第7官界彷徨

第7官界彷徨

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

薔薇豪城

薔薇豪城

コメント新着

薔薇豪城 @ Re[1]:古典講読「方丈記」(07/03) KUMA0504さんへ 方丈記は短い文章の半分が…
KUMA0504 @ Re:古典講読「方丈記」(07/03) こんばんは。 この前の京都の旅で偶然にも…
http://buycialisky.com/@ Re:橘始黄(12/03) propoer dose of cialisget cialis cure e…
http://buycialisky.com/@ Re:源氏と夕霧・父と子対決(09/14) what works better viagra cialis levitra…
http://buycialisky.com/@ Re:仏さま(11/28) cialis 5mg preis 84 stuckhow often cial…

フリーページ

私の源氏物語


国語・国文学会・薔薇篇


古都を旅して、


源氏物語の姫君


舞台鑑賞・能楽堂&こまつ座2012年


伊勢のみやび・私の伊勢物語


伊勢物語その2


源氏物語ー玉鬘


源氏物語ー柏木


源氏物語ー横笛


源氏物語ー夕霧、御法


古今和歌集仮名序


古今和歌集/春の歌


舞台鑑賞・能楽堂&こまつ座2013年


宇治十帖


古今和歌集夏、秋、冬の歌


更級日記


町子の日記


清少納言の日記


道長の日記


定家くんの日記


蜻蛉の日記&2014年能楽堂&こまつ座


兼好さまの日記


古今和歌集 賀の歌 離別歌 羇旅歌


なぎ子の枕草子


伊勢物語その3 2010年9月~


上野誠先生の万葉集


上野誠先生の万葉集その2


古今和歌集 恋の歌


上野誠先生の万葉集その3


五味文彦先生の平家物語


五味文彦先生の平家物語その2


五味文彦先生の平家物語その3


五味文彦先生の平家物語その4(巻5)


五味文彦先生の平家物語その5(巻7)


五味文彦先生の平家物語(巻の8巻の9)


五味文彦先生の平家物語巻10・11


放送大学2013年


英勝院様御事績


佐藤勝明先生の「おくのほそ道」


佐藤勝明先生のおくのほそ道その2


佐藤勝明先生の「おくのほそ道」その3


佐藤勝明先生の「おくのほそ道」その4


佐藤勝明先生のおくのほそ道 その5


舞台鑑賞・能楽堂&こまつ座2015年


八ッ場ダム


ダム問題をめぐる情勢


ダム問題をめぐる情勢その2


まぼろしの追原ダム


追原OPPARAつうしん


追原騒動記


薔薇豪城作品集その1・短歌


なまはげの夜


詩-蒼い春と朱夏


詩-白の時代


往復書簡


薔薇亭華城の時代


詩・晩秋


ローザルクセンブルクの時代


チラウラ短歌


チラウラ俳句


チラウラ俳句その2


俳句あれこれ


連歌デモ


連歌デモその2


私の立原道造


私の宮沢賢治


私の第七官界彷徨


フランス革命


革命暦


千葉なでしこ9条の会


わたしの9コレクション


韓国歴史ドラマ


戦争遺跡


2015.01.15
XML
カテゴリ: 世界史

 今日は、ローザ・ルクセンブルクが白テロルに倒れた日です。伊藤成彦先生の「ローザ・ルクセンブルクの世界」(社会評論社)を読みました。

 1871年3月5日、ポーランドの首都ワルシャワに近い町で生まれたローザは、1887年頃、ワルシャワ女子2高の頃にプロレタリアートの活動に参加して頭角を現します。1889年逮捕の危険を逃れてスイスに亡命し、チューリッヒ大学哲学科に入学。1897年に「ポーランドの産業的発展」という論文でチューリッヒ大学の博士号を受けます。

 1899年、グスタフ・リューベックとの結婚によりドイツ国籍を取得、ベルリンに移住し、ドイツ社会民主党に参加します。

 ローザが目指した民主主義や社会主義は、単なる制度ではなく、人々をあらゆる差別から解放する自由、平等な制度でした。それは、帝国主義の非人間性を根本から否定するヒューマンな社会主義でなければならなかったのです。

 そして民族の問題についても、民族の問題を国家にして解決しようとすれば、必ずそこに民族差別が生まれる、という主張もしました。

 ローザが当時憂えた世界の状況は、まだ改善されていないのです。彼女はヨーロッパを巻き込みつつあったドイツの戦争に反対して投獄されました。

 ローザの「獄中からの手紙」を訳した秋元寿恵夫さんは、そのあとがきで

『戦争がないとき、漠然と戦争に反対するのは誰にでもできる。だが、すでに戦争が始まってしまってからでもなお、自らの見解にあやまりはないと信じつづけられる者の数は大分減ってくる。しかし、少しはある。けれども、この意見を公然と表明し、できることならその戦争をやめさせようと働きかけるものに至っては、もはや稀有の存在に属する。

 ローザ・ルクセンブルクという人こそは、まさしくそのひとりなのであった。』

☆ローザは、自分の経済学での理論から、第1次大戦を避けるように警告し、1ヶ月の禁固、戦争開始後1915年2月、フランクフルトで兵士虐待の抗議演説を行い、2月から1年間、ベルリンの女囚監獄に収監され、その後2年4ヶ月、保護監禁をされる。第1次世界大戦はドイツの敗北で終わり、ローザは出獄。

 しかし、翌年の1919年1月15日、政府に雇われた暗殺者の手によって倒されます。49年の生涯でした。

 変わっていく時代の中で、未来を見据えて発言していったローザでした。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.01.15 21:01:35
[世界史] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: