制定され、部分的に改定されて1994年の初等・中等教育法 (Elementary and Secondary Education Act)となり、2001年の落ちこぼれ防止法 (No Child Left Behind Act)に加えられている。
ギフテッド教育の方式[編集]
通常ギフテッド教育は以下のカテゴリーのどれかに当てはまる。
別クラス方式ギフテッドは他の子供達とは別のクラスや別の学校に集められて学ぶ。このような学級を「ギフテッド集合学級」ともいう。モンテッソーリ教育方式モンテッソーリ形式のクラスは3つの年齢グループが混ざっており、自分と同い年の子供達に混じったままで学習進度を上げる機会が与えられる。モンテッソーリは非常に自由な学習環境を与えるため、早ければ平均の倍のスピードで学ぶギフテッドの子供に適している。促進方式生徒達は自分の能力に合った高いレベルのクラスに進める。いくつかの大学は飛び入学を認めており、ギフテッドの子供が弱年で大学で学ぶ機会が与えられている。この方式は、ギフテッドの子供が学力に釣り合った内容を学習できる一方、社会的に疎外される恐れがある。取り出し指導方式生徒は一定の時間をギフテッドの学級で学び、残りの時間は同級生と同じクラスで学ぶ。エンリッチメント方式生徒は全学習時間を同級生とすごすが、知的挑戦になるような特別の課題を与えられる。ホームスクール方式数多くの教育オプションが含まれる。パート・タイムで学校に通ったり、常時家庭で学習する方式。そのクラス内容・グループ構成・学習指導者や家庭教師には様々なオプションがある。また学校に通わず、家庭の学習にも教育指導ガイドラインを一切用いず、子供自身の興味・必要・目標に応じて自分で学ばせるアンスクーリングも含まれる。アメリカ合衆国では、ホームスクール方式を受けるギフテッドの子供が急増している。これは予算削減と標準化を念頭に置いた教育方針という二つの理由から学区の多くがギフテッド教育を削る傾向にあり、ギフテッド個人個人に対応できる個別学習法を模索する家族が増えたためと見られる。サマー・スクール方式夏休みの間にギフテッドの子供を対象にした集中講義やキャンプが行われる。1979年にジョンズ・ホプキンス大学で設立され、2007年現在ではイギリス、アイルランド、バミューダ、スペイン、タイ、中国、メキシコに支部があるCTY(Center for Talented Youth、タレンテッド児童のためのセンター)のサマー・スクールが有名である。[8]課外活動放課後の課外活動や趣味としてチェスのような知的ゲームが好まれる。
ギフテッド教育用語[編集]
ギフテッド教育において頻繁に用いられる用語には以下のようなものがある。[9]
分化 (Differentiation)ギフテッドの子供個人の必要に合わせてカリキュラムを変更すること。学習内容を変えたり、教材のレベルを上げることも含む。情動カリキュラム (Affective Curriculum)ギフテッドの子供に感情、自尊心、ソーシャル・スキルなどを教えるために作られたカリキュラム。異種混合グループ (Heterogeneous Grouping)異なるレベルの子供達が同じ教室で共に学べるようにした形式。同一グループ (Homogenous Grouping)特定の能力、興味、科目によって生徒をグループごとに分ける形式。個別教育計画 (IEP, Individualized Education Plan)IEPとはアメリカ合衆国の特別支援教育において生徒一人一人のために作成された個別の教育指導計画書。障害児の場合は、法律によって作成が義務づけられている。必要とする設備、教材や教室での指導などを含めて、その個人が必要とする点が挙げられた書類を指すが、ほとんどの州でギフテッドという理由だけではIEPの作成を必要としていない。ギフテッドの生徒でなおかつ学習障害や注意欠陥である場合にはIEPが作成されることがあり、退屈や欲求不満を緩和するため、好ましい学習態度を強化させるためにエンリッチメントの課題を与えるといった項目が織り込まれている。つまりギフテッドの子供のIEPが作成されるには、通常の教育では物足りないというだけでなく、その他に感情障害や学習障害を持っているという診断が下されなければならない。
ギフテッド教育に関する論争[編集]
ギフテッド教育に対する論争や批判がいくつか見られる。その代表は以下のようなものである。
ギフテッドの定義[編集]
教育機関の間でもギフテッドの定義は異なる。同じタイプの知能検査を使う場合でもギフテッドが何を意味するか、例えば上位2%とするか5%とするかなど意見の相違をみる。人間には数種類の知性があるという多重知性理論 (MI Multiple Intelligence)を導入すると、従来の知能指数という指標一つでは測ることができず、伝統的な知能検査を基本にするギフテッドの定義を変えてしまうことになる。
アメリカ合衆国教育省が1993年に発表したギフテッド・タレンテッド教育方針書[7]における定義が一般的な基準の一つとなっており、多くの州でも採用されている考え方であるが以下の三点で共通している。
1.能力を発揮するのは学業に限らず多様な分野である。(例:知性、独創性、芸術性、リーダーシップ、学業)
2.他のグループとの比較に基づく。(例:通常の学級内、同じ年齢、経験、環境に育ったグループとの比較)
3.能力を伸ばす支援が必要であることを示唆する言葉が使用されている。(例:伸びる素質、将来性、可能性)
積極的分離理論[編集]
1990年代頃からギフテッドの間で多く語られているのが過度激動 (OE, Overexcitablity)である。ドンブロフスキの人格形成理論である積極的分離理論(Positive Disintegration)の一部を成している。知性面だけを取り上げて、ギフテッドは単純に学力やIQテストによって測定できる量的な違いではなく、ギフテッドが世界を知覚するのに一般人とは根本的な違いがあり、その違いが本人の人生経験すべてに影響しているという考えである。積極的分離理論はギフテッド教育をはじめ、心理療法、人格理論、人間の哲学などに応用されている。
ギフテッド教育の最適な形[編集]
ギフテッド教育において最も真剣に論じられている項目の一つである。ギフテッド教育の人材や教材が不足していたり柔軟性に欠けていると考える者は、通常の一般的な指導方法の代わりにギフテッド教育を受けた子供は「普通の」学校や子供時代を体験し損ねてしまうという考えを持っている。その一方で、ギフテッド教育は、ギフテッドの子供が同レベルの級友と対話し、適度に難しい問題にチャレンジすることを可能にするため、将来人生の難題にぶつかった時にはギフテッド教育を受けなかったケースよりも心構えがしっかりできているという意見がある。
学校へのインパクト[編集]
シラキュース大学のセイポン・シェビン教授は、教育面でトリアージが行われていると主張する。[10]これはギフテッド教育が学校の持つ人材や財源を吸い取ってしまい、他の生徒に渡るべき人的資源や経済的資源が減ってしまうという考えである。しかし彼女の研究は一般的な学校ではなくギフテッドに資源が集中している学校を対象に行われたという指摘もある。
ギフテッド教育は、ギフテッドの生徒が仲間はずれにされるという問題を生み出す。同じ学校内にギフテッドと別のプログラムがある場合、平均より頭が良いという事実がいじめっ子を不快にさせ、ギフテッドをいじめの対象にするという問題が起こる [11] このようなギフテッドの生徒に対する差別は、当然生徒に悪影響を及ぼす。一方で、高知能であることをからかわれても、ギフテッドの子供は同等に扱ってくれる友達を見つけ、いじめっ子に日常生活を邪魔させたりはしないと考える者もいる。
西洋は個人の生来の能力差が受け入れられやすい風土であるが(日本にギフテッドが浸透しない理由を参照)、1990年代より能力別進路指導を廃止するデトラッキング (Detracking)という考えが広まりだした。日本の習熟度別学習と同じく、クラス分けによる差別感が生まれるという批判に加えて、友人関係に亀裂が入る、自尊心を傷つける、下位グループの生徒達は学習意欲が減退するといった批判から生まれたものである。[12]また同じようなレベルや興味を持った人間を集めたクラスでは意見の多様性がなくなるため、異種混合グループが好ましいという意見がある。
ギフテッドの子供へのインパクト[編集]
ギフテッドは学業面で有利だと見られているが、心理面においては社会的な問題を持っている。特にギフテッドの子供はプレッシャーがあって他の生徒達に溶け込もうとまわりの人間の「レベルまで下がっているふり」をしたがる。このような行動を教育者は阻止し、自分の限界に挑戦するだけでなく自分の才能を受け入れることも大切だと教えている。「レベルまで下がっているふり」は女子が頻繁に取る行動である。男子は常に全問正解でクラスより先を進み、新しいことを求めるなどして注目を集め、クラスの秩序を乱しがちで、しばしばADHDと間違われることがある。
知能指数への依存[編集]
チャールズ・スピアマンの提唱したg因子(一般能力)の存在に懐疑的で知能検査の結果を重要視せず、ゆえにギフテッドという概念も意味がないと考える者がいる。最も有名な例としてスティーヴン・ジェイ・グールド著の『人間の測りまちがい - 差別の科学史』(ISBN 978-4309251073)が挙げられる。
スーザン・K・ジョンセンは自著[13]の中で、学校はギフテッドの能力や可能性の診断に異なった様々な測定法を用いるべきだと主張している。例えば過去の作品集、教室の様子を見学、達成度の計り方、知能点数などが含まれる。大部分の教育専門家は一つの手段だけで正確にギフテッドの判断を下すことはできないと考えている。
たとえ知能検査が好ましい診断基準だとしても、ギフテッドとみなす基準点をどこにするかという問題が残っている。
GATEやTAGという名称[編集]
ギフテッド・アンド・タレンテッド教育(GATEやTAG)という名称は、その教育プログラムを受けていない人間は才能がないということをほのめかしていると反対するものがいる。意味のある批判かどうかはさて置き、ギフテッド教育を受けていない者は才能があるのか、ないのかというのが論争点である。
経済格差[編集]
他の生徒同様、ホームスクールやギフテッド専門の私立校といった選択ができるのは経済的に恵まれた一部のギフテッドだけである。ギフテッドの中にも学習面や心理面において自分に最適の教育が受けられる者と、特別な支援を受けられない者という経済格差が生まれる。
脚注[編集]
1.^ a b c d e f Colangelo, N., & Davis, G. (1997). Handbook of gifted education (2nd ed.). New York: Allyn and Bacon. 英語版の出典
2.^ a b c d Davis, G., & Rimm, S. (1989). Education of the gifted and talented (2nd ed.). Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.英語版の出典
3.^ Hansen, J., & Hoover, S. (1994). Talent development: Theories and practice. Dubuque, IA: Kendall Hunt.英語版の出典
4.^ Newland, T. (1976). The gifted in historical perspective. Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.英語版の出典
5.^ a b c d Piirto, J. (1999). Talented adults and children: Their development and education (2nd ed.). Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.
