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2015年10月29日

DESE法

私たちは日々の生活の中で、どのように自分の気持ち・要求を伝えたらよいか迷うことがあります。

 腹の立つ状況や人に対しては特にそうでしょう。

 そうした時の台詞作りに役立つのが、ここで紹介させていただく”DESC法”です。

 これは次の英語の頭文字をあわせた呼び名です。

 ?@D=describe(描写する)→自分が対応しようとする状況や相手の行動を客観的・具体的に描写する。(状況によっては省略可。)

 ?AE=express,explain,empathize(表現する、説明する、共感する)→自分の主観的気持ちをあまり感情的にならずに、表現したり、説明したり相手の気持ちに共感したりする。

 ?BS=specify(特定の提案をする)→相手に望む行動、妥協案、解決策などを明確に具体的に述べる。

 ?CC=choose(選択する)→肯定的・否定的結果を考えたり、想像し、それに対してどういう行動をとるか選択肢を示す。相手がYESという場合、NOという場合両方を考えておく。

 では、さっそく具体例を挙げてみたいと思います。





(例1)テーマパークで彼氏とデート中のAさん。いくつかのアトラクションをまわり、ちょっと疲れてきており、カフェで一休みをしたいと感じています。
しかし、彼氏の方はまだまだ元気いっぱい。まだまだ休もうという気配を見せません・・・

 「いろんなアトラクションまわったねえ〜」(←Dの部分。具体的な事実)

 「私ちょっと疲れちゃった。」(←Eの部分。自分の感情)

 「ちょっとそこのカフェで休まない?」(←Sの部分。提案)

 (彼の返事がYESの場合は問題ないわけですが、NOの場合も一応想定しておく。)

 ・彼の返事がNOの場合

 「いや、せっかくのフリーパスだし、出来るだけたくさんまわらないともったいないじゃん!」

 「はあ・・・全く仕方ないわね。じゃあ、あと一つまわったら休む。それでどうかしら?」(←Cの部分。妥協案)


(例2)O商店では、料金は後払い制にしている。しかし、一週間経っても、料金が振り込まれる気配がない・・・

 「大変失礼ですが、○○さんは、○月○日分のご利用分の料金の支払いをまだ済まされていないようです。」(←Dの部分。客観的事実)

「私としては、早急に料金を振り込んでいただけるとありがたいのですが・・・」(←Eの部分。自分の気持ち)

 「○○さんのご都合もあるかと思いますが、出来ましたら、3日以内に振込みの方、お願い出来ないでしょうか?」(←Sの部分。提案)


(NOの場合も想定しておく)

 →(3日以内は難しい、でも一週間以内ならという返答)わかりました。では、一週間以内ということでよろしくお願いします。(←Cの部分。お互いが納得できる妥協案)

(例3)A君はアパートで一人暮らし。最近の悩みは、隣室のテレビの大音量。すごいストレスになっています。管理会社に訴えても、あまりきちんと対応してくれません。でも、自分で伝えるにしても、どう伝えればいいのか・・・下手な伝え方して逆切れされたら怖いし・・・

 ○○号室様

 突然のお手紙失礼します。

 大変申し上げづらいのですが、どうも最近、深夜から早朝にかけて、貴方の部屋のテレビの音量が大きすぎるように思います。(←Dの部分。客観的事実)

 私としては、眠りや仕事が妨げられ、かなりのストレスになっております。(←Eの部分。自分の状態)

 ですので、今よりかなりテレビの音量を落としていただくか、ヘッドホンをつけるなどの手段を講じていただけないでしょうか?(←Sの部分。提案)

 どうかよろしくお願いします。

(相手に無視されたケースも想定しておく)

 相手と話し合いが出来る状況であれば、妥協案を模索する。(←Cの部分。)

 場合によっては、隣近所・友人たちにも協力してもらったり、管理会社にさらに強く訴えるといった強行策も。






 3つほど例をあげましたが、だいたいイメージはつかめましたでしょうか?

