3度の自殺未遂
私は過去に3回、自殺未遂をしている。1度目は、そんなに大したことにはならなかった。
2度目も、そんなに大きなことにはならなかった。
3度目は、本当に死にそうになった。
処方されていた薬で飲まずに溜めていた薬を突発的に200錠ほど飲んでしまった。
ベッドの上で失禁している娘に気がついた母。
母が救急車を呼び、運ばれたらしい。
私の意識が戻ったのは、薬を飲んでから4日後。
気がついたときは、集中治療室の中。
尿に管を通されていること、生きていることに愕然とした瞬間を今でも覚えている。
それから、意識は戻ったものの上手に話すこともできず、数日を集中治療室で過ごした。
しかし、日本の医療上、長くその病院に居続ける事はできず、精神科への転院を進められ、退院。
その後、自宅にて療養することになった。
こんなことがあったのが、26歳。
その後も精神科へ入院を繰り返した。
薬を飲んで、病院へ行っていたころ、突発的に死にたくなる気持ちがよく訪れた。
それが薬のせいだと気がついたのは、だいぶ後になってから。
3度目の正直で、薬を一切やめたのは、39歳の冬。
いろいろと調べた。薬のこと、精神医療とよばれるもののこと。
自分がなんと長い間、医療とは決して呼べないようなものにとらわれていたかを知った。
医療といえど商売。
そんなことに気がつくのになんと時間がかかったことだろう。
私は、決して精神医療を医療とは呼ばない。
人をダメにする、人の可能性を壊す商売である。
どれほど強い言葉で書いているか、自覚はある。
しかし、20年近く、精神医療へ多大な時間とお金を払ってきた私だから言わせてもらう。
あれは医療ではない。
人の可能性を奪い、精神に作用させる薬をもってして、人の生きる力を奪い取る。
そんなものを良いものだと思っていた。
真面目に病院に通って、薬を飲み続ければ、いつか必ず良くなるのだと思っていた。
どんどん病名が変わっていった。どんどんひどくなっていった。
おかしい、おかしいと周りも思うほどだった。
母は、薬を飲んで変わっていく私をみてこういった。
「私の知っている娘ではない。娘が壊れていく。」
と。
母の思いは、今振り返ると正しかったのだと思う。
当時、母から言われた時は、言っている意味がわからずに何を言っているのかとけんかになった。
でも、今ならわかる。
お腹を痛めて産んだ子が、薬を飲み、どんどんおかしくなっていく。
母にとっても衝撃的なことだったに違いない。
断薬開始
自分の意志で、病院へ行くことをやめた。
薬をやめることを決めた。
薬を飲むたびに、デパケンを飲むたびに、体重が増えた。
20キロ以上増えた。そんなことが嫌で仕方なかった。
薬をやめれば体重が一気に減ることは、これまで2回の断薬への挑戦でわかっていた。
3度目の挑戦。
やっぱり、体重はするすると落ちていった。
無事にすごせた1年半。
断薬してから1年半後に訪れたほんとの地獄。
こんなに脳みそに作用させる薬をやめることが大変なのかと思い知った。
薬を作るとき、やめさせる方法は研究されていない。
だれも、薬を無事にやめさせる方法は知らない。
ちなみに、デパケンという薬の説明文書(添付文書)には、ちゃんと書いてあった。
この薬を飲んでいる方が、自殺する可能性が高いと。
自殺する可能性の高い薬だと!?
そんなものは薬とは呼ばない。
自殺させるためのものである。
だから、ただ自分の強い意志をもってして、戦う以外になかった。
生きること
支えてくれた主人、応援してくれた友達、先輩、家族、多くの人の思いのおかげで
いまもこうして生きている。
生きているというよりも生かされているのかもしれない。
大事なことを伝えるために。
私は、今も無事に生きている。
死にたいと思うことなく、毎日を過ごしている。
明るく、心穏やかに生きていける人が一人でも増えるようにと
願いをこめながら、今日もこうして言葉をつむぐ。
どうか、どうか、今死にたい人へ。
死ぬな!絶対死ぬな!
生きようよ。
悔しいじゃんか!?
つらいこと、いっぱいあったなら、その分嬉しいと思える事が待ってるよ。
まだまだ楽しいこと、美味しい物、嬉しいこと、感動する事、あるはずだよ。
いっしょに生きよう。
#L.L.nature
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