6.^ Marland, S. P., Jr. (1972). Education of the gifted and talented: Report to the Congress of the United States by the U.S. Commissioner of Education and background papers submitted to the U.S. Office of Education, 2 vols. Washington, DC: U.S. Government Printing Office. (Government Documents Y4.L 11/2: G36)英語版の出典
7.^ a b National Excellence: A Case for Developing America's Talent
8.^ w:en:Center for Talented Youth 2007年2月23日17:13版
9.^ National Association for Gifted Children
10.^ Sapon-Shevin, M. (1994). Playing Favorites: Gifted Education and the Disruption of Community. Albany: State University of New York.英語版の出典先
11.^ Purdue University Study: Gifted children especially vulnerable to effects of bullying
12.^ アメリカにおける能力別グループ指導
13.^ Identifying Gifted Children: A Practical Guide(ISBN-13: 978-1593630034)
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目次 [非表示]
1 概要
2 ギフテッド教育の歴史 2.1 アメリカ合衆国におけるギフテッド教育の歴史
3 ギフテッド教育の方式
4 ギフテッド教育用語
5 ギフテッド教育に関する論争 5.1 ギフテッドの定義
5.2 積極的分離理論
5.3 ギフテッド教育の最適な形
5.4 学校へのインパクト
5.5 ギフテッドの子供へのインパクト
5.6 知能指数への依存
5.7 GATEやTAGという名称
5.8 経済格差
6 脚注
7 関連項目
概要[編集]
ギフテッド教育は、ギフテッドに対応する学習計画である。世界中の様々な学校で行われているが、英語圏では通常 GATE (Gifted and Talented Education) や TAG (Talented and Gifted) という略称が用いられる。クラスは通常より難易度を増したもの、より掘り下げてあるいは進んだ内容を学ぶもの、課外教材を用いた定期的に行われるセミナー形式のものなどがある。ギフテッド教育は生徒自身の興味、保護者の要望、教師の推薦などが考慮される点において、トラッキング(能力・才能・達成度別クラス編成による進路コース設定)やゲート・キーピング(学力試験などで選抜する入学審査)といった機械的、自動的な選抜方式と区別される。しかし集団の中から一定の基準で生徒を選び出すという点ではトラッキングやゲート・キーピングと変わらない。
ギフテッド教育に賛成する者は、ギフテッドやタレンテッドの若者が意欲、認識、知識において標準のカリキュラム以上のレベルにあるため、成績優秀 (Honors)、大学レベル (AP)、国際バカロレア資格といったコースや、エンリッチメント(個別教育)や促進クラスなどに入れて通常より学習進度を速めるのが最適だと考えている。また、教育機関は平均的な一般人の教育改革により力を入れるためギフテッドのニーズに十分応えていないという意見もある。ギフテッド教育も特別支援教育の範疇にあるにもかかわらず、ギフテッドに注がれるべき人材や財源などが反対側の端にいる子供達、つまり障害児の特別支援教育につぎこまれていると主張する者もいる。盛んな障害者権利訴訟の影響で、障害者が享受している様々なサービスは意図しなくとも結果的にギフテッド教育の犠牲の上に立っているのではないかという意見もある。しかし多くの人間は、特殊教育もギフテッド教育も現状以上の人材や財源を必要としており、どの子供も自身の状況と学習意欲に合ったレベルの教育を受けるべきだという点で同意している。障害児もギフテッドも、大多数の標準的な生徒を中心にした現在の教育システムに合わず不満を持っている。
予算が少ない時にしばしばギフテッド教育は廃止されてしまう。理由の一つとして、ギフテッド教育が贅沢だとみなされるためで、多くのコミュニティーでギフテッドの政治的支援が低いままであることを端的に表している。しかしアメリカ合衆国におけるギフテッド教育の歴史を見ると、20世紀半ばより国家政策においてはギフテッドが支援され続けている。
ギフテッド教育の歴史[編集]
ギフテッド・タレンテッド教育の歴史は千年以上遡ることができる。少なくとも中国の唐(618年 - 907年)の時代には、神童が宮廷に召集され特別な教育を受けていた。[1] [2] 西洋で広く知られているのは、ギフテッドの人間に特別教育を与えることを主張したプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)である。[1] [2] ルネサンスの時期には芸術、建築や文学において独創的な才能を見せたものは政府と個人的なパトロン両方から支援をうけていた。[1] [2] [3]
アメリカ合衆国におけるギフテッド教育の歴史[編集]
アメリカ合衆国は、貧富に関係なく必要とする者すべてに特別な教育サービスを与えるべきであるという考えに徐々に近づいている。[1] [2] [4] 19世紀にアメリカ合衆国におけるギフテッド・タレンテッド教育の新しい規定が設けられた。最も初期の段階の一つは、1868年にセントルイス公立学区で設けられた柔軟な進級制度で、1884年にマサチューセッツ州ウバーンで、1886年にニュージャージー州のエリザベス(Elizabeth, New Jersey)で、1891年にマサチューセッツ州のケンブリッジでも導入された。[1] [5] セントルイスの制度は6年のカリキュラムを4年で修了しても良いというものであった。[5] 1920年までに全米主要都市の3分の2でギフテッドのための何らかの教育プログラムができた。[1]
20世紀の間に、ギフテッド・タレンテッド教育は国家の問題となった。1946年にメンサが、1947年にアメリカ・ギフテッド協会が、1959年にナショナル・ギフテッド協会が、そして1959年には非凡な子供のための評議会 (The Council for Exceptional Children) の傘下にギフテッド協会が設立された。1957年のスプートニク・ショックが引き金となって、アメリカ国民は数学や科学分野における優秀な生徒の教育に緊急に取り組むべきだと考えた。翌年1958年に、ソ連との宇宙開発競争に勝つのが主たる理由で、国家防衛のための教育法 (w:en:National Defense Education Act)がアメリカ合衆国議会で可決された。[5]しかし1972年の報告書(マーランド文書) [6]において、議会はギフテッド・タレンテッド教育が未だに不十分であるという懸念を示した。[5] そして1993年にはアメリカ教育省が『国家としての優秀さ:アメリカの才能を育てる』 [7]という報告書を出版した。
2002年の時点では全米で37州のみにギフテッドに何らかの支援を与えるという法律がある。そのうち28州だけがギフテッドの子供一人一人の教育ニーズに合う支援内容でなくてはならないとしている。連邦法にはギフテッド教育に関するものが一つある。1988年にジェイコブ・K・ジャビッツ・ギフテッド・タレンテッド学生教育法 (Jacob K. Javits Gifted & Talented Student Education Act)が制定され、部分的に改定されて1994年の初等・中等教育法 (Elementary and Secondary Education Act)となり、2001年の落ちこぼれ防止法 (No Child Left Behind Act)に加えられている。
ギフテッド教育の方式[編集]
通常ギフテッド教育は以下のカテゴリーのどれかに当てはまる。
別クラス方式ギフテッドは他の子供達とは別のクラスや別の学校に集められて学ぶ。このような学級を「ギフテッド集合学級」ともいう。モンテッソーリ教育方式モンテッソーリ形式のクラスは3つの年齢グループが混ざっており、自分と同い年の子供達に混じったままで学習進度を上げる機会が与えられる。モンテッソーリは非常に自由な学習環境を与えるため、早ければ平均の倍のスピードで学ぶギフテッドの子供に適している。促進方式生徒達は自分の能力に合った高いレベルのクラスに進める。いくつかの大学は飛び入学を認めており、ギフテッドの子供が弱年で大学で学ぶ機会が与えられている。この方式は、ギフテッドの子供が学力に釣り合った内容を学習できる一方、社会的に疎外される恐れがある。取り出し指導方式生徒は一定の時間をギフテッドの学級で学び、残りの時間は同級生と同じクラスで学ぶ。エンリッチメント方式生徒は全学習時間を同級生とすごすが、知的挑戦になるような特別の課題を与えられる。ホームスクール方式数多くの教育オプションが含まれる。パート・タイムで学校に通ったり、常時家庭で学習する方式。そのクラス内容・グループ構成・学習指導者や家庭教師には様々なオプションがある。また学校に通わず、家庭の学習にも教育指導ガイドラインを一切用いず、子供自身の興味・必要・目標に応じて自分で学ばせるアンスクーリングも含まれる。アメリカ合衆国では、ホームスクール方式を受けるギフテッドの子供が急増している。これは予算削減と標準化を念頭に置いた教育方針という二つの理由から学区の多くがギフテッド教育を削る傾向にあり、ギフテッド個人個人に対応できる個別学習法を模索する家族が増えたためと見られる。サマー・スクール方式夏休みの間にギフテッドの子供を対象にした集中講義やキャンプが行われる。1979年にジョンズ・ホプキンス大学で設立され、2007年現在ではイギリス、アイルランド、バミューダ、スペイン、タイ、中国、メキシコに支部があるCTY(Center for Talented Youth、タレンテッド児童のためのセンター)のサマー・スクールが有名である。[8]課外活動放課後の課外活動や趣味としてチェスのような知的ゲームが好まれる。
ギフテッド教育用語[編集]
ギフテッド教育において頻繁に用いられる用語には以下のようなものがある。[9]
分化 (Differentiation)ギフテッドの子供個人の必要に合わせてカリキュラムを変更すること。学習内容を変えたり、教材のレベルを上げることも含む。情動カリキュラム (Affective Curriculum)ギフテッドの子供に感情、自尊心、ソーシャル・スキルなどを教えるために作られたカリキュラム。異種混合グループ (Heterogeneous Grouping)異なるレベルの子供達が同じ教室で共に学べるようにした形式。同一グループ (Homogenous Grouping)特定の能力、興味、科目によって生徒をグループごとに分ける形式。個別教育計画 (IEP, Individualized Education Plan)IEPとはアメリカ合衆国の特別支援教育において生徒一人一人のために作成された個別の教育指導計画書。障害児の場合は、法律によって作成が義務づけられている。必要とする設備、教材や教室での指導などを含めて、その個人が必要とする点が挙げられた書類を指すが、ほとんどの州でギフテッドという理由だけではIEPの作成を必要としていない。ギフテッドの生徒でなおかつ学習障害や注意欠陥である場合にはIEPが作成されることがあり、退屈や欲求不満を緩和するため、好ましい学習態度を強化させるためにエンリッチメントの課題を与えるといった項目が織り込まれている。つまりギフテッドの子供のIEPが作成されるには、通常の教育では物足りないというだけでなく、その他に感情障害や学習障害を持っているという診断が下されなければならない。
ギフテッド教育に関する論争[編集]
ギフテッド教育に対する論争や批判がいくつか見られる。その代表は以下のようなものである。
ギフテッドの定義[編集]
教育機関の間でもギフテッドの定義は異なる。同じタイプの知能検査を使う場合でもギフテッドが何を意味するか、例えば上位2%とするか5%とするかなど意見の相違をみる。人間には数種類の知性があるという多重知性理論 (MI Multiple Intelligence)を導入すると、従来の知能指数という指標一つでは測ることができず、伝統的な知能検査を基本にするギフテッドの定義を変えてしまうことになる。
アメリカ合衆国教育省が1993年に発表したギフテッド・タレンテッド教育方針書[7]における定義が一般的な基準の一つとなっており、多くの州でも採用されている考え方であるが以下の三点で共通している。
1.能力を発揮するのは学業に限らず多様な分野である。(例:知性、独創性、芸術性、リーダーシップ、学業)
2.他のグループとの比較に基づく。(例:通常の学級内、同じ年齢、経験、環境に育ったグループとの比較)
3.能力を伸ばす支援が必要であることを示唆する言葉が使用されている。(例:伸びる素質、将来性、可能性)
積極的分離理論[編集]
1990年代頃からギフテッドの間で多く語られているのが過度激動 (OE, Overexcitablity)である。ドンブロフスキの人格形成理論である積極的分離理論(Positive Disintegration)の一部を成している。知性面だけを取り上げて、ギフテッドは単純に学力やIQテストによって測定できる量的な違いではなく、ギフテッドが世界を知覚するのに一般人とは根本的な違いがあり、その違いが本人の人生経験すべてに影響しているという考えである。積極的分離理論はギフテッド教育をはじめ、心理療法、人格理論、人間の哲学などに応用されている。
ギフテッド教育の最適な形[編集]
ギフテッド教育において最も真剣に論じられている項目の一つである。ギフテッド教育の人材や教材が不足していたり柔軟性に欠けていると考える者は、通常の一般的な指導方法の代わりにギフテッド教育を受けた子供は「普通の」学校や子供時代を体験し損ねてしまうという考えを持っている。その一方で、ギフテッド教育は、ギフテッドの子供が同レベルの級友と対話し、適度に難しい問題にチャレンジすることを可能にするため、将来人生の難題にぶつかった時にはギフテッド教育を受けなかったケースよりも心構えがしっかりできているという意見がある。
学校へのインパクト[編集]
シラキュース大学のセイポン・シェビン教授は、教育面でトリアージが行われていると主張する。[10]これはギフテッド教育が学校の持つ人材や財源を吸い取ってしまい、他の生徒に渡るべき人的資源や経済的資源が減ってしまうという考えである。しかし彼女の研究は一般的な学校ではなくギフテッドに資源が集中している学校を対象に行われたという指摘もある。
ギフテッド教育は、ギフテッドの生徒が仲間はずれにされるという問題を生み出す。同じ学校内にギフテッドと別のプログラムがある場合、平均より頭が良いという事実がいじめっ子を不快にさせ、ギフテッドをいじめの対象にするという問題が起こる [11] このようなギフテッドの生徒に対する差別は、当然生徒に悪影響を及ぼす。一方で、高知能であることをからかわれても、ギフテッドの子供は同等に扱ってくれる友達を見つけ、いじめっ子に日常生活を邪魔させたりはしないと考える者もいる。
西洋は個人の生来の能力差が受け入れられやすい風土であるが(日本にギフテッドが浸透しない理由を参照)、1990年代より能力別進路指導を廃止するデトラッキング (Detracking)という考えが広まりだした。日本の習熟度別学習と同じく、クラス分けによる差別感が生まれるという批判に加えて、友人関係に亀裂が入る、自尊心を傷つける、下位グループの生徒達は学習意欲が減退するといった批判から生まれたものである。[12]また同じようなレベルや興味を持った人間を集めたクラスでは意見の多様性がなくなるため、異種混合グループが好ましいという意見がある。
ギフテッドの子供へのインパクト[編集]
ギフテッドは学業面で有利だと見られているが、心理面においては社会的な問題を持っている。特にギフテッドの子供はプレッシャーがあって他の生徒達に溶け込もうとまわりの人間の「レベルまで下がっているふり」をしたがる。このような行動を教育者は阻止し、自分の限界に挑戦するだけでなく自分の才能を受け入れることも大切だと教えている。「レベルまで下がっているふり」は女子が頻繁に取る行動である。男子は常に全問正解でクラスより先を進み、新しいことを求めるなどして注目を集め、クラスの秩序を乱しがちで、しばしばADHDと間違われることがある。
知能指数への依存[編集]
チャールズ・スピアマンの提唱したg因子(一般能力)の存在に懐疑的で知能検査の結果を重要視せず、ゆえにギフテッドという概念も意味がないと考える者がいる。最も有名な例としてスティーヴン・ジェイ・グールド著の『人間の測りまちがい - 差別の科学史』(ISBN 978-4309251073)が挙げられる。
スーザン・K・ジョンセンは自著[13]の中で、学校はギフテッドの能力や可能性の診断に異なった様々な測定法を用いるべきだと主張している。例えば過去の作品集、教室の様子を見学、達成度の計り方、知能点数などが含まれる。大部分の教育専門家は一つの手段だけで正確にギフテッドの判断を下すことはできないと考えている。
たとえ知能検査が好ましい診断基準だとしても、ギフテッドとみなす基準点をどこにするかという問題が残っている。
GATEやTAGという名称[編集]
ギフテッド・アンド・タレンテッド教育(GATEやTAG)という名称は、その教育プログラムを受けていない人間は才能がないということをほのめかしていると反対するものがいる。意味のある批判かどうかはさて置き、ギフテッド教育を受けていない者は才能があるのか、ないのかというのが論争点である。
経済格差[編集]
他の生徒同様、ホームスクールやギフテッド専門の私立校といった選択ができるのは経済的に恵まれた一部のギフテッドだけである。ギフテッドの中にも学習面や心理面において自分に最適の教育が受けられる者と、特別な支援を受けられない者という経済格差が生まれる。
脚注[編集]
1.^ a b c d e f Colangelo, N., & Davis, G. (1997). Handbook of gifted education (2nd ed.). New York: Allyn and Bacon. 英語版の出典
2.^ a b c d Davis, G., & Rimm, S. (1989). Education of the gifted and talented (2nd ed.). Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.英語版の出典
3.^ Hansen, J., & Hoover, S. (1994). Talent development: Theories and practice. Dubuque, IA: Kendall Hunt.英語版の出典
4.^ Newland, T. (1976). The gifted in historical perspective. Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.英語版の出典
5.^ a b c d Piirto, J. (1999). Talented adults and children: Their development and education (2nd ed.). Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.
6.^ Marland, S. P., Jr. (1972). Education of the gifted and talented: Report to the Congress of the United States by the U.S. Commissioner of Education and background papers submitted to the U.S. Office of Education, 2 vols. Washington, DC: U.S. Government Printing Office. (Government Documents Y4.L 11/2: G36)英語版の出典
7.^ a b National Excellence: A Case for Developing America's Talent
8.^ w:en:Center for Talented Youth 2007年2月23日17:13版
9.^ National Association for Gifted Children
10.^ Sapon-Shevin, M. (1994). Playing Favorites: Gifted Education and the Disruption of Community. Albany: State University of New York.英語版の出典先
11.^ Purdue University Study: Gifted children especially vulnerable to effects of bullying
12.^ アメリカにおける能力別グループ指導
13.^ Identifying Gifted Children: A Practical Guide(ISBN-13: 978-1593630034)
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英才教育
早期教育 - 年齢にとらわれず、就学前教育・早期就学・飛び級・早期修了など、先取り学習で学力を身に付けること。
エリート教育 - 一流といわれる大学・大学院卒業をゴールとした教育指針。またはトップ・アスリートになるための訓練。目標達成(特定の大会で優勝する、特定の職業に就く、特定のライフスタイルを獲得するなど)のためにその道の専門家について集中的に教育・訓練を受けること。幼小の頃から訓練を受けることが多いため「早期英才教育」と呼ばれることもある。
ギフテッド教育 - ギフテッドと診断された子どもの教育に用いられる教育手法、理論、特別手段。欧米では、障害などのために生活・学習上の特別な支援を必要とする者に対する教育である特別支援教育と同じ、特殊教育の範疇に置かれることが多い。
エリート教育 - 一流といわれる大学・大学院卒業をゴールとした教育指針。またはトップ・アスリートになるための訓練。目標達成(特定の大会で優勝する、特定の職業に就く、特定のライフスタイルを獲得するなど)のためにその道の専門家について集中的に教育・訓練を受けること。幼小の頃から訓練を受けることが多いため「早期英才教育」と呼ばれることもある。
ギフテッド教育 - ギフテッドと診断された子どもの教育に用いられる教育手法、理論、特別手段。欧米では、障害などのために生活・学習上の特別な支援を必要とする者に対する教育である特別支援教育と同じ、特殊教育の範疇に置かれることが多い。
スパルタ教育
スパルタ教育(スパルタきょういく)は、古代ギリシアのポリス・スパルタで行われていたとされる教育方法。
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1 定義・特徴
2 概要
3 現代日本における転用
4 参考作品
5 脚注
6 関連項目
定義・特徴[編集]
極めて厳格かつ過酷な訓練を施すことが特徴である。自己が帰属する組織への忠誠心の涵養や、軍事訓練、歌唱、舞踊、狩猟など総合的な社会学習を主眼とする。[1] 英語名の「Agoge」は古代ギリシア語に由来する。「Agoge」はギリシア語では様々な意味を持ち、その中には「押収」「誘拐」といったものも含まれるが、文献の文脈から判断すると「指導」「訓練」と解釈するのが正しいとされる。[2]
概要[編集]
スパルタでは、子供は国の財産として珍重されていた。同国の子供は7歳になると厳しい軍事訓練を課せられ、その過程で体に障害を生じた子供等を殺害していき、残ったものだけを市民として育てた。アテナイの、自由で芸術や弁論を尊重した教育の対極にある。
実際の教育についての資料は、プルタルコスの『英雄伝』(対比列伝)のリュクルゴス(Lycurgus)の項にある。彼による教育改革が、いわゆるスパルタ教育である。
そこではまず、親は自分の子供を自由に育てる権利を持っていなかった。「子供は都市国家スパルタのもの」とされ、生まれた子供はすぐに長老の元に連れて行かれた。そこで「健康でしっかりした子」と判定されれば、育てる事が許される。病身でひ弱な子供は「生きていても国の為にならない」として、ターユゲトンのもとにあるアポテタイの淵に投げ捨てられた。
また、7歳になった子供たちは軍隊の駐屯地に集められ、いくつかの組に分けられ、同じ規律の下、生活と学習も一緒に行われた。そこでの規律は「命令服従すること」「試験に耐え、闘ったら必ず勝つこと」などで、頭は丸刈りにされ、下着姿に裸足で訓練を行った。12歳になると、下着はなくなり全裸となり、沐浴も禁止された。また、上官による体罰 も全裸で行われた。
また、意図的に十分な食事を与えず、大人の食事や畑の作物を盗ませるようにした。これは、盗みによって兵士の能力としての大胆さや狡猾さを身に付けさせるためであったとされる。しかし、盗みに失敗すると全裸のまま鞭打ちにされた。また、祭りではみな裸で踊らされた。
教育は成人するまで続き、町でも駐屯地にいるのと同じ生活を求められ、公人として国に仕えているという自覚を常に求められた。20歳になると部下を持ち、戦争の時は指揮し、家では彼らを召使いにした。
女性も「強い子供を産める母体の育成」のために幼少期から厳しい体育訓練を受けていた。また、他のポリスと比べて女性の権利や地位はある程度認められていたといわれる。
その教育の結果の一つとして、男性には強い子供が産めそうな女性、女性には戦争に出ても生きて帰って来そうな男性が魅力的と見なされる傾向が強く、成人後に結婚相手を選ぶ際、魅力的な女性を複数の男性が取り合うことや、これほど頻繁には起こらなかったが、逆に魅力的な男性を複数の女性が取り合うことなどもあったらしい。
現代日本における転用[編集]
上記のような歴史的事実から転用され、現代日本では厳しい教育一般について、比喩として「スパルタ教育」と呼ばれることがある。
[icon] この節の加筆が望まれています。
参考作品[編集]
『スパルタ教育』(カッパブックス、光文社 1969年(昭和44年)) - 作家の石原慎太郎が書いた教育論。スパルタ教育を奨励している。
脚注[編集]
1.^ Hodkinson, Stephen (1996). “Agoge”. In Hornblower, Simon. Oxford Classical Dictionary. Oxford: Oxford University Press
2.^ Liddell, Henry; Robert Scott (1996). A Greek-English Lexicon. Oxford: Oxford University Press. pp. 18. ISBN 0-19-864226-1.
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1 定義・特徴
2 概要
3 現代日本における転用
4 参考作品
5 脚注
6 関連項目
定義・特徴[編集]
極めて厳格かつ過酷な訓練を施すことが特徴である。自己が帰属する組織への忠誠心の涵養や、軍事訓練、歌唱、舞踊、狩猟など総合的な社会学習を主眼とする。[1] 英語名の「Agoge」は古代ギリシア語に由来する。「Agoge」はギリシア語では様々な意味を持ち、その中には「押収」「誘拐」といったものも含まれるが、文献の文脈から判断すると「指導」「訓練」と解釈するのが正しいとされる。[2]
概要[編集]
スパルタでは、子供は国の財産として珍重されていた。同国の子供は7歳になると厳しい軍事訓練を課せられ、その過程で体に障害を生じた子供等を殺害していき、残ったものだけを市民として育てた。アテナイの、自由で芸術や弁論を尊重した教育の対極にある。
実際の教育についての資料は、プルタルコスの『英雄伝』(対比列伝)のリュクルゴス(Lycurgus)の項にある。彼による教育改革が、いわゆるスパルタ教育である。
そこではまず、親は自分の子供を自由に育てる権利を持っていなかった。「子供は都市国家スパルタのもの」とされ、生まれた子供はすぐに長老の元に連れて行かれた。そこで「健康でしっかりした子」と判定されれば、育てる事が許される。病身でひ弱な子供は「生きていても国の為にならない」として、ターユゲトンのもとにあるアポテタイの淵に投げ捨てられた。
また、7歳になった子供たちは軍隊の駐屯地に集められ、いくつかの組に分けられ、同じ規律の下、生活と学習も一緒に行われた。そこでの規律は「命令服従すること」「試験に耐え、闘ったら必ず勝つこと」などで、頭は丸刈りにされ、下着姿に裸足で訓練を行った。12歳になると、下着はなくなり全裸となり、沐浴も禁止された。また、上官による体罰 も全裸で行われた。
また、意図的に十分な食事を与えず、大人の食事や畑の作物を盗ませるようにした。これは、盗みによって兵士の能力としての大胆さや狡猾さを身に付けさせるためであったとされる。しかし、盗みに失敗すると全裸のまま鞭打ちにされた。また、祭りではみな裸で踊らされた。
教育は成人するまで続き、町でも駐屯地にいるのと同じ生活を求められ、公人として国に仕えているという自覚を常に求められた。20歳になると部下を持ち、戦争の時は指揮し、家では彼らを召使いにした。
女性も「強い子供を産める母体の育成」のために幼少期から厳しい体育訓練を受けていた。また、他のポリスと比べて女性の権利や地位はある程度認められていたといわれる。
その教育の結果の一つとして、男性には強い子供が産めそうな女性、女性には戦争に出ても生きて帰って来そうな男性が魅力的と見なされる傾向が強く、成人後に結婚相手を選ぶ際、魅力的な女性を複数の男性が取り合うことや、これほど頻繁には起こらなかったが、逆に魅力的な男性を複数の女性が取り合うことなどもあったらしい。
現代日本における転用[編集]
上記のような歴史的事実から転用され、現代日本では厳しい教育一般について、比喩として「スパルタ教育」と呼ばれることがある。
[icon] この節の加筆が望まれています。
参考作品[編集]
『スパルタ教育』(カッパブックス、光文社 1969年(昭和44年)) - 作家の石原慎太郎が書いた教育論。スパルタ教育を奨励している。
脚注[編集]
1.^ Hodkinson, Stephen (1996). “Agoge”. In Hornblower, Simon. Oxford Classical Dictionary. Oxford: Oxford University Press
2.^ Liddell, Henry; Robert Scott (1996). A Greek-English Lexicon. Oxford: Oxford University Press. pp. 18. ISBN 0-19-864226-1.
詰め込み教育
詰め込み教育(つめこみきょういく)とは、機械暗記による知識量の増大に比重を置く、あるいは知識の増大を目指す教育方法のこと。
多量の勉強による基礎学力の早期習得を目指す教育や、短期間にできるだけ多くの事柄の学習を目指す教育のことを指す場合もある(後者の場合、知識の増大に比重を置いたり、目標とするとは限らない)。単に学習カリキュラムの内容の増減(や変化)の観点からのみ、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」が対語として用いられる場合もある。
目次 [非表示]
1 概説
2 詰め込み教育への評価
3 弊害
4 世界の詰め込み教育
5 関連項目
6 脚注
概説[編集]
詰め込み教育は試験の点数は上がる反面、児童・生徒の学習の動機付け・持続に欠けるという短所があると言われる。
普通教育の最終目標が大学入学試験突破にあり、また当時の高度経済成長下において均質かつ従順で質の高い勤労者を育成する必要があった日本においては、少なくとも1970年代まではこの教育方法が一般的であった。だが、詰め込み教育の一番の問題として、「テスト過ぎたらすべて忘れる」といった成績のための暗記が一般的になったことがある。また、膨大な量の知識だけをひたすらに暗記させた結果、「なぜ、そうなるのか」といった単純な疑問や創造力が欠如してしまう点も問題である。授業速度の上昇や、現場の準備不足、教師の力不足もともない、落ちこぼれと呼ばれる、授業についていけない子どもが増加した。
1980年代以降、詰め込み教育の短所に対する反省から、児童・生徒の学習の動機付けに重点を置くゆとり教育へと路線を変更することとなった。
詰め込み教育への評価[編集]
東京大学元教授で、『超勉強法』などを執筆した野口悠紀雄はゆとり教育を批判し、詰め込み教育の必要性を訴えている[要出典]。ただし、野口は経済学者で、教育学についての専門的知識・学問的業績はなく、あくまで自身や東大生の受験経験と効率論を踏まえた持論である。
野口の論ずるところによると、土台となる基礎的知識の少ない小中学生に対して、「自由に創造しなさい」と指導しても、多くの児童生徒にとっては困惑する場合が多く、その結果も成熟度のない未熟なものにしかなり得ないと説いている。この事は特に、小中学校の教育において、顕著になるとされる。
たとえば、音楽の素養のない生徒に対して、いきなり自由に作曲させるのではなく、ある程度の音楽的な知識と、ピアノの基礎を学ばせる事が必要なのと同じである。これは「ゆとり教育」を完全否定しているのではなく、高校の生徒や大学・大学院の学生にこそ「ゆとり教育」が必要であることを示している。
弊害[編集]
この教育の結果、前述のように「テストを過ぎたらすべて忘れる」等の問題点の他、詰め込み教育の結果「四当五落」「一浪は当たり前」と言われるほどの受験戦争になり、その結果として、勉強についていけない児童・生徒が増加し、いじめ、校内暴力、非行、体罰、落ちこぼれなどの問題[1]が発生し、学校問題レベルではなく、社会問題となるほどの課題となった。
世界の詰め込み教育[編集]
中国でも、国内の学力偏重の詰め込み教育に対して批判が出ている。ただし、スパルタ教育かゆとり教育かではなく、知識重視か体育・芸術重視かを対立軸とする点が日本と異なる。
関連項目[編集]
進学校
大学受験
ゆとり教育
脱ゆとり教育
スパルタ教育
英才教育
多量の勉強による基礎学力の早期習得を目指す教育や、短期間にできるだけ多くの事柄の学習を目指す教育のことを指す場合もある(後者の場合、知識の増大に比重を置いたり、目標とするとは限らない)。単に学習カリキュラムの内容の増減(や変化)の観点からのみ、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」が対語として用いられる場合もある。
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1 概説
2 詰め込み教育への評価
3 弊害
4 世界の詰め込み教育
5 関連項目
6 脚注
概説[編集]
詰め込み教育は試験の点数は上がる反面、児童・生徒の学習の動機付け・持続に欠けるという短所があると言われる。
普通教育の最終目標が大学入学試験突破にあり、また当時の高度経済成長下において均質かつ従順で質の高い勤労者を育成する必要があった日本においては、少なくとも1970年代まではこの教育方法が一般的であった。だが、詰め込み教育の一番の問題として、「テスト過ぎたらすべて忘れる」といった成績のための暗記が一般的になったことがある。また、膨大な量の知識だけをひたすらに暗記させた結果、「なぜ、そうなるのか」といった単純な疑問や創造力が欠如してしまう点も問題である。授業速度の上昇や、現場の準備不足、教師の力不足もともない、落ちこぼれと呼ばれる、授業についていけない子どもが増加した。
1980年代以降、詰め込み教育の短所に対する反省から、児童・生徒の学習の動機付けに重点を置くゆとり教育へと路線を変更することとなった。
詰め込み教育への評価[編集]
東京大学元教授で、『超勉強法』などを執筆した野口悠紀雄はゆとり教育を批判し、詰め込み教育の必要性を訴えている[要出典]。ただし、野口は経済学者で、教育学についての専門的知識・学問的業績はなく、あくまで自身や東大生の受験経験と効率論を踏まえた持論である。
野口の論ずるところによると、土台となる基礎的知識の少ない小中学生に対して、「自由に創造しなさい」と指導しても、多くの児童生徒にとっては困惑する場合が多く、その結果も成熟度のない未熟なものにしかなり得ないと説いている。この事は特に、小中学校の教育において、顕著になるとされる。
