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2023.10.03
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カテゴリ: 探訪

天気予報が晴れでしたので、 何十年ぶりかで二条城を再探訪 してきました。
二の丸御殿と庭の印象を思い出すくらいなので、今回はできるだけ細見してみたいと思った次第です。

地下鉄東西線の二条城前駅で下車し、二条城方向への出口から地上に出ると、押小路通(東西の通り)です。横断歩道を渡れば、二条城は目の前。

冒頭の景色は、南側の外堀 です。並木の左側が押小路通です。

東南隅櫓
二条城のビュースポットの一つ 。外堀の四隅には、かつて見張り台として隅櫓が建てられていました。1788(天明8)年の「天明の大火」で多くの櫓が焼失。 現在はこの櫓と西南隅櫓が現存するだけ です。

東側の外堀の先に、東大手門 が見えます。ここが 二条城の正面 になります。
東からの眺め
石垣の隅は「算木積み」 で整えられ、 石垣は「打込はぎ」 という積み方です。
1階の中央部が出っ張っているには、石垣面に対しての防御のためでしょうか。石落としとか、矢を射るとか・・・。
隅櫓は、普段は武器庫として 使われていたそうです。


「東大手門」を東南側から眺めた景色
外堀が石垣で遮断されて東大手門への正面通路が築かれています。

                                           石垣に1箇所、排水口が設けてあります。


東大手門の外堀手前、南側に 史蹟碑 があります。
この史蹟碑は、 「二条城」より「旧二條離宮」を強調 しています。


この小冊子は、東大手門を入ったところで入手しました。
この表紙には、 「元離宮」という語句を小さめに冠して「二条城」というタイトルに なっています。

二条城は、徳川家康が1601(慶長6)年に、西日本の諸大名に築城を命じたことに始まります。天皇の住む京都御所の守護と将軍が上洛した際の宿泊所とするためです。 1603(慶長8)年に二条城は完成 当時は 、後で訪れる 二の丸御殿を中心とする規模だった そうです。現状から見れば小規模の城です。
1624(寛永元)年、二代将軍秀忠が、 寛永の大改修 に着手し、 1626(寛永3)年に 、本丸・二の丸・天守閣が完成します。この時、 現在の二条城の規模に なりました。そして、 同年9月に後水尾天皇が5日間、二条城に行幸 されるという大イベントにつながります。
徳川家の天下が京の町衆を始め、世間の人々に知らしめる公の契機となったのです。

1867(慶応3)年10月、二の丸御殿で、徳川慶喜の「大政奉還」の意思表明 が行われました。二条城は明治維新政府の管轄下に入ります。1868(明治元)1月、現在の内閣にあたる太政官代が、二条城内に置かれたと言います。その後、明治政府は東京に拠点を移します。 1884(明治17)年に 、二条城は皇室の別邸になります。管轄が宮内省に移され、大修理を経て、 「二条離宮」 となりました。「旧二條離宮」「元離宮」はここに由来します。
1939(昭和14)年、宮内省が二条離宮を京都市に下賜。 1940(昭和15)年2月11日から一般公開 が始まったのです。
1994(平成6)年、ユネスコの世界文化遺産に登録 されました。

二条城は東側が堀川通に面しています。東大手門への通路を挟んで外堀の北東側に、二条城観覧のチケット販売所があります。建物側の出札口を経由して、外堀を渡る通路に向かいます。

      東側外堀の北方向の景色 。石垣の上は樹木が列をなしています。
かつては、白壁や櫓が建てられていたことでしょう。
徳川の天下になった後の築城とはいえ、やはり当時は白壁に矢狭間や鉄砲狭間は設けられていたのでしょうね。私の単なる推測ですが・・・・。

東大手門の北側の石垣と白亜の土塀

東大手門
正面から眺めた姿 。2階が櫓となった 櫓門 です。 二条城の正門 にあたります。
人の居ない東大手門を撮りたいのですが・・・・無理な話ですね。外国人観光客が多く目にとまりました。団体客もけっこう見かけました。

「二条城の正門。築城時からこの場所にあるが、現在の建物は、寛永3年(1626)、天皇をお迎えした行幸に際して建てられ、寬文2年(1662)の改修で今の姿になったと考えられている。一階を門、二階を櫓とすることから櫓門(ヤグラモン)と呼ばれ、二階の櫓は『矢倉』とも書くように本来は武器庫であるが、正面の出格子窓には、門に近づいた敵を真上から攻撃するための『石落し』を備え、攻撃と防御の要となっている。金箔を貼った飾金物は、天皇を迎える正門であるための装飾と思われる。また、天皇をお迎えした時は二階の櫓が無かったことが絵図類で分かっており、天皇が門を通られることを考えて二階は不要と判断したのではないかと推測される。その後、寬文年間の改修で再び櫓が載せられたのは、築城時の姿が正門としてふさわしいとの考えと思われる。」 (案内掲示板の説明転記)
現在の門は、2017年3月に修理が完成した後の姿です。 (資料1)


