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2023.08.26
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カテゴリ: 探訪

7月に山鉾巡りに出かけた時、序でに探訪してきた場所のご紹介です。

四条大橋から四条通を東(八坂神社の方向)に進みます。川端通から一筋東が縄手通(大和大路通)です。ここで左折して、次の一筋目を右折します。そこは 「富永町」
冒頭の 情緒ある町家風景 が見えます。

四条通から一筋北のこの東西の通りは、四条通が混雑していても、昼間は半ば眠っている街並みのようなものですので、人通りが少なくて歩きやすい。通り抜けるのによくこの経路を使います。
この通りを東に進みます。北方向への2筋を眺めつつ、3筋目になる花見小路通を東に渡ります。つまり、 富永町を通り抜けると、東隣は「祇園町北側」。

道沿いに進むと、北方向へ抜けて行ける最初の筋が見えます。この筋の入口の景色がこれ。
東角のビルに「げんすけビル」と表示が出ています。
この辺りは、夕刻以降に華やかになる場所ですので、昼間は静かな佇まいです。勿論、営業中のお店は点在します。
この通りを北に上り、少し進むとT字路があります。
東方向に進む道 があり、地図で確認すると 「新橋南通」 です。新橋南通は東大路通に抜けます。

このT字路、つまり新橋南通の西端から北東側のビルの隣に 「観亀稲荷神社」の朱塗りの鳥居 が見えす。後で触れます。


新橋南通の西端突きあたりにこの建物が見えます。入口が2つ見ますが、 右側が目指す場所への表門 です。
序でに、左側はスィーツのお店「仁々木 祇園本店」
南東側から撮った景色
開放された門を潜り、中に入ると通路の前方にこの 「火の見櫓」 が見えます。

門前の道路からは、樹木と建物があり火の見櫓は見づらい位置になります。新橋南通を東から西に進んでくると、火の見櫓の上部が見えることと思います。

火の見櫓について、たまたまネット検索していて、京都にも火の見櫓があるというブログ記事(火の見櫓図鑑:京都市)に出会いました。それがきっかけで訪れた次第です。

祇園という地域は知っているようでいて知らない場所。祇園町北側は今まで八坂神社の方向への通り抜けに利用するくらいでした。祇園町北側の少し奥まった所に火の見櫓や神社があることを知りませんでした。




​ここは 火の見櫓の周囲に飲食店の建物が並び、 その共有の広場、中庭空間に​ なっています。

北の方向に抜けるごく幅の狭い通路があります ので、この広場には北と東からアクセスできることになります。 未確認ですが、西に抜ける通路もあるようです

昼間でも結構風情を感じる空間。夜になれば、店々の灯火が入り、華やかな彩りの中でしっとりとした空間になることでしょう。


それでは火の見櫓にフォーカスしましょう。

地上には、屋根付きのこの空間 。中央にテーブルが置かれていて、低い柵囲みです。
補遺に取り上げたような使い方が行われているそうです。



「樂宴小路」という表示板 が見えます。
半鐘 が吊り下げてあります。
中に分銅が見えますので、半鐘を叩くのではなくて、綱を引っ張って分銅を揺らせて鳴らすという形のようです。



祇園町北側は、祇園東部と呼ばれる花街
調べて見ますと、明治維新までここには 江州(現滋賀県)膳所の城主本多主膳正の京屋敷があったところ です。膳所藩は享保7年(1722)年から 洛中火消しを兼務 することになり、 町の防火用として屋敷内に火の見櫓を建てていた そうです。 (資料1,2)

明治3年(1870)の廃藩で京屋敷が取り払われた後、青楼が軒を連ねる花街となり、俗に「膳所裏」、祇園乙部、祇園東新地と呼び名が変遷して、今は祇園東部と呼ばれるようになりました。地名は祇園町北側です。 (資料1)
「ぎおん楽宴小路」は、平成6年(1994) にオープンしたゾーンだそうです。 (資料2)
この火の見櫓はかつての歴史を踏まえて、いわばシンボルとして建造されたのでしょう。
火の見櫓の上部に登る梯子の類いは見当たりません。


「観亀大神」の扁額 を朱塗りの鳥居に掲げた 「観亀稲荷神社」 です。

        社殿手前に 石の鳥居 が立っています。

社殿の手前に狐の石像 が配置されています。お稲荷さんの神の使いは狐ですので当然ですね。
通常は狛犬一対ですが。狐の耳が特徴的。
午前10時過ぎに訪れたせいか、社殿全面にシャッターが降ろされたままでした。
情趣を削がれますが、防犯としては仕方がないのかも・・・・・。

           石鳥居の左手前に 手水鉢 が設けてあります。

この観亀稲荷神社は、江戸時代に 膳所藩が京都の火消を担当した折に ​火防 (ヒブセ) の神として勧請された​ そうです。 (資料2,3)
境内からの眺め
南東側からの全景

知らなかったスポットをまた一つ、探訪できました。

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1)『昭和京都名所圖會 洛東ー下』  竹村俊則著  駸々堂 p236-237
2) ​ ぎおん楽宴小路の火の見櫓@祇園北町・観亀稲荷神社そば。
                 :「朝は知恩院でラジオ体操!(の気分):by行者橋 渡
3) ​ 観亀稲荷神社 ​  :「京都風光」

補遺
京都市 ​  :「火の見櫓図鑑」
いまは忘れられた “ゼゼウラ” は、町の歴史を伝えてくる ​:「京都発!ふらっとトラベル研究所」
京都祇園楽宴小路 「敷居はひくく、こころは熱く」 ​  YouTube
「楽宴小路」。祇園北にある安らぎの空間。毎月開催される茶席。立派なお道具で味わう茶の世界 ​   :「ネコのミモロのJAPAN TRAVEL」

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Last updated  2023.08.26 15:29:16
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