たとえば、音楽の素養のない生徒に対して、いきなり自由に作曲させるのではなく、ある程度の音楽的な知識と、ピアノの基礎を学ばせる事が必要なのと同じである。これは「ゆとり教育」を完全否定しているのではなく、高校の生徒や大学・大学院の学生にこそ「ゆとり教育」が必要であることを示している。
弊害[編集]
この教育の結果、前述のように「テストを過ぎたらすべて忘れる」等の問題点の他、詰め込み教育の結果「四当五落」「一浪は当たり前」と言われるほどの受験戦争になり、その結果として、勉強についていけない児童・生徒が増加し、いじめ、校内暴力、非行、体罰、落ちこぼれなどの問題[1]が発生し、学校問題レベルではなく、社会問題となるほどの課題となった。
世界の詰め込み教育[編集]
中国でも、国内の学力偏重の詰め込み教育に対して批判が出ている。ただし、スパルタ教育かゆとり教育かではなく、知識重視か体育・芸術重視かを対立軸とする点が日本と異なる。
関連項目[編集]
進学校
大学受験
ゆとり教育
脱ゆとり教育
スパルタ教育
英才教育
ゆとり教育
ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、日本において、知識重視型の教育方針を詰め込み教育であるとして学習時間と内容を減らし、経験重視型の教育方針をもって、ゆとりある学校をめざした教育のことである。2013年度現在、高等学校でのみ施行されている。
目次 [非表示]
1 概要
2 ゆとり教育の経緯 2.1 ゆとり教育の経緯 2.1.1 ゆとり教育の変化
2.1.2 政府の方針転換
3 ゆとり教育と誕生年度 3.1 誕生年度と教育の早見表
3.2 ゆとり教育と関連するものの経緯
4 ゆとり教育の結果 4.1 誕生年度と国際学力調査の結果
4.2 OECD生徒の学習到達度調査(PISA)
4.3 国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)
4.4 小・中学校教育課程実施状況調査
5 社会的な見解 5.1 支持
5.2 批判
5.3 擁護
5.4 批判に対する反論
5.5 総合的な学習の時間
6 受験産業の反応
7 日本国外の類似例 7.1 デンマーク
7.2 フィンランド
8 脱ゆとり教育
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
概要[編集]
ゆとり教育は1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことであり、小学校では1980年度から2010年度、中学校では、1981年度から2011年度、高校では1982年度から2014年度(数学及び理科は2013年度)まで[1]施行される教育である。
1980年度、1992年度から施行された学習指導要領による教育と2002年度から施行された学習指導要領とを区別する人もいる[2]。また、1992年度から施行された新学力観に基づく教育をゆとり教育という人もいる[3][4]。
まず1970年代に日本教職員組合 (日教組) が「ゆとりある学校」を提起をし[5][6][7]、国営企業の民営化を推し進めた第2次中曽根内閣の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で、「公教育の民営化」という意味合いの中で導入することでゆとり教育への流れを確立し[8]、 文部省や中教審が「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入し開始された。
「ゆとり教育」はその目的が達せられたかどうかが検証ができない状態の中、詰め込み教育に反対していた日教組や教育者、経済界などの有識者などから支持されていた一方で、それを原因として生徒の学力が低下していると指摘され、批判されるようになった[9]。
中山成彬文部科学大臣は、中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、さらに第1次安倍内閣の主導のもとに、ゆとり教育の見直しが着手され、2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、マスコミからは「脱ゆとり教育」と称されている[10]。
ゆとり教育について、2013年に西部邁(評論家)は次のように説明した。「昨日も、かつて文部省でゆとり教育を主導した寺脇研君と合って、詰め込み教育がいいか、ゆとり教育がいいか、という話になったんですけど…寺脇研君を擁護すると、彼の進めようとしたゆとり教育というのは、もっと広い意味だと本人は言っています。それを僕流に言えば、勉学が好きな子供はどんどんおやりなさい、だけど勉学が嫌いな子供も山ほどいて、そういう子に無理して偏差値教育をしてもしょうがないだろう、ということです。それは僕も同感です。」[11]
ゆとり教育の経緯[編集]
「学習指導要領」も参照
■ : 1971年(昭和46年)からの学習指導要領
■ : 1980年(昭和55年)からの学習指導要領
■ : 1992年(平成4年)からの学習指導要領
■ : 2002年(平成14年)からの学習指導要領
■ : 2011年(平成23年)からの学習指導要領
年
出来事
1972年
日本教職員組合が、「ゆとり教育」とともに「学校5日制」を提起[5][6][7]。
1977年-1978年
(1980年-1982年)
学習指導要領の全部改正。 小学校は1980年度、中学校は1981年度、高等学校は1982年度[12]から施行。・・・ゆとり教育の開始 学習内容及び授業時数の削減。
「ゆとりと充実を」「ゆとりと潤いを」がスローガン。
教科指導を行わない「ゆとりの時間」を開始。
1984年
第2次中曽根内閣のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)がゆとり教育の方針に取り組む[8]
1985年-1987年
中曽根政権臨時教育審議会が「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」などの、ゆとり教育の基本となる4つの答申をまとめる[2]。
1989年
(1992年-1994年)
学習指導要領の全部改正[13]。 小学校は1992年度、中学校は1993年度、高等学校は1994年度[12]から施行。 新学力観を導入。
学習内容及び授業時数の削減。
小学校の第1学年及び第2学年の社会及び理科を廃止して、教科「生活」を新設。
1992年
9月から第2土曜日が休日に変更。
1995年
4月からはこれに加えて第4土曜日も休業日となった。
1996年
文部省・中教審委員にて「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入[14]。
1998年-1999年
(2002年-2003年)
学習指導要領の全部改正[15]。 小中学校は2002年度、高等学校は2003年度[12]から施行。・・・ゆとり教育の実質的な開始 学習内容及び授業時数を3割削減。
完全学校週5日制の実施。
「総合的な学習の時間」の新設。
「絶対評価」の導入。
2003年
一部学習指導要領が改正される。
2004年
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2003)、国際数学・理科教育調査 (TIMSS2003)の結果が発表され、日本の点数低下が問題となる。
2005年
中山成彬文科相、学習指導要領の見直しを中央教育審議会に要請。
2007年
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006)の結果が発表され、日本の点数低下がさらに問題となる。 安倍晋三首相の下「教育再生」と称してゆとり教育の見直しが着手され始めるが、日教組は「ゆとり教育を推進すべき」との主張を続ける[16] 。
全国学力・学習状況調査が始まる。
2008年
国際数学・理科教育調査(TIMSS2007)の結果が発表され、学力低下の下げ止まる。
2010年
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)の結果が発表され、学力が上昇する。
2008年
(2011年-2013年)
学習指導要領の全部改正[17]。 小学校は2011年度、中学校は2012年度、高等学校は2013年度[12]から施行。・・・ゆとり教育の終焉
ゆとり教育の経緯[編集]
ゆとり教育の変化[編集]
校内暴力、いじめ、登校拒否、落ちこぼれなど、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。
答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた[18]。
政府の方針転換[編集]
2005年(平成17年)、中山文科相が中央教育審議会に学習指導要領の見直しを指示した。
2007年(平成19年)10月30日の中央教育審議会答申ではゆとり教育による学力低下を認め反省し、授業日数及び算数・数学、理科、外国語の授業時数増加を提言した。
ほかには教育再生会議(内閣府設置会議)が出した報告書(第1次:2007年(平成19年)1月24日 第2次:2007年(平成19年)6月1日)において、「授業時間の10%増(必要に応じて土曜日授業の復活)」などが盛り込まれている。
2008年(平成20年)2月15日、文部科学省は諮問機関「中央教育審議会」が前月に出した答申に沿い、2011〜2012年度から授業時間を全体で3〜6%、理数系に限れば2009(平成21)年度から前倒し実施で15%ほど増加させた指導要領改定案を発表した。なお、高校の指導要領改定案は2013年度の第1学年から、理数系に限れば2012年度の第1学年から学年進行で実施される予定。
ゆとり教育と誕生年度[編集]
誕生年度と教育の早見表[編集]
生まれた年と学習指導要領の対応表。
赤色が1998年改訂(2002年度以降実施)の行学習指導要領下での教育。橙色、緑色がそれ以前の学習指導要領下での教育。青色がそれ以降の学習指導要領下での教育である。なお、黄緑色、ピンクは移行措置間の教育であり、改訂前の教育と改定後の教育が混ざっている教育となっている。今後、新たに学習指導要領の改変が行われない限り、この表通りに教育が実行される。
ゆとり教育を受けた世代と関係する各教育制度が実施された時期を次の表にしめす。
誕生年度は原級留置(留年)などの処置を受けなかった場合のものである。なお、4月1日生まれの者は前年度生まれ扱いとなる。
ゆとり教育と脱ゆとり教育受ける年代の変化
年度生まれ
小1
小2
小3
小4
小5
小6
中1
中2
中3
高1
高2
高3
現役時の大学入試
1986年
旧課程教育
1987年
ゆとり教育
1988年
ゆとり教育
1989年
ゆとり教育
1990年
ゆとり教育
1991年
ゆとり教育
1992年
ゆとり教育
1993年
ゆとり教育
1994年
ゆとり教育
1995年
ゆとり教育
1996年
理科・数学のみ脱ゆとり教育
1997年
脱ゆとり教育
1998年
脱ゆとり教育
1999年
脱ゆとり教育
2000年
脱ゆとり教育
2001年
脱ゆとり教育
2002年
脱ゆとり教育
2003年
脱ゆとり教育
2004年
脱ゆとり教育
赤:ゆとり教育 黄色:移行期間 緑:理数のみ脱ゆとり教育 青:脱ゆとり教育 白:2002年度以前の学習指導要領
ここでの旧課程教育とは1989年改訂学習指導要領による教育を指す。
ここでの年度生まれはその年の4月2日から、翌年の4月1日生まれまでを指す。
移行期間:算数、数学、理科に関して脱ゆとり教育の内容を一部先行実施(その他の変更点は文部科学省のHPを参照)
ゆとり教育と関連するものの経緯[編集]
学校週5日制
1992年9月に公立学校において、第二土曜日が休日となったのから始まり、1995年度から第四土曜日、そして2002年度からは全ての土曜日が休み(完全学校週5日制)となった。このことは、学校教育法施行規則(第六十一条)にも決められており、2012年現在も、公立学校においては、基本的に全ての土曜日が休みである。なお、私立学校では各学校の方針に任せられているため、土曜日の扱いについては学校によって異なり、完全週5日制を実施している学校もあれば、1991年度以前のように週6日制を続けている学校もある。
また、文部科学省は、完全学校週5日制について、生きる力[19]をはぐくむために必要であるとしている[20]。
総合的な学習の時間
1998年の学習指導要領の改正のときに新しくできた科目で、2002年度以降[21]から開始された。その後、2008年の学習指導要領が改正され、新しい学習指導要領で、この総合的な学習の時間の授業時間が削減されることとなった。
ゆとり教育の結果[編集]
「学力低下#試験・調査の結果」も参照
ゆとり教育(ここでは平成10年度から11年度にかけて告示された指導要領を指す)は学力低下を引き起こすと懸念されていたが、成果については(文部科学省内においてすら)確定的な評価はない[22][23]。学力の上昇を示すもの、低下を示すという両方の例が見られる。
誕生年度と国際学力調査の結果[編集]
PISAの読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーについての順位の推移
2000年代に入ってから、よく用いられる子どもの学力をはかる指標として、PISAやTIMSSの結果が挙げられる。ただし、この指標は学力が低下していることを示すための道具として使われているとの指摘もあり、また、条件が一定ではないことなどから、この結果だけで学力が高いか低いかという判断をするのには注意が必要である。
以下、誕生年度とPISAとTIMSSの点数および順位を示す。
PISA、TIMSSの結果早見表
誕生年度
PISA
TIMSS(中2)
TIMSS(小4)
備考
読解力
数学的リテラシー
科学的リテラシー
数学
理科
算数
理科
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
1980
605 3 571 3 2002年度以降の学習指導要領以前の教育
1984
522 8 557 1 550 2 579 5 550 4 597 3 574 2
1987
498 14 534 6 548 1 2002年度以降の学習指導要領開始後
1988
570 5 552 6
1990
498 15 523 10 531 5
1992
570 5 554 3 565 3 543 3
1993
520 8 529 9 539 5
1996
570 5 558 4 568 4 548 4 2012年度(中学)学習指導要領開始前[※ 1]
2000
585 5 559 4 小学4年:2011年度学習指導要領開始直前[※ 2]
※1.^ ただし、中学校1年から移行措置
2.^ 小学校3年、4年においては移行措置期間
PISAは3年に1回、高校1年生を対象に、6月ごろ実施される[24]。詳細についてはOECD生徒の学習到達度調査を参照。
TIMSSは約4年に1回、小学4年生と中学2年生を対象に、2月ごろ実施される[25]。詳細については国際数学・理科教育調査を参照。
PISAとTIMSSの違いは、TIMSSは基礎的な学力を見ているのに対し、PISAは応用的な学力を見ているとされる。詳細については国際数学・理科教育調査#PISAとの違いを参照。
出典
PISA(OECD生徒の学習到達度調査)
IEA国際数学・理科教育動向調査の2007年調査(TIMSS2007)
OECD生徒の学習到達度調査(PISA)[編集]
2004年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)2003では[26]、読解力は8位から14位へ、数学リテラシーは1位から6位へ(統計的には1位グループ)、科学的リテラシーは2位のまま(同1位グループ)という結果となった。
2007年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)2006では[27]、読解力は14位から15位へ(統計的には9〜16位グループ)、数学的リテラシーは6位から10位へ(同4〜9位)、科学的リテラシーは2位から6位へ(同2〜5位)へと全分野で順位を下げる結果となっている[28]。2003年と2006年で共通に実施された(同一)問題48題について、平均正答率は03年が56.1%、06年が53.4%であり、約2.7%低下していた。正答率の比較では、06年は03年より、上回った問題が8問、下回った問題が40問だった。そのうち5ポイント以上、上回った問題が1問、下回った問題が10問であった。
2010年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)2009では[29]、読解力は15位から8位へ(統計的には5〜9位グループ)、数学的リテラシーは10位から9位へ(同8〜12)、科学的リテラシーは6位から5位へ(同4〜6位)へと全分野で順位を上げる結果となっており統計的に、読解力に関して有意に上昇していることが示された[30]。また、同一問題について正答率をPISA2006とPISA2009を比較すると、読解力では58.4%から61.7%、数学的リテラシーでは51.9%から54.4%、科学的リテラシーでは59.5%から61.8%であった。
