私の一生を、誕生から終焉を迎えるまでの心の有りようを軸に据え、生命と身体、心と脳の働き、それに宇宙とは・・・等を絡ませながら随筆として構成しました。
「宇宙」、「心」、そして「脳」、何れも未解明の分野でありますが、著者の推察と読者のイマジネーションとで、「限られた命」と、「永遠の宇宙」のなかを歩んでいる自分自身を、今一度見直せたら幸いだと思います。
第一章(闇から光明の世界へ)
カオスの闇は、長い時空の中でひっそりとした揺らぎに包まれていた、
そこで何故ビッグバンが起きるのか、そしてその後、瞬時に広大な、無限ともいえる宇宙の広がりを造り上げてしまうのか…
いつも宇宙の事「宇宙の設計図」を考えると理解できない嬉しさでワクワクしてしまう。
命も又、神秘の闇の中で育まれ揺らぎ漂うもの、「誰かの仕業?」あるいはDNAの螺旋に組み込まれた、父親や母親の胎内に潜んで居るのだろうか。
宇宙にしても胎内にしても、私達の理解を超えた仕組みによって、「命」のベルトコンベアは動き始める、未来から過去へ、あるいは反転し過去から未来へと無限に動き続けているように思う。
命のベルトコンベアの揺らぎの上に、今又一つの「生命」が出現しようとしている。
幾千幾万の精子が、ここでは弱者を排斥こそしないが全力疾走で卵子に向かい突進し、飛び込んでいく、
精子を受容した卵子は、核分裂に似た火の玉の様な輝きと共に、一瞬の内に殻を閉ざし、中で細胞の融合を始める。
このようにして、命のベルトコンベアの上に「生命」が誕生するさまは、あの世の世界(虚数の時間)からこの世の世界(実数の時間)が始まると言う意味で、宇宙の始まり(ビッグバン)にとてもよく似ている。
「命」はあの世からこの世に、DNAの螺旋設計図を組み合わせながら、
40億年前の生物の誕生から現在までの進化の過程を、僅か10ヶ月と10日で駆け抜けながら、母親の胎内(羊水の中)で育成され、地球上に新たな生命(嬰児)として出現してくる。
母の胎内を宇宙船にたとえれば、宇宙で育てられ地球にやってきた「人間」と思ってみてはどうでしょう、アフリカも日本も中東諸国もアメリカもアジアも、世界中の子供達は宇宙創成140億年の彼方から送り込まれた「命」そのものかも知れません、
男も、女も、肌の色が違っても、同じ生命ととらえられれば、見た目は違っても、それぞれを個性として認め、認識されるならば、「力の暴力」や戦争による殺戮、その根源に潜む「差別」と言う概念をなくす事が出来るかもしれません。
「命」のベルトコンベアは宇宙と同じように永遠のときを刻み流れている、私達の「命」はねじ時計の様にチクタク秒を刻みながら、「命」のベルトコンベアの上を誕生から終焉に向かって歩いています。
例えばベルトコンベアの上に私の誕生した「生命のねじ時計」が在ると想像してください、私の周囲には働き者の父や頑張り屋の母、そして口やかましい近所のおばさん、そして色々な全ての人達が同じように「生命のねじ時計」でチクタク秒を刻みながらベルトコンベアの上で生活し、歩き続けています。
ある時、永遠のときを刻み流れている「命」のベルトコンベアに、「誰の仕業」かワカラナイ(私達の理解を超えた自然の真理)によって突然遮断機が降りてきて、
私をベルトコンベアからはじき落としてしまいます、或いは口やかましい?近所のおばさんは、生命のねじ時計が突然止まってこれ以上歩けなくなり、ベルトコンベアの後ろの端からカオスの闇へ落ち込んでいきます。
これが「死」、なのかもしれません。
「死」をこの世(実数)からあの世(虚数の世界)へ転進する事ではないかと考えると、宇宙創成の時と同じように、「死」も誰の手によるものかワカラナイ設計図(私達の理解を超えた自然の真理)のなせる業なのかも知れません。
