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国道18号を軽井沢から横川方面にくねくねとした道で向かうと突然、レンガ造りの大きなアーチ橋が見えてきます。国指定重要文化財「碓氷峠鉄道施設」の1つ碓氷第三橋梁(めがね橋)です。高さは50mほどかな…長さは約90mで、レンガ造りです明治25年12月竣工のとても古い橋です。少し離れた駐車場に車を置いて、めがね橋の真下に向かい、さらに山道を上がって橋の上を歩くことができます。写真の橋の左わきから道が整備されています。橋の上の線路は撤去されています。写真右手前のトンネル(1215m)も通ることができます。また反対側にも3号トンネルがあり旧熊ノ平駅の廃駅へとつながっています。上の写真にもあるように横川~軽井沢間は碓氷峠が急こう配(1000分の66.7)1000m行く間に66.7mあがるという最急こう配のためアプト式が採用され、26のトンネルと18の橋梁が建設されました。18号国道を走る間にこれらのトンネルと橋梁を垣間見ることができます。この路線は1893年(明治26年)から1963年(昭和38年)まで使用され速度UPのために新線の完成とともに廃線となりました。この廃線跡を歩いてめぐる企画があります。廃線ウオーク→廃線ウオーク横川町へ江戸末期から明治時代の産業遺産を日本各地でたくさん見てきましが、時代の勢いを感じるものばかりです。
2024.08.26
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中空になった(パイプ状の)大きな杉の中に杉が生えている2重構造の杉を通りがかりに見つけました。「神代杉」と名付けられています。場所はここですGooglemap「神大杉の由来」によると鳥頭神社にある神代杉 (親子杉とも言う)は、その昔日本武尊御東征の時、お手植えされたと言い伝えられています。以来、巨木となり、寛保2年(1742年)草津への旅人が 1夜をこの杉の洞の中で焚火をし、その時失火により半枯の状態になった。その後、天明3年 (1783年)浅間山の大噴火による熱泥流により再び、この神代杉は火に包まれたが、この時、龍徳寺住職円心和尚が消失を逃れるために、危険を顧みず10mの高所で切り倒したとあります。この神代杉は現在周囲9.7mで、地元の氏子たちが代々修復を重ねています。また、内にある杉は約200年程前に何度か植栽に挑んだが何れも枯れ死したために氏子達が笹原台地の黒土を馬にて運び混土して、杉苗も大きい物を選び切り株より高くして植えたのち活着したと言われています。以来、その姿から親子杉とも呼ばれているそうです。面白い杉です。車で通りがかった際、偶然見つけたものです。氏子たちの信仰の厚さを感じました。
2024.08.14
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長野原町は八ッ場ダム建設工事にともなって、1994年から2019年の26年間、ダム湖底に沈む八ッ場の村々の発掘調査を行いました。「やんば天明泥流ミュージアム」では、それらをまとめ、八ッ場村の歴史を展示・解説しました。となりには、「長野原町立第一小学校旧校舎」が移設してあり、明治期の小学校の様子と郷土資料を展示してありました。①天明泥流このミュージアムのテーマは「天明泥流」です。天明3年(1783年)浅間山の大噴火で軽井沢をはじめとする周辺地域が溶岩と火山灰によって大きな被害を受けました。火砕流・岩屑なだれが2日渡り発生、北麓に流下、下流では泥流に変化して吾妻川を塞ぎ、次いで決壊、多量の水が我妻川に出て流域の村落を流失した。幸手宿(埼玉県幸手市)における利根川大洪水の様子 (浅間山焼昇之記)この泥流が「八ッ場天明泥流」です。八ッ場村ではじわじわと泥流に飲み込まれたために、生活のありようそのままに発掘されています。農村であっても、かなり豊かな生活がうかがえる日用品、家屋のたたずまいが発掘されています。泥の中に埋まっているので木材など腐って失われず、当時の状態がしっかり残っています。ポンペイのようです。発掘の様子「天明泥流体感シアター」もありやんば天明泥流ミュージアム「天明泥流体感シアター」ダイジェスト映像で一部見ることができます。また、学芸員が語る!「やんば天明泥流ミュージアム」の魅力でより詳しく解説があります。②縄文土器八ッ場ダム建設にともなう発掘調査では、縄文時代草創期(約12.000年前)の土器・石器も出土し、その展示もありました。発掘された縄文土器は大きく、装飾も豊かで、この地域に縄文文化が花開いていたのを感じさせます。しかし、弥生式土器は出土が少なくなり、農耕が盛んになるとより平坦な地域に人々が移動していったと考えられているそうです。この地域は、人の訪れで生活が成り立っています。それゆえ、道の駅へ行っても、旅館へ行っても、展示館やミュージアムでも、係の方が親切で一生懸命解説してくれます。いい見学ができました。
2024.08.12