国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)[編集]
義務教育の中途段階における算数・理科の基礎学力知識を調査するために1995年から4年ごとにIEA(国際教育到達度評価学会)が実施している国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の2003年度調査(TIMSS2003)において、日本の数値がそれまでの調査に比べ低下したことがゆとり教育を見直すきっかけとなった[31]。TIMSS2003では、中学2年生の数学は前回のTIMSS1999年よりも9点、前々回のTIMSS1995よりも11点、いずれも有意に低くなっており(順位は5位のまま)、数学が楽しいと思う者の割合も減少していた。
TIMSS2007では前回のTIMSS2003の結果よりも平均得点が全て上回った[32]。ただし誤差を考慮すると前回と同程度であるとしている。8800人の児童が参加し2011年に行われたTIMSS2011では、小学校4年生の成績は過去最高を記録した。この結果について文部科学省では、「2008年度に学習指導要領を改訂し、学習内容や授業時数を増やしたこと[33]、2007年度からの全国学力調査の取り組みが成果を上げてきた」ことが原因であり「脱ゆとり教育」路線に変更したことの成果であると評価していると報道されている[34]。
小・中学校教育課程実施状況調査[編集]
一方で、平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査(2003年に文部科学省に属する国立教育政策研究所が実施)[35]では多くの学年、教科で、前回調査と同一の問題については正答率が有意に上昇した設問が、正答率が有意に下降した問題よりも多かった。特に、小学生と中学3年生の学力向上が顕著で、理科では前回より正答率が上昇し、アンケートで「勉強が好き」「どちらかというと好きだ」と答えた子の割合は増加傾向にある。
社会的な見解[編集]
支持[編集]
元文部省官僚である寺脇研は、当時の文部省の考えを代弁するスポークスマンとしてメディアに出て、ゆとり教育について説明を行っていた。
作家で教育課程審議会会長として、ゆとり教育に舵を切った新・学習指導要領の答申の最高責任者であった三浦朱門は2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、ゆとり教育について、新自由主義的な発想から、多数の凡人の中に必ずいるはずの数少ないエリートを見つけて伸ばすための「選民教育」であるという主旨を述べた[36]。
知識偏重の詰め込み教育を批判していた教師や保護者などの他にも、経済同友会などの経済界[37][38]や、学者、弁護士をはじめとする識者などの民間人が参加した「21世紀日本の構想」懇談会(小渕恵三内閣総理大臣の私的諮問機関)でも、ゆとり教育を支持していた[39]。「21世紀日本の構想」懇談会の第5分科会[40]は2000年(平成12年)1月に提出された最終報告書の中で、教育への市場原理導入の観点から、義務教育週3日制と教科内容を5分の3にまで圧縮することを提案した[41]。
批判[編集]
学力低下の心配から批判された。#ゆとり教育の結果も参照
教育コンサルタントによると、過去に出題された同一問題の正答率を比較した結果、読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーのすべてにおいて、PISA型学力が下がり続けていることがわかっている[42]。
また、自分がやりたいことだけをやればいいという考えを教え、その考えを教えた世代にさまざまな人格的影響を与えたという批判もある[43](新学力観も参照 )。
更に「教育上の差別の解消」に向けて始められたはずが実態はスクールカーストの導入を生み差別助長にも繋がっている。
擁護[編集]
第3期の教育改革(2002年度実施された学習指導要領改正)は始まったばかりで、ゆとり教育の評価は時期尚早だという意見もある[2][44]。
批判に対する反論[編集]
『学力低下は錯覚である』(森北出版株式会社)を著した神永正博は、自身のブログで、「根拠がはっきりしないことで、若者をディスカレッジしない方がよいのでは」と補足している[45]。
早稲田大学教授の永江朗は自身の執筆したコラム記事の中で、PISAの順位の低下は「参加国が増えたため」とも、冷静に分析すれば考えられると述べ[46]、「PISAの結果が少し落ちていたぐらいで大騒ぎする理由がわからない」と教育社会学の専門家が疑問を呈しているということを紹介している。
元東京大学総長の有馬朗人はゆとり教育によりむしろ理科の力が上がった、と述べている[47]。
広島大学教授の森敏昭はIEA(国際教育到達度評価学会)の調査結果を検討した上で「我が国の児童・生徒の学力は、今なお高い水準を保っている。(中略)「我が国の小・中学校段階の児童・生徒の学力は、全体としておおむね良好である」という文部科学省のいささか楽観的すぎるコメントも、あながち的はずれではない。」と述べている[48]。
総合的な学習の時間[編集]
ゆとり教育によって導入された「総合的な学習の時間」は教員や児童・生徒の力量・意欲が高い場合は成功しやすく、そういった要素に左右されるという欠点を持つとされる。ただし、基本的に総合的な学習時間の何を成功・失敗の評価基準とするのかという問題も存在する。
実際、総合的な学習の時間を有意義に使う学校もある一方で、単に不足している授業時間の補完など評価基準のはっきりした伝統的科目の学力向上に使うなどというケースも少なくなかった。また、基礎学力が低い生徒は「総合的な学習の時間」の目的とされる、「主体的に考える力」なども低くなる傾向があるという指摘もある[49]。
受験産業の反応[編集]
改訂された学習指導要領の内容が明らかになると、学習塾や進学予備校などの受験産業や、私立学校(特に中高一貫校)は活発な営業活動を行った。マスコミ媒体などに頻繁に登場した西村和雄京都大学教授などの言説を論拠に[50]、「ゆとり教育」に対する危機感を訴えることによって、親の不安を煽り、活発に児童・生徒の勧誘活動を行った[51]。 折込チラシ、CMや電車内のドア周辺や吊り広告などの広告活動や、自らがスポンサーとなっているテレビ番組内などで、「小学校では円周率をおよそ3として教えている(正確にはゆとり教育のため小数点による計算が遅れたため幾何学において概算に3を使うようになったため)(日能研)[51]」、「ゆとり教育で学力低下を引き起こす」「あなたの子供の将来が危ない」など、あるいは、学習時間の多寡を基準に、日本よりも学習時間が長いイタリアなどが、PISAでは日本のはるか下位に位置しているのにも拘わらず「世界の子は勉強している(栄光ゼミナール)[50]」といい、教科の好き嫌いを基準に、算数の好きな子の割合がイランが1位、日本は24位で日本の教育がダメだといい(栄光ゼミナール)[50]、統計値を恣意的につまみ食いした正確性・客観性に欠ける情報で危機感を煽ったり、この種の営業活動を行った事例もある[50]。学習塾などがこういった営業活動を行った理由として、子供が減るために学習塾間で「パイの奪い合い」が発生していたことがある[51]一方で実際に学力の低下が国際機関の調査で明確に顕著となったことも考慮すると親が子供の学力維持に塾に頼らざる得ない状況が生まれたともいえる。ゆとり教育への不信を背景とした中学受験ブームは、2008年(平成20年)にリーマンショックが起こるまで右肩上がりで続いた。[要出典]
一部の公立校では、塾の教師やスタイルを取り入れて学校教育を変えようという試みもしている。一例としては杉並区立和田中学校(校長の藤原和博、後任の代田昭久、共にリクルート出身)にて2008年(平成20年)1月に行われた「夜スペシャル」(通称??夜スペ?=jがあり[52]、これは成績上位者のみを対象に、名門進学塾サピックスの講師を派遣して有料(1万円〜2万円)で授業を行う(学校が運営しているわけではなく、保護者の有志団体による運営形式)。
さらには、都立高校などが「総合的な学習の時間」のカリキュラム作成にもたついている間に、日能研を初めとする一部の塾は
「自ら学び考える力を育てる授業。『総合学習』そのものだ」([51]より引用)
と「総合的な学習の時間」を商品として提供を始めている。私立学校や中高一貫校の入学試験が、PISAに似たものになってきているからだ[51]。
日本国外の類似例[編集]
デンマーク[編集]
ゆとり教育をすすめていたデンマークでも、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) の結果が下がり、学力低下が議論になった。教育改革として、義務教育の1年早期化などが議論されている。学校の現場では学力向上を目指した教育改革に反発があるものの、生徒の親は学力低下への不安が強いようである[53]。
フィンランド[編集]
OECD生徒の学習到達度調査(PISA:数学・科学・読解力の3教科のみ)においてトップの成績をあげ、全ての項目で日本を上まわったフィンランドは週休二日制であり、授業時間も日本よりかなり少なく、また、「総合的な学習」に相当する時間も日本より多く、「ゆとり教育」に近い内容である。
具体的な中身として一つは、中学校の教育に特筆されるのは三分の一にわたる(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業をうけていることがある。低学力の生徒に対する個別の教育により底辺の学力を上げるだけでなく、優秀な生徒にはそれ相応の特別な教育がおこなわれている。つまり、生徒の能力の違いを前提にして全体の学力を上げている。生徒の個別の能力差に沿った教育が行われているため、無理に能力の低いものを能力の高い授業に適応させる必要がないために「遅れる」ことはあっても「落ちこぼれる」ということはない。特定の基準を満たさない生徒にそぐわない授業内容を押しつける必要がないから「ゆとり」があるわけである[54]。
また、高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われており、よい高校やよい課程に入学するには中学でよい成績をおさめなければならない[55]。
他には、授業の組み立て方や教科書の選定など、教育内容の大部分を現場の裁量に任せられているという特徴もある[56]。また、フィンランドは授業時間は少ないものの、日本にはない様々な教育の工夫が試みられている。多くの学校で学費が無料であるため、低所得の世帯でも安心して教育を受けさせることができる[57]。
このようなシステムがフィンランドにはあるため、フィンランドで講師を務めたこともある中嶋博早大名誉教授は、落ちこぼれをつくらず楽しんで学ぶ教育がフィンランドの教育であると述べており[58]、フィンランドに留学経験のある者は、中高一貫の学校が多いため、(中学)受験を気にせずじっくりと学習に取り組む事ができ、学習への理解が不足している、いわゆる「落ちこぼれ」の生徒は義務教育中であっても、じっくり教育を受けるシステムが確立されていると述べている[59]。
脱ゆとり教育[編集]
詳細は「脱ゆとり教育」を参照
2008年に改訂された学習指導要領のことを脱ゆとり教育と呼ぶ者もいる[60]。小学校では2009年度に一部前倒しで行われ、2011年度より完全実施される。中学校では2009年度に一部前倒しで行われ、2012年度に完全に行われる。高校では2012年度の入学者から一部前倒しで行われ、2013年度の入学者からは完全に行われる。この改訂後の学習指導要領では、授業時間・内容の削減を行ってきたゆとり教育とは逆に内容を増やし、授業時間を増加させる教育となっている。具体的には、小学校では278時間、中学校では105時間ゆとり教育の授業時間よりも増加し、小学校で47都道府県の名称や位置や台形の面積の公式、縄文時代、中学校でイオンなどの内容が追加される。小学校で2011年度から使われる教科書は、マスコミから「脱ゆとり」と騒がれ[61]、全教科で前回(2004年の検定)よりも25%、ゆとり全盛期(2001年の検定)より43%ページ数が増えたことが、文部科学省の2011年度から使われる小学校の教科書検定の結果の発表でわかった[62]。
ただしページ数の大幅な増加は演習問題の増加によるものであるため、内容が43%増ではないということを留意する必要がある。
しかし、PISA2009で学力が回復したことから、脱ゆとりはもっと前からすでに始まっていたという声もある[63]。
さらに国は依然として週5日制堅持の方針は変えていないが、東京都や大阪市などでは、改訂後の学習指導要領実施に合わせて、一般の公立小中学校での土曜授業の復活容認など、学校週5日制についても見直す動きが出ている。
また、ゆとり教育とともに採用された評価方法である絶対評価については、脱ゆとり教育においても見直しは行われず、2011年以降もそのまま継続されている。
脱ゆとり教育は、ゆとり教育での問題を解決するために作られたのだが、うまく対応できなければついていけない子どもが増えるのではないかと懸念するものもおり[64]、また、暗記や暗唱が中心の教育に戻したり授業時間を増やしたりする方法では日本の教育が抱えている諸問題は解決できないと述べている者もいる[65]。
受験産業の反応としては、学習内容が多くなる、難しくなるという部分を押し出しており、ゆとり教育時の反応とは違う反応を示している。また、ゆとり教育による公立学校不信を背景に起こった私立中学受験ブームも、公立学校での脱ゆとり教育の実施に加え、2008年のリーマン・ショック後の不況や、2011年の東日本大震災の影響もあり、かなり沈静化している。
大学入試センターは学力の幅が広がっており、1種類の試験では学力をはかることが難しくなっているなどを理由にして、2013年度以降実施される学習指導要領にて高校教育を学んだ高校3年生が受験する2016年を実施目標に、大学入試センター試験において難易度別に2種類の試験にすることを検討している[66]。
脚注[編集]
1.^ 高校は学年進行なので、対象者は1982年度から2012年度入学者である。
2.^ a b c asahi.com 「ゆとり教育」と教育改革の行方:1(寺脇教授)
3.^ 【ワイドショー通信簿】「上司が支援するのは当然」 2010新人を面白がる法
4.^ 陰山英男氏が指摘する「ゆとり世代」3つの特徴
5.^ a b 1992年1月29日毎日新聞社説 日教組が学校五日制を、教職員の週休二日制とセットで実現しょうと運動方針に掲げ始めたのは1972年からだった。(中略)日教組は学校五日制を教育改革としてとらえ、子供にとって、ゆとりのある学校への転換の実現をめざしている。
6.^ a b 2007年7月1日放送TBS「報道特集」にて槙枝元文元委員長談
7.^ a b 『迷走 日本の原点』櫻井良子 新潮社 ISBN 9784104253036
8.^ a b 日本財団図書館 文部科学省の教育改革を語る(寺脇研)
9.^ 平成15年9月7日毎日新聞への元文部大臣中曽根弘文の寄稿文中曽根弘文ホームページ
10.^ 4月から「脱ゆとり教育」の学習指導要領一部実施へ
11.^ 西部邁・黒鉄ヒロシ 「詰め込み教育か、ゆとり教育か」『もはや、これまで: 経綸酔狂問答』 PHP研究所、2013年、88-89頁。
12.^ a b c d 高等学校は学年進行であるため、施行された年に1年生の者から適用され、施行された年に2年、3年生の者は前の教育のままである。
13.^ 文部科学省 旧学習指導要領
14.^ 日教組が支持していた日本社会党が自社さ連立政権となり与党となったことで、日教組と文部省の対立が弱まり、1996年、中教審委員に日教組関係者が起用された(2007年7月1日放送TBS「報道特集」)
15.^ 文部科学省 新学習指導要領(現行学習指導要領)
16.^ 2007年7月1日、TBS「JNN報道特集」
17.^ 文部科学省 新しい学習指導要領
18.^ 中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について−子供に『生きる力』と『ゆとり』を−」1996年7月19日
19.^ 2002年度以降に施行された学習指導要領で目標としているもので、2011年度以降の学習指導要領では、これを全面的に押し出している。
20.^ “完全学校週5日制”. 文部科学省. 2011年10月4日閲覧。
21.^ もしくは、移行措置期間である2000年度以降
22.^ 『「好成績」戸惑う文科省 なぜ、上向いたのか』 毎日新聞、2005年4月23日。
23.^ 『ゆとり教育:学力向上にプラスかマイナスか 揺れる評価』 毎日新聞、2007年4月14日。
24.^ “OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)「デジタル読解力調査」のポイント”. 2012年12月12日閲覧。
25.^ “国際数学・理科教育動向調査の2011 年調査(TIMSS2011)”. 2012年12月12日閲覧。
