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久能山東照宮に行ってきた。浜松は徳川家康出世の町、そして静岡は徳川家康が最も愛した町と、静岡県のあちこちで昨年の大河ドラマの家康人気に乗っかっている感もある。実際に家康は浜松城を本拠にしていた期間が長く、静岡も子供時代を過ごすとともに、浜松の後は駿府を拠点とし、晩年もそこに住むなど、非常にこの地に愛着があったことがうかがえる。子供時代は人質としての苦労はあったにしても、教育を受ける機会もあり、案外と恵まれたものであったという説も強い。江戸幕府成立後には今川も大名なみの高家旗本として優遇しており、駿府の子供時代にはそれなりの幸福な想い出もあったのだろう。静岡には一富士二鷹三なすびをモチーフにしたマークもあちこちで見かけた。これは初夢の縁起のよいものとされているが、マークの解説によれば徳川家康の好きなものを並べたものらしい。富士山を愛したために富士の良く見える駿府の町を愛したというし、鷹狩を好んだということも有名である。茄子が好きだったというのは初耳なのだが、たしかに家康のイメージだと贅沢なものよりも、健康に良さそうな食物の方があっている。遺言によって家康の遺体は久能山に葬られたというが、これも、江戸の方は盤石になりつつあったことと、やはり駿府にそれだけの愛着があったのだろう。東照宮は日光よりもこぶりだが、彩色や彫刻は日光と変わらないし、さらに奥の霊廟は森閑として霊気がただよっているように感じる。駅の土産物売り場も徳川家康関係のものが目立つ。ただ、もともと駿府を東海一の文化都市にしたのは今川氏の功績ではないかと思っていると、ちゃんと「今川の逆襲」と書いた手ぬぐいなども売っていて面白い。静岡といえばやはり家康と富士山、そして駿河湾だし、静岡県のマークも富士山と駿河湾をモチーフにしているようだ。それにしてもあのマークをみるだびに思うのだが、浜名湖はどこに行ったのだろうか。
2024年01月28日
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空蝉と夕顔の巻を読んだ。この頃、光源氏は17歳。まあ、源氏物語を教科書で読む高校生と同じ年代だ。この頃までに、光源氏に関係する女人は子供の頃からの憧れで永遠の女性である藤壺、正妻の葵上、手紙のやり取りをする朝顔の君、忍び歩きの相手六条御息所とすでに五人おり、これに空蝉、軒端荻、夕顔が加わる。そしてこの中で既に何人かの女性の性格が対照的にかき分けられている。小君も含めてドタバタの感のある空蝉の物語では、「わろきによれる」容姿だが慎み深く賢い空蝉と、美人だが騒々しく品のない軒端荻の対象。そして、夕顔の巻では上品で気づまりな六条御息所といとおしく可愛らしい夕顔との対象。夕顔には「ろうたし」という形容詞が使われているが、これは臈たけると同じ意味の上品で洗練されたというよりも、いとおしく可愛らしいの方の意味だろう。夕顔はどこがどうということもないのだが、小柄ではかなげな感じが心に沁みるというタイプとして描かれている。夕顔の花を所望した光源氏に扇に歌を書いて返した夕顔の君に娼婦性をみる見解もあるようだが、彼女の場合は、男性に対する依存心が強く、触れなば落ちんという風情があるように思う。そういうのを娼婦性というのであればそのとおりなのだが、打算的な女狐とは真逆で、心のままに、憧れる男性に依っていくというタイプなのだろう。扇の歌も素直に光源氏の美貌をたたえたもので、特段のひねりや技巧があるわけではない。心当てにそれかとぞ見る白露の光添えたる夕顔の花光源氏は夕顔を廃屋となった屋敷に連れて行きながら、足が遠のいている六条御息所のことを思う。夢に女性が現れ、私が素晴らしいと思う女性のところには行かずに、こんな平凡な女性を寵愛するなんてと告げる。そして夕顔が息を引き取る時に同じ女が一瞬見える。これを六条御息所の生霊という見方もあるが、屋敷の怪ではないのだろうか。さらにいえば、光源氏の内心感じていた六条御息所に対するうしろめたさが夢になり、一瞬の錯覚になったように思う。こうしたものは、はっきりと生霊とするよりも、わけのわからない屋敷の怪とする方が、読者にとっての怖さが増す。夕顔は屋敷で急死し、遺体は惟光の機転で処理され、遺児の存在が示されたまま夕顔の物語は終わる。そして空蝉も夫とともに任地に下り、当面は小説の舞台から消えることになる。
2024年01月27日
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京都アニメーション放火殺人事件の青葉被告の半生を辿ってみる。小学校時代に友人の母親が撮影したという写真には子供らしいはじけるような笑顔が写っている。あの笑顔が消え、数十年後にこんな事件を起こすとはだれが予想しただろうか。その頃は友人と遊び、家族旅行を楽しむような普通の幸福な子供だった。それが両親の離婚、父の失業、虐待、本人の不登校と次第に人生が変わっていく。それ以降も、コンビニ強盗による服役、精神疾患の障害認定と暗転が続く。安倍元総理の銃撃犯についてロスジェネの極北という言葉が使われたが、この被告もやはり極北であったのだろう。それでも、青葉被告については若い時期にはまだ周囲との関係も良く、アルバイトの職場でも他人とのつながりはあったようだ。このあたりどうしても白い小さな犬と大きな黒い犬の喩えを思い出してしまう。私事なので詳細はかかないが、以前職場で発達障害で障害枠で入った人と仕事をしたことがある。皆、周囲は彼にとっては親ほどの年齢だったので、不器用で応答もピンボケなところもあるが、悪い奴でもないし、攻撃的な所もないので、それなりに気を使い、暖かく接していた。やがて彼は別の部署に移っていったが、彼も年を重ねていく。そうなると周囲との関係も変わって来るのではないのだろうか。青葉被告も若い頃には、アルバイトであってもまだ周囲とのつながりはあったが、年齢とともにそうしたつながりが消えていったようである。若者でなくなるとともに、気にかける周囲の人々もいなくなる。小さな白い犬は可愛がられるが大きな黒い犬は顧みられないように。人は逆境になると信じたいものにすがりつく。ネット上の女性監督との恋愛も思い込みかもしれないし、実際ネット上には異性を名乗って恋愛感情を誘うような書き込みもある。小説の入選、そして上りのエスカレーターに乗るという彼の夢も最後の希望だったのだろう。それが壊れた時、自分のパソコンを壊し、退路を断ち、犯行へとつきすすんでいった。さすがにこうした大規模な殺人事件はそうそうは起こらないかもしれないが、彼のような犯罪予備軍は実際にはかなりいるように思う。最後に昨日の判決についての報道であるが、裁判員を取材することには疑問を感じる。判決は裁判官がだすものであり、裁判員は別途合同で合議等をするわけでもない。こうした精神的負担の大きな判断を、職業裁判官でもない素人に負わせる制度には、やはり疑問がある。
2024年01月26日
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最近話題の源氏物語を読み始めている。読み始め…と言っても、他の読書の合間であるし、気の向いた時に少しずつ読むつもりなので、感想も気の向いた時に書くことにする。雨夜の品定めまで読んでいるが、改めて思うのは桐壷との落差だ。この間に失われた巻があるに違いないというのが、小説「輝く日の宮」のテーマになっているのだが、この落差は失われた巻があるというよりも、作者の物語を綴る姿勢の落差のように思う。桐壷の巻は、更衣の寵愛から光源氏の元服や結婚までを叙述的に描いている。こうした書き方は過去の物語とあまり変わらない。それが帚木の巻になると一変する。雨夜の品定めの場面で最初は二人、さらに二人の登場人物がやってくるわけだが、こうした情景描写はずっと近代の小説に近い。そして話の中で指を噛んだ女、木枯らしの夜の女、行方をくらました女、学者の娘などの物語が語られる。こうした作中人物の会話で、物語が語られる手法も、当時は斬新だったのではないか。雨夜の品定めはけっこう長いのだが、帚木の巻の後半は空蝉の物語になる。そして次の空蝉の巻が非常に短いので、なぜこうした巻の区切りになっているかも不思議な気がする。方たがえに行って供応してくれた紀伊守の屋敷でさっそく女のいるところに目を付け、夜に忍んでいくあたり、光源氏の行動は、後世の道徳とは全く無縁だ。空蝉が拒むと、その弟の小君をそば近く使い、「御かたわらに臥せたまえり」とBLを想像させる場面もある。さすがにこういう場面は高校生の教科書には出ていないだろう。別にBLを差別するわけではないにしても。こうしてみると古典的な物語の叙述方式をとっている桐壷の巻と、帚木以降では、なにか、作者の小説作法に影響を与えるようなことがあったのかもしれない。先に読んだ小説「輝く日の宮」では、道長が紫式部に蜻蛉日記をみせたのではないかと推測していた。蜻蛉日記は日記ではあるが、一人称小説ともみることができ、こうしたものが単なる叙述ではなく、場面や登場人物の心理に入り込む小説手法に影響を与えたというのは大いにありそうである。この当時は今のように書籍があふれている時代ではなく、物語好きの人々は物語に飢えていた。日本書紀のような歴史書や竹取物語などの先行する物語だけでなく、漢籍の史書や物語もかなり知られていたのではないか。源氏物語にも藤壺宮が桐壷帝亡き後の状況について史記の話を思い出しながら恐怖に震える場面がある。教養ある女性は漢籍の知識もあるのが普通だった。物語に対する知識と情景描写や心理描写をよくする日記文学の手法がくみあわさって源氏物語が生れたのだろう。
2024年01月23日
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その昔、温泉や大浴場を核にした施設は健康ランドとかヘルスセンターとかよばれて高齢者が主な客層だったように思う。かの〇〇ヘルスセンターの「長生きチョンパ」のCMソングなど、一定年齢以上の人の多くが記憶していることだろう。首都圏だけでなく、夏休みなどで母方の実家に行ったとき、祖母といっしょにヘルスセンターに行ったこともある。温泉の大浴場だけでなく、畳の大部屋では、漫才などもやっていて、そこそこ一日中楽しめるようになっていた。今のスーパー銭湯とか日帰り入浴施設というのは、昔と違い、必ずしも高齢者向きというわけでもないし、旬の人気漫画を揃えていることもあり、むしろ若い人の方が多い。特に、コロナ以降は年配者は感染を警戒しているせいか、ますます若い人が多くなっているように見える。雨模様で天気が悪かったせいもあり、前々から行こうと思っていた横浜の温泉施設で、若い人々に交じって一日ゆっくりと過ごした。入浴施設そのものは他のところとそれほど異なっていないのだが、岩盤浴エリアが個性的だ。いくつかのゾーンに分かれており、その一つにけっこう本格的なプラネタリウムがある。そこに寝転がると星空が見える仕組みになっており、その星空にはときどき花火があがったりオーロラがでたりするのだが、さすがに星空そのものは回転していないようだ。もしかして、もっと長くいればゆっくりゆっくり動いていたのかもしれないが。また、上下左右すべて壁面が鏡となっているミラールームがあり、そこにある灯りは時間とともに色がかわる仕組みになっている。そうすると、様々な色に囲まれた異世界に浮かんでいるような映像になり、まさに幻想的な空間の演出になる。プラネタリウムやミラールームは普通の温度設定なのだが、高温の岩盤浴もあり、これには岩塩の部屋、木紋石の部屋、蝋燭の部屋、紫水晶の部屋がある。寝転ぶことにできるのは岩塩の部屋、木紋石の部屋、蝋燭の部屋だが、気に入ったのは木紋石の部屋だ。木紋石とは太古の樹木が石化したものだというので、化石なのだろうが、パワーストーンとしては心と体をリラックスさせ健康運を高める効果があるそうである。寝転ぶところには木紋石?の小さな砂利が敷き詰められており、そこに岩盤浴用のタオルを敷いて寝転ぶようになっている。小さな砂利がこんなに心地よいものだなんて知らなかった。岩盤浴の合間には、展望スペースで椅子に座って景色をみることもできる。目の前には鶴見川が流れ、ちょうど雨雲の晴れ間にあたっているせいか傾きかけた陽が川面に反射している。昔はここも酷いどぶ川だったと思うが最近は都市河川も浄化され、住民の憩いの場となっている。風呂を楽しみ、岩盤浴を楽しみ、景色を楽しみ、そして最後に再び風呂を楽しんで、減った体重を確認する。時が過ぎるのを惜しいと思うくらいに、楽しく心地よい時間を過ごした。
2024年01月22日