自らの頭上に「命」の遮断機が降り注いで来る日や、「生命のねじ時計」が突然止まる日は、今日かも知れず、明日かもしれない。と、言う覚悟を、「心」に置いて今を生きる事がとても大切なのではないだろうか。
過去を振り返って悔やんでばかりいたり、この先如何なるこうなる悩んでばかりいて足踏みするより、今の自分が心に決めた大切な事に向かって一歩一歩「命」のベルトコンベアを踏みしめ歩み続ける事が重要で、
「命」のベルトコンベアから落ちてからあれこれ言っても始まりません。
昔から言われている「生きている内が華よ」の例えを心に刻んで、
「今」を歩いて行きましょう。
ただ一つ気になることは、
今も人間は、戦争の中に居る、世界のどこかで「武器による殺戮」が行われ、一見平和そうな世界のどこかでも、強いものが弱いものを排斥したり死に追い込んだり、「力の暴力」が平然と行使されている、
もしかしたら、これも「宇宙の設計図」に描かれている事であろうか、殺戮の設計図を書き直せる「人間」は居ないのだろうか。
つづく
「生命」の誕生
満天の星空の中を命の流れ星が1つ地上に…
私の小さな命は、福岡県の西南端に位置する炭鉱の町(大牟田市、荒尾市)を見下ろす山村の、古びた民家の中に居た。
産婆は、取り上げても声を出さない私を両手で掴み、天地に向かって「グルン」と一回転させた、泣き声とともにこの世に誕生した私の生命と身体である。
おぼろげな闇の中で「カチッ」という幽かな音と光を合図に、命のねじ時計は動き始めた、同時に「心」と乳白色の「脳」も記憶のヒダを刻み始める。
これより先は、一見消え去ったと思われている遠い過去の「記憶のヒダ」を、トレースしながら話を進めて行こうと思う。
昭和22年2月11日 日本中が貧しく食べる物も少ない時代でした。
朽ち果てた裏木戸を押し開くと薄暗い雑木林に囲まれた石造りの井戸が在る、側で祖母が洗い物をして居る、天からは粉雪がちらほら舞い降りていた。
生まれたばかりなのに、私の「命のねじ時計」は、今にもコトッと止まりそうな一夜を迎えていた。
母は乳を含ませ飲ませようとするが、ことごとく吐き出してしまう私は、泣く力も失せ布団の上で目を閉じたまま、小さな身体でかすかな息づかいを続けている、
蝋燭の赤黄色い小さい炎に照らされながら、私の顔を覗き込む祖母の顔や、差し伸べる手の深い皴が、不安な気分を滲ませていた、
祖母はいつ途絶えるか判らない私の吐息を見つめながら
「明日まで持つかのぉ…」と、呟いた。
翌朝母は私を抱いて、4kmほどの山道を駆けるように大牟田市立病院へと下りて行った。
母の母乳は医療検査器の中で、乳と水分が溶け合わずサラサラと分離している、
気丈な母は、栄養不良で自分が脚気に罹っていることすら知らなかった、
医師は告げた、「脚気の乳を赤子は飲まんよ、今後は粉ミルクを飲ませなさい」さらに告げた「この子の心臓は弁の締りが悪く血液が一部逆流している、
今は小さくて治療は出来ないが様子を見ておかしかったら又、つれてきなさい」
母は「脚気」子は「心臓弁膜症」
まさか母子共々そのような症病名をもらうとは思いもしなかったであろう。
母は小さな私を抱いて山道を足取り重く戻っていった。
昭和22年と言えば、皆が貧しく物資もなかなか入手できない時代に「粉ミルク」など有ろうはずがなかった、家に戻り祖母にも告げた。
祖母は産後の手伝いに佐賀県東与賀村(母の里)から米穀や野菜などを持ってバスとディーゼル列車、機関車と乗り継ぎながら大牟田まで来ていた。
つづく
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