 こんな感じで、台詞をつくっておくことで、比較的エレガントに、腹の立つ人達にも自分の気持ちを伝えることが出来るようになるのではないでしょうか?

 特に、Cの部分のNoと言われた場合も想定しておく、は重要だと思います。

 それによって、こちらの想像外の反応に対しても、感情的・衝動的にならずに対応出来る確率は、かなりあがるように思います。

学歴コンプレックスについて

ヤフーの質問掲示板をのぞいてたら、こんな質問がありました。

「私は、それほど偏差値が高くない(とはいっても無名ではない)大学に通っているのですが、学歴コンプレックスに悩んでいます。・・・(中略)・・・

 偏差値の高い大学生相手だとどうしても一歩ひいてしまうし、好きになった女性が自分より偏差値の高い大学だと、それだけで、自分なんてと感じてしまい、アピールできません。

 こんなことなら高校の時、だらだら過ごさず、もっと一生懸命勉強しておけばよかった・・・今から、大学受けなおそうかとさえ考えてます。

 でも、実際問題、そんなの無理だろうし・・・。それに、20すぎの新入生なんて、それもどうかと思うし。

 一生このままなんでしょうか?どうすればこのコンプレックスを解消できるのでしょうか?」





 僕も気持ちはすごくわかります。

 やはりいろんな方が関心のあるテーマなのか、数多くの回答が寄せられていました。

「今からでも大学受けなおせば?実際今は、20代の大学入学者多いみたいだよ。」
「何か資格取れば?」
「あなたは自分が好きでないんですね。仮にもしあなたに学歴があったとしても多分同じ。もっと、ありのまま自分を好きになっていくことが大切なんではないでしょうか?」
「社会人になれば、学歴なんてそんな関係ないし、そんなん自然に消えるんじゃない?」
「結局あなたは、なにがしたいの?それをはっきりさせずに学歴にこだわってもしょうがないんじゃない?」

 他にも色々な回答があったんですが、これらを分類すると、大きく分けて3つのタイプにわけられるかと思います。



タイプ1 もう一回いい大学入りなおすか、または自慢出来るような難関資格を取得する。


 多くの人がまず考えるのはこれかと思います。

 僕もまだ強くコンプレックス持っていた頃、やはり大学再受験したり、難関資格をとりに専門学校へ通ったもんです。

 「受かればなんとかなるだろう。というかまずは受からないと俺の人生始まらない。」などと考えて、そもそも別にやりたい職業でも入りたい大学でもなかったのに、無理やり気力を振り絞ってました。

 しかし今から考えると視野がとても狭かったと思いますし、自分自身に勝手にいろいろな制約をかけてしまっていたように思います。
 こうすべき、ああすべきなんて本当はないのにね。自分の好きなように生きていいのに。変な見栄とか常識捨てれば、生きてく方法なんて、他にいくらでもあるのに。
 「これでダメならもうやめる!」と最後の一年頑張ったんですが、結果×でしたのですっぱりと諦め、自分の本来やりたかった道をまい進することにしました。
 結果として、それで本当によかったと思います。(まあ、多少負け惜しみ入ってるのも認めますけど。)
 自分の性に合ってて、人様に喜ばれる仕事が出来ればコンプレックスは自然と消えます。

というわけで、僕の個人的な意見になってしまいますが、コンプレックス解消のためだけに、難関大学受験とか難関資格を取得するのは、あまりお勧め出来ないです。(ちゃんと目的があってやるのならそれは全然別。)

 ”自分の人生の目的とか幸せだとかは、まずは受かってから考える”というのも一つのやり方ではあると思いますし、小器用に生きれるタイプの人なら、それでもなんとかなるとは思いますが、そういうタイプでない人の場合、チャレンジする前によくよくご自分のことを考えたほうがよいと思います。

それは、本当に”あなた自身の願い”なのか?知らず知らずのうちに親や周りの期待に添おうとしてしまっていないか?何か自分の別の問題から逃げるために、学歴・資格取得に走ってしまっていないか?
 自分は本当は何に向いてるのか?(人よりやすやすと要領よく出来ることは何か?減点法の現代日本においては、自分の短所をなおすことばかりに目が向き、長所は当たり前のものとして無意識になってしまっていることも多い。)