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今年の歌会始に被災地から選ばれた歌は今年の大河ドラマでも注目されている源氏物語に関するものであった。花散里が源氏物語の女君の中で一番好きだと言っていた友人が和服の似合う母になっているという歌だ。花散里は源氏物語の中では決して出番は多くないし、源氏との出会いの場面も描かれていない。ちなみに源氏物語の女君について、すべて光源氏との出会いが描かれているわけではない。しかし、花散里については、出番が多くないからと言って決して源氏との縁が薄いわけではない。光源氏は栄華を極めた時、六条院に四季の寝殿を造営し、四季それぞれに女君をすまわした。秋の御殿については養女格の秋好中宮だったので、四季の寝殿に住むことができたのは、数多いる女君の中で三人だけなのだが、春の御殿には一の女ともいわれる実質的ヒロインの紫上が住み、冬の御殿には中流貴族の出身ながら源氏の姫君を生み、その子が中宮になるというサクセスストーリーのヒロインの明石上が住む。花散里は夏の御殿に住み、源氏の息子の夕霧の養育もまかされる。最重要の女人の扱いである。それでは花散里の君というのはどういう女性だったのだろうか。源氏物語の女君は百花繚乱の美人ばかりという印象があるが意外にそうでもない。花散里はまったく見栄えのしない貧相な女性として描かれていて、髪も薄く、かもじでも使えばよいのにと評される。このあたり息子夕霧の養育をまかせたのは、かつて義母と不倫をした光源氏にとって、けっして息子にそうした気をおこさせない女性として選んだのだろう。実際、夕霧は台風の後の見舞いで、紫の上を姿をかいまみて、その超絶な美しさに心を奪われる。ただ、だからといって不美人で安心感を与えるだけの女性というわけでもない。源氏が須磨に下る直前に花散里を訪れ、それが物語での初登場になっている。順境の時、自慢したい時に会いたい女性はいても、逆境の時に会いたくなる女性というのは光源氏でもそれほどいない。それにまた、的確な人物評や家政の名手でもあり、染物などをよくし、夕霧の友人達の供応も立派に行う。楽器を弾くなどはしていないが、相当に賢い女性だろう。たしかに妻にするのなら花散里よりも紫の上や明石の上がよいのかもしれない。けれども、人生、一生トロフィーワイフをそばにおきたいような順風万般の人生を歩む人は多くない。妻として長い時間をともにすごすなら、安心感を与える賢い性格美人が正解ではないか。また、友人として身近にいるとしたら、圧倒的に花散里だろう。紫の上のような他を圧倒する華やかな美貌、煌めく才気、難のつけようもない気配りある性格は、非の打ちどころもないだけに、無意識の嫉妬や羨望を誘い、周囲の人にとっては、心穏やかでない部分があるように思う。返歌も上手い返歌をすぐにかえすのは紫の上だろうが、花散里の方はじんわりと心にしみる歌を返してくれるような気もする。最後に自分がもしもなるなら…というと難しい。最初から源氏の最愛の君であることは諦め、子供もいなかった花散里よりも、長生きして多くの子をなし栄華の生活をした「勝ち組女性」といわれる女性達がいる。玉鬘や雲居雁などである。そうした目でみると、源氏物語最高の勝ち組は脇役だが惟光の娘の五節の君かもしれない。五節の舞姫に選ばれるほどの美人で内侍になるほどの才女で、夕霧の妻として何人もの子を生む。その子供達も正妻の雲居雁の子供達よりも皆姿が良く出来も良いということがさらりと書いてある。中流貴族の娘(最初の源氏の読者層?)としては圧倒的な幸い人だったように思う。
2024年01月21日
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源氏物語が気になるせいもあって「輝く日の宮」(丸谷才一)を読んだ。作者の共同翻訳したジョイス「ユリシーズ」に似た章ごとに文体の変わる趣向もさることながら、こうした形式の小説もあるのかと改めて思う斬新なものとなっている。主人公は国文学研究者の女性。彼女の論考や学会等での議論、それも最初は芭蕉の東北行きの理由、次は源氏物語の失われた巻が論点になる。さらに冒頭では彼女が中学生の頃に書いた小説もどき、最後は失われた源氏物語の巻の現代訳?で終わる。これを横糸とすれば、縦糸として主人公の人生や恋愛の変転がある。主人公の教授への昇進、父親の死だけでなく、彼女は憂い顔の美人でもあり、同僚の学者との恋愛、次いで独身主義者を自認するビジネスマンとの恋愛模様もからむ。作者が最も力を入れた点、そして読者の興味関心はやはり、表題にもなっている源氏物語の失われた巻「輝く日の宮」だろう。源氏物語には失われたとされる巻があり、一つは「輝く日の宮」、光源氏の死を描いた「雲隠れ」そしてもう一つは宇治十帖の続編だという。「雲隠れ」はあまりにも悲しく出家する人が続出したので紛失させたという説もあるようだが、これはおそらく最初から書かれなかったのだろう。宇治十帖はたしかに続編がありそうにも思えるが、じゃあ、どういう内容かというと想像がつかない。巣守の君なるヒロインを主人公にした続編があるらしいという話もあるが、巣守というセンスもなんだし、紫式部の作ではないだろう。未完のようだが、宇治十帖はあれで完結しているとしか思えない。これに対して「輝く日の宮」の巻は藤壺の君との最初の逢瀬、六条御息所や朝顔君との出会いが描かれており、これは物語必須の場面であるから、もともと巻があったはずだという。小説中では、物語の謎を残すために藤原道長の判断であえて原稿から除かれたと推測する。世に出る前に道長のところで削られたのなら最初からなかったと同様ではないかとも思うのだが、最初からかかれなかったという見方もできるのではないかと思う。すべての女君について最初の出会いが描かれているわけではないし、最初の出会いが描かれている場合には夕顔、若紫など非常にその出会いが印象的なものになっている。何人かの女君、それも極めて高貴な女君との出会いについては読者の想像にまかせたとしても不思議ではない。源氏物語の一読者として桐壷、帚木…とよみすすんだとして、藤壺や六条御息所との最初の逢瀬の部分などが欠落していることに不満をもつだろうか。まあ、そのあたりはおしてしるべしという感じで、物語世界を楽しむのではないのだろうか。それはともかくとして、「輝く日の宮」は、論考中心のこんな小説もあるかという意味では面白く、源氏物語が好きな人には一読をおすすめしたい。
2024年01月18日
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録画しておいた「光る君へ」第二回を見た。前回で道兼がまひろの母を無礼討ちにしたのにはどぎもをぬかれたが、やはり今回の大河は今までとは違う。史実から離れ自由に作っているというところと、なんとなく韓流時代劇の影響がみられるというところである。舞台は平安時代で、実像のはっきりしない紫式部が主人公となれば史実どおりには作りようがないが、まひろが町に出歩いて代書の仕事をするというあたりは韓国ドラマ成均館スキャンダルで学才あるヒロインが文字添削の仕事をする場面を思い出した。和歌の代筆を頼むということはけっこうあったと思うが、街中でそれが商業としてなりたっていたとか、ヒロインが男の声色を使って客と応答するなどは、ありえないだろう。さらに街中で偶然にも道長に会い、扇で顔も隠さず、大声で笑うなどは、源氏の女君のイメージにはまるであわない。あの軒端荻ですら、大声で笑ったのは光源氏の覗き見に気づかないからだったのに…。そんなわけで今回の大河はあれが違うとかこれがおかしいというのではなく、韓流時代劇をみるような感じでエンターテインメントとして楽しむのが正解だろう。ところで、この時代の問題として天皇の扱いがある。ひそかに天皇に毒をもる場面もあったが、これなどはフィクションとしても、この時代、不可解な天皇の譲位もでてくる。宮中に渦巻く陰謀檄がこれからどう描かれていくのかも興味深い。あくまでも歴史エンターテインメントとみれば、1000年も前の天皇の扱いを問題視するような野暮な人はいないと信じている。
2024年01月17日
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日本の司法は2割司法とよばれ、司法による救済の必要なものの2割しか恩恵にあずかっていないという。こうしたことをいうのは主に法曹関係者で、弁護士の需要が増えなければ、弁護士の仕事が増えない。せっかく法曹の数を拡大しても、仕事にありつけない弁護士が多いという嘆きにもつながる。たしかにラジオを聞いていると過払い金訴訟のCMがやたら流れているし、こうした分野は弁護士と司法書士の業務の奪い合いだという話も聞く。弁護士の需要はなぜ伸びないのだろうか。これをもう一つの専門職である医師と対比してみる。医療については多くの人が医師にアクセスし、専門的な治療を受けている。なおかつ医師の社会的地位は高く、十分な報酬を維持している。なぜこんなことができるかというと、それは保険制度があるおかげである。今では信じがたいことなのだが、昭和30年代くらいまでは高齢者の受診率は極めて低かった。子供や働き手は医師に診せても、高齢者は、「もう年なのだから」といってほっておくのが普通だったからである。自覚症状のない検査値異常やよりよいQOLを求めて高齢者まで医療にかかるようになったのはさほど古い話ではない。これに対して、弁護士については、保険のような制度はないので、最初の相談で何万円、実際に相続や離婚、近隣紛争の交渉や訴訟となれば十万単位の費用が飛ぶ。ところが普通の人の場合は紛争で問題となる金額はせいぜい100万、1000万単位であり、それも、実際にとれるかどうかとなると不明だ。これでは弁護士に頼もうというインセンティブはとてもわかないし、かといって弁護士についても公的な保険制度の構築など無理な話だろう。権利侵害については、警察や労働基準監督署などがきちんと機能すればよい話で、誰もが弁護士にアクセスする訴訟社会にするというのは方向が違う。法曹改革なるものは失敗だったと思うが、弁護士需要に対するよみ違いもその背景ではないか。さらにいえば、医師と法曹の比較として、医療は社会全体の幸福を増加させるが、法律は必ずしもそうではない。何年か前に塾帰りの子供が自転車で追いかけっこをして、元高裁裁判長に怪我をさせたという事件があった。元裁判長は子供の親に損害賠償請求をし、裁判の結果、親は何千万もの賠償をすることとなった。名医の奇跡とはなんという違いだろうか…。
2024年01月16日
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3.11が起きた後、某週刊誌のグラビアに被災地の写真として時計宝石店の店舗写真が掲載されていたことがあった。こんな写真を掲載するなんて…と当時は思ったのだが、少し考えてみれば被災地に金目のものがあるかもしれないということは思いつくだろう。災害が起きた時は、津波の不安もあり、貴重品持ち出しや戸締りは二の次という人も多かっただろう。キャッシュレスになれていない高齢者なら家にタンス預金のある人も多い。そして怖れていたとおり被災地には窃盗が相次いでいるという。昔から火事場泥棒といって、不幸や混乱につけこむ形での窃盗はあったのだが、災害で被害を負っているのに窃盗という犯罪被害まで加わってはたまったものではない。そして今回は3.11のときとは別の状況もある。それは数多くのユーチューバーの存在である。ユーチューブの中には様々な知識をわかりやすく説明したものが多く、隙間時間を有効に使えるものとしてよく見てもいる。こうしたものはアクセス数で収入を得ているようで、そうだとしたらアクセス数稼ぎで被災地に行くユーチューバーも多いだろう。ただでさえ私人逮捕系だかなんだか知らないが物議を醸すユーチューバーもいる。今のところユーチューバーの問題行為というのはでていないようだが、アクセス数かせぎで支援の邪魔になるような行為をする人がでないことを願う。窃盗にしろなんにしろ被災地への道を封鎖すればこうした問題の可能性は少なくなるかもしれないが、親族の状況を気にして被災地に入る人もいるわけで封鎖まではできないだろう。外国ならこうした災害地域は軍によって戒厳令をひくので、窃盗は抑制できるのかもしれないが。
2024年01月15日
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お正月が終わった残りの一月と言うのは特異な閑散期だという。それを期待して普段はなかなか混雑で行けない江の島にいくこととした。江の島は神奈川にある景勝地でもともとは完全な島だったのが、関東大震災の隆起で陸繋島になったという。ただ行くのはやはり橋で行き、橋の向こうの駐車場はいつも混んでいるので、橋の上には帰るに帰れぬ大渋滞が発生する。ところが行ってみるとさすがは閑散期。駐車場には空きがあった。普段であればこうしたことはめったにない。江の島の入り口から続く土産物街は江の島弁財天の参道のような趣も呈しており、多くの人でにぎわっていた。以前はこのあたり、猫が沢山いたので有名だったのだが、寒いせいか猫の姿はみかけない。海鮮や洒落たカフェの店が多く、どこの店もにぎわっている。そういえば昔はよく名所の名を冠したこけしとか置物の類があり、家には各所の土産を入れるガラスケースがあったものだが、そうした昔ながらの名所こけしや置物はなくなっているようだ。江の島は島全体が山になっており、上に登るには階段もあるし、エスカという有料のエスカレーターもある。最初から景色を楽しみたいので、階段を上ることにした。時々展望の開けるところがあり、相模湾を一望できる。大島や初島も目を引くが、鎌倉当たりの断崖の海岸も目立つ。頂上につくとサムエルコッキング苑が無料開放していた。花のない季節なのだが、その代わり、イルミが点灯しており、昼間見るイルミも幻想的だ。多くの場合、イルミは冬だけ、夜だけというのは、ちょっと残念な気がする。江の島で目につくのは三つ鱗の模様だ。階段の柱、表示の下とあちこちにこの模様がある。言わずと知れた北条氏の家紋なのだが、江の島と北条氏には深いつながりがあり、北条時政が江の島弁財天をお参りした時、夢に弁財天が現れ、一族の繁栄を約束したところ、目が覚めると証拠のように鱗が三枚あったのだという。これが家紋の由来とされる。
2024年01月14日
