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アメリカ国務省はイランの反政府勢力、ムジャヒディン・ハルク(MEKまたはMKO)を「テロリスト」のリストから外した。もっとも、アメリカ支配層は自分たちにとって好ましくない武装集団を「テロリスト」と呼んでいるだけで、MEKが武装闘争を止めたわけではない。 かつて、MEKはマルクス主義の影響を受けたイスラム勢力だったのだが、1979年にイランでイスラム革命が成功してからイラクへ逃れ、それまでのイデオロギーを放棄する。マスード・ラジャビとマリアム・ラジャビの下、禁欲や睡眠制限などが強制され、既婚者は離婚させられるようになった。多くの人からカルト集団と見なされている。1970年代までのMEKとは別組織だと考えた方が良いだろう。 2007年からイランでは科学者が暗殺されているのだが、イスラエルがMEKを雇い、訓練し、実行させたとする話がアメリカ政府から流れてきた。イランはCIAも関与していると疑っているが、アメリカ側はイスラエルとMEKが実行したのであり、アメリカは無関係だと主張している。 しかし、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、JSOC(統合特殊作戦コマンド)は2005年からアメリカのネバダでMEKを訓練していた。アメリカの特殊部隊も2007年にはイラク南部からイランへ侵入し、秘密工作をはじめているという。 この時期、CIAがイランの分離独立派に資金を提供、国防総省の一部はMEKを利用したいと考えていたとも伝えられている。アメリカとMEKが無関係だとは言えそうにない。アメリカが使っているMEKをアメリカが無関係な作戦にイスラエルが利用したのか、ということが問題。イランと並行する形でシリアも秘密工作のターゲットになっていた。 いずれにしろ、科学者を暗殺したのはMEKだった可能性が高い。このMEKを「テロリスト・リスト」から外すように働きかけていた人物にはルディー・ジュリアーニ元ニューヨーク市長やジョン・ボルトン元国連大使も含まれている。 そして今、アメリカ政府はシリアの反政府軍、実態はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルなどに雇われた武装勢力に対し、新たに4500万ドルを提供すると報道されている。「非軍事」目的だというが、勿論、意味のない条件だ。 圧倒的な財力と武力を持つ国々が介入しているにもかかわらず、シリア政府が未だに倒れていない最大の理由は、多くの国民が政府を支持しているからだとしか考えられない。 リビアの体制を転覆させた後にアル・カイダ系武装集団はシリアへ移動して戦っているが、その戦術は残虐。人びとに支持されるはずはない。先日は、自分たちの正体を暴いていたイラン人ジャーナリストを狙撃、殺している。そうした集団を「民主化勢力」だという人間の神経を疑う。 ホウラでの虐殺を現地を調べた東方カトリックの修道院長は次のように語っている:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は、地上の真実と全く違っている。」
2012.09.30
厚生労働省は社会福祉を破壊する姿勢を鮮明にした。生活保護への支出を抑制するため、受給者の保護費支出状況を調べる福祉事務所の権限を強化、低収入、短時間の労働を強い、家族に扶養を押しつけようというのだ。 こうした政策が出てきた切っ掛けをマスコミは「人気芸人の母親」のケースに求めているようだが、社会保障の切り下げ/放棄を推進するため、政策推進者が「人気芸人の母親」をキャンペーンに利用しただけの話。日本の支配層はTPPに執着していることを考えると、社会福祉を放棄するつもりだとしか思えない。 生活保護の受給者が増えている主な原因は、不公正なシステムで富が一部に集中する仕組みを推進してきたことにある。日本の支配層は庶民を低賃金で使い捨てる対象としか見ず、適切な対価を支払わなくなっているのが現状で、1980年代から政府はそうした傾向が強まった。そのひとつの結果が非正規雇用の増大。特にひどかったのが小泉純一郎が総理大臣を務めた2001年から2006年にかけての時代だ。 小泉政権の経済政策で中心的な存在だったのが竹中平蔵。不公正な社会システムを作り上げる上で中心的な役割を果たしたひとりである。このところマスコミが大々的に宣伝している「日本維新の会」では、次期衆院選候補を選定する委員会の委員長を務めているという。 維新の会で中核メンバーのひとり、堺屋太一は小渕恵三内閣や森喜朗内閣で経済企画庁長官を務めた後、小泉政権で内閣特別参与に就任している。CIAと関係の深いCSISが企画、1996年にスタートしたプロジェクト「日米21世紀委員会」では委員長だった。 この委員会は1998年に報告書を発表、その中に日本が目指すべきだという方向が示されている。つまり、(1) 小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国)、(2) 均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、そして(3) 教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)だ。 このふたりに限らず、橋下徹を看板に掲げる維新の会は小泉純一郎色が濃い、つまり新自由主義をイデオロギーにしている。このイデオロギーでは、フリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンが「経済理論」の柱になっている。 軍事クーデターで巨大資本の暴力、略奪に異を唱える人がいなくなったチリで新自由主義は初めて実践された。その結果、庶民は貧困化する。そうした現実を知った上で、マーガレット・サッチャー英首相、ロナルド・レーガン米大統領、中曽根康弘首相なども導入し、中国やロシアにも広がった。支配層にとってはありがたい仕組みだからだ。 その結果、いずれの国でも貧富の差が拡大して社会の仕組みが揺らぎ、庶民が反撃を始めている。欧米、特に南ヨーロッパ諸国では庶民の抵抗が激しい。ロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークも厳しく批判されるようになった。このネットワークは金融と結びつき、多国籍企業や富裕層は資産を隠し、税金を回避、マネー・ロンダリングする仕掛けであり、経済を破壊する元凶とも言える。 不公正な社会システム、つまり強者総取りの仕組みは、公教育の破壊がベースになっている。OECDの中でも日本は教育の破壊が進んでいる国で、児童教育に対する公的な負担が少ない。GDPに占める比率で比較すると、OECD31カ国の中で日本は27位。1位のアイスランドに比べると12%、OECDの平均に比べても23%にすぎない。 教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈に言わせると、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になって」いくそうで、教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門は「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」と語っている。「落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける」のだという。(斎藤貴男著『機会不平等』) しかし、現実には「できる者」を伸ばせてもいない。親の収入で学歴、学校歴が決まるようになり、能力があっても能力を発揮できない環境になっているのだ。思考力のある若者は批判力もあるわけで、支配層としては扱いにくい存在。そこで排除の対象になってしまう。つまり、「権威」に従い、その教条を記憶することしか能がない人間が残ることになる。 このところ、大手製造会社の研究者やエンジニアは異口同音に「最近の新入社員は使えない」とこぼしている。帳簿上のカネ勘定ばかりしている管理職はコスト削減に熱心で、中堅以上の研究者やエンジニアは疲弊、精神を病んで現場から離脱する人が少なくない。にもかかわらず、人員を補充してこなかった。そうした中、新入社員が使えないのは痛い。生産の現場は崩壊寸前ということだ。 入学の難易度が最高ランクに位置している大学でも、優秀な学生はごく一部にすぎないため、各企業は中国やインドでの採用を増やそうとしているという。日本の教育水準がそれだけ下がっているということ。そうした意味でも日本と中国との関係悪化は日本企業にとって大きな傷手になる。
2012.09.29
東電の福島第一原発で「過酷事故」が起こり、収束の見通しすら立っていない。こうした状態であるにもかかわらず、原発を再稼働させようとする勢力が存在している。どうやら原子力規制委員会もその仲間。核兵器の開発、あるいは原発利権といった理由があるのだろうが、正気とは言えない。 東京電力の歴代経営者は勿論、政治家、官僚、巨大製造業や金融機関の経営者、労働組合、学者、マスコミは原子力政策を推進してきた責任があるのだが、そうした責任をとらないまま、これまでと同じような推進策を継続しようとしているのが実態。こうした推進派は国家、社会、生態系を破壊するリスクを冒してもカネや権力が欲しいのか、あるいは別の目的があるのか・・・。ともかく、彼らは地獄への扉をこじ開けようとしている。 広く知られていることだが、日本が核兵器の研究開発を始めたのは第2次世界大戦の最中。理化学研究所では仁科芳雄を中心にしたグループが「ニ号研究」を、また海軍は京都帝大と「F研究」を進めていた。 大戦に敗北した日本は核兵器の研究開発を中止するのだが、岸信介のような政治家は核武装には積極的で、例えば、1957年には参議院で「たとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈」として持っていると首相の立場で答弁している。 岸の弟、佐藤栄作は1964年2月、科学技術庁長官として原子力委員会に「高速増殖炉懇談会」を設置、プルトニウムへの関心を見せている。その8カ月後、中国が原子爆弾の爆破実験に成功すると核兵器を持ちたいという欲望を抑えきれなくなったようで、1965年に訪米、リンドン・ジョンソン大統領に対して「中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。 佐藤の要求は拒否されるが、1967年11月に訪米した際に佐藤首相は「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」と求め、このときはジョンソン大統領から「私が大統領である限り、我々の約束は守る」という答えを引き出したとされている。そのひとつの結果が、核兵器を持たず、作らず、日本の領土に持ち込ませずという非核三原則なるフィクション。 1967年4月の「原子力開発利用長期計画」で高速増殖炉が初めて取り上げられ、10月には動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が発足している。佐藤の訪米は、その次の年。 そして1969年2月、日本は西ドイツと核兵器開発の問題で協議している。日本側から出席したのは国際資料部長だった鈴木孝、分析課長だった岡崎久彦、そして調査課長だった村田良平。核武装によってアメリカから自立し、超大国への道を歩もうと日本側は西ドイツ側に提案したのだという。 この提案を西ドイツは拒否するが、日本政府は10年から15年の期間での核武装を想定し、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査し、技術的には可能だという結論に達したという。原爆の原料として想定されたのはプルトニウムだ。CIAはこうした動きをつかんでいて、その後、日本側の動きを監視するようになる。 動燃を発足させた目的は高速増殖炉と新型転換炉の開発。1969年6月には「宇宙開発事業団」が設置されている。核兵器と核弾頭の輸送手段の開発を同時に進めていると見られてもしかたがないだろう。動燃はCIAの監視下に入る。 当然、アメリカでも高速増殖炉の研究開発はあり、1972年にはアメリカ最初の高速増殖炉CRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画がスタートした。ところが1976年の大統領選で当選したジミー・カーターはプルトニウムの拡散防止を核不拡散政策の基本理念にすえる人物で、日本の核政策にも疑惑の目を受け、さまざまな制限を課してきた。 が、こうした状況は4年間で終了、ロナルド・レーガン政権でエネルギー省は膨大な資金をCRBRに投入する。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、この頃、すでに日本の研究者が核兵器の開発に関わる研究所を盛んに見学していたようで、このころからある種のアメリカ人は、日本を核武装させるという方針を固めていたのだろう。そうした中、1987年に議会がCRBRの予算を打ち切ってしまう。 そこで、CRBRを推進していた勢力は技術を日本の電力業界に格安の値段で移転しようとする。その前から電力会社は多額の資金を増殖炉の研究に提供していたともいう。日本の研究者は以前にもまして、アメリカの核施設を訪れ、アメリカ側も技術移転計画を実現するため、CIAに情報が漏れないような体制を整えた。 アメリカの国防総省も日本の核武装願望やCRBRの技術移転に気づいていたらしいが、日本が核武装すればアメリカの軍事負担は軽減されるという見方もあり、CIAのようには反対しなかったようだ。 日本が最も欲しがった技術は、兵器クラスのプルトニウムを生産してきたサバンナ・リバー・サイトのプルトニウム分離装置。これは東海村のリサイクル機器試験施設(RETF)へ送られている。すでに核弾頭が製造されているとしても驚きではない。 昨年3月8日付のインディペンデント紙によると、「日本は1年以内に核兵器を開発することができる」と石原慎太郎都知事は語っている。尖閣諸島の問題に火をつけ、日本と中国との間に軍事的な緊張を高めた石原。その人物が原発の過酷事故が起こる直前にこうしたことを語ったとは、少々できすぎ。福島第一原発を含め、日本の核施設を徹底的に調査する必要があるかもしれない。
2012.09.28
昨年3月の東電福島第一原発の「過酷事故」に対する内閣、原子力安全・保安院(経済産業省)、東京電力の対応を見て、世界における日本の評価は大きく下がった。国民の安全には目もくれず、自分たちの利権、都合ばかりを守ろうとする姿勢は世界に不信感を植えつけることになった。 何しろ、いまだに高濃度汚染地帯に子どもを含む住民を放置、内部の状況も明らかにしようとしない。事故はまだ収束せず、不安定な状態が続いているにもかかわらず原発を再稼働させるという無神経さに呆れている人も多い。いや、すでに海中へ放出された膨大な放射性物質が来年あたりからアメリカの西海岸に到達すると言われているわけで、アメリカ人にとっては人ごとでなくなっている。 そんな国の総理大臣が何を国連で言おうと、誰も驚きはしないだろう。が、26日の発言は深刻な意味を持っている。戦後、日本が築いてきた国際的な関係を全て破壊する可能性がある発言だからだ。 記者会見で野田佳彦首相は尖閣諸島について、「歴史上も国際法上もわが国固有の領土であることは明々白々だ。領有権問題は存在しないのが基本で、そこから後退する妥協はあり得ない」と語ったという。これに対し、日本の主張は戦後の国際秩序に対する深刻な挑戦だと中国政府は主張している。 「固有の領土」などこの世には存在しない。日本列島には、さまざまな地域からさまざまな人がやってきた。人類の歴史を考えれば、「日本」という国が登場するのもそれほど昔ではない。その間、先住民の虐殺もあった。 それはともかく、多くの人が指摘しているように、現在の日本は「ポツダム宣言」から始まる。サンフランシスコ講和条約を主導したアメリカもポツダム宣言には拘束されている。この宣言を受け入れ、戦争に敗北したことを認めることで日本の「戦後」は始まるわけである。その中に領土に関する項目がある。それによると:八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ では、小島について連合国はどのように決めたのか? 1946年1月に出された「連合軍最高司令部訓令」によると、日本の領土とは「4主要島と対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島等を含む約1000の島」で、竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島などは除かれている。(孫崎享著『日本の国境問題』) で、そのカイロ宣言には次のように書かれている:右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲,台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ 日本が清国(中国)人から奪った全ての地域を中華民国(中国)へ返還すると明記されている。18世紀に作られた中国や日本の地図では尖閣諸島を中国の支配下にあるとしていることなどを根拠に、カイロ宣言によってこの島々は中国領だというのが中国の主張。 これに対し、日本は1895年1月に尖閣諸島を日本の領土にすることを閣議決定したとして、「固有の領土」だとしているわけだ。が、このタイミングが問題。1894年7月から日本と中国(清)は戦争状態に入り、翌年の3月に日本が勝利して終わった。4月に講和条約が結ばれている。しかも、この閣議決定は官報に掲載されていない。つまり、この決定を少なくとも正式には公表していない。 日本政府は尖閣諸島を沖縄県の属しているとしている。その沖縄県が誕生する経緯を確認しておこう。 明治政府は1871年に廃藩置県を実施するのだが、その後、1872年になってから琉球藩を設置、79年に沖縄県を作った。この不自然な行為は「琉球処分」と呼ばれている。 この謎を解くカギが1871年10月、廃藩置県の2カ月後に起こった事件。宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、何人かが殺されたのである。この事件で日本政府は清に対して被害者に対する賠償や謝罪を要求、1874年には軍隊を台湾に送り込んでいる。台湾へ派兵するため、宮古島の漁民を日本人にする必要があり、そのために琉球藩をでっち上げたわけである。 1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させ、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。 1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると日本政府は「邦人保護」を名目にして軍を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼により、清も出兵。両国軍が衝突して日清戦争が始まるわけだ。尖閣諸島の領土問題が日本の東アジア侵略と深く結びついていることは否定できない。 尖閣諸島の領有権問題は日本の世界における立場を悪くする可能性がある。棚上げが最も日本にとって有利な状態だった。尖閣諸島の問題に火をつけた前原某や石原親子は日本を潰すつもりなのだろうか?アメリカとの関係が噂されている雑誌が煽っているのも興味深い。