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(やんば見放台から)八ッ場ダムができると「八ッ場あがつま湖」と名付けられたダム湖が形成されます。この湖底には川原湯温泉街を始めとする340世帯と国指定名勝である吾妻渓谷の中間部があります。観光資源が一挙に沈んでしまっています。交通面では、国道145号とJR吾妻線と駅舎が沈みました。<現在の様子>・道路と橋国道145号線バイパス、県道376号線をはじめ3本の県道が作れらており、観光客の車と貨物を載せたトラックが多く通行しています。ダム湖両岸を結ぶ橋として3本が新たに作られており、自家用車でこの付近をめぐるのにスムースでした。・鉄道新しくダム湖畔南側にJR吾妻線が付替えられてダム湖中央部湖岸に「川原湯温泉駅」ができました。旧JR吾妻線(ダム湖北側)は水没しましたが、残った我妻峡をとおりダムまでは線路が残っておりそこは「アガッタン」と名付けられた自転車型トロッコが観光用に営業されています。・河原湯温泉旧温泉街より南側の高台に旅館などを移転して新温泉街を造成し、湖畔の温泉として営業している。源泉は湖底の自然湧出湯をコンクリート井筒で保護し、ポンプ揚水するほか新たにボーリングして掘り当てた2つがある。6つほどの新しい温泉宿が営業している。私は「丸木屋」に宿泊したが、これからの温泉街を広めるためとても良いサービスでした。帰りには自家製の漬物をいただきました。おいしかったです。(丸木屋正面)でかけたのは平日ですが、ダム展示館や管理事務所周辺の駐車場には見学客がたくさん訪れていました。一方、川原湯温泉の宿はおもてなしに頑張っているにもかかわらずあまり宿泊客は多くないようです。新しくて、家庭的な対応に気に入りました。たくさんの方が訪れてこの地区を応援していただければよいなと思います。(今回ここまで)
2024.08.10
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いろいろあった「八ッ場ダム」を見学①→2024/8/8ブログで書きましたように、建設休止などいろいろあって、丁寧な啓発活動と展示が行われています。ダム堤体上から下まで誰でも使えるエレベーターがあったり、堤体下を横断できる橋ができていたりして、涼しい空気の中、見学できます。展示館もあり、そこでは見学ツアーも行われています。八ッ場ダムは防災、流水調節、都市用水の供給、発電を担う多目的ダムですが、この展示館の展示中、流水調節で興味深いものがあったのでお伝えします。選択取水設備です。(図3)選択取水設備は、ダム水を放流するのにあたって、ダム湖上方の温かくきれいな水を放流するか、下方の冷たい水を放流するかを選ぶことができる設備です。すぐ下流の我妻峡を流れる水を清浄にし、農業用水の温度が下がらぬように選択取水がおこなわれ、、最初な写真に見えるように、ジェットフローゲートから勢いよく放水しています。選択取水には、取水口を上下させる方式もありますが、八ッ場ダムでは「連続サイフォン式」が使われています。29段の積み重ねたサイフォン管が深度58mにわたってあり、必要な深度の空気を抜くことでその深度の水を選択的に取水することができるようになっています。通常はモーターなどで取水口を上下させますが、これはなかなかのアイディアだなと感心しました。注)8/8と8/9ブログで使用した図版は八ッ場ダムでいただいたパンフレットから転載しました また8/8ブログで示した年表はWikipediaから抜粋編集しています(今回はここまで)
2024.08.09
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8月6日に「八ッ場ダム」(やんばだむ)を見学してきました。計画から完成までに68年。着工1967年、竣工2019年と、紆余曲折の後、やっと令和2年に完成しました。(図1)八ッ場ダムは、利根川支流の吾妻川の長野原町に位置する重力式コンクリートダムです。(図2)このダムによりせき止められた我妻川は「八ッ場あがつま湖」となり、有効貯水容量は9000万m3です。洪水調節容量(6500万m3)・集水面積(711.4km3)ともに利根川上流ダムで一番大きいダムです。完成までに紆余曲折がありました。年表を見るとその紆余曲折を垣間見ることができるでしょう。八ッ場ダム年表1952年 「利根川改訂改修計画」発表。利根川に10箇所のダムを建設する利根川上流ダム群計画(水害から利根川流域・東京を守る)・支流から流入する強酸性河水による我妻川本流には当時の建設技術ではダム建設ができず凍結1965年 草津中和工場を中心とする中和事業「吾妻川総合開発事業」によって吾妻川の水質改善1967年 現在の地点にダム建設決定・水没地区の長野原町で頑強なダム建設反対運動1986年 地元住民の生活再建案調整2009年 民主党へ政権交代2009年 前原誠司(国土交通大臣)による八ッ場ダムの事業中止・東京都、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県の首長が建設中止に批判・代替地移転を待っていた長野原町議会が事業継続を求める2010年 千葉県弁護士会は建設中止を求める会長声明を発表2010年 東京都、埼玉県、千葉県、群馬県、茨城県、栃木県の6知事は保留していた直轄事業負担金を支払う意向を示す(国土交通大臣は馬淵澄夫)2011年 前田武志(国土交通大臣)は建設再開を表明2015年 着工2019年 10月1日試験淡水開始2020年 3月31日完工、4月1日運用開始(今回ここまで)
2024.08.08
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