「 全員集合」終了の真実!!
「いかりやさんが苦しんでいた」
仲本工事インタビュー
後編
2016/02/16 07:00
週刊ジョージア
最高視聴率50%超というお化け番組「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」などで、お茶の間のスターだったザ・ドリフターの一員である仲本工事のインタビューを前後編に分けてお届け!後編では「8時だョ!全員集合」終了時の、知られざる裏側に迫る。
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「全員集合」終了…いかりやさんの死
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苦いというか“痛い”だけど…。
「戸板返し」っていう壁が回転する仕掛けを使ったコントの時、その壁が“ベリっ”とハズれて頭から床に落ちたことがあるよ。
かなり痛かったけど、生放送を中断することもできないからガマンしてお芝居を続けるしかない。本番が終了してから、病院へ直行して精密検査を受けたんだ。
なんとか、大事にはならずに済んだから良かったけどね(笑)。
――いくら練習しても、仕掛けに不備があるのは防げないですからね…。
あ、「全員集合」じゃなくて「ドリフ大爆笑」の方なら、僕自身の失敗があるよ。
お葬式のコントで、僕が棺桶の中に入ってたら、暖かくて寝ちゃったんだ(笑)。
「全員集合」と違って生放送じゃないから撮り直したんだけど…寝てるままの方が面白いからって、そっちが放送されたんだよね。
――(笑)。「全員集合」「ドリフ大爆笑」ともに大人気番組でしたが、「全員集合」は1985年に終了してしまいます。終了を知ったのはいつでしょう?
正確には覚えてないけど「そろそろ終わりなのかな」というのは、なんとなく感じてたよ。
――なんとなく?
ハッキリとした話はなかったけど、いかりやさんがネタを出すのに苦しんでいるのが伝わってきたんだよね。
なかなか、新しいことを思い付かなかったみたい。
言葉にはしなくても、長年一緒にやっていれば、そういうのは分かるもんだからさ。
――1981年にスタートした「オレたちひょうきん族」との、視聴率争いに負けたから終了したという話も。
「ひょうきん族」は関係ないんだよ。テレビ局に視聴率のことで何か言われたこともない。
ドリフの場合は、ギャグでもなんでも「いつ辞めるか」を考えていたんだ。
引っ張って引っ張って飽きられるより、「一番ウケているときにキッパリ辞めよう」という方針だったから。
――そうだったんですね。一方「ドリフ大爆笑」は、不定期ながらも2000年代まで放送が続きます。いかりやさんと最後にお会いされたのは「ドリフ大爆笑」のオープニングとエンディングを収録したときだとか。
そうだね。ドリフターズ5人全員が集まったのは、そのときが最後。
「長さん大丈夫?」って聞いたら、「大丈夫だよ。首に“しこり”があるけど、切れば治るから」って言ってたんだ。
(※いかりやさんは頸部のガンを患っていた)
だから最後になるなんて思わなくて、特別な会話なんて何もしなかったなぁ。
――そうなんですね…。
実は、僕がドリフターズに入ろうとしたとき、親父に「そんな先行きの見えない仕事はダメだ」と猛反対されたんだけど、いかりやさんが説得してくれたんだよね。
「ドリフターズがある限り、息子さんのコトは最後まで私が責任を持って面倒を見ます!」って。
そんなこと言って、まだドリフターズがあるのに先に逝っちゃうんだもんなぁ…(笑)。
――いかりやさんがお亡くなりになって、その後のドリフターズの活動について、メンバーで相談したりは?
しないよ。だって事務所が権利を持ってるんだもん(笑)。そんなことは僕らじゃ決められない。
でも…「やれ」って言われたら、今でもみんなで集まって、コントでも何でもできるんじゃないかな。
「全員集合!」って声がかかればさ。
【週刊ジョージア】
仲本工事(なかもと・こうじ)●41年生まれ、東京都出身。学習院大学政治経済学部卒。64年、ザ・ドリフターズに加入。69年にスタートした「8時だョ!全員集合」は国民的人気番組に。また、テレビドラマ、映画、舞台でも活躍。高木ブー、加藤茶との「こぶ茶バンド」としての活動も。
取材/池田悟史 構成/questroom inc. 撮影/宮腰まみこ
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