2012.09.28
財政危機を理由にして庶民が耐乏生活を強いられているスペインで抗議活動が展開されている。25日には議会へ向かったのだが、平和的に行進していた約6000名のデモ隊に対し、ヘルメット、盾、そして棍棒で身を固めた千数百名の警察隊が襲いかかり、38名が逮捕されたという。警官は棍棒でデモ隊を乱打しており、多くの負傷者がでたもようだ。 経済危機はアメリカ、EU、そして日本を揺るがしている。不公正な仕組みの中で富が一部に集中、社会に循環する資金が枯渇して不景気になるわけだが、日米欧では、さらに庶民から富を搾り取ろうとする政策がとられている。 昔から欧米諸国は武力を使って財宝を略奪したほか、ラテン・アメリカやアフリカでダイヤモンド、金、銀などの資源を奪い去ってきた。王制をでっち上げたり独裁者を作り、その支配者を使ってその国を支配するという手法もとられてきた。 サウジアラビアやヨルダンもそうだが、エジプト、リビア、イランなど革命で潰された王制も傀儡。ラテン・アメリカでは民主的な手続きで成立した政権を軍事クーデターで潰し、独裁体制を作り上げていた。日本の「明治王制」にもそうした側面がある。 ヨーロッパの支配層は溜め込んだ富を隠すためにタックス・ヘイブンを作った。例えばスイス、ルクセンブルグ、モナコといった国々だ。1970年代になると、資産をさらに巧妙に隠し、租税を回避し、マネー・ロンダリングを行う大規模な仕組みができあがる。ロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークである。このネットワークが登場したことに刺激され、アメリカはIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を、日本はJOM(ジャパン・オフショア市場)を創設した。 このオフショア市場ネットワークは麻薬取引などでも利用され、表世界から流れ込んだ資金と一体化している。UNODC(国連薬物犯罪事務所)によると、2008年には麻薬取引の利益3520億ドルの大半がオフショア市場を経由して表の経済システムの中へ吸い込まれたという。麻薬資金は流動性が高く、銀行間ローンで利用され、いくつかの銀行を倒産から救った疑いがあるという。 オフショア市場を経由した資金の一部はヘッジ・ファンドへ流れ込み、投機資金として金融市場を肥大化させてきた。金融市場で博奕を続けている金融機関の儲けが少なくなると金融緩和を行い、破綻すると庶民からカネを巻き上げて救済するわけだ。 資産の隠匿、租税の回避、マネー・ロンダリング等々、オフショア市場で行われている怪しげな操作を放置しておいて財政破綻を解決することなどできない。ギリシャやスペインの庶民が怒るのは当然なのである。
2012.09.26
リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は昨年10月、NATOとアル・カイダ系武装集団によって倒された。反カダフィ派の拠点だった都市がベンガジ。そのベンガジからCIAの仕事をしていた十数名が外へ避難したという。 体制転覆から11カ月後の今月11日、アメリカの領事館と「別館」が攻撃され、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺されたが、その際に情報機関員などの隠れ家を示す文書も盗まれ、CIA関係者は危険の状態になったようである。 中東/北アフリカが四分五裂の状態になることをアメリカの新保守(ネオコン、親イスラエル派)は望んでいたわけで、比較的小規模な勢力が互いに攻撃し合う状況は望んでいたこと。戦乱が広がることは「西側」の戦争ビジネスにとっても悪いことではないかもしれない。が、アメリカ大使を殺害し、CIAの活動を妨害することによる反作用も大きいわけで、違和感を覚える。 このところ中東/北アフリカでは反米デモが繰り広げられている。「サム・バシル」の名前でアップされた「ムハンマド映画予告編」なる映像がYouTubeへアップされたその波は西ヨーロッパへも広がろうとしている。「表現の自由」を理由にしてイスラム教を愚弄する漫画を擁護しても、反イスラムに抗議する「表現」を認めない国が「西側」にはある。 しかし、ベンガジの領事館襲撃に反米デモは関係していない。ベンガジはNATOや湾岸産油国がカダフィ体制を倒す拠点にしていた都市であり、アメリカ人にとって最も安全な場所のはずだった。襲撃される前、領事館の前にデモ隊はいなかったと報道されている。 では、誰が実行したのか? デモ隊の一部が暴徒化したというシナリオはありえない。そこで広まったのがアル・カイダ説。NATO軍の空爆と、サウジアラビアやカタールの支援を受けた地上軍がカダフィ体制を倒したのだが、地上軍の主力はLIFG(リビア・イスラム戦闘団)はアル・カイダ系だった。アル・カイダの内部で抗争が始まったのか、この攻撃自体が何らかの目的を持った芝居なのか、ということになるだろう。 しかし、殺されたクリストファー・スティーブンス大使はカダフィ体制を倒す工作の司令官的な人物。その人物を殺したなら、アメリカ政府を敵に回すことになるのだが、シリアでアル・カイダ系の武装集団はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタールと手を組んでいる。 リビアでカダフィ体制を転覆する際の構図が生きているわけだが、そうした状況でアル・カイダがアメリカ大使を殺害するだろうか、という疑問が残る。そこで、アル・カイダの幹部、アイマン・アル・ザワヒリが個人的に実行したという説が出てくる。 そしてカダフィ派の反撃、いわゆる「緑のレジスタンス」だったという説。カダフィ派の多くは拘束されたり処刑されていると言われているが、そもそもカダフィ体制を転覆するという作戦自体が外国勢力が主導していたわけで、内心は反発しているリビア人も少なくないはず。相当数が地下に潜行している可能性は否定できない。 いずれにしろ、中東/北アフリカが安定する方向へ向かっているとは言えない。アメリカは、日本軍が中国で陥った状況に似ている。
2012.09.26
ドイツのシーメンスがイランに売った核施設向けの装置から爆発物が発見されたとイランの議員が非難している。シーメンス側はイランとの核に関する取り引きを否定しているが、間接的にイランへ売られた、あるいは正常な装置と爆発物を仕込んだ装置とを何者かが入れ替えた可能性はある。 イランの核施設が使っている制御システムがStuxnetという不正プログラムの一種に汚染されたことがある。このプログラムは情報の入手だけでなく、システムのプログラムを書き換えることができ、制御不能にすることも可能。ターゲットになったシステムはシーメンス製だった。 後にFlameというコンピュータ・ウィルスも発見され、StuxnetはFlameの機能拡張プログラムだったと言われるようになる。つまり、StuxnetとFlameは同じ人物、あるいは機関が開発したということ。こうした不正プログラムを使えば、核施設を破壊して周辺を放射性物質で汚染することができる。 1992年には、イランでスイスのクリプトAGが作った暗号ソフトに「秘密のカギ」が組み込まれていることも発覚されている。この会社はシーメンスの管理下にあり、「シーメンスの秘密の子会社」とも呼ばれていた。その背後にはドイツやアメリカの情報機関、つまりBNDやNSAが存在していた。 要するに、シーメンスには「前科」がある。それでもほかの「西側」企業よりは信頼されているのだろうが。 またモサド(イスラエルの情報機関)の元エージェント、ビクター・オストロフスキーによると、アラブ諸国の多くの橋には爆弾が仕掛けられているという。建設の際、爆破破壊の訓練を受けた戦闘員によってコンクリートの中に爆発物がセットされ、いざというときに破壊する手はずになっているのだという。(Victor Ostrovsky & Claire Hoy, “By Way of Deception”/日本版のタイトルは『モサド情報員の告白』) 装置なり建造物に爆発物を仕込むという工作は、決して珍しくないということであり、イラン側の主張も無視することはできない。空爆と組み合わせ、あたかも外部からの攻撃で破壊されたかのように見せかけ、内部で爆破するということもありえる。勿論、超高層ビルの破壊は、軍事施設など警備の厳重な建造物より容易だ。日本の核施設がターゲットになっていないとは言えない。
2012.09.24
アメリカ空軍とネパール軍の合同軍事演習「平和の天使ネパール」が9月10から6日間にわたって実施された。この演習に参加するため、65名のアメリカ兵がカトマンズ入りしたという。「人道的」な作戦なのだというが、旧ソ連圏、中東、北アフリカでは「人道」という看板を掲げながら非人道的な行為を繰り返してきた。「人道的」には何の意味もなく、飾り言葉にすぎない。中国を睨み、偵察活動を実施した疑いが持たれている。 ネパールでは2006年に共和制へ移行しているが、その前はギャネンドラを国王とする王制国家だった。ギャネンドラはCIAと親密な関係にあると言われ、2001年に王室の大半が殺されるという事件を経て国王に就任している。 事件前、南インド周辺に眠る石油や天然ガスの開発が本格化していた。開発の中心だったのはジョージ・W・ブッシュと親しいケアン・エネルギー、リチャード・チェイニー副大統領が会長を務めていたハリーバートン、そしてシェル石油。 開発を順調に進めるためには地域の安定が重要だ。ところがインドとパキスタンの対立だけでなく、ネパールで毛沢東主義グループが王制に揺さぶりを掛けている。こうした状況をエネルギー資本は懸念した。 企業側は徹底的に毛沢東主義グループを弾圧することを望んでいたのだが、当時のビレンドラ国王は流血の事態を避けるため、話し合いで解決しようとしていた。そうした最中の2001年、ネパール国王の一家は皆殺しにされ、CIAと関係が深いと言われるギャネンドラが新国王になったのである。 公式発表によると、王位継承権を持つディペンドラ王子がビレンドラ国王をはじめとする9名を殺害、その後で自殺したとされている。そうした中、ギャネンドラはその場に居合わせず、ギャネンドラの妻と息子も無事だった。 国民の多くは新国王に疑惑の目を向け、体制は不安定化する。2005年に国王は首相を解任、緊急事態令を発令し、基本的人権の一部を制限、政党指導者等を拘束、報道の検閲を実施する。独裁的な権力で国を支配しようとしたわけだが、政党側は毛沢東主義グループと連携して国王に対抗、結局は共和制へ移行した。 2008年に行われた選挙の結果、601議席のうち229議席をネパール共産党毛沢東主義派、115議席をネパール会議派、108議席をネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派が獲得している。共産主義を掲げる2政党が連携すれば過半数になるが、そうした連携は実現していないようで、議会は安定していない。 そうした中、アメリカ、イギリス、イスラエル、サウジアラビアなどがNGOなどを通じ、ネパールでの影響力を強めていると言われている。グルカ兵の存在に注目している人も少なくない。言うまでもなく、グルカ兵とは、イギリス東インド会社が植民地支配の手駒として使った山岳民族出身の傭兵。ネパールではグルカ兵が重要な役割を演じる可能性もある。 アメリカはチベットでダライ・ラマを支援するだけでなく、チベット人をアメリカのロッキー山中で軍事訓練を実施したことも知られている。そのチベットへの工作拠点としてもネパールは注目されている。
2012.09.23
グルジアの刑務所では日常的に囚人が拷問を受けていることが発覚、ミヘイル・サーカシビリ大統領は苦境に立っている。大統領はその実態を知っているだけでなく、思想的に対立している人物を拷問させているとする証言もあり、抗議活動も始まった。 サーカシビリは2003年の「バラ革命」で実権を握った人物。バドリ・パタルカツィシビリなる人物が資金を提供、成功させた「革命」だ。後にサーカシビリと仲違いしたパタルカツィシビリは自分自身も大統領候補として活動を始めるのだが、選挙の年である2008年にロンドンで急死した。 この「革命」を裏から操っていたのが、グルジア駐在のアメリカ大使、リチャード・マイルズだ。ベルグラード駐在大使としてユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチを倒した後、2003年にグルジアへ移動している。つまりサーカシビリはアメリカの傀儡として登場した。 2008年1月にサーカシビリは大統領に再選されるが、その年の8月に南オセチアを奇襲攻撃している。まず南オセチアの分離独立派に対して対話を訴え、その約8時間後に攻撃を始めている。 グルジア軍はアメリカとイスラエルが訓練していた。2008年1月から4月にかけてアメリカの傭兵会社、MPRIとアメリカン・システムズは元特殊部隊員を派遣している。 イスラエルの場合、2001年からガル・ヒルシュ准将が経営する「防衛の盾」が予備役の将校2名と数百名の元兵士を教官としてグルジアへ送り込んでいた。イスラエルは武器も提供している。 イスラエルの専門家は2007年からグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器、電子兵器、戦車などを供給する計画を立てていたとロシア軍の副参謀長を務めていたアナトリー・ノゴビチン将軍は非難、ロシア軍の情報機関GRUのアレキサンダー・シュリャクトゥロフ長官は、イスラエルのほか、NATOの「新メンバー」やウクライナも兵器を提供していると主張していた。 それだけでなく、グルジア政府にはイスラエルに住んでいたことのある閣僚がふたりいた。ダビト・ケゼラシビリ国防大臣(当時)と南オセチア問題で交渉を担当していたテムル・ヤコバシビリだ。ふたりは流暢なヘブライ語を話すことができる。 グルジアは北がロシア、南にはイランが位置し、アゼルバイジャンと同じように、イスラエルにとって軍事的に重要な橋頭堡になっている。石油の輸送ルートという問題だけではない。 南オセチアへの奇襲攻撃に対し、ロシア軍は戦闘車両150両を送り込むなど即座に反撃し、グルジア軍に対する空爆も始めて撃退に成功する。この奇襲攻撃を無謀と言う人もいるが、イスラエルが中心になって練り上げ、準備した作戦だったはずで、勝てると思っていた可能性が高い。グルジアやイスラエルから見ると、ロシア軍が予想外に強かったということだろう。
2012.09.22