東大手門への外堀を渡る 通路の途中から北方向を眺めた景色



北側の石垣の隅 精緻な算木積み です。 なぜか一番下の石の正面側が、上部と北隣りの石よりも少し凹んでいます。なぜでしょう・・・・・。



大手門の屋根の裏側は垂木や梁などの木造部分が漆喰で塗り固められています。
帯状鉄板に鉄鋲が打ち込まれて門柱の表面が保護され、頑丈そのものです。
上端と下端は装飾金具で覆ってあります。
天皇行幸時に煌びやかさを備えることと併せて柱の上・下端の保護という目的もあるのかなという気がします。大きなお寺の門には普通に見られますので、
観察して気づいたのは、 石垣の傾斜に併せて斜めに柱が設けてある ことです。
端の防御も完璧という感じ。




北側の門柱と扉

南側の扉のほぼ全景
南側の柱下部


南側の扉を、城内から眺めた景色 です。
お寺でよく目にする四脚門・八脚門とは異なり、門柱は一番外側の柱に扉が取り付けてありますので、2階の櫓を支えるために、城内側に2本の柱が見えます。
外から見ると、八脚門と同じような形にみえるのですが、内側から見ると、扉を支える門柱の内側には柱の列はありませんので、全体の柱は四脚門風になっています。ただ石垣に沿わせた柱があるので、本数は八脚門になっています。

堅牢性と威圧感を抱かせる大手門です。それは考慮に織り込まれていることでしょう。



東大手門を入ると、右側に 「番所」 があります。

「寛永3年(1626)の行幸を描いた寛永行幸絵図のこの位置に番所は描かれているが、現在の建物は、寬文3年(1663)に建てられたことが分かっている。平時の二条城は、幕府から派遣された『二条在番』と呼ばれた武士たちが宿直・警護していた。1組50人の在番が2組常駐し、この番所は彼らの詰所の一つとなっていた。城内にはこの他、唐門前、北大手門前、西門周囲等、計12棟の番所があったが、現在残っているにはここだけである。全国でも番所が現存する城は江戸城や丸亀城等わずかしかなく、貴重な建物である」 (案内掲示板の説明転記)

二条城は昭和15年(1940)から一般公開されました。この番所は、その受付場所であったり、管理施設や模写室等として改変されて使われたそうです。 昭和40年代に現在の姿に復元され、江戸時代の姿に戻された と言います。「平成29年度には本格的な保存修理工事を終え、令和元年度には、活用方法の見直しによる耐震補強工事及び小修繕を行いました」とのこと (案内掲示板の説明転記)
二条城では修理事業が継続的に行われ、維持管理が行われている様子の一端がうかがえます。



番所の屋根の降棟の 鬼板には 徳川家の家紋 が陽刻されています。 鳥衾(トリフスマ)と軒丸瓦の瓦当(ガトウ)には 、よく見かける 三頭巴の文 が陽刻されています。


東大手門を入った左側にはこの 石標 があります。


城内から東大手門の2階の櫓を眺めた景色


               東大手門の南側の櫓に繋がる 建物と 櫓への石段 です。
この建物の 石垣は、「切込はぎ布積み」 という石垣の積み方で、上の石が下の石に均等にかかる積み方だそうです。石段はかなり急角度です。

ズームアップ してみました。


東大手門から南に連なる土塀を城内から眺めた景色
外堀に沿って白亜の漆喰土塀がきれいに見える景色のところです。
城内側は比較的なだらかな傾斜地になっています。



              その南に、 東南隅櫓 があります。

東南隅櫓に向かう石段 の手前で、ここも立入禁止になっています。
白壁の土塀の内側がどのようになっているかが、わかりやすいと思います。
石柱と木材を組み合わせて土塀を支える構造 になっています。

東南隅櫓から振り返り、北西方向に進みます。「唐門」が見えます。

「二の丸御殿」への出入口になっているのが「唐門」です 。この平面図は入手した小冊子から引用しました。城内にも案内図掲示板がありますが、この図が一番わかりやすいと思いますので。

続く

参照資料
*観覧日に入手の小冊子「世界遺産 元離宮二条城」 京都市
*『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂  p295-302
*『京都史跡事典 コンパクト版』 石田孝喜著 新人物往来社 
*『図説 歴史散歩事典』 監修 井上光貞  山川出版社  
1) 「将軍と巡る二条城」 元離宮二条城事務所オリジナルしおり pdfファイル


補遺
世界遺産 元離宮二条城 ​  ホームページ
  ​ ガイドマップ
寛永行幸絵巻 2巻 ​  :「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
二条城 ​   :ウィキペディア

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Last updated  2023.10.15 17:59:13
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