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録画しておいた大河ドラマ「光る君へ」第一回を見た。平安時代の衣装の美しさは期待以上だし、出世競争とは無縁の無官貴族の悲哀などもえがかれていて面白いと思った。ただ、なんといっても平安時代で合戦などの大きな動きがあるわけではない。権力闘争といっても、それは生死をかけたというものでもなく、道長は「情けある者」で権力闘争に敗れた伊周も自宅の宴席に招待をしたりしている。もっとも伊周の方は碁をうっても負けるなど、必死に気を使っていたようなのだが。そしてまた、NHK番組で、しかも家族ぐるみの視聴も多い大河ドラマだ。となれば、性愛の場面はそれを匂わす演出も難しい。第一回で子供の頃の紫式部が雀の子を籠で飼っていた話がでてくる。若紫の巻には、雀の子が逃げてしまう情景が生き生きと描かれており、作者自身の子供時代の追憶が盛り込まれていても不思議はない。源氏物語には作者の聴いた話だけでなく、なんらかの形で体験したことが反映されている可能性がある。となると、ありそうなのは空蝉の君の挿話だ。紫式部ははるか年上の貴族に嫁ぎ、夫には先妻との間にすでに大きくなった子供達がいた。こうした境遇は源氏の女君のうちで空蝉の君によく似ている。空蝉は容姿は「わろきによれる」(どっちかといえばブス)ながらつつましく賢い女性で、作者の分身ではないかという説もあるという。となると、方違えに訪れた光源氏に宿を貸した好人物の伊予介の好意を裏切るかのように、その夜、光源氏は空蝉と先妻の娘が寝ている部屋に侵入する。こんな場面も、モデル道長で再現されるのだろうか。まあ、無理だろう。源氏物語を匂わすエピソードも性愛抜きとなるとかなり限定される。それに、そもそも性愛抜きのソウルメイトという設定も家族視聴のNHKが無理無理にこしらえた設定で、なにか嘘くさい。また、紫式部の母が道長の兄に無礼討ちになる場面がある。前にも書いたことなのだが、あれはちょっとありえないのではないか。江戸時代でも武士が庶民を無礼討ち(実際の例は極少数だったのだろうけど)というのがあっても、武士の妻を討つというのはなかった。平安時代にもしそうしたことがあったとしたら、説話などにそうしたものがあると思うのだが、読んだことがない。あの時代は怨霊信仰が非常に強く、疫病、災害、病気、産褥など皆怨霊のせいとされていた。死刑制度がなかったのも、そうした怨霊を怖れるゆえであったろう。高級貴族の男が簡単に下級貴族の妻を討つなど無理なのではないか。怨霊の恐怖は本人だけでなく、一族にも及ぶ。もし、こんな所業をする者がいたら乱心者として閉じ込めるしかない。そんなわけで、二回か三回の特別番組なら美しい平安絵巻でよいのだが、これで一年間もたせるのは、ちょっときびしいように思う。
2024年01月12日
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最近の韓国ドラマにWEBTOON原作と言うのがあり、これもその一つである。WEBTOONはスマホでコマ送りして見る漫画で、青年向きのアクション漫画だけでなく、ほのぼの系のエッセイ漫画もあり、ジャンルは多彩だ。「もうすぐ死にます」は就職が七年間決まらなかった青年が自殺するのだが、死後、死をつかさどる神?から死を軽んじて手段のように扱ったとして、様々な人物に転生し12回の死を体験するという罰を受ける。そしてその中で、自分がいかに愛されていたか、母親がどんなに悲しみ苦しんだかを知ることになる。転生の中には児童虐待で死ぬ乳児や被害者の血を絵に塗り込めるサイコパス画家などもある。さらには、解雇を言い渡され、家族にも見放されて自殺するが死ぬ直前必死に生きたいと思う会社員もいる。次はどんな人物に転生するか…そのたびに変わる主人公の反応が面白い。ホームレスに転生した際には今までに比べればなんてこともないと思ったり、イケメンの金持ちのモデルの場合には、ヨシッ人生を楽しもうと思ったり。そんな転生を繰り返しながら、やはり自分は自分の人生を生きるしかないという考えにしだいにたどりついていく。ドラマが社会の状況を100%反映しているというわけでもないが、サイコパス画家が海外でまず評価されてから、韓国でも人気が出たというあたりは、けっこうこうしたことは日本でもありそうである。その一方で、中年の会社員がいきなり解雇を通告される話、いや、それよりも、主人公自身がTOECが高得点、中国語が流ちょうであるにもかかわらず、七年間も就職が決まらないという話など、韓国のビジネス状況はそんなに過酷なのだろうか。結末は、もともとがファンタジーなのでなんでもありうるのだが、こうするしかないのだろうというものだった。全八話と韓国ドラマにしては短くなっている。
2024年01月11日
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前々から興味をもっていた「超能力者」ユリゲラー氏の小説「エラ」を読んでいる。超能力に覚醒する少女エラと家族、そしてそれに群がる人々を描いた物語なのだが、かなり面白く読みやすい。最初は英国で出版され、ベストセラーになったというのもうなづける。ユリゲラーはその昔来日し、超能力ブームを巻き起こし、その時に小学生だった世代が後のオウム事件の幹部たちと重なるので、ユリゲラーがオウム事件の遠因のように語られることもあるが、こじつけだろう。オウム幹部は、スプーン曲げに夢中になった小学生全体からみれば大河の一滴だ。しかし、オウム信者の多くは超能力者を目指して入信し、信者達は麻原には超能力があると信じていたのも事実だ。だいたいなんで超能力者などになりたいと思ったのだろうか。幹部信者にはさらに上世代の連合赤軍幹部に比べても受験の挫折者は少なく、普通の能力にあきたらなくなると超能力を目指したくなるのかもしれないが、どうもよくわからない。超能力に関しては、もし仮にそんなものがあったとしても、それは人格や洞察力とは全く関係ない…という言葉の方が正鵠を得ていると思われる。小説の主人公のエラはテレビに出ただけで視聴者の念じる病人を治癒した。しかし、もし、超能力が本当にあったとしても、そこまで影響力のある超能力はおそらくないだろう。サイキックヒーリングは能力者が触れた患者は治癒できても、大勢の患者を治癒することはできない。大勢を治癒するのはやはり医療の進歩だろう。その他の超能力にしても、浮遊したり、手を触れずにものを動かしたり、スプーンを曲げたり、空中から灰を出したりするというのは、見ている人は驚くけれども、それ以上の影響力はない。かといって、スポーツのように人間の能力や努力に感動するというものではなく、むしろ今までの常識を覆すような不安感をあたえるものなので、常にインチキ疑惑はついてまわる。そのせいか、超能力はだいたいにおいてその持ち主を幸せにしないという気がする。明治期の透視能力者の女性で若くして自殺した人もいる。ユリゲラーが大富豪になり成功しているのは、稀有な事業能力やプロデュース能力をもっているからであって、すべての超能力者(もしいたとして)が彼と同じになれるわけがない。小説の主人公エラも金目当てに群がる人々にふりまわされるだけになっている。超能力よりも、学才、楽才、世才、商才等の一般の能力の方がはるかに貴重ではないか。その点、昔の人は良いことを言っている。子怪力乱神を語らず…と。最後に、この小説はユリゲラーのような有名人が書いたということを捨象しても傑作である。特に、本作の実質的な主人公ともいう超常現象記者ピーターがよい。純真だが知能の劣ったエラを利用して国際的セレブにのし上がろうとするし、それだけの知性もバイタリティもある。彼が小説の中で生きているだけに、彼の最後は息苦しくなるほどだ。著者は、超能力があってもなくても、普通の能力は十分にある方なのだろう。
2024年01月09日
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アマゾンのプライムビデオに最近、鉄腕アトムの1963年版が入って来た。アトムといえば、毎週火曜日の6時15分、後には土曜日の7時から楽しみにして見ていたものが、まさか、今になって再会できるとは思っていなかった。アトムの舞台は21世紀で人間とロボットが共存する世界…宇宙人、タイムマシーンなど毎回でてくるSF世界の奇抜な物語にとにかく夢中だったし、なんか科学と言うのはとにかくかっこいいものだと思った。そしてまた、アトムのいる時代と考えただけで21世紀は果てしなく遠く、そして輝いていたように思う。こうした鉄腕アトムのアイディアは海外にも影響を与えたようで、人間が極小になって細菌と戦う細菌部隊の話はミクロの決死圏という映画に似ているし、電送装置で自分を輸送しようとした科学者が別のものと合体する透明巨人の話は蠅と科学者が合体するフライという映画に似ている。アトムの話で何が好きかと言うと、人によって違うのだろうけど、私は比較的最初の頃の「植物人間」の話が好きだった。植物人間というのは今では別の意味で使われているが、アトムの植物人間は植物が人間のように知性を持つ生物に進化したものをいう。あらためて見てみると、植物人間がとにかく可愛らしくて、たった一人残された種族として、植物の姿でひっそりと地球で生きていくというラストに強い印象を受けたのだろう。そして植物もはるか遠い未来には知性を持つ生き物に進化することもあるのだろうか…と小学生の頃の私は空想したものだった。これからも時々、昔印象に残った物語を見ることができると思うと楽しみである。
2024年01月05日
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ずっと昔、中学生の頃、国語の教科書の最後にはお薦めの本が記載されてあった。その時に見かけ題名だけは知っていたが、今まで読んだことはなかった。妻と愛犬二匹と猫をつれて田園生活を始めた主人公だが、長雨と孤立に次第に精神を病んでいく。なぜ、これが中学生向けの標準的な推薦図書として掲載されていたのかよくわからない。それとも、教科書の最後に紹介されていたと思ったのは記憶違いか…。ただ、かつては文学と言えばこうしたものが多かった。斬新な表現で繊細な心理を描く純文学とストーリーの面白さや読みやすさに重点を置く大衆文学とは、昔は画然と分けられていた。そしてその頃の純文学の多くのものと同様に、この小説でも、特段の筋書きはなく、主人公は最初のうちこそ田園生活を楽しむのだが、憂鬱になり、幻覚や幻聴に悩み、妻にも辛く当たる。それは庭の片隅にある薔薇が最初は手入れされ息を吹き返すのだが、せっかくに咲いた花も病んでいたということに象徴される。小説が発表されたのは戦前であるが、主人公は父親から仕送りを受けて暮らしており、それで元女優の妻と家を借りている。小説家志望というのだが、今ならただのニートだろう。文学の主人公には余計者の系譜というのがある。余計者とは、知能と教養はありながら、決まった仕事をしないで社会から距離を置く観察者である。これは日本文学だけでなく、海外の文学にもよくみられる。こうした余計者が主人公になるというのは、作者にもそうした境遇の人が多いということの反映なのかもしれない。日本でも外国でも、かっては働かない富裕層というのがいた。貴族とか地主とか資産家といった階層である。こうした境遇の作家は、あまり「売れる小説」や「大衆受けのする小説」を書く必要もなかったのではないか。今だったら、こうした神経症的な定職のない知識人を主人公にしたものでなおかつさしたる筋書きのない小説というのはあまりない。
2024年01月04日
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元日の地震、そして昨日の飛行機事故と今年はいったいどんな年になるか…なんて悲観的なことを書くつもりはない。とにかく今年が平穏で幸多き年でありますよう…祈ることはそれだけだろう。さて、本年の大河ドラマは「光る君へ」だという。紫式部を主人公にしたもので、源氏物語への関心が高まる一年になるのかもしれない。ところで、源氏物語は一種のオーパーツだという。オーパーツとは、古代遺跡から科学製品が発見されたような、その時代にはありえないものをいう。多少の誇張はあるにしても、言われてみればそうかもしれない。世界をみればローランの歌が11世紀、千夜一夜物語やニーベルンゲンの歌が12世紀。今日まで遺っているのはそれだけの価値があるからなのだが、ニーベルンゲンの歌は岩波文庫で読んだことがあり、荒唐無稽な内容(意外とジークフリートは活躍していない)で近代文学とは全く異質である。この時代の文学というのは英雄や美姫は描いても、人間を描くということにはあまり関心がない。これに比べると、源氏物語の人間観察はすごい。わずか数行しかでてこない人物でもなんとなく生きた人間として想像できるし、重要な登場人物となるとそれぞれに個性があり、源氏物語の中で好きな女君、なりたい女君というのは読書子の格好の話題でありつづけている。そしてまたこの時代にかかれた物語にしては荒唐無稽という要素が少ない。まあ、これはいろいろな解釈があるのだが、霊となって活躍?する六条御息所にしても科学的解釈が可能になっている。夕顔にとりつくもののけ(六条御息所の霊かどうかは不明。たぶん違うような…)は光源氏しかみていないし、有名な葵上にとりつく場面も自責の念と産褥熱によるものと解釈することができる。産褥による死亡は平安時代の女性には身分の上下をとわず珍しくない。さらに、宇治十帖になるとほとんど近代に書かれたものといってもよい内容だ。源氏物語本編と宇治十帖については作者の同一性が議論になっているが、未完の感があるものの、傑作と言う意味では宇治十帖もまったく本編とそん色ない。更級日記に宇治十帖にふれた部分がすでにあり、宇治十帖についても紫式部本人か同一視されるほど近い人物(娘?)が書いたものなのではないか。関係のない誰かが写本の後ろに書き加えていったものとは思えない。本編を書いた後、さらに書きたいものを描きたいように書いたのが宇治十帖だろう。性格の異なる二人の男性とヒロインとの三角関係、ヒロインの失踪と記憶喪失など、現代の小説としても十分に通用する内容で、しかも筆致は上品さと情趣を失わない。
2024年01月03日