タイプ2 コンプレックスというのは心の問題。そこを解決しないと多分何も変わらない。


 実際、世間を見ると、超高学歴の人でもコンプレックスに悩まされてる人って多いみたいなんですよね。

 一ツ橋大学という、日本で5本の指に入るであろう、超名門国立大学があります。

 これほどの名門なんだから、学歴コンプレックスとは無縁だろうと、多くの人が考えると思います。

 でも、そうでもないみたいなのです。

 「僕の成績やったら、本当は東大入れたんだよね。高校時代の東大模試でも、常にA判定だったし。」

 とかなんとか言い続けて、4年間を過ごす一ツ橋大学生も、少なからず存在するみたいなんです。

 学歴とか資格とかって上を見出すとキリがないとこがあります。

 ですので、どっかの段階で開き直りが必要かと思います。

 無い物ねだりせず、今自分が持ってるもので、どうすれば人様に喜んでもらえるか。自分にとっての幸せはなんなのか。

 ちなみにこの質問のベストアンサーに選ばれてたのは、このタイプの回答でした。


タイプ3 社会人になれば、学歴なんてどうでもよくなる。 


 (一部例外はあると思いますが)どの業界でも最終的に問われるのは、資格でも学歴でもなく実際どれだけ仕事が出来るかだと思います。いくら立派な資格や学歴があっても、現場で結果を残せない方を上司も使おうとは思えないですし、お客さんもついてこないでしょう。自分の自信にもならないでしょう。

 話しは全く全然変わりますが、コンプレックスはその人のいる環境とか身近な人の価値観次第といったところも大きいと思います。

 僕は20代前半あたりまで、割と重度の学歴コンプレックスでした。うちの両親など身近な人にもそういう価値観の人多かったと思います。

 で、30すぎた今は、「全くなくなったわけでないけど、それほどでも。」といったところだと思います。

 でも、そういうのがゼロになったわけでもありません。何かの折には刺激されます。
 私は時々、デイサービスなどの老人施設にボランティアに行くのですが、ご老人の中には、「孫は京大出身で、司法試験に関西で一番で受かって、新聞にのった。」とか、「息子は、慶応でて、今は○○会社の取締役やっとる。」などと言った話が大好きな方がおられます。

 別に、それだけならいいのですが、だいたいそういう人って「あんたは、どこの大学でてんの?」って聞いてきます。

 で私が「高卒やねん。」と答えると、「別に学歴がどうだろうと、胸はって仕事することが大切なことなんだよ。」とか励まし?てくださったりします。

 ・・・いや、まあ、そりゃあごもっともなんですがね・・・

 正直言いますと、そういう時はよっぽど、「俺も京大出身やねん。」とか嘘ついてやりたい衝動にかられます。困ったもんですね。

 とまあ、人間は社会的動物でもあるわけですし、コンプレックスって環境次第、相手次第というのも大きいかと思います。



 まとめのようなもの


 結局は、その人がその人らしく、人様のお役に立てる仕事をすることが一番大切なことだと思います。そうすれば自信も自然についてきますし。コンプレックスも消えていきます。

 本来、学歴なり資格取得なりはそのためのもんです。自分の目指す職業がそういったものを必要としてないものなら、別にそれにこだわる必要なんて全くないと思います。

 ただ、問題は”自分に合ってて、かつお金になる仕事”を見つけるというのが、制約のいろいろ多い現代においては、とても難しかったりすることです。

 そこに触れだすと話しがまた別のテーマになってしまいますので、別の機会があれば、ということで。

夢の分析について(寝るときの夢)

この忙しい昨今、「夢なんかにいちいちかまってられっか。」というのが、多くの人の本音でしょう。

 仮に何か印象的な夢をみたとしても、「所詮夢だから。」で、ながしがちです。

 別にそれはそれで全然OKだと思います。夢はみること自体に、既にある程度意味がありますから。変な解釈するくらいなら、適当にながしておいたほうがよほどいいくらいです。