リビアのアメリカ領事館が襲われ、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺されたのは9月11日のことだった。この出来事に関し、ヒラリー・クリントン国務長官は「テロリスト」による攻撃だと意味不明のコメントをしたようだ。 今のところ、誰が攻撃したのかは明確でない。アル・カイダ系の武装集団が実行したと考える人が多いようだが、ムアンマル・アル・カダフィ派という説も消えてはいない。そのほかトルコ政府はシリア政府説、イスラエル政府はヒズボラ説、湾岸産油国はイラン説をそれぞれ唱えているようだ。 1990年代からアメリカはアル・カイダを「テロリスト」に分類していたが、リビアのカダフィ体制転覆作戦では手を組んでいる。アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタールなどの国が地上軍の主力として使っていたのがアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)だった。 もし領事館を襲撃したグループがアル・カイダ系の部隊だったとするならば、NATOや湾岸産油国の内部で対立が生じている可能性が出てくる。もし、そうした事態が生じているとするならば、それはアメリカの支配層。新保守(ネオコン/親イスラエル派)と旧保守の対立が激しくなっているということだ。 シリアや東アジアでの動きを見ると、こうした対立が生じても不思議ではないのだが、カダフィ派の作戦という説も排除できない。地元では「緑のレジスタンス」という言葉もあるようで、カダフィが惨殺された後、攻撃が始まったという。 その頃、少なからぬアル・カイダ系の兵士がシリアへ移動、体制転覆を企画したNATOなり、湾岸産油国は資源関連の施設、つまり自分たちの利権を守ることに専念しているようなので、相対的にカダフィ派の影響力が増しているとも考えられる。 カダフィ派の攻撃だったと考えると、構図は単純化する。リビアの体制転覆作戦で現場の指揮官だったスティーブンス大使をカダフィ派が襲ったというだけの話だからだ。もしこの説が正しいなら、NATOや湾岸産油国にとっては嫌な展開。アル・カイダの兵士を増やすか、傭兵会社に頼るか、ということになるだろう。いずれにしろ戦闘が続くことになるが、こうした状況をNATO/湾岸産油国の傀儡政権が乗り切れるだろうか? シリアと同じように、リビアでも「独裁者を倒すために民衆が立ち上がった」という「左翼」好みのシナリオが使われたが、実際は利権を維持/拡大するため、NATOや湾岸産油国がアル・カイダを使って戦闘を始めたというだけのこと。 戦闘が長引いているシリア、カダフィ体制が倒れたリビアでNATO/湾岸産油国派の残虐さは隠しようがなくなり、新体制を支持する国民は多くない。「アラブの春」が始まったチュニジアにしても、ネオコンのジョン・マケイン上院議員やジョー・リーバーマン上院議員と親密な政権ができ、サウジアラビアと関係の深いサラフィ主義者も活発に動いて信教の自由はなくなったようだ。ある人たちに言われれば、「革命は乗っ取られた」という状態。いつ逆襲が始まっても不思議ではない。リビアの大使殺害はそうした動きのひとつだった可能性がある。
2012.09.22
ムハンマドを小児性愛者で、同性愛者で、宗教的な詐欺師で、遊び人で、女たらしで、血に飢えた独裁者として描く「ムハンマド映画予告編」なる映像がYouTubeにアップされ、その内容に怒ったイスラム教徒が抗議活動を続けている。そうした中、フランスの週刊紙「シャルリー・エブド」がムスリムをからかう漫画を掲載した。 この週刊新聞が日頃、どのような「風刺」をしているのかは知らないが、その裏に何らかの思惑が働いていたとしても、売れると思ったから編集者は掲載しただけの話だろう。利益にならないと思ったら載せるはずはない。 最近、日本ではマスコミ業界の中から、「人手と手間が必要なニュース番組は経費がかかる」ので、収支を考えると番組が打ち切られても仕方がないという声が聞こえてくる。座っていれば情報と広告が飛び込んでくるような番組、記事が好ましいということだろう。報道は止めると言っているに等しい。 しかし、カネ回りが良くても「良質な報道」は増えない。コスト(人手と手間)を削減し、収入(広告)を増やすという方針が露骨に打ち出されたのは1980年代、「バブル」の時代だ。当時、有名週刊誌でも優秀なベテランを切り捨て、仕事のできない若手を増やしていた。新聞社でもテレビ局でも通信社でも、気骨のある記者は現場から外され、会社を去って行った人も少なくない。 所詮、マスコミはビジネスにすぎないということ。カネ儲けを意識せずに報道することができたのは、恐らく総会屋がスポンサーの雑誌くらいだ。そうした雑誌は1980年代、総会屋の取り締まり強化にともない、消えていった。 勿論、それ以前も権力犯罪、隠された歴史にマスコミが切り込んでいたわけではない。ロッキード事件が切っ掛けになり、アメリカ支配層が日本を動かす仕組みの一端が明らかになるが、そうした問題に切り込んだのはアメリカのジャーナリストだった。 日本の「人民の将来のために、敗戦以来の、ロッキード疑獄を生じざるをえなかった構造がいかに作られてきたか、を日本のジャーナリストはなぜ追及しなかったのか?」(森詠著『黒の機関』ダイヤモンド社)と反省するジャーナリストは圧倒的な少数派だった。 アメリカ人ジャーナリストが明らかにした情報を突破口にして、アメリカが行ってきた破壊工作(テロ)の実態をまとめたのが拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房)であり、現在はそうした組織が日本支配に果たしている役割を調べている。 昨年3月の東電福島第一原発の事故でこうしたマスコミの実態は広く知られるようになったが、未だに反省していない。原発事故の実態を伝えようとしていたテレビやラジオの番組は打ち切られれ、せいぜいアリバイ工作的に「検証記事」がこぢんまりと掲載されているくらいだ。その一方、原発事故を引き起こした電力会社の幹部、その背後にいた政治家、官僚、学者、そしてマスコミの推進派を追及していない。核燃料サイクル推進の背景に切り込むこともない。
2012.09.21
2006年11月に放射性物質のポロニウム210で毒殺されたアレクサンドル・リトビネンコに関する報告書をロンドン警視庁は作成、その中でリトビネンコとイギリスの情報機関MI-6や治安機関MI-5との関係に触れられている。リトビネンコとMI-6やMI-5との関係はアレクサンドルの妻、マリーナが明らかにしていたが、その詳しい内容をイギリス政府は公表させないと決めたようだ。 ロシアの情報機関FSB(連邦保安局)のエージェントだったリトビネンコだが、殺された時はボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンに改名)という富豪に雇われていた。FSBで働いていた時期とベレゾフスキーに雇われていた時期が重なるとも言われている。リトビネンコがMI-6やMI-5とつながっていたということは、ベレゾフスキーもイギリスの情報機関と関係していた可能性が高い。 リトビネンコの父親、ウォルターはロンドン警視庁に対し、容疑者としてふたりの名前を挙げている。ひとりはベレゾフスキー、もうひとりはベレゾフスキーの市民自由基金を統括しているアレキサンドル・ゴルドファルブ。 ベレゾフスキーはボリス・エリツィン時代のロシアで巨万の富を手にした人物。規制緩和や私有化が推進される中、国が保有していた資産を二束三文で手に入れたオルガルヒのひとりで、チェチェン・マフィアとの関係も指摘されている。ウラジミール・プーチンの体制になってから多くのオルガルヒはロンドンやイスラエルへ亡命した。 ベレゾフスキーの場合はロンドンへ逃れたが、イスラエルの市民権は持っていた。リトビネンコは殺される数週間前、ロシアの石油会社ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンと会うためにイスラエルを訪れていることを考えると、ロンドンとイスラエルを結ぶネットワークが存在すると言えるだろう。 ロンドンはオフショア市場ネットワークの中心、つまり世界規模で広がる地下経済の本拠地であり、富豪の逃げ込み先としては最善の場所なのかもしれない。そこでベレゾフスキーは多くの富豪と親しくしているが、そのひとりがジェイコブ・ロスチャイルド(ロスチャイルド卿)。 そのほかにも、現在は盗聴事件の責任が問われている「メディア王」のルパート・マードック、1980年代に「ジャンク・ボンド」を売りまくり、ウォール街の敵対的買収を下支えして違法行為にのめりこんだマイケル・ミルケン、ジョージ・W・ブッシュ・ジュニアの弟でS&Lスキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュとも昵懇だ。 バドリ・パタルカツィシビリとも親しく、2003年に亡命が認められた後にこの人物が保有するプライベート・ジェットでグルジアへ乗り込んでいる。グルジアの「バラ革命」は、パタルカツィシビリが資金を提供している。この「革命」で黒幕的な役割を果たしたのはグルジア駐在のアメリカ大使だったリチャード・マイルズだ。ベレゾフスキーもロシアを揺さぶるため、ロシア周辺国の反ロシア派に資金を提供している。ウクライナの「オレンジ革命」の場合、スポンサーは彼だった。
2012.09.21
前原誠司や石原慎太郎/伸晃といった政治家の言動が引き金になり、日中関係は急速に悪化した。恐らく、中国への挑発的な姿勢も核エネルギーへの執着も根は一緒だ。 中国では多くの都市で反日デモが繰り広げられ、尖閣諸島(釣魚台群島)の周辺には中国の海洋監視船や漁業監視船が集まり、大規模な漁船団も現れるという話が流れる事態になっている。尖閣列島の問題を棚上げするという合意を反故にするなら、日本は経済的に破綻するだけでなく、軍事衝突も覚悟しなければならないことを示したと言える。 過去の言動を見る限り、中国を挑発してきた前原や石原親子はネオコンの影響下にあるようで、挑発の黒幕はネオコンだという可能性が高い。このネオコンを抑えるためには主流派を引き出す必要がある。 主流派にしても日本企業が中国から排斥されるだけでならありがたい話だが、軍事衝突が見通されるようになれば話は違ってくる。国内で反日デモが荒れ狂い、尖閣諸島の周辺に1000隻もの中国漁船が現れれば、軍事衝突が起こっても不思議ではないわけで、主流派が動き出す状況だ。 そして、今月17日にはアメリカのレオン・パネッタ国防長官が中国を訪問。その直前、長官は日本に立ち寄っているのだが、そのときに尖閣諸島の領有権問題でアメリカは中立だと表明している。これは日本への警告とも受け取れる。何をやってもアメリカが味方だとは思うなということだろう。 中国でパネッタ長官は梁光烈国防大臣と話し合ったほか、習近平国家副主席とも会っている。戦争ビジネスと緊密な関係にあるヒラリー・クリントン国務長官との会談をキャンセルした次期最高指導者の習副主席が出てきたことは興味深い。 今月17日にはソマリア沖で実施された海賊対策の演習にアメリカ軍と中国軍の艦船が参加しているが、そうした両国軍の関係を強めるため、2014年に予定されている環太平洋合同演習に中国軍の艦船も参加するように招待したとパネッタ長官は発言した。 パネッタ長官はマーティン・デンプシー統合参謀本部議長と同様、イスラエル政府の好戦的な姿勢を抑えようと動いている人物でもある。バラク・オバマ大統領と同じように、アメリカ支配層の主流派に近いのだろう。つまり、ネオコン(親イスラエル派)とは一線を画している。 先月の20日、アフガニスタンでデンプシー議長が使っている航空機がロケット弾で攻撃されたが、これも主流派とネオコンの対立が関係しているかもしれない。イスラム教を侮辱する映像が引き金になって反米デモが始まったのも怪しいと見る人がいる。 アメリカ支配層の内部には、中国やロシアも攻撃リストに入れているネオコンが存在、その手駒として日本は動いているが、ネオコンが絶対的な力を持っているわけではない。しかも、ネオコンの戦略は破滅的だ。 中東では現在、イギリス、フランス、アメリカ(ネオコン主導)、トルコ、サウジアラビア、カタールなどがアル・カイダ系の武装集団などを使ってシリアの体制転覆を目指し、事実上の軍事介入をしている。当初からトルコは反政府軍を保護、NATOによる訓練を助け、軍事拠点を提供してきた。偵察機をシリア領空に侵入させて撃墜されたりしている。 その結果、隣国を敵にして経済活動は止まり、国境周辺は不安定化、戦闘で死傷者が出る事態になっている。結局、トルコは孤立し、国民は政府から離反しつつあるが、すでに泥沼から抜け出せなくなっている。日本はトルコと同じ間違いを犯している。
2012.09.19
昨年12月12日、「ハドソン研究所」で石原伸晃は講演し、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やせと主張、TPPにも好意的な姿勢を見せた。そして講演のタイトルは「日米関係:新世界秩序における重要なパートナーシップ」。つまり「新世界秩序」を目指すという立場だ。 この「新世界秩序」が具体的に何を指して知るのかは明確でないが、ハドソン研究所はネオコン(親イスラエル)系であり、ネオコンが新世界秩序をどのように考えているのかを知れば、推測できるだろう。 多くの人が「新世界秩序」について語っているが、中でもジョージ・H・W・ブッシュが1990年9月11日に行った演説は有名だ。イラク軍のクウェート侵攻を受け、軍事介入が見通されている中で行われ、イラクを潰せば平和な「新世界秩序」の時代が来るかのように話していた。 それに対し、軍事力で世界を制覇することを露骨に主張していたのがネオコン(親イスラエル派)。本ブログでは何度も登場しているアンドリュー・マーシャル、国防総省のシンクタンク、ONAで室長を務めている人物の「理論」に基づいて1992年に作成されたDPG(国防計画指針)の草案がベースになっている戦略だ。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、DPGが作成される前に、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は、旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを掃除するとしていた。 それだけでなく、2001年9月11日の直後、ジョージ・W・ブッシュ政権はアフガニスタンに続き、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃することを決めていたともクラーク大将は語っている。「9/11」を利用して別のプランを始動させようとしたのだ。2006年に実施された演習「ビジラント・シールド07」では、ロシア、中国、朝鮮も攻撃のターゲットになっていたようだ。 そして現在、リストに載っていた国々の大半は戦乱で破壊され、次のターゲットはイランに定めている。ただ、バラク・オバマ政権はブッシュ・ジュニア政権ほどネオコンの影響力が大きくないため、イスラエル政府と激しい綱引きが続いている。中国の問題では、前原誠司と石原慎太郎/伸晃が日中関係を破壊する切っ掛けを作り、マスコミが火に油を注いでいた。 ネオコンの支配という点で言うと、日本政府の方が強く影響されている。マーシャルはソ連消滅後、「中国脅威論」で飯を食っている。その「理論」に合わせ、喜んで踊っているのが日本の「エリート」たち。そして現在の状況を作り出したわけだ。ネオコン信者は「新世界秩序」という「地上の楽園」を夢見て「聖戦」を戦っているつもりなのかもしれないが、勿論、それは妄想にすぎない。どこかのカルト教団と同じだ。
2012.09.18
シベリア東部に直径100キロメートルほどの隕石によってできたクレーターがある。その付近に少なくとも数兆カラット、今後、3000年間は世界の需要を賄える量のダイヤモンドが眠っていることをロシア科学アカデミーシベリア支部地質学・鉱物学研究所の学者たちが明らかにした。しかも、その硬さは通常の2倍という特質があり、地球でなく宇宙で作られ、隕石として地上に落ちた可能性が高いようだ。 言うまでもなく、現在のダイヤモンド産業は強固なカルテルによって生産が調整され、価格が維持されている。生産調整の中心にあるのがDPA(ダイヤモンド生産者組合)で、そこからDTC(ダイヤモンド貿易会社)が一括して買い上げ、CSO(中央販売機構)が販売するという仕組みになっている。この仕組みを支配しているのがデビアス。 1866年に南アフリカで農夫がダイヤモンドを発見、人びとが吸い寄せられていく。そのひとりがセシル・ローズ。NMロスチャイルド&サンの融資を受けて1871年にダイヤモンド取引に乗り出すのだが、その一方でオックスフォード大学で学び、そこでフリーメーソンに入会している。 1888年にローズはデビアスを設立、91年にロンドンでウィリアム・ステッドとレジナルド・バリオル・ブレットに会い、「選民協会」なる秘密結社を創設したと言われている。ステッドはジャーナリストであり、ブレッドはビクトリア女王の相談相手だ。 ステッドは1890年代に霊的な世界への関心を深め、1893年には「ボーダーランド」なる季刊誌を発行したことでも知られている。この当時、ヨーロッパ、特にイギリスでは降霊会がブームだったことも影響しているだろう。このブームは一部の国の支配層の間で現在も続いていると言われている。 1896年にローズの部下がトランスバールへ攻め込み(ジェイムソン侵入事件)、ローズは失脚する。ローズの計略を引き継いだのがイギリス政府で、結局、トランスバールとオレンジ自由国を併合してしまった。(ボーア戦争)この2領地にケープ植民地を併合させた国が南アフリカである。 ローズは1902年に死亡、その直前からアルフレッド・ミルナーが後継者として動き始めている。「ミルナー幼稚園」や「円卓グループ」を設立、「バルフォア宣言」(イギリスのアーサー・バルフォア外相がロスチャイルド卿宛ての書簡)を実際に書いたことでも知られている。 デビアスの支配構造は現在に至るまで壊れていないが、1970年代の後半から1980年代の前半にかけて揺らいだことはある。イスラエルの台頭が原因だった。 戦争ビジネスと並ぶイスラエルの基幹産業はダイヤモンドの加工。当初、デビアスや金融機関はイスラエルのダイヤモンド産業を支援していたのだが、デビアスに対抗する動きを見せ始め、対立することになった。リクードが台頭した時期と重なる。サブラとシャティーラの難民キャンプでパレスチナ人を虐殺、イランへの武器密輸やニカラグアの反政府ゲリラ支援をしていたのもこうした時期だ。 その後、原石の買い付けはデビアス、研磨加工はイスラエルといように役割分担ができあがったようだが、ロシアのダイヤモンドがどのようなインパクトを与えるかは不明だ。 今のところ、シベリア東部のダイヤモンドは工業や科学の分野で使われる可能性が高いため、宝飾用のダイヤモンドとは競合しないようであり、ロシアとしてもダイヤモンド市場を崩壊させるようなことはしないはず。これまで約40年の間、発見を隠していたのも、多額の資金を投下していた人工ダイヤモンドへの悪影響を懸念してのことだ。ただ、状況によっては大量売却を「武器」として使う可能性はある。