26.^ “PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査”. 文部科学省 (2004年12月). 2010年9月22日閲覧。
27.^ “OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2006年調査国際結果の要約”. 文部科学省 (2007年12月). 2010年9月22日閲覧。
28.^ ただし、科学的リテラシーの6位と5位は同じ点数であり4位とは僅か一点の差である。元東京大学総長の有馬朗人はこれらの結果を参加国が増えたことも考慮しつつ「PISAの結果から「理科の学力が低下した」とはいえない」と述べている。未来に希望が持てる社会に向けて、科学技術教育を
29.^ “OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2009年度調査の結果について”. 文部科学省 (2007年12月). 2010年12月27日閲覧。
30.^ OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)のポイント
31.^ “国際数学・理科教育動向調査の2003年調査(TIMSS2003)”. 国立教育政策研究所 (2004年12月15日). 2010年9月22日閲覧。
32.^ “国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2007)のポイント”. 文部科学省 (2007年12月). 2010年9月22日閲覧。
33.^ 学習指導要領の施行(小学校)は2011年度からであり、TIMSS受験時(2011年3月ごろ)には実施されてはいなかったが、2009年度から移行措置期間として、理数系の授業時間を増やしている。
34.^ 小4算数・理科学力上向く 国際調査 脱ゆとり効果か, 2012年12月11日21時54分, 朝日新聞
35.^ 研究開発部研究開発課 (2005年7月). “平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査”. 教育課程実施状況調査. 国立教育政策研究所. 2008年12月17日閲覧。
36.^ 斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋 2000年
37.^ 『学校から「合校」(がっこう)へ』1995年4月 経済同友会
38.^ 『規制撤廃・緩和に関する要望』1995年9月8日 経済同友会
39.^ 広田照幸; 斎藤哲也 (2007年11月16日). “なぜ「ゆとり教育」は失敗したのか? 〜せっかちな創造性の追求【前編】”. 日経ビジネス オンライン. 日経BP社. 2008年12月16日閲覧。
40.^ 第5分科会メンバー一覧
41.^ 「21世紀日本の構想」懇談会 (2000年1月18日). “第5章 日本人の未来(第5分科会報告書)”. 「21世紀日本の構想」懇談会最終報告書. 首相官邸. 2008年12月16日閲覧。
42.^ 『徹底検証 学力低下に歯止めはかかったか?』2008年12月 All About
43.^ 陰山英男氏が指摘する「ゆとり世代」3つの特徴
44.^ 成績が上昇し、勉学意欲が向上したというデータもある。「ゆとり教育」で成績アップ『livedoor ニュース』2010年6月06日閲覧
45.^ 「学力低下は錯覚である」の補足
46.^ 本と本屋さんの夕日 第32回 そもそも読書とは害悪であった
47.^ 教育への公的財政支出を倍増せよゆとり教育で理科の力は上がった
48.^ 学力低下論争と教育心理学
49.^ 苅谷剛彦 『調査報告「学力低下」の実態』 岩波書店〈岩波ブックレット〉(原著2002年10月)。ISBN 9784000092784。
50.^ a b c d 瀬川松子 『亡国の中学受験 公立不信ビジネスの実態』 光文社(原著2009年11月)。ISBN 4334035353。 P57、P62-P67
51.^ a b c d e “【公教育を問う】第2部(2)「総合学習」進化する塾”. 産経新聞. (2008年2月18日) 2008年12月17日閲覧。
52.^ 小田博士; 村上智博 (2008年1月26日). “「夜スペ」スタート、特効薬か劇薬か 杉並区立和田中”. 産経新聞 2008年12月17日閲覧。
53.^ 『デンマークで“ゆとり教育”見直し』 読売新聞、2006年7月4日。
54.^ [1]"In 2006 approximately one third of students in comprehensive school were transferred to special education or received part-time special education which is significantly more than in OECD countries on average (Statistics Finland, 2008). Special education has a key part to play in improv-ing equity and combating educational failure in Finnish schools."
55.^ [2]"Upper secondary school is mainly intended for students aged 16-19. The schools select their own pupils, based on their comprehensive school grades."
56.^ 『比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド』 朝日新聞、2005年2月25日
57.^ 実川真由 『受けてみたフィンランドの教育』 文藝春秋(原著2007年9月)。ISBN 4163694501。
58.^ 『比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド』 朝日新聞、2005年2月25日
59.^ 実川真由 『受けてみたフィンランドの教育』 文藝春秋(原著2007年9月)。ISBN 4163694501。
60.^ “脱ゆとり教育(新学習指導要領)”. 2010年11月23日閲覧。
61.^ “「脱ゆとり教科書」の授業に心配はないの?”. 2010年12月30日閲覧。[リンク切れ]
62.^ 2010年3月30日 朝日新聞
63.^ “PISA2009脱ゆとりで学力はV字回復へ”. All about. 2010年12月30日閲覧。
64.^ 2008年2月26日 中日新聞 社説 より
65.^ “比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド]”. 朝日新聞 (2005年2月25日). 2010年11月23日閲覧。
66.^ “センター入試、難易度別に2種類 16年導入を検討”. asahi.com (2010年10月25日). 2010年11月23日閲覧。
参考文献[編集]
神永正博 『学力低下は錯覚である』(森北出版株式会社,2008年,ISBN 978-4-627-97511-8)
斎藤貴男 『機会不平等』(文藝春秋,2000年,ISBN 4-16-356790-9)
小川洋 『なぜ公立高校はダメになったのか—教育崩壊の真実』(亜紀書房,2000年,ISBN 4-7505-9903-4)
寺脇研 『21世紀の学校はこうなる—“ゆとり教育”の本質はこれだ』(新潮社 新潮OH!文庫,2001年,ISBN 4-10-290067-5)
西村和雄 『ゆとりを奪った「ゆとり教育」』(日本経済新聞社,2001年,ISBN 4-532-14916-9)
苅谷剛彦 『教育改革の幻想』(筑摩書房,2002年,ISBN 4480059296)
和田秀樹 『「ゆとり教育」から我が子を救う方法』(東京書籍,2002年)
藤原和博 『公教育の未来』(ベネッセコーポレーション,2002年,ISBN 4-8288-3712-4)
苅谷剛彦 『なぜ教育論争は不毛なのか』(中央公論新社,2003年)
藤田英典 『義務教育を問いなおす』(筑摩書房,2005年,ISBN 4-480-06243-2)
陰山英男 『学力の新しいルール』(文藝春秋,2005年,ISBN 9784163674803)
山内乾史・原清治 『リーディングス 日本の教育と社会1 学力問題・ゆとり教育』 (日本図書センター,2006年,ISBN 4284301160)
伊藤敏雄 『誰も教えてくれない教育のホントがよくわかる本 ゆとり教育になって学校はどうなった?』 (文芸社,2006年,ISBN 4286009548)
寺脇研 『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(扶桑社,2007年,ISBN 978-4-594-05464-9)
寺脇研 『さらば ゆとり教育 A Farewell to Free Education』(光文社,2008年,ISBN 978-4-334-93428-6)
藤原幸男 「ゆとり教育」改革と学力 [3]
目次 [非表示]
1 概要
2 ゆとり教育の経緯 2.1 ゆとり教育の経緯 2.1.1 ゆとり教育の変化
2.1.2 政府の方針転換
3 ゆとり教育と誕生年度 3.1 誕生年度と教育の早見表
3.2 ゆとり教育と関連するものの経緯
4 ゆとり教育の結果 4.1 誕生年度と国際学力調査の結果
4.2 OECD生徒の学習到達度調査(PISA)
4.3 国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)
4.4 小・中学校教育課程実施状況調査
5 社会的な見解 5.1 支持
5.2 批判
5.3 擁護
5.4 批判に対する反論
5.5 総合的な学習の時間
6 受験産業の反応
7 日本国外の類似例 7.1 デンマーク
7.2 フィンランド
8 脱ゆとり教育
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
概要[編集]
ゆとり教育は1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことであり、小学校では1980年度から2010年度、中学校では、1981年度から2011年度、高校では1982年度から2014年度(数学及び理科は2013年度)まで[1]施行される教育である。
1980年度、1992年度から施行された学習指導要領による教育と2002年度から施行された学習指導要領とを区別する人もいる[2]。また、1992年度から施行された新学力観に基づく教育をゆとり教育という人もいる[3][4]。
まず1970年代に日本教職員組合 (日教組) が「ゆとりある学校」を提起をし[5][6][7]、国営企業の民営化を推し進めた第2次中曽根内閣の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で、「公教育の民営化」という意味合いの中で導入することでゆとり教育への流れを確立し[8]、 文部省や中教審が「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入し開始された。
「ゆとり教育」はその目的が達せられたかどうかが検証ができない状態の中、詰め込み教育に反対していた日教組や教育者、経済界などの有識者などから支持されていた一方で、それを原因として生徒の学力が低下していると指摘され、批判されるようになった[9]。
中山成彬文部科学大臣は、中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、さらに第1次安倍内閣の主導のもとに、ゆとり教育の見直しが着手され、2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、マスコミからは「脱ゆとり教育」と称されている[10]。
ゆとり教育について、2013年に西部邁(評論家)は次のように説明した。「昨日も、かつて文部省でゆとり教育を主導した寺脇研君と合って、詰め込み教育がいいか、ゆとり教育がいいか、という話になったんですけど…寺脇研君を擁護すると、彼の進めようとしたゆとり教育というのは、もっと広い意味だと本人は言っています。それを僕流に言えば、勉学が好きな子供はどんどんおやりなさい、だけど勉学が嫌いな子供も山ほどいて、そういう子に無理して偏差値教育をしてもしょうがないだろう、ということです。それは僕も同感です。」[11]
ゆとり教育の経緯[編集]
「学習指導要領」も参照
■ : 1971年(昭和46年)からの学習指導要領
■ : 1980年(昭和55年)からの学習指導要領
■ : 1992年(平成4年)からの学習指導要領
■ : 2002年(平成14年)からの学習指導要領
■ : 2011年(平成23年)からの学習指導要領
年
出来事
1972年
日本教職員組合が、「ゆとり教育」とともに「学校5日制」を提起[5][6][7]。
1977年-1978年
(1980年-1982年)
学習指導要領の全部改正。 小学校は1980年度、中学校は1981年度、高等学校は1982年度[12]から施行。・・・ゆとり教育の開始 学習内容及び授業時数の削減。
「ゆとりと充実を」「ゆとりと潤いを」がスローガン。
教科指導を行わない「ゆとりの時間」を開始。
1984年
第2次中曽根内閣のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)がゆとり教育の方針に取り組む[8]
1985年-1987年
中曽根政権臨時教育審議会が「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」などの、ゆとり教育の基本となる4つの答申をまとめる[2]。
1989年
(1992年-1994年)
学習指導要領の全部改正[13]。 小学校は1992年度、中学校は1993年度、高等学校は1994年度[12]から施行。 新学力観を導入。
学習内容及び授業時数の削減。
小学校の第1学年及び第2学年の社会及び理科を廃止して、教科「生活」を新設。
1992年
9月から第2土曜日が休日に変更。
1995年
4月からはこれに加えて第4土曜日も休業日となった。
1996年
文部省・中教審委員にて「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入[14]。
1998年-1999年
(2002年-2003年)
学習指導要領の全部改正[15]。 小中学校は2002年度、高等学校は2003年度[12]から施行。・・・ゆとり教育の実質的な開始 学習内容及び授業時数を3割削減。
完全学校週5日制の実施。
「総合的な学習の時間」の新設。
「絶対評価」の導入。
2003年
一部学習指導要領が改正される。
2004年
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2003)、国際数学・理科教育調査 (TIMSS2003)の結果が発表され、日本の点数低下が問題となる。
2005年
中山成彬文科相、学習指導要領の見直しを中央教育審議会に要請。
2007年
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006)の結果が発表され、日本の点数低下がさらに問題となる。 安倍晋三首相の下「教育再生」と称してゆとり教育の見直しが着手され始めるが、日教組は「ゆとり教育を推進すべき」との主張を続ける[16] 。
全国学力・学習状況調査が始まる。
2008年
国際数学・理科教育調査(TIMSS2007)の結果が発表され、学力低下の下げ止まる。
2010年
OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)の結果が発表され、学力が上昇する。
2008年
(2011年-2013年)
学習指導要領の全部改正[17]。 小学校は2011年度、中学校は2012年度、高等学校は2013年度[12]から施行。・・・ゆとり教育の終焉
ゆとり教育の経緯[編集]
ゆとり教育の変化[編集]
校内暴力、いじめ、登校拒否、落ちこぼれなど、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。
答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた[18]。
政府の方針転換[編集]
2005年(平成17年)、中山文科相が中央教育審議会に学習指導要領の見直しを指示した。
2007年(平成19年)10月30日の中央教育審議会答申ではゆとり教育による学力低下を認め反省し、授業日数及び算数・数学、理科、外国語の授業時数増加を提言した。
ほかには教育再生会議(内閣府設置会議)が出した報告書(第1次:2007年(平成19年)1月24日 第2次:2007年(平成19年)6月1日)において、「授業時間の10%増(必要に応じて土曜日授業の復活)」などが盛り込まれている。
