どこで働いても、状況は変わらない
三番目の会社は、東京都千代田区神田錦町、
職場は電子計算課、ビルの6階で眼下を走る高速道路の向こう側には気象庁。
(この気象庁は、昨年までエンジニアとして何度か出張した懐かしい場所)
勤務時間は朝9時から夕方4時まで、賞与年三回、夢のような条件と、
独身寮も鉄筋コンクリート3階建て、一人一部屋(憧れの個室)です。
転職を重ね、
「コンピューターを使用する、ユーザー側の人間になりたい」 と願った通り、
電子計算機を使用する仕事に就くことが出来ました、やる気は200%。
最初はオペレーター手順やプログラミングの研修などを受けながら、
朝9時から夕方4時、まだ明るいうちに退社できる、夢のような生活が始まりました。
(研修中も、職場のコンピューターは24時間フル稼働しています)
やがて職場の戦力として仕事に組み込まれ始め、
いつのまにか気が付けば、
一週間に三日働く、徹夜がらみの不規則勤務に、縛られた生活を送っていました。
どういう事かと言いますと、 月曜出勤徹夜、 火曜代休、
水曜出勤徹夜、 木曜代休、
金曜出勤徹夜、 土曜代休、
給与は良くなりましたが、
勤務状況は昔と同じく、不規則勤務から抜け出せていませんでした。
「なんもせんでいい年寄り」を標榜した少年が、転職を通して目にし体験したことは、
最初の職場で遭遇した現実、
朝起きて働き、夕方には帰宅して、夜は眠るという、人間本来のサイクルが、
不規則三交替勤務という労働条件で壊されていく現実。
二番目の職場で感じた、
学歴社会の見本みたいな職場と生産ラインが、人間をそのように区分する、
生涯このレールからはみ出せない、飛び出せない雰囲気。
そして、三番目の会社、
給与はあがったが、一週間に三日働く、徹夜がらみの不規則勤務。
なぜこのように私には、 徹夜作業や、不規則勤務 がつきまとうのだろう?
子供の頃から「なんもせんでいい年寄り」を望んだりしたのが、
いけなかったのかも知れません。
きっと神さまやら、仏さまが、甘い考えを戒めているのかも・・・
朝日が昇れば仕事をし、
夕方にはその日の疲れを一杯のビールで癒し、
日が沈めば睡眠で明日の活力を蓄える。
私の希望は 「人間らしい普通の生活をしたい」 たったそれだけの事なのに、
現実社会は、それを叶える事の出来ない仕事ばかりが、私には巡って来る。
またまた、「幸せの青い鳥」を探そうと、転職に起ちあがる時、
相談した会社の先輩から一言、
「今の世の中、どこへ行っても似たり寄ったりだょ、転職すれば給料などはむしろ悪くなる」
「今の職場を自分の希望に沿って変えて行けばいいじゃないか」
この一言が私の転職人生にピリオドを打ってくれました。
「今の職場を自分の希望に沿って変えて行けばいいじゃない」
と、一言で言われても、それは容易なことではありません。
1人の人間の要望希望を2人、3人、4人・・・と広げ、
電子計算課職場全員の共通の要望希望として練り上げながら、
一方では会社全体の、多くの職場の人へ向かって、
電子計算課の徹夜の実態を知ってもらい、要望希望に共感し応援してもらう事から始まります。
百里の道も一足から、
1年とちょっと掛かりましたが、遂に電子計算課の社員の徹夜勤務が無くなりました。
それがやれたのも、職場や会社に 本物の労働組合 が有り、
職場の要求を吸い上げ、会社と団体交渉しながら要求を実現し解決する、
そんな力を持った労働組合を、職場のみんなが守り育てていたからだと思います。
その後私は転職しないまま、この会社で働き続け、
私は56歳で仕事を辞めました。
おわり
仕事〜その2、その3、最終章と、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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