2012.09.18
中国と日本との関係は極度に悪化しつつある。引き金は前原誠司や石原慎太郎の尖閣諸島(釣魚台群島)に関する挑発的な言動。日本企業が中国から排除されることで止まるならば、アメリカの主流派にとっても悪くない話だが、軍事衝突に発展したならば話は違ってくる。主流派とネオコン(親イスラエル派)、アメリカ支配層の内部で綱引きがこれから始まりそうだが、日本で実権を握っている勢力はネオコンの配下に入っている。 東アジアにおける軍事的な緊張は2009年10月から一気に高まった。韓国の艦船が1日に10回も領海を侵犯していると朝鮮が非難、11月には韓国と朝鮮の艦船が交戦、翌年の3月には両国の紛争海域で韓国の哨戒艦「天安」が爆発、沈没したのだ。 後に韓国の李明博政権は朝鮮の攻撃が沈没の原因だと主張するが、事件当時は近くの海域で韓国軍とアメリカ軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施、韓国軍は警戒態勢に入っていたはずで、朝鮮側にそうした警戒態勢を突破して攻撃、そのまま無事に引き上げる能力があるとは考えにくい。 李政権のシナリオに対する疑問は韓国やアメリカの内部からも出ている。例えば、ロサンゼルス・タイムズ紙は次のような疑問を提示している。(1)なぜ「朝鮮犯行説」を沈没から2カ月後、選挙の直前に発表したのか(2)米韓両軍が警戒態勢にある中、朝鮮の潜水艦が侵入して哨戒艦を撃沈させたうえ、姿を見られずに現場から離れることができるのか(3)犠牲になった兵士の死因は溺死で、死体には爆破の影響が見られないのはなぜか(4)爆発があったにもかかわらず近くに死んだ魚を発見できないのはなぜか(5)調査団の内部で座礁説を唱えていた人物を追放したのはなぜか 韓国駐在大使を務めた経験を持ち、ジョージ・H・W・ブッシュとも緊密な関係にある元CIA高官のドナルド・グレッグも疑問の声を上げた。6月に調査団を派遣したロシアからの情報という形で、天安号が沈没した原因は魚雷でなく、機雷が原因だった可能性が高いと語っているのだ。 ブッシュ・シニアの側近が声を上げたということは、朝鮮を使って東アジアの軍事的緊張を高める動きにアメリカ支配層の主流派がブレーキをかけてきたと考えることができるだろう。そうしたときに引き起こされたのが中国漁船に対する取り締まり。 2010年9月、尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を、海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕したのだ。漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていた。海上保安庁は国土交通相の外局。事件当時の国土交通大臣は前原誠司だ。 そして2011年12月、ネオコンのシンクタンクとして有名な「ハドソン研究所」で石原伸晃が講演、尖閣諸島を公的な管理下に置き、自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすべきだとしたうえ、TPPにも好意的な姿勢を見せた。 ハドソン研究所は1961年にハーマン・カーンが創設したシンクタンク。カーンはカリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業した後、1947年に国防総省系のシンクタンク、ランド・コーポレーションに入って戦略分析を担当、61年に独立してハドソン研究所を作っている。ネオコンの「カリスマ」、アンドリュー・マーシャルはカーンより2年遅れてランド入りしている。 1970年代に入るとカーンは日本を持ち上げ、おだてるようになる。この頃から日本の中にネットワークを築き始めた、つまり支配体制を改造し始めたのだろう。当時、アメリカではデタントへ舵を切ったリチャード・ニクソン大統領が失脚、好戦派やネオコンが実権を握っている。その時に台頭した人物の中には、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ポール・ウォフォウィッツも含まれていた。 そして今年4月、石原慎太郎はネオコン系のシンクタンク「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで講演し、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示したという。都庁の担当者は寝耳に水だったようで、このプランもアメリカで吹き込まれた可能性がある。この買取計画が現在、中国で広がっている反日デモの直接的な原因。 7月になると野田佳彦首相は「尖閣を含む領土・領海で不法行為が発生した場合は、自衛隊を用いることも含め毅然と対応する」と発言、その翌日には森本敏防衛相も尖閣諸島で「自衛隊が活動することは法的に確保されている」と述べている。8月には日本の地方議員5名を含む10名が尖閣諸島に上陸、日の丸を掲げて中国人を挑発した。 議員らが上陸した直後、フォーリン・ポリシー誌に日本と中国が尖閣諸島をめぐり軍事衝突した場合の展開を予測する論文が掲載された。アメリカ軍が加わらなくても日本が有利だとする内容で、書いたのはアメリカの海軍大学で戦略を研究しているジェームズ・ホルムス准教授。日米安保はアメリカのに尖閣諸島を守る義務がないことが指摘されていることを意識しての論文だろう。 この論文で気が大きくなったマスコミもあるようだが、ならば、「中国の脅威」は嘘八百だったということ。ジョージ・W・ブッシュ大統領も宣伝していた中国脅威論はONAのマーシャルから吹き込まれた話。この主張を批判していたのが米太平洋軍の司令官だったデニス・ブレア提督。ホルムスとマーシャルの分析は両立しないのだが、その矛盾を日本のマスコミは気にしていないようだ。勿論、原発を含む核施設が攻撃されることも想定していない。
2012.09.17
現在、イスラム世界では反米デモが広まり、中国では反日デモが繰り広げられている。反米デモはYouTubeへ「サム・バシル」の名前でアップされた「ムハンマド映画予告編」なる映像が、反日デモは前原誠司や石原慎太郎の挑発的な言動がそれぞれ切っ掛けになっている。 昨年春に始まったリビアの反政府行動も源流をたどると、イスラム教を創設した預言者ムハンマドの「風刺画」に行き着く。2005年9月、デンマークの新聞がムハンマドの漫画を掲載、イスラム教徒は嘲笑われることに耐えねばならないと書いたのが始まりだ。 イスラム教では偶像崇拝が厳格に禁じられ、ムハンマドの絵を描くこと自体が問題だったのだが、その絵がイスラム教を嘲笑する内容だったことから新聞社の近くで5000人ほどが平和的なデモを行っている。 風刺画であろうと報道であろうと、その対象を攻撃することになったり人権を侵犯することになるのは避けられないわけで、テーマは慎重に選ばなければならない。好意的に取り上げたとしても、対象が少数派や弱者の場合は情報が権力者や体制に利用され、悪い結果をもたらすこともある。 2005年のデンマーク政府もそうだったが、「西側」では「言論の自由」なる標語がよく持ち出される。が、「西側」ではイスラエル批判が難しく、パレスチナ人に対する破壊と殺戮は放置されたままであり、権力犯罪を発表することも厳しく規制されている。1982年9月16日にサブラとシャティーラにいたパレスチナ難民がイスラエル軍とファランジスト党によって虐殺されたことを「西側」のメディアは覚えているのだろうか? 例えば、日本のマスコミは原発の問題を取り上げたがらず、「安全神話」を広めることに熱心だった。このことは昨年の東電福島第一原発事故で広く知られるようになったが、同じ核エネルギーでも核兵器の問題は今でもタブー視されている。 また、アメリカの支配層が民主主義体制を潰してきた事実もタブー。1933年にアメリカの金融界がクーデターを計画、フランクリン・ルーズベルト政権を潰してファシズム体制を樹立しようとした事実を学者も記者も口にしてこなかった。OPC、COG、グラディオなどについて聞いたことのある人も少ないだろう。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 報道機関を設立するためのコスト、主な収入源である広告主の影響力、立派な肩書きの「専門家」は「御用」をしているため、情報が偏ってくること、体制側の圧力団体、社会を支配している(体制が民衆に仕込んだ)イデオロギーなどで報道は規制されているが、それだけでなく、第2次世界大戦の後にアメリカの支配層はメディアをコントロールする仕組みを作り上げている。 モッキンバードとも言われている仕組みで、その中心メンバーは4名だった。つまりアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙のオーナーだったフィリップ・グラハムだ。 ダレスは後の国務長官、ジョン・フォスター・ダレスの弟でウォール街の弁護士。大戦中は破壊活動を指揮、ウィズナーやヘルムズはその時の部下。後にCIA長官に就任、ジョン・F・ケネディ大統領に解任されるまでそのポストについていた。ウィズナーもウォール街の弁護士で、大戦後、極秘の破壊工作機関OPCを指揮している。ヘルムズは新聞で働いていたのだが、祖父のゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家。後にCIA長官になる。グラハムの義理の父、ユージン・メーヤーも金融界の大物で、世界銀行の初代総裁を務めている。破壊活動と同じように、プロパガンダは金融界が産み落としたわけだ。 要するに「西側」の「言論」とはこの程度の代物。その中でも最低ランクに位置しているのが日本の新聞、雑誌、放送、出版。だからこそ、「マスゴミ」と呼ばれるわけだ。 それはともかく、2005年の漫画に対する抗議活動はリビアにも波及、その活動は反カダフィ派によって反政府運動へと方向転換し、昨年2月に行われた「反乱の日」につながる。 その時に何が起こったのかはよくわかっていないが、後に地上軍はアル・カイダ系の武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)が中心的な役割を果たしているので、このグループが当初から反政府運動に関わっていた可能性は高いだろう。このLIFGがNATOや湾岸産油国と手を組んでムアンマル・アル・カダフィ体制を倒したわけである。 ちなみに、シリアのケースでもそうだが、湾岸産油国のひとつ、カタールのアル・ジャジーラはカタール政府のプロパガンダに徹し、正しい情報を流していないようで、情報源としては役に立たない。 今回の反米デモは方向転換しないまま暴走し始めているようだが、これは計画通りなのか、計画にないことなのか、現段階では何とも言えない。近づくアメリカの大統領選でミット・ロムニー候補を勝たせたい勢力が仕掛けている可能性もある。リビアの体制転覆を指揮したと言われているクリストファー・スティーブンス大使の殺害には内通者が協力したと見られているが、これは口封じだった可能性があるということだ。中国での反日デモでも反政府勢力が方向転換を図る可能性があるが、これも現段階では何とも言えない。 1989年6月にあった「天安門事件」でも反政府運動を主導したグループの計画を超えた動きがあった。事件を目撃したジャーナリスト、あるいはWikiLeaksが公表した文書で天安門広場での流血はなく、広場から1.6キロメートルほど離れた場所で治安当局と労働者が衝突したという。これも主導グループの思惑を超えた動きだったようだ。 現段階はともかく、今後、中国の反日デモとイスラム世界の反米デモが合体する可能性も否定できない。中国の反政府活動ではウイグル出身者が中心的な役割を果たしてきたようだが、この地域にはアル・カイダ系の集団が勢力を伸ばしていると言われているからだ。ロシア南部での反政府活動もアル・カイダが介在している。このアル・カイダを組織、育成したのはアメリカ支配層だということを忘れてはいけない。
2012.09.16
中国で反日デモが激しくなっているようだ。言うまでもなく、日本経済にとっては深刻な事態。「エリート」の強欲な政策で日本社会が破壊されてしまった現在、生産拠点であると同時に巨大なマーケットでもある中国との関係が悪化すれば、日本の経済活動は致命的な打撃を受ける。 今回の騒動を引き起こした最大の責任は前原誠司、石原慎太郎、そしてマスコミにある。事実に基づかない主張でもアメリカと「同盟」を組んでいれば何でも通ると思っているのかもしれないが、アメリカは日本と中国との関係悪化を望んでいるだけだ。 そのアメリカは現在、世界規模でBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)をはじめとする国々と「経済戦争」を展開している。中東やアフリカ大陸での資源をめぐる争いも熾烈だ。前原や石原が始めた挑発行為も背後にはアメリカがいると中国政府は理解しているはず。おそらく、今回の厳しい対応はアメリカを見据えてのものだ。 前原も石原もアメリカに使われているだけ。その石原は作家だという。作家は現実と乖離した空想の世界を描くことが生業なわけで、妄想の中で遊んでいてもかまわないのだが、石原には東京都知事という顔もある。都知事が妄想の中に浸っていては困るのだ。その妄想に拍手喝采を送るマスコミも救いがたい。 自分は安全な場所にいて、気に入らない相手に悪態をつき、場合によっては配下の者に暴力を使わせる。こうした類の人間を「チキン・ホーク」、つまり腰抜け(チキン)のタカ派という。アメリカでいうとネオコン(親イスラエル派)。類は友を呼んでいるのか? 明治維新以降、日本が東アジアで行ったことに対する積年の恨みが中国人にはあり、その恨みが噴出したなら、日中関係を修復することは難しくなる。アメリカの支配層は現状を見ながらほくそ笑んでいるだろう。いや、裏から煽っている可能性がある。 アメリカ支配層は、ある国の体制を自分たちに都合良く作り替えようとする場合、先ず社会を不安定にする。プロパガンダから始まり、融資の打ち切り、経済制裁、デモ、ストライキといった手法が使われることも多い。体制が揺らぎ、混沌とした状況にしてから手駒を使った軍事クーデター、あるいは直接的な軍事介入へと進み、巨大企業が乗り込んでくる。そうした意味で、中東/北アフリカで反米デモで混乱が広がっている状況は欧米支配層にとって悪くない展開。 今年の初めにはロシアでも揺さぶりを掛けている。 1月14日にマイケル・マクフォールがアメリカ大使としてモスクワに到着、その3日後にロシアの反プーチン/親アメリカ(親ウォール街)派のリーダーがアメリカ大使館を訪れている。「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらだ。 アメリカにはCIAの資金を流すパイプ役としてNEDという仕組みが作られている。戦略31はNEDから、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほか、フォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてUSAID(米国国際開発庁)から、またGOLOSもやはりNEDから資金を得ている。 中東/北アフリカで反米デモが行われているのは、領事館が襲撃されてアメリカ大使が殺されたリビアのほか、エジプト、イエメン、スーダン、レバノン、チュニジア、そしてさらに広がっている。長年にわたって資源を略奪し、イスラエルによるパレスチナ人社会の破壊と殺戮を容認してきた「西側」に対する人びとの怒りが爆発したということは確かだろうが、その爆発を仕掛けた勢力がいるようにも見える。ただ、事態が計画者の思惑を超えて暴走することも珍しくないわけで、今後、アメリカの思惑通りになるとは限らない。
2012.09.15