2008年(平成20年)2月15日、文部科学省は諮問機関「中央教育審議会」が前月に出した答申に沿い、2011〜2012年度から授業時間を全体で3〜6%、理数系に限れば2009(平成21)年度から前倒し実施で15%ほど増加させた指導要領改定案を発表した。なお、高校の指導要領改定案は2013年度の第1学年から、理数系に限れば2012年度の第1学年から学年進行で実施される予定。
ゆとり教育と誕生年度[編集]
誕生年度と教育の早見表[編集]
生まれた年と学習指導要領の対応表。
赤色が1998年改訂(2002年度以降実施)の行学習指導要領下での教育。橙色、緑色がそれ以前の学習指導要領下での教育。青色がそれ以降の学習指導要領下での教育である。なお、黄緑色、ピンクは移行措置間の教育であり、改訂前の教育と改定後の教育が混ざっている教育となっている。今後、新たに学習指導要領の改変が行われない限り、この表通りに教育が実行される。
ゆとり教育を受けた世代と関係する各教育制度が実施された時期を次の表にしめす。
誕生年度は原級留置(留年)などの処置を受けなかった場合のものである。なお、4月1日生まれの者は前年度生まれ扱いとなる。
ゆとり教育と脱ゆとり教育受ける年代の変化
年度生まれ
小1
小2
小3
小4
小5
小6
中1
中2
中3
高1
高2
高3
現役時の大学入試
1986年
旧課程教育
1987年
ゆとり教育
1988年
ゆとり教育
1989年
ゆとり教育
1990年
ゆとり教育
1991年
ゆとり教育
1992年
ゆとり教育
1993年
ゆとり教育
1994年
ゆとり教育
1995年
ゆとり教育
1996年
理科・数学のみ脱ゆとり教育
1997年
脱ゆとり教育
1998年
脱ゆとり教育
1999年
脱ゆとり教育
2000年
脱ゆとり教育
2001年
脱ゆとり教育
2002年
脱ゆとり教育
2003年
脱ゆとり教育
2004年
脱ゆとり教育
赤:ゆとり教育 黄色:移行期間 緑:理数のみ脱ゆとり教育 青:脱ゆとり教育 白:2002年度以前の学習指導要領
ここでの旧課程教育とは1989年改訂学習指導要領による教育を指す。
ここでの年度生まれはその年の4月2日から、翌年の4月1日生まれまでを指す。
移行期間:算数、数学、理科に関して脱ゆとり教育の内容を一部先行実施(その他の変更点は文部科学省のHPを参照)
ゆとり教育と関連するものの経緯[編集]
学校週5日制
1992年9月に公立学校において、第二土曜日が休日となったのから始まり、1995年度から第四土曜日、そして2002年度からは全ての土曜日が休み(完全学校週5日制)となった。このことは、学校教育法施行規則(第六十一条)にも決められており、2012年現在も、公立学校においては、基本的に全ての土曜日が休みである。なお、私立学校では各学校の方針に任せられているため、土曜日の扱いについては学校によって異なり、完全週5日制を実施している学校もあれば、1991年度以前のように週6日制を続けている学校もある。
また、文部科学省は、完全学校週5日制について、生きる力[19]をはぐくむために必要であるとしている[20]。
総合的な学習の時間
1998年の学習指導要領の改正のときに新しくできた科目で、2002年度以降[21]から開始された。その後、2008年の学習指導要領が改正され、新しい学習指導要領で、この総合的な学習の時間の授業時間が削減されることとなった。
ゆとり教育の結果[編集]
「学力低下#試験・調査の結果」も参照
ゆとり教育(ここでは平成10年度から11年度にかけて告示された指導要領を指す)は学力低下を引き起こすと懸念されていたが、成果については(文部科学省内においてすら)確定的な評価はない[22][23]。学力の上昇を示すもの、低下を示すという両方の例が見られる。
誕生年度と国際学力調査の結果[編集]
PISAの読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーについての順位の推移
2000年代に入ってから、よく用いられる子どもの学力をはかる指標として、PISAやTIMSSの結果が挙げられる。ただし、この指標は学力が低下していることを示すための道具として使われているとの指摘もあり、また、条件が一定ではないことなどから、この結果だけで学力が高いか低いかという判断をするのには注意が必要である。
以下、誕生年度とPISAとTIMSSの点数および順位を示す。
PISA、TIMSSの結果早見表
誕生年度
PISA
TIMSS(中2)
TIMSS(小4)
備考
読解力
数学的リテラシー
科学的リテラシー
数学
理科
算数
理科
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
点数
順位
1980
605 3 571 3 2002年度以降の学習指導要領以前の教育
1984
522 8 557 1 550 2 579 5 550 4 597 3 574 2
1987
498 14 534 6 548 1 2002年度以降の学習指導要領開始後
1988
570 5 552 6
1990
498 15 523 10 531 5
1992
570 5 554 3 565 3 543 3
1993
520 8 529 9 539 5
1996
570 5 558 4 568 4 548 4 2012年度(中学)学習指導要領開始前[※ 1]
2000
585 5 559 4 小学4年:2011年度学習指導要領開始直前[※ 2]
※1.^ ただし、中学校1年から移行措置
2.^ 小学校3年、4年においては移行措置期間
PISAは3年に1回、高校1年生を対象に、6月ごろ実施される[24]。詳細についてはOECD生徒の学習到達度調査を参照。
TIMSSは約4年に1回、小学4年生と中学2年生を対象に、2月ごろ実施される[25]。詳細については国際数学・理科教育調査を参照。
PISAとTIMSSの違いは、TIMSSは基礎的な学力を見ているのに対し、PISAは応用的な学力を見ているとされる。詳細については国際数学・理科教育調査#PISAとの違いを参照。
出典
PISA(OECD生徒の学習到達度調査)
IEA国際数学・理科教育動向調査の2007年調査(TIMSS2007)
OECD生徒の学習到達度調査(PISA)[編集]
2004年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)2003では[26]、読解力は8位から14位へ、数学リテラシーは1位から6位へ(統計的には1位グループ)、科学的リテラシーは2位のまま(同1位グループ)という結果となった。
2007年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)2006では[27]、読解力は14位から15位へ(統計的には9〜16位グループ)、数学的リテラシーは6位から10位へ(同4〜9位)、科学的リテラシーは2位から6位へ(同2〜5位)へと全分野で順位を下げる結果となっている[28]。2003年と2006年で共通に実施された(同一)問題48題について、平均正答率は03年が56.1%、06年が53.4%であり、約2.7%低下していた。正答率の比較では、06年は03年より、上回った問題が8問、下回った問題が40問だった。そのうち5ポイント以上、上回った問題が1問、下回った問題が10問であった。
2010年12月に発表された「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)2009では[29]、読解力は15位から8位へ(統計的には5〜9位グループ)、数学的リテラシーは10位から9位へ(同8〜12)、科学的リテラシーは6位から5位へ(同4〜6位)へと全分野で順位を上げる結果となっており統計的に、読解力に関して有意に上昇していることが示された[30]。また、同一問題について正答率をPISA2006とPISA2009を比較すると、読解力では58.4%から61.7%、数学的リテラシーでは51.9%から54.4%、科学的リテラシーでは59.5%から61.8%であった。
国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)[編集]
義務教育の中途段階における算数・理科の基礎学力知識を調査するために1995年から4年ごとにIEA(国際教育到達度評価学会)が実施している国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の2003年度調査(TIMSS2003)において、日本の数値がそれまでの調査に比べ低下したことがゆとり教育を見直すきっかけとなった[31]。TIMSS2003では、中学2年生の数学は前回のTIMSS1999年よりも9点、前々回のTIMSS1995よりも11点、いずれも有意に低くなっており(順位は5位のまま)、数学が楽しいと思う者の割合も減少していた。
TIMSS2007では前回のTIMSS2003の結果よりも平均得点が全て上回った[32]。ただし誤差を考慮すると前回と同程度であるとしている。8800人の児童が参加し2011年に行われたTIMSS2011では、小学校4年生の成績は過去最高を記録した。この結果について文部科学省では、「2008年度に学習指導要領を改訂し、学習内容や授業時数を増やしたこと[33]、2007年度からの全国学力調査の取り組みが成果を上げてきた」ことが原因であり「脱ゆとり教育」路線に変更したことの成果であると評価していると報道されている[34]。
小・中学校教育課程実施状況調査[編集]
一方で、平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査(2003年に文部科学省に属する国立教育政策研究所が実施)[35]では多くの学年、教科で、前回調査と同一の問題については正答率が有意に上昇した設問が、正答率が有意に下降した問題よりも多かった。特に、小学生と中学3年生の学力向上が顕著で、理科では前回より正答率が上昇し、アンケートで「勉強が好き」「どちらかというと好きだ」と答えた子の割合は増加傾向にある。
社会的な見解[編集]
支持[編集]
元文部省官僚である寺脇研は、当時の文部省の考えを代弁するスポークスマンとしてメディアに出て、ゆとり教育について説明を行っていた。
作家で教育課程審議会会長として、ゆとり教育に舵を切った新・学習指導要領の答申の最高責任者であった三浦朱門は2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、ゆとり教育について、新自由主義的な発想から、多数の凡人の中に必ずいるはずの数少ないエリートを見つけて伸ばすための「選民教育」であるという主旨を述べた[36]。
知識偏重の詰め込み教育を批判していた教師や保護者などの他にも、経済同友会などの経済界[37][38]や、学者、弁護士をはじめとする識者などの民間人が参加した「21世紀日本の構想」懇談会(小渕恵三内閣総理大臣の私的諮問機関)でも、ゆとり教育を支持していた[39]。「21世紀日本の構想」懇談会の第5分科会[40]は2000年(平成12年)1月に提出された最終報告書の中で、教育への市場原理導入の観点から、義務教育週3日制と教科内容を5分の3にまで圧縮することを提案した[41]。
批判[編集]
学力低下の心配から批判された。#ゆとり教育の結果も参照
教育コンサルタントによると、過去に出題された同一問題の正答率を比較した結果、読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーのすべてにおいて、PISA型学力が下がり続けていることがわかっている[42]。
また、自分がやりたいことだけをやればいいという考えを教え、その考えを教えた世代にさまざまな人格的影響を与えたという批判もある[43](新学力観も参照 )。
更に「教育上の差別の解消」に向けて始められたはずが実態はスクールカーストの導入を生み差別助長にも繋がっている。
擁護[編集]
第3期の教育改革(2002年度実施された学習指導要領改正)は始まったばかりで、ゆとり教育の評価は時期尚早だという意見もある[2][44]。
批判に対する反論[編集]
『学力低下は錯覚である』(森北出版株式会社)を著した神永正博は、自身のブログで、「根拠がはっきりしないことで、若者をディスカレッジしない方がよいのでは」と補足している[45]。
早稲田大学教授の永江朗は自身の執筆したコラム記事の中で、PISAの順位の低下は「参加国が増えたため」とも、冷静に分析すれば考えられると述べ[46]、「PISAの結果が少し落ちていたぐらいで大騒ぎする理由がわからない」と教育社会学の専門家が疑問を呈しているということを紹介している。
元東京大学総長の有馬朗人はゆとり教育によりむしろ理科の力が上がった、と述べている[47]。
広島大学教授の森敏昭はIEA(国際教育到達度評価学会)の調査結果を検討した上で「我が国の児童・生徒の学力は、今なお高い水準を保っている。(中略)「我が国の小・中学校段階の児童・生徒の学力は、全体としておおむね良好である」という文部科学省のいささか楽観的すぎるコメントも、あながち的はずれではない。」と述べている[48]。
総合的な学習の時間[編集]
ゆとり教育によって導入された「総合的な学習の時間」は教員や児童・生徒の力量・意欲が高い場合は成功しやすく、そういった要素に左右されるという欠点を持つとされる。ただし、基本的に総合的な学習時間の何を成功・失敗の評価基準とするのかという問題も存在する。
実際、総合的な学習の時間を有意義に使う学校もある一方で、単に不足している授業時間の補完など評価基準のはっきりした伝統的科目の学力向上に使うなどというケースも少なくなかった。また、基礎学力が低い生徒は「総合的な学習の時間」の目的とされる、「主体的に考える力」なども低くなる傾向があるという指摘もある[49]。
受験産業の反応[編集]
改訂された学習指導要領の内容が明らかになると、学習塾や進学予備校などの受験産業や、私立学校(特に中高一貫校)は活発な営業活動を行った。マスコミ媒体などに頻繁に登場した西村和雄京都大学教授などの言説を論拠に[50]、「ゆとり教育」に対する危機感を訴えることによって、親の不安を煽り、活発に児童・生徒の勧誘活動を行った[51]。 折込チラシ、CMや電車内のドア周辺や吊り広告などの広告活動や、自らがスポンサーとなっているテレビ番組内などで、「小学校では円周率をおよそ3として教えている(正確にはゆとり教育のため小数点による計算が遅れたため幾何学において概算に3を使うようになったため)(日能研)[51]」、「ゆとり教育で学力低下を引き起こす」「あなたの子供の将来が危ない」など、あるいは、学習時間の多寡を基準に、日本よりも学習時間が長いイタリアなどが、PISAでは日本のはるか下位に位置しているのにも拘わらず「世界の子は勉強している(栄光ゼミナール)[50]」といい、教科の好き嫌いを基準に、算数の好きな子の割合がイランが1位、日本は24位で日本の教育がダメだといい(栄光ゼミナール)[50]、統計値を恣意的につまみ食いした正確性・客観性に欠ける情報で危機感を煽ったり、この種の営業活動を行った事例もある[50]。学習塾などがこういった営業活動を行った理由として、子供が減るために学習塾間で「パイの奪い合い」が発生していたことがある[51]一方で実際に学力の低下が国際機関の調査で明確に顕著となったことも考慮すると親が子供の学力維持に塾に頼らざる得ない状況が生まれたともいえる。ゆとり教育への不信を背景とした中学受験ブームは、2008年(平成20年)にリーマンショックが起こるまで右肩上がりで続いた。[要出典]
一部の公立校では、塾の教師やスタイルを取り入れて学校教育を変えようという試みもしている。一例としては杉並区立和田中学校(校長の藤原和博、後任の代田昭久、共にリクルート出身)にて2008年(平成20年)1月に行われた「夜スペシャル」(通称??夜スペ?=jがあり[52]、これは成績上位者のみを対象に、名門進学塾サピックスの講師を派遣して有料(1万円〜2万円)で授業を行う(学校が運営しているわけではなく、保護者の有志団体による運営形式)。
さらには、都立高校などが「総合的な学習の時間」のカリキュラム作成にもたついている間に、日能研を初めとする一部の塾は
「自ら学び考える力を育てる授業。『総合学習』そのものだ」([51]より引用)
と「総合的な学習の時間」を商品として提供を始めている。私立学校や中高一貫校の入学試験が、PISAに似たものになってきているからだ[51]。
日本国外の類似例[編集]
デンマーク[編集]
ゆとり教育をすすめていたデンマークでも、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) の結果が下がり、学力低下が議論になった。教育改革として、義務教育の1年早期化などが議論されている。学校の現場では学力向上を目指した教育改革に反発があるものの、生徒の親は学力低下への不安が強いようである[53]。
フィンランド[編集]
OECD生徒の学習到達度調査(PISA:数学・科学・読解力の3教科のみ)においてトップの成績をあげ、全ての項目で日本を上まわったフィンランドは週休二日制であり、授業時間も日本よりかなり少なく、また、「総合的な学習」に相当する時間も日本より多く、「ゆとり教育」に近い内容である。