 しかし、もし人生に行き詰ってどうしようもなくなった時、自分の見る夢に、少しだけ注意してみることで、思わぬ突破口が開けることがあるかもしれません。



自分の感情・印象が大事。



 ”夢分析”なんていうと、大学の心理学科で習うような、何か専門的な知識とかが必要となってくるような気がします。

 しかし、ほとんどの場合、そんなのいらないです。

 中途半端に勉強して、その知識に振り回される方がよっぽど怖いと私は思います。

 また 世の中には夢辞典なるものが存在します。

「排泄物の夢は、”うん”がつくという意味で、吉夢。」
「自分が殺される夢は、今の自分が殺され、新しい自分に生まれかわるという意味。」

 と、こんな感じのことが書いてあります。

 ほとんどの人はこうした”辞典”に従って、夢の意味を解釈するのが、”夢分析”だと認識してるんではないでしょうか?

 もちろんそれでもあたることはあるでしょう。

 しかし、あまりにそういった”辞書的なもの”に囚われると、夢分析が意味のないものになってしまうかもしれません。

 なぜなら、夢というのは無意識の世界の自分が、他の誰でもないあなた個人にむけて、送ってきた手紙だからです。

 ですので、辞書的な意味より”その人にとっての意味や感情”が、すごく重要な意味をもつのです。

 例えば、AさんとBさんの夢に船が出てきたとします。

 Aさんは、船を広い世界へ飛び立つ自由の象徴と連想しました。

 一方、Bさんは多額の借金を背負った人が、強制的にのせられるマグロ漁船を連想しました。

 同じ船であっても、AさんBさんでは船に対する印象が全然違います。

 もし、上の二つを同じ”船”というくくりで、考えてしまったとしたら、夢分析はほとんど意味のないものになってしまいます。

 夢分析の解釈は、10人いたら、10通りの解釈があると考えるべきでしょう。




実例



 (例1)彼氏と別れる決心がつかなかった女性

 彼氏と別れるか別れないかで、延々と悩んでいた女性がいました。

 彼氏と別れたいという心はあるのですが、様々な理由から、なかなか別れる踏ん切りがつきません。

 彼女は最終的には彼氏と別れるのですが、決め手となったのは、ある時みた印象的な夢でした。

 それは、吸血鬼に生き血を啜られる夢でした。

 その夢は、彼女にこれ以上ないくらいわかりやすい形で、自分が彼氏にされていることの正体を伝えてくれたのです。

 (例2)聖書

 聖書には、夢のおつげという形で、神から人間にメッセージが伝えられる場面が、数多く見られます。

 処女で妊娠して途方にくれていたマリアに、「その子を産みなさい。」というメッセージが、夢を通して送られます。その生まれてくる子がイエス・キリストとなるわけです。

 (例3)ベンゼン環

 合成樹脂・医薬品・車や航空機の燃料など、幅広い用途に使われるベンゼン環は、研究に行き詰っていた、ある科学者が見た夢が発見のきっかけになっています。

 その夢とは、蛇がお互いの尻尾をくわえ、円になっている夢(ベンゼンの化学組成は、炭素と水素で構成された円の形)でした。

 蛇というのが、また意味深いです。ベンゼンって使い方次第で毒にもなりますから。




私が見た夢の例



 私が実際に見て、そして現実にすごく役だった例を2つほどあげてみます。

 例?@僕のすごく好きなお気に入りのCDが、壊れたCDラジカセ(なぜか昔のレコードのように長い針がついてる)で再生しようとしたことで、ガリガリと傷つけられてしまう夢。


 この夢は、自分のその当時の現状をこれ以上ない形で、的確に示しておりました。
 ここでいう壊れたCDラジカセとは自分の体のことだと私は解釈しました。
 そしてCDは、それによって奏でられる自分の人生のことと解釈しました。

 自分の体のある部分の不具合が、自分の人生を、傷つけてしまっていたのです。
 その夢を見たことによって、私は自分の体の問題に、それまでと比較にならないくらい真剣に取り組むようになりました。

