2002年 平和宣言


2002年平和宣言


 57年前、「この世の終り」を経験した被爆者、それ故に「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」と現世の平和を願い活動してきた被爆者にとって、再び辛(つら)く暑い夏が巡(めぐ)ってきました。
一つには、暑さと共に当時の悲惨な記憶が蘇(よみがえ)るからです。

 それ以上に辛(つら)いのは、その記憶が世界的に薄れつつあるからです。実体験を持たない大多数の世界市民にとっては、原爆の恐(おそ)ろしさを想像することさえ難しい上に、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』やジョナサン・シェルの『地球の運命』さえも忘れられつつあります。その結果、「忘れられた歴史は繰(く)り返す」という言葉通り、核戦争の危険性や核兵器の使用される可能性が高まっています。
 その傾向は、昨年9月11日のアメリカ市民に対するテロ攻撃以後、特に顕著(けんちょ)になりました。被爆者が訴えて来た「憎しみと暴力、報復の連鎖(れんさ)」を断ち切る和解の道は忘れ去られ、「今に見ていろ」そして「俺の方が強いんだぞ」が世界の哲学になりつつあります。

 そしてアフガニスタンや中東、さらにインドやパキスタン等、世界の紛争地でその犠牲になるのは圧倒的に女性・子供・老人等、弱い立場の人たちです。 ケネディ大統領は、地球の未来のためには、全ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容(かんよう)であることだと述べました。その枠組みの中で、人類共通の明るい未来を創(つく)るために、どんなに小さくても良いから協力を始めることが「和解」の意味なのです。

 また「和解」の心は過去を「裁く」ことにはありません。人類の過ちを素直に受け止め、その過ちを繰(く)り返さずに、未来を創(つく)ることにあります。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大切です。だからこそ私たちは、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設しようとしているのです。
 広島が目指す「万人のための故郷(ふるさと)」には豊かな記憶の森があり、その森から流れ出る和解と人道の川には理性と良心そして共感の船が行き交い、やがて希望と未来の海に到達します。
 その森と川に触れて貰(もら)うためにも、ブッシュ大統領に広島・長崎を訪れること、人類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が人類に何をもたらすのかを自らの目で確認することを強く求めます。
 アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです。

 日本国憲法第99条は「天皇又は摂政(せっしょう)及(およ)び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護(ようご)する義務を負ふ」と規定しています。この規定に従うべき日本国政府の役割は、まず我が国を「他の全ての国と同じように」戦争のできる、「普通の国」にしないことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄(ほうき)です。その上で、政府は広島・長崎の記憶と声そして祈(いの)りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、明日の子どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。

 その第一歩は、謙虚(けんきょ)に世界の被爆者の声に耳を傾(かたむ)けることから始まります。特に海外に住む被爆者が、安心して平和のメッセージを世界に伝え続けられるよう、全ての被爆者援護(えんご)のための施策(しさく)をさらに充実すべきです。

 本日、私たち広島市民は改めて57年前を想い起し、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造するため、あらん限り努力することを誓(ちか)い、全ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼(あいとう)の誠を捧(ささ)げます。

    2002年(平成14年)8月6日  

  広島市長 秋 葉  忠 利



© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: