かつてエジプトの考古大臣(っていう役職があるんですね)を務めた考古学の権威ザヒ・ハワス氏がFacebookで発表したところによると、その都市は3,400年前のもので「The Rise of Aten」(アテンの日の出)と呼ばれ、エジプト南部のルクソールや「王家の谷」(ツタンカーメンなど古代エジプト王の墓が集中する地域)に近い砂の中に埋もれていました。発掘チームはもともとはツタンカーメンの埋葬殿を探してたんですが、思いがけずに古代都市が丸ごと出てきてしまったみたいです。
ハワス氏がリリースで書いているように、当時のThe Rise of Atenはルクソール西岸沿いの行政・産業の中心でした。多くの「他国ミッション」も、「失われた都市」であるThe Rise of Atenを探してはいたんですが、今までは誰も成功していませんでした。
ジョンズ・ホプキンス大学の考古学教授で、この発掘には参加していない古代エジプト専門家ベッツィ・ブライアン氏は、「この区域が過去に発見されていたことを示すものは何もないが、巨大王朝都市の一部であることは明らか」だと言います。ブライアン氏いわく、新たに発見された都市の規模は、既知の遺跡を多く擁するアマルナに匹敵するほどです。というか、The Rise of Atenのほうが、アマルナに建設された首都・アケトアテンの「明らかな先例になっている」とブライアン氏は指摘します。
The Rise of Atenの発掘調査は2020年に始まりましたが、開始から数週間ですでに泥レンガが見つかっていました。その後発掘が進むにつれて、発掘チームはこの都市の規模の大きさに気づき始めました。数千年間埋もれていたにもかかわらず保存状態は良く、工芸品が詰まった部屋や壁がほぼ完全に残っているそうです。「この町の道は家々に挟まれていました」とハワス氏は書いていて、一部の壁は高さが約10フィート(約3m)もあるそうです。このプロジェクトは開始から7カ月経っていますがまだまだやれることがたくさんあります。
お宝がざっくざく
The Rise of Atenでの発掘物は、指輪、スカラベ(フンコロガシ、古代エジプトでは神と崇められた)などの護符、彩色陶器、ワインピッチャー、アメンホテプ3世のカルトゥーシュが記された泥レンガ、などなど。このカルトゥーシュが、都市が生きていた時期の推定に使われました。10kgほどの牛肉(乾燥かボイルしてある)が入った容器にはこんな言葉が彫ってあります。「37年、Khaの家畜置場の食肉加工場から、3回めのヘブセド祭りのために調味した肉、肉屋のLuwyが調理」 。
「ここには産業区域があり、すべて波打つような壁で仕切られ、機能別に分かれていました」とブライアン氏はメールで説明してくれました。「これは規模と秩序という意味で非常に優れています。かまどや炉が数多くあります。粘土の採掘源がすぐそばにあり、刻印付きのレンガが数多くあります。彫像からは花崗岩の削片群が出ています」とブライアン氏は言い、「落ち着け自分(Be still my heart)」と、興奮を隠せない様子です。
ここまで発達してたThe Rise of Atenですが、最終的に放棄され、王朝は400km北のアマルナに移動したのですが、その理由こそが最大のミステリーです。「この区域のさらなる発掘調査によってのみ、3,500年前に本当に起きたことが明らかになります」とハワス氏は書いています。 この古代都市には大規模墓地や、複数の岩窟墓などもあり、まだまだわからないことがたくさんあります。まるでツタンカーメン王の墓が見つかったときみたいに、謎解きの世界が一気に開けた感じですね!