遊心六中記

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2023.11.15
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カテゴリ: 探訪

金堂近くまで戻りますと、金堂の北側に東方向への石段があります。
この石段道を東側へと上ります。右は 石段上の踊場から見下ろした景色 です。
ここで道が分岐します。

左(北)側に一段高い境内地への石段 が延びています。勿論、石段を上がってみました。

登り切った先には、前回同様に 修行中のため立入禁止の掲示 が出ています。
前回の 修業エリアを正面側から眺めることに なります。
西方向に鐘楼堂 が見えます。

正面に参道が延び、その先には 「密厳堂(ミツゴンドウ)」 が見えます。
真言宗中興の祖・興教大師の尊像を安置するお堂 です。寛文7年(1667)に建立されたお堂。智積院7世の運敞僧正が末寺・学侶に寄付を募り建立されたと言います。 (境内図より)

参道の途中、右(東)側にブロンズの立像が建立されています。手許の本の竹村俊則画を参照しますと、 「興教大師像」 です。 (資料1)

北東方向に、宝形造の屋根の 「求聞持堂(グモンジドウ)」 が見えます。
文殊堂または護摩堂とも 呼ばれるとか。 本尊は虚空蔵菩薩 で、他に 文殊菩薩と不動明王 が安置されています。 (境内図より)


北西方向を眺めると鐘楼堂の先に土蔵造りの 「運敞蔵(ウンショウグラ)」 が見えます。
智積院第7世運敞僧正の著作、研究された書物、資料などが収蔵されている蔵
延宝元年(1673年)僧正自らの発願により建立されたそうです。現在は 運敞僧正の坐像も安置 されているとか。 (境内図より)




運敞蔵の先には、 鎮守社と思える小社 が幾つか祀ってあります。


       現在地から一番近い位置にこの建物がありますが不詳です。

石段を下り 、先ほどの踊り場に戻って、 東に進みます

「永代 常光明真言」と刻された碑 がまず見えます。
光明真言は大日如来の御真言で、一切の苦悩を解脱せしめる真言を意味するそうです。 (資料2)


少し回り込んで、石柵で囲われた 五輪塔の正面から撮った景色 です。

地輪の正面 には、「 當山化主 不生位 」と刻されています。
「当山化主」にある 化主とは 「化は教化の意で、教化の主」を意味し、「後には高徳の僧や大寺院の住持を呼ぶようにもなり、新義真言宗では、管長または寺院の住持の敬称として用いられるようになった」 (資料3) 用語です。つまり ここでは歴代の智積院の管長を意味する ようです。

智積院のホームページの「青葉まつり」の説明文に「当山では、総本山智積院化主御導師のもと」という表現が使われています。

羅漢さんと呼び慣れている 阿羅漢 という言葉はサンスクリット語の音写語です。
訳し方はいろいろあるようですが、その一つが 不生(フショウ) 不生というのは、仏の涅槃の世界に入ってもはや迷いの世界に生まれないという意味だそうです。
不生位というのは、「日常生活のすべてが法に適う仏の行になってくる。そういうことでもはや迷いの世界に戻ってくることはない、生まれないということ」 (資料4) という次元を意味するそうです。



飛び石伝いにお堂を回り込むと、 「光明殿(コウミョウデン)」と記された扁額 が掛けられています。上掲の石碑と照応しています。
現在は納骨されたお骨を安置しているお堂 だそうです。 (境内図より)

屋根の降棟の先端に 鬼板 が置かれ、 宗紋が陽刻されています

このお堂の先に歩むと、金堂の背後(東側)に出ました

空地の先には、再び石段 が見えます。この金堂の背後の空地は 紫陽花が咲く所 だとか。
石段の傍まで近づくと、手間に 香炉を置いた台 が設けてあります。

右側のすく近くにこの 「学侶墓地」と記された案内板 が設置してあります。
江戸時代に智積院内で修行し、その志半ばでなくなった修行僧を祀った墓地 です。
平成3年(1991)に地蔵山から墓石群を移転、整備して、この聖域が造られたとのこと。

この説明文には、江戸中期の宝永年間に、全国からこの智積院で真言教学はじめ学問を学び修業する学侶がその数千六百余人に及んだと伝えられていると記されています。


傾斜地に階段状の列が設けられて、 墓石が整然と 並んでいます。

石段を上がって行きますと、少し空間を隔てて右手前方がこの墓域の東端です。石垣の前に真新しい感じのこの石塔が見ます。さらに近づいてみますと、 「東日本大震災物故者供養塔」 が建立されていました。
 石段の先は、一段高い境内地の側面壁が境界となります。
上の境内地の五輪塔が部分的に見えます。こちらは後ほどに。

ここで折り返して、一旦石段を下ります

学侶墓地を上から見下ろすと この景色です。西方向に 金堂 が見えます。

飛び石伝いに南西方向に下り

その先にある 東方向への石段道を再び上ります
すると先ほどの学侶墓地の東端の一段上の境内地を北方向に眺める場所に至りました。

            東西方向に、2つの五輪塔が建立されています。
 それがこれです。
手前(西側)には、「僧侶納骨供養塔」、奥側(東側)には「檀信徒納骨塔」と刻した石標 が立ててあります。 これらもまた供養塔

通路に戻ります。 その先を眺めると墓域が続く景色 です。

この辺で引き返すことにしました、
通路を下って行くと、小川が横切り、石橋が架けてあります。



           その先に、 「境内整備事業祈念碑」 が建てられていました。

道沿いに下って行くと、金堂の南側に出ます。

左(南)側に明王堂と池 を眺めながら、金堂の正面に戻ります。


金堂前の通路を西方向に歩みます。この後は境内地の北西域を散策することに。
それで一通り智積院境内で自由に散策できるエリアを拝見したことになります。



つづく

参照資料
*​ 境内図 ​  :「智積院」

1)『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著 駸々堂  p120-121
2) ​ 光明真言 ​ :「永観寺観音院」

3)『岩波 仏教辞典第二版』
4) ​ ○○不生位(お坊さんの戒名) ​  :「本蔵院律良日記」

補遺
総本山智積院 ​  ホームページ
   ​ 真言宗と中興の祖・興教大師
興教大師 ​   :「真言宗豊山派」

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探訪 京都・東山  智積院 -1 境内散策・鐘楼・明王殿・宝物館ほか へ
探訪 京都・東山  智積院 -2 金堂・仏足石・太師堂・もう一つの鐘楼堂ほか へ
探訪 京都・東山  智積院 -4 玄宥僧正坐像、地蔵菩薩立像、大玄関、総門ほか へ





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Last updated  2023.11.22 09:18:27
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