毎年、10月になると話題になるドラフト会議。
一体いつからこの制度は始まったのでしょう。
今回はそのルーツをたどってみました。
ドラフト制度は、プロ野球を総括する日本プロ野球機構が開く会議で、1965年(昭和40年)に初めて第一回が開催され、機構が規約で定めた手順によって、新人選手との契約交渉権をプロ野球の各球団に振り分け、戦力を均等化しようとするものです。
そもそも、ドラフトが導入される前は、新人選手の入団については決まったルールもなく、高い契約金を払える資金力の豊かな球団に有望な選手が集まってしまい、ドラフト制度の目的の一つの戦力の均等化は絵にかいた餅でした。
また、資金力のある球団にとっても、どんどん上がる契約金を抑えなければ、立ち行かなくなるということもあり、各球団が足並みを揃えて賛成しドラフトの導入が進んでいったとのことです。
そして、第一回の原案となったのが当時西鉄の西亦次郎代表が提案した「新人プール案」というものでした。
プロ希望選手たちを一旦、ひとつの窓口でプールし、抽選で所属球団を決めようというもの。
日本プロ野球機構が新入団選手をとりまとめ、その上でプロ野球各球団へ、配属先を決めていくという考え方でした。
この案に各球団が賛同、様々なルールも固められていき、第一回会議が開催されました。
しかし、この第一回ドラフトは、指名される選手からの不満が大きかったようです。
前年までであれば好きな球団に、高額な契約金で入団することができたのに、ドラフト制度では球団は選べず、契約金の上限も決められてしまったからです。