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建物のあちこちからぎしぎしという音がし、普通の地震と違うと思っていたら能登で大きな地震の速報が入った。被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。暖冬ですごしやすいのはよいのだが早くも心配になる今年の酷暑、そしてまた五類移行で社会的には終息させたものの実はふたたび波のきているコロナ禍、それにいつくるかわからない地震…気にはなるのだが、こんなことは自分個人で心配しても仕方がない。日々の健康に感謝し、毎日毎日を楽しいことを見つけて過ごしてゆければよい。「謡曲集」(下)を読んだ。謡曲と言うと旅の僧がでてきて、精霊のシテに出あうという同じようなものばかりという印象があったのだが、実際に謡曲を読んでみると多彩である。素材も寺社仏閣の伝承や漢籍、平家物語や源氏物語など幅広いし、中には長寿の松の夫婦の精霊のおめでたい話(高砂)や中国から白楽天が日本の知恵を測りにやってきたが住吉明神が追い返すという話(白楽天)もある。そして多くの場合、語りの部分で物語の背景を語るので、謡曲には語り文学としての要素もある。この「謡曲集」と併行して「平家物語」を読んでいたのだが、そのせいなのか、謡曲の中でも平家物語に題材をとったものは特に異彩をはなっているようにみえる。平家物語は血沸き肉躍る軍紀ものというよりは、栄華を極めた平家の人々が没落していく敗者の物語である。そしてその敗者はそれぞれに無念の思いをかかえている。そういう無念をシテの舞や語りで観客は追体験した上で、最後は多くの場合、旅の僧の読経で救われるという構成になっている。観客はそうしたものをもとめたのだろう。また平家物語を題材にした謡曲には、平家一門ではないのだが、平家物語中の悲劇の人物として源義経や源頼政に材をとったものもある。源頼政は歌人として名声があるばかりでなく、鵺退治でも有名な文武両道の人物である。その人物が以仁王の挙兵の際の反乱に参加して、宇治平等院で自決する。頼政については、鵺を主人公にしたものと頼政を主人公にしたものとの両方の謡曲が存在する。平家物語では鵺退治は節をおこして語っているのに、以仁王の反乱では頼政はさしたる活躍もせずに自決してしまう。謡曲の作者はそこのところをふくらませて書きたかったのだろう。埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなるはてはあわれなりけり頼政ほどの文武両道の人物がこれではおさまらない。謡曲ができるのもむべなるかなである。
2024年01月02日
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あけましておめでとうございます。さっそく今年最初に読み終えた本について…夜ごとに開催される謎の隣人による邸宅の大パーティー。しかし、それはかつての恋人に成功をみせつけるためのものであった。だからパーティーに参加する者の誰一人として主人の正体を知らないし、主人と心通わせているわけではない。やがて彼はパーティーに恋人を招待することに成功し、恋人との仲は一時はもとにもどったようにみえた。しかし、それはあるアクシデントのために雲散霧消し、結局は彼の孤独だけが浮き彫りになる。小説には三組の恋人がでてくる。謎の男ギャッピーとかつての恋人デイジー。デイジーの夫とその愛人。小説の語り手であるニックとその恋人のゴルフ選手。いずれも心理描写はほとんどなく、ギャッピーとデイジーの関係がどんなものか読者には最後まで分からない。結局、デイジーはギャッピーの葬儀にはやってこなかった。そしてデイジーについては美貌の上流階級の娘とあるだけで、それ以上の魅力が描写されている箇所もない。ギャッピーにとってデイジーも高級時計や立派な車同様の成功の証という意味合いだったのかもしれない。それにしても時代は第一次大戦後の戦間期。デイジーの夫のトムが「有色帝国の勃興」という本について熱弁するくだりがある。「…おれたち支配的人種に警戒の義務があるんだよ。さもなければ他の人種が支配権を握ることになる」「おれたちは彼らをたたきつぶさねばばならん」この本もこの著者も架空のものだというが、この頃に流行った黄禍論を反映しているのだが、物語の筋とはあまり関係ない。時代の空気としては興味深い。
2024年01月01日
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子供の頃、年末年始はたいてい母の実家にでかけていった。外は根雪の銀世界だったが、家の中は炬燵と火鉢で十分にあたたかく、大みそかの夜は、他の家と同様、皆で紅白歌合戦を見るのが定番だった。そしてその年に流行った歌をききまがら一年をふりかえったわけである。その頃、春には春らしい曲、梅雨には雨に関した曲、夏には海の曲と言ったように、流行歌は季節を反映しており、大ヒット曲となると、商店街からもテレビからも流れてきて、いやでも耳につく。だからこの年には何の曲が流行り、次の年には何の曲が流行り…というように流行歌は想い出とともにあったが、いつの間にかそうしたことはなくなったようだ。今年流行った曲と言ってもすぐには思い浮かばない。そして紅白が終わると「ゆく年くる年」という番組が始まる。この番組ばかりはここ何十年もほとんど変わりはない。ご~んご~ん、東大寺の鐘の音ですというように、あちこちの名刹の年越し風景を放映するのだが、これこそは不易流行のまさに不易というものだろう。この番組が始まり、少しすると、近所の神社に初詣にでかけた。真夜中なのにこの日ばかりはけっこうな人出で露天もでていたように記憶する。帰ってくると、ゆっくりと寝に入り、起きたら新年のあいさつをしたあと、「スターかくし芸大会」という番組を見るのも定番だった。内容は、中国語劇や英語劇、そして女性タレントのラインダンスやスパニッシュダンス、ある男性タレントの南京玉すだれなどであり、これも偉大なるマンネリという感じなのだが、この番組、何年に終了したのかは記憶にない。箱根駅伝はまだ今ほどには人気がなく、テレビでもやっていなかったように思う。おもちを食べながら従兄弟も入ってトランプをしたり、双六をしたりして、お正月は過ぎていった。冬休みの宿題は家に戻ってからまとめてやったし、お受験も無縁だったので、非常にのんびりしていた記憶しかない。※※こちらにお越しくださった方、そしてコメントをいただいた方、どうもありがとうございます。どうかよいお年をお迎えください。
2023年12月31日
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数年前にある整形外科手術をしてから定期的に術後検診に通っている。担当をした医師はその分野では名声のある方であり、病院で診察室の前で待っている人は、皆その先生の患者である。共通点は年代(あまり若い人はいない)くらいで、それ以外の属性はおそらく様々だろう。普通の国では、この先生の患者は金持ちだけ、この先生の患者は貧乏人が中心というように、所得階層によって受ける医療の質が決まっているのだが、日本ではそうした差異はない。これを病院毎にみても、金持ち専用の病院、貧乏人専用の病院というのは思いつかない。なんかこれってすごいことではないか。もちろん中にはこうした手術のための医療費をねん出できないという人々もいるということを念頭においてもなのだが…。金持ちも貧乏人もない…といえば和歌の世界もそうである。万葉集に庶民の歌が収録されていることは有名なのだが、古今集にも民謡と思われる歌や遊女の歌がある。こうした和歌の前の平等は今日でも生きていて歌会始に選ばれるのに一定以上の収入とか知識人でなければだめだとかいった制限はない。そしてまた歌の内容についても同様である。百人一首にある誰でも知っている歌に「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ…」の歌があるが、これが天皇の歌だというと外国の人は冗談だと思うだろう。田圃の小屋にいると天井から雨が漏れて袖が濡れてしまったよという意味で、およそ王様らしくない。実際にこの歌を天智天皇が作ったというのは疑わしいにしても、こうした歌が天皇の歌として伝えられてきたということは事実である。田圃の小屋の歌も、雪の中で若菜を摘む歌もあたりまえのように天皇の歌として記憶し、かるたで遊ぶ。でもそんな「あたりまえ」も外国から見ると、すごく変なことなのかもしれない。
2023年12月29日
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軍事転用可能な精密機械の不正輸出で逮捕・起訴された後、起訴取り消しとなった企業の社長ら3人が損害賠償を求めた訴訟で、国と東京都に対して、合わせて約1億6000万円の賠償を命じる判決があった。軍事転用可能というが、およそ人間の開発した技術のほとんどは軍事にも使えるものだし、そもそも軍事のために開発されたというものも多い。よい悪いはともかくとして、人間の技術が飛躍的に進歩するのは戦争の際である。缶詰や瓶詰などの保存食品は軍用食として開発されたし、知能検査は徴兵のため、トリアージは戦場における救護のために始まった。極論すればすべての技術は軍事転用可能といってしまってもよいのだが、法律ではもちろん規制される技術を定義づけてある。ただ、これが一定程度以上の温度になるかならないかが問題であって、捜査当局がその実験を怠っていたとなると、規制される範囲そのものは曖昧だったのではないか。善良に暮らしている市民にとって突然官憲に逮捕されるなど恐怖以外のなにものでもない。刑罰をもって規制するようなものについてはその範囲が誰が見ても明確なものであるように定義づけられるべきではないか。逮捕された人の中には癌が見つかり、拘束されていたために適切な治療を受けられずに亡くなった方もいるという。人は限られた時間の中で後戻りのできない人生を生きているので、冤罪のみならず、違法な逮捕もとりかえしがつかない。そういえばなりすましメール事件の誤認逮捕で大学を退学になった若者がいたが、こんなのも謝罪してとりかえせるような被害ではない。被害を受けた企業は優れた技術をもっている優良企業だったという。今回の逮捕冤罪事件は日本全体のためにも大きなマイナスだったのではないか。
2023年12月28日
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その昔、日本では欧米に比べて法曹の数が少ないという理由で弁護士の数を飛躍的に増やしたことがあった。その結果起きたのは生活できない弁護士の増加である。そもそもこうした弁護士不足の議論は市井からわきおこったものではなかった。無医村で悲鳴をあげている地域はあっても、弁護士がいなくて困っている町というのはきいたこともない。日本が本格的な訴訟社会になることを望む人は今も昔もあまりいない。それとは全く違うのだが、現在いくつかの職種でも人材あるいは人手不足が問題になっている。これもその不足の議論がどこからでてくるかを考える必要がある。例えば、タクシーの運転士が不足しているので、その解消のために二種免許の試験を外国語でも受験できるように改正するという。相変わらず人出不足≒外国人の採用という発想である。いくら円安日本でも世界にはまだまだ貧しい国もあるので、やってくる外国人はいるかもしれない。しかし、本当に需要者からみてタクシーの運転手が不足しているのだろうか。タクシーがつかまらなくて困っているという話はあまりきこえてこない。都会以外ではタクシーはそうそう走っていないし、それを前提に生活している。都会ではタクシーが無理なら別の交通機関がある。おそらくこの運転士不足と言う議論はタクシー運営会社からきているのではないか。今の経営体質では低待遇の運転士を多数雇用して利益がでるわけなので、運転士がいなければ困る、外国人でも来てくださいというわけだ。しかし、利用者の側で見れば、人口減少と高齢化の二重の消費縮小の上、財布のひもも固くなっていてタクシーに乗る需要そのものが減っている。そうだとすれば、運転士を増やすというよりも、むしろタクシー運賃を上げ、タクシーはたまの贅沢にした方が、運転士の待遇も向上し、人手不足の問題も解決するように思う。同じように人手不足の業界である介護の場合には需要そのものは今後も増え続ける。この分野でも介護士の試験を外国語でも受験できるようにするなど、外国人を導入し、よりハードルを下げる議論が行われている。しかし、その結果、介護労働環境にどんな影響を与えるかという検討はあまりおこなわれていない。日本人の志望者はますます減少するように思う。介護労働者に負担が大きいのは入浴排泄の介助なのだが、これは介護者だけではなく、介護される側にも負担だということに留意する必要がある。排せつの介助をされるようになると、急速に痴呆が進むという話を聞いたことがあるが、それもそうであろう。極力機械できるものは機械化し、人力に頼らないですむような試みをしてはどうなのだろうか。いずれにしても、人口減少、高齢化、人材(人手)不足の方程式は難しい。めざす解は人口増と生活できる年金の維持ではなく、高齢になっても働けるうちは働くのが当然という社会なのかもしれない。
2023年12月27日
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和歌(短歌)を観賞する際、作者の視点の移動を感じさせる(と思う)歌をあげてみる。最初はこれである。東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ満月は太陽と反対方向にあるので、日没とともに昇り、そして夜明けには沈む。だから、そんな当たり前を歌っただけの以下の歌であるが、この歌に宇宙を感じるのはなぜなのだろうか。それは視点が東の地平からぐるりと空を横切って西に向かっているからであろう。歌を読む、あるいは聞く人は作者と一緒に視線は大空をめぐる。だから、もしこれが「東の方日は昇らんとし西の方月こそまさに沈まんとす」なら当たり前すぎて歌にもなっていない。「…見えてかへり見すれば…」という視点の移動があるから歴史的名歌になったのだろう。茜さす…の歌と同じくらい万葉集で好きな歌である。広い宇宙、太陽と月、消えるものと生まれるもの、とにかくスケールが大きい。もう一つ近代の名歌にこんなのがある。ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の塔の上なる 一ひらの雲(佐々木信綱)これも大和の国で視野が一地域になり、さらに薬師寺で一地点に収れんする。そして視線は塔へと昇り、最後は空高くの雲に向かう。視点を移動しながら、晩秋の名刹の情景とともに、大和の国や薬師寺をめぐる悠久の歴史も連想させる。そしてさらに壮大な視点の歌もある。岬みな海照らさむと点(とも)るとき弓なして明るこの国ならむ(上皇后陛下)夕方になると灯台に灯がともる。誰もが見る光景なのだが、島国の日本には岬ごとに灯台があり、宇宙から見れば弓なりの日本列島の形にそって光っていることだろう。この歌は宇宙から見た壮大な情景だけでなく、それぞれの灯台で灯をともす人々、その灯りをたよりに海で働く人々へのまなざしまでも感じられる名歌だと思う。57577のたった31文字で様々な視点を想像させる言葉の力はやはりすごいとしかいいようがない。