アジアの東と西で地域を不安定化させる挑発的な動きがあった。東では前原誠司と石原慎太郎がマスコミと共同で近隣諸国との関係を悪化させ、西ではイスラム教の預言者を愚弄する映像によってアメリカ大使が殺されるという事態になっている。 尖閣諸島(釣魚台群島)の領有問題の「棚上げ」を止め、自分たちの領土だと主張することは、日本にとって有利だと言えない。このことは、例えば孫崎享が『日本の国境問題』(ちくま新書)で明確にしている。少なくとも「日本固有の領土」という主張は荒唐無稽であり、世界にでれば通用しない。 その問題を封印する取り決めをしたのは1972年、田中角栄と周恩来の会談において。周は「大同を求めて小異を克服」すべきだと提案、田中は「具体的問題については小異を捨てて、大同につくという周総理の考えに同調する」と応えたとされている。 この辺の詳しい事実関係は『日本の国境問題』を読んでもらうとして、ともかく周恩来は領土問題を「棚上げする」と提案、田中も同意したのである。つまり、中国側にとってこの合意は日本側の実効支配に異を唱えられなくなった、つまり軛になったということ。 この軛を前原や石原はマスコミを巻き込み、外してしまった。そして8月14日、中国の海洋監視船6隻が尖閣諸島の近くに現れる。日本側は日本の領海に侵入したと主張しているが、当然のことながら、中国側は中国の領海における正当な業務を遂行中であり、海上保安庁の巡視船に対して領海から出るように求めている。中国も国内法で粛々と業務を行うというわけだ。 また、中国側は16日に休漁期間が終わると大量の漁船が出港するとしている。1978年に中国漁船140隻が尖閣諸島の周辺に集結、そのうち約10隻が日本が主張する領海の中に入って動こうとしないという出来事があったが、今回は140隻で収まるのかどうかわからない。中国の農業省漁業局幹部は、中国の主権と漁民の安全を断固保護し、管理を強化すると述べたともいう。一歩間違えれば、軍事衝突ということだ。 勿論、武力で全てを思い通りにできるわけではない。アフガニスタンに続き、イラク、リビア、シリアというようにアメリカは軍事介入してきたが、思惑通りにことが運んでいるとは思えない。中国と軍事衝突に発展したなら、まず中国が「西側」に保有する資産を凍結しなければならないだろうが、様々な製品の生産を中国に依存しているわけで、アメリカは崩壊してしまうだろう。 常識的に考えれば中国やアメリカは戦争を回避したいだろうが、軍事的な緊張が高まって戦争に向かって動き出したなら、コントロールは不能になる。どういう展開になるかは誰にもわからない。だからこそ、軍事的な緊張を高めてはいけないのだが、前原と石原はブレーキを外してしまい、マスコミは拍手喝采だ。メンタリティは戦前と全く替わっていない。そのマスコミが応援している橋下徹がどのような人間かは言うまでもないだろう。 また、中東/北アフリカで反米感情を爆発させる切っ掛けは、7月2日にYouTubeへ「サム・バシル」の名前でアップされた「ムハンマド映画予告編」なる映像。「サム・バシル」はカリフォルニアに住むナコーラ・バッセリー・ナコーラで、2010年に詐欺で有罪判決を受けていたとされているが、これも事実かどうかは明確でない。 映像は稚拙なものだが、ムハンマドを小児性愛者で、同性愛者で、宗教的な詐欺師で、遊び人で、女たらしで、血に飢えた独裁者として描いている。9月になってアラビア語版がアップされ、騒ぎになったようだ。 ただ、リビアのアメリカ領事館を襲撃したグループは「映像に怒った住民」ではなく、訓練を受けた戦闘員だった可能性が高い。しかも襲撃の48時間前にはリビアとエジプトの領事館が襲撃されるという情報をアメリカの国務省は入手していたという。その対策が講じられていたとは思えない。 クリストファー・スティーブンス大使はドイツ、オーストリア、スウェーデンを訪問してリビアへ戻ったばかりで、その日に領事館に現れることは秘密だったという。大使が狙われていたとするならば、内部情報が漏れていた可能性がある。 襲撃の際、領事館から書類が盗まれていて、そこには情報機関の隠れ家やリビア人協力者の名前も書かれていたという。アメリカ政府にとっては深刻な事態だ。 領事館を襲撃したのはサラフ主義者、あるいはアル・カイダだと言われている。どちらにしろ、ムアンマル・アル・カダフィ体制を倒す際にアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタールがアル・カイダ系の武装集団を使っていた。シリアでも同じ構図になっている。 今回のアメリカ領事館襲撃は「西側」にとって予想外の副作用だったのか、「西側」も含めた作戦の一環だったのか不明だが、いずれにしろ平和へは向かっていない。 ネオコンが1990年代の諸島に描いたプランでは、潜在的なライバルは潰してしまうことになっていた。アジアの東と西を破壊できれば、そのプランに合っているかもしれないが、アメリカ自体を破滅させることになる。アメリカの破滅も計算に入れているのかもしれないが。
2012.09.14
リビア東部の都市、ベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺されたという。ベンガジの周辺には油田が多く、ムアンマル・アル・カダフィ時代には分離独立派の拠点だった。サヌーシ教団が大きな影響力を持ち、歴史的にイギリスとの関係も深い地域だ。 サヌーシ教団はイスラム系の宗派で、1951年にリビアが「独立」した際には教団を率いていたムハンマド・イドリースが国王(イドリース1世)に選ばれた。1969年にこの王制を倒したのがカダフィたちだ。 NATOの空爆とアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)を主体とする地上部隊がカダフィ体制を倒した後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その様子を撮影したとする映像がインターネット上で流れている。ベンガジはサヌーシ教団/王党派だけでなく、アル・カイダの影響下に入ったということだろう。 そのアル・カイダは戦闘員をシリアへ移動させ、バシャール・アル・アサド体制を倒そうとしている。当然、武器も運び出された。マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 その結果、リビアにいるアル・カイダの勢力は少なくなっているはずだが、それでもゼロではない。アメリカ領事館を襲撃したのはアル・カイダ系の武装グループだとする説もあるようだが、その可能性はある。 シリアで住民を虐殺していると非難されているスンニ派のサラフ主義者が今回の領事館襲撃にも関係しているとする話もあるが、サラフ主義者とアル・カイダは重なる部分が多く、別の集団を指しているとは言えない。ちなみに、サラフ主義(サラフィーヤ)とはサラフ(先祖/イスラム初期)を理想とするイスラム改革運動で、その中にサウジアラビアの国教、ワッハーブ主義も含まれている。 ワッハーブ派は現在、ムスリム同胞団と近い関係にあると言われている。ムスリム同胞団は1928年、ハッサン・アル・バンナによって創設されているのだが、その源流は19世紀に始まった汎イスラム運動だという。 ムスリム同胞団は1952年、ガマール・アブデル・ナセルのグループと手を組み、エジプトの王制を倒した。その後、同胞団はナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化され、多くのメンバーがサウジアラビアなどへ逃れた。そのときにムスリム同胞団とワッハーブ派は近づいたとされている。 リビアのカダフィ体制を倒したのはアメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタールといった国々、そしてリビア国内の分離独立派やアル・カイダ系の武装集団。カダフィ体制が倒されてリビアは民主化されたと宣伝されてきたが、その実態は無政府状態で、拉致、拷問、虐殺が続いているようだ。今回の襲撃はそのひとつの結果にすぎない。 今回の襲撃はイスラム教の預言者、ムハンマドを冒涜する映像が原因だとされているのだが、この映像自体、中東/北アフリカの戦乱をさらに燃えがらせるために制作されたという見方もある。ある種の人々に取って戦乱はカネを生み出す打ち出の小槌であり、イスラム世界を疲弊させることができる。 そもそも、アル・カイダ系の武装集団を使った時点でこうした展開は予想できたはずであり、これもNATOや湾岸産油国がたてた作戦のうちと見られても仕方がない。そして現在、シリアでもNATO、湾岸産油国、アル・カイダ系武装集団は手を組み、体制転覆を目指している。
2012.09.13
日本が東アジアで孤立しつつある。特に深刻なのは中国との関係悪化。その主因は領土問題に火がつけられたことにある。「放火」した人物は前原誠司と石原慎太郎だ。 現在、日本が抱えている領土問題は「北方領土」、竹島(独島)、尖閣諸島(釣魚台群島)の3つ。それぞれロシア、韓国/朝鮮、中国/台湾と関係している。最近、最も大きな問題になっているのは尖閣諸島である。 尖閣諸島に関しては、田中角栄政権の時代に「棚上げ」になり、日本が占有する形で推移してきた。その問題に火をつける事件が引き起こされたのは2010年9月のことた。諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕したのだ。この海上保安庁は国土交通相の外局で、事件当時の国土交通大臣は前原誠司。事件の直後、外務大臣に就任している。 漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていた。このことは事件直後に自民党の河野太郎議員が指摘している。 日中関係を悪化させる原因を国交省が作ったとしても、本来なら外務省がカバーすることになるのだが、国交大臣と外務大臣が同一人物では話にならない。この人事自体、菅直人政権が中国との関係悪化を望んでいたことを示している。 日本と中国との関係悪化でさまざまな影響が出ている。特に、日本企業の中国における経済活動への影響と東アジアでの軍事的な緊張は大きな問題だろう。経済活動には生産と販売の両面があり、中国との関係が悪化した場合、少なからぬ日本企業が破綻する可能性がある。 アメリカから見ると、尖閣諸島の問題がこじれると、中国からライバルの日本を排除、日本の対米依存を高めることができる。軍事的な緊張はアメリカの軍や戦争ビジネスにとっては願ってもないことであり、ネオコン(親イスラエル派)の潜在的ライバルを潰すという戦略にも合致する。 1991年にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になったと言われた頃、ネオコンはソ連に替わるライバルの登場を阻止するための戦略を練り上げた。その第1弾とも言えるものが1992年に作成された「DPG(国防計画指針)」の草稿。 この草稿を書き上げた当時はジョージ・H・W・ブッシュ政権で、リチャード・チェイニー国防長官、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官、I・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドのネオコン・ラインが担当していたのだが、その背後にはONA室長のアンドリュー・マーシャルがいた。 このDPG草稿をベースに作成された報告書「米国防の再構築」をネオコン系のシンク・タンク、PNACが2000年に出している。そこでは潜在的なライバルとして東アジアが注目されていた。執筆者のトーマス・ドネリーは下院軍事委員会の元スタッフで、2002年には巨大軍需産業、ロッキード・マーチンの重役を務めることになる。 2001年にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その周辺をネオコン人脈が固めることになり、「米国防の再構築」が実行に移される環境ができあがった。そしてブッシュ大統領は「中国脅威論」を叫び始める。が、この年の9月には「9/11」を切っ掛けにして中東へ攻め込み、とりあえず東アジアは後回しになった。 ところで、ONAが創設されたのは1973年。それ以来、現在に至るまでマーシャルが室長を務めている。そのマーシャルは1921年に生まれ、シカゴ大学で経済学を学んでから国防総省系のシンクタンク、ランド・コーポレーションに入った。 マーシャルがランド入りした1949年、統合参謀本部では70個の原爆をソ連の標的に落とすというロバート・マックルア将軍の計画を承認している。核戦争を想定して特殊部隊のグリーン・ベレーも創設された。 1957年にはソ連に対する核攻撃の準備を始め、63年に戦争熱はピークに達した。この動きがキューバ侵攻作戦やミサイル危機の原因になっていることは、前に書いたことがあるので、ここでは省略する。こうした計画の前に立ちはだかっていたのがジョン・F・ケネディ大統領。1963年11月に暗殺された政治家だ。 恐らく、マーシャルはこうした時代のメンタリティーを持ち続けている。言わば、全面核戦争の亡霊的な存在。中国は1980年代の初頭、新自由主義経済を導入したが、軍事面ではマーシャルはの影響を強く受けているとも言われている。 今では多くの弟子を抱えているマーシャル。この人物の師と見なされているのはイギリス出身のバーナード・ルイスだ。サミュエル・ハンチントンと似た世界観を持ち、シオニスト/イスラエルだけでなく、サウジアラビアや湾岸の産油国も支持、イランなどは敵視している。言わば、大英帝国の戦略。 そして今年、石原慎太郎都知事が尖閣諸島の問題に火をつけた。一見、威勢が良く見えるが、その実態は安全な場所から悪態をついているだけ。前原と石原、ふたりの政治家を背後から操っているのがアメリカだろう。「カネ儲けより大事なものがある」と主張する人たちもいるが、単に虚勢を張り、アメリカのカネ儲けに協力しているだけだ。 アメリカ支配層には、戦争まで持っていこうとしている勢力も存在する。戦争に至らなくても、日中関係の悪化で日本が受ける経済的なダメージは計り知れない。 領土問題に関する事実関係は『日本の国境問題』(孫崎享著、ちくま新書)に詳しい。すでに読んだ方も多いと思うが、それでも一応、推奨しておきたい。どのような立場であるにせよ、事実関係はきちんと把握しておく必要がある。
2012.09.13
シリアの都市、アレッポで政府軍と反政府軍との戦闘が続いていたが、そこで政府軍の兵士20名が処刑されたことを示す映像がインターネット上で流れている。政府軍はもっと残虐だと反論する人もいるようだが、これまで反政府軍や「人権団体」が政府軍によるものだと宣伝した虐殺は、後に反政府軍によるものだったことが発覚している。 例えば、8月の下旬にシリアのダラヤであった虐殺も反政府軍が実行したとする映像がインターネット上で流れている。当初、例によって正体不明の「活動家」が政府軍の仕業だと宣伝、犠牲者の数は200人、300人、600人とエスカレートしていったが、その後、徹底した調査を求める声がロシアなどから出ると、この話は聞かなくなった。 その前、5月にはホウラで住民が虐殺されるという出来事があった。当初はシリア軍による攻撃が原因だとされたのだが、この嘘がばれると政府派の武装集団が実行したとする報道が出てくる。 このケースでは「西側」のメディアがシリア政府を激しく攻撃していたが、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙やローマ教皇庁のフィデス通信が反政府軍の犯行だと伝えたころから風向きが変わる。 政府軍を非難する報道の情報源は例によって反政府派の話だが、フランクフルター・アルゲマイネ紙やフィデス通信の報道は現地を取材してのもので、どちらが信頼できるかは明らかだった。後にドイツのビルト紙やディ・ベルト紙もホウラでの虐殺が反政府軍によるものだと報道している。 その前にも、「西側」のメディアが情報源にしていたダニー・デイエムという「活動家」が政府軍による虐殺を盛んに宣伝していたが、証言映像が「演出」、つまりでっち上げだったことも明らかになっていた。 そもそも、シリアでの戦闘が始まる切っ掛けになった「政府軍による住民弾圧」が作り話だとシリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエは今年3月に語っている。アル・ジャジーラなどの報道は正しくないということを大使はアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)に報告したというのだ。 ところが、この報告に外相は激怒し、残虐な弾圧が行われていると書き直せと脅したという。ニコラ・サルコジ大統領(当時)とジュペのラインはアメリカのネオコン(親イスラエル派)が1990年代初頭に描いたプランの実行に協力しようとしたようだ。 こうしたサルコジ政権の好戦的な姿勢に反対するという意味もあってか、5月からフランソワ・オランドが大統領に就任したのだが、実態に大きな変化は見られない。大統領選挙を控えて動きにくいアメリカに代わり、水面下で軍事介入しているとも言われているが、理由はともかく戦争に前向きで、アル・カイダ系の武装集団にも手を差し伸べているとも伝えられている。 ホウラでの虐殺を現地を調べた東方カトリックの修道院長は次のように語っている:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は、地上の真実と全く違っている。」
2012.09.11
