2024年11月17日

19810822_この時代

?19810822_この時代、いろいろなことがあって思い出しながら纏めていた。

 いつものミュージカルの時代だ。
?Google ストリートビューは、すごくて。
 この数年で、砂浜も特定できている。
 もう、名前付きで書いちゃっていいだろ?

 この数時間後に、死んじゃうなど・・ 誰が思っただろう。


内田信彦_1.jpeg




 この舞台のほんの少し前、1981.08.18 に 友人の内田信彦が式根島で事故死した。
 彼には、この舞台装置の運搬を引き受けてもらっていた。しかし、無理となった。

内田信彦 2022-03-31 6.48.18.jpeg


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 急遽、私の親戚からロングボディーのトヨエースを借用した。しかし、運転はペーパードライバーの私だった。
 1981.08.21 朝、台風のような雨の中、視界もかなり悪い第三京浜を助手席地図を広げた女性をと女性キャスト一人を乗せて、アトリエフォンテーヌへ向かった。この時の逸話は、いくつか小さな小説にまとめてある。

 台風のようだったはず・・と検索する。 1981年台風 15号の影響だったらしい。
アトリエフォンテーヌは、いずみたくがミュージカルを演りたいと作った小劇場で、地下5階相当くらいの深い場所にある。一度入ったら外の天気など全くわからない。

 台風の中、よく人が来てくれたと思う。
 最近聞き直している 2007年あたりの永六輔のラジオに何度も登場していた。「 見上げてごらん夜の星を 」なども上演されている劇場だ。

 ?忘れないうちにと、1999年頃書いた短い小説がある。 pixiv に置いてある。? 名前の入れ替えとかやってあったんだが、自分で混乱しそうなので、記憶の範囲で正しい名前に戻してある。
?? ・六本木坂道発進  https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1554574
 ・「さよなら」を言いに  https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20402239? ??−
??

これも何度も書いているが、
 この時、私は舞台監督だった。

そして、最近思い出したのだが 本来就職活動をしているべきタイミングだった。
けれど、8月の公演は、春には決まっていた。できるわけはない・・いや、やらないのは就職活動の方だ! 

 私は、地元に新しくできた企業が私のやりたいことと合致しそうなので、おそらく3月頃に電話をした。 一度会社に来てみたら? ということで 会社訪問をした。人事課が出て来て、私がやりたいことを述べた。

「 私は、自分でも購入できる家電品の設計開発をしたい 」

 たまたまなのか、社長が会うと言っているのでどうぞ と いきなり社長面談。同じことを告げると、「 家も近いし、ピッタリじゃないか。 ウチに来なさい 」といわれて、それで決定してしまった。

 ミュージカルが終わった秋頃、「 私・・書類も出していないのですが・・ 」と連絡を取り、一通りの普通の手続きを行い、形式的なのだろうが入社試験も受けた。自宅から通えるということも最初の条件だったので、入社後の配属でどこかへ飛ばされたら・・ と 心配したが、約束は守られた。

 就職活動らしいことは、これしか経験がない。これほど身近だった友人が死んだのもそれが最初だ。当日、どのキャストが来なくても舞台監督は代役をやるものだ。と云われ、振り付けはともかくセリフは頭に入れた。そして、ほぼ前の見えない台風の中でロングボディーのトヨエース、東京なんて道を知ってるわけはない。六本木だよ。前日の帰りに起こった六本木ヤクザ事件が、「 六本木坂道発進 」である。助手席に乗っていた女性の立場で書いてあるが、事実である。

 この前後の数年は、いろいろな出来事があったし、舞台やラジオドラマ作りなど、楽しく、苦しくやっていた。 

 大道具一つをとっても思い出深い。舞台に置いてあるサイコロ状の椅子がわりに使っているものは、三ツ境のまこと幼稚園から借用したものだ。

 舞台中央の白い扉は、ドアノブは本物だがベニヤ板一枚に描いたものだ。その奥に青空に雲のパネルも作った。 
 この時点で音大関係の人も多い。後に、ラジオでデビューした女性もいる。音大で教える側になった人も居る。 何も教えられたことはないが、素人の集まりでこれだけのことはできる。

 ここで舞台監督をやっていたので、就職後つくば博の一つのコーナーを私の指導員と立った二人で担当した時、映像提供してくれた日テレの人間とコンパニオンには勘違いされていた。
 電子写真館というブースの、システム設計、外注も使ったが結局ソフトもハードもやり、運用のコンパニオン教育の際に、舞台監督の経験が役に立ったらしい。

 人間関係トラブル調整役(それが舞台監督)としても、色々苦しかった。女性の方が多かったということだけが、今考えると楽しそうだが、そもそも女子校みたいなところにいたので、(男女比=1:3)それも普通だった。むしろ女性同士の方が揉めるとややこしい。
 大学でラジオドラマを作っていた仲間と、アマチュア無線のローカル局を総動員という感じで、スタッフは固めた。キャストは、そもそも本名さえ知らない人も多い。

 ボケボケの VHS 動画をなんとか「 思い出というスパイス 」を使って、鑑賞できるレベルに持ってこれた パソコンとソフトの技術進歩は素晴らしい。



2023年07月31日

波の数だけ抱きしめて:  スタジオの前の海は、湘南と思い込んでいたのに・・ 外房だったのね。

波の数だけ抱きしめて:

 スタジオの前の海は、湘南と思い込んでいたのに・・ 外房だったのね。


この映画は、トンネルがうまく使われていて、
 いくつか撮影地を探しました。
 オープニングの白黒で、思い出に訪れるトンネル。
 カラーでトンネルを抜けると海
 「 好きだ! 」 が トンネル内だから聞こえない・・


 中山美穂が 立ちすぎてどうも好きじゃなかったんだけれど、
 松下由樹を メインに彼女の恋心として追いかけていくと、なかなかすごい。

いま 終わりの方の、大雨のシーンを何度も繰り返しているんですけれど・・ ( 適当に見てるからなおさら )
 高橋裕子 - 松下由樹 さんの演技が秀悦だと思っています。
この薄暗い Yumig BGMの シーンが色々説明しているのですが。
 まあ、「 ガキのまま 男にも女にもになりそこねた人たちのひと夏の思い出 」 かな と。
 音楽を聞いちゃうので、画面をあまり見ないことが多く、このシーンがすべてを物語っていると今思っています。

湘南で撮影できなかった理由は簡単で、当時ですら大混雑だったのです。外房や、三浦半島を使っています。
 上の薄暗いシーンでは、中山美穂がショックで、織田裕二の車に乗り込み自宅へ帰ります。それを織田裕二が走って追いかけて家に到着。

 リアルには外房から 江ノ島までの距離になるんです。


 松下由樹は、織田裕二に言えない。 雨の中小さな声で言っているような気がするけど。
織田裕二は、とことん言えない。 さらに鈍感すぎる。

 男女同権とか色々叫ばれて、いまはじれったいだけの映画なのかもしれないが。
松下由樹は、織田裕二に今のは誤解だって言うのよ!
 今夜必ず会うのよ! と言う。

でも、電話で 「 明日は大事な日だから 」 と言われて電話を切られてしまう。
 別所哲也は、自分の気持ちを抑えても、織田裕二に告白しろと言う。

 中山美穂は、空港へ旅立つが車の中でラジオ放送が始まるのを待っている。おまじないの指のポーズで。
やっと FM を通して言った 「 好きだ! 」は、トンネルに遮られる。
 これが聞こえていたら、中山美穂は引き返したのだろう・・ まだ未練があるから、放送が聞こえることを確認してから空港へ向かった。

 その疑問は、冒頭の回想シーン(だったとおもうが、ラストか?) 語られるが・・・
 ラストの回想シーンを見ると、誰も結婚していないように思う。
すると冒頭の結婚式シーンは、「あの夏」から 何年後なのだろう。

https://otocoto.jp/interview/yasuo_baba3/


ああ、書いてあった。 9年後、超金持ちのおじさんと中山美穂は結婚する。


オープニングとエンディングの結婚式のシーンで、なぜ中山美穂さんがずいぶん年上の男性と結婚しているのかも不思議だったんですけれど。
ブレッド&バターの岩沢二弓さんのことですね。茅ヶ崎出身の湘南を代表するミュージシャンだからこそ、意味があるんです。それから、よくあんなおじさんと、って言われますけれども、オードリー・ヘップバーンの役どころを見ればわかります。彼女は、ほとんど年上のおじさんとくっついているんですよ。『昼下りの情事』のゲイリー・クーパーも『麗しのサブリナ』でのハンフリー・ボガードも20歳以上年上だし、『ローマの休日』のグレゴリー・ペックだって相当離れていますよね。いい女っていうのはだいたい、強かにお金持ちのおじさんと結婚するわけですよ。
---------- モノクロシーンは、9年後。
少なくともこの物語の舞台の9年後、つまり1991年にどうなっているかはみんな知っているんですよね。中山美穂は金持ちそうなおじさんと結婚して、残りの4人はまだうだうだやっていて、これからどうしようかなんていっている。9年後だから30代前半という設定だった。
 まだ抜けきれてないんだね。




よくよく考えてみると、
 中山美穂は、「 好きだ! 」の 放送を聞いていない。

 そんな話をするほど野暮な連中でもないから、冒頭の結婚式のシーンの時になってもそれを知らない。
 9年前、車を動かし出すのが あと15秒遅れていたら。
その可能性を知っているのは、映画を見ている我々だけである。
登場人物の誰一人として、トンネルで聞こえなかった可能性など知り得ない。

 そこでまたきづいた。中山美穂が残した FM 放送用のテープだ。
織り込まれているシーンで夜間に録音していることはわかる。
テープは、19cm/sec くらいで回っていると思う。 するとだ! あっというまに収録分は終わってしまう。

 10リールで 19cm/sec だと 90分しか持たない。
ひっくり返しても、180分だ。 他に、ナレーションをしている人はいなかったのだから、この FM局は、これで終わりだ。

 それに気づいていたら、中山美穂は、織田裕二にアメリカ行きを止めて欲しかったんだろう。 まったく・・・残念な男の役を自分で選んだと言うのだから、 織田裕二という役者もすごい。

 織田裕二の電話を受けているのは自宅。すでに出発の用意が終わっている。そこから再びスタジオへ出掛けて、録音したのだろうか? 電話で止めてもらえなかったから決心したと言う流れか・・それでも未練があるから放送を聞いてから、車を走らせた。

 織田裕二は、全くダメな男の役を見事に演じている。

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