2023年12月26日
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できる妻をもった逆玉の男…能力では妻には及ばず、妻の母には認められず、家庭に安らぎがないせいもあって若い女性と不倫をしている。そして妻は離婚した母をみていたせいか理想の家庭を築くこと、そのためにはよき妻であることを何よりも大切にしていて夫の不倫には気づかない。ところが、この夫婦愛人の関係が次第に変化していき、幸福な家庭が実は幸福を演じていたショーウィンドウに過ぎないということが暴かれていく。ドラマの冒頭から殺人事件の捜査の場面が挿入されるので、この三人の間でいずれ殺人事件が起きることが予告され、幸福な家庭の虚像が崩れた後の悲劇はどうなるかという興味が視聴者を引っ張っていく。それにしても主人公の妻は男を見る目がなさすぎだろう。学生時代から彼女に好意を寄せる著名な精神科医もいたのに、なんであの男を夫に選んだのかよくわからない。まあ、そうでなければ物語が始まらないのだが。それに、こうした誰もがうらやむ上流家庭が崩壊していくドラマは、韓国ドラマの中で「財閥家庭崩壊もの」という一ジャンルを形成しているかとおもうくらいによくみられる。最期はつっこみどころ満載なのだが、面白くみることができた。夫婦、そして愛人を演じた俳優はいずれも魅力的なのだが、特に愛人役の女優がうまい。鬼気迫る悪女、可憐な小悪魔、そして善良で爽やかな女性を見事に演じ分けている。夫はドラマのストーリーでは悪役であり利己的な男なのだが、あの立場では家庭に安らぎをえられないのももっともなのかなと少し同情してしまう。すごく古い昭和チックな感覚であることは自分でもわかっているが、やはり逆玉でしかも能力的に下回っている男との結婚は最初からボタンのかけちがいだったのではないのだろうか…と思う。
2023年12月25日
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歴史上の人物で人気ナンバーワンといえば、今は坂本龍馬だが、しばらく前は源義経が一番人気だった。その義経はなぜか美男ということになっていて、大河ドラマではたいてい当代のイケメン俳優が演じることになっている。ところが、平家物語では義経の容姿は、「色白き男の、たけ低く、向う歯二つ差しい出て、ことにしるかんなる」(背が低く色が白く出っ歯で人目につく)となっており、あまりカッコよいとはいえない。有名な船を飛び越えた場面はあるが、一方で自分の持っている弱い弓が流された時、それを恥じて必死でひろいあげた挿話もあり、大力屈強というよりも、素早く身軽な小男といったところだったようである。ただ随所に情けある者という表現があり、細かいところで温情を見せる場面がある。源平合戦の源氏の活躍場面のほとんどは義仲や義経によるものなのだが、義仲は京都で狼藉三昧のうえ、田舎者ぶりがコミカルにえがかれているので、やはり義経に人気があつまるのだろう。人々は血沸き肉躍る勝者の物語を好む。その上、義経は合戦での強さとは裏腹に、政治力のない所は純情一本気な好印象を与えるし、美女静御前との愛や悲劇的な末路も日本人好みだろう。 ただ、平家物語を読んでみると、その本質は合戦物語ではなく、様々な悲劇的運命をたどる平家の人々の敗者の物語のようにみえる。戦場で笛を離さなかった美少年の敦盛や自分の歌を勅撰集に入れてもらうことを願う歌人忠度もさることながら、凡庸だがどことなく憎めない好人物の宗盛が最後まで助かることを願いながら斬られる話や、牡丹の花にたとえられるような文武両道の重衡が千手前と最期の交情をし、彼女初め何人もの女を悲嘆のあまり出家させて世を去っていく話など、それぞれの人物がそれぞれの悲劇を辿っていく様子は読んでいて悲しい。そんな悲劇の一つに建礼門院がある。以前、平家物語を読んだときには、中宮の地位にまでのぼりながら、我が子や一族に死に別れ、世を避けるような出家生活を送った彼女は日本史上の女性で随一の不幸な女性だと思っていた。しかし、今回改めて読んでみると、たしかに平凡な女性ではあるのだが、自分に仕える美貌の女房の恋の仲立ちをしたり、賊に着物を奪われて泣いている女童に着物を与えるなど性格の良く明るい女性のようにもみえる。晩年の隠棲生活も世間の目をさけながら、異母妹の援助や後白河院の訪問を受け、運命を共にした女性達と平穏な日々を過ごしたのではないか。ただ、平家の落人追撃は苛烈で、身をやつして下働きとして仕えていた人や寺に匿われていた人も次々と見つかり処刑されたり討ち死にしたりしている。かくして諸行無常という余韻を残して平家物語は終わっていく。
2023年12月24日
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小学生の頃、東京オリンピックがあった。明るい声の東京五輪音頭が町にあふれ、子供用の漫画雑誌にも「世界中から人々がやってくる」なんていう特集がくまれ、外人の見分け方なんていう特集記事まであった。すぐ時計をみるのはドイツ人、動作がオーバーなのはアメリカ人なんていう記述があったのだが、真偽のほどはどうだったのだろう。当時は日本は中進国ともいわれ、やってくる欧米人は金持ちという印象があった。当時は国の数はいまよりもずっと少なく、アフリカの植民地が次々と独立をしていった時期だ。五輪期間中にできた国もあったという。テレビでは五輪競技ばかりやっていたが、つまらなかったので、食事以外は漫画をみてたか描いてたかしていたと思う。野球もそうなのだが、どうしてああいうのを見て面白いとおもうのかよくわからなかった。家のテレビだけではなく、学校のテレビでもオリンピックを見た。女子バレーの日本ソ連戦で、しばらく見ているうちにどうやらボールが床についたら負けらしいと気づいた。皆で盛り上がってみていたが、それをリアルタイムだと思って見ていたのはどうやら自分ひとりだったらしいと気づいたのはかなり後になってからだ。オリンピックがおわってからもその余韻は社会に残っていた。図工の時間にはオリンピックの絵を書くという課題があったが、あまり熱心にみてもいなのので困った。体操のチャスラフスカは綺麗で印象的だっらので、何人かの選手が演じている体操の絵を描いたがこれは失敗だった。男子選手が段違い平行棒をやっているところを描いたのだった。ウルトラCや俺についてこい、それになせばなるが流行語になり、女子バレーの監督は参議院選挙でトップ当選をしたと記憶する。高度成長時代はオリンピックも万博もその意味が今とはずいぶん違うように思われる。大阪万博の費用予測が公表されたが、機運醸成にも相当額の経費をかけるという。機運が盛り上がったじゃら大阪の選挙民は万博誘致に賛成したのではなかったのだろうか。どうもよくわからない。そしてまた、万博の前売り券はすでに発売されているというのだが、この売れ行きの状況についての報道がないのも不思議である。
2023年12月20日
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平家物語(中)を読んだ。世に源平合戦という動乱であるが、実際には官職を独占して栄華を極めた平家に対して、反攻勢力が立ち上がったというのが実態だろう。そんな動乱の中、ほぼ嵐の中心にいた平徳子は、あまりにも平凡な女性で気の毒だというようなことを先の日記で書いたのだが、案外とおっとりとしぶとく生涯を全うしたといえるのかもしれない。平家物語には様々な女性が登場する.宮廷や貴人に使える女房もいたし、男装して舞を披露する白拍子もいた。戦場には細々とした世話をする便女という女性もいたし、その中には巴のような女武者もいたのだろう。平家物語には出てこないのだが、徳子とほぼ同年輩で同時代を生きた北条政子は、自力で貴種頼朝をゲットし、彼の野心に火をつけ、その成長を助けていった。まあ、いつの時代にも様々な人々が生きており、それぞれの人生を辿っていったわけである。最初に、平家に対する反攻勢力として大きく立ち上がって来たのは木曽の源義仲であった。義仲がやってくるというので、平家一門が都落ちをするというのはあっけないように見えるが、公家文化に染まった平家にはかつての勇猛さがうしなわれていたのかもしれない。また、天皇と三種の神器を持っている以上は、なんとかなるだろうという気もあったのかもしれない。ただ、平家方では、清盛が死に、重盛もとうに亡く、頂点に立つ器量のものがいなかった。源平合戦の主な見せ場はこれに続く巻九以降であるが、源平と言っても全源氏と全平氏の戦いと言うわけではない。木曽義仲は頼朝とは独立して動いているし、頼朝方として木曽義仲を討つ義経や範頼も最後は逆に鎌倉方に討たれる。平家一門は公達というほど育ちも良いのに対し、木曽義仲、義経、範頼はいずれも遊女や白拍子から生まれた人物であり、有象無象という感がある。これに朝廷、摂関家や寺社勢力、奥州藤原氏がこの時代の力関係を形成していた。下巻ではいよいよ平家一門が落剥の道をたどる。平清盛は奢っていたにしてもさほどの極悪人というほどでもなく、その一族の公達は容姿端麗、教養豊かな人物が多い。そうした人々の悲しい運命を聞きながら人々は諸行無常だといって感涙をもよおす。
2023年12月18日
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以前に平家物語を読んだ時から平徳子という人物には興味があった。人生の悲劇にはいろいろあるのだが、平徳子の場合は平凡な女性が平凡ならざる地位についてしまった悲劇なのかもしれない。同時代の北条政子は夫の愛人に対する嫉妬もあいまって三大悪女に数えられているのだが、徳子の場合はまるで逆である。夫である高倉天皇が目をかけている女房の童が運ぶべき衣をとられたといって泣いていると、求めに応じて自分の衣装をさしだす。寵愛している葵女御が死んでしまったといって夫がふさぎ込んでいると、慰めるために小督局を紹介する。葵女御も小督も結局は清盛の勢力を怖れて逃げていくわけであるが、それについて徳子がどう思っていたかという記述はない。心底おっとりしているのか、夫の寵愛を諦めているのか、どちらかであろうが、その両方であったのかもしれない。中宮という女性の最高の地位にいても、彼女にはむなしいものだったのだろう。そしてまた、生命力もあまり感じられない。お産のときに物の怪がとりついて、それが鬼界が島の流人を呼び戻すきっかけになったというので、あまり丈夫な方ではなさそうだ。それはまあ体質にしても、部屋に蛇が入って来た挿話では、重盛が徳子が驚くと困るとおもって蛇を捕まえて誰にも見られずに措置した。巴御前はもちろん、静御前あたりでも蛇くらいにはおどろきそうにない。やがて夫であった高倉上皇が死に、清盛もなくなる。このときも、徳子が天皇の母という立場で何か動いたという形跡はない。ただ一族に従って、安徳天皇を連れて落ち延びていっただけである。最後は入水するが結局は死にきれなかったのも、最後まで船の上で躊躇していたからだろう。その後は大原に隠棲して、一族の菩提をとぶらうのだが、後白河法皇が訪れてきたときには宮中の栄華の日々を懐かしむ。どこまでも平凡な女性で、悟りすました凛とした対応はまったくしそうもない。平家物語以外に建礼門院右京太夫集にも、平徳子の記述がある。右京太夫の和歌では月に喩えられており、隠棲後も彼女との交友があったことがうかがえる。そこそこに美しく知的な女性だったのかもしれないが、静御前、巴御前、千手前、そして実在のたしかな北条政子などに比べると、その受動的な生き方が気の毒なように思う。
2023年12月17日
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「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」の中で琵琶湖周航の歌が紹介されていた。琵琶湖周航の歌(加藤登紀子) - YouTubeわれはうみのこさすらいの旅にしあればしみじみと…で始まる歌詞で人口に膾炙している。さらっときくと、われはうみの子のうみは琵琶湖を指すようなのだが、よく考えるとおかしい。うみの子の次はさすらいの旅とあるのだが、琵琶湖が故郷の海だとしたら、旅人ではなくなる。この作詞者の小口太郎という人は、もともと諏訪の出身で、琵琶湖をみながら故郷の諏訪をしのんで、自分も湖の傍でそだった「うみのこ」であるという意味で、われはうみのこと歌ったのだろう。第三高校から東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所に入所し、大学在学中に電信電話に関する発明をしていたという秀才なのだが、若くして亡くなっている。諏訪湖畔の公園には像がたっているという。この琵琶湖周航の歌には竹生島に悲恋伝説かなにかがあるような詞がでてくるが、検索してもそれらしいものは出てこない。しいてあげれば信長公の手打ち事件くらいだろうか。信長が竹生島に行ったときに、どうせ泊まりだろうと油断して近くに寺に参詣に行ったりした女房衆を、日帰りで戻って来た信長が皆殺しにして仲裁に入った坊主も一緒に殺したという話である。手打ちとあるので、殺害かどうかはわからないし、舞台も竹生島ではなく、悲恋とも関係なさそうである。
2023年12月15日