2001年9月11日、ニューヨーク市の世界貿易センターに立っていた超高層ビル2棟に航空機が突入して炎上、ほぼ同時にバージニア州の国防総省本部庁舎、通称ペンタゴンが攻撃された。2度目の「9/11」だ。 まず8時46分にノース・タワーに最初の航空機が突っ込み、9時3分にサウス・タワーにも別の航空機が突入する。ペンタゴンが攻撃されたのは9時37分だ。ペンシルベニア州でユナイテッド航空93便が墜落したとも言われているが、そこに旅客機が落ちた痕跡は見当たらなかったという。 ペンタゴンがどのように攻撃されたかは、実際のところわかっていない。消防車が到着する前に撮影された写真では、直径が約5メートルの穴が開いているだけで航空機の残骸が見あたらず、穴の周辺部分に炎上した様子は見られない。旅客機が超低空で飛行した跡もないのだ。 言うまでもなく、軽量化された航空機が建造物に与えるダメージは大きくない。ペンタゴンで航空機が見当たらず、開いた穴が小さい理由をそこに求める人もいるのだが、世界貿易センターではビルを破壊してしまったことになっている。9時58分にサウス・タワーが垂直に崩壊、10時28分にはノース・タワーも同じように崩れ去った。そして17時20分には世界貿易センター7号館も爆破で解体されたように崩壊してしまう。 タワーが崩壊する際、消防士を含め、現場にいた多くの人が連続した爆発音を聞いたと証言している。そこで何らかの爆発物が仕掛けられていたのではないかという噂が今でも流れている。 アメリカを攻撃する計画があることは国の内外から警告されていたことがわかっていたが、そのひとつはイラクのサダム・フセイン政権からの情報だった。フセイン政権は国内でアル・カイダを徹底的に弾圧、詳しい資料も持っていた。 アメリカの支配層が航空機に対する攻撃計画を知っていたことを示唆する別の出来事もある。例えば、9/11の約1カ月前、株価の値下がりを予想して「プット・オプション」が大量に買われているのだ。その買い手はアレックス・ブラウンという会社。1998年まで同社の会長を務めていたバジー・クロンガードはその後、CIAの幹部になっている。つまりCIAがアレックス・ブラウンを隠れ蓑に使っていた。 事件後、アメリカ政府はアル・カイダの犯行だと断定するが、実際にこの武装集団が実行したのかどうかは不明だ。別の攻撃を計画していたのだが、より高度の作戦を別の集団が実行した可能性も否定できない。 そもそも、アル・カイダを編成、育成したのはアメリカの軍と情報機関である。1980年代にアメリカはサウジアラビアやパキスタンの協力を得てソ連軍と戦う「自由の戦士」としてイスラム武装勢力を作り上げたが、アル・カイダもその一部だったのだ。その後、アメリカを敵視するようになったというが、リビアやシリアではNATO(イギリス、アメリカ、フランス、トルコ)やサウジアラビア、カタールと手を組んでいる。アメリカとアル・カイダが敵対関係にあるかどうか、わからない。 多くの謎が解明されないまま、9/11を引き金にしてアメリカ政府はアフガニスタン、そしてイラクを先制攻撃、国内では憲法を機能停止にする愛国者法が制定され、その後、監視システムが強化されてファシズム化は止まるところを知らない。このファシズム化は1980年代の初頭に作られたCOGがベースになっていることは本ブログで何度か書いている。 捜査判事としてアルド・モロ元首相の暗殺やヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂の捜査を指揮、イタリアの上院議員でもあったフェルディナンド・インポシマートは9/11とNATOの秘密部隊、グラディオが実行した「緊張戦略」(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)との類似性を指摘、ICC(国際刑事裁判所)で調べるべきだと主張しているが、全く正論である。 9/11を誰が実行したかはともかく、この出来事を利用してアメリカという国のシステムを大きく変えてしまった勢力が存在することは確かだ。そして中東/北アフリカは破壊と殺戮で荒廃しつつある。この戦乱は1990年代の初頭から練られていたことも本ブログでは何度も指摘してきた。9/11は地球規模のクーデターが始まることを告げる出来事だったとも言えそうだ。
2012.09.10
39年前、つまり1973年の9月11日に南米のチリでオーグスト・ピノチェトを中心とする軍人によるクーデターがあり、サルバドール・アジェンデ政権が倒された。クーデターを仕掛けたのはアメリカのリチャード・ニクソン政権であり、指揮していたのは大統領補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーだ。 ほかの南米諸国と同じように、チリもアメリカの巨大資本に支配される国だった。アナコンダやケネコットのような鉱山会社やペプシ・コーラ、ITT、チェース・マンハッタン銀行などの植民地とも言える状態だったのである。 ところが、1970年9月に予定されていた大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選する可能性が高まり、アメリカの支配層は慌てる。そこで1969年12月にアメリカ政府はアジェンデの当選を阻止するための作戦を練り始めるのだが、その中心にいた人物がNSC(国家安全保障会議)で秘密工作を指揮していたキッシンジャー。 実際に選挙でアジェンデが勝利すると、ニクソン大統領はキッシンジャー補佐官のほか、リチャード・ヘルムズCIA長官、ジョン・ミッチェル司法長官と協議、経済制裁や外交的な圧力だけでなく、軍事クーデターを準備することが決まり、CIAが動き始める。 CIAが先ず行ったことはクーデターを実行する軍人の選定。その過程でチリ軍のレネ・シュネイデル参謀総長は選挙結果を尊重すべきだと考えていることがわかり、まず参謀総長の排除から始めることになる。 1970年10月19日、クーデター派はシュネイデル参謀総長を襲撃したものの、暗殺には失敗してしまう。そこで22日に再度襲撃、このときに参謀総長は致命傷を負い、25日に死亡した。 その一方、アメリカの金融機関だけでなくIBRD(国際復興開発銀行)、つまり世界銀行もチリに対する融資を止めてしまい、1972年9月には労働組合にストライキを実行させて社会不安を煽った。チリに限らず、労働組合がCIAの手先として動くケースは少なくない。 1972年10月にアジェンデ大統領は非常事態を宣言、そして翌年の9月11日にピノチェトがクーデターを成功させ、独裁者として君臨することになる。ソ連時代の東ヨーロッパで「民主化勢力」とされていた人びとはこのクーデターを民主化勢力が独裁者を倒した革命だとしていたが、「西側」では民主的プロセスを経て成立した政権をアメリカは暴力的に破壊したと認識され、アメリカに対する評価を大きく損なうことになった。 クーデター後、ピノチェト政権はアジェンデ政権の主要閣僚やクーデターに反対した軍人を抹殺する作戦を展開する。例えば、1974年9月には陸軍総司令官/国防相だったカルロス・プラッツ将軍が亡命先のアルゼンチンで暗殺され、76年9月にはオルランド・レテリエル元外務大臣がアメリカのワシントンDCで殺されている。レテリエル暗殺計画を事前にCIAは知っていたと疑われているが、そのときのCIA長官がジョージ・H・W・ブッシュである。 こうした要人の暗殺だけでなく、クーデター後にピノチェト政権は数万人を拘束、最初の3カ月間に数千人が殺されたと言われている。その中にはアメリカの巨大資本にとって邪魔だと判断された人びとも含まれていた。 そしてチリに入ってきたのが「シカゴ・ボーイズ」とも呼ばれているミルトン・フリードマンの弟子たち。反対勢力が粛清された環境の中、「新自由主義経済」を導入、「公営企業の私有化」と「債務の社会化」を推進した。チリの通貨であるペソを過大に評価(ドル安)することで贅沢品が流入、一見すると経済が活性化されたように見えたのだが、国内の製造業は崩壊し、チリ経済は破綻した。結局、富は一部に集中して国民の45パーセントが「極度に貧困」か「貧困」という状態になったのである。 こうした経済状況を肯定的にとらえ、イギリスのマーガレット・サッチャー首相に売り込んだのがフリードマンの師、フリードリッヒ・フォン・ハイエクだ。ピノチェトの軍事クーデターは経済クーデターでもあった。その波はイギリスからアメリカ、日本、中国、ロシアへと広がっていく。
2012.09.10
このところ、橋下徹一派に対するマスコミの肩入れが露骨だ。つまり、橋下を日米の支配層は選択した。橋下一派は次の衆議院議員選挙を睨んで「日本維新の会」なるものを設立するらしい。野田佳彦で民主党は「御役御免」の使い捨て、橋下たちに引き継がせようということなのだろう。 アメリカの支配層は現在、日本を改造しつつある。その改造プロジェクトが本格的に始まったのは1970年代。1971年にリチャード・ニクソン大統領(当時)が金とドルとの交換を停止すると発表した時点でアメリカ経済の衰退は決定的で、対策のひとつとして日本に矛先が向いたのだろう。 1970年代には日米繊維交渉、牛肉・オレンジ交渉、80年代に入ると対米自動車自主輸出規制が実施され、MOSS(市場志向型分野別)協議が始まり、「ドル安/円高」を決めたプラザ合意につながる。そして1989年の日米構造協議だ。1990年代に入ると金融スキャンダルが発覚、日本の支配秩序が揺らぐことになった。 そうした中、1996年12月にアメリカのメリーランド州で開かれたのが「日米21世紀委員会」の第1回目の会合。この委員会はCIAと深い関係にあることで有名なCSIS(戦略国際研究センター)が企画したプロジェクトで、そのメンバーは次の通り。【アメリカ】名誉委員長:ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領委 員 長:ウィリアム・ブロック元労働長官副 委員長:ハロルド・ブラウン元国防長官 (トーマス・フォーリーは駐日大使に就任したため、退任)委 員:レスター・アルバーサル、ウィリアム・ブリーア、ウィリアム・クラーク、リチャード・フェアバンクス、ロバート・ホーマッツ、カレン・ハウス、フランク・ムルコースキー、ジョン・ナイスビット【日本】名誉委員長:宮沢喜一元首相委 員 長:堺屋太一副 委員長:田中直毅委 員:土井定包、福川伸次、稲盛和夫、猪口邦子、小林陽太郎、中谷巌、奥山雄材、山本貞雄、(速水優は日銀総裁に就任したため、退任)顧 問:小島明 この委員会は1998年に報告書を発表、その中に日本が目指すべきだという方向が示されている。つまり、(1) 小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国)、(2) 均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、そして(3) 教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)だ。1970年代以降の世界経済を破壊してきた最大の要因、オフショア市場のシステムには触れていない。 日本側の委員長を務めた堺屋太一が橋下一派に加わっていることは偶然でない。財界と密接な関係にある田中直樹は2007年から「国際公共政策研究センター理事長」を務めているが、郵政民営化委員会の委員長でもあった。郵政民営化委員の中には大阪市特別顧問の野村修也も含まれている。大阪市で行われた「思想調査」の中心人物は野村だという。 この野村がメンバーに名を連ねる「ポリシーウォッチ」の代表は竹中平蔵で、中曽根康弘首相の時代に「私有化」や「規制緩和」を推進した加藤寛もメンバー。以前は木村剛も参加していたようだ。 ところで、1970年代には田中角栄を失脚させたロッキード事件もあった。その幕開けはアメリカの上院外交委員会の多国籍企業小委員会で飛び出した証言。 実は、この証言には伏線があった。アメリカの大物財界人でジャパンロビー人脈のひとり、エスタブリッシュメントの中でも中心的な存在であるジョン・マックロイがガルフ石油の賄賂工作に関する報告書を出しているのだ。その延長線上にロッキード社の買収工作発覚もある。 勿論、マックロイは巨大資本側の人間。ガルフ石油が攻撃されたのは、この会社がアメリカ支配層の意志に反し、アンゴラの革命政権と石油取引を続けようとしたことにあると言われている。 小委員会の目的は多国籍企業の不公正な活動を調べることにあった。1970年代にイギリスのロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークが整備され、大規模な資産隠しと税金回避の仕組みができあがっているので、タイムリーな調査だったと言える。 巨大企業や富裕層に集まった富は地下経済へと流れだし、投機市場を肥大化させることになった。こうした動きを調査していた小委員会を利用して田中角栄の失脚を狙った勢力が存在するということであり、このスキャンダルで小委員会のフランク・チャーチ委員長に目を奪われると本筋が見えなくなる。 投機経済は庶民を巻き込み、借金漬けにしていく。庶民は収入の減少を借金で穴埋めさせられるのだが、そのひとつの結果がサブプライム問題。多国籍企業や富裕層が富を独占して庶民は貧困化、それを「借金」で穴埋めする形だ。そんな仕組みが長く続くはずはなく、多くの人が予想した通りに破綻した。 新自由主義経済は様々な災いを社会にもたらしたが、そのひとつが教育システムの破壊。庶民から教育を受ける権利を奪ったのだ。アメリカを衰退させている最大の原因はここにある。 幼稚園でさえ年間200万円近く(おそらくアメリカ人の感覚ではもっと高い)は必要だという高額授業料の必要な教育ライン、公立の中でも教育機関として機能している高級住宅街の学校、そして刑務所と変わりのない学校という3つの教育システムがアメリカには存在する。つまり、庶民が公正な教育を受ける権利は今のアメリカに存在しない。 橋下の言動から考えて、彼の一派が政権をとったなら、日本の教育システムは止めを刺される可能性が高い。庶民を「ロボット化」して強者総取りのシステムに疑問を持たないような人間を育てる、あるいは飼育するつもりかもしれないが、結局は国を滅亡へと導く。それが巨大資本の理想なのかもしれないが。
2012.09.09
10月7日にベネズエラでは大統領選挙がある。世論調査では現職のウーゴ・チャベス大統領が勝つ可能性が高いという結果が出ているため、反チャベス派は選挙に不正があったとしてチャベスの当選を認めない方針なのだという。 反チャベス派とは、巨大企業を支配し、アメリカの支配層と結びついている富裕層、あるいはそうした勢力の周辺に群がっている人びと。こうした勢力にチャベスは嫌われている。2002年にはチャベス政権を潰すためにクーデターが試みられたが、その際、アメリカ政府が関与したようだ。 クーデターの黒幕として名前が挙がっているのは、ネオコン(親イスラエル派)のエリオット・エイブラムズ、キューバ系のオットー・ライク、秘密工作の常連であるジョン・ネグロポンテ。アメリカの武官、例えばジェームズ・ロジャーズ中佐の関与も指摘されている。クーデターの際、アメリカ海軍がベネズエラ沖で待機していたという。新政権は実業家のペドロ・カルモナを中心に組閣されることになっていたようだ。 アメリカの情報機関はキューバのフィデル・カストロを何度も暗殺しようと試みたことは有名で、毒殺の計画もあった。チャベスの癌がそうした工作によるものかどうかはわからないが、先月25日に起こったアムアイ製油所で爆発は怪しい。大統領選の前に尋常でない出来事が起こると、ベネズエラにあるアメリカ大使館の職員が語っていたというのだ。この話は7月22日に報道されている。 スペインに略奪された後、20世紀に入るとラテン・アメリカはアメリカの食い物にされた。資源を奪うだけでなく、「闇金」なみの阿漕な手段でも富を吸い上げられてきたのである。 典型的な仕組みは、軍事クーデターで独裁者を作り上げ、大金を融資、その資金を独裁者が欧米のオフショア市場へ還流させ、庶民は借金を返済させられるというものだが、最近ではこうした仕組みは機能しなくなっている。ラテン・アメリカの国々は自立しつつあるのだ。 アメリカの支配層は他国での略奪に熱中、国内でも強欲な政策を推進してきたが、その結果、アメリカという国は疲弊してしまった。国の一員ではなく、国に取り憑いた吸血鬼のような存在になったエリートは、オフショア市場を利用して自分たちの資産を隠し、税金を回避している。それだけでなく富裕層や巨大企業への税率自体を引き下げさせ、教育システムの破壊してしまった。 アメリカでは幼稚園でも年間数百万円という授業料が必要な教育システムがある一方、公立学校は崩壊状態にある。少しでも環境の良い公立の学校へ進みたいならば、高級住宅地に住まなければならない。親にとって大変な負担であり、自己破産の大きな原因になっている。 よく「エリート教育」という言葉を耳にするが、実態は富裕層の子どもだけが教育を受けられるということにすぎない。その結果、アメリカ人の知的レベルが低下、製造業ではエンジニアや研究者を中国人やインド人に頼るという事態になっている。 ひとことで言うならば、アメリカの国力は明らかに落ちている。その結果、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)をはじめとする国々に経済では太刀打ちできなくなってしまった。それを破壊工作や軍事力で何とかしようとしているのが「西側」だ。そうした足掻きがベネズエラで通用するのかどうか、見物である。
2012.09.08
