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2023.12.15
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カテゴリ: 探訪

ここが「圓光大師諸国二十五霊場」の最後の霊場 となります。
この石標の立つ境内地から一段高く見上げる位置に 「御廟(法然廟)」 (番号11)が設けられています。 左(北)側が「御廟」で右側が「拝殿」 です。

門を入ると、すぐ右側に石段 があります。上ると、踊場で左折してさらに石段を登ります。

石段の登り口に竿の正面に 「大師御廟前」と刻した石灯籠 が据えてあります。
拝殿
              ここからは先は立入禁止となっています。 

御廟の唐門
       拝殿の向こうの廟堂入口をズームアップで。

廟堂を囲む石柵の正面に唐門があり、その 扉には 三葉葵の紋 が彫り込まれています。
「現在の御廟は、慶長18年(1613)常陸国土浦藩主 松平伊豆守信一の寄進を得て改築されたものです。」 (資料1)

廟堂内には、五輪石塔が安置されていると言います。 (資料2)


      拝殿前から 京都市内の西方向を眺めた景色
ズームアップで


石段を降りて、右折し境内地を北に歩むと、正面に 「勢至堂」 (番号10)があります。
駒札に「勢至堂」 と記されています。南面する建物の正面には、 「本地堂」と記された扁額 が掲げてあります。

「現在の勢至堂は享禄3年(1530)に再建されたもので、七間四面単層入母屋造本瓦葺、桁行21メートル、梁行20メートルの現存する知恩院最古の建造物」で、堂内の正面には、後奈良天皇の宸翰による「知恩教院」の額が掲げられていて、この言葉が知恩院の名称の起源になっています。そして、この地が法然上人が念仏の教えを広められた大谷の禅房の故地でもあります。 (資料1)

霊元天皇皇女吉子内親王の宸殿を賜ったと言われる建物で、外縁には擬宝珠勾欄が付いています。 (資料2)

もともとはこのお堂に法然上人の尊像(御影)が本尊として祀られていた そうですが、 御影堂の建立により移された後、このお堂の内陣の奥に本尊として勢至菩薩像が祀られています 。そこから、「勢至堂」と称されるようになったとか。
勢至菩薩は法然上人の本地身とされています。 (資料1,2)


廟堂のある位置の崖下に、 「紫雲水」 と刻された石標が立っています。


 そこに 小さな池 があります。

法然上人が入滅される時、聖衆が来迎し紫雲が水面に現れ、芳香が漂ったという伝承が残っているそうです。 (資料1,2)


その少し北側、同じく崖下に、 石柵で囲まれた石の傍に「影向石」と刻した石標 が立っています。
法然上人が入滅される時、この石の上に加茂明神が降臨されたという伝承があるそうです。 (資料2)

ここから北側の境内地は墓地 になっています。

墓地への出入口に近いところに、 石仏を集合させて 祀ってあります。


この墓地の中央部に 「千姫の墓」 が安置されています。

        石柵などはありませんが、基壇の上に設けられた大きな墓です。

この墓の石塔の形式も私にはあまり見かけないものです。無逢塔に準じた形式でしょうか。
塔身の正面には三葉葵の家紋 が陽刻されています。
千姫の墓は、小石川伝通院に納骨されているそうで、 この石塔には分骨が納められている とか。千姫の戒名は「天樹院殿栄譽源法松山禅定尼」。 (資料3)


千姫の墓の北に 「濡髪大明神」の社 (番号12)があります。 この墓地域の北端です
石鳥居には 「濡髪祠」と記した扁額 が掲げてあります。

もともとは、火災除けの神、伽藍護持の鎮守として荼吉尼天(ダキニテン)が祀られていたと言います。
寺伝によれば、 御影堂が建立される時に住処を追われた白狐 が、知恩院第三十二世雄譽霊巌(レイガン)上人にお願いして用意してもらったのがこの濡髪祠だとか。 知恩院の守護神として祀られた と言います。 白狐は童子に化けていたときその髪が濡れていたことで、「濡髪」の名の由来に なったとか。 (資料1,2)

「『濡髪』が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、祇園町のきれいどころの信仰を集め、今日では縁結びの神様『濡髪さん』として親しまれています。」 (資料1)


    傍に この小祠 が祀られていますが、 不詳




         濡髪祠の傍からの京都市内(西方向)の景色
         写真に撮ると樹木が目立ちますが、京都市内が展望できます。
         見下ろすと、直下にも墓地が広がっています。


    濡髪祠の少し南から東方向、 華頂山を眺めた景色

すぐ傍の東方向には、 整然と無逢塔が並んでいます
知恩院歴代の上人・僧侶達が祀られている墓所域なのでしょう。


鐘楼 の向こうから射す日の光を眺めつつ、智慧の道を引き返しました。


知恩院境内案内図

つづく

参照資料
1)​ 知恩院の建造物 ​ :「知恩院」
2)『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著  駸々堂 p235-242
3) ​ 千姫 ​   :ウィキペディア

補遺
浄土宗総本山 知恩院 ​  ホームページ
德川家と伝通院  千姫の墓所 ​  :「伝通院」
常総市: 弘経寺 ​  :「茨城県:歴史・観光・見所」
千姫 ​ :「コトバンク」
白狐,濡髪童子 ​  怪異・妖怪伝承データベース :「国際日本文化研究センター」
シロギツネ,ヌレガミドウジ ​ 同上データベース :「国際日本文化研究センター」 

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探訪 京都 久々に知恩院へ -1 黒門から入り御影堂へ
探訪 京都 久々に知恩院へ -2 経堂、唐門、法然上人像、智慧の道ほか&一心院 へ
探訪 京都 久々に知恩院へ -4 大鐘楼、坂村真民さんの詩碑、三門、新門 へ





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Last updated  2023.12.16 14:09:00
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