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この間、壇之浦と赤間神宮に行ったが、これを機会に平家物語を読みはじめた。平家物語はおごる平家を源氏がうちやぶった軍紀ものというよりは、栄華を極めた平家一族の悲劇の物語で、主人公は様々な最期をたどる平家の公達のようにみえる。平家一門の内で悪役に一番近く描かれているのは清盛であり、一方で重盛は思慮深い優れた人物、宗盛は凡庸だが憎めない人物となっている。上巻(巻一~四)では合戦はまだ始まらず、皇室や摂関家をしのぐほどの権勢をふるう平家一門と鹿の谷の陰謀と俊寛の悲劇、以仁王の挙兵と合戦の顛末が描かれる。鬼界が島に一人残された俊寛の悲劇は様々な文学の題材になっており、島でかえって幸福に余生を送ったという変形バージョンまである。しかし、平家物語では三人でいたときには、成経少将の舅の領地からの仕送りがあったが、俊寛一人になるとそうした仕送りも途絶え、たちまちに困窮する。最初は硫黄をとって、漁船でとれた魚などと交換していたが。やがて体の自由もきかなくなると海藻をとるほかは施しにたよるだけの境遇になる。平安時代は長らく死刑が行われなかった時代として知られるが、貴族にとっての流罪は死よりも辛い場合もある。時代は下るが、八丈島に流された宇喜田秀家には妻の実家の前田家から毎年米の仕送りがあり、明治維新まで続いたという。この時代は平家に対抗する勢力として皇室や摂関家だけでなく、寺社も相当な勢力をもっていた。以仁王の蜂起は失敗するが、以仁王に味方した三井寺も平家の軍勢によって灰燼に帰す。このときの平家の大将の平重衡は、後年、死を前にして仏罰に怯えることになる。中巻以降では陰りゆく栄華と暗転が描かれていく。
2023年12月13日
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前作の続編ということで、最初から前作の世界観を前提としている。そのせいで、前作の時は現実と映画の世界との二重写しに笑えたが、今回は初めから映画世界ができていたので、異世界もののSFを見ているような感じであった。前作が関東の小ネタであったが、今回は関西ということもあったのかもしれない。異世界もののSFという眼でみれば、それはそれで面白いのだが、やはり前作の現実世界と地続きになっている「そんなバカな」的な面白さの方に軍配をあげる。関西になじみがないせいか、小ネタもそういえばそうだねと思い当れば面白いのだが、全くの初見ではそういうこともない。「飛び太くん」も「うみの子」もみたことがあるのとないのとでは全く違う。それにしても、滋賀はそんなに特徴のない県なのだろうか。なにしろ昔は都があったところで、かって都であったという歴史はむしろ京都よりも長い。まあ、京都の方はいまでもまだ都だと思っているという説もあるのだが。そして日本史で都のあったところは、奈良、滋賀、大阪、京都、兵庫、東京しかない。東京については、正式に都と決めた法令等は存在しない。となると続編ででてきた府県は和歌山を除けば皆かつての都である。そんなわけで、元都同士がディスったところでしょうがないとしかいいようがない。そんなことよりも、今回の映画で悪役を引き受けた某自治体が某政党に重なって見えるのは自分だけ?やはり、関西ワールドの壮大なSFよりも、埼玉付近の小ネタが面白かった。行田の田圃アートのタワーとかも、この映画がきっかけで人気が出るのではないか。
2023年12月12日
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あまり大きくは報道されなかったが、自動車がカーブを曲がり切れずに大破し、同乗していた三人は即死、運転していた少女だけはシートベルトをしていなかったため、車の外に投げ出され、助かったという事故(事件)があった。亡くなったのは少女一人、少年二人で、少年は事故の直前まで少女の代わりに運転をしていたという。制限速度をはるかに超える危険運転で、少年たちは前々から危険運転を行いながら動画を投稿していたという。生き残った少女に対しては、危険運転致死ということで、懲役8年の宣告が地裁で行われた。報道をみるかぎりでは、同乗していた少年たちも危険運転を煽っていた感じである。あくまでも結果論なのだが、無関係な第三者を巻き込んだ事故というのとは違い、同乗し亡くなった三人も単純に被害者というのとは違う。弁護側は少女は境界知能であるとして刑の軽減を求めていた。境界知能とは知能指数が70以上80未満という知的障害と平均知能のボーダーに当たる層で7人に一人はいるといわれる。知能は正規分布曲線を描くので、反対でいえば120以上130未満と同じくらいいるわけである。今では多くの人が普通に免許をとれるし、そうでないと社会自体が動かなくなっているので、境界知能だから刑事責任が減刑されるというわけにもいかないだろう。ただ、境界知能の中には非常に友人に依存しやすい人がいるように思うし、特に、偏見かもしれないが、女性に多いように思う。友人と一緒でなければトイレにも行けないというタイプである。仲間外れになりたくないので、自動車運転に固執し、一緒に面白がっていなければとにかく不安で、その結果が危険運転だったのかもしれない。無関係な人を巻き込んでの事故にならなかったのは不幸中の幸いなのだが、こういう人は刑期をすませて出てきても、これから先の人生は大変なのだろう…と思う。地道であっても他人に依存しない生き方ができればよいのだけれども。
2023年12月11日
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街歩きのガイド本をみて高幡不動から多摩丘陵を歩いてみた。高幡不動にお参りをした後、丘陵部に登る道があるはずなのだが、どうしてもみつからない。登ったところに参拝者用の駐車場があり、その一角が工事中でシートがかかっている。おそらくここに階段とかがあったのかもしれない。仕方ないので、通常の道路を通って七生公園にいってみる。さて、多摩モノレールに沿う道をかなり歩いてたどりつくと、せっかくの好天の紅葉シーズンなのに人がほとんどいない。こういうところはあまり人通りがないのも陰気な感じがする。早々と退散して、次の目的地である平山城址公園に向かう。上り坂になっていて、ときどきはっとするような眺望が開ける。このあたりが多摩丘陵の尾根なのだろう。眺望だけだと山歩き気分なのだが、違うのはこのあたりは一戸建て住宅が連なっているということである。山道を無理無理に造成して一戸建てにしたという感じで、どの家の土台も盛り土であり、急坂も多い。東京にどんどん人が集まって来た時代、まず不足したものは住宅だった。結婚し、子供も生まれ、給料が上がっていくと、ほしくなるのは一戸建てだっただろう。団地も最先端の住宅スタイルとして人気があったが、やはり田舎の広い家で育った人は庭付きに憧れるし、当時は子や孫に囲まれて暮らすのが幸福な老後とされていたので、ゆくゆくの三世代同居を考えると広い家を持ちたいという人は多かった。ただこれほどの住宅街なのに森閑としている。子供たちどころか、道行く人自体がほとんどいない。空き家という感じでもないのだが、かなり高齢化がすすんでいるのだろう。なお、住宅街の道にはところどころに凍結注意と不法投棄禁止の立て看板があった。落ち着いた住宅街の中に、こんな山道のような看板があるのも違和感がある。平山城址公園はみごとな眺望で奥武蔵や秩父の山が見え、さらに、眼を転ずると遠くかすんで八溝山地や筑波山が見える。この周辺は山歩きのための散策路になっているのだが、ほとんど人が通っておらず、公園脇の平山季重神社も落ち葉に覆われていた。そういえば、もうかなり昔になるが、八王子から通ってきていた上司が、毎日山歩きをして昨日は何歩歩いたという話をしていたことを思い出す。その頃には、このあたりの山道も歩いている人も多かったのだろう。細い散策路には平山城址公園までの道標のあるものもあったが、まったく手入れのされていなさそうな道なので、用心をして、普通の道で駅に向かうこととした。
2023年12月10日
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少し郊外を行けば分かるのだが、日本の農地は急減している。農業人口はもともと高齢者が多く、そうした世代がいなくなっていけば、農地が消えるのは理の当然で、今や棄農地と限界集落というのが田舎の普通の光景になっている。このような状況について、食糧自給という見地から論じる人は多いのだが、そうした論者自体、自身で農業をやっているわけではない、おそらく身内に薦めるきもないだろう。考えてみれば、日本の農業政策は、戦後の農地改革以降、「食うに困らない自作農」を育てるという目的で行われてきた。戦前の地主小作関係が前近代的なものであり、軍国主義の温床になったというGHQの判断もあったし、戦後の食糧難を解消するためにも健全な自作農を育てるのは急務であった。だから農「家」という言葉が示すように、農業政策は、あくまでも家族経営の自営が前提であった。やがて戦後の復興が進み、様々な産業が生れてくれば、農業という職業が魅力がなくなっていったのも当然のように思う。同じ自営業でも商店であれば、自分の代には店を大きくし、店舗数を増やすとかいう目標がもてる。これに対して、農業では、農地を増やして人に貸すということはできない。さらに農家に嫁に行くと言えば、それは自動的に農業労働力の一員になるわけであるが、その時代には専業主婦が一般的になりつつあるとともに、家計補助のためのパートタイム労働も増えていった時期だ。同じ働くにしても、農家の嫁よりは、現金を直接受け取ることのできる仕事がより魅力的にみえるのは当然だろう。さらに外国からの農産物流入や自然災害の不安など農家の将来そのものにも危機感がもたれた。こうして農業人口は減っていった。そして一方、非農家からみると、農業と言うのは参入が非常に難しい。まず農地がいるし、農業機械も必要だ。そして農業技術だけでなく、機械や農薬の扱いにも習熟しなければならない。家が農家で多少でも親を手伝った経験があるならともかく、サラリーマン家庭で育った人には、農業者になることは、ある意味、難関資格を得るよりも難しい。ましてや都会から馴染みのない土地に移るとなるとそのハードルもある。それにしても、いったいなぜ農家は農「家」でなければならないのだろうか。食品でも衣料品でも、多くのものは会社で作り、製品開発、マーケティング、広報、現場…と様々な人がその適性に応じて様々な業務についている。なぜ農作物という生産物だけ別なのだろうか。普通に農業も株式会社主体で行い、業種ごとに人を雇用してもよいのではないか。そのうえで、農地の賃借人、単純労働者などの立場の弱い者については、普通に労働法制や独占禁止法などで権利保護を図ればよいのではないか。そうした問題は農業だけの問題ではないはずなのだから。今、ひきこもりなど身体は健康でも働かない人々が問題になっている。そうした人々でも自然の中でなら普通に働けるという人もいるように思う。
2023年12月08日
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日本史には三大悪女と言うのがいるらしい。北条政子、日野富子、淀君だという。そういえば、子供の頃は北条政子や北条氏については悪女や悪役のイメージがあったように思う。それが変わったのは、彼女を主人公にした歴史小説がでてからではないか。「北条政子は悪いとよく言われるけど、小説を読むと偉い人だったみたいね」と教師が言っていたのを覚えている。やがて小説を原作にして大河ドラマもでき、今では悪役イメージはなくなったのではないか。日野富子は、北条政子や淀君ほどの印象はないが応仁の乱の原因となったことをもって悪女というのだろう。けれども、自分の子を将軍にしようとしたことや、蓄財に励んだことは、普通の人もやろうとすることであり、とりたてて悪女というほどのものではない。まあ、北条政子が夫の愛妾の家を壊したとか、日野富子が側室を追い出したという話もある。やりすぎといえばやりすぎのようだが、歴史上の悪女というには、いまいちインパクトに欠ける。淀君については権勢を振るい大坂の陣の原因となったのが悪女たる所以なのかもしれないが、豊臣をつぶしたかったのは将軍の方で、彼女はむしろ戦国という時代の被害者ではないか。不倫疑惑についても、それだけで歴史上の悪女というのは大袈裟だろう。架空の物語とはいえ、源氏物語にも不倫のヒロインがいるのだから。一言でいえば、市井の犯罪者は別にすれば、日本史上の女性では悪女と言うほどの悪女はいないようにみえる。
2023年12月06日
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歴史小説と時代小説の違いについて考える。歴史上の事実を基にして想像を膨らませて書いたものが歴史小説であり、過去のある時代を舞台にするが、そこに起きる出来事や人物は想像の産物というのが時代小説であるといってもよいのではないか。その意味で、時代小説と言うのは一種の異世界ものに近いのかもしれない。「海狼伝」も主人公らが織田信長の行列を見たり、商人時代の小西行長が出てきたりはするのだが、主要な人物や出来事は架空のものなので時代小説に入るのだろう。こうした時代小説にも、物語にその時代がどれだけもりこまれるかは違う。時代小説にもその時代の風俗や空気を反映したものと、単に設定をその時代と言うことにした異世界ものとの違いである。「海狼伝」は戦国時代の水軍やそれを支える船については詳細にえがかれている一方、登場人物の設定は冒険小説でもありそうなので、中間的なものなのかもしれない。ただ登場人物の中で異彩をはなっているのが、村上海賊の客分でありながら商才を発揮して自由に生きる男で、この人物がいなければ、ありきたりの小説になっていたことだろう。考えてみれば、村上水軍など、日本史の中では水軍の果たした役割も大きい。こうしたものも大河ドラマでとりあげたら面白いのかもしれない。瀬戸内全体がご当地になるし、海戦場面も今だったらCG技術で、さほど大掛かりなセット等はいらないと思うのだが。