シリアのバシャール・アル・アサド体制は未だに倒されていない。一時期はイギリスのウィリアム・ヘイグ外相がイラク攻撃の急先鋒だったが、ここにきてフランスとトルコの動きが目立つ。 先日、フランスのローラン・ファビウス外相は化学兵器が使用されたなら、反撃は大規模で激しいものになると語ったが、それに続き、フランス政府はシリアの反政府軍に地対空ミサイルなどの武器や資金を提供していると伝えられている。 シリアの体制転覆工作にフランスを引き込んだのはニコラ・サルコジ大統領とアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(いずれも当時)だが、政権が交代してもフランス政府の姿勢は大きく変化していないようだ。 ところで、サルコジはフランス軍をNATO(北大西洋条約機構)軍へ復帰させた、つまりフランスをアメリカの支配下に引き戻した人物。1966年にシャルル・ド・ゴール大統領がNATO軍からの離脱を決めて以来のことだ。 NATOから離脱するという決定がド・ゴールの暗殺未遂と無関係だとは考えにくい。1962年にOASに所属するジャンマリー・バスチャンチリー大佐のグループにド・ゴールは命を狙われたのだが、このOASは「NATOの秘密部隊」につながっている。つまり、暗殺計画の黒幕はアメリカやイギリスの情報機関に巣くう「テロ集団」だった可能性が高い。この人脈はジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺でも名前が出てくる。 ところで、シリアの体制転覆工作で、NATOはロシア製の対戦車ミサイル、9K115-2メティスMや9M133コーネットを含む武器をアメリカ政府はサウジアラビアやカタール経由で反政府軍に供給している。その一方、トルコはIED(路肩爆弾)の使い方をシリアの反政府軍に訓練しているとも言われてきた。この中にフランスも加わったということだろう。 トルコに関する情報としては、トルコ軍将校がシリアの反政府軍を指揮し始めたというものがある。シリアの北部、アレッポの西約60キロメートルのイドリブ、そして北東約40キロメートルの場所にあるアル・バーブで戦っている反政府軍2個旅団をトルコ軍の将校が指揮、その司令部はシリアとの国境に近いトルコの都市、ガジアンティプにあると報道されている。 昨年の春からトルコにある米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(自由シリア軍)を訓練する一方、イギリス、アメリカ、フランス、カタール、ヨルダン、トルコも特殊部隊をシリア領内で活動させていると疑われてきた。 今年6月にはトルコ軍のF-4戦闘機がシリア軍に撃墜されているが、事実関係をチェックすると意図的な領空侵犯だった可能性が高いと言わざるをえない。低空でシリア領内に侵入、海岸線から約1キロメートルの地点で機銃によって撃ち落とされたということだ。シリアの防空体制を調べていたのだろう。 一部の「西側」諸国はイスラム国のトルコがさらに深く軍事介入することを望んでいるという話もあるが、トルコ政府のシリア反政府軍に対する支援はトルコ国内を不安定化する一因になりつつある。イギリスやアメリカの手先として動き、イスラエルと手を組むというタイイップ・エルドアン首相の姿勢に批判が高まっているのだ。 こうした批判の波はトルコ軍にも及び、最高軍事評議会が56名の将軍や提督に退役を命令、そのうち40名はクーデターを計画した容疑で逮捕されるという事態になっている。実際にクーデターの計画があったのかどうかは不明だが、現政権に対する不満が軍の内部にあることは確かなようで、「予防拘束」だった可能性もある。エルドアン首相の言動から考えると、今回の逮捕劇は「西側」の情報機関が協力したのかもしれない。 エルドアンは2003年3月から首相を務めている。アメリカがイギリスを引き連れてイラクを先制攻撃した月から、ということになる。オスマン帝国の夢を追いかけているようにも見えるが、単純に米英の操り人形として働いているようにも見える。シリアの体制転覆に時間がかかっていると、トルコで不満が爆発し、内乱が始まりかねない。
2012.09.07
アメリカでは民主党が党の全国大会を開き、バラク・オバマ大統領を大統領候補者に指名した。わかりきった話ではあるが、とにかくオバマは正式な民主党の候補者になったわけである。 オバマにしろ共和党のミット・ロムニーにしろ、巨大な多国籍企業や富裕層の操り人形に変わりはないとシニカルに言う人もいる。現在のシステムでは何も変わらないというわけだが、かといって革命を起こす気概があるわけでもなく、結局のところ、現状に安住したいだけという類の人たちの口癖だ。 勿論、体制の中でのし上がった人物であるならば、支配層と何らかの形で結びついている。オバマやロムニーが多国籍の巨大企業や富裕層の影響下にあることは言わずもがなだが、全く同じだと言うわけではない。そうしたことを前提にして、世の中を変えるにはどうすれば良いかを考えなければならない。 アメリカの選挙は民意が反映されにくい仕組みになっていることは事実で、投票妨害が報告され、投票数の操作も噂されているが、それでも民意を示すことが不可能とは言えない。本当に政策をチェンジさせられる候補者も中にはいるわけで、そうした人物に投票するのもひとつの方法。メディアのプロパガンダが機能して、こうした候補者は支持されないようだが。 実は、こうした仕組みの中でも「二大政党」を揺るがしかねない状況になったことがある。ジョン・F・ケネディの息子、JFKジュニアの存在自体がそうした状況を作り出したのだ。 2000年にも大統領選挙があり、共和党のブッシュ・ジュニアと民主党のアル・ゴアが争った。ところが、その前年に実施された世論調査で最も人気があったのはブッシュでもゴアでもなく、JFKジュニアだった。JFKジュニアは立候補しないとしていたが、もし立候補したなら共和党でも民主党でもない大統領が誕生する可能性があった。支配層は心配したことだろう。 しかし、そうした懸念は1999年7月に吹き飛ばされる。JFKジュニアが操縦する単発のパイパー・サラトガが墜落、本人だけでなく同乗していた妻のキャロラインとその姉も死亡したのだ。 墜落した位置から考えて、パイパー機は自動操縦で飛んでいた可能性が高く、教官が乗っていたはずだとも言われている。緊急時に位置を通報するためにELFという装置が搭載されていたにもかかわらず、墜落から発見までに5日間を要し、事故後に回収されたボイス・レコーダーには何も記録されていなかった。こうした謎は未だに解決されていない。 ともかく2000年の選挙ではブッシュ・ジュニアが勝ち残ったのだが、この人物とイギリスのトニー・ブレア首相をICC(国際刑事裁判所)で裁くべきだと先日、発言した人物がいる。人権問題に取り組んできたデズモンド・ツツ元大司教だ。 ブッシュとブレアは偽情報を広めることでイラクが「大量破壊兵器」を保有しているかのように人びとに信じさせ、そのイラクに先制攻撃を仕掛けて中東/北アフリカ地域を不安定化、現在のシリア情勢にもつながっていると批判している。全く正論。 オバマはブッシュ政権の政策を「チェンジ」すると宣言して前回の大統領選挙では勝利した。イラクからアメリカ軍を撤退させるような姿勢を見せたものの、傭兵が増強され、アフガニスタンでは無人機による住民殺戮が繰り返されて反米感情は高まるばかりだ。 ブッシュ政権は軍事侵攻で拘束した人びとをグアンタナモ刑務所や東ヨーロッパや中東などに設置した秘密刑務所で拷問を繰り返していた。捕虜としての権利も、刑事被告人としての手続きも無視してのことで、責め殺された人も少なくない。そうした殺人を犯した人びとの責任をオバマ政権のエリック・ホルダー司法長官は決めたという。グアンタナモも閉鎖されていない。オバマ政権は前政権の政策を「チェンジ」できていない。 勿論、共和党の候補者が勝利していたなら、戦火は今よりも激しく燃え上がっていたことだろうが、オバマが火を消す意志を見せたとは言い難い。ブッシュ政権が始めたシリアへの秘密工作、あるいはリビアへの攻撃ではブレーキを掛けていたようだが、結局、ネオコン(親イスラエル派)やイギリスに押し切られてしまった。現在、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長らがイスラエル政府のイラン攻撃熱を冷まそうと動いているようだが、抑えられるかどうかはわからない。 とにかく、ネオコンは1990年代の初頭からシリア、イラン、イラクを旧ソ連圏の国々と同じように作り替える意志も持っていた。2001年9月11日の直後には、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画ができあがっていたのである。オバマ政権になってもこの計画を止まらない。 世の中を変えるためには誰かに丸投げしてもだめで、何らかの形でアクションを起こす必要がある。選挙もそうしたアクションのひとつであり、選挙では何も変わらないと言って何もしなければ、本当に何も変わらない。
2012.09.06
日本政府は牛肉の輸入規制を緩和しようとしている。アメリカ産やカナダ産の牛肉を輸入する条件としてきた月齢「20カ月以下」を「30カ月以下」へ緩和し、輸入を禁止してきたフランス産やオランダ産を30カ月以下まで輸入を認めようというのだ。このように規制を緩和しても「リスクの差は非常に小さく、人への健康影響は無視できる」ということで内閣府の食品安全委員会プリオン専門調査会は9月5日に合意したという。TPP(環太平洋経済連携協定)を見据えての動きだろう。 こうした規制はBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)対策として導入された。BSEに感染するメカニズムが正確にわかったわけではないが、最も怪しい経路を断とうということだ。 東電の福島第一原発が大事故を起こして大量の放射性物質を撒き散らし、農作物や家畜を汚染している現在、牛肉の規制は意味がないと考える人もいるだろうが、BSEには解明されていない謎が多く、規制緩和の問題は大きい。 BSEが注目されるようになったのは1990年代の半ばだが、その時点で「クールー」と呼ばれる脳の病気と類似していることに気づき、警告していた学者がいる。1950年代からニューギニアでクールーを研究していたウイルス学者のカールトン・ガイデュシェックだ。病気は牛から豚や鶏、そして人間にも感染する可能性があると主張、鶏の排泄物を肥料に使っている野菜も安全ではないとしていた。 米ウィスコンシン大学マジソン校のリチャード・マーシュ教授は1990年代初め、アメリカの家畜にBSEが忍び込んでいる可能性を指摘していた。マーシュ教授は感染性ミンク脳症の専門家で、1985年に起きたミンク脳症流行の原因はミンクに死んだ牛の肉を与えたことにあると考えている。 しかし、ミンク脳症はこのときに初めて現れたわけではない。確認されている中で最も古い発症例は1947年にミネソタ州の農場で発見されたもの。この時は125匹のミンクが死んでいる。その14年後、1961年にはウィスコン州の農場で、1963年にはアイダホ州、ウィスコン州、そしてカナダで感染が確認された。1963年のミンク脳症と狂牛病を結びつける実験が1990年に行われ、両者の結びつきは確かめられている。 その後もミンク脳症の流行は断続的に続いているようだが、1990年代の後半になって注目され始めたのはBSEとアルツハイマー病との関係。両者には共通項が多く、アルツハイマー病と診断された患者の中にBSEを発症した人が含まれている可能性があると疑っている人は少なくない。つまり、BSEがアルツハイマー病として処理され、BSEは沈静化したとしている可能性もある。 アルツハイマー病も異常ブリオンが関係しているという研究報告があり、伝染する可能性も指摘されている。BSEとアルツハイマー病は同じ病気である可能性も否定できない。また、異常プリオン蛋白質が関与しているという点で、CJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)もBSEと類似、変形型CJDはBSEと言えるようだ。 アメリカが生産している「食糧」の安全問題はBSEだけではない。GM(遺伝子組み換え)の危険性も指摘されている。このGM作物は直接的な安全問題だけでなく、個人農民の生産活動を破綻させる原因にもなっている。 TPPには多くの問題が含まれているが、食糧問題も重要なファクターであることは間違いない。食糧は生物の生存に関わる問題なのだが、日本の支配層はこの食糧を生産する権利をアメリカ支配層へまず差し出そうとしている。 日本の「エリート」たちはアメリカの一部支配層に服従することで権力を維持しようとしている。欧米の植民地になった国々よりも日本の支配層は質が悪い。【食品安全委員会 プリオン専門調査会】座長酒井 健夫:日本大学生物資源科学部教授座長代理水澤 英洋:東京医科歯科大学大学院脳神経病態学教授小野 寺節:東京大学名誉教授甲斐 諭:中村学園大学学長門平 睦代:帯広畜産大学フィールド科学センター教授佐多徹太郎:富山県衛生研究所 所長筒井 俊之:農研機構 動物衛生研究所 ウィルス・疫学領域上席研究員永田 知里:岐阜大学大学院医学系研究科教授中村 好一:自治医科大学医学部教授堀内 基広:北海道大学大学院獣医学研究科教授毛利 資郎:農研機構 動物衛生研究所プリオン病研究センター長山田 正仁:金沢大学医薬保健研究域医学系教授山本 茂貴:国立医薬品食品衛生研究所食品衛生管理部長
2012.09.05
8月の下旬にシリアのダラヤで虐殺があった。ホウラに関する報道で失態を演じたこともあってか、「西側」のメディアはかつてほど反政府軍色を露骨に出していないが、それでもバシャール・アル・アサド体制を批判するトーンは崩していない。そのダラヤの虐殺も反政府軍が実行した可能性が高いことを示す映像がインターネット上で流れている。 アメリカ、イギリス、フランス、トルコなどのNATO加盟国、サウジアラビア、カタールのような湾岸産油国は反政府軍を使い、シリアの体制転覆を目指してきた。そうした勢力のために「西側」や「湾岸」のメディアはプロパガンダを続けてきたのだが、事実を世界に伝えようとしている人々もいる。 そうしたひとりがマザー・アグネス・マリアム。修道院復興を目指して12年の間、シリアで活動を続けてきたカトリックの聖職者で、反政府軍の実態を現地化からの証言に基づいてい証言している。(その1、その2)当初、政府を批判する運動が始まったときは反政府軍を好意的に見ていたようだが、現地からの証言を聞くにつれ、「西側」メディアの伝える内容が正しくないことを知ったという。 彼女によると、かつてのシリアは「全体主義的」な側面はあるものの、安心して暮らせる場所だった。ところが、反政府軍は混沌、混乱、殺戮、誘拐を広めているとマリアムは語る。反政府軍は自分たちを支持しない人間を虐殺しているという。民主化するために変えなければならない点はあったが、反政府軍は民主化をもたらすどころか、破壊と虐殺を繰り返しているということだ。 ホウラでの虐殺について、現地を調べた東方カトリックの修道院長は次のように語っている:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は、地上の真実と全く違っている。」 ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙もホウラの虐殺は反政府軍によるものだと報道している。政府軍と反政府軍との戦闘が続いている間に、反政府軍はアラウィー派(大統領を含め、党や軍の幹部に多い)やシーア派の住民だけでなく、キリスト教徒や反政府軍に服従しないスンニ派住民も殺害していったという。 本ブログでは何度も書いたことだが、FSA(自由シリア軍)はNATOや湾岸産油国が編成、訓練、支援している軍隊。リビアでアンマル・アル・カダフィ体制が倒れてから、アル・カイダ系の武装勢力がシリアへ移動、その際に武器も運ばれている。それだけでなく、イギリス、カタール、アメリカ、フランス、ヨルダン、トルコなどは自国の特殊部隊をシリア領内で潜入させている可能性がある。 こうしたシリアへの軍事介入は、遅くとも1990年代の初頭に想定されていたことも本ブログでは何度も書いてきた。いわば、シリアの民主化運動は乗っ取られたのである。
2012.09.04
統一協会の創立者で「メシア」を自称していた文鮮明が9月3日に韓国の病院で死亡したという。日本では「合同結婚式」や「霊感商法」で知られているが、麻薬の取り引きに関与しているとする情報もある。協会側は麻薬との関係を否定しているが、その説明に納得しない人もいる。 1980年7月、ボリビアで軍事クーデターがあった。前の月にボリビアの大物麻薬業者6人が軍人と会い、コカイン取引の保護を条件に資金を提供することで合意していた。このことから「コカイン・クーデター」とも呼ばれている。このときに統一協会はクーデター派に約400万ドルを提供したと伝えられている。(詳細は拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) このクーデターで中心的な役割を果たしたのはルイス・アレセ・ゴメス大佐なのだが、この軍人のオジはボリビアでのコカイン取引を支配していたロベルト・スアレス。6月の話し合いは、アレセ・ゴメスとスアレスが決めた計画を麻薬業者仲間に納得させることが目的だったのかもしれない。 第2次世界大戦が終わった直後、アメリカ政府はナチスの元幹部たちをラテン・アメリカへ逃がしているが、そのひとり、「リヨンの屠殺人」ことクラウス・バルビーはボリビアで大きな影響力を持っていた。実際にクーデターを計画したのはバルビーだとも言われている。 大戦中、バルビーはフランスのリヨンでゲシュタポを指揮、多くの人びとを殺している。その中にフランスの英雄であるジャン・ムーランが含まれていたこともあり、フランス政府からは追われていた。そのバルビーを守っていたのがアメリカの情報機関だ。 バルビーのナチ・コネクションはイタリアのテロリストを引き寄せる。NATOの秘密部隊、グラディオの下で爆破活動を繰り返していたステファノ・デレ・キアイエと1970年代の終盤に接触しているのだ。 ボリビアのクーデターにアメリカ政府が関与している疑いもある。クーデターの2カ月ほど前、マイアミでコカイン854ポンド(388キログラム)が押収され、スアレスの組織の幹部ふたりがDEA(麻薬取締局)に逮捕されたが、すぐに外へ出ているのだ。 そのふたりとはホセ・ロベルト・ガセルとアルフレッド・グチエレス。検察はガセルをすぐに釈放、グチエレスも保釈金を300万ドルから100万ドルに減額して保釈した。グチエレスはそのままボリビアへ戻ってしまう。 このふたりを逮捕したDEAの捜査官、マイケル・レビンによると、アルゼンチンの秘密警察官から「CIAはクーデターについて全て知っている」と聞いたという。ガセルとグチエレスの釈放にもCIAが関与していると疑われても仕方がないだろう。 ガセルの父親はボリビアにおけるWACL(世界反共連盟)の指導者なのだが、この団体と統一協会との関係も有名だ。 大戦後、ヨーロッパでは「ABN(反ボルシェビキ国家連合)」、東アジアでは「アジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)」が組織された。この2団体が1966年に合体した組織がWACL(世界反共連盟、現在の名称はWLFD/自由民主世界連盟)である。文鮮明も中心メンバーのひとりになっている。 APACLは1954年、台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関によって創設された。日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのもこの年だ。 1958年に文鮮明は崔翔翼(日本名、西川勝)を宣教師として日本に密入国させて日本統一協会を設立させた。崔は密入国がばれて大村収容所に収容されるものの、逃げ出してしまう。この崔の身元保証人になったのが笹川良一だ。 こうしたことから、統一協会の後ろにはCIAが何らかの形で存在していると推測されているのだが、1961年に韓国でKCIAが創設された後はその手先として動くようになる。アメリカで議員を買収する工作でも別働隊として活動している。 1963年には立正佼成会の庭野日敬会長が自分の秘書だった久保木修已や小宮山嘉一らを統一協会へ送り込み、64年に統一協会は宗教法人として認められ、65年には久保木が会長に就任する。そしてWACLが誕生した。 文鮮明/統一協会と岸信介との緊密な関係は有名だが、石原慎太郎も昵懇な間柄だった。例えば、1974年に開かれた「希望の日晩餐会」に来賓として出席した石原は「敬愛する久保木先生」について、次のように挨拶している:「私は同志として選挙運動を助けてもらいましたが、こんな立派な青年が日本にいるのかと思った。」 この続きはまたの機会に・・・
