留守の間に、突然更新を止めた私の事をご心配くださり
温かいメッセージを残してくださった方々に改めてお詫びとお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
実は・・・
父が、1月5日に永眠いたしました。
そのため、年末から故郷に戻り、父の側で見守り、旅立ちを見送ることができました。
私の通院や薬剤の不足のことや雑事があり、一旦東京に戻りましたが、こちらで所要を済ませたら
また、父のところに戻る予定です。
せめて、父の魂が49日を過ぎて本当に旅立つまで、側にいたいと思っています。
また、更新が滞ると思いますが、落ち着いたら再び、治療や運動に頑張ろうと思います。
最後まで意識があり、胃ろうを自分の意志で拒否した父
点滴が入らず、余りの痛みに、我慢強い父が「助けてくれ。止めてくれ」と
私にしがみついて意思表示をした父
一時間余り注射針を体中に刺される父
余りの苦しみ方に、見ていられず、同じく悩んだ弟と相談し、
父を苦しめるだけだと判断して、点滴を止めていただく苦渋の決断をしました。
点滴を中止した後、父は苦しむこともなくなり、本当に穏やかに最後を迎えました。
父の意志を尊重した決断は間違っていなかったと思っています。
駆け付けた私がそっと重ねた手に、モゾモゾと自分で指を動かし
指を絡めてきてしっかりと握り返した父。
おとうさん、良い人生だったね、しっかり生き切ったね。
神様がもうすぐお迎えに来るけど、安心して天国に行ってね。
と父に話しかけたら、うんうんと頷いた父でした、
父の立てた家、かなり広いのですが、掃除が行き届いていなかったので、
葬儀が終わってから必死に掃除していました。
旅立つ時綺麗な家から旅立たせてあげたい。
安心して旅立ってほしいの一念で、掃除しまくりました。
お父さんお父さんと毎日父に心の中で話しかけています。
ありがとな。でも、あまり無理するなよと言う父の声が聞こえるような気がします。
事務所経営で、83歳まで現役だった父
経済的にも恵まれていて、子供たちにも孫たちにも十分な事をしてくれた父
お父さん。
今迄本当にありがとうございました。
私は良い娘でしたか?
貴方の娘に生まれて、私は本当に良かったと思っています。
昭和2年3月8日生まれ
90歳。
人生しっかりと生き抜いた。
私寂しいけれど、悲しくはないよ。
自分に与えられた人生、しっかり生き切ったんだものね。
寂しいけれど、悲しいことじゃないんだよね。
でも、寂しいよ。本当に寂しいよ。
いくつになっても、親を亡くすって辛いです。
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コメントありがとうございます。
看取ってくれたお医者様も、「ご本人、まったく苦しんだ様子はないです。
安らかに旅立たれてます。」と言っていただきましたので、それが救いです。
きっと、父は「最後のわがままきいてくれてありがとな。」と笑いながら
鼻歌を歌いながら、天国に向かう準備をしていると思います。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
コメントありがとうございます。
いくつになっても親は親、いくつになっても子どもは子供ですね。
今回つくづく思いました。
親から与えられた最後の試練ですが、乗り越えられると思います。
父との温かい沢山の思い出が残ってますから・・・
コメント本当にありがとうございました。
しみさんへ>
コメントありがとうございます。
身体の事をいたわるように父が言っいてるように思ってます。
父を心配させないように血糖値の調整にも頑張らねばです。
まだまだ落ち着かないと思いますが少しずつ注意していこうと思います。
コメント本当にありがとうございました。
またご冥福をお祈り申し上げます。
親の死別は、親が与える最後の試練だと思います。
自分も32歳の時、父が(享年61歳)、母が38歳の時(享年62歳)で他界しました。
自分の経験では、時が経てば「思い出」に・・・・。
時間はかかると思います。
気を落とさずにして下さい。
心身共に大変な日々を過ごしていたのですね…
そんな時期のブログ更新ありがとうございます。
同じく年老いた親がいる立場として色々考えてしまいます(泣)
まだまだ忙しい毎日でしょうがゆっくりと戻ってきて下さいね❤