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2022年03月08日
氏神様の増改築
写真出典: 『ウィキペディア(Wikipedia) Hansaki460 - 作成: 2012年9月12日
大御食神社増改築に伴う、寄付金のお願いの案内が隣組経由で届いていた。
なるほどということで、今までどのように維持されてきたのか、駒ケ根市誌を見てみると、下巻に現在までの、建て替え記録が載っていた。
本殿の最初の建替え 1149年
246年経過後本殿 建替え 1395年
272年経過後本殿 建替え 1667年
197年経過後本殿 建替え 1864年
その後158年経過して現在があります。
拝殿については 1920年建築
神楽殿 1920年に旧拝殿を改築
現在まで102年経過
(ここまで出典参考文献駒ケ根市誌)
となっていた。
記録されている数字を追っていくと、凡そ200年から260〜270年で、4回の建替えを経ております。
?@ 今回の増改築は、本殿に覆い屋の新築
?A 幣殿の新築
?B 拝殿の改築となっている。
1 40年から50年後には、本殿建替えのサイクルに入ることになります。なので現在の本殿には覆いでなく、建替えを視野に入れた維持管理だけでいいのではないだろうか。
2 覆い屋は本殿の建替え時には邪魔になり壊すしかない。それに太陽の光を遮る覆い屋は、陽光の恩恵を遮断することになり、思わぬ弊害を心配しなくていいのだろうか。
3 幣殿の新築は、使用頻度を鑑みると必要性において大いに疑問。幣拝殿として兼用している神社もあり、幣殿を今回新築すると、後世の人たちは、主な建屋だけでも本殿・拝殿・幣殿・神楽殿の四殿を維持・建替えすることになって、負担が増すことになってしまう。
更に現在は、コロナの禍(わざわい)の最中で、正常な経済活動ができない状態が続いていることは、ご承知の通り。加えて、いつになれはこの災難が収まるのか見当もつかないという苦しみの真っ最中であり、石油系統の燃料は上がり続け、食料品も上がり続けるばかりというあり様です。
4 この時期に、1900年記念行事と雖も、他のやり方を考慮しなかったかと強く思います。
5 建物診断をした形跡がありません。
6 図面は添付されていたものの、工法が書いてない。
7 今までの検討経過を知らせて頂きたいという質問には、誤解されると困るので出来ないという、何とも誠実でない、情けない返事ではいけませんね。議事録・会議録が残されていないのですかね。
文面からは、こちらに伝わってくるものが少なすぎて、切なるものが何にも伝わってきません。真剣で真面目なところを感じることができません。
駒ケ根市の二代目市長さんで、北原名田造さんという偉大な政治家がおりました。この方は、東京大学の農学部を出て、桔梗が原で農園を営んでおり、県議会にも出ておりましたが、議員は性に合わなかったらしくて、任期満了で辞退してしまいます。が、只者でないこの方は、農業の傍ら山羊飼育では日本の第一人者でもありました。で、初代駒ケ根市長が宮田町との合併話が拗れにこじれてしまい、嫌気がさして辞職してしまいます。その後の市長選に同級生らの懇願に応じて出馬して当選されており、その後伊那谷の発展に大変な功績を残されております。その大政治家の政治信条の一つに「万機公論によって決する」という信念がありました。公約通りにされております。
公の事は、万(よろず)の事、公の事は何事も、公論(公の論議)を経て決めるということです。
神社は個人の所有物でないことは皆さんご存じのはずです。経過説明にも計画にも、手抜きであってはいけません。神社の維持管理は大事なことです。それと共に氏子の負担が重いものでなくなるような、思いやりも大事なことです。ということは、名田造さんの言うような万機公論というような配慮に戻ります。
お祭りの寄付集めなら、隣組にお願いしてもいいでしょうが、金額が大きくなる建設費用となると、隣組に丸投げしてしまうという粗野なやり方は賛成できません。
神社という、世界に類を見ない神々への崇拝は、日本独自に発展してきたもので、自然崇拝と共に神々の働きを感じ取り、信仰を集めた宗教ではない信仰で、それは神社神道となり、世界に誇る信仰です。絶やしてはいけませんし、大御食神社は、この土地の氏神様としての役割を担っておられます。軽々しく考えてはいけませんし、後世の人々の負担が増すような計画に、寄付をお願いしますと言われても、私としては断るしかありません。
タグ: 神社増改築