2012.09.03
イランが核兵器を保有する能力を持つことにイスラエルは脅威を感じているらしい。自分たちが世界有数の核兵器保有国だということに矛盾を感じず、イランを攻撃すると叫び続けている。そのイランがモデルにしている国は日本だという。 日本のように、「平和利用」を看板に掲げて技術を習得、そうした技術を集めればいつでも核兵器を作り出せるという体制を築こうとしているというのだ。日本はプルトニウムを生産する施設を持っているだけでなく、衛星を打ち上げられるロケット、つまり大陸間弾道ミサイルを保有している。 1964年に中国が核兵器の実験に成功した後、自分たちも核兵器を持ちたいと考えるグループが日本にも出現したという。2010年10月にNHKが放送した「“核”を求めた日本」によると、リチャード・ニクソンが大統領に就任した1969年、日本政府の内部で核武装を本格的に話し合い、西ドイツ政府と秘密協議をしている。 会議に出席、日独両国はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと主張した日本側のメンバーは、外務省の鈴木孝国際資材部長(当時)、岡崎久彦分析課長(当時)、村田良平調査課長(当時)だった。 核武装に関する調査は内閣調査室の主幹だった志垣民郎を中心にして行われ、技術的には難しくないという結論に達している。日本原子力発電所の東海発電所を利用すれば、高純度のプルトニウムを1年に100キログラム余りは作れると志垣は見積もった。 また、1969年から71年まで海上自衛隊幕僚長を務めた内田一臣は毎日新聞の取材に応え、「日本の防衛のために核兵器がぜひ必要だと思って、それなりの研究も(個人的に)していた」と語ったという。 1977年になると、東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入る。2006年までに1116トンを処理したならば、その1パーセントのプルトニウムが生産されたとして10トン強、その1パーセントは誤差として認められるので、0.1トンになる。計算上、これだけのプルトニウムを隠し持つことができることになったわけだ。 こうした日本の動きをアメリカは警戒するはずだと最初に指摘したのは、研究者であると同時にジャーナリストであり、活動家でもあった山川暁夫。1978年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言している。「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と指摘したのだ。 実際、アメリカ政府はこうした動きを見逃さなかった。1977年に大統領となったジミー・カーターは日本の核兵器開発に反対し、ブレーキをかけた。これで日本の核兵器開発は終わったとする人もいるようだが、CIAやNSAは開発を続けていると確信、動力炉・核燃料開発事業団(動燃。現在は日本原子力研究開発機構に再編)を監視する秘密の仕組みも1980年代には作り上げたようだ。 しかし、ロナルド・レーガン政権になるとアメリカの核政策は大きく変化する。日本がアメリカの核兵器製造施設に立ち入ることを許し、研究成果を日本に渡し、日本が1980年代以降70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積することを可能にしたとジャーナリストのジョセフ・トレントは書いている。こうしたプルトニウムを蓄積する隠れ蓑に使われたのが電力会社だという。 昨年3月、東京電力の福島第一原発で「過酷事故」が起こって3つの原子炉で炉心が溶融し、大量の放射性物質を環境中に放出し続けている。原発の危険性を内部告発した原子力技術者としても知られているアーニー・カンダーセンによると、日本政府の計算に使われた圧力抑制室での除去係数が間違っているうえ、格納容器からの漏洩も無視しているという問題がある。これを正しく直すと、放出した量はチェルノブイリ原発の2から5倍になるだろうとガンダーセンは推測してる。(アーニー・ガンダーセン著、岡崎玲子訳『福島第一原発 真相と展望』) もし、大きな地震などで4号機の使用済み核燃料プールが崩壊したなら、少なくとも1号機から6号機までの冷却作業が難しくなり、セシウム137で比較すると、チェルノブイリ原発の事故で環境に出た量の85倍以上が放出されてしまうという。 これだけの事故を起こしながら、当事者の東電、監督責任のあった経済産業省、歴代の閣僚、誰も責任を問われず、電力会社が倒産することもない。全ての尻ぬぐいを庶民に押しつけて終わりにしようとしている。東電を倒産させられない理由のひとつは、核兵器開発の秘密にあるかもしれない。倒産させたなら調査が入り、秘密が漏れる可能性があるからだ。 また、日本が保有するプルトニウムの中にはイギリスやフランスで再処理され、兵器級の純度を持つものがあり、アメリカで採掘されたウランから作られたものまで含まれているという。トレントによると、「セラフィールドで生産され繰り返し日本に輸送されたプルトニウム燃料は、核兵器用として十分なほど純度が高い」とイギリスで核兵器を設計していたフランク・バーナビー博士は語ったという。 それだけでなく、アメリカとイギリスは「原子炉級」のプルトニウムで核兵器を作り、実験も行ったとバーナビーは説明したとしている。この話が正しいなら、日本の核兵器生産能力はとんでもなく高いということになる。 トレントはCIAの幹部に情報源を持っている。今回の報告もそうした情報源が関係しているだろう。過去の著作から判断すると、CIAの情報を検証せず、そのまま垂れ流してしまうという問題はあるが、今回の場合、CIAの少なくとも一部のCIA幹部は日本の核兵器開発に関する情報を外に出すべきだと考えているのだろう。 もし、核兵器開発能力を持つ可能性あることを理由にしてイランを先制攻撃することが正当化されるならば、どこかの国が日本を脅威だとして先制攻撃することも認められることになる。アメリカがイスラエルに同調してイランを攻撃したなら、日本をどこかの国が攻撃してもアメリカは文句を言えない。ここにCIAが日本に関する情報を流した理由があるのかもしれない。イラン情勢を「対岸の火事」だとは言えない。
2012.09.02
シリアで激しい戦闘が続き、破壊と殺戮が繰り返されている。こうした事態に立ち至った最大の責任がアメリカのネオコン(親イスラエル派)にあることは間違いない。この事実から目を背けて問題を解決することはできない。 本ブログではしつこく書いているが、現在の戦争は、1990年代の初頭に彼らが描いた世界支配の青写真に基づいている。そこにイギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタールなどが合流して軍事介入を開始したわけだ。 ネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン体制を敵視、それに対してフセインを湾岸産油国の守護神と位置づけ、支援していた勢力もアメリカ支配層の中には存在した。例えば、ジェームズ・ベイカー、ジョージ・H・W・ブッシュ、ロバート・ゲーツたちだ。 しかし、ブッシュ・シニアが大統領に就任してから国防総省ではネオコンの影響力が強くなり、西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアがライバルに成長しないように全力を挙げ、アメリカ主導の新秩序を築き上げるという戦略を打ち出した。そこで作成されたのがDPG(国防計画指針)だ。 この草案はリチャード・チェイニー国防長官の下、アンドリュー・マーシャルの戦略に基づいてポール・ウォルフォウィッツ国防次官、そしてI・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドというネオコン人脈がDPG(国防計画指針)によって作られている。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、DPGの草案が作成される直前に、ウォルフォウィッツは旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを掃除すると話していた。こうしたネオコンの戦略がDPGのベースになっていたということだろう。 しかし、次の大統領選挙でビル・クリントンが当選、ホワイトハウスにおけるネオコンの影響力が小さくなり、マーシャルの戦略は棚上げになってしまう。そのクリントン大統領は「パレスチナ和平」を進め、1993年にPLOのヤセル・アラファトとイスラエルのイツハク・ラビン首相は「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に正式署名した。 そして2000年、ネオコンに担がれたジョージ・W・ブッシュは裁判所の力も借りて大統領選に勝利する。この選挙ではブッシュを当選させるために投票妨害などの工作が報告されているが、投票のカウントに不正があったとも疑われている。 ともかく大統領に就任したブッシュはマーシャルの戦略の基づいて「中国脅威論」を主張しはじめる。そうした中、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターに立っていた超高層ビル2棟に航空機が突入、ペンタゴンも攻撃されるという出来事があった。 この出来事を引き金にしてふたつのプロジェクトが動き始める。ひとつは1980年代にロナルド・レーガン政権が始めたCOG(一種のクーデター計画)、もうひとつはDPGのベースにもなった攻撃計画である。COGの始動でアメリカの憲法は機能を停止、イラクに続き、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するという計画も動き始めた。 アフガニスタンに軍事侵攻した後、統合参謀本部内の反対意見を押し切る形でブッシュ政権がイラクを先制攻撃したのが2003年3月。開戦に反対していた人びとが予想したとおりに戦争は泥沼化した。この戦争で軍需産業、傭兵会社、監視ビジネスなどは大儲け、アル・カイダも勢力を拡大していったが、国民には戦費負担がのし掛かる。 ネオコンのウィリアム・クリストルとローレンス・カプランは著書の中で、イラク攻撃は21世紀におけるアメリカの世界における役割を決める意味があるとしている。つまりアメリカが世界を支配する道を開く最初の一歩だということである。「DPGの草稿」を始動させたということだろう。 2005年2月にはレバノンでラフィク・ハリリ元首相らが殺され、「西側」のメディアはシリア黒幕説を流し始めた。この年の10月には国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は、「ラフィク・ハリリ元首相の殺害がシリアの治安機関幹部の許可なく、またレバノンの治安機関内部の共謀なしに実行されることはありえないと信じる有望な根拠がある」としていた。要するに「証拠はないものの、シリアが怪しい」ということだ。 アメリカ政府は国連に対し、緊急行動を要求するのだが、その一方でシリア黒幕説を否定する事実が明らかになっていく。事実関係に不審な点が出てきたほか、2006年にはアル・カイダのメンバーが登場、ハリリを暗殺したと証言している。後に「拷問による自白」とされたが、拷問があったとする根拠は示されていない。 2010年8月にはヒズボラの指導者、ハッサン・ナスララーがハリリ暗殺の背後にはイスラエルが存在すると主張、ブッシュ・ジュニア政権は中東の勢力図を自分たちに都合良く書き換えようとしていると批判していた。 アメリカの国務省がシリアの反政府派を育成しはじめるのは、それから間もなくしてのことである。内部告発支援サイト、ウィキリークスが公表したアメリカ政府の外交文書によると、米国務省はシリアの反政府派へ2000年代の半ばには資金援助を開始、ロンドンに拠点を持つ衛星放送のバラダTVを創設、プロパガンダを始めている。 2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌で、アメリカがサウジアラビアと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと警告、現在はアメリカ、イギリス、フランス、トルコといったNATO加盟国とサウジアラビアやカタールという湾岸産油国がアル・カイダ系武装集団とも手を組み、シリアの体制転覆を目指して軍事介入している。
2012.09.02
アメリカの大統領選挙で現職のバラク・オバマと争う共和党のミット・ロムニー。ここにきてロムニーの錬金術が注目されている。 ロムニーは大金持ちである。アメリカン・モータースを経営、ミシガン州知事も務めた父親を持つ彼は生まれながらにして富裕層に属しているのだが、それでも現在の富を生み出したのはベイン・キャピタルという投資会社だと言えるだろう。 1971年にモルモン教系のブリガム・ヤング大学を卒業、ハーバード・ロー・スクールとハーバード・ビジネス・スクールが共同で始めた4年間のプログラムに加わり、終了後はボストン・コンサルティング・グループで働き始めた。ベインというコンサルティング会社に移ったのは1977年のことだ。 このコンサルティング会社の共同経営者、T・コールマン・アンドリュース、エリック・クリス、そしてミット・ロムニーは、ベイン・キャピタルという投資会社を1984年に3700万ドルで創設、社長にはロムニーが就任した。 当然のことながら、この投資会社もオフショア市場の資金と深く結びついている。多国籍企業や富豪たちが課税を回避し、地下に沈めた資金だけでなく、犯罪組織などが稼いだカネを隠し、マネー・ロンダリングしている地下経済の世界につながっているということだ。ロムニーもこの世界を利用し、2000万ドルの年収がありながら税率は14%。累進課税の時代は過ぎ去っている。 今、それ以上に注目されているのはエル・サルバドルを支配する富豪たちとの関係。ベイン・キャピタルの資金のうち相当部分は、そうした富豪から提供されたと言われているのだ。 エル・サルバドルは「14家族」と呼ばれる富豪がアメリカの権力層と手を組み、軍事独裁体制を利用して支配してきた国。コミュニストは勿論、庶民の立場から発言するような人たち、つまり多国籍企業や「14家族」のカネ儲けに邪魔な人びとは「死の部隊」に虐殺されていた。この虐殺装置を指揮していた人物が国家警備隊の少佐だったロベルト・ダビッソンだ。 このグループは1980年3月、首都のサン・サルバドルでオスカル・ロメロ大司教を暗殺している。大司教は軍事政権による虐殺、弾圧を激しく非難していた。当時、アメリカ大使としてエル・サルバドルにいたロバート・ホワイトは暗殺に関する詳しい情報をアメリカ政府に報告、ベイン・キャピタルが誕生した84年には下院西半球問題小委員会でダビッソンの役割も含めて証言している。なお、ロメロ大司教の暗殺にはニカラグアの反革命派「9月15日軍」も協力していた。 こうした独裁政権の後ろ盾はアメリカの支配層であり、「死の部隊」はアメリカ軍が設立したSOA(2001年にはWHINSECへ名称を変更)の出身者が中心的な役割を果たしていた。暗殺や拷問など弾圧のテクニックをそこで叩き込まれたのである。 資金力という点でみると、次の大統領選挙ではロムニーが有利だと言えそうだ。この人物は世界の経済や社会システムを破壊している金融の世界や大量殺戮システムを体現しているわけで、確かに「アメリカ的」かもしれない。が、ロムニーが大統領になれば、経済や社会の破壊は促進される可能性が高い。「アメリカ後」を考える時期にきているとも言えるだろう。
2012.09.01
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