具体的な中身として一つは、中学校の教育に特筆されるのは三分の一にわたる(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業をうけていることがある。低学力の生徒に対する個別の教育により底辺の学力を上げるだけでなく、優秀な生徒にはそれ相応の特別な教育がおこなわれている。つまり、生徒の能力の違いを前提にして全体の学力を上げている。生徒の個別の能力差に沿った教育が行われているため、無理に能力の低いものを能力の高い授業に適応させる必要がないために「遅れる」ことはあっても「落ちこぼれる」ということはない。特定の基準を満たさない生徒にそぐわない授業内容を押しつける必要がないから「ゆとり」があるわけである[54]。
また、高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われており、よい高校やよい課程に入学するには中学でよい成績をおさめなければならない[55]。
他には、授業の組み立て方や教科書の選定など、教育内容の大部分を現場の裁量に任せられているという特徴もある[56]。また、フィンランドは授業時間は少ないものの、日本にはない様々な教育の工夫が試みられている。多くの学校で学費が無料であるため、低所得の世帯でも安心して教育を受けさせることができる[57]。
このようなシステムがフィンランドにはあるため、フィンランドで講師を務めたこともある中嶋博早大名誉教授は、落ちこぼれをつくらず楽しんで学ぶ教育がフィンランドの教育であると述べており[58]、フィンランドに留学経験のある者は、中高一貫の学校が多いため、(中学)受験を気にせずじっくりと学習に取り組む事ができ、学習への理解が不足している、いわゆる「落ちこぼれ」の生徒は義務教育中であっても、じっくり教育を受けるシステムが確立されていると述べている[59]。
脱ゆとり教育[編集]
詳細は「脱ゆとり教育」を参照
2008年に改訂された学習指導要領のことを脱ゆとり教育と呼ぶ者もいる[60]。小学校では2009年度に一部前倒しで行われ、2011年度より完全実施される。中学校では2009年度に一部前倒しで行われ、2012年度に完全に行われる。高校では2012年度の入学者から一部前倒しで行われ、2013年度の入学者からは完全に行われる。この改訂後の学習指導要領では、授業時間・内容の削減を行ってきたゆとり教育とは逆に内容を増やし、授業時間を増加させる教育となっている。具体的には、小学校では278時間、中学校では105時間ゆとり教育の授業時間よりも増加し、小学校で47都道府県の名称や位置や台形の面積の公式、縄文時代、中学校でイオンなどの内容が追加される。小学校で2011年度から使われる教科書は、マスコミから「脱ゆとり」と騒がれ[61]、全教科で前回(2004年の検定)よりも25%、ゆとり全盛期(2001年の検定)より43%ページ数が増えたことが、文部科学省の2011年度から使われる小学校の教科書検定の結果の発表でわかった[62]。
ただしページ数の大幅な増加は演習問題の増加によるものであるため、内容が43%増ではないということを留意する必要がある。
しかし、PISA2009で学力が回復したことから、脱ゆとりはもっと前からすでに始まっていたという声もある[63]。
さらに国は依然として週5日制堅持の方針は変えていないが、東京都や大阪市などでは、改訂後の学習指導要領実施に合わせて、一般の公立小中学校での土曜授業の復活容認など、学校週5日制についても見直す動きが出ている。
また、ゆとり教育とともに採用された評価方法である絶対評価については、脱ゆとり教育においても見直しは行われず、2011年以降もそのまま継続されている。
脱ゆとり教育は、ゆとり教育での問題を解決するために作られたのだが、うまく対応できなければついていけない子どもが増えるのではないかと懸念するものもおり[64]、また、暗記や暗唱が中心の教育に戻したり授業時間を増やしたりする方法では日本の教育が抱えている諸問題は解決できないと述べている者もいる[65]。
受験産業の反応としては、学習内容が多くなる、難しくなるという部分を押し出しており、ゆとり教育時の反応とは違う反応を示している。また、ゆとり教育による公立学校不信を背景に起こった私立中学受験ブームも、公立学校での脱ゆとり教育の実施に加え、2008年のリーマン・ショック後の不況や、2011年の東日本大震災の影響もあり、かなり沈静化している。
大学入試センターは学力の幅が広がっており、1種類の試験では学力をはかることが難しくなっているなどを理由にして、2013年度以降実施される学習指導要領にて高校教育を学んだ高校3年生が受験する2016年を実施目標に、大学入試センター試験において難易度別に2種類の試験にすることを検討している[66]。
脚注[編集]
1.^ 高校は学年進行なので、対象者は1982年度から2012年度入学者である。
2.^ a b c asahi.com 「ゆとり教育」と教育改革の行方:1(寺脇教授)
3.^ 【ワイドショー通信簿】「上司が支援するのは当然」 2010新人を面白がる法
4.^ 陰山英男氏が指摘する「ゆとり世代」3つの特徴
5.^ a b 1992年1月29日毎日新聞社説 日教組が学校五日制を、教職員の週休二日制とセットで実現しょうと運動方針に掲げ始めたのは1972年からだった。(中略)日教組は学校五日制を教育改革としてとらえ、子供にとって、ゆとりのある学校への転換の実現をめざしている。
6.^ a b 2007年7月1日放送TBS「報道特集」にて槙枝元文元委員長談
7.^ a b 『迷走 日本の原点』櫻井良子 新潮社 ISBN 9784104253036
8.^ a b 日本財団図書館 文部科学省の教育改革を語る(寺脇研)
9.^ 平成15年9月7日毎日新聞への元文部大臣中曽根弘文の寄稿文中曽根弘文ホームページ
10.^ 4月から「脱ゆとり教育」の学習指導要領一部実施へ
11.^ 西部邁・黒鉄ヒロシ 「詰め込み教育か、ゆとり教育か」『もはや、これまで: 経綸酔狂問答』 PHP研究所、2013年、88-89頁。
12.^ a b c d 高等学校は学年進行であるため、施行された年に1年生の者から適用され、施行された年に2年、3年生の者は前の教育のままである。
13.^ 文部科学省 旧学習指導要領
14.^ 日教組が支持していた日本社会党が自社さ連立政権となり与党となったことで、日教組と文部省の対立が弱まり、1996年、中教審委員に日教組関係者が起用された(2007年7月1日放送TBS「報道特集」)
15.^ 文部科学省 新学習指導要領(現行学習指導要領)
16.^ 2007年7月1日、TBS「JNN報道特集」
17.^ 文部科学省 新しい学習指導要領
18.^ 中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について−子供に『生きる力』と『ゆとり』を−」1996年7月19日
19.^ 2002年度以降に施行された学習指導要領で目標としているもので、2011年度以降の学習指導要領では、これを全面的に押し出している。
20.^ “完全学校週5日制”. 文部科学省. 2011年10月4日閲覧。
21.^ もしくは、移行措置期間である2000年度以降
22.^ 『「好成績」戸惑う文科省 なぜ、上向いたのか』 毎日新聞、2005年4月23日。
23.^ 『ゆとり教育:学力向上にプラスかマイナスか 揺れる評価』 毎日新聞、2007年4月14日。
24.^ “OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)「デジタル読解力調査」のポイント”. 2012年12月12日閲覧。
25.^ “国際数学・理科教育動向調査の2011 年調査(TIMSS2011)”. 2012年12月12日閲覧。
26.^ “PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査”. 文部科学省 (2004年12月). 2010年9月22日閲覧。
27.^ “OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2006年調査国際結果の要約”. 文部科学省 (2007年12月). 2010年9月22日閲覧。
28.^ ただし、科学的リテラシーの6位と5位は同じ点数であり4位とは僅か一点の差である。元東京大学総長の有馬朗人はこれらの結果を参加国が増えたことも考慮しつつ「PISAの結果から「理科の学力が低下した」とはいえない」と述べている。未来に希望が持てる社会に向けて、科学技術教育を
29.^ “OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2009年度調査の結果について”. 文部科学省 (2007年12月). 2010年12月27日閲覧。
30.^ OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)のポイント
31.^ “国際数学・理科教育動向調査の2003年調査(TIMSS2003)”. 国立教育政策研究所 (2004年12月15日). 2010年9月22日閲覧。
32.^ “国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2007)のポイント”. 文部科学省 (2007年12月). 2010年9月22日閲覧。
33.^ 学習指導要領の施行(小学校)は2011年度からであり、TIMSS受験時(2011年3月ごろ)には実施されてはいなかったが、2009年度から移行措置期間として、理数系の授業時間を増やしている。
34.^ 小4算数・理科学力上向く 国際調査 脱ゆとり効果か, 2012年12月11日21時54分, 朝日新聞
35.^ 研究開発部研究開発課 (2005年7月). “平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査”. 教育課程実施状況調査. 国立教育政策研究所. 2008年12月17日閲覧。
36.^ 斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋 2000年
37.^ 『学校から「合校」(がっこう)へ』1995年4月 経済同友会
38.^ 『規制撤廃・緩和に関する要望』1995年9月8日 経済同友会
39.^ 広田照幸; 斎藤哲也 (2007年11月16日). “なぜ「ゆとり教育」は失敗したのか? 〜せっかちな創造性の追求【前編】”. 日経ビジネス オンライン. 日経BP社. 2008年12月16日閲覧。
40.^ 第5分科会メンバー一覧
41.^ 「21世紀日本の構想」懇談会 (2000年1月18日). “第5章 日本人の未来(第5分科会報告書)”. 「21世紀日本の構想」懇談会最終報告書. 首相官邸. 2008年12月16日閲覧。
42.^ 『徹底検証 学力低下に歯止めはかかったか?』2008年12月 All About
43.^ 陰山英男氏が指摘する「ゆとり世代」3つの特徴
44.^ 成績が上昇し、勉学意欲が向上したというデータもある。「ゆとり教育」で成績アップ『livedoor ニュース』2010年6月06日閲覧
45.^ 「学力低下は錯覚である」の補足
46.^ 本と本屋さんの夕日 第32回 そもそも読書とは害悪であった
47.^ 教育への公的財政支出を倍増せよゆとり教育で理科の力は上がった
48.^ 学力低下論争と教育心理学
49.^ 苅谷剛彦 『調査報告「学力低下」の実態』 岩波書店〈岩波ブックレット〉(原著2002年10月)。ISBN 9784000092784。
50.^ a b c d 瀬川松子 『亡国の中学受験 公立不信ビジネスの実態』 光文社(原著2009年11月)。ISBN 4334035353。 P57、P62-P67
51.^ a b c d e “【公教育を問う】第2部(2)「総合学習」進化する塾”. 産経新聞. (2008年2月18日) 2008年12月17日閲覧。
52.^ 小田博士; 村上智博 (2008年1月26日). “「夜スペ」スタート、特効薬か劇薬か 杉並区立和田中”. 産経新聞 2008年12月17日閲覧。
53.^ 『デンマークで“ゆとり教育”見直し』 読売新聞、2006年7月4日。
54.^ [1]"In 2006 approximately one third of students in comprehensive school were transferred to special education or received part-time special education which is significantly more than in OECD countries on average (Statistics Finland, 2008). Special education has a key part to play in improv-ing equity and combating educational failure in Finnish schools."
55.^ [2]"Upper secondary school is mainly intended for students aged 16-19. The schools select their own pupils, based on their comprehensive school grades."
56.^ 『比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド』 朝日新聞、2005年2月25日
57.^ 実川真由 『受けてみたフィンランドの教育』 文藝春秋(原著2007年9月)。ISBN 4163694501。
58.^ 『比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド』 朝日新聞、2005年2月25日
59.^ 実川真由 『受けてみたフィンランドの教育』 文藝春秋(原著2007年9月)。ISBN 4163694501。
60.^ “脱ゆとり教育(新学習指導要領)”. 2010年11月23日閲覧。
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62.^ 2010年3月30日 朝日新聞
63.^ “PISA2009脱ゆとりで学力はV字回復へ”. All about. 2010年12月30日閲覧。
64.^ 2008年2月26日 中日新聞 社説 より
65.^ “比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド]”. 朝日新聞 (2005年2月25日). 2010年11月23日閲覧。
66.^ “センター入試、難易度別に2種類 16年導入を検討”. asahi.com (2010年10月25日). 2010年11月23日閲覧。
参考文献[編集]
神永正博 『学力低下は錯覚である』(森北出版株式会社,2008年,ISBN 978-4-627-97511-8)
斎藤貴男 『機会不平等』(文藝春秋,2000年,ISBN 4-16-356790-9)
小川洋 『なぜ公立高校はダメになったのか—教育崩壊の真実』(亜紀書房,2000年,ISBN 4-7505-9903-4)
寺脇研 『21世紀の学校はこうなる—“ゆとり教育”の本質はこれだ』(新潮社 新潮OH!文庫,2001年,ISBN 4-10-290067-5)
西村和雄 『ゆとりを奪った「ゆとり教育」』(日本経済新聞社,2001年,ISBN 4-532-14916-9)
苅谷剛彦 『教育改革の幻想』(筑摩書房,2002年,ISBN 4480059296)
和田秀樹 『「ゆとり教育」から我が子を救う方法』(東京書籍,2002年)
藤原和博 『公教育の未来』(ベネッセコーポレーション,2002年,ISBN 4-8288-3712-4)
苅谷剛彦 『なぜ教育論争は不毛なのか』(中央公論新社,2003年)
藤田英典 『義務教育を問いなおす』(筑摩書房,2005年,ISBN 4-480-06243-2)
陰山英男 『学力の新しいルール』(文藝春秋,2005年,ISBN 9784163674803)
山内乾史・原清治 『リーディングス 日本の教育と社会1 学力問題・ゆとり教育』 (日本図書センター,2006年,ISBN 4284301160)
伊藤敏雄 『誰も教えてくれない教育のホントがよくわかる本 ゆとり教育になって学校はどうなった?』 (文芸社,2006年,ISBN 4286009548)
寺脇研 『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(扶桑社,2007年,ISBN 978-4-594-05464-9)
寺脇研 『さらば ゆとり教育 A Farewell to Free Education』(光文社,2008年,ISBN 978-4-334-93428-6)
藤原幸男 「ゆとり教育」改革と学力 [3]