2023年12月05日
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謡曲に白楽天というものがある。唐から日本の知恵を測りに白楽天がやってくるのだが、浜辺に待ち受けていた住吉の神の化身の老人の和歌に感心し、日本の知恵測りがたしとみて、早々に帰国するという荒唐無稽といえば荒唐無稽な内容になっている。そして最後は「げにありがたや神と君が代の動かぬ国ぞめでたき動かぬ君ぞめでたき」で終わる。作者は世阿弥ともいわれるが不詳であり、背景には応永の外寇(朝鮮による対馬侵攻)による社会不安があったともいう。唐からやってくるのが白楽天というのもなんなのだが、白楽天が唐人の中で最も名が知られていたからかもしれない。圧倒的な中国文化の影響の中で日本文化の核としての和歌という意識と、優れた歌が幸をよぶという歌徳説話が一体となった筋書きになっている。なお、住吉の神の歌というのは以下のようなもので、この謡曲では日本では人だけでなく鳥も獣も歌を詠むとされている。苔衣着たる巌はさもなくて衣着ぬ山の帯をするかな江戸時代の国学者の中には外来の儒教や仏教を批判して日本古来の文化を称賛する国粋思想の流れもあり、それが明治以降の国家神道につながっていったのだが、室町時代にこうした白楽天に象徴される唐文化を日本の化身ともいえる住吉の神が追い返すという謡曲があったのが面白い。なお、里中満智子の「天上の虹」は歴史漫画としてだけでなく万葉集の背景も描かれていて面白いのだが、その中で、柿本人麻呂が「漢詩ではなくやまとことばのやさしい響きで歌いたい」と語る場面がある。この台詞自体は創作なのだが、この頃の万葉人の秀歌が人々に伝えられ、何十年もしてから万葉集に編纂されていった背景には、おしよせる大陸文化に対して、日本固有の文化を大切にしていきたいという意識があったのかもしれない。謡曲「白楽天」を読んでそんなことを考えた。
2023年12月04日
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2022年9月、北海道旭川市で近くに住む夫婦をナイフで刺して死傷させた事件について旭川地方裁判所は加害者に求刑どおりの懲役25年の実刑判決を言い渡した。この事件については、以前にも書いたのだが、そもそもBB弾を手で投げたのだとしたら、小さなものでゴミの投げ入れ程にも気づかないだろう。反対にBB弾用の銃で撃ったのなら、自宅にそんなことをやられれば平穏な生活はできなくなるだろう。ただ、報道を読む限り、BB弾は投げ入れたとある。そうだとしたら、よほどの強肩の子供でもない限り、家の中に引き入れ名前をかかせたことは、やりすぎだったのかもしれない。子供もさぞ怖かったろう。次に殺人事件であるが、これが、子供に怒ったのではおさまらず、男が子供の家におしかけていった場合と、子供の親がやりすぎに怒って男の家におしかけていった場合では状況がまるで違う。男と子供の両親の間には接点はなさそうで、そうした知らない人が家におしかけてきた場合の恐怖というのは非常に大きい。もちろん可能性としては謝罪に訪れたというのもあるが、そうであるのなら普通は手土産などをもっていくものだし、怒声が聞こえたという近所の人の証言もあるので、やはり男のやりすぎに怒った親が押し掛けたというのが実態ではないのか。そのあたりはどこまで検証したのだろうか。被害者の写真や詳細を報道することについては、以前から疑問に思っていたが、それにしても、この事件では被害者の写真がまったくでてこない。たとえ被害者がおとなしげな紳士然とした人であっても、他人が玄関先に来た場合には不安であるし、護身のためにとっさに包丁を手の届くところに置いたとしても、そんなに不自然ではないだろう。押し売りかもしれない人の応対にはチェーンをかけるくらいはするが、男の家にはそんなものはなかったのかもしれない。判決は常軌を逸した犯行として求刑通りの25年を宣告した。もちろん殺人は殺人であり、さすがに正当防衛にはならないのだろうけど、それでも25年というのは他の殺人事件との比較でどうなのだろうか。
2023年12月03日
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機会があって山口県に旅行に行ってきた。山口といえば、維新の英傑を生んだ地というだけでなく、戦国時代には毛利氏が覇を唱えていたし、源平合戦では最後の古戦場もある。また、宮本武蔵の巌流島も有名だ。こう考えると、大河ドラマの半分くらいは山口県を舞台にしているのではないのだろうか。そういえば全国のあちこちにある〇〇を大河ドラマに…というのぼりも山口県ではみかけなかった。いろいろと見た中で一番印象的だったのは壇ノ浦の合戦の行われた古戦場である。壇ノ浦のあたりには、満珠島・干珠島の二つの無人島があり、原生林が天然記念物になっている。神功皇后が龍神から授けられた二つの玉、潮干珠・潮満珠から生まれたという伝説があり、昔の人は潮の干満にも神秘的なものを感じていたのだろう。このあたりは潮流の変化の激しい所で、壇ノ浦の合戦も潮流の変化が勝敗を分けたという説もある。しかし、この時点では平家は凋落の趨勢にあり、時流をみた勢力がどんどんと寝返っていったのだろう。源平合戦に限らず、日本国内の争いはそういうところがある。関ヶ原しかり、戊辰戦争しかり。もともと、宗教の対立や人種民族の対立があるわけではない。ならば時流に乗り勝馬につけばよい。節操がないようでも、こういう歴史だからこそ、国土が廃虚になることも、人材が蕩尽されることもなかったのだろう。それはともあれ、1185年、平家一門は女性も含め、このあたりの海に沈んでいった。平家物語は、奢る奴らが滅んだというよりも、あんなに栄華を極めていた人々の滅亡をえがいたもので諸行無常が基調である。安徳天皇を祀る赤間神宮もすぐそばにあり、横には壇ノ浦でなくなった平家方武将を祀る七盛塚もある。平家物語は合戦を描いた場面が人気があるのだが、最後の章は壇ノ浦で生き残った建礼門院の余生を描く場面になっている。彼女は後年生きたまま、六道をみたと述懐する。そうした物語の舞台になった壇ノ浦をようやくにみることができた。
2023年12月02日
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最近、葬送のフリーレンというアニメを見ている。ゲームなどでおなじみの勇者や魔法使いのパーティーが魔物を倒すという冒険譚の原型のような話をモチーフにしているのだが、面白いのは世界を救った冒険のその後を描いてることである。こうした意表をつく設定なのであるが、世界を救った冒険から何十年もたち、勇者も僧侶も高齢になって死に、のこっているのは長命のドワーフ族の戦士と千年以上の時を生きるエルフのフリーレンのみである。フリーレンは勇者が死んだ時になぜ悲しかったのかが分からず、人間というものを知るために旅に出る。人間を知るための旅…というと、同じような世界を下敷きにしながら人間の素晴らしさを描いたダイの大冒険にも似ているが、ここで人間の素晴らしさだけを描くとも思えず、もっと苦みのある話もありそうである。はたして、さめた瞳のフリーレンが見極める人間の本性とは、どんなものなのだろうか。オープニングも斬新であり、作画も非常に丁寧で、ヨーロッパ中世の雰囲気をよくだしている。アニメを見たことのない人にもおすすめである。
2023年11月29日
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最近、弱者男性という言葉をよく聞く。良くも悪くも能力主義社会においては、男性は強者、女性は弱者などという図式がなりたつわけもなく、男性にも女性にも強者もいれば弱者もいる。女性の若年定年制、正社員や正規公務員の男性に有利な採用、高偏差値の学校への進学の男子優遇…そうしたものはそんな遠くない昔にはあったが、今はない。それどころか、随所で逆差別のような女性登用さえも行われている。ある意味、今という時代は有史以来初めて女性が男性と大差ない経済力をもてる時代になったのではないのだろうか。近代以前の農耕社会や牧畜・遊牧社会では女性が一人で生きることは難しかった。弱者男性には女性に比べて不利な面がある。アメリカの捨て犬シェルターでは小さく白い犬はすぐに引き取られるのに大きな黒い犬はしておかれるという。同様に子供にはすぐに同情が集まるのに、中高年の男性の不幸は世間の目をひきにくい。速い話、子供の貧困(といっても実態は親の貧困なのだが)は社会問題として声高に語られても、中高年の貧困は自己責任とされる。そうした中で、ようやく弱者男性の存在にも社会が目をむけるようになったということなのだろう。中高年の貧困を考えた場合、男性の方が不利な点が多い。まず、比較的、ハードルの低い職業は女子の方が入りやすい。例をあげれば、介護や外食などである。次に、男性の場合、就業が難しい上に、家にひきこもっている場合の社会の眼も厳しいために、家族との軋轢を生みやすい。社会面をにぎわず親族間殺傷事件の多くは無職の息子が関係している。さらに、同じ低収入であっても、女性の場合にはやりくり、自炊でつましいなかにも楽しみをみつけて生きていける場合が多いが、男性はより自堕落になりやすいように思う。ギャンブル、パチンコなどは顧客の多くは男性であり、風俗も同様である。弱者男性という言葉はネットでは見かけても、マスコミにはまだあまりでていない。しかし、これからは弱者男性の問題にもよりスポットがあたっていくのではないのだろうか。とにかく男性≒強者、女性≒弱者という思い込みは卒業すべき時期ではないか。
2023年11月27日
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どういうわけか24日のアクセス数が普段の10倍近くと急騰した。城南五山の散策という地味なテーマだし、とくにコメントが多くなっているわけでもない。翌日からアクセス数はもとにもどっているし、おそらくはなにかも不具合なのだろう。城南五山もそうなのだが、最近では、テレビ番組の影響もあって。街を歩く際にも地形を考えることが多い。東京の中でも育ったところはずっと田舎の多摩の方だったので、あまり意識したことはないのだが、東京では高台は高級受託地、下町は庶民の街という歴史があるようだ。これは江戸がもともと低湿地を開拓してできた街であり、こうした低湿地には町人が住み、高台には武士が住んだという歴史とも関係しているのだろう。昔は下町ゼロメートル地帯などともいわれ、台風の際には下町の被害が大きかった。もっとも最近では、下町にも高級タワーマンションなども建設されているので、そうした住み分けもなくなっているのかもしれない。高台の中の窪地や高台のつきるところは、湧き水のわいているところがあり、そうした湧き水の作った池、その池の景観を活かした庭園がかってあった。そうした大名や武士、豪商の屋敷の庭園は今も公園として整備されているところが多く、これも街歩きの楽しみである。こうした低地と台地とに分かれた街では台地の方が高級住宅地になりやすいということがどこまで一般的かはわからない。ただ、東京の隣の川崎も南北に長い町で北の方は台地以上に起伏のある丘陵地形、南の方は多摩川の作った低地になっている。南の方はあの非行少年グループによるカワサキ国殺人事件のあったところで昔は公害病が問題となっていた地域だ。北の方は、閑静な住宅地になっている。最近、この川崎市の麻生区が全国で一番平均寿命が長いというので話題になっている。平均寿命は、年齢ごとの死亡率から算出するので、今日では老人の中で元気な者の比率が高ければ長くなる。安定した生活、医療へのアクセス、健康への知識が高ければ、元気な人が多くなるのは当然で、麻生区は高級住宅地と言うほどではなくとも、専門職や大企業管理職だった高齢者の比率が高いのではないか。ニュースでは麻生区の平均寿命が長い理由として坂道の多い町で足腰を鍛えているからといった説明がなされていたが、的外れのように思う。
2023年11月26日
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東京の地形は武蔵野台地と下町低地に分けられ、かつては武士は高台に住み、町人は下町に住むというような住み分けが行われていた。そして高台の中でも、大名や高級武士の屋敷のあったところは今でも高級住宅地としてのブランドイメージをもっている。これは電鉄会社が意図的に高級住宅地として開発した成城や田園都市構想の基で設計された田園調布とは、また別の高級イメージがある。目黒から品川にかけての城南五山とよばれる地域もそのひとつで、北から花房山、池田山、島津山、御殿山、八ツ山である。山というのは、こうした高台は武蔵野台地の先端部分にあたり、下から見ると山のようにみえるので、このようによばれ、今でも住居表示とは別に○○山という呼称は生きている。この城南五山を実際に歩いてみると、この五山の中でも池田山、島津山のあたりが特に広壮な住宅が多いように見える。もちろん一戸建てばかりでなく、豪奢な低層マンションもあるのだが、それもたいてい池田山とか島津山とかの名称がついている。住居表示上の名称よりも圧倒的にイメージがよいのだろう。こうした地域は明治以降も要人の屋敷になったところが多く、その上流イメージがいまも引き継がれているわけである。この地域のように台地が尽き、急に低くなるところには湧き水が出る場合がある。このあたりにもそうした湧き水による池の景観を利用した庭園から公園になったところがある。池田山公園と御殿山庭園である。御殿山庭園は周辺に大きなホテルがあり、それらのホテルと一体化しているようにもみえるが、池田山公園の方は高級住宅地の一角にこんなところもあったのかと驚くほどの樹木豊かな公園になっている。高台から急に低くなっているせいで池に行く階段は急なのだが、その池には橋も灯篭もあり、鯉が泳いでいる。あまり知られてないのが残念なくらいだが、なにしろ場所が場所だけに付近の住民は有象無象が押し掛けるのは決して望んでいなさそうである。門は二か所あり、高台の方の入り口から入ると、そのあたりは池田山の頂上近くのせいか、展望もなかなかよい。この池田山公園から、少し歩くと、これも区立公園になっているねむの木の庭がある。上皇后陛下の生家であったところを公園にしたもので、四季の草花とともに、それにちなんだ上皇后陛下のお歌が掲示されている。こちらの方も花にあふれた愛らしい風情の公園で、一度行くと、また、別の花の咲いている季節にも来たくなる。
