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今日は、ローザ・ルクセンブルクが白テロルに倒れた日です。伊藤成彦先生の「ローザ・ルクセンブルクの世界」(社会評論社)を読みました。
1871年3月5日、ポーランドの首都ワルシャワに近い町で生まれたローザは、1887年頃、ワルシャワ女子2高の頃にプロレタリアートの活動に参加して頭角を現します。1889年逮捕の危険を逃れてスイスに亡命し、チューリッヒ大学哲学科に入学。1897年に「ポーランドの産業的発展」という論文でチューリッヒ大学の博士号を受けます。
1899年、グスタフ・リューベックとの結婚によりドイツ国籍を取得、ベルリンに移住し、ドイツ社会民主党に参加します。
ローザが目指した民主主義や社会主義は、単なる制度ではなく、人々をあらゆる差別から解放する自由、平等な制度でした。それは、帝国主義の非人間性を根本から否定するヒューマンな社会主義でなければならなかったのです。
そして民族の問題についても、民族の問題を国家にして解決しようとすれば、必ずそこに民族差別が生まれる、という主張もしました。
ローザが当時憂えた世界の状況は、まだ改善されていないのです。彼女はヨーロッパを巻き込みつつあったドイツの戦争に反対して投獄されました。
ローザの「獄中からの手紙」を訳した秋元寿恵夫さんは、そのあとがきで
『戦争がないとき、漠然と戦争に反対するのは誰にでもできる。だが、すでに戦争が始まってしまってからでもなお、自らの見解にあやまりはないと信じつづけられる者の数は大分減ってくる。しかし、少しはある。けれども、この意見を公然と表明し、できることならその戦争をやめさせようと働きかけるものに至っては、もはや稀有の存在に属する。
ローザ・ルクセンブルクという人こそは、まさしくそのひとりなのであった。』
☆ローザは、自分の経済学での理論から、第1次大戦を避けるように警告し、1ヶ月の禁固、戦争開始後1915年2月、フランクフルトで兵士虐待の抗議演説を行い、2月から1年間、ベルリンの女囚監獄に収監され、その後2年4ヶ月、保護監禁をされる。第1次世界大戦はドイツの敗北で終わり、ローザは出獄。
しかし、翌年の1919年1月15日、政府に雇われた暗殺者の手によって倒されます。49年の生涯でした。
変わっていく時代の中で、未来を見据えて発言していったローザでした。
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