小説を書いていて考えるのは、人に伝わるかどうか。
ちゃんと意図として読んでもらっているか。
ミステリーなら誘導できているかどうか。
表現方法はさまざまで、好きな表現方法も様々
いわいるえぐいものが得意な人もいれば、
絵画的に説明できる人もいる。
どちらも、私にはうらやましい方法で、出来るなら、どちらか欲しい
それと同様に、キャラクターの心情などをうまく表現できているか?
とか、
説明が煩くないかを考える。
と言っても、小説って、作家の思考の押し付けで、
書いた人の私権なので、読み手が解らなくてもいいといえば、いいのですよ。
以前【響き】という漫画を読んで、
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主人公が言い放っていたんだけども、
「小説家の分際で、読み手がどう思っていようが文句を言うな」
って言葉が、ドーンと来た。
たしかに小説は、私が考えた説であり、ワタクシゴトではある。
だが、読み手が必ずしも同じだと、どうして思う?
そうなのだよ、こちらはいたって真面目に逆を書いても、
受け手が面白くなければそれまでであって、
受け手が面白かればそれまでなのだ。
そう、伝えるべきことはすべて書きだせばいいのだ。
全て書きだしたうえで、判断はゆだねる。
それが本来あるべき姿なのだ。
でも、意図せず、
幸福であろうとも思われて書いたものが、
誰かを傷つけてしまったら?
特に、今の時代、文字だけで相手に届けなければならない。
今問題になっている、「餃子問題」とあえて書くけど、
あれの中で、
高圧的な態度だった。忙しい時に面倒くさい客だ。
という文字は、たぶんすんなりわかる。
だが、
「店名を解るようには書いていない」
といった、あのひと文を見れば、
そこで生きている人ならばみなわかるのじゃないだろうか?
そして、実際に実害が出ている。
これは、読み手を誘導させたと言われても仕方ない行為だと思う。
この問題について思うことはあるけど、それは別の話なので、ここで終わるが、
とにかく、読み手の感情をコントロールすること、
行動を促せるのも、文字の力だ。
だとすると、感情や感想を読み手に丸投げしていても、
やはり、これは、悲劇だ。喜劇だ。ぐらいの操作はしたい。
そして、そうするためには、やはりうまい言葉が必要だ。
上手い言葉にはいくつも種類があると思う。
暴力的、高圧的な言葉は、時として人を褒める言葉より届く。
もっとも届きにくいのは、うれしい時だ。
うれしい。と感情を持って大袈裟に感動していても、
うれしい。という一言になる。
超うれしい。ヤバイ、めっちゃうれしい。
といくら冠をつけても、読み手には伝わりにくい。
うれしいとか、楽しいというのは、体でも表現するものなのだ。
だけど、言葉でのみ伝える手段のないネット社会や、
私のように、小説などを書いている(私は趣味だけども)人は、
うれしいも、怒りも、楽しも、つまり喜怒哀楽を文字で伝えなくちゃいけない。
感動も、不快感もすべて
それには山ほど存在している語意をすべて知りえなくちゃいけない。
どれほど必要というのだろうか?
それは、やはり無理な話だ。
だったら、自分が知っている分の言葉を使って、
相手に伝えることができたら、
それが一番だと思う。
感覚的に言葉でうまく出る人もいる。
だけど、ひねり出さないと相手に伝えられない人は、
こういう所で学ぶといいかもしれない。
人を傷つけないようにすること、
穏便に済まそうと思うあまり、
仕事がそっちのけになっては本末転倒だと思う。
相手とうまくやるためにはどうすればいいのか?
どういう言葉なら、相手が動てくれるか。
など学べるのではないだろうか?
そうすれば、言葉で人を誘導することも、
感動もさせられる。
ぜひ、今の、ネット社会で息苦しいと思ったら、
一度、こういうものを受講してみてはいかがだろうか?