2023年11月24日
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旭川で、子供のBB弾のいたずらをきっかけに、夫婦をナイフで刺し夫が死亡し妻が傷を負った事件で、懲役25年が求刑されたという。BB弾はサバイバルゲームに使うもので、そうしたものを知らない人の家に向って撃ったのだとしたら、少なくともピンポンダッシュと同列になるようなものではない。いたずらをした子供をつかまえて名前を書かせたところ、後にその子供の一家が家にやってきたため、恐怖心にかられて男を刺したというのが弁護側の主張である。そうなると、具体的にどんなやりとりがあったのか、被告人に対する態度は謝罪だったのか恫喝だったのかがカギになる。そしてそういう場合、被害者がどんな風貌だったかも重要な要素になる。ところが、この事件の報道では被害者についての情報は報道されていない。遺された家族、特に子供のことを配慮すれば、それもやむを得ないのだが、それでも、被告人の心理を判断するうえで、被害者はどんな風貌の人間だったかは大きい。そしてまた、この事件で思うのは、こういうものは、非常に現代的な犯罪ではないかということである。昔だったら近所の人というのはたいてい知っていた、地域社会も生きていた。そうした中では、子供のいたずらで親が謝りにくるというのは、ごくごく普通のことだった。しかし、今や近所といっても全く知らないということも珍しくない。さらに、個人の住居を訪問するということも少なくなり、家族ぐるみの友人同士であっても家を訪問するよりも外の店で会うというのが普通になっている。そもそも客間だとか勝手口だなんてのは今や死語ではないか。だから、知らない人が家の玄関先にやってきて、会うことを要求するというのは、本当に怖い。だから、被害者が訪れたときの被告人の恐怖というのもよくわかる。考えれば妻は赤ん坊を連れていたし、客観的には、そんなに恐怖を感じるものではなかったにしてもである。ああいった場合、もし自分が被告人の立場だったらどう対処すればよかったのだろうか。報道をみると、被害者の態度は謝罪というよりも、被告人のやりすぎた行為に抗議しにきたようにもとれるし、そうした訪問の趣旨は口調等でわかっただろう。かといって、玄関先でドアを開けないまま警察を呼んでも、まず相手にはされない。もちろん中に入れて、子供のいたずらに対してのやりすぎた叱責に平謝りに謝るという対応もある。その先には、おそらく失職して鬱屈したものがあっただろう被告人には、さらにねばねばした惨めな敗北感だけが残り、調子づいた子供はさらにBB弾のいたずらをエスカレートさせた可能性もある。ちょっと救いのない事件であるが、懲役25年というのはいくらなんでも…重いのでは。
2023年11月23日
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この週末に東北に行く機会があった。印象に残ったのは白虎隊終焉の地の飯森山。付近には大型バスの停まるスペースはないので、今回のような自動車の旅でないとなかなか行けないところだ。狭い階段がはるか頂上まで続き、両側には土産物屋が並ぶ。白虎隊の話は有名だし、古くからの観光地という雰囲気がある。この階段を上るのはかなり大変…と思うのだが、脇にはスロープの動く歩道?があり、「上まで階段で行くのは本当に大変です。どうかこちらを利用ください」とさかんに勧めている。みるとほとんどの人はこのスロープで上まで行っているので、大勢に従うことにする。こうしてあっという間に楽々頂上につくと、会津若松の街が眼下に見える。白虎隊の少年戦士達は、ここから火災の炎をみて城が落ちたと思い自刃したという。そうした白虎隊の墓と大河ドラマで有名になった婦女子隊の墓があり、彼らの忠烈を称える碑もいくつかある。なぜこれほどの激戦が行われたのだろうか。江戸時代は平和が続いた時代だが、それ以前の戦乱の物語は、当時の人々は今の人以上によく知っていたことだろう。源平合戦では平家方は徹底的に滅ぼされ、鎌倉幕府滅亡では北条氏が同様の憂き目にあった。会津藩は徳川秀忠の御手付きで生まれた庶子を藩祖としており、幕府への忠誠心や一体感はことのほか強かった。戊辰戦争は当時の感覚では徳川対反徳川の戦いで、負けたらどんな酷いことになるかわからない…そうした恐怖心が少年までも巻き込んでの総力戦になったのだろうか。戊辰戦争の記憶が新しいうちは白虎隊も朝敵方の無謀な戦法としてみられていただけだが、維新の記憶が薄れ、日本が軍国主義に進むにつれ、忠義の模範として美化されていったように思う。飯森山山頂にいくつもある碑はそうした時代のものなのだろう。そしてその中に一つ、洋風のものがあり、解説をみると、昭和初期にイタリア政府が白虎隊の忠義に感動して贈って来たものであり、石柱の材料もイタリアの大理石だという。三国同盟の前であるが、当時のイタリアはファシスト政権である。こうした話は日本人のだれかが美談として海外にまで喧伝しなければ、知るところにはならなかっただろう。朝敵から忠義の鑑へと…白虎隊をめぐる日本人の意識の変遷も興味深い。戊辰戦争は会津も含めた東北では激烈な戦闘があり、会津市内には戦死者の遺体が放置されていたというが、大変革の割には全体で見れば死者の数は少なく、生き残った敗者も新政府を担う人材として登用された。白虎隊の中で生き残ったという人物も、官庁の技官となり、近代日本の建設に貢献した。
2023年11月21日
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銚子市の屛風ヶ浦は日本のドーバーともよばれる景勝地なのだが、そこにレンガ色のひときわ目を引く立派な建物がある。例の加計学園で有名になった千葉科学大学である。科学大学といっても物理や化学を専攻するのではなく、学部は危機管理学部、薬学部、看護学部である。その千葉科学大学が志願する学生が減り苦境に陥っているという。公立化を模索しているというが、ただでさえ破格の条件で大学を誘致した銚子市にとって大学の存在は財政上の負担となっている。これ以上の負担は市は望まないとなると、結局のところ県の負担で大学を維持することになるのかもしれない。危機管理学部もよくわからないが、就職の固そうな薬学部や看護学部にさえ学生が集まらないというのは、もうその大学に対する社会的需要はないということなのではないのだろうか。公立や国立にすれば学生は集まるかもしれないが、そうした公立ブランド、国立ブランドというものも過去の話で経営難で公立化した大学にそうしたブランドイメージがあるとも思えないし、安い授業料はその分、どこかが税金で負担するわけである。そうまでして大学を維持する理由というのがよくわからない。なお銚子市の財政はかなり厳しいようで、景勝地にかかわらず廃墟が目立ち、犬吠埼の遊歩道は震災で壊れたまま整備もされないで放置されている。
2023年11月20日
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国民死刑投票を見終わった。もとがウェブトーンだけに、展開が早く、もう一度視聴しないと細かな個所などわかりにくいところもある。それに、最初の方で殺害されたロシア人妻など、あれっていったいなんだったのと思う部分も多い。ある日、スマホに画面が送られてきて、悪人でありながら法の裁きをのがれた「無罪の悪魔」の情報が公開され、犬仮面が死刑投票をよびかける。そして死刑賛成が過半に達すれば、悪人はなにものかに拉致されて殺害される。いったい犬仮面とは何者で、その正体ははたして…というのが前半の興味関心であれば、ほぼ犬仮面の正体が判明してからは真の巨悪(金と権力を兼ね備えた存在)がどうなるかという点が後半の興味である。韓国では死刑制度はあるのだが、ここ何年も執行は行われておらず、一種のフラストレーションがあるのかもしれない。いやそれよりも、ドラマの中の台詞にあったように、「指一本で他人の生死を左右できる快感」に酔っているというのが実相なのか。そうだとしたら、ネット上での誹謗中傷も、指一本で他人を罵倒する快感という意味では国民死刑投票に似ているのかもしれない。実際に、こうした誹謗中傷で自殺に追い込まれる場合もあるというのだから。
2023年11月18日
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この本が出たということは覚えているが、その頃はちょうど忙しい時期でもあり、読む機会はなかった。今読んでみると、改めてカオスのようなあの頃の新宿の街の光景がよみがえってくる。新宿といえば寺山修司であり、東口のフーテンであり、西口のフォークゲリラであり、何でも新しいことは新宿から始まっていた。若者も数が多く元気がよく、なにものでもない生き方をすることにも世の中は寛容だったように思う。なにもかも右肩上がりに上昇しており、主人公の庄司薫くんのようなエリート高校生でなくとも、普通にサラリーマンになって普通に結婚して普通に生きていくことなど、すぐに手の届くところにあった時代だ。この小説は赤ずきんちゃんからはじまる、赤、黒、白そして青の色四部作の最後になる。本作は、主人公の庄司薫君が新宿の街を付け髭と昆虫採取網をもって歩き回る一日を奇妙な人々との出会いとともに描いたものである。たしかに、あの当時の新宿の夏(設定はアポロの月面着陸の日)だったら、こんな変な人々もいたかもしれない。ただ、肝心の変な人々であるが、観念的な言葉のやり取りが多く、どうも人物が伝わってこない。あえていってしまうと、こうした登場人物同士が観念的な会話や議論を行う形で物語が進むというのは、文学かぶれの若者が小説を書く時に往々にして用いた手法であって、そうしたものを書いていた人の多くは書くことから離れていったように思う。作者の最後に発表した小説という先入観で読んだせいか、この小説にもそうした袋小路のような印象を受ける。作者の妻は高名なピアニストであり、そうした有名女性の夫という立場でエッセイや雑文を発表すれば読む人はいただろう。現に女性宇宙飛行士の夫でその立場でエッセイを書いている人もいる。相当に才気あふれるエッセイなのだが、ちょっと人畜無害すぎて、最後まで読んではいないのだが…庄司薫氏ならこれと同等かこれ以上のものをきっと書けるだろう。この作者が、作家として文筆家として沈黙しているのがちょっと残念な気がする。
2023年11月17日
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最近、熊による被害が相次いでいる。それも、登山や釣りで山に入った場合だけでなく、住宅付近で襲われる場合もあり、想像したくもないのだが、そのうち子供の被害もでてくるだろう。しかも熊の被害範囲も北海道だけでなく、関東以南まで広がってきているので、他人事の「クマさん可哀そう」論者もそろそろ黙るのではないのだろうか。熊被害の話がでると、必ず熊との共生とか自然保護という議論が出てくる。共生という言葉は普通は人間同士に使う言葉で自然相手に使うのはよくわからないのだが、要は自然保護と同じような意味なのだろう。自然保護というのは必ずしも自然そのままを意味しない。一度失われた種は元に戻らないので種の保存は必要なのだが、人間の生活に悪影響や害を与えるものは必要に応じて駆除する。スズメバチもそうだし、マムシやアツミゲシもそうだ。春になればあちこちの街路樹で大々的に毛虫駆除が行われるのもそうだろう。熊も害の程度は比較にならないので、当然に駆除の対象だろう。問題はその駆除が高齢の民間人にまかされており、しかも、その報酬が時給1000円というお話にならない額という点ではないか。また、熊の問題については棲み分けとか生態系をいう人もいる。近代以前は山の民のような例外は除くと人は里に住み、熊は山に棲んでいた。「カミ」の語源には、動詞であるクム(籠む・隠む)や名詞のクマ(隈・熊・神など)が音韻変化したものとされており、熊も神の語源の一部になっている。また、オオカミについても大口真神として神格化されてもいる。熊やオオカミは、人間などの力の及ばないものとして畏怖の対象であり、山は人が踏み入る領域ではなかった。しかし、今では登山、山歩き、釣り、キャンプは大衆の娯楽であり、生活様式は大きく変わった。昔のような生活に戻るのならともかくとして、今のように山も人間の領域とするのであれば、山での駆除も必要なのではないのだろうか。もちろん一般のハイカーが立ち入らないようなところまで駆除が必要かどうかは議論があるのだろうけど…。日本オオカミは絶滅した。もし、絶滅していなかったらキャンプや釣りもずっとスリリングなものになっていただろうが、それがよいとも思えない。生態系をいう人もいるのだが、人間のように自然をコントロールする種が出てきたこと自体、すでに生態系を乱しているといえないだろうか。生態系を変えてはならないのであれば、人間も石器時代くらいに戻って食うか食われるかの自然の食物連鎖の中に入るしかない。人間は石器時代にも戻れないし、里に籠っていた近代以前の生活にも戻れない。それを考えると、熊対策は、最低限の種の保存を念頭に置いた上での駆除一択ではないか。人間を襲った熊や危険な熊は駆除ということをいう人もいるが、それでは駆除するためには誰かが襲われたり危害にさらされたりしなければならないわけで、それもおかしな議論だろう。
2023年11月16日
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