遊心六中記

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2023.11.10
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カテゴリ: 探訪

明王堂から 北隣りのお堂に 向かいます。



向拝 は柱が4本と幅が広くとってあります。お堂の正面に金字で 「智積院」と記された扁額 が掲げてあります。 「金堂」 です。智積院の中心的な建物です。

智積院再興の初期段階には、前回触れました祥雲寺法堂の建物を引き継いだときに、伝智証作の不動明王を本尊とする金堂がこの地にありました。しかし、天和2年(1682)の出火全焼により焼失。「元禄14年(1701)3月智積院第10世専戒僧正が発願し、桂昌院(徳川5代将軍綱吉の生母)より与えられた金千両を基に学侶からの寄付金を資金として、宝永2年(1705)春に」 (境内図より) 金堂が建立されました。その金堂が明治15年(1882)に火災により焼失しました。
そして、この金堂は、宗祖弘法大師のご生誕千二百年の記念事業の一環として昭和50年に建設されたました。堂内には昭和の祈りを込めた本尊大日如来の尊像が安置されています。西村公朝師の指導のもとに藤原様式で作られた仏像とのことです。 (境内図、駒札より)  鉄筋コンクリート造りの金堂です。
智積院の伽藍は苦難の変遷を経ていることが偲ばれます。





向拝の木鼻:象
中央の蟇股

鬼瓦
本堂前の石灯籠
竿の正面(西面)には 「永代常夜燈」 と刻され、北面には「 文化六歳己己(ツチノトミ)十二月 」(文化6年は1809年)、南面には「 江戸真福寺二十八世観豪建立 」と刻されています。
この灯籠は二百年余の智積院の盛衰を見つめてきたのでしょう。

金堂の屋根からの 雨水受け水槽 は蓮の花形で、正面には明王殿の香炉と同様に 宗紋 が付いています。

近くに大きな 宝篋印塔 が建立されています。


金堂前から振り返って 西方向 を眺めれば、 広々とした空間 が設けてあります。
金堂前の南北の通路
南から撮りました。この通路の先で左折すれば、講堂・名勝庭園などの拝観受付所に至ります。

さらに一筋西側で、南北と東西の通路の交差する北西角に、 「仏足石」 が建立されています。


金堂前の通廊を西に歩んできて、北側から見ると、 上掲の空間の意味 がわかりました。

「柴灯護摩道場」 として、ここで 「青葉まつり」の行事 が行われるようです。

金堂前に戻り、北方向に進むと、

        石段の先にお堂が見えます。

石段上は、一段高い境内になっています。 お堂への参道の両側には
 左(西)側に ​​ 「弘法大師空海像」
右(東)側に 「稚児大師像
             の両像が建立されています。

        正面のお堂は 「太師堂」 です。

太師堂は、寛政元年(1789)に学侶の寄付で建立された そうです。 弘法大師空海像が安置され ています。 遍照金剛院 とも呼ばれるとか。 ​(資料1、駒札)


​お堂の正面に、 「遍照金剛殿」 と記された扁額が掲げてあります。​


太師堂の屋根の正面には 獅子口 が見えます。 経の巻の瓦当には ​三頭巴文​ が陽刻され、綾筋の下には 輪宝 が、さらに ​軒丸瓦の瓦当もまた輪宝​ が象られています。

向拝は唐破風の屋根で、 兎毛通の部分には瑞鳥 が彫刻されています。

桁先端、破風板の下の ​桁隠​ は植物文です。

向拝の頭貫の中央には、 が見え、その回りを 丸彫りの彫刻像 が見えます。 麒麟像でしょうか

全体の姿

頭貫そのものにも彫刻 が施されています。

木鼻には象の頭部

この 獅子像 は、 頭部に大斗と肘木を載せて頭貫を支える形 となっています。
時折、この形式を見かけます。上掲の象の頭部上も、同様の形式です。


太師堂前の石段を下ります。


途中に東方向への石段 があります。 この石段を上がると、

石段の上には、「 これより先は修行中につき立入禁止とします 」となっています。
この柵の前に立ち、この境内地を眺めてみました。
静寂そのものです 。東山七条の交差点からわずか数百メートルの距離とは思えない静けさです。


まず 鐘楼堂 が見えます。こちらは 天和2年(1616)に造立 されたものと言います。 (境内図より)

鬼瓦
​蕪懸魚​
蟇股
これらは鐘楼堂の細部です。


鐘楼の右側前方にお堂 が見えます。駒札をズームアップしてみますと 「旧聞持堂」 です。

鐘楼の左側の先に は、 石灯籠やお堂 が樹木越しに見えます。

「江戸時代には教学の寺として諸国から学徒の雲集するもの三千人におよんだ」 (資料2) と言います。
また、「第七世運敞(ウンショウ)の時代は特に講学が隆盛で、全国より参集した学徒は1700名、学寮70余が軒をつらねた」 (資料1) とも。


石段を戻り、一旦金堂近くに戻ります。



つづく

参照資料
*​ 総本山智積院 境内図 ​ :「総本山智積院」 
1)『続・京都史跡事典』 石田孝喜著 新人物往来社 
2)『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著  駸々堂 p119

補遺
総本山智積院 ​  ホームページ

仏足石 ​  :「コトバンク」

仏足石 ​  :「三井寺」

2023年6月15日 京都智積院 青葉まつり Walking around Kyoto Chishaku-in Temple 【4K】
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Last updated  2023.11.22 09:17:13
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