 例?A時刻は昼ごはん時。場所は、学校の教室?または職場。

 なんか自分の机の中をごそごそあさっている人がいます。その人は、僕が声をかける前に、さっさとどこかへ行ってしまいました。なんだろうと思いつつも、机の中にあったポケットティッシュを取り出し、中を開けるとなんと中からゴキブリが!!!
 そして、そのゴキブリは、側で弁当を食べていた人(A氏とします)の弁当の上を駆け回ります。そして、A氏から強烈に怒鳴られ、すごい申し訳ない気持ちになってしまいます。 
 しかし、いくら面倒くさがりな僕でも、机の中にゴキブリを繁殖させるほど不潔ではない。犯人は机の中をいじっていたその人である可能性がとても高い。でも確証はない。そして、Aさんは完全に僕の責任だとなじっている。


 これも当時の自分と、A氏との間におこった問題を的確に示していました。
 冷静に考えれば、私のせいではない可能性が高いのに、攻撃の矛先が私に向いてしまっていること。自分でもすごく責任を感じてしまっていること。
 しかし、よくよく考えてみれば、たかだかゴキブリ、たかだかご飯一食。ゴキブリが走り回ったところだけ捨てるとか、コンビニで買いなおすとか、冷静に考えれば、手段はいくらでもあります。

 けど、Aさんはそんな冷静な対応など思いもつきません。何を言っても無駄。ゴキブリってダメな人はもう生理的にダメですからね。

 当時のAさんの私への反応は、まさにそんな感じでした。

 その夢を見たことによって、私は必要以上に自分をたたくことなく、またAさんの心理状況を的確に把握できたことで、かなりややこしかったその問題を、うまく処理することができました。

 いくつか例を挙げましたが、こんな感じで、夢が思わぬ気づきをもたらしてくれることもあります。

 印象的な夢をみたら、それをメモってみたり、誰か夢のことに理解のある人に話してみたりすると、自分の人生を変えるような発見が出来るかもしれません。

相談するということの意味

人生の中で、私たちが”ありのままの自分”を出せる機会というのは、どれくらいあるのでしょうか?

 実際、それは非常に貴重でまれなものではないでしょうか?

 一つの例として、旦那さんのアルコールの問題で悩んでいる奥さんが、それを近所の奥さんに愚痴ったとします。

 最初のうちはある程度、話をあわせてくれるでしょう。

 しかし、最後の結論としては、

「でも、ちゃんと仕事はしてるんでしょ?それなら文句ないじゃない。」
「それくらいは我慢しなくちゃ。」
「どこの家でも多かれ少なかれ、それくらいあるわよ。そのくらいまだいいほうじゃない。もっと前向きに考えなくちゃ!!」

 といった感じで会話は締められるのではないでしょうか?

 愚痴った方の奥さんは、「そうよね、これくらいは我慢しなくちゃ。」と一応は納得しながらも、どこか鬱々したものが残るんではないでしょうか?

 不登校・ひきこもり・ニートの方々の多くは、「自分は、親に何一つ受け入れてもらったことがない。ただの一度も自分の話をまともに聞いてもらったことがない。」と感じています。

 しかし親の側からすると、「これだけのことをしてやってるのに、こいつは何が不満なんだ!!」と、子供の言ってることがさっぱり理解出来ないことがほとんどのようです。

 しかしこうした親達が、実際に”子供のために”していることというのは、ほとんどが批判・説教・アドバイスであり、実際には子供の言葉に耳を傾けることを全くしていなかったりします。

 今あげた例はほんの一部ですが、このように、そのままの私たちが受け入れられる機会というのは、私たちが感じている以上に少ないようです。

 そして、その際に生まれるもやもやしたものが、知らず知らずのうちに、少しづつたまっていくことで、人によっては、うつの症状があらわれたりします。
 あるいは、アルコールやギャンブルなどの嗜癖にはしったり、その他様々な代償行為によって、その穴の埋め合わせを無意識のうちに行っているようです。

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