6.「真実が欲しい(Give Me Some Truth)」は、1.および3.と同じくビートルズ時代からジョンが温めていた曲で、69年のゲット・バックのセッション時にレコーディングの試みがなされていた(一説ではジョージの歌ったヴァージョンが存在するとも言われる)。アルバムが作られた時期を考えれば、1.および5.とセットで“反戦”(ベトナム戦争)を意図したものだったことは明白だろう。1.が世界平和を指向するかのようなおとなしい曲調(歌詞の一部が過激と見なされることはあるにせよ)であるのに対し、この6.は5.と同様にもっとストレートで政治的なにおいがする。なお、この曲の英語表記は本来、“Give Me Some Truth”だったが、現行では“Gimme Some Truth”に変えられている(なぜ変わったのかは不明だがここ10~20年ぐらいの変化の模様)。
続く7.「オー・マイ・ラブ(Oh My Love)」は、本アルバム中で唯一、ジョン・レノン&ヨーコ・オノ名義の共作になっている曲。世間ではラブ・バラードとして解釈されるが、実際には、流産した子へ向けた詞をヨーコが書き、それにジョンが曲をつけて出来上がったとのことである。曲全体が空の彼方でなっている音楽みたいに聞こえるサウンドだが、この本来の曲の意味を考えればなるほど納得できる効果だと感じる。控えめながら、ジョージ・ハリスンがギターで参加している。
8.「眠れるかい?(How Do You Sleep? )」は、ビートルズの盟友ポール・マッカートニー批判の曲として有名である。“君が唯一やったのはイエスタデイ”(“イエスタデイ=昨日”はポールによる、ビートルズのかの名曲を指す)、“あの連中が君は死んだと言ったのは正しかった”(“君は死んだ”は1966年のポール死亡説に言及している)といった箇所にダイレクトに表れているように、名指しに近い形でポールを揶揄する詞である。実際、ジョン自身はこれらをわざとやったことを認めていて、意図的に“悪意のある歌”に仕立てたのだという。その原因はポール(&リンダ)マッカートニーのセカンド・アルバム『ラム』(1971年リリース)の中にジョンを含めジョージ、リンゴを暗に批判する詞を織り込んでいたからで、ポールのこの攻撃にジョンは相当頭に来ていたようだ。