定年後の準備ができなかった外科医の助言
2018年12月06日 06:15 メディカルトリビューン
私個人は、白内障と老眼で、2重に見えたり、ピントがなかなか合わせられず、眼精疲労も蓄積する一方、
また、ドライアイも出てきて、4年前にメスを起きました。
その後、脳血管障害を中心に診る病院に転職し、脳神経まで診れるようになり、総合診療科医としてオールマイティーとなりました。
高校大学時代、社会人になってからの友人、知人との交流は、専門バカにならないためにも必要で、いろいろ教えてもらうことが多いです。一社会人として、知らないといけないこと、知らないと損をすることが多いですが、学校で教わることはあまりありませんでした。
外科専門医の定年退職後についてのアドバイスは、医師だけには関わらず、他の職種の方にも共通点、普遍性があると重い、転載しました。
さて本題です。
わが国では、100歳以上の高齢者が7万人近くに上るなど、100歳まで生きることが現実的となった。
そのような中、心身ともに豊かな定年後を迎えるには、
『セカンドキャリア』を見据えた現役時代を過ごすことが重要である。
原宿リハビリテーション病院(東京都)病院長の四津良平氏は、慶應義塾大学での心臓血管外科医時代に低侵襲心臓外科手術(Minimally invasive cardiac surgery; MICS)の先駆者として名をはせた。
同氏は、手術に追われ、定年退職前にセカンドキャリアの準備ができなかった自身の経験を踏まえ、第80回日本臨床外科学会(11月22〜24日)で若手医師に助言した。
後のことは考えず、定年直前まで手術に没頭
四津氏は、MICSの術式開発や、その普及に尽力した(写真1)。
MICSはそれまでの傷跡が生々しく残る胸骨正中切開術とは異なり、わずかな傷跡しか残らないため(写真2)、患者に好まれ、定年ぎりぎりまで全国から患者が殺到。
そのため、同氏は定年後の準備を全くできずに定年の日を迎えたという。
セカンドキャリアについて考えた際、まず悩んだのが外科医を続けるか否かであった。
外科医を続けるには、「今までの集中力や体力が継続できなければ、心臓という人間の最も大切な臓器を扱う特性上、患者を死に至らせるかもしれない」と懸念する一方、「メスを置いて助手になり現場を支えることもできるが、それで満足できるのだろうか」と引退への迷いも生じた。
心臓血管外科医からリハビリテーション専門病院の院長に
そのような折、ゴルフ仲間で心臓外科医の先輩(佐賀大学名誉教授・伊藤翼氏)から、原宿リハビリテーション病院への誘いがあり、二つ返事で引き受けた。
同院は、急性期病院から紹介された術後の亜急性期患者のリハビリテーションを行う施設で、300床を超える病床全てがリハビリテーション専門となる世界最大規模の専門病院である。
患者は高齢者が多く、同院の役割は、術後の患者の日常生活動作(ADL)を改善させ自宅に帰すことで、患者の90%が自宅に退院している。
現在、四津氏は院長職の傍ら、心臓血管外科医としての経験を生かし、心臓手術を受けた患者のリハビリテーションにも携わっている(写真3)。
このような高齢患者を診ながら、同氏が思い浮かべるのは病(脳血管疾患)で倒れた自身の両親のことだ。
同氏は医師でありながら、両親には一度も聴診器を当てたことがなかった。
今となってはそれが悔やまれ、「せめて目の前の患者は良くなってほしい」と親孝行の思いで治療している。
将来を見据えて人脈を広げることが大切
一生懸命働いている医師ほど、現役時代に定年後のことを考える余裕はない。
医師は異業種との交流が少なく、心臓血管外科の分野だけにとどまるとそれはさらに限られる。
実際、原宿リハビリテーション病院の在籍医師の多くは四津氏の心臓血管外科医時代のつながりで構成されている。
セカンドキャリアの選択肢を広げる方策として
、
同氏は「若いときから自分の診療科だけでなく、他科の医師も含めてできる限り多くの分野に人脈を広げること」
「留学や転勤、病気などのライフステージの転換期で長期的なキャリアを描き直すこと」を挙げ、現役世代に呼びかけた。(伊達俊介)
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2019年01月31日
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