これからのブログ記事は、 復刻記事を中心にしようと思う
私の年代でPCでブログを書く人間は少ないし
また
私の特異な体験は
一般的な記録としては残っていない
従って私の想い出記事は
昭和の歴史の一部としてそれなりに残す価値があると思う
その意味で、大げさだが、一種の使命感もある
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私のブログ記事の発端となった「ベトナム戦争最中のサイゴン日記」を
まず、シリーズで書いて行こうと思う
ーーーー
その後で
私の数奇な(笑)女性体験を
書き下ろし中心で書いて行こうと思う
女性体験は、今まであまり書いてこなかったので(笑)
ーーー 復刻記事 ーーー
副題 一般人のベトナム戦争 サイゴン日記
サイゴンへの出発と到着
カテゴリ:【ベトナム】 ベトナム戦争での思い出
私が商社に入社して二年目、戦時下の南ベトナムのサイゴンへの赴任が決まった
当時、サイゴンは日本の新聞では
「砲弾が雨アラレと降る!」と報道されていた場所である
しかし、私は駐在が決まってうれしかった
海外ならどこでもいいから、行きたかった
その当時はまだ成田空港が建設されていない時代である
羽田空港からエールフランスのプロペラ機でサイゴンへ出発した
羽田へは、同じ課の全員が見送りに来た
座席に着くやいなや、鼻にかかったフランス人スチュワーデスのフランス語によるアナウンスが頭上のスピーカーから流れてきた
国内線にはそれまでも数度、搭乗したことがあったが国際線は初めてである
その国内線でさえもその時代のスチュワーデスは花形で
お嬢様学校や有名女子大卒の美人ぞろいだった
(今はバスのガイドと変わらないのかも知れないが)
ところが、このエールフランスの国際線のスチュワーデスはもっと上なのである
日本人スチュワーデスも、とてもバタくさい
激務に追われてガールフレンドもいなかった私には刺激が強すぎる「美人環境」である
―――― ◇ ――――
話題が飛ぶが、
よく「飛行機に乗ると不安で眠れない」と言う人がいる
私には、その心理がわからない
立派な科学者までが「あんなに重たい金属製のものが空中に浮かぶ・飛ぶと言うことが考えられない」・・・とまで暴言を吐く
この人達の思考能力というものは救い難いではないか?
「揚力」があるでしょうが、揚力が!!」
「学校で習った揚力というものがっ!」
私はいつも、この種の人たちをこのように、内心、密かに罵倒しているのである
申し訳ない
―――― ◇ ――――
前夜の徹夜の業務引き継ぎがこたえて、離陸するなりすぐに深い睡魔におそわれた
気がついた時にはもうマニラ空港である
着陸するとすぐに熱帯特有のスコールが襲来した
大粒の雨が窓を激しく打って
南国の太陽に焼けた滑走路の色がみるみる雨にぬれて黒く変わって行く
日本では見たことのない風景である
機はマニラ空港をすぐに離陸、次にはタイのバンコック空港に着いた
バンコックでは給油があって、私たちは、期のタラップを降りて
滑走路を空港のトランジットラウンジに向かって歩いた
機外に出て驚いた
それまでに経験したことが無い、息が詰まるほどの湿気と温度なのだ
すぐに体中の毛穴から汗が噴き出てきた
当時のバンコック空港は旧空港で、空調もなかった
空港全体、今まで知らなかった熱帯特有の重い湿った臭いがした
かび臭くもあった
空港の売店で名物のタイ・シルクのネクタイを買って機内にもどった
いよいよサイゴン上空にさしかかった
サイゴンの上空は一面に鉛色の雲におおわれていて
街はときおり雲の切れ目からチラと見えるだけである
そのうちに機は雲の下にまで降下した
スコールに濡れて鮮やかな、赤い屋根や緑の街路樹が窓一杯に広がって、どんどん近づいてきた
機はそのままユラユラ揺れながら降下を続けて、ついにサイゴン空港の滑走路にタッチダウンした
出迎えには日本系の代理店のベトナム女性が来てくれていた
テキパキとして怜悧そうである
スコールはすでにやんでいたが、
空港から宿舎への途上、すべてのものが濡れていた
赤っぽい粘土の道路も泥だらけでぬかるんでいる
両側の建物の壁も雨に濡れて湿って変色していた
その建物や道路脇に人間が並んで猿のように群れている
その人間達が半裸でこちらを見ている
南洋とはいえ、上半身裸である
これには軽いショックを受けた
「う~~む! 遙るけくも、来たものかな~」と心の中で思った
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