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2016.12.25
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カテゴリ: 探訪

水口東部コミュニティセンターからいよいよ「水口岡山城跡」現地見学に向かいます。冒頭の写真は、旧東海道と南北の道が交差する 「御池町」にある2つめの「からくり時計」 です。この地点に再度戻ってきますので、往路は通過点です。


前回ご紹介したガイドマップの部分図をご覧いただくと、左下に 青色の丸を追記したところが「水口東部コミュニティセンター」 です。ここから東に向かい左折して旧東海道(東西の太い赤線の道)との交差地点、つまりからくり時計の位置に至ります。 (資料1)
北側の筋(通り)の北東角あたりにこの石標が立っています。


この石標一つが様々な情報を提供しています。
私がまず目に止まったのは、 「鴨長明発心所」 と記されている面です。随筆『方丈記』を残したあの鴨長明です。ここでその名を見るとは思いもよらなかったこと。鴨長明は下鴨神社の神官の家に生まれた人ですが、父の早世によりその職を継げず、後鳥羽院が再興した和歌所の寄人となります。しかし、50歳の頃に出家遁世し、その後に「方丈の庵」を結ぶのです。つまり、遁世とここの大岡寺 (だいこうじ) に接点があるということなのでしょう。 (資料2)
もう一つの面に 「岡観音甲賀三郎兼定墓所」 と判読できそうです。午前中の講義テーマだった 「甲賀郡中惣」 つまり、甲賀衆の中核になる家の系譜に繋がる一人の名前なのかもしれません。一つの課題が残りました。
そして、別面の記載との関係から 「岡観音」は大岡寺の俗称 であり、本尊が観世音菩薩であり、観音信仰では「江州三十三所二十六番、甲賀三十三所二十二番」の札所として、信仰されていて、甲賀地域だけでも多くの観音菩薩像が存在することもわかります。
 石標に近いところに、稲荷社を目にしました。


かつての大手道にあたる道路をさらに北に進むと、 大岡寺町の石標 が立ち、 大岡寺の所在を告げる大きな石標 があります。



大手道の突き当たりが、大岡寺になります。石段の先に山門があり、門柱には 「龍王山大岡寺」 の表札が掛けられています。
今回はこの前で左折し、古城山にアプローチします。

少し調べてみますと、「行基が白鳳14年(684)大岡山に一宇を建て千手観音の木像を安置したのが始まり」 (資料1) だそうです。盛時には6~16坊を数える規模にもなったとか。天正13年(1585)に中村一氏が水口に入封(6万石)して、水口岡山城を築城する折に、山上の大岡寺は山下に移したといいます。ここは交通の要衝でもあり、寺院は兵火に遭遇します。現在の建物は正徳5年(1715)の再建によるものだそうです。近江鉄道「水口石橋駅」から東へ徒歩10分くらいの距離に位置します。 (資料1,3)


古城山にアプローチする途中の坂道になっている道路。この左側(南)の下方が前回ご紹介した水口小学校のグラウンドになります。


古城山に登る入口近くには、「古城山県民花の森」という銘板を嵌め込んだ石碑があります。

 「岡山城跡」と記された石標


            「水口岡山城跡」の説明板が傍に設置されています。


山道を登って行くと、 「城山中学方面」と「頂上へ」の分岐点 に至ります。

頂上への山道には、各所に観音菩薩石像が建立されています。




階段を登っていくと、削平された広場に出ます。端の紅葉した木の下に 「曲輪跡」の木標 が立っています。その傍から頂上への階段道が続きます。

「水口岡山城跡 概要図」 が設置されています。赤丸の場所のところです。


別の一隅から、少し小高いところに「忠魂碑」が建立されています。


また曲輪跡の別の一隅には、観音菩薩像がひっそりと紅葉を眺めておられるかのようでした。




竪堀がわかりづらい程に草木が繁茂しているのや、建立されている観音菩薩石像を眺めながら、山道をさらに進みます。


「穂徳稲荷神社」 の社は覆屋の中にあり、朱塗りの鳥居が建てられています。


その右隣に、「白玉稲荷神社」と記された額の掛かる石造鳥居が立っていますが、その向こう側には、様々な大神名を刻した石碑が建立されています。このあたりどういう関係なのか不可思議です。伏見稲荷大社の奧にあるお塚を連想してしまいます。


この削平地も曲輪跡です。曲輪跡の一隅に紅葉した落葉の中にわずかですが石仏群もあります。


ここから、いよいよ本丸跡のある頂上へさらに登って行きます。

しばらく登ると、頂上へあと約15分という標識がありました。




城下の見通しが良くなってきます。




階段を登っていくと、

 「虎口」の標識が見えます。


枡形虎口があった場所だそうです。
本丸に向かう大手道を登って行きます。本丸跡まで、あと少しです。


この引用部分図 (資料4) に、ここでご紹介した経路を矢印で付記しました。

黒色下線を引いた場所が大岡寺の境内地です。現在の境内地あたりは「江州水口絵図」では西側が「古御殿屋敷」、東側が「新御殿屋敷」と記されていたようです。赤色丸が坂道の紅葉景色の写真の場所、マゼンダ色が国道307号を横断して、古城山に登る入口付近です。水口岡山城跡の案内板のあるところ。緑色の丸が分岐点の標識がある場所。そして、最初の曲輪跡に入り、次いで稲荷神社のある曲輪を経由して紫色の丸を付した枡形虎口跡に至ります。

つづく

参照資料
1) 「甲賀市みなくちガイドマップ」 水口町
2) 『クリアカラー 国語便覧』 監修:青木・武久・坪内・浜本 数研出版 p133
3) 連続講座「近江の城郭」第1回水口岡山城跡 配付資料
     滋賀県教育委員会事務局文化財保護課・甲賀市教育委員会 
4) 入手資料「水口岡山城跡」 甲賀市教育委員会事務局 歴史文化財課 編集・発行


探訪 近江・水口岡山城跡とみなくち -1 みなくちのまち(1) へ
探訪 近江・水口岡山城跡とみなくち -3 大手道・伝本丸跡・阿迦之宮・伝本丸櫓跡 へ
探訪 近江・水口岡山城跡とみなくち -4 石垣・伝西の丸・伝天守跡・伝二の丸・伝三の丸 へ
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Last updated  2016.12.28 11:36:55
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